いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

千葉県西部防災センターでの防災体験はとてもオススメ!

2014年03月31日 01時00分00秒 | イベント・外出
<月曜はお勧めなおはなし>

以前このブログでも紹介した「子どもとおでかけタダで楽しむ千葉パーフェクトガイド」にも記載のある千葉県西部防災センターで防災体験をしてきました!
場所は松戸市の国道6号線の松戸警察署の奥にあり、入館無料です。

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↑千葉県西部防災センターの建物

まず、入口で受付をしますが、館内はツアー形式でインストラクターが引率する形となります。
10名以上の場合は事前予約が必要ですが、少人数の場合は随時受け付けてくれます。
我々は20分ほど待って10時30分開始でした。
少し時間があったので、1Fの大きな地球儀で、どこが地震が多いのかを見たり、防災備蓄品展示を見たりします。
炊飯装置が大きかったですね。

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↑大きな地球儀

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↑防災備蓄品展示コーナー

それから、奥には防災資料室があり、図書だけでなく、映像も見れるようになっていたのでそれらを楽しみます。

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↑防災資料室の図書

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↑防災資料室のビデオシアター

そして、いよいよツアーの始まりです。
まずは視聴覚室で防災に関する映像を見ることになります。
小学生の子供が多いので、アニメをみることになりました。
アサリちゃんとは懐かしい・・・
地震に備えて耐震器具をつけるなどのアドバイスがありましたね。

そして、総合テーマ室に行き、個室で災害時の映像を見ながら、その場面場面で2択で判断するシュミレーションを体験します。

地震によって引き起こされた都市型災害の状況をシミュレーションとして家庭編・繁華街編・オフィス編があるようで、今回は繁華街編でした。
地震が起きたときに、表に出ると落下物で危ないとか、119番を呼ぶよりまず身近な人を助ける、初期消火活動をしたほうが良いなどです。
災害時をリアルに体験して判断を考え、とても良いと思いましたね。

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↑総合テーマ室

それから、119番の体験も行います。
実際に電話機で119を押し、場所や様子を教える練習になってこれも良いと思いました。

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↑119番の体験

それから実際の建物の中での煙の中を進む体験も、ドアなどが本物だけにリアルに体験できたのは良かったですね。

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↑煙体験

そして、消火器訓練もありました。
実際は水を使用しての消火器訓練ですが画面に映し出された炎に向かって消火するというもので、実際に消火器はなかなか使用しないので、ピンを抜いて、レバーを押す感じがよく理解できて良かったと思います。
また15秒間だけ消火できるとは少し短い気もしましたね。

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↑消火器訓練

それから地震体験もありました。
震度7を1分間体験できるというもので、あまりの激しい揺れには驚きましたね。
テーブルの下に潜り、耐えますが、かなり1分は長く感じますし、頭もぶつけそうで凄かったです・・・

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↑地震体験

そして、最後に暴風雨体験で、風だけも体験できますし、風雨も体験できます。
我々は暴風雨体験として参加し、カッパや長靴を履き、メガネも外して体験します。
徐々に風速30mまで風が強まり、雨が激しく降りかかってとても大変でした。
風速30mは凄いですね!

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↑暴風雨体験

なお、中学生以上の参加の場合は、このあとに訓練用人体模型を使用した応急救護の体験もできるようです。
千葉県西部防災センターは、防災に関して総合的に体験・学習ができ、とてもオススメです!

お勧めなお話(2013年下半期)
自動車保険を安く!

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「機嫌よく暮らす 桂子師匠90歳、元気の秘密(内海桂子)」という本はとてもオススメ!

2014年03月28日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

「機嫌よく暮らす 桂子師匠90歳、元気の秘密」の購入はコチラ

 「機嫌よく暮らす 桂子師匠90歳、元気の秘密」という本は、漫才師で、平成元年に紫綬褒章、平成7年には勲四等宝冠章を受賞した内海桂子さんが著者で、その90歳でも元気に生きる秘訣についてとても読みやすく分かりやすく書かれたものです。
 具体的には、ウォーキングや姿勢などの健康法や、仕事への取り組み方や絵画の趣味、恋愛や結婚などについて楽しく書かれています。

 特に、長生きには姿勢が大切なこと、芸は身を助ける、仕事はいわれたことをこなすだけではダメ、新しいことをするのに躊躇しない、バランス良い食事が必要には共感を覚えましたね。

 また、仕事や趣味をずっと続けることも健康の秘訣だと思います。

 「機嫌よく暮らす 桂子師匠90歳、元気の秘密」という本は、元気に長生きできる秘訣が満載で、とても読みやすく、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・背中が丸くなると、目線が下を向くでしょう。そうすると、気持ちまで縮こまります。いくつになっても背筋を伸ばして、前を見て歩きたいものです。背筋を伸ばす方法は、難しくありません。やるのも、気が向いたときでかまいません。柱や壁に、まず背中をつけます。続いて、頭、肩、お尻、かかとをつけていくのです。全部がついた姿勢で、30秒間がんばって立ち続けましょう。私は、仕事や散歩から帰ってくると、必ずお茶の間の柱に背中をつけます。「家に帰ったら柱」と習慣づければ、なんてことありません。手荒い・うがいと同じです。

・年を取るにつれて健康を気にして、健康食品やら栄養剤やらをたくさん飲んでいる人がいます。素人考えですが、むしろ必要ないものは体の中に入れないほうがいいと、私は思っています。今が健康なら、なおさらです。私は、薬をほとんど飲みません。家にある常備薬は百草丸と正露丸だけ。百草丸は食べ過ぎの薬、正露丸はおなかをこわしたときの薬ですから、一年に一度飲むか飲まないかです。このくらいのほうが、本当に薬を飲まなきゃいけないときによく効きます。88歳の夏に、肺炎で入院したときに治りが早かったのも、ふだん薬を飲まなかったからだと思っています。

・犯人は、耳あかでした。私はいわゆる「アメ耳」で、ベタベタした耳あかがたまります。よかれと思って、毎晩綿棒で耳掃除しているのですが、かえって耳あかを奥に押し込んでいたのです。それが固まって耳栓になり、聞こえが悪くなるということでした。

・歯についてもほめられますが、朝晩の歯磨き以外、特別なことはしていません。強いていえば、朝から晩まで飲んでいる緑茶の効果でしょうか。洋食屋さんのカツサンドや、浅草の仲見世で焼いているおせんべいは、噛み心地もごちそうえす。ずっと自分の歯で食べ続けたいと思います。朝食が遅いので、お昼は食べませんが、午後3時ごろおやつを食べます。私が好きそうなものを選んで、亭主が出してくれます。最近、私たちの間でブームなのが、トーストとコーヒーです。食パンは市販のものを焼いただけですが、コーヒーは亭主で豆からひいて淹れてくれます。手間をかけて丁寧にこしらえたものは、やはりおいしい。7時頃に食べる夕食は、おかずが10品ほど並びます。家庭の食膳にしては皿数が多いと思いますが、亭主いわく、栄養のバランスを考えた結果だそうです。

・シャンパンも好きです。年に一度の特別な日(何の日かは秘密です)に、銀座の資生堂パーラーに行き、二人でシャンパンを一本飲みます。資生堂パーラーでは、最後にカレーライスを二種類頼んで、半分半分していただきます。どんな立派なレストランに入っても、コース料理は頼みません。自分がほんとうに食べたいものだけを注文します。贅沢なようですが、食べたいものを選んで楽しむほうが、誠実だと思います。

・80年も働き続けて、「お金は働いて稼ぐもの」という感覚が染みついているので、年金とか手当とか、私にはどうもしっくりきません。とはいえ、いただけるものはありがたいので、年金はせっせと貯金しています。「頭と体を使うと銭になる」を信条に、今まで働いてきました。といいましても、頭だけ動かして口ばっかりでは、お金になりません。そんな偉そうな人に、だれもお金を払いたくはないでしょう。体だけ使って働くのも、一時的にはお金になるかもしれませんが、長続きしません。頭と体の両方を使うことが大事です。戦後すぐのころは漫才の仕事がなく、どうしようかと考えていたとき、いとこが「団子を作ったが売れない。硬くなっちゃうから、なんとかして」と相談に来ました。みんな食うや食わずの時代です。団子なんて嗜好品は売れません。そこで私は気づきました。「高価でも、おいしければ売れる場所」があります。吉原の遊郭です。日本中が貧しくても、吉原のお姉さんたちは小金を持っているはず。そして米粉で作った団子を気に入ってくれるはずと踏んだのです。案の定、お姉さんたちが5本10本と買ってくれました。お客さんがいっしょのときは、もっと売れたのです。団子を売りながら、のり巻きを売ることを思いつきました。午前中に団子を売ったら家に帰り、ご飯を炊いてのり巻きを作りました。お姉さんたちがおなかをすかせる夜10時ごろを見計らって売りに行くと、これもまた思惑どおり、作った分だけ売れました。考えなしに売ろうとしても、売れません。また、いいことを思いついても、自分で体を使ってすぐ実行しなければ、商機を逸してしまったでしょう。

・夕刻になると、坊ちゃんの世話役から解放され、私も自由な時間がもらえました。でも、店の忙しいときには出前を手伝ったり、お座敷に上がったお客さまの下駄をきれいにふいてそろえたり、鼻緒を直したりと、できるだけ気を利かせて働きました。すると、それに気づいたお客さまが、よく釣り銭をくださいました。かけそばが7銭だったので、10銭硬貨でお釣りが3銭、それを私に「取っときな」とくれるのです。これもコツコツ貯めたので、けっこうな額になりました。奉公から戻った私に、母が「これから生きていくために、三味線と踊りを習っときな」といいました。この言葉が、私の人生を決めました。すぐに、近所に住む三味線と踊りのお師匠さんの家に通い始めましたが、月謝を払うのは私です。鼻緒屋さんで、下駄や草履の前坪を糸で留める仕事をして、1円50銭の月謝を払いました。このとき、三味線と踊りを身につけたことで、芸人として今までやってこられたのです。今、踊っている「奴さん」も、このとき習ったものです。16歳のとき、「夫婦漫才の女房がお産で、その代わりを捜している」ということで、私のところに話が来ました。「あの子は、三味線も踊りもできるよ。よく気がつく子だよ」と推してくれる人がいたようです。そのときは、義理の父が「娘を芸人にする気はない」と突っぱねました。でも、相手の真剣さと、月給35円(たぶん今の35万円くらい)の条件を出され、なんとなく「引き受けようか」という雰囲気になりました。私自身は、それまで仕事として漫才をやったことはありませんでしたが、「あの子なら」と名指ししてくれたのだから、「やりたい。やらせてください」という気になっていました。思い返すと、「仕事をいただけるのはありがたい」という気持ちは、あのころから常にありました。できるかできないかは、わかりません。でも、「お願いするよ」といわれたら、やるしかない。それは今も同じです。

・仕事がないときには、目を皿のようにして仕事を探さなくちゃいけません。そして、仕事が見つかったら、お客様や雇い主にいわれたことをこなすだけではだめです。特に、サービス業はね。相手が喜ぶことを考えて、動くことが大事。「給料以上の仕事はしない」なんていっていたら、次の仕事につながりません。そして、仕事が順調なときも、「この景気はいつまで続くか」「じゃまする人はいないか」ということを、常に見ていました。完全にだめになってから、次を探しても遅いのです。走り続けながらも、周りへの目配りを怠ってはいけません。私の勤めたところは、一階がキャバレー、二階は日本料理を出して結婚式もできるお座敷がある、大きなお店でした。お客さまは会社のトップや、大きなお店のだんな衆など、そうそうある顔ぶれでした。そこで私は、三味線を弾いて歌ったり踊ったりしました。三味線を弾ける女性は私だけだったので、重宝されました。ここでも、芸に身を助けられたのです。

・バンドの音楽に合わせて、ジルバやタンゴなんかも踊りました。これも、日本舞踊が身についていたので、体が自然に動きました。3ヶ月後には、お店の売れっ子ホステスになっていました。私の芸名「桂子」は、このときのお店のマネージャーが「芸能界でナンバーワンになる名前」といってつけてくれたものです。本名は良子といいます。また、お客さまで来ていた材木屋の若だんなが「桂子の桂は月桂冠の桂。冠になるんだよ」といってくれたことが心に残っていて、ずっと桂子を名乗り続けています。

・人の漫才も漫然と眺めるのおではなく、「こうすればもっとおもしろいのに」「私ならこうする」なんて考えながら観察していました。「人の仕事ぶりを見て学ぶ」。これは、どんな仕事に就いてもいえることでしょう。「くだらないことでも、笑いを取ればいい」と思っている若手芸人もいますが、そうじゃない。本当のことをいわないと、お客さまは笑いません。そのときの地球の動きぐあいをつかまえてやらなけりゃ、だめなんです。世の中は常に動いています。時事問題や世界情勢をよく知っていなければ、漫才はできません。逆にいえば、世の中が動いているから、ネタは尽きません。だから新聞やニュースは毎日チェックしています。

・漫才は、「萬歳」という平安時代の芸能が発祥といわれます。萬歳は、正月に家々を回って、門前や玄関先で新年を言祝ぐ歌舞でした。人を楽しい気持ちにさせて、祝儀を得るものだったのです。その気構えは今も変わりません。

・思い返すと、私の人生で、自分から「やらせて!」といって取りにいった仕事は、ほとんどありません。「桂子さんに頼もう」「師匠にお願いすれば大丈夫」というふうに、名指しの仕事をいただいてきました。これまで基本的に仕事は断らなかったし、初めての分野でも自分で工夫してやり遂げる努力をしてきました。仕事に取り組んだら、自分ができることを精一杯やる。どの努力が評価されて、次の仕事につながったのだと思います。

・私は、新しいことを始めることに、あまり躊躇しません。ケチな性分も手伝って、「食わず嫌いはもったいない」と思っているからです。勧められれば一応やってみるし、求められれば断らずにやります。やってみて嫌だったら、次から断ればいいのです。やらなければ、よしあしの判断がつきません。

・ファンのかたからサインを求められたときには、その場で夫婦達磨を描いてサインを添えます。そのために、本墨と薄墨と朱の筆ペンをいつも持ち歩いています。手慣れているとはいえ、達磨を描いて、私の口紅を使ってほおに紅を入れて仕上げるまでには、けっこう時間がかかります。ですから、「ちょっとサインを」といわれて、30枚も色紙を持ってこられると、帰りの電車に乗り遅れてしまいます。ほどほどにお願いします。

・熊本という土地は、日本の伝統を大事にするところだそうです。東京で子供に日本舞踊を習わせる親は、そう多くないでしょう。熊本では、日本舞踊のお教室がいくつもあります。踊りを習った子たちが修業を重ねて大人にんって、弟子を取り、教室を開く。そういう研鑽を推奨している土地柄だそうです。東京は、日本の流行の最先端だとか、文化の発信地だとか自認しています。でも、熊本で人と触れあって、話を聞いて、東京にはもっと、伝統を真剣につないでいく努力が必要だと感じました。

・すぐ「できません」「無理です」という人が多いけれど、そんなこと簡単に口にしちゃいけません。本当に無理なことなんて、めったにないはずです。やる前から決めるのは「食わず嫌い」といっしょ。「やらず嫌い」はだめですよ。また、子どものことから「早く早く」と育てられたせいでしょうか。今の人は、すぐに結果を出して、一人前になりたがりますね。でも、下積みや修行がなければ、肩書きだけ立派になっても意味がありません。

・働くのに、本来、男も女もないと思います。家庭の中で、「男が外で働き、女が家を守る」という役割分担をするのはかまわないでしょう。でも、不景気で亭主の稼ぎが減ってきて、それをぼやいたり、夫婦仲が悪くなったりするくらいなら、女房が銭をかせげばいい。「スーパーのレジ打ちなんて」「パートは嫌」「朝早いのは苦手」なんていっているうちはだめです。金を稼ぐのは、そんな甘いもんじゃない。つらいこともあれば、嫌なこともある。あたりまえです。「楽してお金をもうけよう」というのは論外。働くなら「仕事をいただけて、ありがたい」と感謝するべきです。それと、勘違いしている人が多いのですが、「金を稼ぐ」のは別に偉いことじゃありません。働くことができるのは、仕事をくださるかたがあり、家族の協力があり、子どもを見てくれる人や施設があるからです。私も、亭主であるマネージャーが仕事の調整をし、家のことをやってくれるから、90歳になっても働けるんです。この実態を認識しているから、すなおに「ありがとう」といえます。お金を稼ぐには、頭と体を働かせることが大事です。私は、働き始めた十歳のころから、人に指図される前に動くようにしています。いわれたとおりにしか動けないんじゃ、機械と変わりません。何をすれば周りが助かるか、喜んでくれるかを考えて行動することです。自分のことは二の次で、まず相手の気持ちを考える。それが、自分への評価になって返ってきます。

・彼は料理人じゃないし、しかも毎日のことですから、ごくありふれた食事です。でも、おいしくて栄養のある物を私に食べさせたい、という気持ちが伝わってきました。「酒ばかり飲んで、満足な食事をしないのでは」という心配もあったようです。私も、彼と一緒だと、何でもおいしく食べることができました。さらに、一緒に住むようになって、彼の人柄についてわかったことが、いくつかあります。まず、一度決めたことはずっと続ける人だということ。そして、私の健康、仕事、生活全般を、本当に気にかけてくれているということ。それがはっきりした時点で、「この人とだったら、ずっと暮らしても問題なし」と腹が決まりました。このときの私の直感は、間違っていませんでした。あの人は今も、私の体と仕事を大切にしてくれています。

・どんなに惚れて惚れられて一緒になったとしても、長年夫婦をやっていれば腹の立つこともあります。文句をいうのも、けんかするのも、夫婦なら当たり前です。気分のわるいときは、「何いってんのよ。それはどういう意味よ」なんて食ってかかることもあります。でも、どんなに大声でどなっても、落ち着いてからは話せばお互い納得できるので、別れたいと思ったことは一度もありません。けんかというのも、要は話し合いです。口げんかはいいけれど、ののしり合いになったらいけません。この違いがわかっていないと、こじれます。

・夫婦はもともと赤の他人です。血のつながりのない者どうしが、だれに頼まれたわけでもなく一緒にいるのですから、自分たちでうまくやる努力をしなきゃいけません。色恋なんて、何年かすれば冷めてしまいます。そのあとは、料簡が大事です。

・世間の人たちは、いいたいことを我慢しているから、最後に大爆発するんじゃないでしょうか。腹が立ったときには、私たちみたいに、自分の意見を最後までいったほうがいいですよ。互いに腹に一物持ったままじゃ、笑って暮らせません。

・一番大事なのが、言葉遣いです。言葉はその人の生活の中から出てくるものですから、言葉ひとつで、人間がわかります。「お先に」というひとことで、テレビドラマの仕事をいただいたことがありました。NHKでの仕事を終え、エレベーターに乗ったときのことです。ごく自然に「お先に」といって降りました。知っている人が乗っていたわけではありません。でも、私にとっては普通の挨拶です。そのとき、私は気づかなかったのですが、深町幸男監督が後ろに乗っていらしたのです。その深町監督に、「さりげなく、こんな言葉が出る人は貴重です。ぜひ私のドラマに出演してください」といっていただきました。そして、NHKのドラマ人間模様「血族」に出演することになったのです。

・私にとって、言葉は商売道具でもあります。周りから好感を持たれるような笑いも、言葉ひとつで決まります。見た目の器量は変えられませんが、言葉遣いはいくらでも美しくできます。最初は、相手の気持ちを逸らさないしゃべり方を心がけます。話が途切れないように、相手に合わせて言葉をつないでいくと、心もつながっていくのです。そのためには、相手が「そうそう」といってくれて、話が続く話し方を工夫する必要があります。いろんな言葉や表現を知らないといけない。それも勉強ですよ。言い方も大事です。同じ「やめなさいよ」というにしても、声の大きさや抑揚、顔の表情や手の位置で、印象がまったく変わります。このあたりの機微は、キャバレーで働いていたときの客あしらいの経験が役立っています。

・私が乳飲み子だったときに、実父が姿を消し、貧しさの中で母のお乳が出なくなりました。そのとき、子どもを産んだばかりの近所のおかみさんが、お乳を分けてくれたそうです。もらい乳ができなくなると、今度は近くの牧場のご主人が、牛乳をただで届けてくれたといいます。栄養失調のために私の両目が見えなくなったときも、母の二番目の連れ合いが病院に連れていってくれたおかげで、失明せずにすみました。そんな話を聞くと、「私の命は、私一人のものではない」という思いが強くなります。「親にもらった大事な体を粗末にするな」といいますが、親だけじゃなく、いろんな人の手助けがあって、今の私がいるのです。

・「意地っ張り」なんて、普通は悪口のときに使いますが、私はけっこう好きな言葉です。「いいわけをしない」「楽なほうに流れない」「頼まれごとを断らない」。そんな意地の積み重ね、意地っ張り根性が、今の私をつくっています。私は生まれたときからずっと、意地っ張りを通してきました。これからもそうします。

・今日もちゃんと目が覚めて、温かいお茶を飲んで、朝ご飯をしっかりいただいて、自分の足で舞台に立って、お客さまとお目にかかれて、晩酌を(たった一合だけど)楽しめて、ああ本当にいい一日でした。私はずっと、こんなふうに暮らしてきました。多くを望んだこともなく、贅沢をしたこともありません。ただ、目の前のことを一生懸命やるだけで精一杯でした。「生きるとは、そういうもの」とずっと思ってきたので、つい自分を基準にして、若い人に厳しくなることもあります。でもね、意地悪じゃないのよ。「年を取る」って悪いことばかりじゃなくて、いいこともあります。私くらいの年になると、若いすてきな男性に抱きついても嫌な顔をされません。若いころより、簡単にイケメンと仲良くなれる。それだけでもウキウキします。ですから最近は、「年を重ねることは、楽しみが増えること」だと思うようになりました。それと同時に、「歴史をつなぐ責任」も自覚しています。

・姿勢が前かがみになると、バランスを取るためにひざが曲がって、ひざ痛や腰痛の原因となります。歩くことの健康効果はよく知られていますが、その前に姿勢をよくすることが大切なのです。背中が丸くなる原因には、背骨の圧迫骨折や、椎間板のすりへりなどのほか、「骨や椎間板に異常はないのに、背中が丸くなっている」という人も少なくありません。若い人のねこ背や、背筋の弱った高齢者はこのケースです。ねこ背や円背を一気に治す方法はありません。毎日少しずつ背中を伸ばし、筋肉と関節に癖をつけることが一番の近道です。ですから、師匠が「帰宅時に背中を柱につける」という習慣は理にかなっていまs。また、師匠の歩行は、「いい姿勢」を意識してひざを伸ばし、下半身全体を使っています。このように歩いていれば、関節痛や転倒、ケガを予防できるでしょう。歩行動作には、筋力のほかに、バランス能力が不可欠です。姿勢を制御し、スムーズに足を運ぶために、神経機能がフル稼働します。神経も筋肉と同様、一気にではなく、毎日少しずつ使うことで鍛えられます。つまり、月に一回長距離を歩くのではなく、短い距離でも毎日歩くほうがいいのです。さらに桂子師匠は、布団の上げ下ろしもしています。筋力を鍛えるよい運動ですが、不慣れな人が師匠のように勢いをつけて突然始めると危険です。ぞうきんがけや草むしりでも足腰を鍛えられます。できることから始めてください。運動器の健康維持には、食事も大切です。魚や肉、牛乳、卵などの動物性たんぱく質と、カルシウムをとりましょう。師匠の食卓は品数が多く、残さず食べることでバランスよく栄養がとれています。ご夫君が勉強なさっているのですね。緑茶も、師匠の若さの一因でしょう。緑茶に含まれるカテキンには、老化の元凶を除去する抗酸化作用があり、これも「たまに大量摂取」ではなく「毎日少しずつとる」ことで効果が得られます。トイレのたびに緑茶を飲むのも正解です。水分摂取は、脳梗塞の予防や、体内の老廃物を効率的に排出することにもつながります。「出したら補給」のひとことでいいきって実践している師匠は、やはりすごい人です。「仕事や趣味を持つ人は元気で若々しい」というのは医学的な根拠があり、高齢者の継続的な社会参加は。健康長寿の延伸に重要と考えられています。さらに、認知機能が軽度低下した高齢者に、6ヶ月間の運動プログラムに参加してもらったところ、認知機能のスコアや短期記憶が改善したという報告もされています。積極的に人と接して体を動かすことで、認知症の予防にもなるわけです。


<目次>
はじめに
第1章 足じゃないのよ、腰で歩くの~体の健康について~
 朝イチのモンローウォークで足腰をほぐします
 「できないこと」を教えず「できること」をやるだけです
 姿勢が悪いと体の外も中も老けていきます
 「元どおりになる」と思えばリハビリもうれしい
 乳ガンの手術でおっぱいの形がくずれたのは残念です
 1ヶ月の入院予定だったのに、たった5日で退院できました
 夜中に5回起きますが、「夜間頻尿」ではありません
 自己流の耳掃除で耳が聞こえなくなりました
 近所で迷子になりましたが、認知老人の徘徊ではありません
 23本ある自分の歯で、好きな物をおいしくいただきます
 のんびりテレビを見ていても、ついネタ探しをしてしまいます
第2章 新しいこと、おもしろいわよ~仕事や趣味について~
 自分の年なんて覚えておく必要はありません
 周りをよく見て動くと、どんどん仕事につながります
 ナイツとウッチャンナンチャンは私は師匠と呼んでくれます
 若手に「100年前の漫才を教えてやる」といってからみます
 吉永小百合さんや前田敦子ちゃんと共演しました
 八万人のお客さまに芸を見せるつもりでつぶやいています
 描くことで人さまとのご縁がつながっていきます
 東京は文化の発信地って本当かしら
 「金を稼ぐ」のは別に偉いことじゃありません
第3章 色恋忘れず、意地をなくさず~女性として妻として~
 「この人だったら」と思った決め手は食事でした
 元祖・年の差カップルにマスコミが大騒ぎでした
 「53歳で初婚の相手が77歳」とナイツがネタにしています
 一人でも生きていけるけど、二人だと幸せです
 けんかはいいけど、ののしり合いはだめ。その違いが大事
 「お先に」のひとことで見初められました
 高価な物は欲しくないけど、野暮な格好はしたくない
 金正日サングラスをかけて今日も毅然と街を歩きます
おわりに
桂子師匠の体と脳は、なぜ若いのか 伊奈病院整形外科部長 石橋英明

面白かった本まとめ(2013年下半期)

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L'ART ET MIKUNI(ラー・エ・ミクニ)(東京竹橋)でのランチはとてもオススメ!!

2014年03月26日 01時00分00秒 | 外食
<水曜は食べ物のおはなし>

 東京メトロ竹橋駅近くの東京国立近代美術館内にあるL'ART ET MIKUNI(ラー・エ・ミクニ)でランチを楽しみました!

 2012年10月に三國清三シェフのレストランとしてオープンしたお店で、「食を文化に発展させるためのメッセージを発信し続けていく」という想いと、「東京の地産池消をアートする」というコンセプトでフランス料理を提供するお店です。

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↑店の入口

 お店は東京国立近代美術館内にありますが、展覧会等を鑑賞しなくてもこのレストランは利用できます。
 店内は白を基調として清潔感と格調のあるお店ですね。
入口には三國清三シェフの写真があり、窓からは皇居の立派な石垣等が見えて明るく清々しい~!

 さっそくメニューを見ますが、ランチコースとしては「アドリア海の恵み3,500円」と「トスカーナ・大地の恩恵5,500円」の2つがあり、せっかくなので「トスカーナ・大地の恩恵」を選びました。

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↑メニュー

そして「野菜のマリネ、小魚のカルビオーネ、パテ・カンパーニャ」が運ばれます。
さすが美しい~!
ほろほろ鶏という説明もありました。
鮭も美味しい!
写真にはありませんが、温かくもっちりとしたフランスパンも運ばれこれも美味しいです。

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↑野菜のマリネ、小魚のカルビオーネ、パテ・カンパーニャ

それから「アクア・パッツァ」が運ばれますが、真鯛とアサリ、オリーブも入っています。
さすが真鯛がホカホカで柔らかくて美味しい!
アサリがすぐ取れて食べやすくなっているのはさすがだと思いましたね。

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↑アクア・パッツァ

 そして「ブルチーニ茸のタリアテッレ クリームソース」は良質なチーズがかけられ、濃厚なブルチーニ茸の香りとともに、ねっちりとしたパスタでコシがあり美味しいです!
濃厚~!!
また皿もツバが大きなお皿で変わっていて美しいですね。

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↑ブルチーニ茸のタリアテッレ クリームソース

 そして「若狭牛のグリエマルサラソース」は、霜降りの分厚い若狭牛がとても柔らかく焼かれています。
野菜も赤・緑・黄色とあり、とても美しいです!
さすが芸術性を感じさせます!

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↑若狭牛のグリエマルサラソース

それから美しい「デザート盛り合わせ」と「コーヒーと小菓子」も頂きましたが、残念ながら写真を撮り忘れてしまいました。

 東京国立近代美術館内にあるL'ART ET MIKUNI(ラー・エ・ミクニ)は、美術館で絵などを楽しむだけでなく、気持ちの良い部屋で、美味しいフレンチも楽しめてとてもオススメです!

美味しかったものまとめ(2013年下半期)

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ラー・エ・ミクニ

昼総合点★★★★ 4.0
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関連ランキング:フレンチ | 竹橋駅九段下駅神保町駅



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東京ディズニーシーで隠れミッキー発見!

2014年03月24日 01時00分00秒 | イベント・外出
<月曜はお勧めなおはなし>
 東京ディズニーランドディズニーシーについてはこのブログでも何度か紹介していますが、至るところにミッキーマウスの顔の輪郭部分の隠れミッキーがあるようで、それを探すのも楽しみの一つとなっているようです。

 今回東京ディズニーシーで3つ隠れミッキーを発見したので紹介したいと思います。

 一つ目は、東京ディズニーシーの入口から入って右側の方へ進むと、右側にザンビーニ・ブラザーズ・リストランテというレストランがありますが、そこを通り過ぎるとパルテノン神殿のようなところがあり、そして少し歩くと右側にアーチ橋がありますが、その桜の木のアーチから左へ4つ目のアーチの上の方に「隠れミッキー」がありますね!

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↑隠れミッキーの拡大

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↑隠れミッキーがあるアーチ橋

 少し耳部分が小さいですが^_^;)、ミッキーの顔の形をしています。
結構ここは有名なようで、みんな指を指していたりするので、すぐ分かると思います!
 いつも何を見ているのだろう?と不思議に思っていたのですが、「隠れミッキー」だったんですね^_^;)


 それから、二つ目の隠れミッキーは、レイジング・スピリッツというアトラクションの出口の先にあります。
 レイジング・スピリッツを楽しんだ後に歩いて行くと、右側に無料コインロッカーがありますが、そこを通り過ぎると右側に従業員用入口があります。
 その曲がり角の、下にある石(道路の縁)の角のところに「隠れミッキー」がありますね!

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↑隠れミッキー

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↑レイジング・スピリッツの出口近く

 ここは、従業員用入口に少し入らないといけないので、かなりレアかもしれませんね。
 ぜひ、レイジング・スピリッツを楽しんだ後に、隠れミッキーを楽しんで頂ければと思います。

 最後の1つは写真には撮っていませんが、タートル・トークというアトラクションに入る前の部屋の大きな絵の中の、上の方にある白い小さな雲が「隠れミッキー」になっていましたね。
 タートル・トークを待つ時間に、ぜひ探して楽しんで頂ければと思います。

 なお、私はタートル・トークは2回行ったことがあるのですが、2回とも指名されて亀としゃべりました^_^;)
 ビキニの水着を指さされ、これは何だ?と質問されて、答えるのにまごついてしまいましたね^_^;)

 ぜひ、東京ディズニーシーで楽しんでください!


東京ディズニーランド&ディズニーシーのレストランやサービスなどオススメまとめ

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「WORK SHIFT(リンダ・グラットン)」という本はとてもオススメ!

2014年03月21日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

「WORK SHIFT(リンダ・グラットン)」の購入はコチラ

 「WORK SHIFT」という本は、経営組織論の世界的権威でロンドン・ビジネススクール教授が著者で、2025年の働き方はどのようになっているか、その世界に向けて良い人生を迎えるにはどのようなキャリアを築くべきか、どのような仕事の仕方になるのか、どのような価値を持つべきか等についてかなり詳しく書かれたものです。
 そしてその2025年をよりよく生きるためには、これまでの固定観念をシフトさせ、身につける能力もシフトさせ、行動パターンもシフトさせる必要があるとのことです。

 具体的には以下の5つの要因と、その要因に基づく32の現象について説明があり、そしてそれを踏まえて、どういう世界になるのかについて描かれています。

<5つの要因>
(1)テクノロジーの進化
(2)グローバル化の進展
(3)人口構成の変化と長寿化
(4)社会の変化
(5)エネルギー・環境の深刻化

<32の現象>
(1)テクノロジーの進化
・テクノロジーが飛躍的に発展する
・世界の50億人がインターネットで結ばれる
・地球上のいたるところで「クラウド」を利用できるようになる
・生産性が向上し続ける
・「ソーシャルな」参加が活発になる
・知識のデジタル化が進む
・メガ企業とミニ起業家が台頭する
・バーチャル空間で働き、「アバター」を利用することが当たり前になる
・「人工知能アシスタント」が普及する
・テクノロジーが人間の労働者に取って代わる

(2)グローバル化の進展
・24時間・週7日休まないグローバルな世界が出現した
・新興国が台頭した
・中国とインドの経済が目覚ましく成長した
・倹約型イノベーションの道が開けた
・新たな人材輩出大国が登場しつつある
・世界中で都市化が進行する
・バブルの形成と崩壊が繰り返される
・世界のさまざまな地域に貧困層が出現する

(3)人口構成の変化と長寿化
・Y世代の影響力が拡大する
・寿命が長くなる
・ベビーブーム世代の一部が貧しい老後を迎える
・国境を越えた移住が活発になる

(4)社会の変化
・家族のあり方が変わる
・自分を見つめ直す人が増える
・女性の力が強くなる
・バランス重視の生き方を選ぶ男性が増える
・大企業や政府に対する不信感が強まる
・幸福感が弱まる
・余暇時間が増える

(5)エネルギー・環境の深刻化
・エネルギー価格が上昇する
・環境上の惨事が原因で住居を追われる人が現れる
・持続可能性を重んじる文化が形成されはじめる

 特に驚いたのは、テクノロジーとグローバル化が進展すると、時間を細切れにしてスピーディかつ24時間フル稼働でグローバルな仕事が展開されるということですね。

インターネットにつながったパソコン等を用いて、分刻みで全世界とつながって対応するスピード感がないと競争に勝てない世界になっているのだと思います。

 また、その世界で活躍するには幅広い知識を持つゼネラリストではなく、他の人がまねをできない高度な専門知識や技能を持つことが重要なようです。

 グローバルで競争が激化するので、より高度なサービスが必要になるためです。

 具体的には、その5つの要因の影響で、生命科学・健康関連、再生可能エネルギー関連、創造性・イノベーション関連、コーチング・ケア関連が有望なようです。

 それから、高度な知識や技能を持つたけでなく、その能力をアピールする力も大切なようです。

 そしてその高度な専門家(起業家)が少人数で集まり、短期間でサービス等を作り上げ、そのサービスを展開する世界になるようです。

 本当に好きなことを仕事にしないといけませんね。

 それから、ある分野に習熟した後も、、移行と脱皮を繰り返して他の分野に転進する変化への対応力も必要なようです。

 本の題名の通り、常にシフトすることを考えた方が良さそうです。

「WORK SHIFT」という本は、これからより良い人生を送るために参考になり、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・2010年の段階で、欧米の社会では4つの世代が仕事の世界にいる。トランディショナリスト(伝統主義者)世代(=1928~45年頃の生まれ)、ベビーブーム時代(=1945~64年頃の生まれ)、X世代(=1965~79年頃の生まれ)、Y世代(=1980~95年頃の生まれ)である。この後には、1995年移行に生まれた「Z世代」が控えている。トラディショナリスト世代が企業などの組織に最も強い影響を及ぼしたのは、1960~70年代。2010年の時点ですでに65歳を超えていて、労働人口に占める割合は5~10%に縮小している。2025年までに、ほとんどの人が仕事を離れるだろう。しかし、今日実践されている組織の慣習や流儀の多くは、この世代が骨組みをつくったものだ。その点を考えると、トラディショナリスト世代の遺産の一部は、今後も仕事の世界に残る可能性が高い。さまざまな面で、向こう数十年の世界を大きく形づくるのは、世界の歴史上最も人口の多い世代であるベビーブーム世代の行動だ。アメリカで約7700万人の赤ん坊が生まれ、多くのヨーロッパ諸国で出生率が女性1000人につき20人(2010年の5倍近い数字)に達していた時期に生まれた人々である。2010年の時点で、この世代は50~60歳代。2025年までには、大半が仕事を退いているだろう。1960年代以降、先進国と多くの途上国で出生率が大幅に下落していることを考えると、ベビーブーム世代が引退すれば労働力人口が減少し、企業で知識の継承に支障が出たり、専門技能をもった人材の不足が深刻化したりするおそれがある。膨大な量の暗黙知やノウハウが失われて、次世代の繁栄の足が引っ張られると指摘する論者もいる。ベビーブーム世代に続くX世代は、2010年の時点で主に40歳代半ば、2025年には60歳代半ばになっている。いま働き盛りの子育て世代だ。1970年代の石油危機や2000年代初頭のドットコム・バブルの崩壊を経験するなど、経済が不確実で不透明な時代を生きてきた影響で、終身雇用への期待が小さい。両親の離婚を経験した人の割合も、それ以前の世代より高い。またコンピュータがはじめて家庭にやって来た世代であり、コンピュータゲームやインターネットの誕生を経験した世代でもある。ベビーブーム世代は経済成長を当然のことと考えていたが、X世代は違う。2004年、アメリカのX世代男性の平均所得は、1974年に自分たちの父親世代が同じ年齢だったときを12%下回っていた。Y世代は、2025年に30~45歳くらいになっていて、キャリアの重要な段階に差し掛かっている。この世代は、パソコン、インターネット、ソーシャルメディア、さまざまなデジタル技術とともに子ども時代を送った最初の世代だ。多くの人は、テクノロジーの急速な進歩の成果を生活にこまめに取り入れ、自分の使っている機器やテクノロジーに精通している。コミュニケーションの手段として、電子メールや携帯メール、フェイスブックやツイッターなどのSNSが活発に利用されるようになり、人付き合いの仕方も変わった。この世代にとっては、オンライン上で友達と会話したり、多人数参加型のオンラインゲームを見知らぬ人とプレーしたりすることが当たり前だ。Z世代は、2005年前後にようやく10歳になった世代。2025年には、35歳くらいになっている。2020年以降は、世界中の企業の現場で主要な役割を担いはじめるはずだ。

・2025年には、世界中で何十億人もの人たちがミニ起業家として働き、ほかのミニ起業家とパートナー関係を結んで、相互依存しつつ共存共栄していく仕組み-「エコシステム(生態系)」と呼ばれる-を築くようになる。特定の大起業ではなく、こうしたミニ起業家たちのエコシステムが市場の方向性を大きく左右するようになる。ミニ起業家たちはたいてい、自分が夢中になれる対象を仕事にしている。仕事に情熱をいだく人の割合は、企業などに雇われて働く人に比べて、自営業やフリーランスなどのミニ企業家のほうが約2倍も高い。リー&フンやアリババなどの企業は、ミニ起業家たちがほかのミニ起業家と結びつき、原材料の納入業者や製品の買い手を見つける場をつくることを通じて、ミニ起業家たちの相互協力とイノベーションを後押ししている。アリババは大規模なオンラインマーケットをつくり、いくつかの簡単なルールを定め、ミニ起業家たちがビジネスに参加しやすい環境をつくった。こうしオンラインサービス企業は、商品の買い手を探すための簡便な出品申請システムを採用したり、買い手が売り手を採点する格付け制度を導入したりして、ミニ起業家同士が一緒にビジネスを行う手だてを充実させていくだろう。

・大勢のミニ起業家たちが活躍するエコシステムがすでに充実している土地の例としては、イタリアのトスカーナ州の都市プラートが挙げられる。プラートは織物産業の盛んな土地で、1万5000を超す小規模企業が協力し合ってビジネスをおこなっている。従業員の数が5人に満たない企業がほとんどだ。といっても、原始的な家内工業が寄り集まっているわけではない。最先端の設備を擁する業者が原材料の購入や研究開発を共同で進めているのである。こうしたビジネスのエコシステムの内部には、パートナー関係を結んで協力し合うミニ起業家たちのほかに、そうしたミニ起業家を結びつける仲介者が存在する。プラートの織物産業では、多数の小規模企業が一緒に仕事をするのを助ける「インパナトーレ」と呼ばれるコーディネーターが活躍している。ミニ起業家たちは、エコシステムから支援と後押しを得るが、誰かから管理や支配を受けるわけではない。誰とどういう条件でビジネスをおこなうかはすべて自分で決める。このような自律性は、ビジネスの業績にも好結果をもたらし、プラートの織物は世界で有数の高い評価を得ている。

・2025年のエコシステムは、働き方の未来を形づくるさまざまな要因が生み出す必然の産物だ。ごくわずかなコストで何千人もの人たちが結びつけるようになったのは、インターネット関連のテクノロジーが進化した結果にほかならない。1990年には、そんなことはとうてい不可能だった。当時の仕事の世界では、手紙でやり取りをするのが普通だった。2000年には、電子メールで個人が結びつくようになっていたが、オンライン上に大勢の人間がつながり合う場は生まれていなかった。しかし2000年以降、オークションサイトのイーベイやアリババなどのサービスを通じて互いに結びつき合う人たちが驚異的なペースで増えていった。こうした環境に後押しされて、多くの人たちがミニ起業家となり、会社に雇われずにビジネスをおこない、モノやサービスをつくり出し、互いに商取引をおこなうことが可能になりはじめた。

・2025年の職業生活に影響を及ぼすもう一つ大きな要因は、企業の組織構造の変化だ。とくに、企業の「社内」と「社外」を隔てる境目に劇的な変化が起きる。一方では、テクノロジーが進歩する結果、企業の規模が拡大する。強力なテクノロジーを利用すれば、大人数の活動を調整しやすくなるからだ。しかし、他方では零細事業者が新しいテクノロジーを武器に活躍するようになり、企業のフルタイムの社員と、プロジェクト単位で参加する個人やパートナー企業の社員が入り混じって働くようになる。莫大な数の顧客に製品やサービスを提供するために、リー&フンやアリババのようなグローバルなメガ企業(巨大企業)が何十万もの働き手の活動を迅速に調整する一方、そうしたメガ企業を核にして、何千人ものミニ起業家で構成されるエコシステムが形づくられ、大勢のミニ起業家がコラボレーションを通じて活動を調整し合うようになる。アップルのスマートフォン、iPhoneのアプリ開発のプロセスを思い浮かべればわかりやすい。アプリの多くは、小規模な企業やミニ起業家がアップルを核とするエコシステムの中で開発している。要するに、垂直の関係を築かなくても、水平の関係を築くことを通じて大勢の人っちの行動を調整することが可能になりつつあるのだ。オープンソースのOSである「GNU/リナックス」の開発・改良のプロセスや、オンライン百科事典ウィキペディアの執筆・編集のプロセスはその先駆けと言える。

・これまで、ゼネラリストであることの利点はリスクを抑えることにあった。少しずつではあっても多くの分野の知識や技能をもっているので、自分が身につけた知識や技能のうちのいくつかが価値を失ってもダメージは限られていた。しかし未来の世界では、浅い知識や技能では用をなさなくなるので、その戦略は通用しない。未来を形づくる5つの要因に関する理解を土台に、どの分野で高度な専門知識や技能を磨くかを選ばなくてはならない。どういう技能が高い価値をもつかを予測し、どうすればそれを習得できるかを理解することが求められる。まず、自分が選んだ専門分野の技能と知識を深める必要がある。そしてその後も、自分の能力を高めたり、新しい人的ネットワークを築いたりすることを通じて、ほかの専門分野に移動したり、脱皮したりすることを繰り返さなくてはならない。<第一のシフト>に関して、私は次の2つの資質が重要だと考えている。
※専門技能の連続的習得-未来の世界でニーズが高まりそうなジャンルと職種を選び、浅い知識や技能ではなく、高度な専門知識と技能を身につける。その後も必要に応じて、ほかの分野の専門知識と技能の習得を続ける。
※セルフマーケティング-自分の能力を取引相手に納得させる材料を確立する。グローバルな人材市場の一員となり、そこから脱落しないために、そういう努力が欠かせない

・ではどうすれば、ゼネラリストを脱却して、専門技能の連続的習得者になれるのか。以下の手順で検討すると、自分にとって最善の道を見いだしやすいだろう。
1 まず、ある技能がほかの技能より高い価値をもつのはどういう場合なのかをよく考える。未来を予測するうえで、この点は極めて重要なカギを握る。
2 次に、未来の世界で具体的にどういう技能が価値をもつかという予測を立てる。未来を正確に言い当てることは不可能だが、働き方の未来を形づくる5つの要因に関する知識をもとに、根拠のある推測はできるはずだ。
3 未来に価値をもちそうな技能を念頭に置きつつ、自分の好きなことを職業に選ぶ。
4 その分野で専門技能に徹底的に磨きをかける。
5 ある分野に習熟した後も、移行と脱皮を繰り返してほかの分野に転身する覚悟をもち続ける

・先進国では、人類史上最も人口の多い年齢層であるベビーブーム世代が一線を退くのにともない、人材不足が深刻化するだろう。たとえばイギリスの産業界は、2007~17年に1150万人の人手不足に陥る。すでにイギリス企業では、サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、数学、プロジェクトマネジメントなどの専門職の人材が足りなくなりはじめている。しかもイギリス政府の予測によれば、向こう10年間、これらの分野の専門職に対する需要は拡大し続ける。イギリスだけで、2017年までに、高度な技能をもつ専門職を130万人、管理職と上級専門職の人材を90万人増やさなければ、需要に追いつかない。高齢化などの要因により人材の供給が減る場合だけでなく、人材に対する需要が急激に高ある場合にも、専門技能をもった人材の希少性が高まる。典型的なのは、新しいテクノロジーが出現して新しい技能や能力が必要になるケースだ。プログラミング言語のFORTRANやJavaが登場したときh、これらの言語でプログラミングをおこなう技能の持ち主が引く手あまたになった。

・技能や能力が高い価値をもつためには、ほかの人にまねされにくいものである必要がある。簡単にまねできる技能しか求められない職は、最も安い賃金で働く模倣者にやすやすと奪われてしまう。事実、1985~2010年に、企業の事務処理部門の76万8000人以上の雇用が賃金水準の低いインドに移転した。中国では、2009年の1年間に、先進国企業から業務を受注する企業が70万人近くを新規に雇用している。機械に技能をまねされるケースもある。19世紀半ば、イングランドのランカシャー地方で織り機が導入されたときに何千人もの織工が職を失ったのは、その最初の実例だ。同じ現象は、デトロイトの自動車工場の組み立てラインにロボットが導入されたときも起きている。近年は、工場の大きな機械ではなく、コンピュータのソフトウェアに人間が取って代わられるケースもある。たとえば、DTPソフトが登場して、それまで大勢のデザイナーを動員する必要があった仕事を一人のデザイナーで処理できるようになった。高度な表計算ソフトを導入すれば、会社の総務・経理部門を大幅に縮小することも可能になった。ロボットの普及が進めば、サービス産業やケア産業の雇用がさらに奪われるかもしれない。

・アジアで最大規模の生命科学産業の集積地は、関連産業で1万3000人が雇用されているシンガポールだ。日本では、神戸と大阪に集積地が形成されるだろう。中国の場合、いくつかの一流大学が研究に着手しているが、この種の集積地がまだ十分に確立されておらず、基礎研究と商業化の隙間を埋められていない。しかし中国政府は今後、この産業を育成するためにもっと予算をつぎ込みはじめるだろう。この分野の専門家の需要が高まっていることは間違いない。アメリカでは2010年、景気後退を尻目に生物医学工学分野の職に就く人の数が72%も増えた。これは、アメリカのすべての専門技能職のなかで最も大きい数字だ。こうした専門家たちがMRI検査装置や喘息患者用の吸入器、人工心臓などを開発していくことになる。2025年には、もっと目を見張る進歩も実現しているに違いない。たとえば、ナノ医療により、分子レベルの治療・診断技術や医療装置の開発が進む。一例を挙げれば、ナノサイズの微少な粒子に抗ガン剤を包んで血液中に送り込み、薬剤をガン細胞にだけ直接届けることが可能になるとみられている。記憶力を強化したり、知覚処理障害を改善したりする外科手術も実現するかもしれない。

・新しいエネルギー産業が続々と登場し、再生可能エネルギー関連の雇用も飛躍的に拡大すると予想される。風力発電、太陽光発電、波力発電は、すでに実用化されはじめている。インドでは、風力発電にかなりの金額が投資されているし、中国では、専門の科学者が太陽光発電の改良に取り組んでいる。温室効果ガス排出削減の義務を果たすために、各国政府が化石燃料以外のエネルギーを財政面で支援することにも背中を押されて、再生可能エネルギー関連の専門技能は目覚ましく進化するだろう。風力発電と太陽光発電の普及が進めば、バッテリー車や燃料電池車、ハイブリッド車など、電気自動車・車両の利用も増える。

・世界のさまざまな場所に創造的な人材の集積地が出現し、そこに集まった人たちが学び合い、一緒にビジネスをおこなうようになる。互いに関連のある多様な専門技能や能力の持ち主が交流することにより、創造性が刺激されて、その土地に活気とエネルギーが生み出される。こうして、いわばイノベーションと創造性の「ホットスポット」が形成されるのだ。

・クリエイティブ・クラスの人たちは、どの程度の収入を得られるのか。未来学者のホルクスは、十分な裏づけのある議論とは言えないが、興味深い指摘をしている。クイエイティブ・クラス内の所得格差は、現在のプロテニスプレーヤーやファッションモデル、デザイナー、劇場監督、広告クリエイター、オペラ歌手と同じくらい大きくなるというのだ。具体的には、80%は比較的少ない収入しか得られず、18%はいい暮らしができる収入を得られ、残り2%が大金持ちになると、ホルクスは予測している。この2%の傑出した才能の持ち主は、自分の個人ブランドを上手に築き上げて莫大な富を築くのだ。

・バーチャル化が進む世界では、日々の生活の道案内を得て、自信をもって働き、多忙を極めるスケジュールを乗り切るための支援が重要になる。コーチングやケアなどの分野の専門技能の価値がますます高まるだろう。経済学者のロバート・ライシュは、このタイプの仕事を「有償のケア」と呼び、英語の頭文字は「C」で始まる5つの職種に分類した。コンピューティング、ケアリング、ケータリング、コンサルティング、コーチングである。このようなサービス関連の新しい職種が登場するのは、新しい創造性・イノベーション関連の職種の場合と同様、私たちの働き方と生活の変化が生む必然の結果だ。2025年の世界では、人々はモノを大量に消費することより、充実した経験を味わうことを重んじるおうになる。その究極の形態として、一人ひとりのためにオーダーメイドで準備された経験を欲する人が増えるのだ。

・人々が時間の細切れ化に対応する支援をする職種も、リアルとバーチャルの両方で台頭しそうだ。たとえば、電子メールの処理、データの整理、オンラインサービスのID情報の管理などを請け負う業者や、一人ひとりに合わせて受信コンテンツや広告の選別をおこなう業者が現れるだろう。ほかには、どこの劇場に舞台を見に行くといいかを推薦したり、充実したギャップイヤーやサバティカルを過ごせるようアドバイスしたり、ヘアスタイルを整えたり、マッサージをしたり、エクササイズの指導をしたりする専門家の需要も高まる。家族の幸せを高めるためのサービスも脚光を浴びるだろう。家族の構成が昔と変わっても、Y世代とZ世代が親になれば、子供のために最善を尽くし、家族を大切にしたいと強く願うはずだ。そこで、子どもの世話をし、教育し、やる気をもたせるなど、子どもや家族の幸せを高めるサービスがいっそう求められるようになる。こうしたケア・コーチング関連の職は、どういう場所に生まれるのか。ひとことで言えば、顧客がいれば、どこにでも仕事が発生する。たとえば、クリエイティブ・クラスが大勢集まる土地が形成されれば、その人たちの仕事をサポートしたり、私生活上のニーズにこたえたりする専門家に対する需要がその土地に生まれる。健康志向の強い人が集まる地区が増えれば、そういう土地でもケア・コーチング関連の専門家が活躍するだろう。

・先進国ではすでに、ケア関連の職の多くを移民労働者が担っている。2009年、フィリピンは9万5000人の家事労働者とナニー(住み込みのベビーシッター)を先進国に送り出した。イギリスの病院では、アフリカ諸国出身の看護スタッフが大勢働いている。労働市場の開放が進めば、この種の職に就く人の国際移住がますます活発になるだろう。実際、2006年にポーランドがEUに加入すると、わずか2年の間に26万5000人のポーランド人がロンドンに移住した。ポーランド人労働者の多くは、住宅の清掃、塗装、配管作業に携わっていたり、忙しいロンドン市民に代わって子どもの世話をしたりしている。

・専門技能を磨き上げることを目的にした中世の職人のシステムは、私たちが働き方の未来を考えるうえで参考になる。学ぶべき点は3つある。第一は、高度な専門知識と技能を身につけるうえで「場所」がいっそう重要になる可能性が高いという点だ。中世の職人と同じように、私たちも学ぶべき点のある人たちのそばに身を置く必要性が高まるだろう。どこで生活し、どういうコミュニティの一員になるかが、これまで以上に大きな意味をもつようになるのである。第二は、テクノロジーが進化して、学習に要する時間が短くなったとはいえ、高度な専門技能を身につけるためには、やはりかなりの時間をつぎ込む必要があるという点だ。もしかすると、仕事に費やす時間の半分を技能習得に充てないと十分でないかもしれない。きわめて高度な専門技能を習得するためには1万時間以上の訓練が必要だという説もある。第三は、同様の技能をもつほかの人たちから自分を差別化する必要があるという点だ。単なるナルシズムに陥ることを避けつつ、自分をうまく宣伝することの重要性が高まる。

・未来の世界では、専門分野の脱皮を遂げる重要性が高まっていくだろう。既存の専門分野の技能と知識を深める必要性と、環境の変化に応じて別の専門分野に脱皮する必要性の間で適度なバランスを取るために、有効な方法がいくつかある。第一は、新しいチャンスが目の前に現れたとき、未知の世界にいきなり飛び込むのではなく、新しい世界を理解するために実験をすること。たとえば会社を辞めて執筆に専念する前に、地元の新聞に数回寄稿して反応を見た。意図せずして実験する場合もあるし、意識的に計画して実験をおこなう場合もある。新しい可能性を見いだすために実験する場合もあれば、自分の直感の正しさを確認するために実験する場合もある。実験することは、たいていそれ自体が楽しい。第二は、自分と違うタイプの大勢の人たちと接点をもち、多様性のある人的ネットワークを築くこと。潤沢な情報や視点が手に入るだけでなく、ほかの専門分野で活動している人の生き方を見ることにより、自分がその分野に脱皮できるかどうかを判断すヒントを得られる。新しい専門分野に脱皮するときは、それまでと異なる人的ネットワークが必要となる。尊敬できる先輩がいれば、その人を観察し、模倣することにより、新しい専門技能を磨ける。新しい仲間は、新しい世界で身につけるべき価値観や規範、態度、期待のお手本になる。やがて、この人的ネットワークのメンバーが感心を共有しながら専門知識や技能を学び合うようになる。そのようなグループは、専門的には「コミュニティ・オブ・プラクティス(学び合いの共同体)」と呼ばれる。第三は、はじめのうちは本業をやめず、副業という形で新しい分野に乗り出すこと。既存の仕事をフルタイムで続けて収入を確保しつつ、新しい分野の経験を積み、専門技能や知識を磨き、信用を築き、同時に新分野での自分の適性を試すのだ。キャリアの脱皮を遂げようと思えば、ある程度の時間が必要だ。「前に大きく跳躍するためには、跳ぶ前に一歩下がらなくてはならない」。脱皮を成功させるためには、現在のキャリアの選択についてじっくり考えることが重要なのだろう。せめて短い時間でも頭を冷やして考えれば、固定観念から解き放たれて、未来の可能性を新鮮な目で検討できる。

・これまでより柔軟な形態で、人との緩やかな結びつきのなかで、複数の会社を相手に働くケースが増えるのにともない、他人に自分を印象づける必要性が高まる。大勢の中で自分の存在を際だたせることが重要になるのだ。そのために、とりわけ有効な方法が3つある。一つ目は、たとえて言えば自分の仕事に自分の刻印を押すなり、署名を書き込むなりすること。つまり、あなたの手がけた仕事が誰の目にもあなたの仕事だとわかるように、明確な特徴をもたせるのである。自分の評判を保つために、積極的に評判をマネジメントすることも不可欠だ。二つ目は、弁護士や医師のような専門職にならって、ギルド(同業者組合)やそれに類する組織をつくること。オンライン上にそうした仕組みをつくる場合は、「バーチャル・ギルド」と呼んでもいいだろう。三つ目は、活力を失わず、精力的に仕事に打ち込み続けるために、さまざまな要素を取り込んでキャリアのモザイクを描き、いわば教会のカリヨン・ツリー(組み鐘のタワー)型のキャリアを実践すること。

・新しい分野に精力的に取り組んで技能を高める時期、仕事のペースを緩めて自分の人生についてじっくり考える時期、仕事を中断して勉強に専念する時期、ボランティア活動に集中的に携わる時期-こうしたさまざまな時期がモザイク状に入り組むのがカリヨン・ツリー型のキャリアだ。このキャリアのあり方は、伝統的なキャリアに比べて柔軟性が高く、ダウンシフティングのキャリアに比べて生産的な活動を続ける期間が長い。カリヨン・ツリー型のキャリアを実践すれば、自分のエネルギーや関心の変化に合わせて、さまざまな働き方や職種の選択肢を柔軟に選びやすい。次のような問いを考えることが可能になる。自分はどのように時間を使いたいのか?自分のそれぞれの段階で、どういう生活のリズムが自分に最も適しているのか?その時期の経済情勢の影響をどのように受けるのか?人生のそれぞれの段階で、どのように自分の課題を設定し、どのくらい責任のある仕事を担うのか?職業生活で大きな価値を生み出し、仕事に楽しさを見いだすことを望むのであれば、学校を卒業しても学習は終わらない。生涯にわたり学習と自己研鑽を重ね、たえず成長を続け、エネルギーを自分に注入し続けなくてはならない。そのために、長期間仕事を休んで専門技能に磨きをかけたり、学校に通って新しい専門技能を学んだり、師匠について見習いをしたりする必要もあるだろう。

・働き方の未来を考えるとき、はっきり認識すべきなのは、これまでのキャリアの常識が通用しなくなるということだ。5つの要因におり、仕事の世界が大きく様変わりすることを考えると、私たちは働き方を「シフト」させなくてはならない。これまでの固定観念を「シフト」させ、身につける能力を「シフト」させ、行動のパターンを「シフト」させる必要があるのだ。この章で取り上げた「第一のシフト」では、テクノロジーの進化とグローバル化の進展により、世界中の何十億人もの人々がグローバルな人材市場に加わり、コンピュータがますます雇用を奪い始める結果、競争が激化するという未来の側面に光を当てた。競争が激しくなれば、私たちは大勢のライバルから自分を差別化しなくてはならない。専門技能の習得に時間と労力を割き、自分の手がけた仕事を際だたせるために自分の「シグネチャー(署名)」を確立する必要がある。もっとも、生涯を通じて常に同じ姿勢で臨む必要はない。なにしろ多くの人が90歳代や100歳代まで生きるようになれば、よほど蓄えがある人はともかく、たいていの人は少なくとも50年以上働き続けることになるのだから。これまで私たちの職業生活は、基本的に右肩上がりで専門技能と地位と収入が高まり、60歳代で退職した瞬間にすべてが終わるというキャリアのカーブをたどっていた。今後は、技能の習得・向上やリフレッシュを重んじる期間を差し挟むカリヨン・ツリー型のキャリアを送る人が増えるだろう。

・未来の世界で私たちが直面する大きな矛盾は、その他大勢のなかに埋没しないように独自性のある専門技能を磨く一方で、大勢の人と緊密に結びつく必要があるという点だ。古い仕事観のもとでは、やる気と野心と強い競争心があれば成功できると考えられてきた。しかしこれからは、高度な専門技能を習得し、そのうえで多くの人と結びつかなければ成功できない。知的資本と人間関係資本を組み合わせる必要があるのだ。なぜ、そういう必要があるのか。理由は明快だ。あなたが築いた専門的な能力やノウハウ、人脈は価値あるものだが、それだけでは十分でない。グローバル化が進展し、世界中の人々が結びつく時代には、イノベーションと創造性がきわめて重要になるが、真のイノベーションと創造を成し遂げようと思えば、大勢の人たちの能力とノウハウ、人脈を統合することが不可欠なのだ。

・ポッセに関して重要な点は次の3つだ。
*ポッセは比較的少人数のグループで、声をかければすぐ力になってくれる面々の集まりでなくてはならない。また、メンバーの専門技能や知識がある程度重なり合っている必要がある。専門分野が近ければ、お互いの能力を十分に評価できるし、仲間の能力を生かしやすい。
*ポッセのメンバーは以前一緒に活動したことがあり、あなたのことを信頼している人たちでなくてはならない。知り合ったばかりの人ではなく、あなたのことが好きで、あなたの力になりたいと思ってくれる人であることが重要だ。
*充実したポッセを築きたければ、ほかの人と協力する技能に磨きをかけなくてはならない。他人に上手にものを教え、多様性の強みを最大限生かし、たとえバーチャルな付き合いでもうまくコミュニケーションを取る技能が不可欠だ。

・ビッグアイデア・クラウドは、どうすれば築けるのか。ビッグアイデア・クラウドはあくまでも自然発生的に生まれるもので、誰かが指揮命令して結成させられるものではないが、人的ネットワークの形成を加速させたり、人的ネットワークの形態や方向性にある程度影響を及ぼしたりすることは可能である。意識すべき点は3つある。第一は、普段あまり行かない道を歩くこと。いつもと違う世界に足を踏み出し、知人の範囲を広げ、自分と違うタイプの人っちを人的ネットワークに取り込むのである。第二は、人との付き合いの面でカメレオン人間になること。自分ときわめて異なるタイプの人たちのグループに加わるときは、そのグループの流儀に合わせて自分のスタイルをある程度変更するつもりでいるべきだ。第三は、「プッシュ(=押す)」ばかりでなく、「プル(=引き寄せる)」を心がけること。多くの人の名前を覚え、多くの人と接するだけでなく、多様な人たちに自分に興味をもってもらい、向こうからアプローチしてもらう必要があるのだ。

・イギリスの雑誌「モノクル」が毎年発表している「住みやすい都市ランキング」には、コペンハーゲン、ミュンヘン、チューリヒ、ヘルシンキ、ウィーン、ストックホルムなど、ヨーロッパの主要都市が多く含まれている。カナダではモントリオールとバンクーバー、オーストラリアではメルボルンとシドニーの評価が高い。アジアでは、日本の福岡と京都がランクインしている。

・私たちはこの先、働き方に関してどういう選択をすればどういう結果がもたらされるかを明確に意識したうえで、自分の選択をじっくり考えるようになる。古い約束事に基づく働き方を望む人が完全にいなくなるとは言わないが、そういう人は減るだろう。Y世代を中心に、お金と消費以外の要素を働き方の中核に据えることを望む人が増えていく。選択肢が広がり、個々の選択の割きに待つ結果がいっそう明らかになるにつれ、充実感を味わえて、バランスの取れた働き方を望む人が多くなるに違いない。この「シフト」を成し遂げるのは簡単ではない。多くの企業が古い約束事を望ましいものと考え続ければ、会社を動かす企業文化との間に摩擦が生まれることも予想できる。企業や社会には、人々が迷路の外の世界をのぞき見ることを妨げる側面もあるだろう。それでも、壁の外の世界をのぞき見て、古い約束事以外の選択肢を知りたいと思う人は増えるはずだ。働き方を選択する際は、なにを優先させ、なにを諦めるかを決めなくてはならない。その判断をくだすに当たり、マイカーやマイホームなど、古い約束事のもとで重んじられていた高額商品の購入を諦めるという決断をする人も増えるだろう。長い間、マイカーとマイホームは私たちの自我を構成する重要な要素だった。それが一種の社会的標識にもなっていた。プラダのバッグやBMWの車、アップルのiPod・・・古い約束事のもとでは、こうした所有物によって、その人が社会でどういう地位にあるかが判断される。しかし、仕事に関する新しい約束事が広がれば、なにを消費するかより、どういう経験を生み出すかによって、職業生活の価値が評価されるようになるかもしれない。そういう変化が起きたとき、私たちの消費のあり方はどう変わるのだろうか。モノを消費する量が減るかもしれない。そういう変化を遂げることが不可欠だと考える論者もいる。たとえば、可動性と柔軟性がますます重要になっているのに、マイホームを所有しているせいで、経済的にも地理的にも身動きが取れなくなっている人が多いという指摘がある。それに、とくにアメリカでは、自動車移動のせいで人と人のふれあいが失われ、都心が殺伐とし、郊外が活気をなくしている面もある。モノの消費を減らすとすれば、どうやって生活の質を維持すればいいのか。一つの方法は、さまざまな資源をシェアすることかもしれない。クラウド上ではすでに、複雑なITプログラムやシステムがシェアされていて、いつでも必要なときにダウンロードして利用できる。ヨーロッパの多くの都市では、カーシェアリングも実現している。私が住むロンドン郊外のプリムローズヒル地区には、必要なときだけ共用の自動車とオートバイを利用できるサービスがある。一部の人が提唱しているように、家をシェアすることにより自己再生のコミュニティを築く人も増えるかもしれない。


<目次>
プロローグ 働き方の未来は今日始まる
序章 働き方の未来を予測す
第1部 なにが働き方の未来を変えるのか?
 第1章 未来を形づくる5つの要因
  要因1 テクノロジーの進化
  要因2 グローバル化の進展
  要因3 人口構成の変化と長寿化
  要因4 社会の変化
  要因5 エネルギー・環境問題の深刻化
  自分自身の未来予想図を描く
第2部 「漫然と迎える未来」の暗い現実
 第2章 いつも時間に追われ続ける未来-3分刻みの世界がやって来る
  <ジルのストーリー>2025年、ロンドン
  <まだ時間が細切れでなかった時代>1990年の1日
  時間に追われることの弊害
  時間に追われる未来を生む要因
  時間に追われない未来をつくる
 第3章 孤独にさいなまれる未来-人とのつながりが断ち切られる
  <ローハンのストーリー>2025年、ムンバイ
  <アモンのストーリー>2025年、カイロ
  <人とのつながりがあった時代>1990年の1日
  同僚との気軽な関係の消滅
  家族との関わりの希薄化
  家族と家庭はどう変わってきたか?
  孤独にさいなまれる未来を生む要因
 第4章 繁栄から締め出される未来-新しい貧困層が生まれる
  <ブリアナのストーリー>2025年、オハイオ州
  <アンドレのストーリー>2025年、リエージュ
  豊かさの新しい決定要因
  「勝者総取り」社会で広がる格差
  劣等感と恥の意識が強まる
  ナルシシズムと自己アピールの時代
  繁栄から締め出される未来を生む要因
  暗い過去を抜け出す道はあるのか?
第3部 「主体的に築く未来」の明るい日々
 第5章 コ・クリエーションの未来-みんなの力で大きな仕事をやり遂げる
  <ミゲルのストーリー>2025年、リオデジャネイロ
  <コ・クリエーションが活発化する前の時代>1990年の1日
  多様性はイノベーションの触媒
  コ・クリエーションの未来を生み出す要因
 第6章 積極的に社会と関わる未来-共感とバランスのある人生を送る
  <ジョンとスーザンのストーリー>2025年、チッタゴン
  <共感の世界が訪れる前の時代>1990年の世界
  バランスの取れた生活を実践する
  積極的に社会と関わる未来を生み出す要因
 第7章 ミニ起業家が活躍する未来-創造的な人生を切り開く
  <シュイ・リーのストーリー>2025年、河南省
  ミニ起業家たちの「生態系」
  ミニ起業家と創造性の未来を生み出す要因
第4部 働き方を<シフト>する
 第8章 第一のシフト-ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
  なぜ、「広く浅く」ではだめなのか?
  連続スペシャリストへの道
  高い価値をもつ専門技能の三条件
  未来に押しつぶされないキャリアと専門技能
  あくまでも「好きな仕事」を選ぶ
  高度な専門技能を身につける方法
  移動と脱皮で専門分野を広げる
  セルフマーケティングの時代
  自分の刻印と署名を確立する
  カリヨン・ツリー型のキャリアを築く
 第9章 第二のシフト-孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ
  未来に必要となる三種類の人的ネットワーク
  ポッセを築く
  ビッグアイデア・クラウドを築く
  自己再生のコミュニティを築く
 第10章 第三のシフト-大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ
  バランスのとれた働き方を選ぶ勇気
  仕事の世界の「古い約束事」とは?
  「古い約束事」が崩れはじめた
  お金と消費に最大の価値を置く発想
  なぜ、私たちはお金と消費が好きになったのか?
  消費より経験に価値を置く生き方へ
  重要なのは選択肢を理解すること
  自分で自分の未来を築く
  <シフト>を実践する
エピローグ 未来のために知っておくべきこと
  子どもたちへの手紙
  企業経営者への手紙
  政治家への手紙
 訳者あとがき


面白かった本まとめ(2013年下半期)

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「信濃神麺 烈士洵名」(東京 春日)のラーメンはとてもオススメ!

2014年03月19日 01時00分00秒 | 外食
<水曜は食べ物のおはなし>

 都営三田線春日駅近くで、食べログの評価の高い「信濃神麺 烈士洵名」(しなのしんめんれっしじゅんめい)へ行ってみました!

 場所は、春日駅A6出口を出て道の向かい側で、少し右方向に歩いたところにあります。
すぐ近くですね。

 店は、4人ほど座れるカウンター席と4人用テーブル席が2つほどと小じんまりとしていますが、男性の店員二人は腰が低くとても優しい感じです^_^)

食べログのステッカーが貼ってありましたね。

 入口入ってすぐ右のチケット券売機でチケットを買います。

1img_2868
↑メニュー

 主なメニューとしては、らーめん700円、特製らーめん950円、炙りチャーシュー麺1100円、つけ麺700円~があり、ここは豪勢であろう「特製らーめん」を選びました!

 麺は太麺か細麺を選ぶように言われ、博多の長浜ラーメンの細麺が好きな自分としては、細麺を頼みます。

 この店は店名からも分かるように、信州小麦を使っていて、そして素材にはかなりこだわっているようです。

2img_2869
↑麺の説明

 また、スープも信州の食材をふんだんに使用し、「動物系」「魚系」「昆布系」のトリプルスープとはスゴいです^_^)
しかも、それぞれ徹底した温度管理をしてうまみを逃さないコダワリを持っているとのことです。
 これは期待が持てます。

3img_2870
↑厳選素材の説明

 しばらくして、特製らーめんが運ばれましたが、海苔がでかい!!
皿からかなりはみ出しています!
こんなに大きな海苔を出す店は初めてですね!

4img_2871
↑特製らーめん

 しかも、白い皿がかなりユニークです。
シルクハットを逆さにした形で、つばの部分がかなり大きいです。
こんな形状のお皿も初めてですね!

5img_2872
↑特製らーめんの拡大

 そして、スープを一口頂きますが、おぉぉ魚系を強く感じますね~
いい出汁が出ています!
これはついついスープをどんどん飲んでしまいます。

 それからチャーシューが脂身たっぷりではありますが、良質さを感じ、そして外側は少し焦がしてありながらも中はとても柔らかくてジューシー!
素晴らしく美味しいチャーシューです!
こんな美味しいチャーシューは初めてですね。
脂身は身体に良くないかもと思いつつ、この美味しさは仕方ないと割り切って食べてしまいます^_^;)

そして、玉子もシナチクも素晴らしい!
もちろん細麺も良い噛み応えで旨い!
さすが「華天竜」の小麦粉です。

とにかくスープが旨くてラーメンがどんどん進みます。
かなり大きな海苔の対処に戸惑いますが、旨いスープに少しずつ浸しながら征服していきます・・・。

 それから店を出るのですが、店員さんが「そのままでいいですよ~」と優しく笑顔で声をかけてくれ、そして出口で見送ってくれたのには驚きましたね。
素晴らしいホスピタリティです。

「信濃神麺 烈士洵名」のラーメンはとてもオススメです!!


美味しかったものまとめ(2013年下半期)

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信濃神麺 烈士洵名

夜総合点★★★★ 4.1
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関連ランキング:ラーメン | 春日駅後楽園駅本郷三丁目駅



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古代オリエント博物館(池袋)はとてもオススメ!

2014年03月17日 01時00分00秒 | イベント・外出
<月曜はお勧めなおはなし>

東京の池袋にある古代オリエント博物館へ行ってきました!
池袋のサンシャインシティ文化会館7階にあり、入場料は大人500円です。

古代オリエント博物館は、古代オリエントに関する研究調査を行い、あわせて古代オリエントに関する資料を収集、保管、展示している施設で、西アジア、エジプト地域を中心として、旧石器時代からサーサーン朝時代までの資料約4,500点、及びシリア出土品を多数収蔵しています。

古代オリエント博物館は、我が国最初の古代オリエントをテーマとする博物館として1978年に誕生し、以来、シリアなどでの海外学術調査を行い、その出土品に加えて考古、美術、歴史等の幅広い資料を展示しています。

残念ながら撮影禁止だったので、写真で紹介はできませんが、特に、シリアの出土品がたくさんあるのは素晴らしいと思いましたね。

また、複製ですが、「目には目を」のハムラビ法典や、古代エジプト語の神聖文字ヒエログリフを解読したロゼッタストーンがあったのには興味を持ちましたね。

そのほか、昔のコインなどにも興味を持ちました。

想像以上に古代オリエント博物館は収集物が多くてとても良かったですね。

とてもオススメです!


お勧めなお話(2013年下半期)
自動車保険を安く!

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「中国人のやる気はこうして引き出せ(塙 昭彦)」という本はとてもオススメ!

2014年03月14日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

「中国人のやる気はこうして引き出せ」の購入はコチラ

 「中国人のやる気はこうして引き出せ」という本は、以前このブログでも紹介した「人生すべて当たりくじ」という本と同じ著者で、セブン&アイHLDGS.顧問で、中国でのイトーヨーカ堂の店舗展開の礎をゼロから築いた方が、その経験を踏まえて中国事業を成功させるための以下のポイントについて分かりやすく説明したものです。

・中国での覚悟
・中国の理解・学び
・中国人との付き合い、交渉
・中国人の育て方、教え方
・中国人の評価、マネジメント
・中国での結果の出し方

 特に驚いたのは中国はいろんな面で変化がとても速く、そしてその変化に対応すれば成功できるということですね。
 共産主義なので土地は国の物であるから道路などインフラはバンバンできるし、成果主義で契約制なので優秀な人材の昇進は速いし年俸もすぐに上がり人材の流動性も高く、そしてそれに従って中国経済全体も驚くほど発展するし、素晴らしい国かと思います。

 そんな中国で成功するには、旧来の中国の習慣に全て倣うのではなく、誠実に商売を行い、支払い等の約束を守り、お客様に感動・感激を与えるサービスを行うことが大切で、社員に対しては発展空間のある会社にすること、厳格なルールを作ることが大切なんですね。

 そのほか、誰もが「外れくじ」だと思う境遇になったとしても「当たりくじ」だと思うことや、逆境のときどれだけ真正面から闘って自分に勝つかが大切についても書かれています。

 「中国人のやる気はこうして引き出せ」という本は、中国の実状を学べ、そして人生をよりよくするポイント等についても書かれていて、とてもオススメです!!

以下はこの本のポイントです。

・とりあえず中国、という風潮がなきにしもあらず。そんな印象が私にはあります。しかし、そんな甘い考えでうまくいくはずがない、というのが私の率直な意見です。まず、「とりあえず進出される」中国の立場に立ってみてほしいのです。日本という自国のマーケットが縮小しようとしているのは、わかる。しかし、どうして赤の他人の日本の会社に「儲けさせて」あげなければいけないのか。日本で儲からないから中国で儲けようという発想を、中国人が素直に受け止めてくれると思いますか。その前に、中国のために何をしてくれるのか、が必要でしょう。それこそが、「志」です。中国のために何ができるのか。中国人にどう喜んでもらいたいのか。それなしに、中国人が受け入れてくれるはずがないのです。

・どんな人を中国に送り出すつもりか、と聞くと、これもまた「とりあえず」が返ってきたりする。まずは日本の事業が大事だから、エースは日本で取っておきたい。「このくらいなら」という人材を送り込みたい、と。これもまったくの間違いです。エースをこそ、送り込まなければならないのです。なぜなら、いずれは日本よりも稼ぐようになるのかもしれないのですから。マーケットのスケールを考えれば、当然のことです。人口は10倍以上なのです。私も、いつか中国のイトーヨーカ堂が、日本のイトーヨーカ堂を助ける日が来る、と考えていました。そのくらいのポテンシャルのあるマーケットなのです。しかし、それだけに競争は厳しい。そんな場所に、中途半端な人材を送り込んでうまくいくはずがありません。さらに、中国人の優秀さがわかっていない。優秀な日本人を送り込まずして、優秀な中国人が来てくれるはずがないのです。とにかく、中国に行けばなんとかなる、などと思っているところに、大きな間違いがあるのです。

・支払い期日を守り、しっかりと支払う。中国人は素直でした。この会社に納品すれば、きっちり商品も売れるし、確実にお金を払ってもらえるとわかれば、そこに向かうのです。他の会社に回していた商品まで、優先的に持ってこようとするのです。その意味では、中国人は極めて頭がいい、と言えます。誠実さをしっかり理解できるからです。いずれ、支払いをめぐる今の常識は変わっていくと思います。そのほうが、商売はうまくいくからです。

・中国人が上司を選別する目が厳しいのは、それを間違えれば命の危険にさらされた歴史があるからではないでしょうか。それこそ三国志の時代には、頻繁に内戦が起き、大規模な飢餓にさらされていました。近代以降も、第二次世界大戦が終わった後、文化大革命もありました。あれだけの人口が住む中で、この人は信用できるか、この人についていったら殺されずにすむか、そういう感覚を磨かれ続けてきたのが中国人ではないかと私は思うのです。今はその対象が、会社になっています。この会社は伸びるか伸びないか。この上司は自分を幸せにしてくれるかどうか、自分は誰に仕官したらいいのか・・・。上司に対する選択眼は日本人以上に鋭いのです。

・中国人というのは、基本的にまじめで勤勉、というのが私の印象です。言い訳や人のせいにする人も確かにいます。自己主張なり、自我もはっきりしている。そうしなければ、自分を守れなくなる可能性がある、と思っているからです。しかし、一度こうだと自分で認めたら、あまり逆らったりすことはない。とにかく、それを徹底的に守ろうとするのです。私が中国で心がけてきたのは、「率先垂範、即断即決」でした。日本を出発し、中国に渡り、会社を創業して運営する。こんな場合に、100%日本に報告することなどできるわけがありません。よくできたとしても、20%から30%でしょう。それで業績不振になれば、責任を取ればいいだけの話です。日本の本社に細かなことまで報告をし、判断を仰ぐというのは、責任や非難をまぬがれるための免罪符になると思っているからでしょう。そんなことでは、誰もついてこない。大きなことは成し遂げられない。リーダーの責任の範囲、権限の範囲で実行し、大問題が起きたときには、潔く辞する覚悟をしなければいけないのです。とりわけ海外で仕事をする場合、日本で仕事をする以上に、その覚悟を明確にしておく必要があります。

・NHKの番組で、日本のアパレルメーカーを買収した中国企業の幹部が、「日本人は遅すぎる」と嘆いていたシーンがありましたが、私たちは中国人の言っていることがよくわかります。日本人は、相当に頭を切り替えないと、スピード感についていけないのです。その覚悟を持っておかないといけません。ドッグイヤーどころではない。日本人にとっては、マウスイヤーのスピードで改革しなければ、中国とのビジネスは成功しないと思ったほうがいい。そして日本は、その中国のスピードに学ばなければいけないと思うのです。なぜなら、そのスピードで、結果を出し続けているからです。

・中国で度肝を抜かれたといえば、「計画出産」があります。中国では、人口抑制のために一人っ子政策が採られています。しかし国とすれば、できるだけ年度ごとに出生数のバランスを整えたい。そこで、適齢期の女性が勤めている会社には、政府から今年おたくの社員は何人出産していい、とお達しが来るのです。女性社員には、結婚したら何年目くらいに子どもを作りたいのか、自己申告してもらいます。新年度になると、人事が今年子どもを産みたい人を募る。しかし、イトーヨーカ堂は新しい会社で若い社員も多かった。適齢期の女性ばかりなのです。産みたい女性が多くて、調整がつかなくなることもありました。また、あくまで計画出産ですから、計画通りにいくとは限らない。予定でなかった女性が妊娠してしまうこともあります。そうなると、罰金を払わないといけません。しかし、会社は払わないという。結局、社長の私が半分、女性の所属する部門長と本人が半分ずつ負担して罰金を払うことになりました。なんともすごい制度があると、驚かざるを得ませんでした。しかし、これが中国なのです。日本の感覚でいてはいけないのです。

・中国の小売りでは、「金の9月、銀の10月」という言葉があります。9月は中秋節、10月は国慶節というイベントがあるわけですが、9月に入ると、特に北のエリアはガクンと気温が下がります。そうすると、上着が欲しくなる。秋物と冬物の商品が、どっと売れていく。しかも、セール時期ではありませんから、値下げがまったく発生しない。したがって、このときに稼がなければいけません。春節に始まり、労働節、国慶節と、中国ではイベントをうまく活用して、より大きく売り上げを伸ばしていくことを考える必要があります。それが、1年の流れを作ってくれるのです。

・北京市政府は、経済を活性化させるための消費拡大を図ろうとしていました。日本のGDPに占める個人消費の割合は6割程度ですが、中国では4割程度しかない。この数字をどう高めていくか、いかに個人のお金を消費に回し、経済を成長させるか、奮闘していたのです。イトーヨーカ堂が2時まで営業して成功したことを知ると、びっくりするようなお触れが出ました。翌年6月のことです。「北京市内の繁華街は、大晦日は深夜12時まで営業すること」と法律で決めたのです。大晦日の夜中に店が開いていれば、北京市内は出掛けることに気がついたわけです。法律化には驚きましたが、この対応の速さがまた、中国のいいところだと思いました。

・最近では、人材バンクのような会社も増えてきています。弁護士事務所のような堅い会社が、人材派遣をやっているケースもあります。実際に優秀な人が登録していて、採用するだけなら難しいことではないのです。しかし、言葉が適切ではないかもしれませんが、ふっかけてくることも多い。採用される本人がふっかけてくるだけではありません。人材バンクや人材派遣会社もふっかけてきます。給料を高く設定すればするほど、自分のところの実入りも大きくなるからです。つまり、その金額が適当かどうか、見極めるだけの目が必要です。それは、優秀な人材にしか、なかなかできることではない、と私は考えます。

・イトーヨーカ堂の場合は、最初の北京は中国企業との合弁で事業がスタートしました。資本金のみならず、人材についても合弁相手か出してもらいました。人事部長もそのひとりで、非常に優秀でした。共産党員で、彼らしか見られない「だん案」という書類を確認できました。経歴が本当かどうか、それは「だん案」を見られる共産党員にしか、実はわかりません。彼らに任せるしかないのです。その意味でも、人事部長は極めて重要です。この人物なら確実だ、という人を見極める必要があります。経理・財務部長も出してもらいました。決算報告書は中国語で作成しなければなりません。場合によっては、日本語や英文のものも作成する必要がありました。この部長が、また優秀でした。管理が極めて厳格なのです。たとえば、細かなところまで把握している。ある部門では、出張費がいくらかかっていたが稼いだ粗利は1円もなく、経費も出せないくらいの赤字を出している、と初年度の年間会議でビシッと発言しました。しかも、予算オーバーを絶対に許さない。もし必要なら、役員会にかけて社長決裁をもらえ、という。日本以上の厳しさに、日本人の幹部たちは悲鳴を上げていました。しかし、これは正しいことでした。人事部長しかり、経理・財務部長しかり、非常に優れた人材が中国にはいます。だからこそ、しっかりと欲しい人材のイメージを確立しておかなければいけません。そうすることで、理想的な人材と出会える。そして優秀な日本人が中国に来ていれば、彼らも反応してくれるはずなのです。

・中央政府と地方政府の認可では、大きく違う点がひとつあります。中央政府の認可があれば、省を超えた展開が可能ですが、地方政府の認可では、省を超えた出店は基本的に認められず、新たに出資して法人を作る必要がありまう。背景にあるのは、税の問題です。どこに税金を落とすか、ということには、極めてセンシティブなのが中国の役人なのです。同様に、本社の移転も大変だと考えておいたほうがいい。同じ北京や上海内でも、区を超えて移転するときは、許可がもらえないことがあります。移転されるほうは、税金が落ちてこなくなるからです。

・重要なのは、ルールです。中国人が、なぜ道徳心のない行動をとってしまうのか。それは、道徳心がないのではなく、ルールがないからです。それは悪いことだ、という認識そのものが欠けていることが少なくないのです。ならば、ルールを作ればいい。それは間違っているのだ、ということを教えればいいのです。

・ありときは、トラブルが起きて警察を呼んだら、警官から賄賂を求められたことがありました。しかし、私は断固として断りました。それは正しいことではないからです。いくら中国の慣習であっても、正しくないことはすべきではないのです。売り場にある商品が、内部の人間によって盗まれてしまう。そういうこともあります。中国のイトーヨーカ堂でも当初、どう考えても従業員の犯行としか思えない盗難が起きたりしました。びっくりするような盗まれ方も経験しました。社内の検品担当者とグルになって、納入業者のトラックが納品書だけ出してそのまま帰ってしまう、なんてこともありました。高級ウィスキーの箱や瓶は無事だと思ったら、中身だけごっそり抜かれていた、ということもありました。必要なのは、適正な対策です。盗難が起きない環境を作ることです。不正が起きるのは、不正が起きる土壌があるから-私はそう考えています。土壌から変えていく必要があるのです。倉庫の管理を厳しくする、鍵の管理を不正ができないような仕組みにしていく。不正ができない土壌を作ることこそが必要なのです。この不正ができない土壌を作ることこそ、トップリーダーの経営哲学であり、経営理念なのです。トップリーダーが自ら実践し続けることは、もっと大切です。それを徹底的に実践することによってのみ、それが社風となり、社訓となるのです。

・架空の納品伝票を偽造して、納品したのに入金されていない、とクレームを受けたこともありました。しかし、伝票番号と日付、サインをチェックすれば、簡単に偽造は見抜けました。まさかイトーヨーカ堂では完璧に書類が管理されているとは知らず、騙せると思ったのでしょう。ところが、すべての書類が完璧に保管されていました。しかし、実際には、管理がいい加減で騙せる会社はたくさんあるのでしょう。だから、騙そうとする人たちが出てくる。大事なことは、そういう会社にしないことです。不正が起きないようなルールを作り、あの会社は嘘をつかないのだ、という信頼関係を築く。とてもここでは悪事は働けないと思わせる。それが大事なのです。この会社は騙しやすいとわかったら、一度でもうまく騙せたら、相手は際限なくやってきます。だからこそ、最初が肝心なのです。ダメなものはダメ、とつっぱねる。厳格なルールと管理を徹底させる。そこから始めることです。

・不正対策でびっくりしたことがあります。中国では、万引き犯は見せしめのために店内で捕まえられ、その場で手錠をかけられるのです。首根っこをつかまれ、ときにはボコボコに殴られ、引きずられて連れていかれる。日本ではちょっと考えられないことで、見るに見かねて間に割って入りかけましたが、これだけは中国流でやらせてほしいと警察に言われ、従うことにしたのでした。これは、内部の不正もそうですが、みんなの前で手錠をかけることで、抑止力にしようとするのです。日本人的な性善説では、通用しない面もあることを知りました。

・中国で会社を訪問するなら、中国人と交渉するなら、といったアドバイスを中国人や周辺にいる日本人がさかんに言い立てている印象があります。それが中国でのビジネスの常識だ、と。しかし、そんなものを真に受ける必要はまったくないと私は思っています。

・実はお酒を飲もうが飲むまいが、まったく関係ないのです。自分が飲みたいのなら、中国人と楽しく飲めばいい。しかし、飲みたくないのなら、飲まなくていい。中国人は気にしません。お酒を飲まなくても、信頼関係はできるのです。逆に、お酒が入ったから大丈夫、無礼講でいいだろう、何があっても大丈夫だろうといった日本人的な感覚は、中国人には通用しません。それこそ、実は注意のしどころかもしれません。部下との飲みニケーションも、中国では通用しませんし、必要ありません。ただ、一緒に食事をするのは、とても大事なことです。飲みに行ったり、カラオケに行ったりす必要はない。食事に行って、いろいろな話をする。これは、とても喜ばれます。このときに私たちがこだわっていたのが、仕事場を離れたら、仕事の話は一切しない、ということです。そして部下と飲みに行くときには、基本的には上司がごちそうするのが、中国のルールです。中国では、割り勘という考え方はありません。誰かひとりがまとめて払う。同僚と食事に行くときも、今日はAさんがまとめて払い、次の機会でBさんが払う、Cさんが払う、といった仕組みにしている。持ち回りで、一人が払うのです。そしてそこに目上の人間がいれば、目上の人間がすべて払う。これが当たり前なのです。

・自分は誰から給料をもらっているのか。なぜ、会社の仕事をがんばらないといけないのか。実はこれは、日本でも徹底的に最初に教え込まなければいけないことです。ましてや、つい最近まで、国営企業が当たり前だった中国では、今なお注意して伝えていかなければならないことです。

・中国はもともと共産主義で計画経済体制の中でモノを作り、商品を配給していました。1990年代の初め頃まで、配給は厳然と残っていました。やはりというべきか、売り手は威張り散らしていました。同じように飲食業も、「いらっしゃいませ」もなければ「ありがとうございました」もありませんでした。国営はもちろん、そうでない小売りや飲食でも配給の名残があって、買わせてやる、という意識が強かったのです。しかし、中国では、それは当たり前の光景でした。商品でもレストランでも、店員の態度は横柄で、平気でおしゃべりしたり、壁に寄りかかったりしていた。頭を下げるなんてことは、考えられないことだったのです。こんな状況の中で、まずは礼と挨拶を指導するところから始めなければならなかったのが、中国のイトーヨーカ堂でした。

・私がよく使う言葉に、「変わらなければ、変われない」があります。自分が変わらなければ、何も変わらないのです。人が変わらなければ、自分も変わらない、では何も変えられない。これもよく使う言葉で、「脱皮できない蛇は死ぬ」があります。成長していくためには、常に脱皮しなければいけない、蛇は成長できません。自分がひと皮むけなければ、物事の成功も成長もないのです。

・どうして、それをしなければいけないのか。そこが理解できれば、行動にきちんと結びつくのが、中国人なのです。逆に理屈がわかっていなければ、やらない。きちんと説得すれば、理解をして納得して初めて、行動が変わるのです。いきなり行動だけを変えさせようとしたり、行動のスピードを速めさせようとしても、無理なのです。行動につなげるまでの説得や納得がないからです。それを飛ばしていては、中国人は現場で働いてくれないのです。そして同じことを言い続ける。ひたすら言い続ける。違うことを言ってはダメです。同じことを、ひたすら言うのです。

・総経理自らが、ゴミ拾いおじさんをしている。中国ではあり得ないことだったようです。しかし、それを見ていた中国人のスタッフたちは、次第に自らゴミを拾い始めてくれるようになりました。やがてイトーヨーカ堂は、ゴミが落ちても、あっという間に拾われてなくなる店になりました。そして、ゴミを落とされることがなくなっていきました。率先垂範というのは、確実に効果をもたらします。ポジションが上の人であればあるほど、その効果は高まるのです。中国ではリーダーはそんなことはしないのでしょう。しかし、自分がしなかったら、目的は果たされたでしょうか。常識など、どうでもいいことです。リーダーは、誰よりも先に立って、模範を示さなければいけないのです。やるべきことを、やればいいのです。それが、リーダーが求めている結果を生むのです。

・私が心がけていたのが、「半分オウム返しの術」でした。相手が思っていることと、こちらが思っていることが違っていれば、何も解決しないし、ともすればケンカになってしまいます。そこで、まずは相手の言うことを受け止めるのです。私は海がいいと思っている。相手は山がいいと言う。そのときに、山のことも認めるのです。山はいいね、空気もきれいだし。その通り、よくわかる、と。でも海は広いよ。世界は海とつながっている、白い砂浜もきれいだし、泳ぐのも気持ちがいい。夏は太陽に当たらないとね、とつなげる。このとき、山のよさを否定してはいけません。山を受け入れたうえで、海のよさを伝える。海はもっといいんだと説得し、納得させる。これが「半分オウム返しの術」です。相手の言っていることを受け入れつつ、こちらのほうがもっといいよ、という言い方をするのです。

・もし大勢の従業員の前で、ひとりの中国人の部下に「バカヤロー」などという言葉を発したら、訴えられて罰金を取られます。単なる罵倒は絶対にしてはいけない。そして、それを見ている人数が多ければ多いほど罰金は高くなる、と覚悟しておく必要があります。まず、ただ罵倒するような言動は慎まなければなりません。何も聞かずに、いきなり「バカヤロー、お前は何をやっているんだ」という日本式は絶対に通用しません。叱るときは個別に呼んで、個人に叱るきおとです。そして、じっくりと、なぜ叱るに至ったのか、を語っていく。

・きちんと自分のことを上司の上司にあたるマネージャーたちや店長、さらには経営者が目にかけてくえているか、それをとても重視しています。もちろん日本人も、です。きちんと自分の売り場に、マネージャーや店長が見にきてくれるか。声をかけてくれるか。関心を持ってくれるか。それは、中国人にとって、極めて重要なことなのです。ですから、日本人の幹部たちは、常に現場の社員に声をかけることを意識していました。常に「声かけ運動」です。私はよく、握手もしていました。「ニイハオ」と声をかける。「今日はどう?」と尋ねる。もっと笑顔を増やそうと、こちらからニコッとして話しかける「ニコポン運動」もやりました。上司が職場を巡回しているときに、部下に出会ったら”ニコッと笑って、肩をポンと叩くこと”をこう呼んでいます。とにかく目にかえて関心を持つ。となれば、通訳がいたとしても、必要最低限の中国語は、使えなければなりません。また、このときに重要なのがあ、平等に扱うことです。また、このときに重要なのが、平等に扱うことです。ひとつのフロアなら、すべてのスタッフに声をかける。ひとりくらいいいや、ではいけません。フロアを一巡するのは大変ですが、これを怠ってはいけない。担当の売り場については、中国人の名前をフルネームで覚えている日本人幹部も少なくありませんでした。大変な数です。挨拶するときに、名前を呼ぶ。これは相当なうれしさだったようです。

・もし中国ビジネスの幹部全員が日本人で、はなから中国人を幹部に入れる気がないとすれば、どうして中国人は頑張れるでしょうか。だから、私たちは1店舗目を出したときから、宣言していました。いずれ店長は中国人にする、と。ポストは青天井だということです。なぜなら中国にある現地法人なのですから。これは、当たり前のことです。そして3店舗目ができた頃から、中国人社員は「発展空間(発展性)」という言葉を使い始めました。採用の面接でも「この会社には発展空間があるから」という志望動機を語る学生や若い人が増えました。会社が伸びていき、自分自身にも将来に夢があることが、彼らには極めて重要なモチベーション・エンジンになるのです。

・主たる中国の雇用形態は期間を決めた契約である点が、日本との明確な違いです。しかし、中国では多くの会社が、この形態なのです。プロ野球やサッカー選手たちの雇用形態と同じと考えてよいと思います。イトーヨーカ堂でもそれに倣い、担当者はすべて1年契約です。3ヶ月の試用期間後に、正社員に移行しますが、契約は1年単位です。契約期間は、職位が上がるほど長くなっていきます。係長クラスで3年、課長クラスで5年、そしえ部長クラスでは7年。それでも、全社員が期間を決めた契約制です。当初は、共産国家・中国ですから終身雇用で、正社員を途中で解雇するなんてとんでもないことなのかとイメージしていたのでした。ところが、まったくそんなことはなかったのです。

・新たにパートとアルバイトの採用を進めました。このとき、最も大量に採用できたのが、学生のアルバイトです。アルバイトというより実習、インターンシップのようなものです。しかも、大学生ではなく、高校生でした。彼らは2年生まで商業を学び、3年生で実社会を経験する。働けば単位ももらえます。そういう仕組みですから、安価に採用できました。学校側からの依頼で、窓口の先生との間で契約を行います。これも、中国の慣習のひとつだと知りました。もちろん、若いアルバイトと併せて、新聞広告で採用した中高年のパートも大きな戦力となってくれました。

・中国の雇用慣行では、もうひとつ驚いたことがありました。それは、全社員が成果報酬制である点です。中国のイトーヨーカ堂では、基本給と成果給を半々に設定しました。仮に、月給1000元(1万5000円)で人を採用する場合は、固定給が500元、残り500元はプールしておいて、成果に応じて配分されるのです。成績が上がった部門に配属する社員は、500元が750元になり得るし、逆に成績がよくなかった部門の人は250元しかもらえない。つまり、同じ1000元の契約でも、月に750元しかもらえない人もいれば、1250元もらえる社員もいるということです。ボーナスになると、もっと大胆に明暗が分かれ、極端に言えば、200%から75%くらいまでの差が出ます。

・昇格も、こうした評価を経てダイナミックに行います。年功序列はありません。実力主義です。職位が上がれば、職務職能給のウェートが高くなっていきます。ポジションが上がれば、ものすごく給料が高くなるのです。店長と副店長とでも大きく違う。だからこそ、中国人は職位にこだわるわけです。昇進すれば給料が跳ね上がることを、中国人はみな知っています。日本では考えられないほど、大きな差が出ます。そして尊敬されるのは、結果を出せる上司です。当然かもしれません。チームの業績が給料に反映されますから、結果を出せない上司の下にいたら、給料はぜんぜん上がらない。

・結果を出せば、しっかり評価し、報酬や職位で報いることが大切です。ただし、昇進させるときには、しっかり人間性を見極めることが求められます。嘘をつかない。有言実行する。正しいことにこだわる。おかしいと思えば上司にでもたてつく。人のせいにしない・・・。そういう人を昇進させなければなりません。そして、誰を昇進させるのか、を中国人はよく見ています。いくら結果を出せても、人間性が優れていない上司の下では、中国人はついていかなくなるからです。

・実は中国の小売業では、自社の展開するフロアよりも、いわゆるテナントが展開するフロアのほうが圧倒的に多い。イトーヨーカ堂も、日本に比べるとテナント比率はかなり高いです。そしてテナント同士で激しい競争をします。毎月の成績表がランキングで出てきますが、下位3分の1に入っていると、契約を更新されなくても仕方がない、というルールがあるのです。売れなければ、出ていkなければいけなくなる。個人商店のテナントにとって、それは失業を意味します。だから、必死になるのです。とにかく売らなければいけないと、一生懸命になって売る。それはもう、大変な迫力です。だからこそ、活性化するのです。

・最近は日本でも大きな課題になっている、品減りの問題があります。売上げ登録ミスや検品ミスを除けば、その原因になるのは万引きや内部不正による盗難です。開業当初こそ、トラブルにも見舞われましたが、以降、中国のイトーヨーカ堂では、基本的に品減りは限りなくゼロに近くなっています。日本のイトーヨーカ堂は、チェーンストアの中では品減り率が極めて低いことで知られていますが、中国のイトーヨーカ堂は、さらにその3分の1です。それには、理由があります。品減りもまた社員個人の罰金になるからです。中国人の社員個人も含めた共同責任体制にしている。したがって、全員が厳しくお互いに管理監督をしているのです。

・声をかけられた人は、相当数にのぼったようです。この頃から北京では、イトーヨーカ堂は、「北京にある百貨店・スーパーの人材養成学校」と言われるようになります。しかし数ヶ月経ち、意外なことが起きました。マイナスの影響を覚悟していましたが、売上げはむしろ上がっていたのです。マネージャーは引き抜かれましたが、2番手だった社員たちが、ようやくマネージャーになれたと奮闘し始めたのです。結果的に、組織が活性化したのでした。しかも、1年、1年半と経つにつれ、イトーヨーカ堂を辞めた社員が「戻りたい」と言ってくるようになりました。引き抜きにあって給料が上がっても、せいぜい1年契約。実績がを上げられなければ、下がってしまいます。また、結果を作り出せたのも、ひとりでできたわけではない、まわりの仲間たちやイトーヨーカ堂の信用があってのことだったとわかるようになります。引き抜き先に行っても新参者ではやりたいことができず、決められたことを実行するだけだった、と語る社員もしました。しかし、私はこう断言していました。「金に溺れていったん辞めた人は、どんなことがあっても採用するな。親の病気ややむを得ない理由で辞めた者が、どうしてもというなら、2ランク落として雇え」私は、この原則を守り抜きました。

・登用は学歴不問でした。衣料部長をお願いした女性はこう言いました。「自分は中卒ですが、いいのでしょうか」私は「まったく問題ない」と答えました。実力があって、一生懸命頑張る人。そういう人材を抜擢するのは当然であり、それが会社の風土や文化を作っていくと思っていたのです。実際、その通りでした。彼女は本当に喜んでくれました。それまで以上に頑張ってくれました。イトーヨーカ堂にいてあちこちから引く手あまたになっても、みな簡単には辞めなくなりました。中国人はすぐに条件がいいところに行ってしまう、と日本人からよく聞きますが、条件に関係なく、ここにいたほうがよいと思えば、中国人とて簡単には辞めないのです。そういう会社を作り上げればいいのです。

・イトーヨーカ堂の中国本社には、額に入れて社是として掲げられている言葉があります。「三感の実践」です。私は北京でも成都でも、これを何度も繰り返して中国人の社員に伝えてきました。
【三感の実践】
感動する商品、売り場
感激する接客、サービス
感謝する心情、礼節

人生を生き抜いていくために、「感動、感激、感謝」は、とても大切なことです。感動や感激があるから、人生は豊かになるのです。心豊かな人生を送るためには、日々感動することだと私は思っています。

・人が感動するのは、今までに出会ったことがないことや、想像以上のものに直面したときです。人と同じことをやっていたとしても、誰も感動しません。今までに出会ったことのない風景、見たこともない商品を体験したときの、初めての味わいに感動があるのです。そして、人を感動させるためには、真剣に努力し続けることが第一の条件です。接客業では、ひたすらに、ひたむきに、努力することから、感動が起こります。手品師は「種も仕掛けもありません」と言いますが、実はある。人が人を感動させるためには、必ず種を仕掛けもあるのです。見えないところでの努力があるからこそ、人は感動するのです。

・SARSの際に資金に困っていたのは、私たちだけではありません。どの小売店もメーカーも、軒並み売上げが急落していたのです。あるテナントの社長が、私のところにやってきて言いました。「あなた方の支払いは、中国で一番速い。この支払い条件は今後も守れるのか。守れないこともあるのか。塙さん、私たち取引先に明言してほしい」私はこう言いました。「どんなことがあっても、あなた方には、1日たりとも遅れずに支払い続ける。命にかけても支払う」それまでもイトーヨーカ堂は、支払いをきっちりと行っていました。取引先の社長たちは、私の言葉を信用してくれました。SARSが発表される前に買い集めたマスクは、1枚残らず、北京市政府に寄贈しました。こんなときに、高く売ろうなどというケチな考えを起こしてはダメなのです。同時に、日本のイトーヨーカ堂にお願いして、日本にあるマスクを全量買い集めました。26万枚ほど集まりました。これもすべて、北京市政府に寄付しました。変化が起きたのは、しばらく経ってからでした。取引先は、イトーヨーカ堂がきちんと支払いをしてくれる、信頼できるとわかって、全面的に協力してくれたのです。中でもテナント各社は、北京中の売れ筋商品をすべてイトーヨーカ堂に集荷して、販売しました。イトーヨーカ堂なら、確実に支払ってくれるから、と言われました。イトーヨーカ堂に行けばよい商品が買える、となれば、お客様も増えます。いい循環が生まれました。6月に入り、騒動はぐっと鎮静化しました。そしてこの間、イトーヨーカ堂h何度も新聞に取り上げられていました。店内の消毒風景、マスクの寄贈、商品が豊富に陳列された光景などが、写真入りで報じられたのでした。6月以降の売上げは、前年比20%増のペースでした。7月以降も、前年比130%、140%という快進撃が続きました。2003年度の売上げは、前年比128%になりました。すべての取引先が協力してくれて、売上げは大変な勢いで伸び続けました。

・四川大地震の際は「成都のイトーヨーカ堂はどんなときでも開けている。必要なものが手に入った」。お客さまから喜ばれ、感謝の投書が新聞に載りました。市政府や共産党幹部からも「困難なときによく店を開いてくれた」と感謝されました。三枝総経理は、食料や毛布、テントなどの支援物資を持って被災地にも行きました。中国のイトーヨーカ堂、さらには日本のセブン&アイ・ホールディングスは、中国赤十字への寄付も行いました。2012年、「四川大地震終息宣言」が出されました。中国政府は、発災の年2008年、「改革解放30年」を記念して、これに貢献した企業を表彰しました。その中に、唯一の外資系企業として最優秀賞に選出されたのが、成都のイトーヨーカ堂と三枝総経理でした。

・どうしてイトーヨーカ堂は、中国で多くの人に支持をいただくことができたのか。多くのお客さまに来店いただくことができたのか。端的に言えば、商売について誠実でありたいと考えてきた、という点に尽きるのではないかと思います。日本のイトーヨーカ堂の社是である、誠実さや約束を守ることへの強いこだわりこそが、実は中国での評価にもつながったと思うのです。お客さまに対しても、取引先に対しても、誠実に対応する。まじめに、真摯に向き合う。自分たちが大切にしなければいけないと思ったこと、正しいことは貫く。基本を重視する。挨拶、清潔さ、必要なときに欲しい商品がある、お客さまが買い物を楽しめる、さまざまな取り組みがある・・・。もちろん、今もなお中国のイトーヨーカ堂では、この基本をいかに徹底できるか、努力を続けていると思います。理想はいくら追求しても、追求し切れるものえはないからです。そのためにも大切なのは、「志」だと思います。中国のお客さまに、イトーヨーカ堂は何ができるのか。それを、常に念頭に置いて行動してきました。そして私が今、何より思うのは、中国進出にあたって「利益など求めはいけない」ということです。利益は、ご褒美であ、結果なのです。何のご褒美で結果なのかといえば、人が成長した結果です。中国の人材が育ち、その結果といて売上げが上がる。そしてその結果として、利益が上がる。

・私たちイトーヨーカ堂には、日本で学んだ最新の流通小売りのテクニックが、たしかにあります。しかし、私が中国に置いてきたのは、そんなものではありませんでした。人を採用し、育て、相手のことを思い、人間として立派になる。自分だけよければいい、なんていう人間になってはいけない。人として成長することこそ大事なのです。生きるうえでの本質です。そのことをこそ、中国で伝えたかった。そして、イトーヨーカ堂の中国のスタッフは、それを理解してくれたのでした。実はそれは、2500年前に孔子によって説かれていることです。発祥は中国なのです。論語の言葉を、一生懸命覚えて、私たち日本人は人間形成をしてきた。しかし今、中国でこの話をすると、「それは誰の言葉ですか」と文化大革命を経て忘れられている。だから、それを伝えにきたのだ、私たちはお返しにきたのだ、と思っています。

・私はたくさんの人の運命を見てきました。不平不満ばかり言っている人がいました。「外れくじだ」「こんな仕事、嫌だ」「今の仕事が気に入らない」「もっと楽しい仕事がやりたい」・・・。しかし、現状や現在に不満な気持ちを持ち続け、嫌々仕事をやっていると、いつかはその仕事が本当に嫌になってきます。誰もがうらやむようなポストに昇進しても、不満を言う人もいました。そんな人は、何年かのうちに降格し、消えていきました。逆に、世間の人たちが誰もが「外れくじだ」と思っていても、本人が「これは当たりくじだ」と思っている人がいました。こういう人が、やっぱりうまくいくのです。世間の人の言うことなど、どうでもいいことです。すべては本人の気持ち次第なのです。

・逆境のとき、どれだけ真正面から闘って、自分に勝ったかどうか。それが問われます。自分の心を強くし、闘い、勝つ以外、解決の道はないのです。その前提となるのが、「人生、すべて当たりくじ」です。大丈夫。きっと、あなたなら、乗り越えられます。この本を読んでくださったのですから。

<目次>
はじめに イトーヨーカ堂は、なぜ中国で成功することができたのか
Chapter1 中国で覚悟する 並みの努力では勝てない、とリーダーは心得よ
 利口はいらない。バカもいらない。必要なのは、大バカ者だけだ
 中国に染まれ。ただし、染まりすぎるな!
 「とりあえず中国に」などと考えるなら、進出はやめなさい
 中国人に言われた「詐欺師ほど、立派なパンフレットを作ってくるものだ」
 お客さまは来ない、取引先は売ってくれない、銀行は貸してくれない
 支払いが遅れそうになったら、全財産を売ってでも支払いなさい
 上から5年、下から1日。中国人ほど人を見る国民はいない
 必要なのは、リーダーの指針と胆力。見せかけの威厳などはいらない
 商人としては中国人が大先輩。骨を埋めるほどの覚悟でないと
 中国人にどんどん任せていったほうが、絶対にうまくいく
 オレがやなきゃ誰がやる、と全員が思えるか
Chapter2 中国を理解し、学ぶ 日本人は中国がまったくわかっていない
 日本での成功体験はすべて捨てる。本気で捨てる
 日本人は「下向き」、中国人は「直向き」。たったひと文字で、これだけ違う
 「日本人は遅すぎる」と中国企業。スピード感の圧倒的な違いに気づけ
 中国のことはだいたいわかる、と言う日本人を信用しない
 ゴミ回収車が来る前に、袋を全部開けて、中身を調べた
 チラシ配布で学んだこと。自分のモノサシで物事を考えない
 小売りビジネスで忘れてはならない「金の9月、銀の10月」
 絶対にうまくいかない、と中国人が語った「大晦日の深夜営業」
Chapter3 中国人と付き合い、交渉する 日本人は中国人から驚くほど見られている
 面接で嘘を言うのも平気。幹部採用は顔を見ろ
 ”人治国家”中国で陥りがちな罠。人脈に過度に頼ってはいけない
 通訳では中国人には通じないと思え。日本語から注意しないといけない
 日本人幹部は、驚くほど中国人に見られていることを知らない
 ダメなものは、ダメ。自分の基準を動かしてはならない
 不正が起きるのは、不正が起きる土壌があるから
 騙される人たちは、騙されるべくして、騙されている
 中国人を信頼する。でも、信頼しすぎてはいけない
 飲みニケーションは通用しない。中国人への偏見をこそ、捨てよ
Chapter4 中国人を育て、教える 日本人が変わらなければ、中国人も変わらない
 涸れた井戸から、水は汲めない。まずは、その理解から
 礼儀がまったくできていない。愛想も笑顔もまるでなかった
 知らず知らずのうちに、日本人は上から目線になっていることに気づけ
 説得し、納得すれば、行動が変わる。理解すれば、日本人以上に動く
 イトーヨーカ堂からゴミをなくした、総経理の率先垂範
 中国人とのコミュニケーションを円滑にする「半分オウム返しの術」
 「叱る」と「怒る」を区別せよ。効果を生む「日本人に激怒する」
 直接の上司を超えて、現場の部下に指示を出してはいけない
 中国人に目標と夢を持たせよ。発展性のない会社では、やる気は出ない
 中国人スタッフを動かした言葉「遠くの美人より、隣のおばあさん」
Chapter5 中国人を評価し、マネジメントする 成果主義でなければ、中国人は頑張れない
 「社員」も契約制の1年契約。管理職も複数年の有期契約制
 基本給と成果給が半々。一般社員でも手取りに差が出る成果報酬システム
 品減りが限りなくゼロに近いのは、共同責任体制を敷いているから
 一度辞めた人材は再採用しない。戻すなら、2ランク下げて戻す
 責任の所在を転嫁する傾向がある。それを認識したうえでマネジメントを
 常に真剣勝負でぶつかる。例えば、発表の評価基準5原則
Chapter6 中国で結果を出す 何より、正しいことをせよ
 1店舗当たり売上高で全中1位。それは、正しいことを貫いたから
 お客さまのために何ができるか、それをひたすら実現していった
 売り上げはお客さまからの支持、利益はお客さまからのご褒美
 真剣な努力が売り上げを生み出す。中国で言い続けた「三感の実践」
 ほらも、達成すれば、ほらじゃない。大バカ者なら、なんだってできる
 何がピンチをチャンスに変えたか。SARS騒動を救ったのは「誠実さ」
 井戸を掘るだけが役割ではない。水をわき出させ続けることが大切
 利益など求めるな。人を育てれば、それは勝手についてくる
付録1 資料で見る中国イトーヨーカ堂 成長の軌跡
付録2 三枝富博・現イトーヨーカ堂執行役員中国総代表に聞く 中国イトーヨーカ堂の「今」
おわりに ”人生すべて当たりくじ”と思いなさい

面白かった本まとめ(2013年下半期)

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「有明(東京 門前仲町)」の軍鶏鍋はとてもオススメ!

2014年03月12日 01時00分00秒 | 外食
<水曜は食べ物のおはなし>

 とある雑誌で、門前仲町の「有明」の軍鶏(しゃも)鍋がとても美味しそうに紹介されていましたので、思い切って行ってみました。

 軍鶏鍋と言えば、鬼平犯科帳の「鬼平」が愛した「五鉄の軍鶏鍋」が有名ですが、このお店の「味噌すき焼き」はまさしく「五鉄の軍鶏鍋」とのことで、鬼平犯科帳好きには堪らないお店ですね^_^)
昔よく読んだ「鬼平犯科帳」を思い出しました・・・

 お店の場所は、東京メトロ「門前仲町」駅6番出口から徒歩1分ほどの所にあります。
 駅を出てすぐの所に風情のある飲み屋街もありそそられました^_^;)
さすが門前仲町です。

 「有明」の入口には「軍鶏鍋」の大きな提灯が輝いていました。
そして建物と建物の間の細道を通って、玄関に進みます。

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↑店へ通じる道

 店内は和食のお店なのに、天井が高くオープンキッチンになっていて、そして明るくきれいなのには驚きました!
座敷はなく、すべてイス席となります。
オープンキッチンは、調理の様子がよく分かり良いですね。
入口の提灯といい、てっきり鬼平をイメージして古江戸風かと思っていたので、そのギャップには驚きました!
しかしながらこの明るいオープンキッチン形式はとても良いと思います。

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↑店内

調理は3人で切り盛りしているようでしたね。
8人・6人・4人のテーブル席と、4人×2のカウンターが席があります。
平日18時に予約して行ったのですが、まだ席はまばらでした。
しかし予約は埋まっているようで、予約なしの客は残念そうに帰っていました^_^;)
このお店は予約していくことをオススメします。

さっそくメニューを見て注文します。
飲み物は、「豊後梅酒(大分 10年貯蔵)」850円が気になり、注文します。
そのほか、美味しそうな地酒や焼酎、ワインも豊富でしたね。

 そして軍鶏鍋は4500円のコースか、お手軽軍鶏鍋セット3000円でかなり悩みましたが、雑誌にも「お手軽」がオススメとあったので、軽くお手軽にします。
結果的には、「お手軽」でも十分おなか一杯になりました。

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↑飲み物メニュー

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↑鍋メニュー

 さっそく、「梅酒」と名物の「滝川豆腐」が運ばれます。
梅酒が癖がなく「まろやか」で美味しい!!
さすが10年貯蔵!
この美味しさには驚きましたね。
まったく悪酔いしません。

また「滝川豆腐」は手前に切って下さいとのことでしたが、ソーメンのように細く長く美しく切れてビックリ!
どうやって作っているんでしょうかね?
もちろん豆腐はひんやり滑らかで美味しいです!
この「滝川豆腐」は、美しいし、料理の出だしの酒のつまみとして健康的ですし、とても良いですね。

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↑「梅酒」と「滝川豆腐」

 そして、もっと驚いたのは「正肉の焼鶏」と「つくね」!
「焼鶏」はたっぷりの身がほどよくジューシーに焼かれ、そしてほどよい塩加減で、美味しい!
この分厚く、ジューシーな歯ごたえが堪りません!

 そして「つくね」が、外側が素焼きでアツアツで、中が想像以上にとても柔らかくて絶品!!
「何だこの柔らかさは!」と驚きましたね。
こんなに柔らかく美味しい「つくね」は初めて食べました!
この「つくね」には感動です!
お店の方にこの「つくね」を褒めると嬉しそうでした。

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↑「正肉の焼鶏」と「つくね」

 それから、注目の「軍鶏鍋」がガステーブルの上に置かれます。
真ん中にたっぷりの黒い味噌が置かれ、そしてその回りに新鮮な鶏肉の身やレバーがたくさん置かれています。
この新鮮さと鶏肉の量の多さがとても嬉しいですね!
これは「鬼平」もワクワクします^_^;)

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↑軍鶏鍋

そして、火を点け煮込みます。
鍋が広く浅いので、あっという間に沸騰したのには驚きました!
お店の方から少し慌てて味噌をかき混ぜるように言われます。
中央にあるたっぷりの黒い味噌をゆっくり広げます。
お店の方が豆腐をひっくり返してくれ、そろそろ食べて良いとのことなのでさっそく食べます。

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↑軍鶏鍋を煮込む

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↑軍鶏鍋をぐつぐつ煮込む

 まずスープを飲んでみますが、とにかく味噌が濃厚で出汁が利いていて美味しい!!
さすが秘伝の味噌!
そして生の地卵をかきまぜて、充分煮込まれた鶏肉や野菜をその中に放り込み、軍鶏鍋を堪能します!
肉が柔らかくアツアツで、卵とも合い、これは「まいう~」です!
レバーがあるのも珍しいかと思いますが、これも旨いです。
かなり肉の量がありましたが、あまりにも美味しいのであっという間に平らげてしまいましたね。

 締めには、「うどん」か「つけめん」を選べ、「うどん」を選びました。
鍋に白いスープが少し入れられ、そして「うどん」を入れてくれます。

10img_2792
↑うどんを煮込む

 「うどん」も質の良さを感じ、コシがありましたね。
とにかく味噌が美味しく、うどんと一緒に美味しくいただき、スープは最後まで平らげてしまいました!
軍鶏鍋最高です!!
最後にお店の方が熱い緑茶を入れてくれたのも嬉しかったですね!

「有明」の軍鶏鍋は、鬼平犯科帳ファンだけでなく、江戸の味を美味しく堪能でき、とてもオススメです!
「有明」はすべてテーブル席で明るくきれいだし、外国の方にもオススメかと思います。
とてもオススメなお店です!

美味しかったものまとめ(2013年下半期)

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鳥料理 有明

夜総合点★★★★ 4.0
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関連ランキング:鳥料理 | 門前仲町駅越中島駅木場駅



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東京のJR山手線「大塚駅」近辺の街歩きを楽しみました!

2014年03月10日 01時00分00秒 | イベント・外出
<月曜はお勧めなおはなし>

 東京のJR山手線で唯一降りたことがなかった「大塚駅」についに行き、大塚の街歩きを堪能しましたのでその紹介をしたいと思います。
 ちなみに大塚駅は池袋駅と巣鴨駅の間にあります。

 実は以前このブログで紹介した「山手線ぐるり おみやげ散歩」という本を参考に、機会があれば山手線各駅の街歩きを楽しんでいたのですが、ようやく約4年かけて、山手線未踏の駅である「大塚駅」に降り立つことになりました。
 思えば長い道のりでした^_^;)
というのは、他のJRや地下鉄の乗り換えがないので、なかなか利用する機会がなかったんですよね。
まだ一度も乗ったことがない都電荒川線が唯一横切っています。

 その大塚ですが、戦前は市電と商店街が華やかな街だったようです。
その活気をもう一度取り戻そうと、昭和46年から夏の「大塚阿波踊り」が始まったようで、その時は毎年1000人以上が踊り、15万人もの見物客が集まるようです。

 まず大塚駅を降りて、お昼時でお腹が減ったので、北口方面にある「ぼんご」というおにぎり屋さんに行ってみました。

1img_2830
↑ぼんごの店構え

 「ぼんご」は昭和時代を思わせる店構えで、その看板のネオンには失礼ながら苦笑してしまいましたが、しかし店内に入ると13時過ぎというのに満席で、席の後ろにはズラリと持ち帰り客が並んでいるのにはとても驚きましたね^_^;)
かなりの人気店です。

 人気の理由は、おにぎりの「大きさ」とその「安さ」ですね。
大きなおにぎりが1個230円で、おにぎり2個+味噌汁のセットで100円割引となり530円というお値段は良心的です!

 すぐに席に案内され、熱いおしぼりと熱いお茶を頂き、メニューを見ます。

2img_2826
↑メニュー

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↑セットメニューの説明

 おにぎりのメニューはたくさんあって、一体どれを選べば良いか非常~に悩みます。
まあ魚と肉から選ぼうと思い、「しゃけ」と「スタミナ焼肉」を選びました。
 席の隣の方は「筋子」と「うにくらげ」を頼んでいて、「筋子」が大きなおにぎりの中にたくさん入っていて驚きましたね!
筋子が230円とは無茶な値段設定だな~と思い、メニューをよく見ると「筋子」は530円でした^_^;)
納得・・・
それにしても、大盤振る舞いな筋子の量でした。
「うにくらげ」もそそられましたね。

 店は、男性一人、女性二人で切り盛りしていて、男性がおにぎりを作っていました。
三角形の枠にたっぷりのご飯と具を詰め込んでいます。
一人で丁寧におにぎりを作るので、結構時間がかかります。
30分ほど経過してようやく味噌汁とおにぎりが前に置かれました。

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↑おにぎりと味噌汁

 おにぎりは、想像以上に大きく、大きな海苔に包まれています。
ほかほかのご飯に、たっぷりのシャケが入っていました。
想像以上に良質なシャケです。
そして、スタミナ焼肉は少し辛目の焼肉タレが入っています。
味噌汁は、出汁が利いていて、アツアツで美味しいですね!
なお、+100円でナメコ汁にすることもできます。
「ぼんご」は美味しく大きなおにぎりを堪能できて、オススメですね!

それから、大塚駅南口の方へ行き、都電荒川線沿いに歩くと、天祖神社がありました。

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↑天祖神社

 鎌倉時代末期創建で巣鴨~大塚の鎮守様とのことです。

6img_2833
↑天祖神社の説明

また神さまと皇室の系図というのもあり、興味を持ちましたね。
熊野神社・伊勢神宮・天祖神社・榛名神社・稲荷神社・厳島神社・天満宮・三峯神社の関係が分かりました。

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↑神さまと皇室の系図

 それから天祖神社の境内には大きな「イチョウ」の木が2本あり、樹齢600年の夫婦(めおと)イチョウとのことです。
樹齢600年とはスゴいですね。
しかも昭和20年の東京大空襲で被災し、今もその黒焦げた痕があるとのことです。
しかし、素晴らしい生命力で再び甦り、いままた大きく枝葉を広げて、まさに縁結びの大イチョウとして知られるようです。
右が雌、左が雄とのことです。

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↑夫婦イチョウ

 それから、「さざれ石」があるのにも驚きましたね!
国歌「君が代」の歌詞で「さ~ざれ~い~し~の~」とあると思いますが、その「さざれ石」とのことです。
石灰岩が凝集したものとは知りませんでした。
天然記念物とのことです。

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↑さざれ石の紹介

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↑さざれ石の拡大

 それから、大塚駅近辺には甘味のお店がいろいろとありましたね。
特に福島県郡山の老舗和菓子の「柏屋」は、店内が新しくかなり綺麗でしたね。

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↑柏屋

 ほのかなレモン風味がさわやかなクリームチーズタルトの「檸檬(れも)」157円と薄皮饅頭94円を堪能しました。

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↑檸檬と薄皮饅頭

 それから豊臣秀吉ファンが喜ぶ「千成もなか本舗」の最中は、千成ひょうたんを模していて、小粒で美味しかったです。
5色あり1つ90円でしたね。

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↑千成もなかの店構え

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↑千成もなか

それから桃太楼というお店は、どら焼きが素朴な甘みで人気なようです。

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↑桃太楼のどら焼

そして、カフェGOTOOで、バナナケーキ160円と珈琲230円を美味しく頂きました。
店内は明るくお洒落で、そして綺麗でゆっくり快適でしたね。
少し離れた所(桃太楼の隣)にある洋食GOTOOとは姉妹店のようで、そちらの洋食も美味しそうでした。

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↑カフェGOTOO

 バナナケーキは、バナナ嫌いな人にも食べてほしいとの思いで作られたとのことで、確かにしっとり生地にバナナだけでなく、くるみも入っていてとても美味しかったです。

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↑バナナケーキと珈琲

 そのほか、大塚駅近辺では、「大塚ものがたり」という美少年酒造製造の吟造り純米酒や、高勢というお店の「太巻き寿司」、大塚バッティングセンターも有名なようです。

 JR山手線の大塚駅近辺は、「ぼんご」というおにぎり屋さんや「天祖神社」、甘味がたくさんありオススメですね!

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「永遠の0(ゼロ)(百田尚樹)」という本はとてもオススメ!

2014年03月07日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

「永遠の0(ゼロ)(百田尚樹)」の購入はコチラ

 この「永遠の0(ゼロ)」という本は、太平洋戦争初期に大活躍した日本の戦闘機「ゼロ戦」にまつわる小説です。
「0」とはゼロ戦の「ゼロ」ですね。
この小説は最近映画化され、私は先に映画を観たのですが、ほぼ同じ内容でした。

 この小説のテーマとしては、大部分の迎合する人と違う考えを持ち行動をしていたとしても、それが正しいことであれば、それを見ている人は必ずいて、そして報われるということでしょうか。

 小説と映画のあらすじはほぼ同じでしたね。
ただ映画では時間が限られるので、いくつか省かれる部分があるのは仕方ないですが、ラストが省かれていたのには驚きました。
不発の部分は省略だったんですね。
 また映画では空母「赤城」の威容には感動しましたね。
美しいCGの技術には驚きました!

 この本は平成の現代に生きる青年が、ゼロ戦に乗って特攻で戦死した祖父の生きざまを求めて、その証言を集めるという内容ですが、その太平洋戦争の戦闘の推移や実態だけでなく、日本の敗因、特攻の実態等についても真実に迫った内容が書かれていて、特に戦争を知らない世代にはぜひ読んで頂きたい内容だと思います。

 こういった歴史があって今の日本があり、そしてその反省を踏まえて
未来をより良くする努力が必要かと思います。

 特にこの本を読んで驚いたのは、ゼロ戦操縦士は過酷な戦いをずっと強いられていたというだけでなく、その結果、すさまじい神業の操縦士も数多くいたこと。
 そして、士官と下士官には想像以上に大きな差があり、下士官は過酷な反面、特に将官は失敗したとしても責任が問われず、それが戦争の敗因にもつながっているのではと思われていることです。
 3.11の原発問題を含めて、現在の日本の官僚にもつながっているのではないかと感じましたね。

 また、海軍の長官の勲章の査定は軍艦を沈めることが一番のポイントで、輸送船や石油タンク、艦艇修理用のドックを破壊しても査定ポイントにならなかったということには、とても驚きましたね。
 だから、真珠湾攻撃やソロモン海戦、レイテ海戦等では途中で引き上げてしまい、戦争に勝つための戦果の拡大を図れなかったんですね。

「永遠の0(ゼロ)」という本は、太平洋戦争の歴史の勉強だけでなく、これからの日本を考える上でも参考となり、読むのをとてもオススメします!

以下はこの本のポイント等です。

・飛行訓練を終えて最初に配属になったのは横須賀航空隊でした。横空に2年以上いて「赤城」の乗組員になったのは昭和16年の春でした。その時初めて新鋭戦闘機零戦に乗りました。そうです、ゼロ戦です。ただ当時私たちは新型戦闘機とかレイセンと読んでいました。-なぜ「零戦」と呼ばれたか、ですか。零戦が正式採用となった皇紀2600年の末尾のゼロをつけたのですよ。皇紀2600年は昭和15年です。今は誰も皇紀など使う人はいませんね。ちなみに、その前年の皇紀2599年に採用となった爆撃機は99式艦上爆撃機、その2年前に採用になった攻撃機は97式艦上攻撃機です。いずれも真珠湾攻撃の主力となりました。零戦の正式名称は三菱零式艦上戦闘機です。零戦は素晴らしい飛行機でした。何より格闘性能がずば抜けていました。すごいのは旋回と宙返りの能力です。非常に短い半径で旋回できました。だから格闘戦では絶対に負けないわけです。それに速度が速い。おそらく開戦当初は世界最高速度の飛行機だったのではないでしょうか。つまりスピードがある上に小回りが利くのです。本来戦闘機においては、この2つは相反するものでした。格闘性能を重視すると速度が落ち、速度を上げると格闘性能が落ちます。しかし零戦はこの2つを併せ持った魔法のような戦闘機だったのです。堀越二郎と曾根嘉年という情熱に燃える二人の若い設計者の血のにじむような努力がこれを可能にしたと言われています。また機銃は通常の7.7ミリに加えて強大な20ミリが搭載されていました。7.7ミリ機銃弾は飛行機に穴を開けるだけですが、20ミリ機銃は炸裂弾でしたから、敵機に当たると爆発します。相手は一発で吹き飛びました。ただ20ミリは発射初速が遅く、弾数が少なかったのが難点でした。しかし零戦の真に恐ろしい武器は実はそれではありません。航続距離が桁外れだったことです。3千キロを楽々と飛ぶのです。当時の単座戦闘機の航続距離は大体数百キロでしたから、3千キロというのがいかにすごい数字か想像つくでしょう。

・「真珠湾では残念なことがありました」「何でしょう」「我々の攻撃が宣戦布告なしの「だまし討ち」になったことです」「たしか宣戦布告が遅れたのでしたね」「そうです。我々は、宣戦布告と同時に真珠湾攻撃すると聞かされてきました。しかしそうはならなかったのです。理由はワシントンの日本大使館職員が宣戦布告の暗号をタイプするのに手間取り、それをアメリカ国務長官に手交するのが遅れたからですが、その原因というのが、前日に大使館職員たちが送別会か何かのパーティーで夜遅くまで飲んで、そのために当日の出勤に遅れたからだといいます。」「そうなのですか」「一部の大使館職員のために我々が「だまし討ち」の汚名を着せられたのです。いや日本民族そのものが「卑怯きわまりない国民」というレッテルを貼られたのです。我々は、宣戦布告と同時に真珠湾を攻撃すると聞かされていました。それが、こんなことに-これほど悔しいことはありません」「当時、アメリカは日本に対して強い圧力をかけていましたが、国内世論は逆に戦争突入には反対だったといいます。我々が戦前聞かされていたのは、アメリカという国家は歴史もなく、民族もバラバラで愛国心もなく、国民は個人主義で享楽的な生活を楽しんでいるというものでした。我々のように、国のため、あるいは天皇陛下のために命を捧げる心はまったくないのだ、と。山本長官は緒戦で太平洋の米艦隊を一気に叩きつぶし、そんなアメリカ国民の意気を完全に阻喪せしめおうとしたのです」「まったく逆の結果に出たわけですね」「その通りです。卑劣なだまし討ちにおり、アメリカの世論は「リメンバー・パールハーバー」の掛け声と共に、一夜にして「日本撃つべし」と変わり、陸海軍にも志願者が殺到したということです」「更にいえば、戦術的にも大成功だったかと言えば、実はそうとも言えなかったのです。それは第三次攻撃隊を送らなかったことです。我が軍はたしかに米艦隊と航空隊を撃滅しましたが、ドックや石油備蓄施設、その他の重要な陸上施設を丸々無傷で残したのです。これらを完全に破壊しておれば、ハワイは基地としての機能を完全に失い、太平洋の覇権は完全に我が国のものとなっていたでしょう。飛行隊長たちは第三次攻撃を具申しました。しかしそれは受け入れられませんでした。司令長官南雲忠一中将は退却を選んだのです。今にして思えば、南雲長官は指揮官の器ではなかったと思いますな。その後、太平洋の至るところで、日本海軍は何度も決定的なチャンスを逃しますが、これらはすべて指揮官の決断力と勇気のなさから生じていると思います」

・ミッドウェーの作戦は米軍にすべて筒抜けだったのです。それは暗号が解読されていたからです。ただ、この時米軍の暗号解読チームも、日本軍の攻略目的地「AF」と呼ばれている場所がどこなのかはわからなかったのです。そこで米軍はミッドウェーの基地から平文で「蒸留装置が故障して真水が不足している」とニセ電文を送ったのです。日本軍はその日のうちに「AFは水が足りない様子」と暗号で送り、そこで米軍は「AF」がミッドウェーであることを知ったわけです。米軍は手ぐすね引いて我が軍を待ち伏せていたのです

・曳痕弾というのは燃えながら飛んでいく弾で、機銃弾4発の中に1発入っています。光りながら飛んでいくので、弾道が確認でき、搭乗員はそれを見ながら照準を修正していくのです。敵機の機銃にも曳痕弾はあり、撃たれた場合は曳痕弾がこちらに向かって飛んで来るのが見えます。

・草の陰から一人の男が何かを持ち上げています。男は宮部小隊長でした。小隊長は上半身裸になり、右手で壊れた飛行機の機銃の銃身を掴み、それを何度も持ち上げていました。私はこっそり忍び寄った手前、名乗りを上げるわけにもいかず、それを覗き見るはめになりました。宮部小隊長は全身を真っ赤にさせていました。最後は、悲鳴のような声まで上げました。しばらく休止すると、今度は近くの木の枝に足を引っかけ、逆さ吊りのような格好になりました。そしてその姿勢のままひたすら耐えているのです。顔が真っ赤になり、額の血管が浮き出てくるのが見えました。今にも破裂するのではないかと思えたほどでした。どれほどやっていたのでしょうか。覚えていませんが、とてつもなく長い時間そうやっていたと思います。ようやく私にも宮部小隊長がなぜそんなことをやっているかがわかりました。空戦のための鍛錬です。戦闘機は旋回や宙返りする時には、Gがかかってものすごく操縦桿が重くなります。Gというのは操縦中にかかる重力のことです。戦闘機乗りは重くなった操縦桿を片手で操りながら、戦うわけです。私たちも普段から腕の力を鍛えるために腕立て伏せや懸垂は欠かしませんでしたが、こんな鍛錬は見たことがありません。また逆さ吊りは、これも空戦のさなかの旋回と宙返りの時に頭に血が上る時のための鍛錬でしょう。宮部小隊長が立ち去った後、私は小隊長の持っていた銃身を掴んで持ち上げようとして唖然としました。まったく持ち上がらないのです。どれほど力を込めても、銃身は地面に張りついたように動かないのです。

・艦隊司令長官にとって最高の名誉である金し勲章のための査定ポイントで、最も大きいものは海戦によって軍艦を沈めることだそうです。戦艦を最高点として、以下、巡洋艦、駆逐艦と続いていくらしいですが、輸送船などは何隻沈めてもまったく点数にならないそうです。しかし艦艇を失えば大きなマイナスになります。三川長官が巡洋艦並びに駆逐艦を撃沈した後、輸送船など目もくれずにとっとと引き上げたのはそのためか、というのは言い過ぎでしょうか。とにかく三川艦隊の撤退はガダルカナルの戦いで大きな悔いを残しました。

・昭和17年の後半から米軍の零戦に対する戦い方が変わりました。これまでも米軍は零戦にまともに向かってくることは少なかったのですが、17年以降ははっきりと零戦との格闘を避け始めました。徹底した一撃離脱と、そして二機一組の攻撃、こうした米軍の新戦法は我々を戸惑わせました。戦後かなり経ってから知ったことですが、米軍は17年の7月に無傷の零戦を手に入れ、それを調べることによって、対零戦の戦法を編み出していたのでした。

・米軍の航空関係者はテストの結果に愕然としたと言われています。イエローモンキーと馬鹿にしていたジャップが、真に恐るべき戦闘機を作り上げていたことを知り、驚いたのです。そして彼らは、現時点において零戦と互角に戦える戦闘機は我が国には存在しないということを認識したといいまう。それは彼らにとって恐るべき答えだったようです。しかし米軍は同時に零戦の弱点も見抜きました。防弾装備が皆無なこと、急降下速度に制限があること、高空での性能低下などです。そして米軍は零戦の弱点を徹底的に突く戦法を編み出したのです。米軍は零戦に対してしてはならない「3つのネバー」を全パイロットに指示したそうです。すなわち「ゼロと格闘してはならない」「時速300マイル以下で、ゼロと同じ運動をしてはならない」「低速時に上昇中のゼロを追ってはならない」の3つです。この「ネバー」を犯した者はゼロに墜とされる運命になる、と。こうして米軍は零戦に対して徹底した一撃離脱戦法に切り替えました。そして一機の零戦に対して必ず二機以上で戦うことが義務付けられました。この戦法を可能にしたのは米軍の物量でした。戦闘機の大量生産をバックにしたこうした新戦法の前に我々は消耗させられていったのです。

・ガダルカナル島の空戦で撃墜された米機の搭乗員が我が駆逐艦に拾われ、そのまま捕虜になったのですが、彼の話は驚きでした。何と彼らは一週間戦えば後方にまわされ、そこでたっぷり休息を取って、再び前線にやってくるというものでした。そして何ヶ月か戦えば、もう前線から外される、と。その話を漏れ聞いた時は、我々搭乗員たちは何とも言えない気持ちになりました。我々には休暇などというものはなかなか与えられません。連日のように出撃させられるのです。実際、熟練搭乗員も櫛の歯が欠けるように減っていきました。いや、むしろ熟練搭乗員から死んでいきました。というのは経験の浅い搭乗員だと撃墜されて貴重な飛行機を失う可能性が高いという理由で、熟練搭乗員が優先的に出撃されたのです。搭乗員よりも飛行機を大事にしたのです。繰り返しますが、片道3時間以上の距離を移動して、敵の待ちかまえる空で中攻隊を援護しつつ戦い、また3時間以上かけて戻るのです。それが連日繰り返されるのです。体力、集中力の低下は免れません。我々は一度でもミスしたら終わりなのです。失敗は繰り返さなければいいという甘い世界ではないのです。一度の失敗が、すべてを終わらせてしまうのです。

・トニーは悪戯っぽく笑いました。「だが、俺も含めてみんなゼロに墜されている。スミス、カール、フォス、エバートン、海兵隊の誇るエースたちはたいてい一度はゼロに墜とされているんだ。日本のエース、ジュンイ・ササイを撃墜したカールだってやられている。俺たちが生きているのはホームで戦ったからだ」「そうか、笹井中尉を撃墜したマリオン・カールも一度は撃墜されたのか」トニーは頷きました。「ゼロのパイロットはすごかった。これはお世辞ではない。何度も機体を穴だらけにされた俺が言うんだ。本物のパイロットが何人もいた」私は思わず涙がこぼれました。彼は驚いたようでした。「ラバウルの空で死んでいった仲間たちが今の言葉を聞けば、喜ぶと思う」彼は何度も頷きました。

・その秘密兵器は「近接新管」と呼ばれるものだった。「マジックヒューズ」とか「VTヒューズ」というあだ名を持つこの信管は、砲弾の先が小型レーダーになっていて砲弾の周囲何十メートルか以内に航空機が入ると、その瞬間に信管が作動して爆発するという恐ろしい兵器だった。これらもすべて戦後何年も経ってから知った。米軍はこの「VTヒューズ」の開発にマンハッタン計画と同じくらいの金をかけたという。マンハッタン計画とは原爆の開発計画だ。それを知った時、米軍と日本軍の思想はまったく違うものだったのだと知った。「VTヒューズ」は言ってみれば防御兵器だ。敵の攻撃からいかに味方を守るかという兵器だ。日本軍にはまったくない発想だ。日本軍はいかに敵を攻撃するかばかりを考えて兵器を作っていた。その最たるものが戦闘機だ。やたらと長大な航続距離、素晴らしい空戦性能、それに強力な20ミリ機銃、しかしながら防御は皆無。「思想」が根本か違っていたのだ。日本軍には最初から徹底した人命軽視の思想が貫かれていた。そしてこれがのちの特攻につながっていったに違いない。日本軍は、当時この「VTヒューズ」のことはまったく気づいていなかった。だが生き残った彗星鑑爆隊の連中は本能的に「VTヒューズ」の仕組みを知ったようだった。「突然、目の前で爆発するんだ。砲弾が俺たちの近くに来ると爆発する仕掛けk何かがあるようだ」これは帰還した彗星鑑爆のある操縦員がわしに言った言葉だ。彼は真珠湾以来の生き残りの鑑爆乗りだった。それだけに言葉に重みがあった。しかし参謀たちは、前線の搭乗員たちがいくら言おうと、謎の新兵器の存在を信じようとしなかった。ただ対空砲火の数を増やしたのあろうというくらいにしか考えなかったようだ。もっとも仮に「VTヒューズ」のことを知ったとしても効果的な対策が練られたとも思えない。

・わしが到着してしばらくしたある夜、下士官以下の搭乗員が総員、指揮所前に集合させられた。集まった搭乗員を前にして、副長は言った。「諸君に集まってもらったのは他でもない。今、日本は未曾有の危機である。戦況は極めて厳しいと言わざるを得ない。そこで、今後は、米軍に対して必殺の特別攻撃を行う」どういう意味かすぐにわかった。体当たり攻撃せよというのだ。「しかし特別攻撃は十死零生の作戦であるから、志願する者だけがこれに参加することとする」空気が張りつめた。息をするのも苦しいような重い静寂が指揮所の周囲を覆った。「志願する者は一歩前へでろ!」副長の横にいた士官が大声で言った。しかし誰も動かなかった。はい、そうですかと動けるものではない。「今ここで、死ぬ者は名乗りを上げよ」と言われて、即答出来るはずがない。いかに死を覚悟していようと、そのことは別だ。「行くのか、行かないのか!」一人の士官が声を張り上げた。その瞬間、何人かが一歩前に進んだ。つられるように全員が一歩前に進んだ。わしも気がつけば皆に合わせていた。戦後になって、この時の状況が書かれた本を読んだ。士官の言葉に搭乗員たちが我先に「行かせてください」と進み出たことになっていたが、大嘘だ!そう、あれは命令ではない命令だった。考えて判断する暇など与えてくれなかった。わしらは軍人の習性として、上官の言葉に反射的に従ったようなものだ。

・特別攻撃隊は「神風特別攻撃隊」と名付けられた。カミカゼではない、その時は「しんぷう」と読んだ。もっともそれ以降は「かみかぜ」と呼ばれるようになっていたが。そして隊ごとに「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と命名された。これは本居宣長の「敷島の大和心を人とはば朝日にほふ山桜花」という歌を由来にしたものだった。

・関大尉たちの敷島隊の5機は全機体当たりに成功し、護衛空母を3隻大破させるという大戦果を挙げた。このことはセブ島基地からの電報でわかった。史上初の特攻は大成功に終わったのだ。戦果報告をしたのは西澤飛曹長だった。なお、この時の西澤の報告は非常に正確なもので、戦後、米軍の発表では一隻沈没、二隻大破というものだった。西澤飛曹長は敵戦闘機から敷島隊を守りきり、対空砲火の猛火の中でその突入を見届けた上、追いすがるグラマンF6Fを二機撃墜して、セブ島の基地にたどり着いたのだった。これは後にセブ島の基地にいた搭乗員から聞いた話だが、零戦から降り立った西沢飛曹長のまとう異様な殺気に誰も声をかけられなかったという。ちなみに終戦まえ行われた航空特攻作戦だが、この時の攻撃が最大の戦果を挙げたものだった。米軍の意表を衝いたことがもっとも大きな成功要因だったが、西澤という日本海軍随一の戦闘機乗りが援護したということも大きな理由だっただろう。皮肉なことに、この時の大戦果が軍令部に「特攻こそ、まさに切り札」と信じさせたかもしれない。

・翌日、マバラカット基地に戻ろうとした西澤飛曹長に、基地の指揮官は「零戦を残して置け」と言い、搭乗員だけでマバラカットの基地に戻ることを命じた。西澤は他の二人の搭乗員とともにダグラス輸送機に乗りマバラカットに向かった。そして、その輸送機が敵戦闘機に撃墜されたのだ。米軍パイロットたちか「ラバウルの魔王」と怖れられた男のあっけない最期だった。西澤はどれほど無念だったことだろう。零戦の操縦桿を握っていれば絶対に墜とされることはなかったはずの男が、生涯最後に乗っていたのは、武器を持たない鈍足の輸送機だったのだ。こうして日本海軍の生んだ最高の撃墜王が、特攻の翌日に死んだ。24歳の若さだった。

・関大尉は軍神として日本中にその名を轟かせた。関大尉は母一人子一人の身の上で育った人だった。一人息子を失った母は軍神の母としてもてはやされたという。しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として、人々から村八分のような扱いを受け、行商で細々と暮らし、最後は小学校の用務員に雇われて、昭和28年に用務員室で一人寂しく亡くなったという。「せめて行男の墓を」というのが最後の言葉だったという。戦後の民主主義の世相は、祖国のために散華した特攻隊員を戦犯扱いにして、墓を建てることさえ許さなかったのだ。

・戦争が終わって村に帰ると、村の人々のわしを見る目が変わっていた。けがれたものでも見るような目で眺め、誰もわしに近寄ろうとはしなかった。村人たちは陰でわしのことを「あいつは戦犯じゃ」と言っていた。ある日、川の土手を歩いていると、村の子供たちが「戦犯が歩きよる」と言ってわしに向かって石を投げた。悔しくてたまらなかった。昨日まで「鬼畜米英」と言っていた連中は一転して「アメリカ万歳」「民主主義万歳」と言っていた。村の英雄だったわしは村の疫病神になっていたのだ。父は亡くなっていて、わしは跡を継いだ兄の家の離れで加江と暮らしていたが、兄は明らかにわしを厄介者扱いにした。誰かが流したデマだろうが、真珠湾攻撃に参加したパイロットは戦犯として絞首刑になるという噂が広まった。戦犯を匿った者や村も罰せられると。それを聞いたわしは腹をくくった。そんなある日、兄が5升の米を餞別代わりにくれ、これで東京へ逃げろと言った。体のいい追い出しだった。

・わしは自分で商売することを決めた。様々な商売に手を出した。何度もだまされ、何度も裏切られた。戦後の人々は戦前の人々とはまるで違う人たちだった。人にだまされた夜、戦争で死んだ戦友たちを思いだし、彼らの方が幸せかもしれないと思ったこともあった。こんな日本を見なくてすんだ彼らの幸運を羨んだ。しかしそれは終戦直後の混乱と貧困による一時的なものだった。多くの日本人には人を哀れむ心があり、暖かい心を持っていた。自分が生きるのでさえ大変な時にも人を助けようとする人がいた。だからこそ、わしたち夫婦もあの悲惨な時代を生き延びることができたのだと思う。東京に小さいながらもビルを持てたのも多くの人に助けられたからだ。本当に日本人が変わってしまったのはもっとずっと後のことだ。日本は民主主義の国となり、平和な社会を持った。高度経済成長を迎え、人々は自由と豊かさを謳歌した。しかしその陰で大事なものを失った。戦後の民主主義と繁栄は、日本人から「道徳」を奪ったと思う。今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている。60年前はそうではなかった。

・「弱気というのか、慎重というのか-たとえば真珠湾攻撃の時に、現場の指揮官クラスは第三次攻撃隊を送りましょうと言ってるのに、南雲長官は一目散に逃げ帰っている。珊瑚海海戦でも、敵空母レキシントンを沈めた後、井上長官はポートモレスビー上陸部隊を引き揚げさせている。もともとの作戦が上陸部隊支援にもかかわらずよ。ガダルカナル緒戦の第一次ソロモン海戦でも三川長官は敵艦隊をやっつけた後、それで満足して敵輸送船団を追いつめずに撤退している。そもそもは敵輸送船団の撃破が目的だったのに。この時、輸送船団を沈めていれば、後のガダルカナルの悲劇はなかったかもしれない。ハルゼーが言っていたらしいけど、日本軍にもう一押しされていたらやられていた戦いは相当あったようよ。その極めつけが、レイテ海戦の栗田長官の反転よ」「なぜ、そんなに弱気な軍人が多いの」と僕は聞いた。「多分、それは個人の資質の問題なのだろうけど、でも海軍の場合、そういう長官が多すぎる気がするのよ。だからもしかしたら構造的なものがあったと思う」「将官クラスは、海軍兵学校を出た優秀な士官の中から更に選抜されて海軍大学校を出たエリートたちよ。言うなれば選りすぐりの超エリートというわけね。これは私の個人的意見だけど、彼らはエリートゆえに弱気だったんじゃないかって気がするの。もしかしたら、彼らの頭には常に出世という考えがあったような気がしてならないの」「出世だってー戦争しながら?」「うがちすぎかもしれないけど、そうとしか思えないフシがありすぎるのよ。個々の戦いを調べていくと、どうやって敵を撃ち破るかではなくて、いかにして大きなミスをしないようにするかということを第一に考えて戦っている気がしてならないの。たとえば海軍の長官の勲章の査定は軍艦を沈めることが一番のポイントだから、艦艇修理用のドックを破壊しても、石油タンクを破壊しても、輸送船を沈めても、そんなのは大して査定ポイントが上がらないのよ。だからいつも後回しにされる-。「でも、だからって、出世を考えていると言うことはないんじゃないかな」「確かにうがちすぎた考えかもしれない。でも十代半ばに海軍兵学校に入り、ものすごい競争を勝ち抜いてきたエリートたちは、狭い海軍の世界の競争の中で生きてきて、体中に出世意欲のことが染みついていたと考えるのは不自然かな。特に際立った将官クラスはその気持ちが強かったように思うんだけど-。太平洋戦争当時の長官クラスは皆、50歳以上でしょう。実は海軍は日本海海戦から40年近くも海戦をしていないのよ。つまり長官クラスは海軍に入ってから、太平洋戦争までずっと実戦を一つも経験せずに、海軍内での出世競争だけで生きてきた-。

・「当時の海軍について調べてみると、あることに気がついたのよ。それは日本海軍の人事は基本的に海軍兵学校の席次、ハンモックナンバーって言うらしいけど、それがものを言うってこと」「卒業成績が一生を決めるってことだね」「そう。つまり試験の優等生がそのまま出世していくのよ。今の官僚と同じね。あとは大きなミスさえしなければ出世していく。極論かもしれないけど、ペーパーテストによる優等生って、マニュアルにはものすごく強い反面、マニュアルにない状況には脆い部分があると思うのよ。それともう一つ、自分の考えが間違っていると思わないこと」「戦争という常に予測不可能な状況に対する指揮官がペーパーテストの成績で決められていたというわけか」「私は、日本海軍の脆さって、そういうところにあったんじゃないかなと思うの。」

・「アメリカはどうなの?」「出世に関してはアメリカも同じみたいね。海軍大学の卒業席次が大きくものを言う。ただしそれはあくまで平時の場合で、いざ戦争になったら、戦闘の指揮に優れた人物が抜擢されるらしいの。太平洋艦隊司令長官のニミッツは何十人とごぼう抜きしたわ。もちろん失敗の責任もきちんと取らされる。日本軍の攻撃によって真珠湾の艦隊を撃滅されたことで、太平洋艦隊司令長官のキンメルは解任された上に、大将から少将に降格させられている。真珠湾での敗北は、はたしてキンメルの責任なのかどうか微妙なんだけど、アメリカ軍には、失敗にはきっちりと責任を取らせるというケジメがあるみたい。もう一つ、アメリカ海軍に弱気な指揮官はほとんどいない。皆、驚くほどアグレッシブよ」

・「日本海軍の高級士官たちの責任の取り方だよ。彼らは作戦を失敗しても誰も責任を取らされなかった。ミッドウェーで大きな判断ミスをやって空母4隻を失った南雲長官しかり。マリアナ沖海戦の直前に、抗日ゲリラに捕まって重要な作戦書類を米軍に奪われた参謀長の福留中将しかり。福留中将は敵の捕虜になったのに、上層部は不問にした。これが一般兵士ならただではすまなかったはずだ。」「兵士には、捕虜になるなら死ねと命じておいて、自分たちがそうなった時は知らん顔するのね」「高級エリートの責任を追及しないのは陸軍も同じだよ。ガダルカナルで馬鹿げた作戦を繰り返した辻政信も何ら責任を問われていない。信じられないくらい愚かなインパール作戦を立案して3万人の兵士を餓死させた牟田口中将も、公式には責任をとらされていない。ちなみに辻はその昔ノモンハンでの稚拙な作戦で味方に大量の戦死者を出したにも関わらず、これも責任は問われることなく、その後も出世し続けた。代わって責任は現場の下級将校たちが取らされた。多くの連隊長クラスが自殺を強要されたらしい」「ひどい!」「ノモンハンの時、辻らの高級参謀がきちんと責任を取らされていたら、後のガダルカナルの悲劇はなかったかもしれない」「でも、どうして責任を取らされないの?」「もしかしたら官僚的組織になっていたからだと思う」「そうか-責任を取らされないのは、エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね。仲間の失敗を追求すれば、自分が失敗した時に跳ね返ってくるってわけね」「それはあったと思う。インパール作戦で牟田口の命令に反して兵を撤退させた佐藤幸徳師団長は軍法会議にかけられず、心神喪失ということで、不問にされた。軍法会議を開けば、牟田口総指令官の責任問題に及ぶ。だから牟田口をかばうために、佐藤師団長の気がふれたことにして、軍法会議は行われなかったんだと思う。更に言うと、軍法会議になると、牟田口の作戦を認めた大本営の高級参謀たち、つまり自分たちにも責任が及ぶからだ。ちなみに牟田口のインパール作戦を認めた彼の上官、川辺中将は大将に昇級している」「責任の話のついでに言うと、真珠湾攻撃の時、山本五十六長官が「くれぐれもだし討ちにならぬように」と言い残して出撃したにもかかわらず、宣戦布告の手交が遅れて、結果的に卑怯な奇襲となってしまった原因は、ワシントンの駐米大使館員の職務怠慢だったって話したこと覚えてる?あの後、気になって調べたら、戦後、責任者は誰もその責任を取らされていない」「たしか上の人たちって、パーティーか何かしてたのよね」「そう、送別会で飲みまくって、翌日の日曜日に遅れてやってきたんだ。前日に外務省から「対米覚書」という13部からなる非常に重要な予告電報が送られていたにも関わらず、それをタイプすることもしないでパーティーで遊んでいたんだ。翌朝届いた宣戦布告の電報を見て、慌てて「対米覚書」からタイプにとりかかったが、遅れに遅れて、それをハル国務長官に手交したのは真珠湾攻撃開始後だった。宣戦布告の電報だけなら、わずか8行だったのに」「懲戒免職もののミスね」「それ以上だよ。そのミスのせいで「日本人は卑怯なだまし討ちをする民族」という耐え難い汚名を着せられたんだ。それがどれほど大きいものか。たとえばアメリカには原爆を使用したことに関して「卑怯な日本に当然の仕打ちだ」という主張があるんだ。9.11の時もアメリカのマスメディアは「このテロは真珠湾と同じだ!」と言ったらしい。日本という国にこれほどの汚辱を与えたにも関わらず、当時の駐米大使館の高級官僚は誰も責任を問われていない。あるキャリア官僚はノンキャリの電信員のせいにしようとした。前日「泊まりこみましょうか」と申し出た人をだ。それを「不要」と帰らせた男が、戦後、彼に責任をなすりつけようとしたんだ」「結局、当時の高級官僚は誰も責任を取らされていないばかりか、何人かは戦後、外務省の事務次官にまで上り詰めている。もしこの時、彼らの責任をしっかりと問うていれば日本人の「卑怯な民族」という汚名はそそがれ、名誉は回復されたかもしれない。アメリカ人も「あれはだまし討ちではなかったのだな」と理解したはずよ。しかし今に至るも外務省は公式にミスを認めていないから、国際的には、真珠湾奇襲は日本人のだまし討ちということになっている」

・訓練中も私たちが乗るのは「赤トンボ」と呼ばれる複葉の練習機か旧式の96式艦戦だった。それらの練習機に粗悪なガソリンや松の根から取った松根油、エチルアルコールなどを使って飛んでいたのだ。後に聞いたが、実戦機にもオクタン価の高い航空ガソリンは使えなかったそうだ。余談だが、戦後、米軍が日本の戦闘機の性能テストをした時、陸軍の四式戦闘機に米軍の高オクタンのガソリンを入れるとP51ムスタングよりも高い性能を示したという。P51は第二次大戦の最強戦闘機と言われている飛行機だ。その話を聞いた時、つくづく戦争とは総合力だと思った。一つ二つが優れていても、どうにかなるものではない。

<目次>
プロローグ
第1章 亡霊
第2章 臆病者
第3章 真珠湾
第4章 ラバウル
第5章 ガダルカナル
第6章 ヌード写真
第7章 狂気
第8章 桜花
第9章 カミカゼアタック
第10章 修羅場
第11章 最期
第12章 流星
エピローグ

面白かった本まとめ(2013年下半期)

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「ボンディ(東京 神保町)」でカレーを堪能!

2014年03月05日 01時00分00秒 | 外食
<水曜は食べ物のおはなし>

 東京の神保町といえばカレー店が有名ですが、その中でも人気のボンディに初めて行ってきました。
 今では支店がたくさんあるようですが、この神保町が本店とのことです。

 場所は東京メトロ神保町駅及び神保町交差点すぐの靖国通り沿いのビル2Fですが、靖国通り側からは入れず、裏手に回って入店するとは驚きました^_^;)
 裏手入口には自転車がたくさん置いてあり、壁には雑居ビル用の郵便ポストがたくさんありましたね。
1階は神田古書センターとなります。

1img_2736
↑ビル裏側の入口

エレベーターもありますが2階なので階段で上がります。
店の入口までの通路にはたくさんイスが置かれていて、ランチ時などでは行列ができるようです。

2img_2722
↑店の入口

平日の17:40頃に訪れたのですが、結構混雑しているのには驚きました。
一人だったので相席となりますが、女性の一人客も多いのには驚きましたね。
かなり人気なお店のようです。

 店内は、木でできた大きな彫刻がありますが1978年と彫られていてるので、35年以上経つようですね。
油絵もあります。
老舗のようですが、店内の壁は白色できれいで、かなり清潔感があるのは嬉しかったですね。
BGMとしては、ずっとビートルズが流れているようです。

3img_2732
↑店内

 テーブルの上には、カレー店らしく、干しぶどうやらっきょう、漬け物が入った入れ物がありました。

さっそくメニューをみます。

4img_2724
↑メニュー

ビーフカレー、ポークカレー、チキンカレーそれぞれ1450円とありどれを選ぶか悩みますが、ミックスカレー1600円があったので、それにします。
チッキン・エビ・アサリが入っていてお得感がありますね。
しかも+150円でソースとライスを大盛りにすることができたので、大盛りで注文します。
また辛さを甘口・中辛・辛口から選びますが、中辛を選びました。
最近辛口が苦手になってきたためです・・・。

それから、このお店に行くのであれば、このお店のホームページからコーヒー無料券を印刷しておくことをオススメします!
その印刷した紙を渡すと快く対応してくれ、コーヒーもしくは紅茶のホットかアイスを選べました。
ホットコーヒーを頼みましたが、350円相当が無料になるのは嬉しいですね。

 オーダーしてすぐに、アツアツの皮付きジャガイモが2個運ばれたのには驚きました^_^)
バターも添えられていました。
神保町のカレー店では、このようにジャガイモが前菜として提供されることが結構多いですね。
このジャガイモは、一応前菜としてもいいし、カレーと一緒に食べても美味しいようです。
前菜として頂きましたが、想像以上にジャガイモが甘く、美味しいです。
皮のまま美味しく頂きました^_^;)

5img_2725
↑アツアツジャガイモ

そして食前にお願いしていたコーヒーも運ばれます。
想像以上にしっかりとした味で美味しいです!
最近コーヒーが健康に良いと見直されているので、よく飲むようになりましたね。
 味にはうるさくなったと自分では思っているのですが、ボンディのコーヒーはかなりの美味しさです。
無料だから美味しく感じるのかな^_^;)

6img_2726
↑コーヒー

そして、ミックスカレーが運ばれます。

7img_2727
↑ミックスカレー

ライスとソースが結構なボリューム!
ライスが黄色になっているのは、チーズがかなり織り込まれているためです。

スプーンでソースをライスの上にたっぷりかけますが、十分なソースの量です。
ソースには、たっぷりのチキンとエビとアサリ(ホタテ?)が入っています。

 中辛を選んだのですが、適度な辛さで、そしてかなり煮込まれていうようでチキンはとても柔らかく濃厚な味で、さすが人気店の味ですね!
エビも大きく歯ごたえがあります。
アサリの量が多いのも嬉しいですね~。
あまり美味しくてついついバクバク食べてしまいます^_^)

しかし、ちと量が多かったですね。
かなりお腹いっぱいになりました。
大盛りにする必要はなかったかもしれません。

ボンディは入口は分かりにくいですが、じっくり煮込まれた濃厚で美味しいカレーを堪能でき、とてもオススメです!
ぜひコーヒー券も印刷して行きましょう!


美味しかったものまとめ(2013年下半期)

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ボンディ 神保町本店

夜総合点★★★☆☆ 3.6
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関連ランキング:欧風カレー | 神保町駅九段下駅竹橋駅



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PHILIPS SoundShooter SBT30 ワイヤレスポータブルスピーカーはとてもオススメ!

2014年03月03日 01時00分00秒 | 良い物・サービス
<月曜はお勧めなおはなし>

「PHILIPS SoundShooter SBT30 ワイヤレスポータブルスピーカー」の購入はコチラ

 私は不思議なことにビンゴ大会ではよく当選するのですが(宝くじなどは全然当たらない^_^;))、最近ビンゴ大会で頂いたPHILIPS SoundShooter SBT30(フィリップス サウンドシューター SBT30)ワイヤレスポータブルスピーカーが想像以上に優れものだったので紹介したいと思います。

 この製品の色は黒色で、まさに手榴弾のような大きさと形には驚きましたが、実はBluetoothでワイヤレス接続できるスピーカーです。(色は黒色だけでなくピンク色や青色、紫色もあります。明るい色も良さそうですね。)
 ネオジウムドライバーを搭載しているため、想像以上にパワフルで良い音が、上方向に響きます。
コンパクトの割に音が良いので、とても感動しましたね^_^)凄い!

 残念ながら我が家ではBluetooth機能を持った音楽機器は持っていないので、ワイヤレスではまだ体験できていませんが、付属のケーブルを用いてiPodの音楽を楽しんでします。
付属のケーブルは二股となっていて、1本のケーブルでUSB充電と音楽再生の両方ができるのは便利です。
ただケーブルをつなぐだけで、すぐ音楽を楽しめるのは操作が簡単でとても良いですね。
ボリューム調整はiPodですることになります。

 また150gと軽く、1回2.5時間の充電で8時間もの連続再生が可能なので、カジュアルに音楽を長時間楽しめ、またカラビナフックが付いているのでリュックやズボンに取り付ければ持ち運びにも便利で、とても重宝します。
 特にズボンに取り付ければ、台所や洗濯仕事を続けながら室内で音楽を楽しめるというのはとても嬉しいですね。
またリュックに取り付けて、サイクリングでも楽しめそうです。
ピクニックにも手軽に持って行けて良さそうですね。

なお、マイク内蔵のため、スマートフォン接続でハンズフリー電話もできるとのことです。

それから、本体には傷がつきにくいラバーカバーを採用されていて、 カバーは取り外して洗うことが可能とのことです。
ただ、本体は防滴、防水加工ではないので、風呂場や雨の中では使用できないのは注意が必要です。

お値段はAmazonでは3980円でした。
このお値段で良い音楽をカジュアルで楽しめるのはコストパフォーマンスが高いと思います。
PHILIPS SoundShooter SBT30 ワイヤレスポータブルスピーカーは、とてもオススメです!!

<スペック>
本体色:ブラック、ピンク、ブルー、パープル
充電時間:2.5時間(USB電源使用時)
連続稼働時間(満充電時):約8時間(Bluetooth使用時)
本体質量:150g
サイズ:67(W) × 66(D) × 82(H)mm
定格出力:2W
本体材質:ABS樹脂
付属品:本体、二股ケーブル(USB、micro USB、AUX-inジャック対応)、カラビナフック、取扱説明書


お勧めなお話(2013年下半期)
自動車保険を安く!

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