いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

プルミエアベニュー(川崎市 溝の口)のランチはとてもオススメ!

2015年09月30日 01時00分00秒 | 外食
東急田園都市線「溝の口駅」東口から徒歩約5分のところに、小鳥たちのさえずりに心地よい森の香、西洋の街並みを魅せるフィオーレの森があり、その入口にあるプルミエアベニューでランチを楽しんで来ました!


↑店の入口

ミシュランガイド2015にも掲載され、食べログの評価も高いお店です。
店内はかなり清潔で白色が綺麗です。
お店の方もかなり丁寧に笑顔で接客してくれ、好印象です^_^)
料理の途中でも結構楽しく話しかけてくれます。
近くに音楽大学があるせいか、夜は音楽会も催されるようです。
話の流れで演奏家の巨匠?と勘違いされたようで、ちょっと楽しく困りました^_^;)

メニューを見てランチMenuB2,820円を選びます。
せっかくなので前菜とメインがあるものです。
内容としては以下となります。

・petit potage(小さな季節のポタージュ)
・自家製パン
・Entree(前菜)
・Plat(メイン料理)
・食後のお飲み物

最初にかぼちゃの冷たいスープが運ばれましたが、顔の形になっているのには笑いました^_^)
ただこれはわざとではなく、偶然のようです。
宇宙人のようです^_^;)
もちろん、ひんやりして、夏の暑い季節なので体が涼しくなりとても美味しいです!


↑かぼちゃの冷たいスープ

そして、前菜はヒラマサの刺身のサラダを頼んだのですが、野菜がボリュームたっぷりで嬉しい!
写真では分かりませんが、ヒラマサの刺身もふんだんに入っていて美味しいです!
これは見た目も美しくて素晴らしいですね!
もちろん美味しいです!


↑前菜

そして、メインは牛肉のハツ(心臓)で、これもまたたっぷりの野菜に囲まれて、そしてお肉のボリュームもたっぷり!
さすが見た目の美しさもよく、美味しいですね!
さすがミシュラン2015に選ばれるだけはあります!


↑メイン

最後に、紅茶を美味しく頂きました!
おそらくダージリンだと思います。


↑紅茶

プルミエアベニューは、綺麗な店内で、外の緑たっぷりの景色もよく、そして接客も素晴らしく、そして料理も美しくで美味しく、良い思い出となりました。
素晴らしいと思います。
とてもオススメです!!

美味しかったものまとめ(2015年上半期)

<今日の独り言>
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プルミエアベニューフレンチ / 武蔵溝ノ口駅溝の口駅梶が谷駅

昼総合点★★★★ 4.1

コメント (2)
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東海道五十三次 街道をゆく 東戸塚~藤沢宿 (2)戸塚宿~八坂神社

2015年09月28日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第5回目の東戸塚~藤沢宿の(2)戸塚宿~八坂神社編について紹介したいと思います。

 これから戸塚宿となります。

戸塚宿の成立は1604年で、隣の宿である藤沢や保土ヶ谷の宿が成立した1601年には3年遅れたようです。

というのは、柏尾川がたびたび氾濫して洪水が多かったというのもその理由のようです。

しかしながら、保土ヶ谷宿~藤沢宿間が比較的長いことと「権太坂」と「大坂」の二つの難所に挟まれていること、江戸の日本橋から5番目の宿場町で、距離は10里半(約42km)と、江戸を朝出発した当時の旅人の一番目の宿泊地として最適であり、さらに鎌倉への遊山の道、大山参詣の道の分岐の宿として大変な賑わいを見せたことから成立したようです。

戸塚宿の本陣は2、脇本陣は3、旅籠は75軒と東海道五十三次の宿場の中では10番目に宿泊施設の多い宿場だったとのことです。

なお、当時の東海道五十三次の双六(すごろく)では、江戸を出発すると戸塚でほとんどの人が泊まるので、戸塚は「一回休み」というものが多かったようです^_^)

 それからよく「不届き者!」(東京ディズニーシーのインディジョーンズのアトラクションでもたまに言われますね^_^;))と言いますが、この不届きというのは、当時の人馬制度で届出がない無許可のな商売のことで、とくにこの戸塚宿は隣の宿より3年成立が遅れたので、当初は不届き者が多かったようです^_^;)
「この不届き者めが!」と言われて捕まっていたようです^_^;)

旧東海道を歩いているとフォルクスというファミレスがあり、そこに昔は江戸方の見附があったとのことです。
この見附からが戸塚宿になるとのことです。
その石碑がありました。


↑戸塚宿の見附

それから、この辺りを歩いていると、マンホールが浮世絵っぽくなっていて、そして箱根駅伝のランナーが走っているカラーの柄で驚きましたね^_^)
なかなか良いと思います。


↑マンホール

それから、吉岡の一里塚跡がありました、江戸の日本橋から10番目なので約40kmとなります。
もうすっかり都市化され、一里塚の面影はまったく見ることはできませんね。


↑吉田一里塚跡


↑戸塚一里塚跡の説明

それから、戸塚の有名な安藤広重の浮世絵の吉田大橋に到着しました。
橋には4枚のカラーの浮世絵を見ることができます。
ちなみにこの浮世絵の「こめや」と書かれている看板は、どこかに現存しているとのことです^_^)


↑戸塚の浮世絵

現在の吉田大橋は昭和55年に堤防ができて、昭和61年に橋が完成したとのことです。
伊勢湾台風や関東大震災の時にも壊れた歴史を持つようです。
この柏尾川は約1kmで1mの高低差しかなく、しかも川幅が狭くてそもそも洪水がおきやすい条件だったようです。
なお、現在の吉田大橋の照明は、当時の大名行列の先頭のぼんぼりをイメージしているとのことです。なるほど・・・


↑現在の吉田大橋の照明

それから、内田本陣跡、脇本陣跡がありますが、都市化しているので当時の面影は全くありませんね^_^;)


↑内田本陣跡


↑脇本陣跡

澤邊本陣跡は少し立派に跡が残っていました。


↑澤邊本陣跡

それから、八坂神社へ到着しました。
この神社は京都の流れで1572年頃始まりますが、北条氏滅亡後荒れはて、徳川五代将軍綱吉の時に再興したようです。


↑八坂神社

この八坂神社では、「お札まき」がという踊りが有名なようです。
このお札が巻かれると、人々は急いで拾い、家の戸口や神棚に貼って、厄除けとしていたようです。
江戸時代中期には江戸や大阪で盛んにこの「お札まき」が行われていましたが、現在まで残っているのはこの戸塚宿の八坂神社だけとのことです。


↑お札まき

それから当時の道しるべがありました。
「かまくら道」と書いてあるようです。


↑道しるべ

今回も色々と歴史の勉強となりました^_^)

次回は、(3)冨塚八幡宮~浅間神社です。

お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「ゆるすいっち。(おのころ心平)」という本は、とてもオススメ!

2015年09月25日 01時00分00秒 | 
「ゆるすいっち。」の購入はコチラ

 「ゆるすいっち。」という本は、カラダのクセや症状から、そのクライアントの心理状況を読み解き、ココロの生活習慣、カラダの生活習慣改善をうながすカウンセラーとして19年間、2万2000件以上の実績をもつ著者が書いたものです。

 その経験の中から、カラダに症状や疾患を抱えている人に共通することは「許せないココロ」を持っているということでした。

 そのため、誰かを許した結果、奇跡的な治癒を遂げたり、長年のカラダの悩みがウソのように消えてしまったりというケースにたくさん遭遇したようです。

 しかしながら、そうはいっても、そう簡単にココロは変えられないという問題があるようです。
また過去の許せない感情をいくら発見できたとしても、それで100%、今の症状が改善されるとは限らないようです。
「許せないココロ」は誰しも持っていますが、そこに気づいたとしても、それを心底、許せるかというと、それはまた別問題のようっです。

 そこで、もっとカラダにフォーカスし、カラダの習慣を変えてみる方法をクライアントに伝えるようになったようです。
それが、本書のタイトルである「ゆるすいっち。」ということです。
「ゆるすいっち」は以下の7つあるとのことで、それぞれの症状に対応するようです。

第1ゆるすいっち(肛門等):自分の見た目が許せない
 やせられない・食べ過ぎ・便秘・下痢・尿漏れ・膣炎・痔・おりものが多い・デリケートゾーンのかゆみ・下半身太り・寝つきが悪い・正座ができない・肌荒れ

第2ゆるすいっち(骨盤):母が許せない
 生理不順・生理痛・子宮筋腫・月経過多・セックス嫌い・セックス依存・肌荒れ・偏頭痛・腰痛・膝痛・股間筋痛・足首ねんざ・ほてり・のぼせ・下半身の冷え・足に力が入らない・潔癖性・男性の場合インポテンツ・精子減少

第3ゆるすいっち(お腹):父が許せない
 便秘・下痢・お腹の張り・胃もたれ・胃炎・胃下垂・過敏性腸症候群・ドライマウス・吹き出物・口臭・背中のニキビ・じんましん・食物アレルギー・口の周りの肌荒れ・口内炎・お腹のぽっこり・ガスがたまる・呼吸が浅い

第4ゆるすいっち(胸部):パートナーが許せない
 二の腕の脂肪がつきやすい・手足の冷え・胸・左ひじ・左奥歯の痛み・動悸・息苦しい・生理のとき胸が張る・風邪をひきやすい・毎年インフルエンザにかかる・免疫力低下・アレルギー症状・脇の下や上半身の汗が多い・高いや狭いところが怖い・パニック障害・高速が怖い

第5ゆるすいっち(のど):過去の人間関係が許せない
 首の痛み・コリ・首が左右に回しにくい・のどの痛み・立ちくらみ・手首の痛み・指先のこわばり・手荒れが治らない・声が出にくい・拒食と過食・甲状腺異常(ホルモン異常)・薄毛や脱毛・滑舌が悪い・目の大きさの左右差・運動不足・行動力の低下

第6ゆるすいっち(眉間):自信を持てない・自分のココロが許せない
 目のかすみ・眼精疲労・結膜炎・花粉症・鼻炎・鼻づまり・鼻血が出やすい・歯ぐきが腫れる・歯にものがよくはさまる・口内炎・ちくのう症・耳が聞こえにくい・中耳炎・耳鳴り・めまい・口呼吸・味覚障害・嗅覚の鈍化

第7ゆるすいっち(頭頂):社会の理想と現実のギャップが許せない
 集中できない・朝起きられない・10時間以上の過眠・うつ状態が続く・ホルモンリズムの乱れ・思考リズムの乱れ・好きだったことに興味を失う・引きこもり・人にできる限り会いたくない・極度の方向音痴・時差ボケに弱い


 そのほか笑いが大切、呼吸は「吸う<吐く」が大切、うつ対策には朝日を浴びるのが大切等についても書かれていましたね。

 「ゆるすいっち。」という本は、健康のためのヒントがたくさんあり、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・自分の見た目を許す人は、一見すると、おとなしそうな印象を周囲に与えますが、内側に強いポリシーと自尊心を秘めており、とても個性的で独創的です。自らの世界観に自信を持っており、オール・オア・ナッシング的な態度をとることが多く、人間関係もすっぱり割り切っていくようなところがあります。なぜ、そんなに迷いがない生き方ができるのかといえば、自分を100%認めているから。自分の長所だけでなく短所もひっくるめて尊重しているので、コンプレックスを抱いたり、人と比べて落ち込んだりすることもありません。他に流されることなく自分だけが持つ価値観を生かして、新しいものを想像し創造するのあ得意です。また人を導いていく指導者としての資質を備えています。

・病気で入院したり、人間関係で孤独になったり、世間一般とかけ離れた状態に置かれて初めて、世界と自分の差を認識する。そこで初めて見えてくることがあります。「悟り」とは、自分と周囲との関係を認識することで、その「差を取る」ことであると私は考えています。比較、相対、認識というのは、肉体を持って生まれてきて初めて生じるものです。皆が皆、ちょっとした外見の差を持って生まれてくるということがそれを証明していますね。逆に言えば、自分は何者かを知ることが、やっぱりこの世に生まれてくる最大の目的だろうと私は思います。そう考えると、自分の身の回りにいる人の見方も変わってくると思いませんか?すべては自分を認識するために存在する・・・。

・今日から2週間、お尻の穴を締めることに意識を向けてください。でも四六時中肛門を締めることは難しいので、とにかく歩くときだけ、お尻の穴を締めることを意識しましょう。ボディ・サイコロジストを続けて19年。どんなタイプの人にも結果が出るダイエットは、なんと「肛門を締める」という方法でした。実は、私自身も肛門を締めるだけで、12kgのダイエットに成功しました。口から肛門までひと続きの管になっています。管の出口である肛門の機能が上がれば、食事の適正量が明確になるので、腹八分目で箸を置くことができるようになるのです。しかし、「肛門を締めるだけでやせられるなら、ずーっと締めてみせる」なんて意気込んでしまうと、呼吸が苦しくなってしまいますから、無理は禁物ですよ。「気づいたときにやってみる」「苦しくなったら無理をしない」ーこの2つを守ってぜひはじめてみてくださいね。

・つま先の向きも意識してみてください。つま先が外向きになったり、内向きになったりしないように、両足を平行に、まっすぐ踏み出すようにします。これだけで背筋が伸び、姿勢もよくなりますからね。姿勢がよくなるというのは、シェイプアップのためにはたいへん重要なことなのです。体幹に力が集中しますから、カラダの軸がしっかりします。そして、そうした軸を持ったカラダは、エネルギー効率がよくなり、脂肪燃焼も進みます。

・さらに、食事のときの一口目を30回噛むといいでしょう。口から肛門までひと続きの管になっていますので、咀嚼すことで唾液が増えて、食べ物の栄養素が効率よく消化吸収されるように。すると自然にたくさんの食べ物を必要としなくなります。

・母を許す感度のよい人は、周囲からたっぷりの愛情を受けて、のびのびと育てられたであろう自信に満ちあふれた前向きな性格になります。仕事や学業はもちろん、遊びや趣味にとても積極的で、「思い立ったら即行動」が反映されるため、お尻も太ももも引き締まっており、スラリとした印象を与えます。ストレスにも強く、たとえ何か失敗をしたとしても、広い視野で多角的な見方ができるので、立ち直りや発想の転換が早いです。目標に向かって、計画的に行動するのも得意で、今やるべきことを着々とこなすことができます。カラダも健康体で、生理痛など婦人科系の悩みにも縁遠いといえるでしょう。そばにいるだけでなんだか温かく、周囲の人が自然と笑顔になり、何を相談しても希望をもらえるようなアドバイスをしてくれます。

・父をゆるす感度のよい人の特徴は、強い自制心と信頼できる存在感で、グループを率いるリーダーとしての雰囲気を醸し出しています。直観力と洞察力に優れており、迷わずに前へ進む姿勢を持つと同時に、いろんな人の価値観や意見を受け入れていく余裕があり、それらを融合し、新しいものを生み出す能力を持っていまs。この父を許すが入っているか入っていないかは、トラブルが起きたときの対応の仕方でわかります。OFFの人は、くよくよと後悔して自責や他責の念でいっぱいになり、身動きがとれなくなってしまいます。トラブルの原因を他人や環境のせいにすることが多くなり、自らの向上の機会を逃すことも。反対にONの人は、必要以上に落ち込むことはなく、その体験から何を学べるかを見つけ出し、今後に生かしていこうという姿勢に切り替え、解決能力を上げていきます。

・カラダが病気やこれまでの生活習慣のパターンから解放されるとき、必ずと言っていいほど、そのカラダには何らかの「感動」が起こっています。自分を変えたい、新たな人生を歩みたいと思うとき、泣き、笑い、そして、あなたの感動を素直に表現することで、あなたの自律神経パターンは、新たなステップへと踏み出すことができるでしょう。

・パートナーを許す感度のよい人は、話しやすくとてもフレンドリーな印象を与え、思いやりがあり、仲間をとても大事にします。だからといってどこか特別なグループに属することはありません。いつも自由であることを好み、一人で行動することも楽しめるからです。「分け隔てのなさ」が行動に表れており、周囲の人とも対等な立ち位置を保ちますが、誰か困っている人がいれば、とても献身的な相手をサポートするなど愛情深い一面もあります。また、グループの間で問題が起きても、必要以上には深入りしないこともあるので、一部の人からは「クールな人」と思われがちです。しかしこれは、自分と人との和を大切にしている証拠なのです。パートナーにも依存することなく、適度な距離を保ちながらお付き合いができるので、関係が長続きします。ケンカをすることがあってもそれは建設的で、大人の付き合いができます。

・胸の中心からちょっと左側の一番ドクンドクンと鳴っているところに手を当てて、目をつぶって、鼓動に意識を集中しましょう。1日は1440分ですが、そのうち1分で結構です。自分の鼓動に自分の意識を向けるだけです。赤血球の寿命がおよそ120日ですから、120日=約4ヶ月毎日続けることができたら、あなたの心臓と血液循環、体温調節のパターンは明らかに変わってくるでしょう。人の鼓動は千差万別。とても個性があります。それはあなた固有のリズムなのです。このワークは自分の存在や存在意義をリズムで認識することが目的ですが、相手と絶妙な距離感を保つのにも大いに役立ちます。過去に付き合っていた恋人への気持ちを整理するときはもちろん、このワークを通じて、今そばにいる恋人やパートナーとの距離感を上手にとっていきましょう。

・過去の人間関係を許すという感度のよい人は、過去の失敗や人からの評価などを気にしないタイプ。歌や音楽が大好きです。毎日を大切にして、アクティブに楽しく過ごしています。個性的な世界観を通して人と接する傾向があり、周りには、一見して「個性的な人」「自分の世界がある人」と尊敬されます。一方で「何を考えているかよくわからない」不思議な人という印象も与えます。ひとたび、講演の舞台に立ったり、歌を歌ったり、詩を書いたり、絵で表現したり、その人らしい表現の舞台が与えられると、人を魅了してしまうほどのスター性を発揮します。コミュニケーション能力に長けており、人に物事を伝えるのが上手です。決して早口ではなく、むしろゆっくり話す人が多く、また「話し上手は聞き上手」と言うように、人の話をさえぎることなく相手の話を最後まで丁寧に聞くことができるので、相手から話を引き出すのもとtめお上手です。

・ヨガや瞑想法にはさまざまな呼吸法がありますが、どれも共通しているのは、「吐く息を意識する」ということです。呼吸とは漢字を見ても、レ点を打って「吸うを呼ぶ」行為を表しており、呼吸の基本は、吸うことを喚起する、すなわち「吐く」ことだということを意味しています。「長息」は「長生き」とよく言いますが、確かに吐く方を意識した呼吸にすると1分間の呼吸回数が減り、カラダもココロもゆったりとした気分になります。

・吐く息が「自己表現」であるのに対して、吸い込む息は「情報収集」。私は、ずーっと吐き続けている人を見たことがありませんから、どうやら呼吸とは、大気と自分の内側の世界との「情報交換」に意味があるのだと思うのです。健康的なカラダを手に入れるためには、この吸うことと吐くことのバランスを上手にとることが必要です。最近はネットやスマホで、世界で今、何が起きているのかという情勢から、友達が何をどこで食べているのかといった身近なものまで、簡単に情報を手に入れることができるようになりました。しかしそれは同時に、情報過多で息がつまりやすい状況も生んでいます。週に1回が難しいようなら、月に1回くらいは1日中ネットやスマホにまったく触れない「情報断食」を実行してみましょう。

・自信を持てない自分のココロを許す感度のよい人は、自分の才能を理解し、努力してその才能を伸ばし、自分がイキイキと輝ける舞台でわくわくしながら人生を歩んでいる人です。幸せそうですよね!でも、人それぞれ、成功の形は千差万別です。お金持ちや会社の社長さんだけが成功者ではもちろんありませんよね。その人だけが持つ才能を生かして毎日楽しく生きていけることが大事です。また、自分以外の人の才能もちゃんと認めることができるので、「自分だけが優れている」というおごりや思い込みもなく、謙虚でいられるのが最大の特徴と言えます。反対にこのスイッチがオフになると、こだわりが増幅し、本来の問題解決へのイメージ力が低下します。いつまでも不平不満をいうだけで、同じ場所にとどまることを選択してしまうことにも。さらには、自分を見透かされることが怖くなり、必要以上に自分を防衛する態度をとってしまいます。

・「あなた、今日1日、超ラッキーですよ。幸運があなたに舞い降りますよ。」と周囲に何度も意識を向けるうち、なんだか口元もほころんで、笑顔が出やすくなります。顔相のよい人に不幸な人はない、と昔から言われている通り、他人の幸運を祈る人ほど、まず福相になるのです。そうなれば、それはもう自信を持てない自分のココロをゆるすいっちがオンになった証拠です。今の自分の環境や健康状態を、丸ごと受け入れて許すこと、愛することができます。

・社会の理想と現実のギャップをゆるす感度のよい人は、どんな人でもその人を一目見ただけで「オーラのある人」とわかる雰囲気があります。初対面では、なんだか近づきがたい雰囲気がありますが、親しくなると、その人がいるだけでその場に安心感がもたらされます。優れている能力をひけらかすことなく、言動は決して派手ではないので、あまり目立ちませんが、いつも明確な意思と自己責任を持って行動しています。ある程度の年齢を重ねると、自己実現のスピードが人より抜きんでて速くなります。組織の中にいる場合、尊敬され、周りに頼りにされるタイプです。危険察知能力、方向感覚、未来への予測に優れているので、特に何か緊急なときには、がぜん頼りになります。平時においても、投資や新しい事業の立ち上げなど、時代の流れを読むことに長けているので、金銭面での成功者も多いです。

・何をやってもうまくいかないし、イライラすることにも疲れてしまった。そんな思いがずっと続き、やる気が起きなくなる、自分の進むべき方向が見えない、自分には居場所がない・・・。そんな気分に浸っているとうつうつとした気分になり、何事も面倒くさくなってしまいます。うつ対策には、医学的にも朝日を浴びながらのウォーキングがよいと言われており、そうした研究論文も多数、発表されています。これは松果体が朝日によって刺激され、メラトニンの分泌が正常化されるからです。私はもうひとつ、太陽光(理想の光)を浴び、人工的な光(生活していくうえで必要な現実的な光)を浴び、この両者のバランスをちゃんととることが、理想と現実の中を上手に生きていく気力が湧いてくるのを促すのだ、と考えているのです。

・どんな病気もそうですが、私は、「自分のカラダ、治ってよし」と心底許可を出せるかどうかが、とても大切だと思っています。そのためには「①まず、自分のことを知ること」「②肩書きや、病名、世間の目を離れたところで、自分自身を、自分自身の目で発見すること」「③そのうえで、やさしい気持ちを周囲に向けること」。これら3つが自分再構築の大きなカギを握っていると考えるようになったのです。

・カラダのリーディングによると、彼女のカラダで一番ブロックを感じたのは「腸」でした。特に、腸内の酸性・アルカリ性バランス(pH)機能に不安定な反応があります。アトピー性皮膚炎では、このケースは結構多いのですが、腸のpHがうまく働かない場合、腸内に100兆すむといわれる腸内細菌が打撃を受け、腸内にさまざまな毒素を発生させてしまいます。そして、その毒素はどこへ行くのかというと腸管のリンパ管が回収し、末端のリンパ、つまり、皮膚の内側へと運ばれてしまうのです。汗で出ていく以上にこうした毒素が皮膚の内側にたまってくると、これが、皮膚炎のもとになるのです。

・アトピー性皮膚炎とはある意味で、治療、改善というゴールへの道のりを歩むことで、親子関係の絆を大きく深めます。そして必然的に親は、親としての成長を促されます。そして気づくのです。親は、子どもに「親」にしてもらっているのだと。私は改めて、親子の不思議な絆というものを考えさせられたのでした。このケースから気づかされたのは、ゆるすいっちは、自分のココロやカラダの状態に目を向けて、気づくだけ、そして、改善しようとするだけで、活性化されるものだというおとでした。あなたもこの本から、ゆるすいっちをオンにするヒントをたくさん手に入れてもらえるとうれしいです。

・許す能力は、人間としての自分の価値を測る大きなものさしといえる。(マクスウェル・マルツ)
本当に愛したいと願うなら、許すことを知らなければなりません。(マザー・テレサ)
弱い者ほど許すことができない。許すということは、強さの証だ。(マハトマ・ガンジー)
あなたが自分に本当の自由を許したとき、あなたは自分のなりたいものに、何にでもなれるのです。(ラムサ)
許すという技術で最も肝心なことは、喜んで許すということです。(ジョセフ・マーフィー)

良かった本まとめ(2015年上半期)

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「カシータ(東京 表参道)」での食事はとてもオススメ!

2015年09月23日 01時00分00秒 | 外食
 3年ほど前にガイアの夜明けというテレビ番組で紹介されていた顧客満足度の高い「カシータ」というレストランに常々行きたいと思っていましたが、その機会が訪れたので行ってみました!

 何度か予約にチャレンジするものもいつも断られていたのですが、今回は予約が平日の20時30分だったということもあり、予約が楽にできてラッキーでした。

 ちょうどその時刻に訪れると、1階で店員さんが待ってくれていたのには驚きました^_^)
さすが、顧客満足度が高いお店です。
3階のお店に案内され、着席します。
しかも、窓側の良い席がもうすぐ空くということで、席もチェンジしてくれます。

 席に着くと、メモが置いてあり、夏なのでカロチンやビタミンEなどの栄養素を多く含む優しい夏の食材を用意しているとのことです^_^)


↑テーブルの夏のメモ

 まず飲み物メニューからシャンパンを選び、それから料理メニューで1万円のコースAを注文しました。


↑コースAのメニュー

店員さんはさすが優しくいろいろと説明してくれます。
後で分かるのですが、ソムリエの中でもシニアソムリエとのことで、この資格を取るのは5年以上のソムリエ経験のほかかなりレベルが高く難しいようです。
さすがの説明です^_^)

シャンパンはさっぱり目のものを選びました^_^)
もちろん冷んやりサッパリとして美味しいです!
テーブルの上にある大きなローソクはイミテーションで、実際の炎ではありませんが、かなりリアルです^_^;)


↑シャンパン


 そして、アミューズとしてアジとホタテ貝のタルタル-カボチャのビュレ-雲丹と夏野菜のコンソメジュレが運ばれます。
夏なので、冷んやりとしてジュレが嬉しいですね!
雲丹が濃厚で美味しいです!


↑アミューズ

それからパンが運ばれますが、植木鉢のような器に入っているのには驚きました^_^)
しかも芽が出ています^_^;)
ホカホカと温かいパンで、もちろん美味しいです。


↑パンとバター

それから冷菜としてヴェネツィア風毛蟹のサラダ-短角牛の生ハム”プレザオラ”のカネロニ見立てが運ばれます。
牛の生ハムの中に毛蟹サラダが美味しい!


↑冷菜

そして温菜としてフランス産フォアグラのキャラメリゼ 夏のスタイルで ~フルーツコーン×青トマトのマルメラータ×水茄子が運ばれますが、フォアグラが超柔らかく濃厚で旨い!
水茄子もほんのり甘く、マイクロトマトが可愛いです!
フォアグラが特筆でしたね!


↑温菜

そしてパスタとしてピエモンテ州の郷土パスタ”タヤリン”~山女のオーブン焼きとクレソンの夏ラグー~が運ばれます。
パスタは自家製生麺とのことで細い!
切り干し大根のようです^_^;)
その上に山女を乗せるとは、珍しいと思いました。


↑パスタ

それから海のものとして夏の高級魚”赤ハタ”のポワレ×”チュッピン”×メルバトースト~リグーリア州の新鮮魚介の裏ごしスープ~が運ばれます。
ソースはいろんな魚の皮のベースに作っているとのことで濃厚さを感じます。
白身の魚が柔らかくて美味しい!


↑海のもの

そして、肉料理の前の口直しとして赤桃とグレープフルーツのグラニテ
が運ばれます。
赤桃が甘い!


↑口直し

それから、メインの地のものとして黒毛和牛のピステッカ ヘーゼルナッツ添え~緑鮮やかなサルサヴェルテルデソース~が運ばれます。
写真では分かりにくいですが、黒毛和牛はかなり分厚いです!
全体的に柔らかく焼かれて、素晴らしい焼き加減でさすがです!
身も柔らかく美味しい!
ヘーゼルナッツもなんだかいいですね!


↑地のもの

そしてプレデザートとして白ワインムースとスイカゼリーが運ばれますが、これも冷たく美味しいです。
もう結構おなかいっぱいです^_^;)


↑プレデザート

そして、驚いたのですが、ここで席のチェンジです。
テラス席を案内してくれますが、夏の夜風が涼しくて気持ちがいい!
これは嬉しい心遣いです!

そしてデザートの胡桃のキャラメリゼのセミフレッド 無花果のコンポート赤ワインソースと共に が運ばれます。

飲み物はコーヒーを選びました。
小菓子も運ばれます。


↑デザートとコーヒー


↑小菓子

そして、ハーブティーも振る舞われて驚きました。
ハーブはここで育てているようで、かなりの繁殖力のようでした^_^;)
さっぱりして美味しいです!


↑ハーブティー

カシータは、さすがソムリエなどの楽しく優しい解説や席チェンジなどの心遣いは嬉しく、また美味しい飲み物と料理をゆっくり頂け、とてもオススメですね!
大切な方と訪れることをとてもオススメします!

美味しかったものまとめ(2015年上半期)

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カシータイタリアン / 表参道駅渋谷駅明治神宮前駅

夜総合点★★★★ 4.7

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東海道五十三次 街道をゆく 東戸塚~藤沢宿 (1)品濃坂上~鎌倉ハム

2015年09月21日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第5回目の東戸塚~藤沢宿の(1)品濃坂上~鎌倉ハム編について紹介したいと思います。

いつものように集合して、ガイドさんの簡単な自己紹介があり、そしてみんなで準備運動をして出発します!
今回のガイドさんは、歴史など詳しく説明してくれる方で嬉しいです^_^)


↑ガイドさんの簡単な自己紹介

まず品濃坂上の説明がありました。
昔の写真を見ると、当然舗装はされていませんし、松並木が想像以上に立派ということが分かります!
また、朝早く江戸を発った場合は日暮れまでに戸塚宿に着くまであと一歩の所だったようです。
また、江戸方面に向かう人にとっては最後の急な上り坂だったようで、この難所を越えれば、境木の立場まであと一息だったようです。


↑品濃坂上の説明

それから、東戸塚のベッドタウンが見えます。
東戸塚は比較最近できたベッドタウンですが、その理由はこの広大な敷地を一人の地主が持っていたためのようです^_^;)
現在は、行政にその土地を貸して、このベッドタウンができたようです。
一体いくらで貸しているのでしょうか??


↑東戸塚の街並み

それから歩くと「海道橋」というところがあり、この辺りからは珍しく左富士が見えたようです。
富士山は京都へ向かう際は、右手に見えるのですが、この辺りの道は東向きのため、行く手の左側に富士山が見えたようです。
当時も富士山を見ながら歩くのは嬉しかったんですね。


↑海道橋

それから、益田家のモチノキというのがありました。
樹齢300年と言われているようで、江戸時代の当時からあった木となります。
高さは19mもあり、目立ちますね。
当時東海道を歩いた人もこの木を見ていたと考えると、なんだか嬉しいですね^_^)
神奈川県指定の天然記念物に指定されているとのことです。


↑益田家のモチノキの説明


↑益田家のモチノキ

それから、レンガ造りの建物があり、これは日本人によるハム作り発祥の地とのことです。
当時、戸塚は鎌倉郡に属していたので、「鎌倉ハム」として全国的に知られたようです。
英国人ウィリアム・カーチスの妻・加藤かねの協力で製法を学び、明治十年代に日本人として斉藤満平が初めてハムの製造を始めたとのことです。
そのほかバターも作っていたようです。
実はこのウィリアム・カーチスは当初はレシピを日本人には教えなかったようですが、火事の際に日本人が懸命に火消しをしてくれたので、それに感謝してレシピを伝授したようです。
ちなみに、このレンガはやはりイギリス式の積み方とのことでした。


↑日本人によるハム作り発祥の地

そして、昼食の場所に到着です。
この日は残暑が厳しくて蒸し暑かったですね。
今回は室内で弁当とお茶を頂き、室内で美味しくお弁当を頂きます。
毎回弁当がご当地?で種類が違うのは嬉しいです。
疲れた方は、室内なので横になったりもしていました^_^)


↑お弁当とお茶

次回は、(2)戸塚宿~八坂神社です。

お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「病気は才能(おのころ心平)」という本はとてもオススメ!

2015年09月18日 01時00分00秒 | 
「病気は才能(おのころ心平)」の購入はコチラ

 「病気は才能」という本は、医師でも鍼灸師でも整体師でもない著者が、17年間およそ2万件のカウンセリング件数を体験し、計4万時間もの時間をクライアントと過ごした結果、病気は決してマイナスではなく、むしろ病気やカラダの不調は、その人の「いまだ発現されていない才能」とみることができるということについて詳しく書かれたものです。

 言い換えると、カラダに起こる症状は、そうならざるを得なかった理由があるためで、逆にカラダが表現してくれるメッセージを丁寧にたどっていくことで、何を我慢し、何を抑圧しているのかが見え、それに対処することによって病気を克服するというものです。

 著者はこれまでクライアントと接してきて次のことに気がついたとのことです。自らの病気としっかり対峙し、見事に克服されていく方には、病気が治ってしまうだけでなく、その人本来の自分らしさを獲得していくという共通点があったということです。このことから、病気とは、本来の自分らしさを思い出すためのプロセスなのではないかと考えるようになったようです。

 逆にそれができないままでいると、その人本来の才能が、病気やカラダの不調という別の形で現れるということです。本人にも気づかない才能が、本人にも気づかない生活上の制約によって抑圧され、本人にも気づかない葛藤をカラダに生み、それが、カラダの症状として表現されてしまっている・・・。

本書ではそのほか具体的な症状及びその潜在的なココロの課題についても挙げられています。
たとえば以下が一例となります。

症状→潜在的なココロの課題
目が疲れやすくかすむ→現実逃避、自己効力感の低下、どうせというあきらめ
歯肉炎→初志貫徹できない、優柔不断な自分への怒り
頭痛(こめかみ)→追い立てられることへの不安、性的な恐れ、流れに抵抗する
頭痛(首筋から後頭部にかけて)→自己否定、自己批判、あるいは、これ以上は動けないという気持ち
頭痛(前頭部)→前進への不安、前に進むのに抱えすぎている問題
頭重感を伴う頭痛→背後への不安、周りの理解を得られるかの不安
便秘と下痢が交互に生じる→焦りと緊張、締切・期限に追われている
痔(うっ血性)→逆らえない状況、成長したいのに上から抑えられている感じ
痔(出血性)→相手を変えようとする、自分は座ったまま人を動かす
手足のしびれ感→自分の行動への疑問、これでよいのかという自問自答
腰痛→これだけしてあげているのにひとつも感謝されない、という怒り
足がつる、こむ返り→自分の能力の限界を感じる、限界越えしなければという思い
過食、拒食→親の価値観との対立、自立願望と依存状態の葛藤
うつ傾向→自分にとって当然の権利が侵害されているという思い
口内炎→不安からの告げ口、陰口、意味のないことをたくさんしゃべる
   →受け入れがたい価値観、危険がすぐそばまで迫った不安
偏頭痛→いざという時、誰も助けてくれないのではないか、という不安
めまい→自分の居場所がわからない、もっと自分に気を配ってほしい
   →自分の人生をコントロールできない。自分の母性(女性性)の否定
手足の冷え→愛を受け取ることへの抵抗
     →自分が十分満足していないままの奉仕、自己効力感の低下
低体温→自分を満足させたい、自分優先、必要以上の警戒心
上がり症・予期不安→世のため人のためという正義感とそれがうまくいかない時の恐れ
歯茎から血が出る→ものごとをきちんと吟味する時間がない(飲み込むような食べ方)
鼻水(水っぽい)→考えがまとまらない、落としどころが見つからない
花粉症→身の回りが片付いていないことへのストレス。やることの優先順位がつかない。1年間の自分の棚卸しができていない
疲れやすい→浅い呼吸によって自分の存在をリアルに感じられない
風邪→気持ちの混乱、一度に多くのことを抱え込む週間
首凝り→頑固、視点を広げることへの抵抗、人の評価がこわい
指の腱鞘炎→不当に扱われることへの怒り、欲求不満
抜け毛→恐れ、緊張、他人をコントロールしようとする
白髪→プレッシャー、若い者に負けたくない、追い越される恐れ
フケ→力任せ、空回り、非効率なやり方
耳鳴り→自分に正直になれない、休息がほしい

 それから、病気とは欲求の抑圧、また本来は外側へ放出されるべきエネルギーがカラダの内側へ抑圧された結果、生じるものではないかと考え、病の階層図は以下とのことです。

 下の層に行けばいくほど、抑圧したエネルギーがカラダの深い部分に影響を及ぼすということです。
 本来、体外へ放出されるべきエネルギーが、出口がないため、もうカラダの中にゴミ箱をつくってしまおうとして、いわゆる「腫瘍(ガン)」が形成されていきます。
 ここが抑圧エネルギーの最終段階、第5層。抑圧エネルギーを一手に引き受ける病巣細胞群が、腫瘍というわけです。

<第1層>
感情、涙、笑い、性欲、食欲

<第2層>
排便、排尿、血液循環、呼吸、ホルモンバランス

<第3層>
発熱、睡眠、痛み、首や腰、目、耳、鼻、口

<第4層>
代謝疾患、慢性痛・慢性炎、変性疾患、自己免疫疾患

<第5層>
腫瘍(ガン)

従って、なるべく上の層で真の原因を把握し、自分の意識や考え、行動などをカイゼンし、健康になることが大切かと思います。

それから、言葉の表現力を豊かにしておくと、自分の存在自体が豊かになるようです。
周囲の「場」を豊かにするには、あなたの言葉を変えてみること。そして、自分に向けてたくさんのいい言葉が返ってくるように、まずは、自分以外の誰かの才能を認めてあげることが大切なようです。
すなわち、人をたくさんほめることが大切なようです。

「病気は才能」という本は、病気やガンに対する理解を体系的に深め、これからの健康のためにとても参考になりとてもオススメです!

 実は本書は現役ガン医師から勧められた本で、それだけ真実味がある本だと思います。
とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・■肝臓からのストレスサイン
ホルモンバランスの乱れによる症状、疲労感
日常生活:「急ぎ足」で歩くことが多くなる
心理状態:いつも不機嫌になる、「怒り」を自覚しにくい
言語症状:カキクケコが、発音しにくくなる

・■心臓からのストレスサイン
血液循環不良による体温調節不良
日常生活:現実的な夢をよくみる。何かを見るときに「凝視する」ことが多くなる
心理状態:いつも動揺する、「喜び」を自覚しにくい
言語症状:タチツテト、ナニヌネノ、ラリルレロが、発音しにくくなる

・■脾臓からのストレスサイン
腸のぜん動運動不調による排泄不良
日常生活:「座りっぱなし」が多くなり、ちょっと物をとるのにも人に頼んだりする
心理状態:何かと疑い深くなる、「何かにとらわれている自分」を自覚しにくい
言語症状:アイウエオ、ヤユヨ、ワヲ、が発音しにくくなる

・■肺からのストレスサイン
呼吸が浅いことに起因する精神的孤立感
日常生活:頭がぼーっとして「いくら寝ても」疲れがとれにくくなる
心理状態:不平不満が出やすくなる、本当は浄化すべき「悲しみ」を自覚しにくい
言語症状:サシスセソ、が発音しにくくなる

・■腎臓からのストレスサイン
頻尿、尿漏れ、排尿痛など排尿一般の問題
日常生活:まっすぐ「姿勢を正して立つ」ことができなくなる
心理状態:はげしく頑張り、はげしく落ち込む、恐れに起因する頑張りをしてしまう
言語症状:ハヒフヘホ、マミムメモ、が発音しにくくなる

・そして、こうした上記の状態が継続すると、次には各臓器からのアラーム(症状)が発せられることになります。このように五臓からのメッセージは、カラダのあちこちにサインを出しています。これれのサインに耳を傾け、五臓がダメージを受ける前に早めにケアできる人というのは、基本的に大病はしません。

・病気や症状には、膨大なエネルギーが使われています。たとえば1cm大のがん病巣には10億個ものがん細胞が必要なのだそうです。がんを、「悪性新生物」という呼び方をすることもありますが、10億個もの新生物を生み出すなんて、相当なエネルギーです。つまり、それだけのエネルギーをカラダの内側に溜めてしまっているということです。そのエネルギーの根源はというと、私は、何かを実現したいというその人の欲求だと考えています。ああしたい、こうしたい、こうなりたい、ああなりたい・・・。私たちは普段からさまざまな欲求とともに生きています。ただ多くの欲求は、それを押し通すよりも先に、誰かとの折り合いや社会的な制約を優先させています。これを「障壁」といいますが、こうした障壁によってあなたの欲求が無視され、いつしか潜在的に抑圧されます。それがいつまでも意識化されずにいると、やがて無意識下層で「葛藤」に変わります。葛藤は、それ自体何かしらのエネルギーを持ち、あなたの行動を無意識的に支配したり、あるいは身体的な症状として現れます。葛藤は、欲求と障壁のぶつかり合いによって生まれます。そして、障壁とは言い換えるなら、あなたの欲求を抑え込むあなた自身のジャッジです。常識、人の目、社会的通念、「人が言うから・・・」、「これまでそう教えられてきたから・・・」、最大の障壁は、あなた自身の中に「思い込み化」してしまったジャッジなのです。このジャッジがあなたの欲求をカラダの奥へ奥へと押し込めていきます。それがやがて限界を迎えると、それは形を変え、あなたへの宿題としてカラダに転化していきます。それが、症状、病気だと私は考えるのです。

・カラダは潜在意識の欲求に従う。病気になっても大切にしたいものが、人にはある。そして、人は、病気を通じて獲得したいココロの変容がある。潜在意識の強さとは、私たちの想像を超えた底知れぬ力を持っています。これをいいようにも悪いようにも働かせるのは、ほかならないご本人なのだということも、今はよく理解できます。もちろん個人の生き方に良いも悪いもありません。それは他人が判断できることではないと思います。でも、少なくとも顕在意識が潜在意識を抑え込んでしまう生き方は、意識のかいりを広げ、そのかいりの分だけ、身体症状が現れやすくなるといえます。だとしたら、カラダのメッセージを通じて潜在意識の要求を、いかにクライアントさんと共有していくことができるうかが大切・・・。私のカウンセリングのスタンスは決まっていきました。私にとっては今も、病気とは否定すべきものではありません。むしろ潜在意識の欲求が具現化したものとして、大切なことを教えてくれるものとしてとらえています。病気を病気のまま終わらせない。カラダが担ってくれている潜在的な欲求をあなたのココロの成長として上手に転換できたなら、そこにはきっとあなたの眠れる才能との出逢いが待っているのです。

・各層ごとに解説していきましょう。まず一番上の第1の層。カラダの基本的生理欲求の層です。ここはまた感情表現の層でもあります。悲しみや怒り、恐れ、涙や笑いをこらえたり、性や食についての自己抑制があったり・・・。こうした基本的な欲求を抑えた状態が長期間続いてしまうと、これは抑圧エネルギーとなって、2番目の第2層に移動してしまうことになります。

・第2層では、便秘や頻尿などの排便・排尿の異常、冷えやほてりなどの体温異常、呼吸が浅くなることによる疲労、また女性なら生理周期などに影響が出ます。第1層の本能四級や感情表現の抑圧が、基本的なカラダの機能である排泄力や血液循環、呼吸、ホルモンバランスなど、いわゆる恒常性(ホメオスタシス)に影響を与えてしまうのです。しかし、これは病気というほどではないので、だいたいこのまま放っておかれます。

・そうして引き続き「抑圧モード」の生活が続くと、第3の層へ移行します。今度は、目、鼻、口や歯、耳、皮膚といった感覚器官に異常が出始めます。あるいは、発熱や痛みといった、わかりやすい症状になってカラダに現れます。鼻炎、ものもらい、虫歯、中耳炎、湿疹、のどの痛みなどは、まさに自覚しやすい症状ですね。共通点は、とにかく思考回路を邪魔するという点です。カラダは、わざわざそういったわかりやすい場所を通じて、抑圧エネルギーを放出しようとするのです。これは子どもの例がわかりやすいです。子どもの症状は、高熱、目ヤニとか結膜炎、湿疹、虫歯、中耳炎など、頭部や皮膚の五感器官に出ることが多いですね。子どもは大泣きしたり、大笑いしたり、何かを嫌だと言えたり、気持ち悪いと表現したり、感情表現が大人より上手です。同じように子どものカラダも表現力豊かで、エネルギーをたくさん溜めてしまう前に熱を出すことができます。だから、高熱を出しても一過性ですむことが多いのです。ところが、大人になると、感情の抑制と比例するように、カラダのほうもその表現力が「遠慮がち」になります。せっかくの「毒出し」の機会である風邪の症状も、小出しになるのです。高い発熱はめったに行わなくなり、そのかわりにもっぱら「局所炎症」という形をとるようになります。鼻炎、扁桃炎、気管支炎、喉頭炎、肝炎、腎炎、膵炎、関節炎・・・○○炎というのは、炎という名の通り、カラダの一部に炎症を起こして、溜まった毒素を燃やしてしまおうとするものなのです。

・ところで、意外かもしれませんが、みなさんのイメージてゃ逆に、「炎症」というのは比較的元気な臓器や器官で起こりやすいのです。カラダの体内毒を引き受け、まとめて焼却するわけですから、その器官には相当な自信と体力が必要です。そういう意味で、カラダの中では余力を持った器が大きくて気前のいい器官こそが、炎症を担当してくれるのです。つまり、鼻炎なら、鼻腔がもともとは強いのです。肝炎なら、肝臓がもともとは強いのです。ところが、こうした炎症も慢性化してしまってはたまりません。炎症を買って出る器官も一過性の急性炎症を前提として引き受けたはずなのに、カラダの抑圧エネルギー傾向が改まらず、次から次へと体内毒が送られてくるようでは、とても急性の炎症では間に合わなくなります。こうして炎症が「慢性化」することになります。これがカラダにパターン化すると、常にどこかに炎症を持つことが広がっていき、慢性のひざの関節炎、慢性の肝炎、慢性の皮膚炎などと波及していきます。これが第4層です。慢性の炎症を患ってしまったカラダは、それだけでも健康とは言いがたい状態ですが、カラダを緩めたり、感情を解放する力も弱くなってしまっていて、さらに体内に抑圧エネルギーを溜めることになります。その結果、第4層では、代謝疾患や変性疾患、自己免疫疾患といった、より複雑な過程にエネルギー変換されていくのです。

・代謝疾患というのは糖尿病とか通風、ホルモン病などを指します。カラダの潤滑油に過不足が起こって、調整機能が崩れていきます。変性疾患というのは、動脈硬化のように組織や器官を変性させてしまう病気のことです。自己免疫疾患はアトピー性皮膚炎とか、いわゆる免疫異常による難病です。この時点で病院にいくと、さまざまな病名がつけられることになります。抑圧エネルギーの種類やその人の体質によって、どういう出方になるかは個性がありますが、第4層で共通するのは血液・リンパ液などの体液循環が大きく関与していること。そのため、抑圧エネルギー自体が循環し、カラダ中で暴れまわります。出口を求めてさまよって、各地で衝突を起こすという感じですね。

・さあ、このあたりで、カラダが解放する方向に生活パターンが変わってくれるといいのですが、まだまだブロックが解かれず、内側内側へとより強い圧力がかかると、カラダとしては、暴れ回っているエネルギーを1カ所に封じ込めようとするしかなくなります。本来、体外へ放出されるべきエネルギーが、出口がないため、もうカラダの中にゴミ箱をつくってしまおうとするのです。こうして、いわゆる「腫瘍」が形成されていきます。ここが抑圧エネルギーの最終段階、第5層。抑圧エネルギーを一手に引き受ける病巣細胞群が、腫瘍というわけです。

・第1層は症状ではないので、最初に第2層です。第2層における症状は、排便、排尿、血液循環、呼吸、ホルモンバランスに関するものです。具体的には便秘、軟便、下痢、頻尿、尿閉(おしっこが出ない)、貧血、低体温、手足の冷え、呼吸が浅くなる、空咳が出る、お肌の調子がよくない、生理不順、疲れやすいなど・・・。この層においては、
①「ホルモンバランス」へは、肝臓のストレス
②「血液循環」へは、心臓のストレス
③「排便」へは、脾臓のストレス
④「呼吸」へは、肺のストレス
⑤「排尿」へは、腎臓のストレス
が、それぞれ反映しやすいというのがこれまでの私の経験で発見したことでした。

・肝臓はとても忙しい臓器です。だから、休息(つまりは睡眠)が何よりの栄養なのです。肝臓の持つ再生能力はよく知られています。70%を切除しても元にもどるというくらいですから、相当な蘇生力です。ただ、肝臓が蘇生するのは、夜中の1~3時、寝ている間です。この時間が、肝臓が肝実質を増やすのにもっとも重要な時間なのです。この時間はまた、お肌の回復や免疫力の回復やホルモンの調整も行われます。ホルモンバランスは、肝臓がどれだけ休むかにかかっています。

・胃が、顕在意識。脾臓が、潜在意識。そう、意識の世界においての陰陽です。脾臓が、現代医学において目立たない臓器であるのは、まさに潜在意識を担当しているからだと思います。そして、この2つの意識をつなぐ臓器が、膵臓ということになります。排便や食べ過ぎの問題には、胃の状態と、脾臓・膵臓の状態とのバランスが現れると同時に、顕在意識と潜在意識のズレが顕著に現れるのです。

・第2層の症状は次のような観点が見えてきます。
①ホルモンバランスの乱れ(お肌の調子がよくない、疲れやすいなど)には、覚醒と睡眠のバランス
②血液循環の不調(貧血、低体温、手足の冷えなど)には、体内と体外の間の自分のポジションのバランス
③排便の問題(便秘、軟便、下痢、食べすなど)には、顕在意識と潜在意識のバランス
④呼吸が浅くなる、空咳が出るなど呼吸器系の問題には、情報発信と情報収集のバランス
⑤排尿の問題(頻尿、尿閉、むくみなど)には、「手放していく」恐れと勇気のバランス
それぞれがアンバランスになったとき、恒常性機能(ホメオスタシス)の異常として表れてくるのです。第2層の症状改善には、これらのバランスに意識を向けることが大切なのです。

・鼻炎体質の共通点は、私が見る限り、濃い味付けのものが好きな人。また水分もコーヒー、紅茶などで摂る人が多いです。水をそのままで、あまり飲みません。水は、万物の溶剤と呼ばれるほど、ものを溶かす力は唯一無二の力を持っています。カラダの中の余分な沈着物も豊富な水があれば溶けて体外に出されます。ところが、鼻炎になる人は、水を飲むのが苦手な人が多いのです。コーヒー、紅茶、アルコールは、水分といっても、逆に血液を濃くしてしまう場合があります。すると、細い細い毛細血管からできている腎臓の中の濾過器が詰まりやすくなり、よけいに水分代謝力が低下させてしまいます。水分代謝の低下は、全身の粘膜のむくみを誘導します。結果、鼻にも水分が沈殿してしまうことになるのです。鼻炎や花粉症の方はできるだけ、水を飲むことを薦めています。良質のミネラルウォーターを飲むことで、各所に溜まった淀んだ水分を体外へ押し出し、腎臓の分を軽減してやることが大切です。
●鼻炎症状のココロ
 濃密な人生を送りたい
●才能化へのスイッチ
 一時的に集中するのではなく、1年を通して仕事を分散させる。

・肩や首というのは、誰かにもんでもらうと、そのときはたいへん気持ちがいいですが、またすぐに戻ってしまいます。もむのは対症療法であって根治にはならない。それがまさしく首こりが全身のエネルギーの問題である証拠なのです。つまり、全身のエネルギー循環の問題を改善しなければ、本当の意味での首こりの根治にはなりません。それを、首こりは身を挺して代弁してくれているのです。
●首こりのココロ
 上下のアンバランスを是正したい
●目上の人ばかりに向くのではなく、目下の者に配慮する。上下のバランスとは、精神性と肉体性のバランス。精神性ばかり追い求めると、地に足をつけて生きている肉体的感覚が希薄になります。首こりは、目から下を意識しなさいというカラダからのメッセージ。人間関係では、あなたお目下の存在に感謝の気持ちをもちましょう。

・自分の何を認めてほしいのか、ココロの整理をしていきました。そして、あれもこれも引き受けるのではなく、自分が効果的に力を発揮できる仕事を優先順位化していきました。そして、それ以外のことは、ほかの人に「手伝って」と言う習慣を持ってもらったのです。一度ぎっくり腰をすると、繰り返すことが多いのですが、Cさんの腰痛はそれ以来、出なくなったのでした。
●腰痛のココロ
 左右のアンバランスを是正したい
●才能化へのスイッチ
 水平の関係=仲間とのチームワークに目を向ける。左右のバランスとは、一方で、女性性・男性性のバランスを示しています。腰痛持ちには何かしらのパートナーシップの課題があるケースが多いものです。大切な仲間に声をかけるように、やさしい言葉をあなたのパートナーにかけましょう。

・たいていの病気には喫煙の悪い影響が指摘されているのに、こと潰瘍性大腸炎については、喫煙者のほうがこの病気にかかる確率が少ないという事実があります。でもこれは、タバコに含まれる何らかの成分がこの病気に有効、というようなことではなく、「呼吸の深さ」に関係しているのだと思われます。喫煙は「ぷはー」と深く吐き出す行為だけを見れば、深呼吸をしているとも言えるからです。東洋医学では、肺と大腸は、陰と陽をなす対の臓腑と見なされています。人間、緊張したり、焦ったりしていると呼吸は浅くなるものですが、潰瘍性大腸炎の方を見ていると、本当に呼吸が浅くなっている方が多いです。呼吸とは、大気に対して、
・吐く息が、自己表現(カラダの隅々の情報を大気に還元)
・吸う息が、情報収集(大気に含まれるさまざまな情報をカラダに伝える)
と私は考えています。潰瘍性大腸炎の方のカウンセリングをしていると、過去の失敗や他人からの厳しい評価が尾を引いているケースが多いのですが、そのため、何をするにも必要以上に準備と情報収集をして、できる限り批判にさらされないようにしようと努力する人が多いのです。その意味では、大量の情報を適切に処理し、ミスなく何事もこなす、という点で非常に有能な方が多いのです。ただ、その情報が「形」にならない。つまり、いつも誰かからの評価のための情報収集、情報処理であるため、その情報が自分の身になっていないのです。これはまさしく、
・形になっていない(下痢、軟便、粘液便)
・身になっていない(大腸を通る栄養素が、まさに素通りしてしまう)
という潰瘍性大腸炎そのものの症状となって現れています。
大腸に症状が起こったなら、まずは、他人評価を手放していきましょう。その上でふか~い呼吸を身につけたとき、あなたの情報処理能力は、類まれな才能として開花するはずなのです。
●潰瘍性大腸炎のココロ
 失敗した過去の時間を取り戻したい
●才能化へのスイッチ
 自分なりのひと工夫を持っている人です。それはものごとの核心をとらえていますが、いつも周りに理解してもらいにくいので、ときに必要以上に自信喪失に陥ります。その自信喪失感が、焦りを生み、本来の持ち味を封印してしまい、相手の意図や評価ばかりに気を使うことになります。要はタイミングです。「流れを待つ」辛抱強さを持ちましょう。

・長い長い生物の進化の過程で、人の循環器系は、血液→毛細血管→動脈、静脈→大動脈、大静脈
と構築されていき、最後のほうで、やっと「心臓」ができるという形で発達してきました。何となく、心臓が先にできて、そこからニョキニョキと血管が伸びていくようなイメージがありませんか。事実は逆なんです。末端の毛細血管のほうが先に存在し、その道路整備がなされ、より効率よく血液を運搬するための高速道路(大きな動脈、静脈)が生まれ、最後にそれを統括するように、心臓ができ上がったというプロセスなのです。先に毛細血管ありき。ですから、心臓という臓器は、いつもカラダの隅々にまで気を使っています。心臓の弱い方の特徴は、とにかく周囲の人の気持ちが気になってしまう方が多いのです。
「私は何を期待されているのだろう?」
「十分期待に応えられているだろうか?」
「これでいいのか?違うとしたら、私はどんなことをすればよいのだろう?」
こうした人は、心臓弁膜症や、動悸、体温調節不良、めまい、パニック障害などを起こしやすいです。一方、いわゆる心臓病と呼ばれる「心筋梗塞」や「狭心症」を起こしやすい人というのは、逆に「心臓が強すぎる」人なのです。あまり強すぎる心臓の力に、周りの冠動脈が追いつかず、ここに動脈硬化、痙攣などを起こして生じるものなのです。俗に、「心臓に毛が生えている」などと言いますが、こうした人こそ三大疾患に加えられるいわゆる心臓病(心筋梗塞、狭心症)を発症しやすいタイプなのです。心臓病というのは、決して心臓だけの病気としては成り立ちません。抹消の血管、血液の課題が最終的に心臓に反映された結果、起こるのです。抹消血管と心臓と、それを仲介する冠動脈と。これらのバランスがよければ、心臓病を必要以上に恐がることはありません。心臓病の予防策には、いつも開かれたコミュニケーションが必須です。特に、目下の人の意見を十分取り入れることが大事です。ちょっと独断専行かな?と感じたら、ぜひ心臓に手を当てて、本来の人を気遣うココロに思いをめぐらせてください。
●心臓病のココロ
 周囲との関係の安定をはかりたい
●才能化へのスイッチ
 とても愛に満ちた人です。それは他者への愛として現れることもあれば、自己愛として現れることもあります。自分も満足し、相手も満足する。自己犠牲的は愛では長続きしません。また、他人を犠牲にした形の自己愛はやがて崩壊します。愛のバランス、相手に期待するのではない愛、見返りを求めない愛、これが心臓に現れる深いテーマなのです。

・「がん細胞」の特徴をまとめると
 ・孤立し(分離され0
 ・自らの変化を拒み(分化せず)
 ・他との調和的なコミュニケーションがとれず
 ・結果、環境から大きく離脱する姿形となっているもの
 ・体外にいれば正常細胞なのに、体内では異常細胞。環境とのミスマッチ
となります。がん細胞それ自身を見るとき、とても原始的で、純粋で、根本的なメッセージを携えています。ほかの細胞が高度に分化するなか、より基本的でもっともピュアな精神にとどまろうとしています。それはたとえば、
 ありがとう。
 ごめんね。
 愛しています。
 うれしい(涙)。
 おかしい(笑い)。
といったメッセージです。
腫瘍というのは、もともとは体内にできたオデキみたいなもの。皮膚の外側に何度もできるにきびやできもんが、カラダの内側にできない理由はありません。しかし、これが悪性に変わるとき、腫瘍はがんと呼ばれ、一刻も早くカラダから除去しなければならない対象となってしまいます。東洋医学にはこんな考え方があります。
 ・がんはカラダにとって救世主
 ・カラダの体質改善までの生命猶予措置として、汚れた血液を一心不乱に吸着してくれている
・・・もともとがんというのは、ひとつの細胞の「犠牲的精神」が、出発点なのかもしれないと私は考えています。
変な食べ物や蓄積したストレスで血液が汚れると、血液中の毒素を吸い取り、自ら犠牲をかって出る細胞がいるのです。
「仕方がない、俺が引き受けよう。どんどん毒素を吸着してやろう」
しかし、せっかくそうして犠牲になった細胞を、周囲の目はそのいびつな姿しか見ようとしません。場合によっては軽蔑のまなざしを向けます。
「誰のためを思って、こんな姿になったと思っているんだ!」
がん細胞とほそらく、こうしたやるせない気持ちの塊なのです。
「俺がこれだけの思いをしてみんなのためにやっているのに!」
そうした気持ちが起こるたび、体内では、がん細胞がひとつ、またひとつ産み出されていきます。

・たくさんのがんのクライアントさんとお付き合いしてきて感じるのは、その方のポリシーが純粋で、人間にとって、とても基本的なメッセージを大切にされているということです。ただ、それを表現するのに、あまりにも「場違い」なケースが多い。職場や家庭、そのほかの交友関係で、メッセージを発信すればするほど、どんどん浮いてしまう。そのうち、居場所がなくなり、孤立してしまう。
決して間違ってはいない。でも、「場違って」いる。環境に自分を調和させていくか、環境を自分のポリシーに染めていくか、いずれにしても時間のかかることですし、ときには必要以上の闘争を生むことがあります。だから、がんという病気は、個別個別のケースで、本当に丁寧に自分と向き合わなければなりません。

・私たちは通常、「がん」を体内にできた異物、カラダの内側にできてしまった不運な出来事とみなします。ですから、がんを否定しない、上手に共存するというのは「言うは易し、行うは難し」なことかもしれません。しかし、私がお付き合いしてきたなかで、がんを奇跡的に克服された方の共通点は、ご自身を「一がん患者」とみなしていない点です。逆説的に聞こえるかもしれませんが、医療が区分けする病名「がん」に左右されることなく、一個人として自分の体内のがんと対峙し、自分のがんの個性に目を向けたとき、がんのほうも自分の存在意義を認めてくれる宿主と、上手に付き合いを始めてくれるようなのです。
●がんのココロ
 がん細胞は人一倍、みんなのためを思います。そして、ここが行きすぎてしまうところですが、みんなのためを誰よりも思っているわけだから、自分の考え方をみんなが受け入れて当然、と錯覚します。
●才能化へのスイッチ
 とても純粋で、人間としてもっともピュアなココロを大切にします。それは感謝の気持ち、あいさつ、礼儀、ルールを守ること、人に迷惑をかけないことなど。それだけに曲がったことをする人や、卑怯な振る舞いをする人が許せず、どうにも気になってしまいます。世の中の人すべてを更正させることは不可能です。思いが通じない人へのこだわりを捨て、あなたがあなたらしく振る舞える人間関係に目を向けましょう。

・がんのクライアントさんと接してきて、一番感じたことは、その方の生活環境が「場違い」であるということでした。それは、職場空間、生活空間、人間関係空間などにおいてです。私は、がんのクライアントさんには、これまで本当にたくさん接してきましたが、ときに、職場をやめたり、離婚されたりして、環境を大きく変える方もいらっしゃいました。がんのクライアントさんが大切にしている思いは決して「間違って」いない。しかし、それが「場違い」なことが多いのです。つまり、がんのクライアントさんの多くは、自己表現においての適切な「場」が見つけられていないのです。

・がんのクライアントさんは、自らの発する「生命場」と生活環境の場とが、折り合いがついていないケースが多いのです。がんのクライアントさんの生命場h非常に個性的で、また非常に強固です。ご本人も気づかないことですから、非常にむずかしい・・・。がんのクライアントさんの生命場は、泣きたいなぁ、笑いたいなぁ、ありがとう、ごめんなさい、愛しています、という気持ちを永年、抑圧してきた結果、生じています。私からみるとがんの種類は、たったの5種類。それは、
 「泣きたい」がん
 「笑いたい」がん
 「ありがとう」がん
 「ごめんなさい」がん
 「愛しています」がん
です。
こうした気持ちを抑圧した結果起こるがんの場合、その生命場を変えていくきっかけは、自分の常識をくつがえすような考え方との出逢い、魂を揺さぶられるような物語との出逢い、ふだん一緒に生活している家族とのこれまで発見できていなかった側面との出逢い、絶対無理だと思っていたことを挑戦した自分との出逢いなどによって、本当に純粋なココロを揺さぶる体験をしたときです。がんのゲシュタルトを溶かす最高のカギは、「人との出逢い」です。
私の体験では、奇跡的な回復を遂げた方々には、いつも「価値観の変容」が伴っていたように思います。これは、カラダの底の「原子レベルから」とでも形容すべきバイブレーションを生じていきます。

・第4層では、血圧・血糖値・尿酸値・GOT/GPTなどを取り上げ、脂肪肝・尿管結石・胆石・潰瘍性大腸炎、また動脈硬化・心臓病・脳卒中についても考察しました。
 高血圧→ものわかりがよい人間だと思われたい
 糖尿病→他人にいい顔をしたい
 通風 →夢や理想を持ち続けたい
 脂肪肝→忙しすぎて、いろんなことをあと回しにしたい
 肝炎 →死を賭してまで守らねばならぬものがあることを理解してほしい
 尿管結石→進む方向を変えたい、そのためにゆっくり考える時間がほしい
 胆石 →水に流せないほど許せないことがある
 潰瘍性大腸炎→失敗した過去の時間を取り戻したい
 動脈硬化→ストイックな生き方をしたい、我慢強い自分が好き
 心臓病→周囲との関係の安定をはかりたい
 脳梗塞→周囲の期待にできるだけ応えたい
 脳出血→人に追いつかれたくない、高速で走り続けたい
ここにみられる共通点は、自己尊重の欲求です。人にいいように思われたい、自分は人と違うと思わせたい、自分の実力を示したい・・・。人は、ほめてもらうと、やっぱりうれしいものです。恥ずかしがったりする人はいても、ほめてもらってうれしくない人はいない。特に、自分が自信をもっていることをちゃんと見てもらって、適切にほめ言葉をもらったときほどうれしいものはありません。心理学用語に「自己効力感」という言葉がありますが、自分が周囲に役に立っているという実感、そして、それを認めてもらったときの充足感をさします。第4層に起こる各病気のゲシュタルトを破るには、このほめ言葉による方法が一番なのです。

・第3層において共通するのは、誰かとのつながり、他人との関わりを確認したいという親和欲求なのです。私たちのカラダは約60兆個の細胞で成り立っていると言われていますが、その機能は本当にさまざまで個性的です。ただ、そうした個性豊かな細胞たちも、決してひとりで生きてはいけません。細胞も他の細胞との関係において自分の役割を知るのです。それぞれが個性を発揮しつつも全体として調和がとれるのは、誰かが誰かを補い合い、見えないところでお互いが支え合っているからこそ可能なのです。第3層レベルでの解放とは、カラダの細胞たちがそうであるように、自分が自分でいられるのは、周囲の誰かのおかけであるということに気づくこと。

・第3層における解放のカギ
 五感の力を通じて、身の回りの当たり前のものに、新たな気持ちで接する

・第3層における才能化
 触覚を通じて得られる才能・・・自己存在を認識する
 触覚は、その機能を通じて他者との境界線を発見し、自分の存在をはっきりと自覚するための感覚です。(温度異常、皮膚炎、湿疹、発疹などは、境界線を見直すサイン)

 嗅覚を通じて得られる才能・・・正直な人間になる
 嗅覚は、脳に直結しています。世の中をまったく加工することなくダイレクトに感じさせる感覚です。嗅覚は、虚飾のない正直な世の中へのかかわり方を教えてくれる感覚なのです。(嗅覚麻痺、鼻炎、副鼻炎、花粉症などは、あなたの正直さを見直すサイン)

 資格を通じて得られる才能・・・人生の選択力を高める
 視覚は、あなたが選択した事象に光と色を与える感覚。「選択」の力をもたらし、そして、ありふれたものの奥に、より深い意味を見出す感覚なのです。(視力低下、結膜炎、ものもらい、まぶたの痙攣などは、選択力を見直すサイン)

 聴覚を通じて得られる才能・・・内面探求できる人間になる
 聴覚器官は、皮膚表面が内側へとくぼんでできる器官です。自分の内側と向き合うための感覚なのです。(聴力低下、難聴、耳鳴り、中耳炎などは、内面を探求するサイン)

 味覚を通じて得られる才能・・・自分流に人生を受け止める
 乾いた口でなにを食べても味はしませんね。味は食材についているのではなく、食べた人が出す唾液とのブレンドで生じるのです。味覚とは、入ってくるものを「溶かす」際に生じる感覚。すなわち、人生を能動的に受け入れることを教える感覚なのです。(口内炎、味覚異常、唾液が出ないときなどは、もっと人生に能動的になれるチャンス)

・人生の充実度を決めるのは「どれだけ、人の記憶に残るか」なのではないだろうか。お金を貯めても、知識を貯めても、自分の内側でいくらいろんな思いを貯めても、「あいつはこういうやつだった」という記憶にはかなわない。あの笑顔、あの歌声、あの生き方・・・、人々の脳裏にどれだけ爽やかなものを残せるか・・・

・どんな病気もそうですが、私はその人が「自分のカラダ、治ってよし」と心底許可を出せるかどうかが大切だと思っています。それは、今の自分の人生と、周囲の人間関係に対して、心底OKを出すということです。すると、たとえ病気であっても、その人は健康になれます。逆説的な言い方ですが、健康の定義とは、与えられた基準に当てはめられるものではなく、自ら創り出すものだからだと思うからです。あなたがあなたの人生にOKを出し、周囲の人々の記憶に残る人生を送れているなら、あなたは健康です。きっとすでに、あなたのカラダは才能化しています。そして、それは、あなたの周囲をも元気にしてしまう力になっているはずなのです。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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ベッラ・ナポリ(東京 森下)のピザはとてもオススメ!

2015年09月16日 01時00分00秒 | 外食
 以前このブログでも紹介した美食の王様という本に掲載されていて、ぜひ行きたいなぁと思っていた東京の森下にあるベッラ・ナポリへついに行って来ました!

食べログでもTOP5000に選ばれ、人気店ですね。
予約が必須なようですが、直前に電話で予約してOKだったのでラッキーでした。
ただ、90分で帰ってくれとの制限付きでした。

店構えは茶色の木目を基調としていて、イタリアをイメージしているのでしょうか。


↑店構え

店内に入ると、右奥にある大きな石釜が目を惹きますね。
これはおいしいピザが焼けます!


↑石釜

さっそくメニューを見てピザを選びます。
やはりいろんな具材が入っているほうが好きなので、イタリア風ミックスピッツァの「カプリチョーザ(気まぐれ風)」2100円を選びます。
トマトベースで、モッツァレラ、オリーブ、ミニトマト、ハム、マッシュルーム、アーティチョークなどがトッピングされています。
なお、ピザの生地は天然酵母を用い、機械ではなく人間の手だけでこね、40時間以上低温発酵させているとのことです。
そこまでするから、ピザが美味しいんですね!


↑ピザメニュー

それから、飲み物はシチリア産ブラッドオレンジジュース500円を選びました^_^)
健全にフルーツジュースです!


↑飲み物メニュー

そして、さっそくブラッドオレンジジュースとお通しのプルスケッタ300円が運ばれます。
プルスケッタにはトマトが乗っています。


↑ブラッドオレンジジュースとプルスケッタ

そして、いよいよピザの登場です!


↑カプリチョーザ

アツアツのピザが運ばれ、すでに切込みが入れられているので、すぐに食べることができます!
モチモチの生地で、チーズなどがとろけていて、アツアツで美味しい!
これは至福のひとときですね^_^)
美味しくて次々と食べてしまいます!
少し焦げがありますが、石釜で焼いた感があり、嬉しいです^_^)

ベッラ・ナポリは石釜で充分醗酵された生地を焼いた美味しいピザを堪能でき、とてもオススメです!!

美味しかったものまとめ(2015年上半期)

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ベッラ・ナポリピザ / 清澄白河駅森下駅菊川駅

夜総合点★★★★ 4.2

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東海道五十三次 街道をゆく 神奈川宿~東戸塚 (4)権太坂・境木等編

2015年09月14日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第4回目の神奈川宿~保土ヶ谷宿~東戸塚の(4)権太坂・境木等編について紹介したいと思います。

 それから、いよいよ権太坂を登り始めます。
ガイドさんからは、断念するなら、帰りのバスがある今ですよと何度も言われます。
それほどきつい坂のようで、結局この日も二人ほど断念したようです^_^;)

 その権太坂は、東海道を江戸から西へ向かう旅人が初めて経験するきつい登り坂だったようです。
この権太坂で行き倒れた人を投げ込む「投げ込み塚」があったほどです。


↑いよいよ権太坂を上る

横浜新道の上を渡るのには驚きました!


↑横浜新道の上を通る

この権太坂の名前の由来は2つあるようです。

一つは、ある旅人がこの坂で近くにいたお年寄りに坂の名前を尋ねたところ、自分の名前と勘違いし、「権太」と答えたことから「権太」坂となったという説です。

もう一つは、「権左衛門」が代官の指図によって拓いた道を「権左(ごんざ)」坂と呼ばれ、それがなまって「権太(ごんた)」坂と呼ばれるようになったという説です。

いずれにしろ、人の名前が坂名になっているとは珍しいですよね。


↑権太坂の説明

 そして、権太坂を登り終えると、境木立場跡がありました!

 権太坂は、ゆっくり歩いたということもありますが、普通にウォーキングできる方であればあまり心配する必要はない坂だとは思います。
自転車で箱根を越えた経験がある自分としては、自転車を降りて歩いて越えた箱根と比べれば権太坂は大したことはない坂だと思います^_^)
ただ、このツアーは高齢者が多いウォーキングなので、みなさんが箱根を越えることができるかかなり心配です^_^;)

 それで、「立場」とは宿場と宿場の間に、馬子や人足の休息のために設けられた場所とのことです。
 この境木立場は、西に富士山、東に江戸湾を望めて景観が素晴らしく、またここの茶屋で出す「牡丹餅(ぼたもち)」は名物として賑わったようです。
なお境木というのは、昔は木の杭が立てられていたので境木というようです。


↑境木立場跡

 それから武相国境モニュメントがありましたね!
武蔵国と相模国の境だったようです。
今の東京都と神奈川県の県境とはかなり違いますね。


↑武相国境モニュメント

 それからそのすぐ近くに、境木地蔵尊がありました。
江戸からの講中や道中の安全を祈る旅人が多く参拝したようです。


↑境木地蔵尊

 この地蔵には面白い言い伝えがあるようです。
この地蔵は元々は荒れた鎌倉の海を流れ着いてきたもので、鎌倉の漁師の夢枕にこの地蔵が立ち、「江戸へ連れて行ったら鎌倉の海を守ろう」と告げたので、鎌倉の漁師たちが地蔵を江戸に向けて運んだのですが、この境木でどうしても動かなくなったようです。
 地蔵は「動かなくなったらその場においても良い」と告げていたので、漁師たちはそのまま境木に地蔵を置いていったようです。
ちなみに、それから鎌倉の海は、地蔵のおかげで静かになったようです。

 そして今度は境木の人たちの枕元に地蔵が立ち、「雨避けにお堂を立ててほしい」と告げたようです。
 それに困ったのは境木の人たちで、お堂を立てようと坊主が江戸に行ってお金を集めると、すぐにお金が集まったようです。
しかし、坊主はすぐにそのお金を使い込んでしまったようです。
(当時は吉原で使い込んでしまったのでしょうか・・・^_^;))

 仕方がないので、坊主はもう一度江戸でお金集めをしますが、これもまたすぐにお金が集まり、今度は立派なお堂を立てたようです。
そのおかげか、その後は境木はかなり栄えたようです。

 それで、この地蔵尊は「お金がすぐ集まる地蔵」として、お金持ちになりたい人が大勢参拝のために集まり、大人気となったようです。

 手水舎の石の右側には「江戸 新吉原 講中」奉納とあり、吉原の人たちが寄贈したようです。


↑手水舎の石

それほど江戸では、この境木地蔵尊が大人気だったということが窺えます。
また、やはり坊主が最初に使い込んだのは「吉原」だったのでしょうか^_^;)


 それから焼いた餅が売られて有名だった焼餅坂を通り品濃一里塚に到着しました。


↑焼餅坂の案内


↑品濃一里塚

 品濃一里塚は、うっそうと繁る木々の中にありましたが、神奈川県内でほぼ完全な形で残っている唯一の一里塚とのことです。

 なお、一里塚には、五間(約9m)四方の塚が造られ、塚の上には榎木や松の大木が植えられたようです。
 夏には木陰を作り、冬には寒風を防いでくれるため、旅人にとっては格好の休憩場所だったようです。
この日も、猛暑にも関わらず、確かに涼しい風が流れていました^_^)
さすがです!!

 そのうっそうとした木々を過ぎると、巨大なマンション群が見えてきて、東戸塚駅近くへ到着です!
この変わり様には驚きですね^_^;)
集合場所の公園に到着し、いつものようにハンコを押してもらいます!

 今回も東海道五三次のウォーキングは楽しく、歴史などの勉強になりましたね!

また、この続きを紹介したいと思います!

次回は、東戸塚~藤沢宿 (1)品濃坂上~鎌倉ハムです。

お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「映画はやくざなり(笠原和夫)」という本はとてもオススメ!

2015年09月11日 01時00分00秒 | 
「映画はやくざなり(笠原和夫)」の購入はコチラ

「映画はやくざなり」という本は、平成14年に亡くなった脚本家の笠原和夫さんの映画人生の自伝とシナリオ骨法十箇条などをまとめたものです。

初版が2003年6月と少し古い本ではあります。

最近読んだ「おそめ」の実質的な夫の映画プロデューサー俊藤浩滋さんやその娘の藤純子の話もあり、興味深く当時の映画制作の状況が分かり、面白かったですね。

 特に自分が脚本した映画を試写室で観たときは怒り狂うほど激怒したけど、実際に映画館という一種の熱狂の場で、他の観客と一緒に首を動かしたり斜めにしたりして動き回る画面を追っていると何とも興奮させられ、滅法よく観れたこともあるとは面白いと思いましたね。

それから、映画の脚本に取り掛かる順の説明や、シナリオ骨法十箇条もとても参考になりますし、面白いと思いましたね。

以下に紹介したいと思います。

<脚本の行程>
(1)コンセプトの検討
(2)テーマの設定
(3)ハンティング(取材と資料収集)
(4)キャラクターの創造
(5)ストラクチャー(人物関係表)
(6)コンストラクション(事件の配列)
(7)プロット作り

・以上、7項目をクリアしていって、脚本家は初めて原稿用紙に向かって書き出せるのである。もっとも、頭の中では始終、あっちを計算したり、こっちをひねったりしているから、必ずしも毎回この順番通りに成立するわけではない。くれぐれも、いきなりプロット作り(ストーリー)に入らないことだ。私の商売往来から言って、わざわざ回り道をしてみようという気を起こした方が、結果はいいようである。急いで片づけて金を稼ごうって気になったら、その瞬間から迷路にはまってしまう。回り道というのは、コンセプトやテーマを仲間と何度も話し合って確認し、モチーフに関する資料をよく読み、背景に使う土地に出かけたり、ひとに会ったりするという、地味でオーソドックスな道である。だいたい失敗した映画というのは、プロデューサーも脚本家もそえぞれが考えていることがマチマチで、すれ違っている場合が多い。すると、まとまりの悪い、狙いのぼやけた映画が出来上がってしまう。映画の発想というのはイメージ勝負だが、イメージというのはプロ同士が一緒に仕事していても、なかなか相手に伝わりにくいものなのだ。細かいところまで、八方手を尽くして、互いの意図するところを呑み込んで置かなくてはならない。コンセプトを固め、テーマを押さえ、資料をあたる。すなわち番号で言えば(1)(2)(3)がとりわけ重要になってくる。

・(1)コンセプトの検討
コンセプト=戦略と呼んでもいい。戦略というのは、一言で言えば映画の有りようを考えることである。映画をとりまく様々な状況、時世時節の流れを踏まえ、その中で、どのように映画を成功に導くのか-このグランド・プランを設定するのが、脚本の最初の作業である。

・自分自身のテーマのほかに、監督の個性との調和、主演助演の各俳優の見せ方、製作母体のカラー、時流のテンポ、そして興行価値の見通し等々、ストーリーを作る以前の難問は山ほどある。簡単な例を挙げれば、大作の構えで大ヒット大入満員を狙うのか、興行はそこそこの当たりで俳優の売り出しを狙うのか、興行はトントンでも批評家受けしてベストテン入りを狙うのか、はたまた新しい観客層の発掘を狙うか、従来の観客層に訴えるか、といったことだ。そうしてヒットする映画とは、このコンセプトが効果を発揮した場合であって、決して目新しいストーリーのせいではない。ストーリーなどというものは、もう何十年も前に、考えられ得るものはすべて出尽くしたと、ハリウッドの誰かが言っている。コンセプトこそが映画のキモであり、それを考案する脚本家はいわば戦争における「作戦参謀」である。脚本家は自らの芸術を追究するのが仕事ではなく、自らも参加した作品の「芸術度」と「商品度」を冷静に算定するのが最大の任務である。

・(2)テーマの設定
コンセプトが確定したら、それに沿って、どういうメッセージを観客に伝えたいのか、自分の「観念」を固める。言うまでもないが、この「観念」=テーマを直接、人物のセリフやモノローグ、ナレーションで表出するのは邪道で、脚本としては下の下である。テーマは、きちんと構成が組み立てられたドラマの中で、観客に以心伝心されてゆくべきものだ。そして、なるべく単純明快に観客に伝わるように、「観念」を整理し強靱なものにする必要がある。最も深遠な内容を、最も簡単な形で受け手(観客)に伝達するのが、あらゆる芸術の基本命題である。テーマを観客に伝えるためには、多彩な大なり小なりの<事件>やエピソードを考案して、各人物がそれにどう照応するのか、を克明に描き分ける必要がある。

・(3)ハンティング(取材と資料収集)
コンセプトが固まり、テーマの方向も見えたら、次は脚本の具体化に向けて、可能な限りのデータを揃える。モデルとする土地や人物の調査に旅をすることをシナリオ・ハンティングと呼ぶが、その他、入手あるいは閲覧可能な文献も集めて、裏付けの資料を獲得しなければならない。このあたり、料理人がネタを仕込みに市場を駆け回って探す努力と何ら変わりがない。仕込みのネタが悪かったり、新鮮なものでなければ、良い料理が出せず、店の評判が落ちるだけだ。取材・資料収集が成功するかどうかで、作品の運命は決せられるのである。その土地の空気を吸うだけで書くものが違ってくるのだから仕方ない。古い神社に寄って、石垣の裏に彫られた寄進者の名前を見るだけで、その土地の特徴ある名前がわかる。そんな細部を知ることで、ふと何かが見えてくることもあるのだから。また、方言でセリフを書く必要がある時は、その土地の古本屋で、代表的な方言を抜き出すのに使いやすい地方出版物を入手しておくのも後で大いに役立つだろう。

・この手の面接取材の場合、テープやメモを使うのを許されたとしても、「必要な時に再生すれば(見れば)いいや」とそのまま放ったらかしにしておくのは、致命的な怠慢である。取材した事柄は記録するためのものではなく、創作に向けて、おのれの頭脳を耕すのに必要な肥料である。だから、テープに頼るにせよ、メモを取るにせよ、必ず自室に戻ったらノートに整理し直さねばならん。そうすることで、取材の際には聞き流していた意外に重要なポイントが見つかったり、また、取材相手の発言が前後で食い違っていることがわかったりして、そこから<行間を埋める創造>の端緒がつかめるのだ。実際に自分の手で書き直した記録は頭の中にしっかりと組み込まれて、いつでも発想の素として活用できるようになる。また資料を表にまとめておくと、書いてる時に疑問が出てきたり、行き詰まった時にそれを見ると、新たな発想が出てきたり、転換ができるものなのだ。歴史的な素材を扱う場合などは、当時あったことを同時並行で書くことが多く、その際、年譜があれば、この事項をはずして、別のものを使おうということも可能になる。創作というものは本来、そういうものであって、決して夢みたいな話を原稿に移すことではないのだ。データを頭にしっかりたたき込んでおいて、そのデータを駆使しながら話を積み上げていくのが本当の創作だと、わたしは思う。わたしは映画会社から「期限を守らない資料変執狂のライター」と目されてきたが、緻密かつ克明に、粘り強く収集され整理された資料は、作家の最大の財産なのだ。ただ、これは声を大にして忠告しておくが、取材・資料収集は大いにするべきだけれども、要諦はその集めた資料の取捨選択である。これには脚本を仕上げる全行程中、一番時間がかかる。資料を読み込んでいると、必ず資料のすき間が見えてくる。こう来た以上、あっちへ行くはずだったのに、なぜこっちへ転んだのかー資料には書かれていないすき間を埋めるのが、われわれ作家たる所以だ。資料のすき間をこちらの創造(想像)力で埋めていきつつ、捨てる材料は思い切りよく、捨てなければならない。資料と資料のすき間を煮詰めるうちに、材料のデフォルメの方向性も見えてくる。脚本執筆に向けて、だんだん頭も身体も熱くなってくる。

・(4)キャラクターの創造 (5)ストラクチャー(人物関係表)
この二つは幾分重なっている。おおざっぱに言えば、キャラクター間のアヤをつけるのがストラクチャーである。(1)から(3)までの段取りを着実に踏んでくれば、もう作者の頭の中では、おおよそのストーリーが見えているものだ。しかし、ここですぐストーリーの曲折に腐心すると、人物がストーリーの都合のいいように作られてしまい、引っかかりのないノッペラボーなドラマに堕してしまう。これを避けるためにキャラクターをしっかり立てなければならない。そこでまず、主人公や2、3のメインの人物の履歴書を作る。出身地や家柄、生家の家族事情、学歴、職歴、性格、趣味、特技・・・。併せて、その人物が経てきた時代の事件、世相、流行、ついでに流行歌やヒット商品など、いかなる興信所も顔負けの、できるだけ細密かつ詳細な履歴書を作成する。この履歴書があれば、脚本執筆の途中で迷いや停滞が生じたとしても、人物の進むべき道はおのずから明らかになっていく。しかし、人間は多面体の存在であり、ガチガチに固めた履歴書にのみとらわれるのも考えものだ。人間は、ジキル博士とハイド氏のような全く違う顔を見せる場合もあるし、予想外の行動に走る時もある。こうしたことはドラマに新しい緊張を生んで、弾みがついてくるので、そうしたフレキシブルな把握の仕方が必要である。だが、幅のある人物の把握も、最初に履歴書がしっかり作られていてこそ可能になる。出来上がったキャラクター群を踏まえて、ストラクチャー作りに移っていく。ドラマは葛藤であり、葛藤とは、誰かと誰かの争いである。この争いがどこから始まり、どう変化し、どのような形で終わるのか、そしてこのメインの人物たちの争いに、脇の人物たちはどう関わり、どんな影響を与えたのか、またサブ・ストーリーはどう関連しながら進行するのか-こうしたことを配慮しつつ、各キャラクター間の関係を掌握していくのがストラクチャ作りである。ストラクチャー(構築、の意)が弱いと、ドラマを引っ張っていくべきサスペンス(吊り上げていく、の意)が効かず、ダラダラした印象になる。ストラクチャーはなるべく複雑で多彩に組まれた方がドラマを面白くするが、当然のことながら、構築された人物関係は終局においてメインの葛藤の結末にきちんと収斂されていかねばならない。「出しっ放し」ではいけない。麻雀で最初はチートイツを狙っていたのが、集まってきたパイによって手を替える-パイを集めるのがキャラクターを立てる作業、手を決めるのがストラクチャー作り、そんなふうに言えるだろうか。わたしは、ストラクチャーを考えている時が、苦痛の多い脚本を書く作業の中で、一番楽しかった。

・(6)コンストラクション(事件の配列)
ストラクチャーが横の人間関係とすれば、今度は縦の流れを組み立てていく。要するにコンストラクションは、思いついた大小の事件を、(1)から(5)までのデータを参考に、順を追って並べていく作業だ。この並べ方は、俗に言う「山あり、谷あり」のリズムを心がければいい。もう少し細かく言えば、ドラマ構成上、「起・承・転・結」の4区分に分けて組み、それぞれの区分の中でヤマ場やクライシス(危機)等のリズムを刻んでいく。このリズムは「序・破・急」になっていなくてはならず、絶えず変化と上昇に留意する。そして何より重要なのは、次第に「結」、つまりラストに向かってテンションが高揚するように運ぶことである。また、どういう芝居を見せるかを留意しなくてはならない。主役が歌を唱うでも、この役者に得意の啖呵をを切らせるでも、そこから逆算して話を膨らませるのがいい。一番悪い例が、勝新太郎氏の映画で、彼が考えている芝居はなるほど面白いのだが、全体の大きなテーマに結びついていかない。だから映画が小芝居の連続みたいになってしまう。コンストラクションでとくに気をつけなければならないのは、「画を抜く」部分を忘れないことだ。映画は「画」を観せるものなので、応接間や喫茶店でセリフをやり取りするシーンは、とかく詰まらなくなりがちである。やむを得ずそうしたシーンが重なった時は、パッと戸外の風景に転換して、飽きやすい観客の目を開かせることだ。これを「画を抜く」という。祭礼や集会、乱闘等のマス・シーンも映画の得意とする表現なので、そういったシーンもコンストラクションの中に用意されていて然るべきであろう。ただ、このコンストラクション通りにできあがった脚本は詰まらないものでしかないし、作品世界にノッて書いている時は、必ずコンストラクションとは違ったものができあがる。どこかで弾けないと、活きた映画にならないのだ。(4)(5)(6)の各項目、すなわちキャラクターを立て、ストラクチャーを作り、コンストラクションを組み立てる際しては、いろんな型や手筈を頭に入れておくのが最大の武器となる。東映の宣伝部員だったわたしが、「脚本を書いていきたいんです」と打ち明けた時、マキノ光雄専務が「なら、君、勉強しろよ。三遊亭円朝全集と「仮名手本忠臣蔵」と新喜劇(曾我酒家五郎劇集)を買って読め」と教えてくれたのは、このことを指す。後年、戦前の「キネマ旬報」を一揃い買い込んで、当時のギャング映画の粗筋を書き写し、分類・分析したこともある。

・(7)プロット作り
コンストラクションを基に、ついにプロット作りに入る。プロットはストーリーのロジックを読み手に正確に伝えるためのもので、余計な情緒的修飾は不要で、何がどうして、何がこうなっただけを書けばいいのだか、通常、ペラ(200字詰め原稿用紙)10枚に収める。この枚数に収まらない場合は、作者がストーリーを把握していないか、あるいはストーリーに冗漫な部分があるということで、逆に10枚に達しない場合は、土間の組み方が浅い、話が足りないということがわかる。この作業は、ドラマ全体を把握するために不可欠なものだ。つい書き手が見失いそうになる、「コンセプトは何か?テーマは何だったか?ストーリーの種類は何か?ヤマ場の盛り上げの手順はどうか?」といったことを大掴みに再確認できる。馬に食わせるほど脚本を書いてきたベテランになると、⑥まで辿り着いたら、自然と頭の中にプロットが出来上がっているだろうが、新人は必ずプロットを書くべきだ。思わぬ落とし穴を見つけることもあるだろう。そして書き上げたプロットはなるべく多くの人に読んでもらおう。そして、彼らの意見を大事にすることだ。自分の書いたドラマに対して客観的な視点を持つことは、当の作品の手直しだけでなく、次回昨を書く際にも役立つ、明晰な判断力に繋がるのだから。

・そしていよいよ脚本に取りかかるわけだが、ここでも急いではいけない。プロットまでの行程は冷静な頭でいなければならないけれど、ここから先は、冷静なままでは一行も書けやしない。ドラマというのは正気の沙汰の人物の話ではない。こっちの頭も狂ってこなければ、セリフ一本、らしくは書けない。だからブラブラしはじめる。来る日も来る日も酒くらって寝ることを続けたりもする。プロデューサーやカミさんは「怠けてる!」と目尻を吊り上げて追ってくるけれど、こっちは頭が狂い始めているのだから馬耳東風、柳に風、ぬかに釘、蛙の面にナントカ、てんで相手にしないことだ。さあ、ほどよく狂ってきたと判断したら、書き始める。一気呵成い、筆の赴くまま、自分の好きなように、ペラ70枚(映画の脚本は大体230枚ほどが目安だ)まで書いてみる。書き出しというのはいつでも五里霧中なものだ。「こんなにゆったり書いていて、全体が230枚に収まるかな」とかペース配分の不安もあるし、一度に初めからエンド・マークまで書こうとすると肩がつってしまう。また、戦争と同じで、実際に戦地に出てみなkれば、こっちの弾がどこまで飛ぶか、敵はどこからぶっ放してくるか、わからないことも多いのだ。私は70枚まで書くと、頭で考えていたことのボロも見えてくるし、そこで一旦休む(似たことをする同業者は多いようである)。二日ほど休んでから机の前に戻ってくると、それまで書いた70枚を読み返して、おもむろにゴミ箱に捨てて、また冒頭か書き始める。人間の頭というのは不思議なもので、同じファースト・シーンから書き始めても、再び70枚目になる頃には相当変わってくる。頭が切り替わり、内容がよくなってくる。えいやっと、今度はラスト・シーンまで馬車道のように書く。事ここに至ってはもはや、「鬼」になるしかない。戦争が起ころうが、不景気で会社がいくつ倒産しようが、人種差別がいっかな止まなかろうが、この世のこと一切は徹底的にワレ関せずでいく。女房が出て行こうが、愛人が怒鳴り込もうが、子どもが泣き叫ぼうが、気にしちゃいけない。この一本書き終えたら「死んでもいい」と思って、夜に昼を継いで、時間はメチャクチャ、曜日も定かならず、酒はあおる、タバコはひっきりなしに吸う、マスはかく-当然、身体はボロボロ、と思いきや、不思議なことに、こんな生活でも身体は快調そのものになる。病気でもして〆切をを延ばしたいと願っても、風邪ひとつひかない。そんなもんだ。ただラスト近くに至って、高熱を発することがある。40度の高熱にうなされ、布団の中で震えながら書き上げたものだった。これは「ドラマ熱」の作用と思われる。自分が構想し構築したドラマの重さや激しさに、自身が耐えられなくなって、生理に変調を来たすのである。だが、ドラマのクライマックスというのは、作者自身が非日常の熱に浮かされるような状態にならないと、イメージがすべて嘘八百に見えてきて、一言半句も書けなくなってしまう。その<熱>が度を超すと、頭の中で内攻するだけでは止まらず、肉体にも取りつくのだ。<熱>が取りつくほどになれば、もうセリフもどんどん出てくる。この「ドラマ熱」を冷ますには、エンド・マークまで書き上げることしかない。試したことはないが、クライマックスでドラマを投げ出した場合、長期のスランプに陥るか、二度と書けなくなるのではないか。何もないところからドラマを出すというのは、それほど恐ろしい作業なのである。

・この原稿用紙の桝目を埋める段階で、ようやく「骨法十箇条」の出番がやってくる。観客の関心を逸らさないために、撮影所の伝統が生み出した、娯楽映画のコツである。小説と違って、脚本は切れ味勝負で、言ってみればとっさの技の連続みたいなものだ。若ければ反射神経も発達しているし、馬力で何とかしのげる場合もあるだろうが、弱ったり疲れたりした時はつねに基本に戻ればよい。それがすなわち骨法である。われわれは、この十箇条を使って脚本を進めるわけだ。いや、「使う」なんてのは、まだ尻の青いシロートの範疇で、骨法十箇条くらいは無意識に繰り出せるくらいじゃないと、プロの脚本家でございと看板を上げられたものではない。さてその骨法というやつ-これはパターンではない。パターンは時勢に沿って止揚し、あるいは変革しなければならないものだが、「骨法」は千古不易である。天の岩戸の前で踊ったあまのうずめのみことの舞も「ターミネーター」のシュワルツェネッガーの迫力も、同じ骨法に沿っている。

・骨法その1。「コロガリ」
転がり、である。英語で言えばサスペンス。これからなにが始まるかと客の胸をワクワクさせ、引っ張り出された糸がもつれたりほぐれたり絡んだりして、最後は初めの糸にキチッと収斂されて大空高くたこが舞い上がる、という展開の妙をいう。「コロガリ」の一番大事な点はトッパナの糸の引き出し方にある。つまり、なんの話か、ということを端的に示唆しなければならない。不自然な展開や御都合主義による話の運び、あるいは脇の筋に深入りした場合は「コロガリが悪い」と評される。また、立て板に水のように本筋だけが先へ先へと進んでしまうのは「コロガリ過ぎる」とクサされることになる。「コロガリ」は、観客との間で適当に駆け引きをしながら、意表を突くカードを次々に見せていくのを最良とする。さらに大事なのは「出」のテンポである。すなわちドラマのファースト・シーンをどのように印象強く提示するかは、その後の「コロガリ」を観客に納得させるための重要なファクターとなる。イスに座ってまだ落ち着かない客の横ッ面をひっぱたいてでも、映画の空間に引きずりこむ腕力と速さがなければいけない。突然のアクション・シーンであっても、説明はあとでいくらでも容れるところがあるから、思い切った衝撃的シーンを真っ先に持って来るべきだろう。また、「役」の「出」ということも一考しなくてはいけない。そのドラマに初めて登場する主役、および何人かの主要人物は、それぞれの最初のシーンの芝居が引き立つように書かねばならないのである。高名な某俳優など、「出」が冴えないと、その時点で脚本を読むのをやめる、つまり出演を断るそうである。

・骨法その2。「カセ」
主人公に背負わされた運命、宿命、といったものである。「コロガリ」が主人公のアクティブな面を強調するものであるのに比べて、「カセ」はマイナスに作用するファクターとなる。分かりやすい例でいえbが、泉鏡花の「義血侠血」のヒロイン滝の白糸が苦学生村越欣弥に寄せる恋慕である。その恋慕ゆえに白糸は罪を犯し、それを裁くのは学業を終えて検事となった欣弥その人であった。この白糸の身分違いの恋(欣弥は当時の特権階級たる士族の出)が「カセ」であり、そこから生ずる波乱が「アヤ」である。適切な「カセ」が設定され、「アヤ」が効果的に効いたドラマは、文句なしに面白い。ドラマの楽しさは「アヤ」にあるのだが、「アヤ」を生むのは適切な「カセ」であることを忘れてはいけない。ただし、技術的に一番難しいのは、この「カセ」である。「カセ」が凡庸だと、「アヤ」もちゃちなパターン・ドラマに終わってしまう。

・骨法その3。「オタカラ」
往年の名活劇「丹下左膳」の中で、敵味方の間を往ったり来たりする「こけ猿の壷」を指す。歌舞伎においても、御家重代の宝剣の行方をめぐって劇が進行する、なんて例は多々ある。主人公にとって、なにものにも代え難く守るべき物(または、獲得すべき物)であり、主人公に対抗する側はそうさせじとする、葛藤の具体的な核のことである。サッカーのボールを思えばいい。これが絶えず取ったり奪われたりすることで、多彩に錯綜するドラマの核心が簡潔明快に観客に理解される。とりわけアクション・ドラマの場合には「オタカラ」は必須である。

・骨法その4。「カタキ」
敵役のことである。「オタカラ」を奪おうとする側の者である。メロドラマにおける「恋(色)敵」などもこれに当たる。ただし、一目見てすぐ<悪>だとわかるような「カタキ」は、時代劇ならともかく、現代劇では浮いてしまうだろう。内面的なこと、トラウマや劣等感、ファザー・コンプレックスなど、内部から主人公の心を侵害するものでも「カタキ」になりえる。

・骨法その5。「サンボウ」
主君織田信長からさんざん屈辱を受けた明智光秀が、主命によって高松城水攻めの羽柴秀吉の援軍として出陣する際、首途の杯を前にして、不意に三方(サンボウ)を逆さに打ち返し、「敵は本能寺(信長の宿舎)にあり!」と叫ぶ場面に由来する。「正念場」ともいう。ドラマを人体に見立てた場合、その目をまさに画きこむところである。進退ギリギリの瀬戸際に立った主人公がその性根をみせて、運命(宿命)に立ち向かう決意を示す地点であり、これがないと、そこから先のドラマは視界ゼロの飛行になって、どこに着くやら観客には見当がつかなくなってしまう。複雑多彩に膨れたドラマの中心部でこの「サンボウ」の芝居をつけることで、ドラマがどちらを目指しているのかを観客に気づかせることができる。客の心臓をモロ掴みにして、有無を言わさずドラマの道連れにしてしまうのが、「サンボウ」の重要な効用である。

・骨法その6。「ヤブレ」
破、乱調である。どんなスーパーマンでも、一度は失敗やら危機やら落ち目に出くわさないと、観客からみて存在感が希薄になるものだ。失意の主人公がボロボロになって酒に溺れたり暴れたりする芝居は、役者にとってもやり甲斐のある見せ場となる(主演スターの持ち味によっては、きれいごとで済ませる場合もあるが)。

・骨法その7。「オリン」
ヴァイオリンのことである。むかし「母もの映画」というヒット路線の映画が多産されていた頃、母と子の別れの場面にはヴァイオリンをかき鳴らして観客の涙を誘ったものだった。それで、感動的な場面のことを「オリンをコスる」と呼ぶようになった。「オリン」の設定は、「ヤブレ」のあと、次の「ヤマ」の一歩前あたりが適当であろうか。

・骨法その8。「ヤマ」
俗にヤマ場、見せ場という。クライマックスである。ここでは本筋、脇筋を含めたあらゆるドラマ要素が集結し、人物たちは最大限に感情を激発させ、衝突し、格闘し、一大修羅場を呈することになる。いわば「ヤマ」は観客が抑制してきた興奮の発酵を、ここぞとばかりに空に向けて一気に解き放つもので、何より作者自身がまず感動し、我を忘れるようなボルテージの高い場面にしなくてはならない。

・骨法その9。「オチ」
締めくくり、ラスト・シーンである。オチには、観客の予測と期待通りに終わる場合と、観客の予測に反しながらも、期待は満たして終息する場面の二種類がある。ミステリーのラストはたいていが後者で、メロドラマは前者の場合が多いだろう。予測できて期待はずれ、予測できなくて期待も満たされない、そんなオチが厳禁であることは言うまでもない。ラスト・シーンは、そのドラマが装うさまざまな衣装の中で、もっとも華やかで美しく、高貴な香りを湛えた百万ドルの衣装でなくてはならない。作者は、ここでは思い切り楽しみつつ、細心で丁寧な気遣いを持って書き上げなくてはいけない。

・骨法その10。「オダイモク」
つまり、お題目。テーマである。書き始める前に定めたテーマ(前述の(2)にあたる)と、こうして実際にドラマを書き始めてきた処で湧き上がってくるテーマとの間に、差異が賞ずる場合がある。そんな時は、当初のテーマは観念的なものとして捨てた方が得策だろう。ドラマを書くことを通して掴んだテーマの方が血が通っているものだ。そして脚本を書き上げたところで、さて、自分が観客に伝えようとしたテーマは充分に示されただろうかと、もう一度「オダイモク」を唱え直して検証することが肝要である。お題目はハッキリ唱えなきゃ宗旨が分からない。宗旨が分からなければ説教したって無駄である。お題目をハッキリ唱えるにはご本尊様に正対しなければならない。つまり思想なり情念なり美意識なりが向かってゆくもの、ターゲットがキチンと捉えられていなければ、テーマはテーマとして成り立たない。一言で言えば、「志」がなければならない。映画は、どんな娯楽作品であろうとも、志をもって創るものだ。わたしはそういう世界で今日まで生きてきた志なんて言うとどうも人生訓話みたいでよろしくないが、「切実なもの」と呼び換えてももいい。

・アメリカ映画が日本はもちろん、ついに世界中を制覇したのは、彼らがつくる作品にはどれにも通俗的な骨法がキチンと仕込まれているからだ。だから大衆の支持を受けるのである。脚本のみならず、小説、絵画、音楽、すべて芸術と名のつくものは、丹念な調査と緻密な計算の末に、一見無造作にもみえる一行の文、一節の音、一筋の線を生み出すものである。作為がないのが今ふうだと称して、雑駁な人間が雑駁なまま放り出したものは、それこそ無造作どころか下劣な作為そのものである。運、とか、才能、といったものは自分自身ではどうにもならない。唯一、武器として持てるのは、「忍耐」のみだ。脚本家は「忍耐」を売り物とする職業である、というのが、わたしの40年近くの経験から得た結論である。脚本製作は、たった一人で造船所のドックに腰を据え、竜骨を敷き、肋骨を組み、鉄板を張り、機関を設置し、歳月を忘れて打ち込むうちにやがて精強な一隻の軍艦を建造していくようなものである。オリジナル・シナリオの執筆で、これまで述べてきたような段取りをきちんと守った場合、最速でも半年はかかるだろう。根気強く情熱を燃焼させ続けられる者のみが、われわれの仲間となる。

・脚本でメシを食えるか、食えないか。つまりプロとアマの差は直しの注文に応じられるか否かにある。かつて、わたしのところにも習作を持って弟子入り志願してくる若者がずいぶんいたが、一読して、直して来いと言うと、まず、直して来ることはなく、そこでもって、ご縁が切れてしまうこと、しばしばであった。しかし、直しができない人間は絶対にプロにはなれない。確かに監督なり、プロデューサーなりの意見を取り入れて直すということは、恐ろしく辛いことである。もちろん、直して脚本が悪くなってしまうこともあるが、概して、経験のあるプロデューサーや監督ならば、みんな、そこそこのことは分かってるわけだから、そう間違ったことは言わないものだ。おかしい、こんなことでいいのか、と思うことは、当然あるが、そう思いながらも直してみると、案外、映画ができてから初めて、その理由がわかるということがある。直しの注文に応じられず、短気を起こして、原稿を破いてしまったら、脚本家はそこでオシマイである。脚本家に一番必要なのは、そこを我慢して直す忍耐力なのであり、この忍耐力こそが、脚本のプロであることの絶対条件である。ヘタな文士気取りで自分の脚本は一字一句直しませんなどと構えるのは噴飯物であって、脚本家というものを、作戦参謀だと考えれば、直しの注文なんていくらでも受けられるはずである。現場の指揮官=監督から進言されれば、なるほどそうですか、じゃあ考えてみましょう、となるのだから。

・脚本は生業である。自分と家族が食べていくための商売である。そのためには、それ相応のギャランティを得なければならないが、ギャランティを決めるのはプロデューサーである。従って、脚本家は、そのギャラで何日、何ヶ月先まで食べていけるのか、常に計算しながら執筆期間を決め、それをオーバーしないようにする。ところが、それを少しでも引き伸ばそう、引き伸ばそうとする人種がいる。監督である。監督といいうものは、己の作品のためなら、他人のことなどお構いなく、粘ろうとするものである。そのような事態になってしまった時はどうすればいいのか?撤退する作戦を考えることである。いかにして、企画をぶち壊すかと、あらゆる知恵を振り絞って考えるのだ。監督とまともにつきあっていては、メシは食えない。

・脚本を書くうえで、自分のカラーを出すことは、その時の運と腕次第であるが、カラーを出すにも、それなりの知恵が必要だ。概して、今の若い人は、最初から自分のカラーをプロデューサーや監督に押し出して真正面から衝突してしまい、潰されてしまうことが多い。しかし、正面からぶつかる前に、裏側から情報を探るなり、相手の性格を読み取るぐらいのことは、やって欲しい。そして、まず、最初は自分がやりたいことを言ってみる。向こうが渋い顔をしたならば、その時には相手の言うことを全面的に聞く。要するに二枚腰、三枚腰で交渉するのだ。そういう、押し引きの挙げ句、土俵際で勝負をかける。そして、それが土俵際であることは相手に見せない。隠し玉を持ち、土壇場でもって相手を裏切るわけだ。脚本家たるもの、この裏切りの腕前も磨かなければならない。

・シナリオライターというのは、いうなれば航空機のパイロットみたいなものである。航空機の世界の技術は日進月歩で、毎日毎日飛んでいないと操縦の方法が分からなくなる。変化に対応していくためには、毎日、操縦かんを握っていなければならない。シナリオもそれと同じで、このシーンの次はこうすればいいといった技術的なことは分かっても、感性的にこれではダメということがある。常に現実社会と接触して、現場で切磋琢磨していないと、そういう感性は劣化してしまう。だからシナリオというのは、一遍離れたら、もう書けないものだと思う。一旦、飛ぶことを止めた脚本家は、酒とバクチに走るしかなくなってくるのである。

・書き終わったホンのことはさっさと忘れた方がいい。成功も失敗も関係ない。元気だった頃のわたしは、一本書き終わったら、千駄ヶ谷の宿に寿司の出前を5人前くらい取って、女を呼んで、食って、イタシテ、寝て、起きて、また食って、イタシテ、酒を浴びるほお呑んだ。ふらふらと宿から出て黄色い太陽を見上げて、それで全てを忘れるようにした。結果については、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、と思っているのが一番無難だ。この世界、60%も成果があれば上出来としなくてはならない。

・骨法などにとらわれて、自分の「切実なもの」を衰弱させてはならない。わたしも駆け出し時代は、2、3日徹夜して一気に一本仕上げたものである。骨法なんて、まだ考えもしなかった、知りもしなかった。それでちゃんと映画になったし、商売にもなった。その中で腕も磨かれたし、感性も鋭くなったと思う。若い人はガムシャラにどんどん書くことである。これだけ映画もテレビもその他もあって、映像の氾濫している時代なのだから、誰だって映像のおおまかな流れ具合は頭に入っているだろう。書くための予備知識はそれで充分。あとはただ書くことだ。大事にしなくてはいけないのは骨法などではない、体の内側から盛り上がってくる熱気と、そして心の奥底に沈んでいる黒い錘りである。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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レオーネ マルチアーノ(横浜市みなとみらい駅近く)のランチはとてもオススメ!

2015年09月09日 01時00分00秒 | 外食
 横浜美術館に行く機会があったので、その近くにあるレオーネ·マルチアーノへ行ってみました!
場所は横浜市の「みなとみらい線」の「みなとみらい駅」1番出口から徒歩約2分のところにあります。

 店内はかなり天井が高く、質感があり、高級感が漂っています^_^)
店内装飾のすべてをヴェネツィアのバーカロ、パラッツィオをイメージして作ったとのことです。
奥にアップライトピアノがあったのですが、さすがスタインウェイでしたね^_^;)

 まず、ドリンクを選びます。
ブラッドリーオレンジジュース600円を選びました。
健康的に100%果汁ジュースです^_^)
お店の方もオススメとのことでした。


↑ブラッドオレンジジュース

それからランチメニューを見て、AMMIRAGLIATO ¥2,200を選びました。
以下の構成となります。

Antipasto misto前菜の盛り合わせ
Pasta del giorno o Spaghettoni fatti in casa本日のパスタか自家製スパゲッティ―を選択
Dolciデザート
Caffé o Té(caldo o freddo)コーヒーまたは紅茶(ホット・アイス)

 それからパスタを選ぶことになるのですが、このお店が面白いのは、実物の3種類の麺から1つを選ぶと、パスタソース等の内容が決まるということです。
トマトソース系か、クリームソース系、野菜系から選ぶことになるようです。
私の場合は、トマトソースのアンチョビ入りのものを選びました。
麺はさすが自家製とのことでした!


↑3種類の麺から選ぶ

そして、パンが運ばれます。
3種類を楽しむことができます。


↑パン3種

それから前菜が運ばれます!
カンパチやキッシュ、パルマ産生ハム、レバーペーストのものなど、盛りだくさんでたくさんの種類があったのが嬉しかったですね!
特にカンパチが脂が乗っていて美味しい!


↑前菜

そして、トマトソースのパスタが運ばれますが、アツアツで美味しい!
さすが自家製麺でコシがあるのが嬉しいです!
この歯応えが堪りませんね^_^)


↑パスタ

そして、デザートとしてピスタチオ風味でブルーベリーやいちごが乗ったものが、甘くて美味しい!
苦めの珈琲と合い美味しいです!


↑デザートと珈琲

レオーネ マルチアーノは、質感のある内装の部屋で、美味しいイタリアンを堪能でき、とてもオススメです!

美味しかったものまとめ(2015年上半期)

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レオーネ・マルチアーノイタリアン / みなとみらい駅新高島駅高島町駅

昼総合点★★★★ 4.0


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東海道五十三次 街道をゆく 神奈川宿~東戸塚 (3)保土ヶ谷宿編

2015年09月07日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第4回目の神奈川宿~保土ヶ谷宿~東戸塚の(3)保土ヶ谷宿編について紹介したいと思います。

 それから、いよいよ保土ヶ谷宿へ入っていきます。
問屋場跡や助郷会所跡、高札場跡がありました。
この3つは、どの宿場にもあったようです。


↑問屋場跡


↑助郷会所跡


↑高札場跡

 問屋場というのは、現代では想像し難いのですが、公的な業務で、幕府関係者や大名などの荷物運搬(人馬継立)、幕府公用の書状等の通信
(継飛脚)、大名行列の宿泊の手配などを担った重要な施設です。

 その人馬を賄いきれない場合は、指定された周辺の村々から動員され、その動員のことを助郷と呼ばれたようです。
問屋場の近くに助郷会所という事務所が設けられていたようです。


 それから、道しるべも残っていましたね。
4つあり、今では珍しいですね。
金沢・横浜に行く分岐点だったようです。


↑道しるべ


↑道しるべの説明


 そして、保土ヶ谷本陣跡がありました!
大名等が泊まった場所ですね。
国道1号線沿いで、かなり交通量が多い道沿いです。


↑本陣跡概観


↑本陣跡の玄関


↑本陣跡の説明

それから近くには脇本陣跡もあり、この脇本陣には運が良ければ一般の人も泊まれたようです。


↑脇本陣跡

それから近くには旅籠屋が残っていました。
現在は営業はしていませんが、立派な建物です。
木の格子が旅籠屋の面影を残しているようです。
ちなみに木賃宿は自炊する木を用意するだけで食事は出ませんが、旅籠屋は食事や酒の提供があります。


↑旅籠屋の説明


↑旅籠屋

そして、少し歩くと一里塚跡がありました。
約20年ほど前にこの辺りに住んでいたことがあるのですが、その後にできたようで、歩道もあり、綺麗に整備されています。
この一里塚は江戸の日本橋から8番目なので、その日本橋から約32kmの距離となります。
昔はこの辺りは松並木が有名で、境木まで3kmあまり昭和初期まで続いていたようですが、現在では権太坂付近に少し残るだけとのことです。
当時の面影がなくなってしまい、ちょっと残念ですね。
おそらく、第二次世界大戦中に松根油を採るために、全国的に松が伐採されたのだとは思います。


↑一里塚跡

 この一里塚の歩道に沿って川が流れているのですが、きれいな錦鯉が泳いでいるのには驚きました!
こんな大都市なのに水が綺麗なのには驚きです!
すごい!


↑今井川の錦鯉

次回は、(4)権太坂・境木等編です。

お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!

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「食品の裏側2 実態編(安部司)」という本はとてもオススメ!

2015年09月04日 01時00分00秒 | 
「食品の裏側2 実態編」の購入はコチラ

 「食品の裏側2 実態編」という本は、以前このブログでも紹介した「なにを食べたらいいの?」と同じ著者が書いたもので、食品添加物の実態について明らかにしたものです。

 具体的には以下について書かれていて、特に加工食品には想像以上にかなり多くの添加物が加えられていることに衝撃を受けましたね。

・具体的にハンバーグ弁当等に使用されている添加物について
・大量の添加物が使われる理由(置き換え、増量、もどき、簡単・便利、輸入・大量生産等)
・添加物の認可について
・添加物による直接的な体への影響
・添加物の間接的影響
・添加物との付き合い方
・有機野菜の普及について
・添加物を減らすコツ
・幼稚園等の取り組み
・具体的な各添加物の説明

また以下の「ひふみの原則」や「昭和そうす」を心がけたいと思いました。

<ひふみの原則>
ひ-非伝統的なものは食べない
ふ-不自然な食べ物は食べない
み-未経験な食べ物は食べない

<昭和そうす>
しょう-少食(少量で多品目)
わ  -和食(伝統的な家庭料理)
そ  -粗食(素朴な田舎料理)
うす -薄味(素材を生かした味)

「食品の裏側2 実態編」という本は、添加物や健康に関して考える上でとても参考になり、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・見た目には、デミグラスソースのかかったハンバーグ。しかし本物のデミグラスソースはおろか、普通のソースもケチャップも使われていません。肉自体も牛肉は使われていませんが、食べると牛肉の風味がします。なぜでしょう。原材料を見ながら説明していきましょう。原料となる肉は、鶏と豚に牛脂肪を加えたもの。牛脂肪を加えるのは、柔らかさを出すためと、牛肉らしい風味を出すためです。柔らかすぎて普通には丸められませんから型に入れてつくられています。手作り感はありませんが、コスト優先です。まず食材についてですが、粒状大豆たんぱくは、肉製品を増量させるための定番といえるもので、大豆から抽出したたんぱく質を粒状の形に成型したイミテーションひき肉です。豆乳からつくる「ゆば」の原理と似ています。カラメル色素でベージュ色に着色されています。いわば挽き肉のコピー商品です。もう一つの大豆たんぱくは粉末状で乳化とつなぎの働きがあります。同様の目的で牛乳から抽出された乳たんぱくも加えます。ビーフエキスはビーフの風味をつけるためです。牛肉を使っていないため、こういうもので牛肉のハンバーグらしさを出すのです。たんぱく加水分解物は、植物や動物のタンパク質を塩酸で分解してつくられた強いうまみの天然系調味料です。添加物扱いではありません。次に添加物を見てみましょう。調味料(アミノ酸等)は定番の化学調味料の複数の混合物、ph調整剤は食品を酸性側に保つ保存効果のための添加物の混合体です。加工デンプンはさまざまな用途に使われますが、ここでは乳化効果と固める目的で使用されていると考えられます。リン酸塩(Na)も多くの用途に使われる添加物ですが、種類がいろいろあり、略して表示されます。この場合は肉の結着(つなぎ)効果のために使われています。調味料(アミノ酸等)、ph調整剤、加工デンプンの3つは「一括表示」(グループ表示)ですから、具体的な添加物名は表示されません。カラメル色素は砂糖やデンプンを焦がした後、化学処理された茶~黒の着色料です。お母さんが砂糖を焦がしてくつるカラメルソースとは似て非なるものです。紅麹色素は「ベニコウジカビ」から抽出された赤色の着色料です。「カラメル色素」と合わせてハンバーグに赤茶色のおいしそうな色をつけます。カラメル色素、紅麹色素とも天然着色料です。

・「イメージ的に添加物は少ないほうがいい」という意識が働きます。仕入れ原料と添加物を眺めて、「これとこれは、まとめて一緒にできるのではないか」「これはキャリーオーバーにできないか」と、添加物表示を少しでも少なくしようと知恵をしぼります。挙げ句の果て、意図的に表示を省くことさえあります。しかしこのハンバーグ弁当は、表示があるだけまだマシといえるのです。持ち帰り弁当や、店内で詰めて販売するスーパーの弁当には、原材料(添加物)の表示さえもありません。製造者(詰め合わせ、小分け、バラ売りも含む)と販売者が同一の場合は、表示ラベルは不要という法律があるからです。外食、持ち帰り弁当、店内調理のハンバーグ、ホテルのレストラン、デパ地下やスーパーのバラ売りがこれに該当します。

・から揚げは不動の人気総菜です。安くて、誰にも好まれる。庶民の味方といったところでしょう。から揚げの原材料表示の発酵調味料とは、純米みりん、純米料理酒に似せ、安い材料で置き換えてつくった調味液です。酵母エキスは酵母から抽出される強いうまみの天然調味料です。から揚げの衣は家庭では通常、小麦粉、片栗粉でつくりますが、業務用ではコーンフラワー、加工デンプン、卵白粉末、増粘剤(キサンタンガム)等が使われます。衣のはがれ防止、サクサク感を出す、長期の冷凍変性防止などの目的です。粉末状大豆タンパク、乳化剤は油のにじみ防止や口当たりを軽くする目的で加えられます。着色料で衣も色付け、きれいな揚げ色にします。揚げ油は酸化しにくいパームやし油が使われます。から揚げ専門店は風味のある大豆白締油やなたね白絞油を使います。ベーキングパウダーはふくらし粉とも呼ばれる膨張剤です。主成分は重曹で、発生する炭酸ガスによって生地を膨らませます。これらの多くはブラジルや中国、東南アジアで加工され、後は揚げるだけの冷凍状態で輸入されます。また揚げた後、冷凍されたものも輸入されており、こちらは電子レンジで解凍後、すぐに食べられます。

・添加物が使われる理由を大別すると、「安い」「簡単」「便利」「きれい」「オイシイ」です。要は、添加物を使えば、次の要素をすべて満たした食品ができあがるのです。
①安い(増量、置き換え、フェイク・もどき食品で単価が下がる)
②簡単(調理の面倒さを解決する)
③便利(保存性といますぐ欲しいという要求を同時に満たす)
④きれい(見た目を美しくする)
⑤オイシイ(濃厚な味をつくる)
特に「安さ」の裏側では、添加物が大活躍。安くあげるためには、「増量する」「高い本物食品を偽物食品で置き換える」「大量生産する」といったワザが使われますが、この舞台裏を支えているのが添加物なのです。

・コンビニ、ファストフードのサンドイッチやサラダのマヨネーズは、多くの方が本物のマヨネーズと思って食べているのではないでしょうか。しかし、原材料名を見てみてもマヨネーズという言葉はなく、あるのは「半固体状ドレッシング」という表示。要は卵を安い乳化剤で置き換えた「マヨネーズもどき」です。半固体ドレッシングは乳化剤やマヨネーズ風の口当たりや色、酸味料、香料などの添加物を使うことができます。つまり、いろいろな添加物によって限りなくマヨネーズに近づけることができるというわけです。コンビニのごぼうサラダ、ポテトサラダ、マカロニサラダ、外食のタルタルソース、サラダ、たこ焼き、お好み焼き、ハンバーグ、それらのマヨネーズがおいしくないと思ったら表示を見てください。多くは「半固体状ドレッシング」と書いてあるはずです。ただし、外食やテイクアウトのものには表示されませんから、何が使われているか、私たちにはわかりません。

・そのお母さんは子どもに食物アレルギーがあることから、食品を買う時は表示をよくチェックするそうですが、ハムに「卵、大豆、牛乳」のアレルギー表示があるのを見つけたのです。「ハムは豚肉のかたまりでつくられるんですよね?なぜ大豆や卵や牛乳が使われるんですか?」「ああ、お母さん、いいことに気がつきましたね」説明しましょう。まず卵。白身の部分は火を入れると固まる性質があります。卵白から固まる成分だけを抽出します。これが「アルブミン」というタンパク質です。大豆というのは、大豆から抽出された「大豆たんぱく」のこと。油と水を乳化し、固める性質があります。牛乳は何かというと、牛乳に含まれる「カゼイン」というタンパク質を化学処理したものが「カゼインNa」という添加物です。これらを調味液に溶かし込み、さらに発色剤、コチニール色素、肉と肉との結着剤のポリリン酸塩、水あめ、ゼラチン等を溶かし込み、生肉に注射し、よく揉んだ後、成型のチューブに入れ加熱すると肉に注射した水分が固まります。つまりアレルギー表示に「牛乳、卵、大豆」と書いてあっても、その食品がそのまま使われているのではなく、そこから抽出した成分が水を固めるために使われているのです。この注入による増量・味付け方法は、ベーコン、焼き豚、鮭、牛タンにも応用されています。いずれにも裏ラベルに「乳化剤」という表示、あるいは「乳、大豆」のアレルゲン表示があればこの方法が用いられていることになります。また、同様の考え方で輸入の牛肉に直接牛脂を注入する方法があります。輸入の赤肉はパサパサしていますから、乳化させた牛脂を注射器で注入します。1日置くと水は肉に入り、脂は肉のすき間に残り、霜降り肉になるのです。焼き肉チェーン店では、「やわらか仕上げ」などと書いてある場合があります。また、生の小肉を添加物で結着し、大きな形にするのも増量と言えます。現在では、食用品瞬間接着剤とも呼ばれる酵素(トランスグルタミナーゼ)がよく使われます。サイコロステーキ、ステーキ、ロースロビーフ、トンカツなどがそうです。有名ホテルの偽装メニューでも有名になりました。いずれも添加物なしには作れないものです。

・なぜ、小さじ1杯で2~3人分のだしが取れるのでしょうか。だしメーカーがかつお、昆布の煮出し汁を濃縮して、特別な方法で顕粒状にしているのでしょうか。答えは「ノー」です。ここでも食品添加物が活躍しています。インスタント食品の味の「黄金トリオ」、つまり、「食塩」+「化学調味料」+「たんぱく加水分解物」のつくり出す濃い味です。ただし、これだけでは、何のうまみかはわかりません。風味がないからです。これにかつおエキスなどで風味(香り)をつけるのです。これがだしの素です。

・業務用のだしを中心に製造しているマエカワテイスト(姫路市)という老舗のかつおぶしメーカーがあります。この会社のだし、だしパックには酵母エキスは使われていません。コストが安くなるのはわかっているが、だし本来の味ではないというのがこのメーカーの主張です。

・なぜ、添加物は増える一方なのか。その答えは、外国からの「要請」です。特にここ数年で増えている添加物は、ほとんど米国、ヨーロッパからの要請のものです。米国、ヨーロッパの食品には、日本では認可されていない添加物が多くあります。「食品添加物Aを日本が認めていないから、日本に輸出ができないではないか。新規に許可して、もっと買ってくれ」簡単にいえば、こういうことです。各国の添加物の認可の違いが貿易の障害にならないように、添加物を広く認めて国際的に共通化しようという動きなのです。ここでリストアップされた添加物を「国際汎用添加物」と呼びます。一般的に、添加物は認可されるまでに何年もかかりますが、国際汎用添加物の場合は、国内での試験は行わず、海外のデータが使われるため、認可が下りるのがスピーディーなのです。国際汎用添加物として現在45品目がリストアップされており、これまでに34品目が認可、残り11品目も近く指定の見込みです。ほかにも現在審議中のものがたくさんあることを考えると、化学的合成添加物はまだまだ増え、現在の436を大きく上回り、500にすぐいくのではないかと思われます。ましてや、TPPに参加したらどうなるのか。TPPの目的の一つは、貿易をスムーズにすることですから、参加国で認められている添加物は、日本でも認めざるを得なくなるでしょう。

・「天然着色料なら安全」と思いこまれている方は多いですが、実際にはまったくそんなことはありません。アカネから抽出した天然着色料「アカネ色素」は、発がん性があるとして2004年に禁止になりました。

・10年ほど前、福岡県の養豚農家で死産が続いたことがありました。やっと産まれてきた子豚も奇形だったり、虚弱ですぐに死んだりしたのです。羊水はコーヒー色に濁っていました。農場主は、実は豚の妊娠期間である114日前から、コンビニの廃棄弁当を与えていました。弁当は消費期限の2時間前に廃棄しますから、腐っているわけではなく、農場主が食べても問題のない品質だったそうです。人間で言えば三食すべてをコンビニ食にしたのと同じことです。農場主は合わせて250頭の子豚を亡くし、慌てて元の穀物に替えたところ、お産は元に戻ったというのです。「豚体実験はもうこりごりだ」とは、農場主のいつわらざる言葉です(西日本新聞「食卓の向こう側・第2部」2004年3月19日より)。これらをすべて、「添加物のせいだ」と短絡的に決めつけ、煽るつもりはありませんが、「添加物のせいではない」と言い切ることもまた、難しいと思います。

・「塩分」「油分」「糖分」の摂りすぎに対して、私たちはもともと防衛本能を持っています。「塩辛い」「油っこい」「甘すぎる」というのがそれです。しかしこの防衛本能を添加物はたやすく崩します。舌がマヒして塩辛さ、油っぽさを感じなくなるどころか、「オイシサ」に変わってしまうのです。食塩10gの入った水は飲めないけれど、同じ塩分量でもカップ麺ならおいしく食べてしまう。砂糖50gの入った水も飲めないけれど、同じ糖分量の清涼飲料水なら平気で飲める。油大さじ約4杯入りの野菜炒めはとても食べられないけれど、同じ量の入ったカッップ麺なら平気で食べられる。「おそばだからヘルシーだわ」とカップそばをランチにしているOLさん。油と塩の量はラーメンと変わらないし、カロリーも幕の内弁当とほぼ変わりません。添加物というマジックにかかれば舌がマヒしてしまうのです。コップ半分の糖質を一気に飲み、間食で成人1日分の塩分を摂り、成人男子の1日分の油の倍以上摂る子どもがいるという事実。塩分、糖分、油分。この3つを「摂りすぎ三兄弟」と呼んでいます。この「摂りすぎ」こそ、添加物の安全性とは別の「怖さ」なのです。

・油は量の問題だけでなく、「質」にも気をつける必要があります。マーガリン類、ファストフード、フライ麺に使われる油はトランス脂肪酸が含まれています。「トランス脂肪酸」は心臓病や動脈硬化を招く「体に悪い油」です。欧米ではトランス脂肪酸については表示義務がありますが、日本にはありません。その理由は「欧米に比べてトランス脂肪酸の摂取が少ないと思われる」というものです。しかし東京大学など8大学のグループの調査によると、WHO、FAOが奨めるトランス脂肪酸の目安を超えて摂取している人は、30~40代の女性で30%を超えていました。その原因と考えられるのはお菓子です。市販のお菓子やケーキにはマーガリン、ショートニングが多く使われているからです。もちろんファストフード、即席麺も忘れてはいけません。

・500mlの清涼飲料水には、50~60gもの糖分が含まれています。砂糖にするとコップ半分くらいです。この量を500mlの水に溶かすと、そのままでは飲めないというくらいの「甘すぎるシロップ液」です。しかし、それに「クエン酸」などの酸味料を入れ、数十種類の化学物質が配合された香料で香り付けし、着色料で色をつけると、「あっ、おいしい」「いつも飲んでいる味だ」とみなさんが思わず言う「清涼飲料水」となります。ところが、こんなに大量の糖分(ブドウ糖と果糖の混合)が入っていながら、清涼飲料水には「糖分」という表示がありません。書いてあるのは「炭水化物」です。もともと炭水化物の量は脂質、たんぱく質、水分など計測できる成分を除いた量です。「糖分」とは書かず「炭水化物」という表示でも、「間違い」ではないわけです。清涼飲料水をつくるメーカーは、お父さんたちが飲むビール風味アルコール飲料は、「糖質オフ、糖類ゼロ」とコマーシャルで強調しているくせに、糖分摂りすぎの子どもたちの飲料には「炭水化物」の表示。違反ではないとはいえ、メーカーの姿勢を疑いたくなります。そんなメーカーが販売しているサプリメント、特保は本当に消費者の健康のことを考えてる商品かなと、よけいな庶民感情を持ってしまいます。「清涼飲料水にこそ、きちんと「糖類○g」と表示すべきだと思います。

・添加物は、「安全性試験」で安全性を確かめますが、その中に催奇性というものがあります。ネズミなどに添加物を食べさせて、子どもに奇形がでるかどうかを調べるのです。この試験は通常は2世代までを見ますが、「3世代まで見るべき」という意見もあります。母親、その子ども、孫の世代と3世代にわたってその物質を与え続けるのです。そして3世代にわたって異常がなければ、「この化学物質は安全だろう」と判断するのです。これを人間で考えてみると、人間の3世代はおよそ100年です。私は人間が実際に100年以上もの間、食べ続けてきたものは安全性が確立されていると思っています。では、私たちが100年間以上にわたって食べ続けてきたものは何でしょう。それは日本の伝統食品、和食です。和食は2000年以上かけてつくりあげられたといわれています。そこにはいろいろな失敗があり、紆余曲折があったはずです。いまある和食は果てしない人体実験を繰り返してきた結果の集大成ともいえるでしょう。これぞ日本が世界に誇る「安心して食べられる食品」です。添加物でいえば、日本人が何世代にもわたって摂り続けている、たとえば豆腐のにがり、ふくらし粉の重曹などは、ふつうの使い方では安全性がほぼ完全に証明された添加物だといえるでしょう。私は究極のところ、「食の安全性は歴史の中にしかない」と考えています。すべての添加物を危険だというつもりはありません。しかし「○○という添加物は安全ですか?」と聞かれても「今のところ明確な危害は出ていないようです」としか答えようがないのです。もし何が安全かといわれたら、それは毒性データではなく、歴史の検証に耐えてきたものしかないと思うのです。

・なぜ、有機野菜が高いのか。それは「選別、定貫、指定」の3原則が有機野菜をダメにしてしまっているからです。定貫は1袋当たり同じ重さにそろえること、指定とは品名、数量を指定して買うことです。農薬なしでおいしい野菜をつくろう、地球にやさしく子どもたちに安心できる野菜を食べてもらおうと夢に燃えて、若い人が有機農法をはじめる。ところが、せっかく作った野菜が、形が悪いという理由で出荷できない、その野菜はいらないという現実に突き当たります。虫がついているから返品する、大きさが揃わないからダメ。そんなことが続いたら、誰だって意欲を失います。それで有機農法をやめていった人たちは私は何人も見ています。普通の慣行野菜(農薬・化学肥料を使った野菜)の基準で有機を扱おうとするからおかしくなるのです。大量生産で安くきれいにつくるために農薬も化学肥料もあるのです。それを使わない有機野菜が慣行野菜のようにきれいにできるわけがないのです。逆にいえばそれが本当の野菜の姿です。

・アビィーフード(横浜市)という、有機農産物の産地直送、伝統食品、添加物を使わない食品販売を行っている会社があります。私はこの会社の挑戦を大きく評価しています。この会社は「無選別、不定貫、無指定」の3原則を実践しているのです。野菜は「おまかせ」で品目を消費者が選べないこと、欠品があるかもしれないこと、虫がついていることもあること、台風で入荷が遅れる場合があることなど、デメリットをきちんと最初に説明しています。提供される野菜はおいしく、値段が安い。野菜のおまかせセットは段ボールに10種類ほど入って3000円です。有機野菜としては安いと思います。この会社の創業理念に、おいしい野菜、安全な食べ物を提供したいというだけでなく、日本の生産者を支援したいという思いがあるからです。生産者が農薬は化学肥料に頼らず、知恵と工夫、手間と時間をかけてつくった野菜が、形が悪い、虫がいる、大きすぎる、小さすぎるなどの理由で捨てられているという事実に心を痛め、「安心で安全な野菜なら、大きさや形にとらわれず、食べよう」という志のもとで設立されてあのです。野菜だけでなく魚介類も、同じコンセプトで扱っています。

・この3原則の有機野菜でビジネスとして立派に成功している会社があります。(有)くまもと有機の会(熊本県御船町)です。熊本を中心とした有機野菜を、おまかせセットで産直しています。私も10年ほど前からこの野菜おまかせセットを毎週定期的に送ってもらっています。これで有機野菜かなと思うくらい虫食いもなく、鮮度もバツグンです。入っている野菜のそれぞれの伝票はありません。1枚の紙に品名と数量が書いてあり、いくつかのものには重さが記入されていますが、ダンボールの中身はおまかせで、旬の楽しみとなっています。有機野菜の品質、選別、品ぞろえはもちろん、集荷配送機能は全国でもトップクラスと思います。種類はかんきつ類まで含めると、ゆうに100種類は取り扱っています。野菜の硝酸態窒素の測定も、土の分析も定期的に行っています。3原則だから安い。関東地区の半値です。

・愛知県下の4店舗を展開している渥美フーズ(愛知県田原市)というスーパーも、すばらしい取り組みをしています。このスーパーではなんと有機野菜が慣行野菜より安いのです。まだ種類は少なく、そしてここが大事なポイントなのですが、慣行と有機、両方を店内で一緒に並べて売っているのです。消費者はどちらの野菜を選ぶか、自分で決められます。会員制の産直に比べ、一般販売(オープンマーケット)でこれをやるのはなかなか難しいことです。そしてここも有機野菜の3原則を実践しています。だから1袋の中にじゃがいもが500g入っているものもあれば、600g入っているものもあります。1袋の中に卵ぐらいの大きさのものもあれば、握りこぶし大の大きなものも入っています。それでも値段はすべて同一価格です。

・愛知県の「旬楽膳」(名古屋市中心)という小型スーパーですが、野菜は有機野菜です。ここも3原則にのっとって販売をしています。供給元は、兵庫県有機農業研究会。ある程度の選別は行っていますが、仕入れ計画、販売計画もありません。なおかつ、店内の食品はほとんどが添加物を使用していません。現在3店舗で、初出店した際はとても苦労したようですが、お客様の口コミ等でゆっくりながらも確実に増えていったのです。高級スーパーではありません。高品質スーパーなのです。

・加工食品、調味料について「美味安心」というブランドが育っています。「いちやまマート」(山梨県中央市)が中心となり、全国のスーパーに少しずつですが、広まっています。「お客様に説明のつかない添加物は使わない」というシンプルな考え方です。これらのスーパーのお客様は、客層ではなく客質が良いのです。このような安心して買い物できるお店が、日本全国にもっと育ってほしいものです。

・ある書物で読んだのですが、国連と米国のFDAが合同で米国の生活習慣病を救う食べ物は何かということを調査したようです。世界80カ国くらい調べたうち、結論として導かれたのが日本の「昭和30年~40年代」だったというのです。和食が世界文化遺産に認定されました。とても誇らしいことです。和食の素晴らしさは世界的に認められ、称えられているのです。和食、日本の伝統食の何が優れているかというと、旬の野菜をふんだんに取り入れている点だと思います。日本食独自の技法、色彩、栄養のバランスなどのほか、伝統的な発酵食品である調味料のみそ、しょうゆも誇るべき食文化の一つです。奥が深く、職人が自然と融合して作り上げるものです。カビを利用する「木枯れかつお節」、数年以上熟成させる「蔵がこい昆布」も日本人の知恵です。

・福岡市に和食・伝統食を実践しているすばらしい幼稚園・保育園があります。1つはふたば幼稚園。小崎孝子園長は「早寝早起き朝ごはん」「伝統和食による真の食育活動」ということを提唱されています。この幼稚園の給食は、「穀物・発酵食品・根菜・海草」を基本としたメニューが並ぶそうです。たとえば、玄米五分ごはん・みそ汁・煮物・和え物・漬け物・納豆といった具合。ひじき・切り干し大根・高野豆腐の煮物、レンコンの挟み揚げ、幼稚園手作りのもろみ納豆、ぬか漬けの漬け物なども人気メニューで、子どもたちは喜んでおかわりをするそうです。小崎園長は長年子どもたちと接するうちに、昔と比べて子どもたちに「異変」が生じていることに気づいたそうです。表情がない子ども、落ち着きのない子ども、座っていられない子ども、生気のない子ども。さらには、アトピーやアレルギー疾患を持つ子どもも昔とは比較にならないほど増えているのです。問題を抱えた子どもをよく観察していると、「食」に問題があることに気づいたといいます。朝から菓子パン、ジュース、スナック菓子といったものを食べて登園する子どもたち。あるいは一日にお米を一粒も食べないという子ども。「このままでは子どもたちが壊れてしまう」と危機感を抱いた園長が一念発起して取り組んだのが伝統和食だったのです。そしてその成果は顕著なものとなってあらわれました。まず風邪や病気になる子どもが著しく減ったこと。虫歯や肥満の子どもも激減したそうです。アトピーも改善しているといいます。これらはすべてこの園できちんとデータを取っています。さらに驚くべきことに、座っていられない子ども、奇声を発していたような子どもたちが落ち着きを取り戻し、きちんと話を聞けるようになったというのです。私もこの園に招かれて子どもたちに話をさせていただきました。3歳、4歳の年少、年中さんが30分間きちんと聞くのです。私は全国の学校をまわっていますが、3歳児ではなかなかこうはいきません。それどころか中学生でも、30分と話を聞けないところがあるのですから。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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酢重ダイニング(東京駅近 新丸ビル)の食事はとてもオススメ!

2015年09月02日 01時00分00秒 | 外食
友人が勧めるJR東京駅近くの新丸の内ビルディング(新丸ビル)5Fにある酢重ダイニングへ行って来ました!

さすが新丸ビルで、店内はかなり綺麗で明るく、清潔感が漂っています!
美味しいオーラがでていますね^_^)


↑店内

 この酢重ダイニングを経営する酢重正之商店は、味噌、醤油といった日本人が古来より慣れ親しんできた食材を柱に、日本の素晴らしい食文化を再確認できる商品を取り揃えているとのことです。
また、それら商品はどれも華美な物ではなく、シンプルにその食材の持つ味を最大限に活かせるものとのことです。

 17時ごろ訪れたので、さっそく夜の部のメニューを見て注文します。


↑味噌・豆料理メニュー


↑ご飯とのセット等メニュー

どれを選ぶか結構迷いますが、せっかくなので味噌・豆料理の中から、「銀ダラの味噌漬け焼き」1,350円を選びます。
甘口の信州十二割味噌に漬け込んだ自慢の一品というのが、そそられますね^_^)
また「ごはんと豚汁のセット」1,020円も合わせて注文します。
お代わりご飯は100円です^_^;)

先に「ごはんと豚汁のセット」が運ばれますが、豚汁の肉が分厚い^_^;)
またさすがいい味噌で美味しいです!


↑ごはんと豚汁のセット

そして、「銀ダラの味噌漬け焼き」が運ばれますが、おぉお美しい!!
結構ボリュームがあって驚き!
また、よく味噌に漬けられていていい味を出し、そしてほどよく焼かれていて柔らかくて美味しい!


↑銀ダラの味噌漬け焼き

これはご飯がついつい進んでしまい、お代わりもします^_^;)
酢重ダイニングはヘルシーで美味しい味噌・豆料理を、綺麗で明るく清潔な店内で堪能でき、とてもオススメです!!


美味しかったものまとめ(2015年上半期)

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