「「話し方」ひとつで、人生はでっかく変わる!」の購入はコチラ
「「話し方」ひとつで、人生はでっかく変わる!」という本は、最近、この著者の中村文昭さんの講演会に参加したことがきっかけで興味を持ち、2011年初版と少し古い本ですが、読んでみました♪
その著者の中村文昭さんの講演会はかなり迫力がありそして爆笑もので、それだけでなく人生についても考えされ、特に本書でも書かれていますが「頼まれごとは試されごと」で、頼まれごとを相手がびっくりするくらい頑張ってやることは大切だなぁと思っております♪
本書では、その年間300回以上も講演する著者が、その話し方のノウハウやポイント等について分かりやすく説明したものとなります♪
特に以下についてはナルホドと思いましたね♪
・聞き上手が話し上手の生みの親
・まず笑われ上手になること
・最初に言い訳は言わず、笑い良い、「あ~」「う~」は言わない(^_^;)
・共感力→感動力→表現力がポイント
・どうでもいいような細かいことを絵を描くように言う(枝葉が実は大切)
・偉そうにではなく、あくまで人の教えを伝える姿勢を貫く
・できるだけ遠回りして、ふくらませて話すと表現力が増す
それから話し方、聞き方だけでなく、人間力も大切ということで、人間力のさらけ出し方、磨き方についても書かれています♪
特に以下についてはナルホドと思いましたね♪
・自分が社会に何のためにどうやってお役に立てるか明確にすること
・自己紹介のキーワード、ストーリーを磨くこと
・トイレ掃除は大切
・人を光らせている人が光っている人
・お金を儲けるのが目的ではなく、その儲けたお金の使い方が大切
「「話し方」ひとつで、人生はでっかく変わる!」という本は、より良い人生のために話し方、聞き方だけでなく、人間力のさらけ出し方、磨き方について学べ、とてもオススメです!
以下はこの本のポイントなどです♪
・僕が今「話し上手」だとすれば、「聞き上手」に恵まれたからだと思うのです。生まれて初めて僕が巡り会った聞き上手、それは「オカン」でした。僕の母親は、小柄なのに超弩級のダイナミック・オカン。すこぶる度胸が据わっており、その肝っ玉のでっかさは、いい年の男になった僕も、いまだ勝てないほどです。子どもの頃、家に帰ると、決まってオカンの大きな笑顔が出迎えてくれ、同時に大きな声が飛んできます。
「今日は、でやった?」
学校はどうだった?
野球はどうだった?
鮎釣りはどうだった?
どこへ行っても、何をしてきても、オカンは決まってこう聞きました。そればかりか「それで、どうしたん?」と話を促し、じっくり耳を傾けてくれるのです。自分の話を、楽しみにしてくれている人がいる。一心不乱に、夢中になって「それで、それで?」と聞いてくれる人がいる。これは幼い僕にとって、大いにはげみになりました。
・「今日は、でやった?」だけが、オカンの得意技ではありません。もう一つの決まり文句は「おまえは天才やなあ!」でした。鮎を釣りにいけば、「今日は、でやった?」といそいそと出迎えてくれ、僕が「最初はいないと思ったけど、岩の陰にしっぽが見えて、そこに友釣りの鮎をすすすっと泳がすと、そのあと立て続けに5匹釣れたんや」と詳しく話すと、感に堪えたように言うのです。「文昭、おまえは天才やなあ!」
・話を喜んで聞いてくれる人がいること。人に楽しい話をできるような行動をすること。話して人に喜んでもらい、それを広げていくこと。話し方の大原則とも言えることを、僕は子どもの頃、毎日の生活で繰り返していたのかもしれません。
・「人を笑わせる話し方を知りたい」という人は、まず笑われ上手になることから始めるといいのではないでしょうか。
・マイナスの話をされたときは、「話を聞いてほしい」と言ってきた相手が、いったい何を望んでいるのか、あれこれ想像しながら聞くのです。「聞いたあと、この人はどんな言葉を言うてほしいんやろ」と猛烈に考えます。
①人に話すことで安心したい人
②きついことを言ってあげたほうがいい人
③第三の答えが欲しい人
僕の考えでは、話をする人は、だいたいこの3つのパターンに分けられます。
・「しもやん」こと下川浩二さんは、「人生は、マネしてトクして楽しもう」などの著書もあり、言葉づくりの達人です。「下川式成功手帳」で知られ、コンサルティング、講演、セミナーで活躍していますが、彼の造語は、同じように講演をする仲間に多大な影響を与えています。たとえば代表的なのが「TTPの三段活用」。自分自身を成長させるには、次の三段活用が大切だとしもやんは言い、それを面白く表現しているのです。
①「TTP=徹底的にパクる」
②「TKP=ちょっと変えてパクる」
③「OKP=思いっきり変えてパクる」
これは何気なくつくられた言葉のように見えて、とても心理をついた言葉遊びです。芸術作品だけでなく、世の中のほとんどのものは、この三段活用によって生まれたと言っても過言ではないのではないでしょうか。そんなしもやんが創作した人の話を聞くためのあいづちの法則が「す・な・お」の法則です。
①「す・・・すばらしいですね、すごいですね」
②「な・・・なるほど」
③「お・・・おもしろいですね」
小学生でも覚えられるシンプルさですが、とても大切なことだと思います。相手の話を聞きながら、気の利いたことなんか言わなくてもいい。「すごいですね」「なるほど」「おもしろいですね」と言うだけで、いろいろな話を引き出すことができるのです。
・そもそも「素直さ」というのは、人の話を聞く上でも、人として成長するためにも、とても大切な資質だと僕は教わってきました。「おまえには、若さとやる気と体力しかない。でも、素直な心と謙虚な姿勢ほど強力なものはないぞ」これは僕が修行していた十代の頃から徹底的に教えられたことでした。この教えを守ってきたからこそ、色々な人が力になってくれて、道が開けた気がしています。
・第一段階は「話を聞きながらうなずく」。
第二段階は「話を聞きながら、首を横に振る」。
第三段階は「バンバン肩たたき」
・何かのセミナーの発表でも、結婚式のスピーチでも言い訳から話し始めないこと
・「あ~」「えっと」「う~」などと意味のない声を言わないと決めること
・いざ話すとなったとき、スタートは「笑い」がいいと思っています。少なくとも、「話を聞こうとする姿勢」をつくって頂く役には立ちます。話を聞いてくれる人の心の扉がパカッと開くとでもいうのでしょうか。
・僕なりに整理してみれば、人の心を動かす話をするには、3つの力を使うことだと思います。①共感力→②感動力→③表現力
共感力のある話し方-聞く人に、我がことのように感じてもらう
感動力のある話し方-うんと笑ってうんと泣く、メリハリを味わってもらう
表現力のある話し方-共感力、感動力をともない、映像のように理解してもらう
・相手がリアルに想像できて、自分のことのように共感できる話をするには、3つのことを意識するといいでしょう。
①ちょっと古くさい話をする
②日常的な事柄をちりばめる
③どうでもいいような細かいことを絵を描くように言う
・要点だけ言って伝わればいいというのは業務連絡。心に届けるメッセージは、「どうでもいい枝葉」が大切なのです。そのほうが相手の心を細やかかつ存分に刺激します。「ほな、おかずはどないしよう。やっぱり定番は卵焼きやろ。ネギを入れたらひと手間かけてるみたいやけど、もしも彼がネギ嫌いやったらどうしようかとか、そんなしょうもないことから気にするはずや。冷めてもおいしい卵焼きちゅうたら、砂糖を多めに入れて甘いのをつくろうと思うかもしれへん。でも砂糖をようけ入れると、すぐ焦げてやきにくいやん。うまいこと焼かれへんかったら、砂糖の量、足したり引いたり足したり引いたりして、「私、気がついたら、5つ目の卵焼きを焼いてる!」って納得いくまでやり直すかもしれへん。ウィンナーも、自分の弁当やったら炒めて入れときゃええけど、好きな彼氏のためやったら、絶対タコチュウに切るやろ?ゴマでちょんと目ん玉つくってな。たぶん、ごはんにも、ハートマークにフリカケふったりとかしてさ。できあがった瞬間、時計を見たらもう夜中の2時半や」
・「感動させる話し方となると、どうしたらいいかわからない」と言う人はたくさんいます。方法はいろいろあるでしょうが、僕はライブ感につきると思います。「生身の人間として、生でぶつかる」これがあらゆる感動の源だと思うのです。
・表現力をつけるうえで気をつけていることは「人の教えを伝える」という姿勢を貫くこと。誰でも、誰かに教えられて生きています。自分がしていることのほとんどは、誰かに教わったことです。それなのに「私はこうした」「俺はこうだと思った」「自分はこう考えた」と、我を前面に押し出すと、嫌味になります。話す側が上から目線で「私が見つけたことを教えてあげましょう」という姿勢だと、素直に聞いてもらえないのです。自慢話としか受け取られなくなれば、共感してもらえない、感動してもらえない。それでは話している自分も気分がよくないでしょう。そこで僕は、どんなことでも「人の教え」として伝えるようにしています。「僕の師匠が、こんなすごいことを教えてくれました。」「最近、出会った方にこんないい話を聞きました」
・表面でとらえていると、小学生の写生みたいに、花の色、匂い、花瓶の形といった話で終わってしまいますが、全体の風景、雰囲気まで映像としてとらえようとすれば、話は無限に広がります。だから僕は「細かいところを、観察しまくり生活」です。
・どうでもいいことを、きめ細かく言う。あえて肝心のことを言わずに自由にイメージしてもらう。表現力というのは、相手の想像力との綱引きみたいなもので、これが話をするうえでの楽しみでもあります。
・話に限らず、何かがうまくなりたいのなら、方法は2つあります。
①日々、練習すること
②手本となる人を真似ること
日々の練習についていうと、僕の場合はネタづくりと同時に話し方の練習をしています。人からいい話を聞くと、「5分で聞いたことを10分で話す」というのをやるのです。面白いことを見聞きしたときも、ディティールを細かく、できる限り想像力をかき立てるように人に話します。
・女の人は、親や子、大切な人への愛にまつわる話を、自分に照らし合わせて泣きます。男の人なら、不器用なやさしさや、グッとこらえて筋を通す話に涙する方が多いようです。
・根っことして大切なのは「人間力」だと思います。人間力というのは、つきあううちにだんだん見えてくるもので、言葉よりも行動に表れます。口ではきれいなことを言っても、いざというとき矛盾した行動をとる人は、言葉で感動させたぶん、相手をがっかりさせることでしょう。人を感動させたい。話し方がうまくなってもっと人とつながりたい。人前で話をしたい。自分の考えをたくさんの人に伝えたい。その気持ちに従って、聞き方、話し方を訓練するなら、その根っことなる人間力こそ、気合いを入れ、丹精込めて、磨きたいものです。「話し方」「聞き方」「人間力」。この3つがそろったとき、本当にいい話ができるようになるのだと思います。
・今の時点で自分が持っているありったけの人間力をさらけ出す。格好悪くても、無様でも、ずるいところ、みっともないところがあったとしても、人さまの前でありのままの自分を見せる勇気を持つ。これも人間力を磨く方法だと感じています。ありのままを見せる勇気を持てば、おかしなところは指摘してもらえます。いいところはほめてもらえます。こうして人にもまれてぶつかって、ときにはあきれて放り投げられ、たまにヨシヨシとなでられて、輝いていくのが人間力ではないでしょうか。
・「土は君を責めたりしない、一人で家にこもっていないで、農業を通してやりたいことを見つけよう」僕はこんな気持ちで、ニートや引きこもりの若者たちと農作業をする「耕せにっぽん」を始めました。集まってくるのは、自分を表現することが苦手な子、人とうまく向き合えない子、「何のために」など、見当もつかないという若い子がほとんどです。大人が「頑張れ!」と言ったところで、まったく頑張らないヤツばかり。北海道にある農場に参加するメンバーは毎年変わりますが、新しい年度が始まる初日は、丸三日間の断食から始めることにしています。食べ物を作る仕事をするのだから、食べ物のありがたみを心底、味わうため。そして今まで味わったこともない空腹感を体験することによって、ちっぽけな自分を包み込んでいる、ちっぽけなこだわりやプライドの皮を一枚でもはがすためでもあります。水分だけは摂っていますが、腹がペコペコに空いている状態で、座禅と休憩の繰り返し。3日目になってくると、どの子ももうフラフラして、限界になってきます。気取りも、ためらいも、カッコつけも、木っ端みじんに吹き飛んでしまうのです。そのとき初めて自己紹介タイム。顔を合わせた時点ではうつむいて口をきかなかった子も、ふてくされてあたりをにらみつけていた子も、驚くほどしゃべります。やがてカミングアウト大会が始まるのです。「自分はなんで、こんな人間になってしまったか」不思議なことにどの年もテーマは自然とこうなります。コミュニケーション能力が低い子たちですから、普通の状態で自己紹介となったら、名前を言うのがやっとでしょう。話す側に仲良くしてもらおうという気もなければ、聞いている側も「こちらこそ、よろしくね」なんてあり得ません。しかし、限界まで苦しくなると、みんな自分と向き合うことになるのでしょう。「自分がなぜこんなふうになってしまったのかというと、母親の一言にすごく傷ついたのが始まりでした」一人が過去の一番嫌な部分をさらけ出して語ると、聞いているほうも思い当たる節があるのです。話す方も泣くし、聞く方も泣く自己紹介。順番が回ってくると「自分もさらけ出さなきゃ損だ!」ぐらいにみんな本音を語り、ありのままの自分を思いきり出します。今年の自己紹介タイムは、いちばん長いやつで1時間以上かかりました。人前でそんなに話すなんて初めてという子が、ぼろぼろ泣きながら自分を語り尽くしたのです。全員の自己紹介が終わったとき、お互いの共感の扉が開きます。「もう、隠すことは何もない」という気持ちになったときに、「じゃあ、力を合わせて、俺らでできることをやろう」という意欲がわいてくるようです。ここでポーンと気持ちが上向きます。大人たちが「頑張れ!」なんて言わなくても、頑張っていくようになるのです。僕たちも感動し、「よっしゃ、おまえらのサポーターになったる!」という気持ちが高まります。そのたび、自分をさらけ出すことで生まれる力を再認識しています。
・僕の知人のガソリンスタンド経営者は「いつも油売って仕事してます」をキーワードにしていますが、これも一発で覚えてもらえる鉄板です。自分の信条。社名、名前にまつわるダジャレ、キーワードはいろいろあるでしょう。
自己紹介=「キーワード+ストーリー」×繰り返し使うこと
これでどんどん、自分のキーワードがピカピカになっていきます!
・それから練習や試合のたび、津商業高校女子バレー部の部員たちは、自発的にトイレ掃除をやるようになったそうです。二週間後の三重県大会は、コーチの心配をよそに、ダントツで優勝してしまったとのこと。「トイレ掃除こそ、緊張を消し、場のパワーを味方につけるごく簡単な方法の一つである」バレー部員たちは僕のこんな仮説を見事に証明してくれたのです。
・「光らせている人が、光っている人」とは、奥が深い言葉です。おのれの人間力を磨くには、自分ばかり磨いていても仕方がないとも解釈できます。自分を際立たせたいと懸命になるより、まず人を光らせるようにする。そうしてこそ自分が光り、結果として人間力も増すのではないでしょうか。人を光らせるといっても、難しいことをするわけではありません。聞き上手になるのもよし。食事に行ったお店のスタッフを光らせる、そんなことでもいいと思います。
・人間力を磨く一番のトレーニング場所は、やっぱり家庭です。自分が一番信じて「この人と一生を共にしよう」と覚悟を決めた配偶者すら笑顔にできなかったら、仕事の場で赤の他人を喜ばせるなんて不可能だと思います。まさに自分の分身みたいな子どもが、「お父さんみたいになりたい」と背中を追いかけてきていないのに、職場で会社の後輩たちがついてくる道理もありません。言葉やお金や条件だけで人を引っ張るなんて限界がある。とくに家庭ではごまかしがききません。こう考えると「やっぱり自分というものを言葉でなく態度で表現し、存在しているだけでにじみ出るような人間力をつけなければ」と思うのです。
・長男と次男は小さな頃から空手を習っています。この場合の「何のために」はじつに明確で、家を守るため。「うちはお父さんが忙しくていつもおれへんから、強盗とかが来て、みんな殺されたら大変や。そしたら僕らが強くなるしかないやろ。お母さんと弟を守ってやらんと」寸止めでなくじかに体を打つ極真空手なので痛い思いもします。規律も厳しく、親の意思で始めた子どもは「いやや、もうやめる」と言うようです。それでも続ける子はいますが、それも親の意思。何のことはない、親から子への押しつけです。「よその子が頑張ってるのに、なんで泣き言を言うとんねん!」こうして多くの子どもが”やらされる”を積み重ねていくのかもしれません。ところがうちの息子たちの場合、「何のために」が自発的でありかなり具体的です。当人たちは必要に迫られ、やむにやまれずやっているという感覚です。僕がたまに道場に見に行き、休憩時間に「なんやおまえ、だいぶやられてたな」と言うと、「痛い痛い」とベソをかいているのですが、決してやめるとは言いません。「上級生は強いけど、強盗はもっと強いよなあー、僕ら、もっと鍛えんとあかんわ!」本気で命がけの実戦を想定している、そんな息子の姿を目にすると、「何のために」の強さを再認識します。
・たまにしか顔を合わせないから、僕は家に帰ったら愚痴や泣き言を言いません。子どもの前で、「疲れた、しんどい、大変だ」は禁句にしています。そんなことを言ったら「お父さんみたいになりたくない」と子どもに思わせてしまいます。「お父さんは、仕事が楽しいて楽しいてたまらんのや。だからあんまり家に帰ってこれへん。でも、人を喜ばせに行くんやから、おもろいでー、おまえらも今、野球やらゲームやらがおもろいと思っとるやろうけど、ちゃうちゃう、レベルがちゃう!大人になったら仕事もできて、楽しいことがいっぱいあるんや。早う大人になって、楽しいことをやれ。どんなに楽しいか期待しとき!」子どもにとっていちばん身近な人生の師匠は親なのです。ワクワク、ドキドキし、「大人になるのが楽しみだ」と思わせることは、親の大切な役割だと思っています。
・僕は講演でビジネスの話をするときは、ただお金を稼ぐ話ではなく、「お金の入口と出口」の話をからめていきます。金を儲けるのが目的ではなく、その儲けたお金の使い方が大切だと伝えるのです。
・あえてボロ家に住んでいるのは、僕と嫁はんが二人で決めたことです。「子どもが小さいうちは、絶対に不便な家のほうがいい」不便であれば人は協力し合うし、一緒に暮らす家族のことを考えるでしょう。お湯が限られているなら、洗面器にくんだなるべく少ないお湯で、工夫して頭や体を洗うといったことです。子どもの頃、僕の家は五右衛門風呂でした。薪割り、風呂たきの手伝いは大仕事で、沸かすにも時間がかかります。じゃんじゃかお湯を使ってしまい、また水を注ぎ足して薪でお湯を沸かす手間がかからないように工夫します。また体を洗いもせずに湯船につかって垢を浮かせ、次の人に嫌な思いをさせないようにと考えます。自分がこうしたら、後はどうなるかを考える。人に迷惑をかけないかどうか気を配る。不便な生活の中には、おのずと気遣いが育つ仕組みがあります。しかし子どもにはそこまでわかりませんから、長男は学校で「ボロ家に住んでいる」とバカにされたようです。「みんなクルマに乗っているのに、おまえのとこのお父ちゃんは自転車によう乗っているな。格好も普通はスーツ着ているのに、おまえのお父ちゃんは金魚すくいのおっちゃんみたいや。家もボロだし、貧乏なんやろ。そやから、お父ちゃんは出稼ぎばかり行ってて、帰ってきいへんのとちゃうか?」長男がそのことを漏らしたとき、普段は天然ちゃんで「お母さん、しっかりしてよ」と子どもにしょっちゅう言われているうちの嫁はんが、猛烈に怒ったようです。「おまえはアホか!お父さんが貧乏なもんか。あんたらの友達のお父さんの何倍も稼ぐんやけど、普通とちょっと違うだけや。将来の日本の食料自給率のためにっちゅうて、北海道で農地をどんどん買うているんや。引きこもりのお兄ちゃんらのためにも、いっぱいお金を使うてはる。家に入っていたらすごいことになるくらいのお金やけど、お父さん、笑顔を増やすために使ってはるねん。おまえは息子なのに、そんなこともわからんのか!」僕は嫁はんからその話も聞いていたので、中華料理店で長男に言いました。「お母さんに聞いたやろ。お父さん、別に貧乏やない。チャーハンだけなんて、遠慮すんな。正月だし、好きなもんくらい、おまえらに腹一杯食わせたるわ」すると長男はこう答えたのです。「僕なあ、お父さん。お母さんが泣きながらお父さんの話を聞かせてくれたとき、すっごくうれしかったんや。かっこええって思うたんや。そやから、酢豚や餃子やいろんなもん頼まなくてええ。色々頼む分のお金で、トウモロコシの種を買うて。トウモロコシの種を買うて、笑顔を増やしに行ってきてや。僕はまだ子どもやから、それぐらいしかお手伝いすることできへんもん」4年生の子どもがそう言うのを聞いた瞬間、僕は中華料理屋でわんわん泣いてしまいました。つられて隣の嫁はんもわあわあ泣き出しました。泣きながら、僕は嫁はんに言いました。「築30年の借家に住んでいても、僕ら、幸せになれたと思わんか?ベンツに乗らんでも、エルメスのバッグを肩からかけんでも、幸せになれたと思わんか。これが僕の思う幸せっていう世界やったんや」親が二人そろってわーわー泣いていたら、「僕らもまぜてくれ」とでも言うように、子どもも一緒に泣き始め、新年早々、中華料理店の人はびっくり仰天して、僕らの円卓まで飛んできました。こんなことを思い出すにつけ、やっぱり人間力は、家庭で磨かれるんだなあと感じています。
・よく僕が言うのが「津」とつく土地について。三重県の津市をはじめ、大津、草津、新津、木更津など、日本中にはたくさんあります。最後に津とつく土地は「船が着く場所」ということで港町によくついているようですが、もともと津という言葉には、人や物や情報が集まってくるという意味があるんだそうです。
良かった本まとめ(2017年下半期)
<今日の独り言>
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。