<金曜は本の紹介>
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「一流の人に学ぶ人生で自分の才能を花開かせる方法」という本は、盆栽作家で、「
春花園BONSAI美術館」館長で、プロ作家の最高峰・日本盆栽作風展の内閣総理大臣賞を4度受賞した小林國雄さんが書いたものです。
その盆栽作家としての経験から、世界中でブームになっている盆栽についてだけでなく、人生をよりよく生きる秘訣についてなど、その人生経験を踏まえて分かりやすく書かれています。
具体的には以下などとなります。
・芸術は余韻、余白と色気が必要
・若いうちに感性を磨くことが必要
・うまくなるには好きになること
・人の育て方はほめることが一番
・将来性は少しくらい「とろい」ほうがいい
・人生の目的を持つことが大切
・師匠以上の努力が必要
・何でも吸収して血肉にすること
・死ぬ気になればなんでもできる
・捨てる神あれば拾う神あり
・女親が過保護にした子どもは精神的に弱い
・知恵を働かせることが大切
・目配り・気配り・心配りが重要
・目的意識を持って将来に向かって前に進むことが大事
・疑問を持て!考える力を身につけろ!深く考えろ!
・誰でもものは見ているが、それが何なのかを見抜けなければだめ
・頭がいいより木訥で愚直で一所懸命やる子のほうが時間がかかるけど成功することが多い
・職人としての本物を追求するなどの純粋さが必要
・人生の幸福とは、仕事とよき伴侶の2つを得ること
「一流の人に学ぶ人生で自分の才能を花開かせる方法」という本は、人生をよりよく生きる秘訣が満載でとてもオススメです!
以下はこの本のポイントなどです。
・私は53歳の時、2002年春、東京は江戸川区に盆栽美術館「春花園BONSAI美術館」をオープンした。庭園、茶室など何回かい分けて作ったものだが、10億円かけた数寄屋建築様式の豪華な美術館だよ。庭園や美術館を造るまえに、京都に6年のあいだに何度も通っていろんな庭や建築を参考にした。庭園は竜安寺の庭などを参考にした。美術館の入口の屋根は檜皮葺にして、月日とともに、朽ちた味わいが出るようにした。盆栽というのは床の間に置いて観賞するものだから、盆栽を飾るためだけの床の間には思い切りカネをかけた。無窮庵と名付けた茶室もしつらえたし、屋久杉の一枚板を天井板に張ったりもしている。屋久杉はあまりにも大きいので夜中に運んでもらいましたね。鉢だって千鉢ぐらいはあるから、半端な数ではに。盆栽に関するありとあらゆる資料も徹底的に集めたので、本気で盆栽をやりたい、勉強したいっていう人にとっては、たいへん価値のあるものだと思うよ。千鉢の盆栽がある庭と美術館を合わせると800坪。もちろん主役である盆栽は一鉢1500万円、800万円という、日本でも指折りの見る人に感動を与えるようなお宝のような素晴らしい盆栽もある。鉢のコレクションも半端ではないし、盆栽に関する資料も手あたり次第に集めました。カネなくなっちゃったから庭造りはほとんど自分でやった。築山を造って、水を流して、茶室から水のせせらぎの音が聞こえるようにした。堀を造ったり、門も造った。池も自分で掘って、今は鯉を放している。錦鯉は外国人が喜ぶからね。
・同じ鉢植えだけれども、草花は寿命が短くて、長くても1年でしょう。種をまいて半年から1年、1年草はその1年で終わってしまう。その1年で、葉っぱや花がきれいで、実が可愛いなど、華美できれないわば表面的なものを短い期間に観賞するものなんだ。それに対して、盆栽は300年から500年、樹齢が比べものにならないほど長い。しかも、表面的な美しさよりも、長い年月を生きてきた内面の厳しさ、美しさ、生命を表現しているのです。アートなんですよ。盆栽の魅力はその生命を表現することができること。たとえば「修羅」を見せること。幹の一部が骨のように白く死んでしまっても(これを盆栽では舎利と言います)、しかし皮一枚だけで、じっと生き残って生命をつないでいる。それでこの木が何度も修羅場をくぐったことを表現している。しかも厳しい木の先には青々とした葉が茂っている。この死と生命力。しかもそれが長い時代を超えて生き延びている。これが1本の木で表現されているということに盆栽の芸術性がある。しかも、盆栽は今現在も生きているので、常に形を変えていく。完成形というのは一瞬でしかない。盆栽というのはそういう宿命を帯びている。はかなく「刹那」であるからこその美しさは他のどんな芸術にも及ばない。我々はその一瞬を全力で見届けなければならない。
・盆栽に限らないけど、すべての芸術は余韻、余白と色気がないとだめだと思う。理論的にかちっと固くするんじゃだめ。そういうきれいな盆栽というのは几帳面にきちっとやれば誰でもできる。それを超えたところの色気が神髄なんだ。もちろん盆栽は作り物だから、最初は作為で作る。ただ、ここは人間が作りました、という欲が出てくると、どんなに自然に見えてもいやらしくなる。その欲が見えなくなるようになれば、味が出てくるだろう。盆栽の魅力は時間経過による雅趣や風韻なんだ。作為が見えていやらしかった部分も、時間が経てば雨風にさらされて風化して作為が消えていく。刃物のあとが消えてくると、自然になってくるんだ。そこまで行くと最高なんだ。無作為の作為だね。
・若い時期はなんでも吸収できる素直で柔らかな感受性を持っている時期。これは年を取るとともに衰えていくものです。そのいちばんいい時期に、大学生活で感受性を無駄に消費してしまっている。確かに大学で知識を学ぶことはできるでしょう。でも、その時期に、もっとも大切な感性を磨くことを逃しているんじゃないかな。知識なんてのは大学行かなくても、大学出たあとでもいくらでも学ぶことができる。でも、10代後半から20代前半の若い頃は、何でも吸収できる時期なんだ。そのせっかくの時期に、大切なものを吸収できていない。大切なものというんは、ものの本質を見抜く力のこと。ものの本質というのは頭じゃ見抜けないんだ。それこそ感性というものが必要なんで、それを磨くのは若ければ若いほどいい。盆栽作家でも大工でも、職人にはその感性が必要なんだ。
・盆栽だけじゃない、何でも同じで、うまくなりたいなら、その対象を好きにならなきゃならないってことだね。しかも中途半端じゃだめ。心の底から好きにならないと。ほかのものを一切捨ててその好きなものに没入するくらいじゃないと、本当にいいものはできない。私なんか、盆栽が大好きだから、今でも毎日13時間、15時間働いているんだ。それが全然苦にならないし、ストレスもたまらない。好きなことやっててストレスたまるわけないだろ。仕事がおもしろくてたまらないし、樹をいじることが楽しくてたまらないんだ。好きこそものの上手なれ、っていうことわざがあるじゃない、あれはまさに至言だね。
・客引き技というのは、明らかに切れば形がよくなるんだけど切らずにわざと残しておいて、お客さんに取らせる枝のこと。つまり、お客さんがこの技はいらないじゃないかと言ってくるのを待ってる枝のこと。そういわれたらすかさず、「さすがですね、お客さん、これを取れば景色が大きくなるよ、いやあお客さんはさすが目が利くねえ」と、思い切りヨイショしてやる。そうするとお客さんはいい気持ちになって、満足してその樹を買ってくれるというわけだ。一つだけ欠点を残しておいてやる、そういう商売の駆け引きなんかも教えてやるんだ。こんなこと教える親方なんかいないよ。
・多くの職人は弟子に対して、見込みのある子は厳しくするけど、見込みのない子はやさしくするね。いわゆるほめて育てる。人間というのは、どういう形にしろ、ほめられるというのはうれしいし、励みになるよね。そういうものなんだ、私だってそうなんだから、修行中の若い連中なんかもっとそうだろう。だから、できるだけほめるようにしてる。人の育て方はほめることが一番だよね。海軍の大将の山本五十六が人を育てるにはやって見せて、やらせて見てほめてやらねば人は動かじと言っている。ほめるところがなくても、なんとか見つけてやる。盆栽だって同じなんだ。いいところを見つけて、伸ばしていくんだから。最初からいい枝振りがあるんじゃなくて、いい枝の形になるところを発見して、そこを大事に育ててやる。それが作家の腕。盆栽をぐるっと回してみて、その樹がいちばんよく見えるところを引き出してやるのが仕事なんだ。人間も同じ。いいところを引き出して、その人にあった役割を与える。それによって伸びていくんだね。
・新しく入ってきた子がものになるかどうかっていうのは、最初の印象である程度わかるね。あんまり調子がいいのはだめだね。少しくらいとろいほうがいい。調子がよくてはしっこい目先の事しか見えない子はすぐやめちゃうからね。へりくつ言ったり、偉そうに能書きたれたり、言い訳したり、小利口なのが一番だめなんだ。わかった気になるというのがいけないんだよ。こりゃだめだ、絶対ものにならない、というくらいとろくて、勘が悪くてどうしようもないという子はふんばるからね。自分ができがわるいということを知ってるから、そうだとわかっているから、絶対にやめない。ばかならばかのほうがいいんだ。この世界で自分がばかだってことに気づいてないばかはどうしようもないんだけど、自分はばかなんだとわかっている子は伸びるよ。向上心というものがあるから、少しずつだけど確実に伸びていくんだ。
・そのつらさを我慢できるか、我慢できずに逃げ出すか、それは修行期間であっても目的があるかないかの違いだろうと思うね。つまり、盆栽であれば、いい盆栽を作りたいとか、有名な盆栽作家になりたい、という目的だね。でも、それも結構だが、修行している身にとっては、まったく具体性を持たない、はるか遠くの目的じゃない。そんなあやふやなものを目指すと、やっぱり現実の目の前のつらさから逃げ出したくなっちゃうだろう。それより、私なんかはもっと目の前にある目標を提示してあげる。盆栽はお金になる、ということだ。
・総理大臣賞を取ったのも、多分師匠についた経験がないから、師匠についている他の人たちと違った感性が盆栽に現れていたからかもしれないね。師匠につくと、どうしても師匠のまねから入るからね。師匠と作風が似てしまうのは仕方ない。師匠を超えるためには師匠以上の努力が必要なんだ。私の場合、その師匠がいなかったから、自由に作ることができたんだろうね。それが審査員の目にとまったんだろう。あれは誰のだ。と、木村さんが私が出展した盆栽に注目してくれたんだ。俺のだよ、といってもなかなか信用してくれなかったね。木村正彦さんというのは、世界の木村と呼ばれるほどの優秀な人。その木村さんも私と同じ一位の盆栽を出品して勝負していたんですよ。総理大臣賞を狙っていたその名人を差し置いて総理大臣賞をもらったのだから、この道でやっていけると思ったのは当然だと思うね。
・この人から、人間が生きるのはどういうことかというのを教わったね。その人が私に言ったのは、私は何でも吸収して血肉にしてしまうんだという。人は食べたものしか味がわからない。この鉢が、盆栽がどういう価値を持っているものなのか、自分でお金を出して買ってみて初めてわかるんだよ、ということを教えてくれたね。
人多き人の中にも人ぞなし、人になせ人人になれ人
上杉鷹山が作った道歌とされるものだが、世の中に人はたくさんいるけれども、本物の人は少ない、という意味。だから、人物に会った時はその機を放さず、自分の成長につなげるようにしろ、ということだね。こういうのをさらっと言える教養とか知識はすごいな、と思ったもの。そのほかにも、私が出会った人はたくさんいて、それぞれ人生において大切なことを教えてくれた。このように私は本物の人にたくさん巡り会うことができたから、成長することができたんだと思う。
・自分は何もしてないのに、勝手に誤解して勝手にいやがらせをするような腐った組織に頭を下げるなど、考えるのもいやだった。だけど、にっちもさっちもいかなくなるほど追い込まれて、電車に飛び込んで死んじゃおうかなと思ったこともあったね。ほんとに弟子に吹田君なんかは心配して私を探し回ってくれたほどなんだ。それを止めたのは女房です。死ぬなんてのはいつでもできる、敵討ちしてから死んでも遅くはないんだよ、って励ましてくれた。確かに死ぬ気になればなんでもできる。私もあいつらにできないことをやってから死んでやろうと思い直したんだ。女房の一言がなければ、私は立ち直れなかったかもしれない。それくらい女房には感謝してもしたりない。まさにその裁判中お時期に、「春花園BONSAI美術館」を作ろうと思ったんだ。
・捨てる神あれば拾う神あり、というのは本当で、私の苦境を見かねたお客さんのプロゴルファーの片山康さんが、東京MXテレビで盆栽番組を創ってくれたんだ。そこで毎週1回、2年間、盆栽の講座番組を続けることで、知名度も上がり、再評価してもらうことができた。視聴率もよかったからね。テレビとかは盆栽協会関係ないからね。彼らの力も及ばないわけよ。こういう救いの手が伸びたのも、私はお客さんを大事にしていたからね、そのつながりが、巡りめぐって私の苦境を救ってくれることになったんだろうね。なにはともあれ復活です。盆栽協会と関係のないところで、小林國雄という盆栽作家がいるということを、国内だけでなく、海外でも人気が出てきたわけだ。それに加えて、春花園という盆栽美術館を持っていということでも話題を呼び、盆栽を知らない人にも広く関心を持ってもらえるようになっていった。
・特に女親が過保護にした子どもは精神的に弱い。親の責任だね。可愛ければ可愛いほど、親が突き放さなければだめなんだけど、三つ子の魂百までで、その突き放す時期を逸すると、もうだめ。盆栽も苗木のうちはよく曲がるけれども、太くなったら曲げられなくなる。無理に曲げるとおれてしまう。野菜でも果物でも霜や雪の下で育った植物はとても甘味があっておいしいね。人間も苦労していない人は深味がないね。
・盆栽だって工夫次第なんだよ。1年間5000本とか新芽を挿せばいい。1000本でもいいよ、それが1年たてば育つし、毎年続けて5年続ければ、最初の挿し木は大きくなって売れるようになる。次の年も売れるものに育つ。そうやって私も始めたものさ。最初はゼロでも5年たてばそれだけの儲けになる。最初から盆栽があるなんて思っちゃだめだ。時間をかけて無から有を生み出すんですよ。私もそうやってきた。日本人の一番すばらしいところは知恵。資源もない、力もないところにまじめに勤勉に知恵を働かせてきたから世界の大国に名を連ねることができた。ノーベル賞も知恵を重ねてきたからこそたくさん取れた。お金がなければ知恵を働かせろ。そうして儲けたお金でもっともっと上を目指すんだ。そのためにもっともっと知恵を出さなければならない。
・大切なのは、私が弟子に事あるごとにいっている、「目配りと気配りと心配りをする」ということだ。そうすれば、お金はちゃんとかせげるんだが、そのことに気づいていない。お金というのは手段なんだ。それ自体が目的じゃない。目的を達するための手段として、どうやってお金を稼ぐか、ということを考えなければならない。
・目的を達成するためにはどうすればいいかと考えること、そして考えて行動に移すこと。目的意識を持って将来に向かって前に進む、そういうことが大事なんだ。職人はだいたい頭よくないから、体動かすんだ。働くことで早く目的に近づくことができる。考えるというのも働きながら考えるということなんだよ。その積み重ねなんだ。そうすると、1たす1は3にも5にもなっていく。そうして新しいものが見つかっていく。不思議なんだけどそれが真実なんだ。京セラの稲盛和夫さんが仕事が人間を育てていくと言っているのは本当だね。
・私は弟子たちにいつもいってるんだ。「疑問を持て!考える力を身につけろ!深く考えろ!」ってね。何も難しいことを考えろって言ってるわけじゃない。どうしてあのお客さんは来てくれなくなったのか、どうしてこの木は高価なのか、どうしてこの木は元気がないのか、どうしてこの木は売れないのか。いつもどうしてどうして考えるくせをつけ、考える力を身につけると、すごく伸びる。技術というのは形として覚えるのは簡単だ。その技術を生かすのが考える力で、これを身につけると、技術はどんどんうまくなる。言われたことだけやっていると技術は伸びない。自分のものにならないんだ。自分で考えて、悩み抜いて出した答えは自分のものになる。消化できるんだ。
・柳宗悦の「茶と美」という本がある。その中に誰でもものは見ているが、それが何なのかを見抜けなければだめだということが書いてある。それは盆栽だけでなく、どの道でも同じだけど、対象が本当に好きじゃないと上達しないということだね。これは野球の選手でもゴルフでも絵でもなんでも同じなんで、好きになるというのが一番上達の早道だといえる。本当に好きで、一所懸命にやっていれば、必ずものが見えてくる。ものが見えてくれば、必ず上達するものなんです。好きこそものの上手なれということわざがあるでしょう。まさにそれなんだよ。
・親方としてはどの子もみんな伸びていってほしいわけよ。育てるほうとしては、わけへだてなく育てたいと思っているんだけど、ただ、早い人もいれば遅い人もいる。世間の常識とはずれているかもしれないけど、一所懸命にやっている子もいる。なまじ頭がいいより、木訥で愚直で、一所懸命やる子のほうが、時間はかかるけれども、あとで成功することが多いね。そういう子はこの道しかないと自分で決めているから、精神的に強いんだろう。途中でうちをやめて、親が食わしてくれるという子も多いんだけど、そういうのはだめだなあ。たとえば名誉がほしいとか、あの樹に惚れ込んで、あの樹がほしいとか、作風展で賞を取りたいとか、そういう強烈な欲があればいいんだけど、それもない。向上心がないと、先に進めないよ。私は自分とかかわった人はみんな幸せになって欲しいんだ。
・教えたいのは、職人の純粋さね。お金がほしいとか、有名になりたいとか、動機はなんでもいいんだけど、その根底には純粋なものがなければならない。純粋に盆栽が好きだとか、本物を追求していきたいという思いがなければ職人とはいえないよ。それが職人のプライドなんだ。
・周りの人によって支えられていることを忘れてはいけないんだ。城山三郎さんの「人生の流儀」という本の中に、<~人生の幸福なんて、案外、簡単なもの。「仕事とよき伴侶」の二つを手に入れさえすればいい~>という言葉があるけど、まさにその通りだと思うね。
・盆栽というのは、鉢と樹と台とのバランスが重要で、これを三位一体というんだけど、ここまで気を遣っている盆栽家は少ない。どうしても樹だけに集中しがなんだが、樹を支える鉢、それに添える台が悪ければ、盆栽全体が貧相になってしまう。世界中で盆栽は人気になっていて、技術的には進んだが、盆栽を飾る、見せる、その世界を構築するという点ではまだまだ。特に外国人の愛好家には日本のわびさびの世界はわかりにくい。言葉で説明するのが難しいじゃない。だからこそ写真に残しておきたいんだ。盆栽というのは完成がない。完璧なものができたと思っても、1年経ってしまえば伸びちゃって形が変わってしまうでしょ。生き物なのだから、絵とか彫刻とかの、いったん完成したら未来永劫同じ形になる種類の芸術とはならない。そのため、小林國雄の作風が芸術品として完璧になった瞬間を切り取って写真に残しておくことが重要なんだ。
<目次>
まえがき
第1章 BONSAIブームで世界中から講演依頼が殺到
盆栽はいま世界的なブーム。海外ではアートとしてとらえられている
ヨーロッパには日本の伝統文化BONSAIを受け入れる土壌がある
外国人の弟子が世界中で小林流の盆栽を広めている
世界中から盆栽の講演依頼が殺到。日本の文化を広めるのが今の私の目的
10億円かけて「春花園BONSAI美術館」を作る。米女優キャメロン・ディアスも来てくれた
世界一の盆栽作家を目標にしてきた。盆栽界から追放されそうになってもはいあがってきた
長い時間を生きてきた生命に対する畏敬の気持ち、自然をどう表現するかが盆栽の醍醐味
もっといいものにしたい、もっと、もっとというどん欲さが見る人を感動させる
第2章 「奇跡の木」との出会いで受けた「感動」が盆栽作家になる原点
奇跡の木との衝撃の出会いで盆栽作家を志す
私の人生を変えた盆栽「奥の巨松」をやっと手に入れる
盆栽というアートは時間とともに形を変えていく「生き物」である
きれいに見せようという”欲”が見えるといやらしくなる
盆栽の良し悪しを決める品格を作り出すのは「作り手」の品格だ
中国人は大きな樹から溢れるエネルギーを吸収したいらしい
わびさびという「見えないもの」を盆栽で伝えるためには幅広い教養が必要
技術は一所懸命やりさえすれば誰でも身につけられる。その先をめざすのが私の使命
盆栽は時間を超越する技術-これが「盆栽は超芸術」と言われる所以
盆栽が非常に盛んなヨーロッパの愛好家には日本人と近い感性を感じる
日本の盆栽界は衰退の一途だけど、富士山みたいに広げないとファンは広がらない
第3章 不器用な人ほど一流になれる~誰でも心の底から好きなものにとことん打ち込めば、きっと花は咲く~
大学を出たっていうだけで一人前だと勘違いするぐらいなら行かないほうがいい
感受性の豊かな時期に職人の感性を磨くことを逃しているのはもったいない
職人に必要な「感性」がないと人を感動させる作品は作れない
私の一番弟子はどうしようもない不良だった。でも「感性」があったから一人前になれた
不器用な子ほど必死になって吸収しようとするから成功する
盆栽が好きになった子はものになる。自分から学んだことしか身に付かない
長く弟子を育てるなかで学んだのは適材適所で人を生かすということ
徒弟制度は親方の生き方まで見せるという点で大きな意味がある
日本人と外国人の弟子に違いはない。どちらも自分の息子だと思ってる
弟子にはどこでも連れてって本物をいっぱいみせてやる
孫は中学くらいから外国に出したい。グローバル時代に通用する「感性」を磨かせたい
いままで70人の弟子をとったけど半分は厳しさに耐えられず辞めていった
商売がうまいということは人の心がわかるということ
頭がいいということと知恵があるということは違うんあね
素直で誰からでも吸収してきたから盆栽作家の最高峰の賞を4回も獲れた
人の育て方はほめて育てるのが一番だね。ほめるところは見つけ出す!
本音では厳しく育てたい。でも厳しくしたら弟子の将来にも責任を持たなければならない
この世界では自分はばかなんだってわかっている子が伸びる
弟子には私のやることを全力で盗めって言ってる。本気の気概を見せてほしい
盆栽は大きな夢のある商売。やり方次第では今でも儲けることはできる
盆栽で儲けたい、それでいいんだよ。目的があれば前向きに仕事をするんだ
”教祖”になれば儲かる。どうしたらいいか、盆栽界のトップを狙えばいい
挑戦を続ける気持ちを持ち続ければ道は開ける
第4章 死ぬほどの苦しみから生還して得た大切なもの
盆栽作家を志して12年目に最高の総理大臣賞を受賞
絵の師匠とジャンボ尾崎との出会いは私の人生を変えた
自分でお金を出して買ってみて初めて価値がわかる
展覧会に出せば賞を取れるという得意の絶頂
得意から一転、奈落の底へ。トラブルに巻き込まれてまったく賞がとれなくなる
盆栽を枯らしたことに不誠実な対応をする盆栽協会にお客さんが訴訟を起こす
裁判は泥沼化。二審で敗訴。お客さんは控訴を取りやめる
お客さんに裁判をけしかけた裏切り者にされ、窮地に追い込まれる
「死ぬのはいつでもできるでしょ」「敵を討ちなさい」女房のこの一言で美術館を作る
負けてたまるかの反逆精神で復活!テレビの盆栽講座のシリーズのチャンスをつかむ
盆栽界もねたみうらみの世界。嫌がらせを受けるもまたも女房の一言に助けられる
第5章 仕事で気配り、目配りができれば自然と技術も上達していく
外国からくる弟子は明確な目的を持ってる。日本人の弟子は意欲が薄いね
なぜ、もっと先輩や上司とコミュニケーションを取らないのか。もったいない!
盆栽には瓶にためた雨水をやる。「もったいない」という気持ちを理解してもらいたいから
なぜ学校では競争から目をそらす教育をしているのか
日本人は自分たちを金持ちだと思ってるかも知れないけど世界から見たら小さい
盆栽も若いうちはよく曲がるけれど太くなったらもう曲げられない
何事もゼロからはじめるという発想に立てば、知恵と工夫でお金を稼ぐしかない
お金がないというなら挿し木しろって言うんだ。なぜ工夫しないのか
目配り気配り心配りでお金はちゃんと稼げる。でもお金は目的を達成する手段に過ぎない
絶対に妥協しないプロとしての持を持っているジャンボ尾崎に教わったこと
最初の弟子にはいろいろ苦労させられたけど人生の勉強したのもこの子のおかげだね
盆栽のおもしろさは自分でわからないと長続きしないし、伸びない
自分で考えないとなにひとつ目的は達成しない
職人が一人前になる最低条件は親方の技術を盗むってことだ
弟子にはもっと前へ前へと出てってもらいたい。俺を利用してのし上がって欲しいんだよ
樹を枯らさなけりゃいい職人にはならない。私も1億円は枯らした
価値を見抜くレベルを上げるには買ったら売ってさらに価値の高いものを買うことが大事
なぜあのお客さんは来なくなった?そういう考えるくせをつけると仕事は伸びる
半端者だった私がこの道でやってこれたのは盆栽で一流になってやろうと思ったから
一流の人はお客さんと交渉するにしたって「情熱」の温度が違うんだね
若い人の壁として立ちはだかってやろうとも考えてるんだ
弟子はみんな独立して生活していって欲しい
職人の純粋なプライドだけは失っちゃだめ
あとがき
面白かった本まとめ(2013年下半期)
<今日の独り言>
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