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「ラ コリーナ近江八幡」はという施設はとてもオススメ!

2017年09月29日 01時00分00秒 | イベント・外出
 滋賀県在住の方から、近江八幡に行くのなら、「ラ コリーナ近江八幡」がオススメと言われたので、レンタル自転車に乗って行ってみました♪

 まず「ラ コリーナ近江八幡」を説明すると、「ラ コリーナ近江八幡」という施設は、自然を愛し、自然に学び、人々が集まる繋がりの場となることを目指しているようです。

 具体的には八幡山から連なる丘が緑深い森となることを夢見て、広大な敷地に自ら木を植え、ホタル舞う小川を作り、生き物たちが元気に生きづく田畑となるよう耕しているようです。

 そしてこのような環境の中で「ラ コリーナ近江八幡」には、和・洋菓子のメインショップや「たねや」農芸、たねや本社、飲食店、マルシェ、専門ショップ、パンショップなどを長い年月をかけて造るようで、まだまだ建設途中のようです♪

 店舗内に手書きの「ラ コリーナ近江八幡」の地図がありましたが、確かに右側の大きな敷地にはこれから新店舗ができるようでした♪


↑手書きの「ラ コリーナ近江八幡」の地図

 前置きが長くなりましたが、「ラ コリーナ近江八幡」へ行ってみると、入口近くに緑に覆われた横に長い巨大な建物があり、この緑にはとても驚きましたね♪
 その建物の前には緑色の芝生があるのですが、その建物全体がその芝生の色と同じ緑色というのは素晴らしいです♪
とても美しいですね♪
これがメインショップとのことです♪
あまりの素晴らしさに思わず一人で笑ってしまいましたね^_^)


↑メインショップ

 建物に入ろうとしますが、入口近くは建物に沿って長い廊下になっていて、長いベンチが置かれ、日陰で休むことができるようになっていました♪
これは多くの方が座って休めて良いと思います♪
しかしなんだかこんな所もお洒落な空間ですね♪


↑入口近くの長い廊下

 ちなみにここで建物入口から振り返ると、広大な緑の敷地が広がっていて、その広大な空間も美しかったです♪


↑建物で振り返る

 店内に入ると、真っ白の壁を基調として想像以上に美しい空間が余裕を持って広がっていて素晴らしい!!
この綺麗さがスゴイです!

店内に入って右側が出来立てバウムクーヘンなど洋菓子専門ということでしょうか♪


↑メインショップの洋菓子コーナー

 そこには巨大なバウムクーヘンも売られていて、1本19,440円というお値段には驚きましたが、かなり巨大なので、それは実はきっとリーズナブルなのでしょう^_^)
しかしこの巨大なバウムクーヘンも美しいですね♪


↑1本19,440円のバウムクーヘン

 この店舗はオープンキッチンになっているので、職人さんが念入りにバウムクーヘンの状態を確認して調整をしたり、切ったりするのを見るのは楽しいと思います♪
こういうのを見れるのは楽しいですね♪


↑バウムクーヘンを前にした職人さん

 実は行列に並ぶと、出来立てのバウムクーヘンを買うことができました♪
 当日限りと書いてあるので、恐らく保存料など添加物が入っていないんですね♪
その出来立てバウムクーヘンが確か800円ほどで売られていたので買って、後で食べてみましたが、さすが出来立てで柔らかくて甘くて美味しかったですね♪
これは大人気だと思います♪


↑出来立てバウムクーヘン(本日限りの記載)


↑出来立てバウムクーヘン


 それから、入って左側の和菓子コーナーも、とても美しい空間が広がっていました♪
この綺麗さと明るさは素晴らしいですね♪


↑和菓子コーナー

 和菓子コーナーの壁には、木製のたくさんの焼き印などの型が飾られていて珍しいと思いました♪
こんなにたくさんの種類がるというのはすごいですし、こうやって並べると美しいです♪
この発想自体も素晴らしいですね♪


↑木製の型

そして園内に向かって外に出ると、これまた美しい緑と右側には変な大きな建物が現れました♪
中央の緑は稲作のようですね♪
かなり穂が既に付いています。
収穫際があるのでしょうか。
右側の変な大きな建物は「タネヤ本社ビル」のようで、一般客は立ち入り禁止のようでした♪


↑美しい緑と右側の変な大きな建物


↑美しい緑

左側の通路に沿って歩くとショップがあるようなので、そちらに向かいます♪
これもまた屋根が緑に包まれていて素晴らしいです♪


↑左側の通路

 一つ目の建物はカステラショップでしたね♪
これもまたすごく綺麗なお店で、カフェも併設されているようでした♪
この建物も屋根は緑に覆われていて素晴らしい!
ただ閉店間際だったので、よく店内を見ることができなかったのは残念でした^_^;)


↑カステラショップ

そして、次のショップに入ると、アンティークな大きな二階建てバスや小さい自動車が置かれていて驚きましたね♪
また、二階にはスクーターも並べている!!
何だかお洒落な空間が広がっていて素晴らしいと思います♪
とにかく綺麗なのが素晴らしいですね。


↑次のショップ


↑店内の二階建てバスなど


↑二階にはスクーターも

 あまり時間がなかったので、「ラ コリーナ近江八幡」全体をじっくり見ることができませんでしたが、「ラ コリーナ近江八幡」は建物自体にも緑があふれる広大な美しい敷地の中の綺麗な店舗で、出来立てのバウムクーヘンを始めとした美味しい洋菓子や和菓子などを購入したり食べることができ、とてもオススメです!


お勧めなお話(2017年上半期)

<今日の独り言> 
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「GO WILD 野生の体を取り戻せ!(ジョンJ.レイティ)」という本はとてもオススメ!

2017年09月28日 01時00分00秒 | 
「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」の購入はコチラ

 「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」という本は、人類はそもそも自然な環境のもとで進化を遂げ、ずっとその同じ遺伝子によって今も生かされているのだから、本来私たちは野生的に暮らすように設計されていて、現在の飼い馴らされたような生活は病気や不幸をもたらすということについて、その本来の設計の真実についていくつも紹介したものです。

 その飼い馴らされた生活がもたらす破滅的な結果とは、世界の多くで死と苦しみとして挙げられる心臓疾患・肥満・うつ病・がん等で、これらは私たちが遺伝情報すなわち自然による設計を無視してきた代償とのことです。

 しかし、これらの病気にならないようにするには難しいことではないようです。

 本書では、健康のためには食事や運動、睡眠、思考、呼吸や音楽等がポイントで、結論としては以下のことが書かれていました♪

・がんや糖尿病、虫歯等が増えたのは狩猟生活から農耕生活になったことが原因で、穀物や砂糖等の炭水化物や糖質を避ける食事をすべき
・どんな形でも精糖を摂ってはいけない、果物に含まれる果糖は量が多くなければ可。フルーツジュースはダメ。特に避けるべきは水に溶けた砂糖(ソフトドリンクだけでなく、栄養ドリンク、砂糖を含むジュースはすべてダメ)
・穀物も食べないこと。穀物が原料の食べ物もすべて不可。
・カロリーは脂肪から摂取しよう。ただし人工の脂肪であるトランス脂肪酸は避けること。
・加工食品やファストフードはもちろんダメ
・オメガ3脂肪酸を多く含む食べ物を探そう
・卵・草を食べて育った牛、サーモンなど冷水魚、ナッツ、新鮮な野菜と果物を食べ、多品目になるよう心がけ、量は好きなだけ食べていい。食べることを楽しもう。
・好きな運動を選び、気楽にできて日々の習慣にできる運動をすること。さまざまな動きが求められ、全身を使う運動が望ましい。トレイルランニングやクロスフィットはその典型。ジムも悪くはないが、できるだけ戸外で体を動かすこと。
・自然の中で運動すると、相乗効果が得られる。日光だけでなく風と雨も顔で感じよう。雪の中を歩こう。寒さを感じ暑さを感じ喉の渇きを感じること。
・他の人と一緒にできる運動が望ましい。仲間と一緒に体を動かそう。ダンス・気功・太極拳など長い歴史を持つ運動もいい。ただし休息日と休息週を設けること。
・睡眠はなるべく8.5時間すること
・一人ではなるべく寝ないこと
・日光を浴び、体内のビタミンD生成を促進させること
・音楽演奏やダンスを楽しむこと

 「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」という本は、健康を取り戻すヒントとして食事や運動、睡眠、心等について詳しく説明があり、科学的に健康の真実に迫り、今後の健康のためにもとてもとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です

・キャリアーの仮説は「持久狩猟仮説」と呼ばれる。確かに人間にとって長らく重要な食料となってきた哺乳類は、どれもきわめて足が速い。進化は彼らの脚力も育てたのだ。しかし、それら「シカやレイヨウといった有蹄動物」はいずれも短距離走者であり、俊足だが持久力はない。キャリアーは考えた。長距離を走る能力が人間とほかの近縁種を分けたのは、人間がその能力を生かして食料を得たからではないだろうか。おそらく人間は獲物を執拗に追い続け、ついに疲れて倒れ込んだところを仕留めたからだろう、と。キャリアーは、レイヨウが多く生息するワイオミングの草原で、この仮説を検証した。群から一頭を選び、長く追い続けたのだ。ところが、狙ったレイヨウは疲れを見せ始めたかと思うと向きを変え、群に紛れ込んで姿を消してしまう。そうなるとキャリアーはいくらでも走れそうな新たな獲物を追うしかない。そしてついには音を上げるというのが常だった。しかし彼は偶然、今も持久狩猟を続けている南アフリカの少数民族のことを知る。彼はアフリカへ飛び、そこで狩りのこつを教わった。ひたすら走り続けるという戦略は変わらなくても、獲物とその習性についての深い知識が求められることを彼は学んだ。その少数民族は獲物の動きを予測する超人的な能力を備えていた。つまり獲物を捕らえるには走れるだけでなく、大きな脳も欠かせないのだ。まさに人類は走るために生まれたのだ。

・化石記録や古人類学など、過去と現在の人類の状態を教えてくれるものすべてから明らかなように、人類は狩猟者で、肉食動物だ。菜食主義の社会があったという記録はどこにもない。肉を食べることが人類を定義づける基本的事実であり、本来の食性なのだ。この問題は概してタンパク質摂取の観点から議論されてきた。必須アミノ酸、つまりタンパク質は、高度に進化した人体の構成要素として欠かせない。この必須アミノ酸をバランスよく含む完璧なタンパク源は肉だ。ただし、ここで私たちは得てして根本的な過ちを犯す。今日、肉といえばもっぱら筋肉を指す。つまり動物の体の筋肉以外の部分を見落としているのだ。

・ヨーロッパ人が北米を探検していた19世紀、少数の探検家や毛皮目当ての罠猟師は、北部の平原で遊動する先住民族と接触を持っていた。彼らは多くの狩猟採集民と同様に、ほとんど動物だけを食べて生きていた。北米に来たヨーロッパ人も必要に迫られて肉中心の食事をするようになったが、じきに体調を崩し、顔中にぶつぶつが出る者もいた。そうなったのは、現代人と同じく動物の筋肉だけを食べていたからだ。先住民は彼らに、動物の肝臓や脾臓、骨髄、脳、とりわけ脂肪を食べることが大切だと教えた。言われた通りにしたところ、ヨーロッパ人はみるみる健康を取り戻したという。それらの部分には、筋肉にはない微量栄養素が豊富に含まれていたからだ。肉食の栄養学には、タンパク質だけでなく脂肪、微量栄養素、ミネラル、生物蓄積が関わってくる。草食動物は過剰なエネルギーを脂肪に変えて体に蓄積し、その脂肪は動物を食べる人体にとってありがたいカロリー源となる。また草食動物は、脂肪のほかにマグネシウム、鉄、ヨウ素など、植物が土から吸収したミネラルも体内に蓄えており、これらもまた人間にとって重要な要素となる。もちろん、直接植物を食べてもそれらの栄養を摂ることはできるが、必要な栄養分をすべて植物から得ようとしたら、小さな胃袋に入りきらないほどの量を食べなければならない。そのうえ、これらのミネラルや微量栄養素は、あらゆる天然資源がそうであるように、どこの土壌にも均等に含まれているわけではない。しかし大型の草食動物は広い範囲を移動するので、各地の土壌に含まれるミネラルをまんべんなく取り込んでいる。つまり、動かない植物からはとても得られない多種多様な栄養素を、長い年月をかけて体内に蓄積しているのだ。そして人間はその動物を食べることによって、それらの栄養素を効率よく取り込んできた。要するに人間は、動物が生涯をかけて体内に蓄積した栄養の恩恵にあずかてきたのだ。

・人間が変化に富む食事を必要とすることは、雑食という習慣にも表れている。人間はその歴史を通して実に多彩な植物を食べ、それらを求めてはるか遠くまで足を延ばした。これもまた、エネルギーを得るためだけではない。バラエティ豊かな食べ物は、人間の複雑な体を維持するのに必要な幅広い微量栄養素を提供する。また火の使用を始めとする文化的適応は調理を可能にし、栄養分を濃縮するとともに消化を助けた。さらに腸内細菌の働きも、人間にひ弱な消化能力を助けてくれている。私たちの腸には何千種もの微生物が棲みつき、食べたものを消化し、栄養価を高めているのだ。概ね、遊動狩猟生活、二足歩行、雑食性の3つが私たちの種を定義づける行動様式であり、それらは数百万年に及ぶヒト科の歴史が築きあげたものだ。

・どうして現生人類だけが、ほかのヒト科を打ち負かして生き延びられたのだろう。ネアンデルタール人は、間違いなくすぐれた狩猟者だった。狩りの技術はホモ・サピエンスに勝っていたかもしれず、大型獣を好んで食べていた。つまり彼らはマンモスを槍で仕留められるだけの高度な技能と社会組織を持っていたのだ。すべてのヒト科は、タンパク質と脂肪が豊かな肉を食べることによって突出した存在となった。ネアンデルタール人は直立歩行し、体型もホモ・サピエンスと比べて遜色なく、脳も大きかった。では当時のホモ・サピエンスに比べて何が彼らに欠けていたかというと、それは魚を食べる習慣だった。もっとはっきり言えば、どこにでもあったこの栄養源の利用法を知らなかったのだ。一方、彼らの競合相手であるホモ・サピエンスは、魚の取り方を知っていた。人類が魚を捕った最古の痕跡がアフリカで見つかっているが、それはホモ・サピエンスのものだけだ。約4万年前に私たちの祖先がヨーロッパとアジアに現れると、海や河川での漁はたちまち広く普及し、両大陸で重要な役割を果たすようになった。古代のホモ・サピエンスが魚を食べていたことは科学的に証明されている。彼らの化石に、魚のみに含まれる栄養素の蓄積が確認されたのだ。さらにサーモンの遡上を見たことがある方なら察しがつくように、環境破壊が進んだ今日でも多くのサーモンが川をさかのぼるのだから、太古の昔は想像を絶するほど大量のサーモンが遡上したはずで、祖先っちは何の苦もなく、このタンパク源を手に入れることができただろう。持久狩猟などする必要はない。川岸に座ってもりで突きさえすれば、上質なタンパク質を大量に得ることができたのだ。最も遠距離を回遊する魚の一つであるさーもんは、その短い一生の間にさまざまな海洋や河川を何千、何万キロと移動する。そのためサーモン一匹一匹の体には、陸の食物からは摂取できない多様な微量栄養素が蓄積されている。遊動狩猟生活をしていた祖先たちは、多彩な食べ物の価値を知るがゆえに、さまざまな場所で異なる獲物を捕らえていた。さらにその上をいくのが、回遊する魚を食べていた祖先たちで、まさに陸と海の栄養をかけ合わせていたのだ。

・多様性の大切さは本書のテーマの一つであり、何度も触れることになるが、多様性は人間の成功を支える特徴の一部にすぎない。細かな点についてはいまだに議論が絶えないが、古人間学者は長年にわたって、人間を定義すると思える数々の特徴を拾い上げてきた。人類の起源を研究するイギリスのクリス・ストリンガーは、近著でそれをリストアップしている。
・複雑な道具
・骨、象牙、枝角、海外などから作られた幾何学的な手工品
・芸術
・テントや小屋
・宝石、べっこう、数珠玉、琥珀など貴重な原料を長距離輸送する手段
・宗教儀式や風習
・文化的「緩衝装置」(砂漠や低温の草原地帯などの厳しい環境に適応するための方策)
・食物を採集・加工するための複雑な方法(網や罠、漁具、複雑な調理法など)
・現代の狩猟採集民のそれに近い高い人口密度

・帝国主義は辺境の地に最先端科学をもたらし、昔ながらの暮らしをしていた人々(多くは狩猟採集民)を巻き込んだ。そうした辺境の地に赴いた冒険心あふれる医師の多くは、いわゆる原始的な人々が多くの点でヨーロッパ人より健康で丈夫であることに気づいた。当時、多くの先住民集団において、がんはまれな病気だった。たとえばアメリカの国立自然史博物館の包括的な報告によると1908年の時点で、アメリカ先住民の間ではがんは「きわめてまれ」な病気だった。医師は15年にわたって2000人のアメリカ先住民を診察したが、がんの患者は一人だけだったという。フィジーでは、先住民12万人のうち、がんで亡くなったのは2人だけだった。ボルネオで10年にわたって診療を行ったある医師は、がん患者は1人もいなかったと報告している。同じ頃、ニューヨークのような都市では、がんによる死亡は一般的で(1000人当たり32人)よく知られていた。

・タンシューの「文明病」という概念に導かれ、その後、1世紀半にわたって、文明の波にさらされていない人々、-イヌイット、アリューシャン列島のアリュート、北米のアパッチ、南米のヤノマミ、ミクロネシアのさまざまな民族、オーストラリアのアボリジニ、アフリカのクンサンなどなど-の健康状態に関する研究が進んだ。さらに研究者は、地域に関係なく先住民には見られない病気をリストアップしていった。特に目を引いたのは心血管疾患、高血圧、2型糖尿病、関節炎、かんせん、虫歯、にきびが先住民に見られないことだった。今日、深刻な健康問題となっている疾患が含まれていることにお気づきだろうか。それは19世紀という人種差別が当たり前だった時代に始まった研究なので十分予測されることだが、当初この違いは人種の違いによるものとして説明された。現在なら「遺伝的変異」と呼ぶもののせいで、先住民はこれらの病気に抵抗力を持っていると解釈されたのだ。だがそれは間違いだった。欧米の食事とライフスタイルを受け入れた先住民のその後を調べた研究の多くは、彼らもやはり文明病を発症するという結論にいたった。かなり初期の調査でも、西洋の病気にかかった先住民の多くは白人の中で暮らしていたことが明らかになっている。同様に、移民を対象とする研究からも、病気のない地域から病気になりやすい地域へ(たとえばオーストラリアの奥地からヨーロッパへ)移住した人々は、ほどなくヨーロッパ人と同じような幅広い健康上の問題を抱えがちになることがわかっている。文明病は遺伝子の違いによるものではないのだ。

・2型糖尿病は、激しく鳴り響くサイレンとなって、「何かが急速に変わりつつある。どうにかしなければ」と社会に警告を発しているのだ。わたしたちは攻撃にさらされている。科学者の主張や分析が問題を複雑にしているが、問題自体は少しも複雑ではない。2型糖尿病は、糖分と精製炭水化物の摂りすぎがもたらした生活習慣病なのだ。これは最初に文明病として記録された病気の一つであり、アフリカであれアリゾナであれ、それが登場した時期は食生活に砂糖と小麦粉が登場した時期と重なる。以来、1世紀以上それは私たちとともにある。過去の話ではないのだ。

・一般に、コロンブス到来以前のアメリカ先住民は、グレート・プレーンズでバイソンを狩ったりする典型的な狩猟採集民だったと考えられている。だが、コロンブスが到着した頃の北米ではすでに、同時期の東ヨーロッパと同様に狩猟採集民は希少になっていた。1492年当時、アメリカ先住民の大半は定住して農業を営んでいたのだ。ただし狩猟採集民もまだ残っていて、広範囲に散らばって暮らしていた。古人類学者らは、両グループの遺骨を詳しく調べ、どの時代のどの地域でも等しく見られる差異を見出した。狩猟採集民は背が高く、体型が整っていて、虫歯や体の歪みといった文明病の兆候は見られなかったが、農業を営んでいた先住民の骨は、すべての点で劣っていたのだ。西欧文明の波が押し寄せるずっと前から、アメリカ先住民は文明病に苦しめられていたらしい。農業の定着を文明の発祥と見なすのはこのためだ。つまり文明病は、農業と定住生活がもたらした病気なのだ。

・1万年に及ぶ農耕生活がすべて小麦に始まったわけではない。小麦が語るのは西側の物語だけだ。また、確かに農業は約1万年前に小麦の栽培とともに始まったが、数千年にわたってそれは狩猟採集生活の中で細々と行われていた。6000年前になってようやく、現在のイラクとトルコのあたりで農業は人間の暮らしを根本的に変えたのだ。また、およそ5000年前から、世界各地で別々の作物の栽培化が始まり、アジアやアフリカでは米、中央アメリカではトウモロコシ、南米ではジャガイモなどの塊茎が栽培されるようになった。それらはすべて独自の文明を生み出したが、重要なこととして塊茎(ジャガイモ)を含めこれらの作物はすべて高密度の炭水化物、すなわちデンプンの塊だった。これが文明だ。文明とはデンプンがもたあいたものであり、文明病とはデンプンがもたらす病気なのだ。デンプンは複合糖質で、多くは容易に口に入れただけでも単純糖質すなわち糖に分解される。さらに、その糖はブドウ糖か、肝臓がブドウ糖に変えられる形態になる。人間は大昔からブドウ糖を多く含む果物や塊茎を食べて進化してきたため、この体はブドウ糖をうまく代謝できるようになっている。それをグリコーゲンに変え、グリコーゲンは私たちを動かす燃料となる(これは正しくないのだが、当面はそういうことにしておこう)。つまりブドウ糖もデンプンも、私たちにとって目新しいものではない。何と言っても、狩猟採集生活をしていた祖先たちも草や果物や塊茎を食べていたのだから。だが、彼らはそれを大量に食べていたわけでもなければ、そればかりを食べていたわけでもなかった。1万年前に農業によってデンプンが作られるようになると生産量は指数関数的に増加したが、祖先たちはそんな時代を生きていたわけでもなかった。今日では、この3つの草(米、小麦、トウモロコシ)が人間の栄養の三大供給源であり、南米のジャガイモが4番目とん。この4つで人間が摂取する栄養のおよそ75%を占めている。やや単純化しすぎかもしれないが、つまりそれが私たちを苦しめているのだ。

・穀物を柔らかく煮れば乳児でも食べることができるので、離乳の時期が早まった。また定住生活にも助けられ、女性はより短い間隔でより多くの子供を産むようになった。つまり穀物は人口増加に拍車をかけたのだ。これらは、穀物の栽培がもたらした最も明らかで、最もよく知られる結果だ。だが、それほど目立たない結果もまた興味をそそる。それは、乳がんと卵巣がんになる女性が現代になって急増していることだ。これが農業とどう関わっているのだろう?人間の体には、うまくいっているかどうかを見極めるセンサーが備わっている。中でも重要なのは生殖に関するセンサーで、それは資源が豊かで最高にうまくいっている時期に赤ん坊を生ませるように進化してきた。狩猟採集民の少女は大体17歳前後で初潮を迎える。脱工業化社会の少女が12歳ごろに初潮を迎えることを思うと、その遅さには驚かされる。その理由についてはいろいろな見方ができる。遺伝的な違いだろうか?そうではないことが多くの研究によって証明されている。たとえば、バングラデシュの少女が幼いころにイギリスに移住すると、初潮はイギリスの少女の標準的な年齢で迎えるようになるのだ。では汚染化学物質や環境ホルモン、あるいは食品添加物のせいだろうか。その可能性もあるが、もっと単純でよく研究されている原因がある。それは体重だ。体重の重い母集団ほど、女性が月経を迎える時期は早くなるのだ。狩猟採集民の少女は昔も今も活動的でやせているため、自然の長期計画通りに成長する。いっぽう炭水化物を多く摂取し、あまり動かない、飼い馴らされたような生活を送っている先進国の少女は早々と太るので、体のセンサーが十分育ったことを感知して、自然の長期計画を妨げるのだ。これにはマイナス面があり(10代の妊娠の増加はその1つだ。筆者が貧困層の少女の肥満と10代での妊娠が増えているのは単なる偶然ではないと考えていることを察していただきたい)、その最たるものは人生の終末に表面化する。初潮を迎えるとホルモンのサイクルが始まる。早くから月経が始まり、その周期が安定していて(やせすぎの人や運動選手は月経不順になりがちだが)、なおかつ妊娠の回数が少ない女性は、狩猟採集民の女性に比べると、月経の回数もホルモン・サイクルを経験する期間もほぼ2倍になる。そのホルモンの一つ、プロゲステロンは細胞分裂を促すため、2倍の頻度でホルモンにさらされる乳房と卵巣では腫瘍ができやすい。こうして乳がんと卵巣がんが文明病として姿を現すのだ。

・チマネはブラジルのアマゾンの熱帯雨林で暮らす狩猟採集民だ。その1万2千人を対象として、総計3万7千件の健康調査を行ったところ、予想通りの結果が出た。乳がんや卵巣がんは皆無で、結腸がんや精巣がんもゼロだったのだ。心血管疾患は?ゼロ。ぜんそくは?ゼロ。ぜんそくもまた、炭水化物の摂取がもたらす病気なのだろうか?そうではない。少なくとも直接的な原因ではない。ぜんそくは新たな興味深い領域へと私たちを導く。そこで文明病の2つ目の流行を見れば、進化がいかに巧妙であるかがよくわかり畏怖すら覚えるはずだ。ぜんそくは自己免疫疾患で、チマネ族の人々が自己免疫疾患になる確率は、ニューヨーク市に住む人の約40分の1だ。

・自己免疫疾患の「欠如がもたらす」という部分はさらに興味深い。その説は1980年代に生まれ、今も広く受け入れられている。自己免疫疾患は、感染症の原因となる細菌のみならず鈎虫のような寄生虫まで一掃した結果だと、つまり寄生虫の欠如がもたらす病気だというのだ(衛生仮説)。ベラスケス=マノフはこれを次のようにまとめている。「免疫介在性の疾患は、豊かさと欧米化の度合いに比例して発生する。まわりの環境が人類が進化しつつある時代のそれ-周囲は病原体だらけで、ある科学者によると「獣、糞、泥」にまみれた環境-に近いほど、免疫介在性疾患になる確率は低くなる」

・ここで登場するのが進化、もっと端的に言えば「共進化」だ。共進化という言葉は保全生物学者のポール・エーリックとピーター・レイヴンが作った。それが意味するのは、2つの種が長年にわたってともに影響しあいながら進化してきた場合、それがオオカミとヘラジカ、あるいは感染症の細菌と人間のように、敵同士であったとしても、いっぽうを排除するともういっぽうもダメージを被るということだ。従って、たとえ善意からであっても自然のシステムに介入すると、深刻で有害な結果を招く恐れがある。この考えは研究者をひきつけ、今日、ヒトマイクロバイオーム(人間の体内に棲息する微生物群)の研究は医学の最も活気ある分野の一つになっている。これはプラスの展開だ。

・自己免疫疾患に関して、「欠如がもたらす流行病」のメカニズムはかなり単純で、進化的に説明がつく。旧石器時代の末、農業はまだ始まっていなかったが、氷河が拡大したせいで、増えつつあった人間は狭い地域に押し込まれ、数は少ないものの、マラリアのような感染性の疾患が増えてきた。進化はそれに呼応して、強い免疫力を持つ人々を生き残らせた。そうした免疫力を担ういくつかの遺伝子が見つかっている。最も興味深いものはイタリアのサルディニア島で見つかった。古代から近年に至るまで、その島ではマラリアが蔓延していた。そしてサルディニアの人々には、マラリアに対する遺伝的適応が広く見られる。選択圧がマラリアへの耐性を育てたのだ。この適応は巧みに調整されていて、マラリアが蔓延する沿岸部に住む人々には見られても、蚊の少ない高地に暮らす人々には見られなかった。しかし20世紀に入ると、多くの国々と同じくサルディニアでもマラリアは一掃された。すると、過剰に調整されたその免疫機構は新たな敵を探し始めた。力を持て余したゴロツキがけんか相手を探すようなものだ。そして見つけた敵は、ありがちなことに自分自身だった。今日、サルディニアでは自己免疫疾患である多発性硬化症の罹患率が高く流行していると言えるほどだ。この経緯は、現在増加の一途をたどる自己免疫疾患のすべてに通じている。

・いくつかの研究から、体が利用できるカロリーは、消化器系に棲む細菌の種類(人によって大きく異なる)に左右されることが示唆された。驚かされるのは、この共生において、細菌は私たちが食べたものからエネルギーを摂取して生きているが、そうしながら私たちが摂取できるエネルギー量を平均で10%多くしていることだ。肥満のマウスの腸内で見つかったある細菌を別のマウスに移すと、そのマウスも肥満になった。食事の内容は変わらなかったのだが、新たな細菌のせいで肥満になったのだ。食物からは摂取できないビタミン類を特定の細菌が人間に与えてくれているという証拠もある。けれども、「好ましい」はずの細菌が興味深い形で悪さをすることもある。たとえばある実験で、やせている人々にジャンクフードを食べさせたところ、ジャンクフードからさらに多くカロリーを摂取させる(ひいてはより太らせる)細菌が体内で繁殖した。だがそれらは本来異物なので、免疫系の関心を引き、その侵入への反応として炎症が起きる場合がある。実のところ、今や多くの研究者が、がんはもちろん心疾患の原因としてコレステロールより炎症に注目している。このジャンクフードの実験ではジャンクフード細菌が活気づいた結果、炎症とインスリン抵抗性が引き起こされた。炎症とインスリン抵抗性は文明病の核心となるものだ。但しこうした実験は、ほとんど知られていない領域の表面をなぞっているにすぎない。人間の体内には何千種もの細菌がいて、それぞれ人間の幸福に直接影響を及ぼしているのかもしれないのに、私たちはそれについてほとんど何も知らず、その上、何世代にもわたってこの内なる生物群系に大量の抗生物質を津波のように浴びせてきた。

・1970年代後半、アーメラゴスはディクソン・マウンズに目をつけた。かつてイリノイ州のスプーン川沿いに暮らしていたアメリカ先住民の墳墓だ。その遺跡の存在自体が、およそ1500年前に起きた文化の大きな変化、すなわち農業への移行を今に伝えていた。コロンブスの到来を待たずに、北米では農耕-トウモロコシや豆類の栽培-が始まっていた。メキシコの北東部から北米の太平洋岸、そして現在のカナダ・オンタリオ州にいたる広い地域でそれらは主要な作物になった。ディクソン・マウンズにはそれらを育てた農耕民の骨が納められていたが、近くには同じ地域で暮らした狩猟民、つまに農耕民に先立つより原始的な人々の遺骨もあった。まず始めに感染症の兆候を探した。彼はそれらを文明化がもたらすマイナスの影響と見ていた。人々が寄り集まって生活するようになると病気にかかる確率は増す。文明化にそのような代償が伴うことは当時の科学もすでに認めていた。「感染症にかかる人が増えるのは予想していましたが、栄養不良の人が増えるとは予想していませんでした。まったく思いもよらない結果でした」と彼は言う。だが証拠は歴然としていた。農耕民は先住者たる狩猟民より食料事情が悪かったらしく、背が低く、骨は歪んだり変形したりしていたのだ。ディクソンが極端なケースだったという可能性もある。初期の農耕民はトウモロコシだけを食べていたのかもしれない。のちに豆類を作るようになって初めて、農業というシステムで栄養のバランスが取れるようになったとも考えられる。だが、同じような発見がその後も広域で続いた。世界中の似たような遺跡が語る農業への移行の物語は、ディクソンでの経過とほぼ一致していた。狩猟採集民が栄養不良に悩まされたという証拠も見つかっているものの、あくまで例外的なものだ。全体を俯瞰すれば、文明化には吉凶両面があり、それには健康上の大きなコストが伴った。そしてはじめのうち、そのコストの大半は栄養不良と結びついていた。農業が栄養不良をもたらいしたのだ。

・ではアーメラゴスは何を食べるのだろう?答えは簡単、彼自身の研究と、それに続く研究が明かしたすべてを反映したものだ。その処方箋は想像するよりずっとシンプルで、重要なポイントは2つだけ。筆者も同じ考えなのでここに挙げておこう。一つはあまりに明白で重要なこと-低炭水化物(ローカーボ)である。もう一つはあまり話題にならないが、アーメラゴスも筆者もより重要だと考えていること、つまりバラエティの豊かさである。

・自然な消化作用であれ工場での加工であれ、炭水化物を分解する最終的な目的はブドウ糖を得ることだ。ブドウ糖は脳と筋肉の燃料であり、とりわけ現代のような砂糖漬けの社会では、重要なエネルギー源となっている。ブドウ糖をブドウ糖の形で摂取するとすぐ血流に入り、少なくとも理論上は、そのままエネルギーとなる。一方果糖は消化系に入り、数時間かけて酵素によって分解されてからブドウ糖になり血流に送られる。だがこのすべてには小さな暗い秘密がある。奇妙に聞こえるかもしれないが、ブドウ糖には毒性があるのだ。ゆえに体はそれを毒と見なす。私たちはこれまで何世代にもわたって病気をもたらす毒素を見つけようとしてきた。工業化学物質、殺虫剤、汚染物質は私たちを殺すだろうし、実際殺している。しかし最大の皮肉は、何でもないものの中に毒が潜んでいることだ。この問題について考える人々はよく「雑食動物のジレンマ」という言葉を引き合いに出す。だが今や人間は、植物も動物も食べる「雑食動物」でいることさえ難しくなっている。人間は穀物に飼い馴らされて「炭水化物食動物」になったと言う人さえいるが、それもまったく根拠がないわけではない。そして炭水化物食動物のジレンマは、自らの血流が毒と見なすものにほぼ依存して生きていることだ。ここでちょっと考えてみていただきたい。食物に炭水化物が含まれるのは今に始まったことではなく、狩猟採集民も長くそれを食べてきた。ジャガイモの前身である塊茎や、穀類の前身である野生のイネ科植物の種のように、炭水化物がぎっしり詰まったものさえ食べていた。さらに先に述べた通り、人間という種の特徴は順応性、反応の速さ、新たな環境への適応力、バランスを保つ能力であるはずだ。だとすれば、より高密度の炭水化物を摂取するようになったからといってどうだというのだろう?何百万年にもわたって(人間だけでなく、動物にとっても)基本的な食物だったものを毒とみなしたりするだろうか?ホメオスタシスのメカニズムを駆使して適応すればいいだけのことではないだろうか?実のところ、体はそうしているのだ。ブドウ糖は極めて特殊な毒である。血流に大量にあると毒なのだ。だからこそ、炭水化物を過剰に食べる人は血糖値に気を配る必要がある。それが上がったり下がったりするのは、体がバランスを取ろうとしているからだ。体は過剰なブドウ糖にうまく適応し、インスリンというホルモンを駆使して血中のブドウ糖のバランスを保とうとする。血流に入ってきたブドウ糖は、1型糖尿病の人を除いてただちにそして確実にすい臓を刺激し、インスリンを分泌させる。インスリンは血流からブドウ糖を取り除くべく、速やかに全身に信号を送る。いわば、この毒に対する体の反応を監視しているのだ。血流からブドウ糖を追い出す方法は主に二つある。まず体が試みる最善の方法であるプランAは、ブドウ糖を筋肉や臓器に送り、そこでブドウ糖がいくつもつながった重合体、グリコーゲンに変えるというものだ。グリコーゲンは筋肉にとって燃やしやすい燃料だが、難点は、筋肉繊維にはごくわずかなグリコーゲンしか備蓄できないことだ。それはマラソン選手が1時間走れるかどうかといった量で、数十グラムの糖から得る量に相当する。おまけにマラソン選手でないとすると、筋肉の備蓄スペースは常時ほぼ満杯になっている。そこで体はプランBに変更する。ブドウ糖を脂肪に変え、おなかやお尻、大腿など広範囲に蓄えるのだ。どこに脂肪がつきやすいかは男女で少々異なる。

・この脂肪への転化には脇道があり、それもまた、体が血流中のブドウ糖を毒とみなし、その除去を最優先することと関係がある。つまりこういうことだ。筋肉は働くためにグリコーゲンを燃やすが、同時に食べたものに含まれる脂肪や体に蓄えられている脂肪も燃やすことができる。その際、脂肪はブドウ糖に変換されなくても、それ自体がよく燃えて筋肉にエネルギーを供給する。炭水化物が燃料になるというのは、とくに運動競技の世界ではよく言われることだが、脂肪も燃料になるということはあまり語られていない。とくに持久力が求められる競技ではそうで、日々の運動においてさえ、脂肪は重要な燃料となる。もっとも炭水化物を摂り過ぎてブドウ糖過剰になっていなければの話だが。インスリンはホルモンの一種で、血流からブドウ糖を取り除くためにさまざまなシグナルを送る。その中でとりわけ強く明白なシグナルは、「脂肪を燃やすのをやめてブドウ糖から燃やせ」というものだ。同時に「貯蔵庫から脂肪を持ち出すのをやめよ」というシグナルも送る。あくまで優先事項は、血流からブドウ糖を取り除くことなのだ。こうしたことは、炭水化物の摂り方が進化的に見て妥当であれば、つまり少な目に様々な食物の一部として摂取するのであれば大した問題ではない。私たちの体には調節機能が備わっていて、血流中のブドウ糖をせっせとグリコーゲンに変えて燃やし、その血中濃度が有害なレベルに達しないようにするからだ。だがこのシステムの限界を超えると、つまり体の許容範囲よりはるかに多いブドウ糖を直接的に取り込んだ場合には問題が生じる。ブドウ糖をどんな形で摂取するかは、その量と同じくらい大きな意味がある。人類進化の過程の大半において、炭水化物はさまざまな食べ物の食物繊維に埋め込まれた形で摂取されてきた。その消化には時間がかかったので、一日を通して体にはブドウ糖が少しずつ供給された。だが現在私たちは、炭水化物の大半をブドウ糖として、ときには食べ物でさえない水溶液の形で取り込んでいるのだ。それは、栄養の摂取を均等にしようとする消化システムを完全に無視したやり方だ。水に溶けた糖は最悪の結果をもたらしうる。だからソフトドリンクは実に警戒すべき飲み物であり、実際、世界中で子供の肥満を招いている。これはたとえば果汁入りのジュースのような社会的により受け入れられている飲み物でも変わらない。健康食品の店で売られるような全オーガニック全天然果汁の炭酸飲料でも、少なくともブドウ糖に関してはコカ・コーラと等しく有害だ。本書から一つだけルールを学ぼうというのであれば、以下を肝に銘じていただきたい。「どんな形であっても砂糖水は飲まない。コカ・コーラもだめ。クヌーセン社の100%天然有機フルーツジュースもだめ」

・炭水化物はジュースでなく食べ物、たとえばスターバックスで朝食に食べるベーグルのように複合糖質の形であっても、やや毒性が弱いだけで、やはり私たちを破滅に向かわせる。つまり体が「インスリン抵抗性」と呼ばれる状態に陥り、「オオカミが来た!」という少年の叫びを繰り返し聞いた人々のように、インスリンが鳴らす警鐘を真に受けなくなるのだ。そうなると体の警報システムは混乱し、やがてメタボリック症候群という本当の危機に陥る。それはまさに、肥満、心臓病、高血圧、2型糖尿病、脳卒中、そして間接的にはがんといった、たちの悪い病気に結びつく状態だ。以上が、糖は毒で、私たちを苦しめる病気を引き起こすという近年盛んに言われるようになった主張の核である。そして炭水化物も同じく病気の原因となる。先に述べたように、それは糖に変換されるからだ。

・もっともこの説にはまだ異論も多い。特に栄養学者の間や、少なくとも栄養学者による一般向けの発表において。その背景には、科学というより科学を取り巻く社会に根ざした事情がある。栄養学者が、個人的には脂肪は悪くないと認めながら公の場ではその言葉を翻し、脂肪を悪く言うのを私たちは何度も耳にした。だがそれはただ、50年にわたって喧伝されてきた「脂肪は摂るべきでない」というメッセージを否定したくないからに過ぎない。もし否定したら一般の人々は混乱するだろうと彼らは言う。だがそのような事なかえ主義に食品業界や製糖産業、工業型農業のビッグマネーが絡み、さらには私利私欲、政府の怠慢、人間の本性も絡み合ってメッセージはますます複雑でわかりにくいものになった。結局のところ問題は、脂肪を摂りすぎるから太るのだと何世代にもわたって言われてきたことにある。糖や複合糖質を摂り過ぎるから太るのだと言うより、そのほうがずっと直接的で、受け入れられやすいのは確かだ。まずは脂肪恐怖症をやっつけよう。脂肪は体に良いものであり、体に悪いなどと言うべきではないのだ。

・トランス脂肪酸の問題は、水素添加によって、私たちの消化システムが経験したことのない脂肪酸分子が作りだされたことだ。私たちはそれらの分子を処理するように進化してはいない。体内に入り込んだ異質な分子はしばしば免疫反応を引き起こし、それには炎症も含まれる。そして炎症は、コレステロールほどではないとしても、動脈硬化やひいては心臓病の原因となる。すなわち、バターより健康にいいと称して売られていたマーガリンは心臓病と直接的かつ論理的につながってのだ。1950年代までに栄養学者はその関連を疑うようになり、現在疫学者はトランス脂肪酸の摂取が2%増えるごとに、心臓病になるリスクは23%高くなると推定している。米国科学アカデミー(NAS)は食物中のトランス脂肪酸にこれ以下なら安全というレベルはないとしている。つまりほんのわずかでも害になるということだ。それはトランス脂肪酸が心臓病と密接に関わっているからで、逆にいえばそのつながりゆえに心臓病は文明病と呼ばれるのだ。そしてほかにも思いがけない病気と結びついている。2011年のある研究は、トランス脂肪酸を摂るとうつ病のリスクが高まることを明かした。うつ病にかかる人は世界中で急増しており、それもまた文明病と呼ばれている。

・問題は、牧草で育てた牛の肉を食べれば簡単に解決できる。そのような肉は、人々の意識が高まり需要が増したおかげで手に入れやすくなったが、牛肉に限らず天然魚や放し飼いの鶏の卵、クルミを食べてもいい。これが数世代にわたる脂肪についての誤解を修正する方策だ。確かに工業型農業と加工食品に頼った食生活を続けた結果として、私たちの血流には脂肪があふれている。だがすべて脂肪が悪いわけではない。インスリン応答と炭水化物の摂りすぎがもたらすインスリン抵抗性を思い出して頂きたい。血中に糖が流れ出すと、インスリンは体が脂肪を燃やすのを即座にやめさせる。脂肪を貯蔵するようシグナルを送り、同時に筋肉には脂肪ではなくブドウ糖を燃やすようシグナルを送るのだ。この仕組みだけでも、トリグリセリドのような脂肪が血流に滞る理由を説明するには十分だ。そうなるのは脂質を食べるからではない。血流中にはつねに脂肪がある。過剰な炭水化物、とくに糖がその燃焼を妨げるために、脂肪はたまっていくのだ。炭水化物を断てば、脂肪の問題は自ずと解決する。もっとも正しい種類の脂肪を摂っていればの話だ。

・タウバスは違う方向からこの問題を捉え、論争に終止符を打とうとした。世界の多くの国で肥満が増えているのは確かだ。過去50年間のアメリカにおける肥満の人の数は、右肩上がりのグラフになる。その間のタンパク質、脂質、炭水化物(糖を含む)の一人当たりの摂取量をグラフにすると、タンパク質と脂質のグラフはほぼ水平で、摂取が増えていないことを示す。しかし炭水化物のグラフだけは肥満のグラフと同じく右肩上がりで、その摂取量が着々と増えていることを示している。この傾向は今に始まったものではない。アメリカにおける糖の一人当たりの年間摂取量は、1700年には約2kg、1800年には約10kg、1900年には約32kg、そして今日では約69kgになった。そういうわけで、何が私たちを苦しめているかという話ではつねに糖がやり玉に上がる。ワイルドに生きたい?それなら答えはこうだ。糖を摂らない。どんな形でも。ショ糖、異性化糖、ハチミツ。トウモロコシから工業的に作ったことを示す舌をかみそうな名前の糖-マルトデキストリン、デキストロース、ソルビトール、マンニトール-も当然だめ。アップルジュースもだめだ。炭水化物がぎっしり詰まった食品、とくに精製された小麦粉は摂らない。パンもパスタもベーグルも、もちろんクッキーも食べない。とにかく穀類は、全粒であっても食べない。トランス脂肪酸は絶対に摂らない。となると、そこから導かれるルールはおわかりだろう。トランス脂肪酸と糖は加工食品の基盤だ。だから加工食品は食べない。

・スウェーデンの事例には、もっと興味深いパターンが見られた。そのデータには27万組の兄弟と1300組の一卵性双生児が含まれていた。その結果を調べたところ、認知能力とIQは、血縁の濃さよりも心血管の健康状態と強い相関があった。つまり、IQは遺伝で決まるという一般的な見方に反して、遺伝子よりも健康状態のほうがこれらの知能テストに強く影響していたのだ。

・レイティはそのような事例について「脳を鍛えるには運動しかない!」で詳述した。以来、メンタルな問題を運動で治療しようとする動きが広がりつつある。不安障害、依存症、注意欠陥障害、強迫性障害、統合失調症、最近では双極性障害(躁うつ病)への治療効果を示す論文が続々と登場しているが、中でもうつ病に関する研究がもっとも多い。2010年、アメリカ精神医学会(APA)はうつ病の治療に関する新しいガイドラインを発行したが、そこで初めて運動の治療効果を認めた。APAはヒポクラテスに追いついたのだ。ヒポクラテスは、落ち込んでいる人には散歩が良いとし、それでも改善しなければさらに散歩するよう勧めた。多くの説得力ある新たな証拠によって、APAは方針を転換することになったのだ。

・今描いたのは、人生のほんの一瞬、おそらく10分間ほどのトレイルランの様子だ。いっぽう、ランニングマシンでの10分間を描くとどうなるか想像してみよう。ランニングマシンに乗る。足を一歩前に出す、左、右、左、右。それを繰り返す。以上。それに比べて山道での体験は、ただ読むだけでも脳の働きが促される。運がよければこのトレイルランの描写はあなたのミラーニューロンに火を灯し、共感を呼び起こすだろう。言葉で伝えるだけでも情報が豊かで、脳が活性化する。つまりそこには現実が存在するからだ。トレイルランが唯一の真実で、ただ一つの楽園だと言うつもりはない。けれどもトライルランは、効果的な運動にはどんな要素が必要かを知る手がかりとなる。もはや、習慣的なエクササイズという考えは捨てるべきなのかもしれない。「エクササイズ」とは産業化され、厳密に管理され、飼い馴らされた生活の産物だ。動くことで脳にプラスの効果をもたらすのに、あえて「エクササイズ」をする必要はない。動けばいいのだ。そして敏捷になろう。

・ミニマリストや裸足ランニングの理論的裏付けとなっているのは、人類は靴なしで進化し、走る能力も進化させたという事実だ。ミニマリストランナーや裸足ランナーの中には、毎日10kmほど走る人もいる。そのために発展したのがミッドフットあるいはフォアフット着地と呼ばれる走法だ。足を前に出してかかとで着地する従来の走法とは違って、この走法では着地を体の真下に保ち、より短い歩幅と穏やかに走る。競技ランニングで優勢な、歩幅を広く保ちかかとで着地するストライド走法は、クッションがよく効いたシューズが開発されて初めて可能になったものだ。ただその走り方だとかかとはシューズで保護できても、かかとに加わる力がそのままくるぶし、膝、腰に伝わり、そうした力を吸収するようにできていない各部の故障を招く。長く走っていると、ランナーは多かれ少なかれ故障を抱えることになる。いうなればそのけがの原因となっているのは、人工的にクッションをつけたシューズによって可能になったフォームなのだ。

・睡眠不足がもたらす影響について現在わかっていことの一つは、高密度の炭水化物と糖をやたらにほしがるようになることだ。その結果はボランティアの被験者を用いた実験でも再現されている。「大学生を夜、4時間しか眠らせないようにして、ブドウ糖負荷試験をすると、糖尿病予備軍のような反応を示し、食事の量も増えました」すなわち、睡眠が足りないというだけでインスリン抵抗性が生じたのだ。肥満と睡眠不足に関係があることは昔から知られていたが、近年その理由を調べる研究がいくつも行われている。スティックゴールドと会った後にも、ある研究の結果が公表された。それはコロラド大学の研究者によるもので、睡眠が足りないと、活動量やエネルギー消費量が変わらなくても体重が増えることを明らかにした。睡眠不足のせいで、インスリン反応と関係のある信号伝達経路が乱れたのがその原因だった。とくに満腹の信号を送る一連のホルモン-グレリン、レプチン、ペプチドYYの分泌が攪乱され、被験者(特に女性)はとりわけ夜により多く食べるようになったのだ。睡眠不足は免疫系を大混乱に陥れる。それを立証するのはそれほど難しいことではない。数日間、被験者の睡眠を遮断し、その後、彼らと対照群にC型肝炎のワクチンを接種する。睡眠遮断された人々は、そのワクチンに反応してできる抗体の量が対照群より50%も少なかった。この結果は、彼らの免疫系の機能が半分に落ちていることを示している。これこそ、スティックゴールドのいう「捉えがたいもの」が意味するところであり、大方の人は免疫力が落ちていることに気づかず、たとえば風邪をひいても、それが睡眠不足のせいだとは思わない。

・日中に2時間、情報を取り込んだら、その意味を理解するために脳は1時間の睡眠を必要とするということです。その時間が取れなければ理解はできません。利口さと賢さの違いは、一晩にもう2時間多く眠るかどうかなのです。

・睡眠が足りている人と睡眠を遮断された人に一連の画像を見せて、記憶できるかどうかを調べるという研究で、一見、単純な記憶力テストのように見える。しかしその画像はたとえば小さな子犬とか、戦争の場面など明らかに感情に訴えるもので、好ましい、好ましくなし、どちらでもない、と分類することができる。結果はこれまでと同じく睡眠を遮断された人の記憶は劣っていたものの、好ましくない画像については彼らもよく覚えていた。この発見はうつ病と結びつけることができる。うつ病を患うのは、人生の否定的な面しか思い出せない人だ。ここからさらに別の関係が見えてくる。たとえば、睡眠時無呼吸症候群はしばしば睡眠不足の原因となるが、その病気になった人はうつになりやすい。スティックゴールドによると、投薬によって無呼吸症候群が治癒すると、薬では治らなかったうつ病が自然に治癒することがあるそうだ。これはぐっすり眠れるようになるとうつ病が治ることを示している。睡眠と記憶との関連は、とくに心的外傷後ストレス障害(PTSD)の患者に見ることができる。PTSDはイラク戦争を経験した退役軍人にとってはスニッカーズよりはるかに深刻な問題だ。ある一連の研究は、戦争中トラック運転手を務めた兵士はそれほど重いPTSDにならないことを報告している。軍の規則には、トラック運転手は1日8時間の睡眠をとらなければならないというものがあり、これはその規則が遵守された結果と見なされている。現在ではPTSDは記憶障害の一種であることがわかっている。患者はショッキングな出来事を過去のこととして処理することができず、来る日も来る日もそれを現実の現在の恐怖として頭の中で再現してしまうのだ。しかし睡眠には記憶を処理する力がある。悲惨な体験をした兵士でも十分な睡眠を取っていればその体験を記憶の中のふさわしい場所に位置づけ、ただの悪い思い出であって現在の恐怖ではないと判断できるようになる。

・では私たちは何をすればいいだろう?スティックゴールドの処方箋は実に単純明快で、誰でも1日に8時間半眠りなさい、というものだ。誰でもである。さらに言えば、寝すぎるということもまずあり得ない。つまりもし朝起きるのに目覚まし時計が必要だったり、エスプレッソを3、4杯飲まないと体がしゃんとしなかったり、あるいは週末にずいぶん朝寝坊するようなら、それは普段の睡眠が足りない証拠だ。

・現在でも野生のライオンやハイイログマやシベリアトラに遭遇する人はいて、その人たちの話から、それがどんな状況かを推測することができる。太古の世界にはこれらの動物が今よりはるかに多くいたが、それに加えて今では絶滅したさらに恐ろしい補食動物もいた。そのような環境では、補食者からうまく逃れるスキルは生き残る助けとなったはずであり、それが夢の内容にも影響したはずだ。レヴォンスオは、夢は困難に立ち向かうリハーサルとして役立ち、深刻な脅威を乗り越えるための対応の仕方や技能を脳が学ぶのを助けていると考えている。彼の結論はこうだ。危険な出来事を回避するのに有利な行動は何であれ、繁殖の可能性を高めただろう。夢を生産するメカニズムは恐ろしい出来事をテーマとして選択し、それをさまざまに組み合わせて繰り返しシミュレーションする傾向にある。そのような夢は、脅威を回避するスキルの発達と維持に役立ったことだろう。標準的な夢、子どもの夢、繰り返し見る夢、悪夢、心的外傷を負った人の夢、狩猟採集民の夢などから集めた経験的な証拠は夢の生産メカニズムが恐ろしい出来事のシミュレーションに特化していることを示しており、夢の機能についての「脅威のシミュレーション説」を裏付けている。

・エリザベス・マーシャル・トーマスは、ジュ・ワシのキャンプでは夜中も誰かが起きていると書いているが、ライオンのいる戸外で眠るクン人であれば、それはまったく理にかなったことだ。人類は進化してきた時代のほとんどをまさに補食動物がうろすく戸外で眠っていたのだから。しかし、この何でもなさそうな観察の背景に、ある計算が成り立つことをワースマンは発見した。この計算は現代人にも残っている。年代による睡眠パターンの違いに基づくものだ。赤ん坊は昼夜なく不規則に目を覚ます。少し大きくなると、大人と同じようにほぼ24時間周期の概日リズムが定着する。しかし青年期を迎えると世界のどの文化でも往々にして夜更かしするようになり、朝起きるのも遅くなる。いっぽう年老いてくるとあまり眠らなくなり、夜起きていることが増える。この睡眠時間帯の年代による違いはどの文化にも共通して見られ、それを互いに重ね合わせると意味が見えてくる。ワースマンはある計算を行い、このように睡眠時間がずれているせいで、平均的な年齢分布の35人の集団なら、夜間のどの時間も必ず誰かが起きていることになると結論づけた。

・さらに睡眠には、ただ起きているか寝ているかだけの違いを超えたバリエーションが見られる。たとえば多くの文化において、異変が起きたときにすぐ行動をとることができる軽い眠り、用心深い仮眠が見られる。現代の睡眠に関する研究でもそのような浅い眠りの存在が確認されている。だれもが自覚することなくこの種の浅い睡眠を取っているが、その一方で、私たちは深い眠りも必要とする。これは脳にとって欠かせないものだが、ライオンと隣り合わせで生きる人々にとっては非常に危険な状態でもある。研究者は通常、眼球の動きによって睡眠を2つの種類に分ける。眼球の動きが速いレム睡眠(浅い眠り)と、動きが遅いノンレム睡眠(深い眠り)だ。ノンレム睡眠は睡眠の深さによってさらに4段階に分けられ、そのもっとも深い段階では、脳が熟睡して意識がまったくなくなる。つまり昏睡のような状態で、補食動物などの脅威に対してもまったく無力だ。いっぽうレム睡眠では、全身の筋肉がほぼ弛緩した状態となる。脳内化学物質の2つの経路が作用して、眼球以外のすべての筋肉が麻痺するのだ。そうなる理由はわかっていないが、夢に反応してケガをするのを防いでいるのではないかと考えられている。夢を見るのもこのレム睡眠の段階だ。レム睡眠中に筋肉が弛緩しない障害を持つ人は、しばしば夢に反応してケガを負う。

・ワースマンは、睡眠には段階があるので社会的環境が重要となってくると言う。眠っているときの私たちは、つねに完全に意識を失っているわけではない。むしろ睡眠中の脳は重要な任務を遂行していて、その任務には、睡眠のある段階から別の段階へのギアチェンジも含まれる。そして正しいギアチェンジを行うには、周囲に気を配り、その信号を読み取って、今が安全かどうか、無防備なほど熟睡してもいいかどうかを判断しなければならない。つまり正しく眠るには、周囲で何が起きているかに注意し、その情報をもとに心身が必要とする睡眠の段階に進んでいかなければならないのだ。そういう意味では、防音室に閉じこもって寝るというのは最悪の寝方かもしれない。一人きりで寝るというのも同じだ。ほぼすべての文化において家族が一緒に寝ることが、交互に眠るのと同じく当たり前になっている理由が明かされつつある。私たちは眠っている間も周囲からの情報に気を配り、安全かどうかを判断している。ほかの人のくつろいだ会話や動き、火のはぜる音。そのようなかすかな音が安全を知らせる信号となって、最も深い眠りに入っていいかどうかを教えてくれているのだ。

・幼児は本能的に自らの脆弱さを知っているので恐ろしい動物の夢を見るのであり、彼らは大人以上に安全の信号に頼っているのだ。ワースマンは、ほかの文化圏の人が、西洋では赤ん坊を一人で寝かせていることを知るとたいてい眉をひそめると書いているが、それも当然かもしれない。しかし進化的に見れば、睡眠に関わるのは何も周囲の人間だけではない。現在の私たちの孤独な状況を打開し、進化的に正しい睡眠を取り戻すヒントがそこにあるかもしれない。人類学の研究によると、ほとんどの文化で人々は火の音に多大な注意を払っているが、それはただ赤ん坊のやけどを心配をしているからだけではないようだ。たとえば火の燃える音に変化があれば、火が消えそうだ、眠りを浅くして警戒せよ、という合図を示し、ぱちぱちと燃える音が続いているようなら、深く眠っても大丈夫だという知らせになる。もっともだから火のそばで寝るべきだというつもりはない。ただ似たような音を探せばいいのだ。録音した音であっても。動物も睡眠の助けとなる。牧夫は、牛や羊がゆったりと反芻する音や、落ち着いた呼吸の音が聞こえていれば周囲に補食動物はいないと判断し、安心して眠ることができる。また多くの人は犬のリズミカルないびきを聞けば安心し、くつろぐことができるのだ。もし何か異変が起きれば犬が教えてくれるだろうから。以上のことから結構している人やペットを飼っている人のほうが、独身の人より長生きするという疫学上の発見について、なぜなのか説明がつくかもしれない。つまり前者のほうがより熟睡できるからなのだ。

・私たちは紫外線B波を知覚しないが、日光を30分間浴びると、その働きによって皮膚はビタミンDを1万1Uから2万IU生成する。このビタミンDは体にとって必要不可欠なもので、欠乏すると病気になる。子供の場合、深刻なビタミンD不足はクル病を招く。また子供でも大人でもビタミンD不足は大腸がん、乳がん、前立腺がん、高血圧と心疾患、変形性関節症、そして自己免疫疾患のリスクを高める。これらすべては、天気のいい日に戸外で過ごす時間を増やすだけで防ぐことができる。実に簡単だ。

・自然との関わりというテーマの興味深い点は、それがこれまで本書で取り上げてきたさまざまな問題とすべてつながっているように思えることだ。だから、まず自然界と人間との関係を確かめれば、高血圧、運動不足、自己免疫しっかん、うつなどすべてが解決へと向かうだろう。たとえば睡眠障害を専門とする医師が、たまたまビタミンDサプリメントを摂取した患者の睡眠パターンが改善したことを発見した。衛生仮説を思い出していただきたい。現代人、とりわけ都会で暮らす人々に自己免疫疾患が急増しているのは、環境があまりにも清潔なため、免疫系が現実の的を失い、力を持て余して暴れているからではないかというのがそれだ。私たちはフル装備の微生物に囲まれ、それらと闘いながら進化してきた。そのため微生物がいない状況では、特に体内の生態系に問題が起きる。健康でいるには、体の中の生態系が外の生態系と結びついていなければならない。両者を結びつけるには、無菌の人工的環境から外に出て、自然の中で過ごす必要がある。たとえば筆者はかねてより、子供は戸外で土を掘ったり日を浴びたりして過ごさせ、自然との結びつきを深めさせたほうがいいと訴えてきた。この処方箋の効き目は研究結果で実証されているし、何よりきっと子供は喜ぶだろう。

・現代のサン人は依然として砂漠で持久狩猟を行っていて、観察者は彼らが水をあまり飲まないことに気づいた。エリザベス・マーシャル・トーマスは、サン人の狩りをする男たちと、食物を採集するために日がな一日、炎天下を歩き回る女たちの一日に飲む水の量は、水筒代わりのダチョウの卵殻1個分にすぎないと書いている。つまりサン人は、現代のランナーが30分ごとに飲むべきとされる量の水で、丸一日、灼熱の半砂漠を走り続けることができるのだ。南アフリカの研究者ティム・ノークスはこの問題について広範な研究を行い、ランナーの飲むべき水に関する現代の過剰なアドバイスは、実際に過剰なのだということをかなり明確に示した。彼が集めたデータは、「大量の水を飲め」というアドバイスが間違いだということを示している。ノークスの調査によると、マラソンでは往々にして、過度の脱水状態に陥っているランナーが勝つそうだ。さらに重要なのは、脱水から深刻な体調不良を起こした人はいなかったのに対し、推奨される量の水あるいはスポーツドリンクを飲んだランナーの中に、重篤な状態に陥った人がいたことだ。死者も出た。じつのところ、運動、とりわけ暑い日のランニングはバソプレシンの放出を促し、その働きによってランナーの体は水を外に逃さなくなる。それがサン人が砂漠でうまくやっていける秘訣なのだ。

・進化が私たちの幸福に無関心であることを考えたとき、最終的に行き着いた答えが社会的絆だったことを覚えているだろうか。脳、運動、食事、気配り、睡眠、そのすべてに、他者とうまくやっていくこと、すなわち共感力と利他性が求められる。この共感力と利他性は、「最も社会的な動物」という人間の際だった特徴の軸であり、ほかのどの特性よりもはるかに脳の力を必要とする。つまり共感力と利他性は、人間にとって非常に重要な要素なのだ。その理由は、長く補食動物の餌だったという人間の進化の歴史を振り返れば了解される。ストレスや不安、恐怖を乗り越えて生き延びるためには、共感力と利他性が欠かせなかったからだ。

・呼吸の調節はヨガの軸となるものだが、瞑想や、さらには認知行動療法といった現代の「科学的根拠に基づく医療」においても重視されている。リラックスして、深く息を吸って、吐く。呼吸を調節すると脳も落ち着きを取り戻し、不安や恐怖に対する本能的な反応を抑制することができる。ヨガのように神経を集中させるものだとそれがよく実感できうが、昔から広く行われていたことにも同様の効果がある。たとえばグレゴリア聖歌、アフリカから連れて来られた奴隷が苦難を耐え忍ぶために歌った労働歌、聖歌から発展したブルース、スコットランド系アイルランド移民の歌に源流を持つブルーグラスなども人々の心を癒したはずだ。事実、自律神経系を軸とするこのシステムには音楽-特にポーガスが「韻律」と呼ぶものが深く絡んでいる。韻律とは、音楽、歌唱、詩、詠唱のリズムや抑揚のことだ。動物や赤ん坊に話しかける言葉や、子供が母親に語りかける言葉によく表れる。サン人がライオンに話しかけるときの舌打ち音を多用する言葉もその一つの形態だ。遠い祖先の遺物の中に、奇妙なもの、たとえばサギの足の骨から作った笛などが見つかるのはそういうわけだ。5万年前に人間を人間たらしめる文化の進歩が起きた。音楽や音楽の痕跡が見つかるのは、それ以降の遺跡に限られる。以来、音楽は普遍的な文化となり、音楽を奏でない文化や民族はない。しかしそのことはまた、サギの足の骨がiPodに変わったことで、何かが失われたことを示唆する。それは仲間と車座になって歌ったり拍子をとったりする楽しみだ。精神科医で神経科学者のイアン・マギルクライスtは、人間の発達において音楽は言語より前から存在していたと述べている。それは音楽の方がより重要でより必要であり、鳥やクジラといったほかの動物の進化においても、すでに音楽は存在していたからだ。言葉が可能にするのはコミュニケーションだけだが、音楽や調子や韻律といった音楽の要素は他者との関わりを容易にする。動物、さらには猛獣とさえ、音楽によってつながることができるのだ。そして音楽を奏でたり、リズムをとったりするときには、呼吸も重要な役割を果たす。

・「トラウマとは動けなくなることです」とヴァンダーコークは言った。「だから、みんなでリズミカルに体を動かすとそれは改善します」
。数十年に及ぶ試行錯誤の末に、彼は、体を動かすのがいいという結論にいたったのだ。虐待を受けた人、特に子供の時に虐待された人がしていることは、「立ちすくむ」というごく当たり前の適応反応にすぎない。トラウマがもたらす反応は、精神の病でもなければ、遺伝子やニューロンの故障でもない。異常な状況に対する当たり前の反応であり、それは進化が私たちに与えた道具なのだ。そして進化は、危険が去ると平常の状態に戻るように私たちを作ってきた。

・部屋に一組の母親と幼児がいる。幼児は力とよりどころと勇気を求めて母親にしがみついているが、それらを得ると、母親から離れ、あちこち探検する。しかし、何かに驚いたり怯えたりすると、安心を求めてまた母親のところに戻る。そして、母親がその役割をきちんと果たせば、子供は再び探検に出る。それを繰り返して、子供は成長する。これは幼児に限った話ではない。進化は、安心と力と母親の慈しみを通して私たちを形成してきた。それらで心を満たし、多様で不思議な世界、驚異にみいた自然界へ踏みだそう。そして何かに動揺したら、愛し信頼している人々の元に戻り、休み、成長しよう。幸せとはいつも安全で、食べ物があり、心地よく過ごせることではない。むしろ両極の間でバランスを取り、軽やかに優雅に両極を行き来することにこそある。幸せは、ライオンに語りかけるすべを学ぶことから生まれるのだ。

良かった本まとめ(2017年上半期)

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レストランティファニー(滋賀県近江八幡市)のランチステーキはとてもオススメ!

2017年09月27日 01時00分00秒 | 外食
 とあるゴールドクレジットカードの会報誌の近江八幡街歩きの特集でオススメとあったので、レストランティファニーへ行ってみました♪

場所はJR近江八幡駅北口から徒歩約3分のところにあります♪


↑店構え

レストランティファニーは、宮内省御用達を務めた創業100年を超える老舗精肉店「カネ吉山本」に併設されたレストランです♪

平日の13時過ぎに訪れたのですが、2階の店内に入ると、ウェイティングルームに20人ほど待っていて驚きました♪
地方でこんなに人気とは、期待をもたせてくれます♪

店内は、さすが老舗で、昭和を感じさせる内装と、クラシックのBGMでしたね^_^;)
ただ、客層は上質さを感じます音符


↑店内

ただ、さすが近江牛認定書が置かれていました♪
A-5ですね♪
すごい!

↑近江牛認定書

 ウェイティングルームに置かれていた日経新聞を読んでいると、20分ほどで奥のカウンター席を案内されました♪
シェフがそのオープンキッチンの鉄板で、分厚いステーキを焼いたりしていました♪
分厚いステーキって、側面から焼くんですね♪
ただオープンキッチンで肉を焼くのはランチセットではない特別な肉を注文した場合のようでした。


↑カウンター席

 ランチメニューを見ますが、せっかく近江に来たので。近江牛ステーキランチ4,536円を注文しました♪


↑ランチメニュー


↑ランチメニュー

すぐに、真っ白な器に温かいかぼちゃスープが運ばれます♪
おぉぉオレンジ色で美しい♪
これは上質ですね♪
さすが人気店の上質さです♪


↑スープ

そしてサラダも運ばれますが、野菜が新鮮でドレッシングも美味しい♪


↑サラダ

そして塩やタレが運ばれます♪
右から白い塩はこだわりの天然塩のようで、お茶の塩、特製ポン酢、わさびと特製醤油とのことでした♪
こんなに種類があると嬉しいですね♪


↑塩や醤油等

そして、いよいよ近江牛ステーキが運ばれます♪
ミディアムで頼みましたが、あらかじめ食べやすいように切ってくれているのは嬉しい♪
何も付けなくても下味が付いているとのことで、食べてみますが、おぉぉ柔らかくて、肉汁の感じもよく良い焼き加減でこれは美味しい♪


↑近江牛ステーキなど

 これは近江産ライスとも合い、バクバク食べてしまいます♪
ちなみにライスではなくパンも選べます♪
塩も美味しく、またポン酢やわさび醤油も違った味わいを楽しめ、とても美味しいですね♪
コーヒーも美味しく頂きました♪


↑コーヒー

ただ欲をいえば、目の前の鉄板の上でのステーキをアツアツで食べたかったですね^_^;)

とはいえ、レストランティファニーでは、近江牛ステーキ等を堪能でき、とてもオススメです!


美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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「権兵衛」(滋賀県大津市)の鮒寿司はとてもオススメ!

2017年09月26日 01時00分00秒 | 外食
以前このブログで紹介した「東海道居酒屋五十三次」という本に掲載され、一度も食べたことがない鮒寿司を食べたいと思い、「権兵衛」へ思い切って行ってみました♪

 場所は滋賀県大津市の浜大津駅前の駅ビルの1階にあります♪
綺麗な店構えです♪


↑店構え

さっそくカウンター席に座り、鮒寿司はビールには合わないようなので、メニューにはない純米吟醸550円を注文しました♪
仙台のお酒とのことでした♪
さすが美味しい♪


↑純米吟醸

そしてメニューを見て、念願の「ふなずし」1,500円を注文します♪
今日はあるよとのことです♪


↑メニュー

そしてしばらくして、鮒寿司の登場です♪


↑純米吟醸と鮒寿司


↑鮒寿司

鮒寿司はその乳酸菌が発酵したような酸っぱい強烈な匂いが苦手な方が多いようですが、この鮒寿司は上質に発酵されているようで、多少の酸味と塩辛さはありますが、コクも感じ美味しかったですね♪
絶品だと思います♪
日本酒に合いますね~♪
十分堪能しました♪
癖になりそうです^_^;)

その鮒寿司の真ん中に占めている朱鷺色というかオレンジ色のものは何かな?と思いましたが、卵とのことでした♪

 琵琶湖産のニゴロブナを塩で漬け、そしてご飯と一緒に発酵させたものが鮒寿司のようで、
お店の方に訊くと、この店の鮒寿司は、琵琶湖北部の尾上産とのことで、その専門店で漬けたものをここで養生しているようです。
半年間毎日水を替えて大変な作業なようでしたね♪

きっと作り手により、鮒寿司の味は全然違うのだと思います。

それから、このお店では6月からは鮒寿司を冷凍して保存し、解凍して提供するようです。
その方が美味しいようです。
かなりこだわりがあるんですね♪

それから、あら汁300円も注文しましたが、石鯛とのことで、これも出汁がよく効いていてアツアツで、そしても石鯛の白身も美味しくて絶品でしね♪


↑あら汁

「権兵衛」の鮒寿司などはとてもオススメです!
ぜひ滋賀県名物の鮒寿司を堪能して頂きたいと思います♪

美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【湯島】(③湯島天神~水道橋編)はとてもオススメ!

2017年09月25日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「②湯島聖堂~妻恋神社編」の続きとなります♪

それから湯島天神へ行きます♪
青銅製の鳥居が古さを感じますが、寛文7年(1667年)創建とかなり古い鳥居で珍しいですね。
関東大震災と東京大空襲を免れた運の強い神社のようです。


↑湯島天神の鳥居

湯島天神は、御宇2年(458年)1月に雄略天皇の勅命により天之手力雄命を祀る神社として創建され、南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀されたようです。
また文明10年(1478年)に太田道灌が再建し、その後、徳川家康をはじめ歴代の将軍が篤く庇護し隆盛を極めたようです。


↑湯島天神の説明


↑湯島天神の境内

ガイドさんの説明によると、この辺りは湯が出る場所だったことから「湯島」と言われるようになったようです。
海にある島ではなく、場所のことを「シマ」とも言いますが、湯が出る場所だから湯島とのことです^_^;)

境内には筆塚がありましたね♪


↑筆塚

実は江戸時代までは学問の神様はいなかったようです。
それまでは学問よりも戦いに勝つことやお金儲けが大切だったためです。
江戸中期になると豊かになり、読み・書き・算盤の寺小屋ができ、それで学問に使う筆塚もできたようです。
そして菅原道真の天神様が学問の神様としてあがめられるようになったようです♪

それから牛の像がありましたね。
これは太宰府天満宮や谷保天満宮にもありました♪
菅原道真が牛に乗って行き、牛がひざまづいた所が太宰府天満宮になったようです。


↑牛の像


↑牛の像

それから次は麟祥院(春日局の菩提寺)へ行きます♪
麟祥院は、寛永元年(1624年)、春日局の隠棲所として創建されたとのことです。
禅宗の一派で臨済宗のようです。


↑麟祥院の門

ちなみに江戸時代に門があるのは格式がある家だったようです。
宿場町の大名が泊まる本陣は必ず門がある格式高い家だったようですが、脇本陣には門がない場合もあったようです。
また玄関があるのも格がある家とのことで、それは駕籠を横に付けることができたためのようです。
ナルホド!

 敷地に入るとお地蔵さんがたくさん置いてあって驚きました。
元々は街道筋に置いてあったものですが、道路拡張で捨てる訳にも行かず、各地のお寺や神社には置かれていることが多いようです。
右頬に手を置いているのは、歯痛止めのお地蔵さんとのことです^_^;)
昔から虫歯などの歯痛はあるんですね。


↑お地蔵さん

そして奥には春日局のお墓がありました♪
墓石に丸い穴があるのには驚きましたが、これは「死んでも見ているんだよ」というメッセージとのことです^_^;)


↑春日局のお墓


↑春日局の墓の説明

それから、敷地には東洋大学発祥の地の石碑がありました!
明治20年(1887年)には井上円了が、この寺の境内の一棟を借りて東洋大学の前身でう「哲学館」を創立したとのことです♪


↑東洋大学発祥の地


そして、東京大学の中を通って、赤門へ行きます♪
ガイドさんは大正時代の赤門の写真も見せてくれます♪


↑大正時代の赤門の写真


↑現在の赤門


↑赤門の説明

この赤門は1827年に第11代将軍家斉の娘である容姫を正室に迎える際に前田家が建立したとのことです。
当時大名が将軍家から妻を迎える場合、朱塗りの紋を建立したようです。
なので、赤門は至る所にあったようです。
特に家斉は40人以上子宝に恵まれたのでたくさん赤門が造られたのでしょう^_^)

東京大学は前田家上屋敷跡で、当時は10万3千坪ほどの広さがあったようです。
現在の東京大学の敷地よりも大きかったようです。
当時の古地図では、紋の絵が書かれている敷地は将軍から大名に与えられた土地で上屋敷を表すようです。
また紋のある場所に、正門があったようです。
ちなみに前田家の中屋敷は巣鴨にあり2万坪ほどだったようです。
前田家の下屋敷は、板橋にあり21万坪もあったようです。
さすが加賀100万国の大大名ですね。

 それから参勤交代とは、参勤が江戸に来ることで、交代とは国元に帰ることだったようです。
また参勤交代で通る道は事前に老中に報告しなければならなかったようです。
大名は参勤交代中は駕籠の中にいなければなりませんでしたが、これが退屈で仕方がなかったようです。
駕籠の中でタバコの火を服に点けて遊んでいるとボヤ騒ぎになったり、本を入れすぎてその重みで駕籠が壊れてしまったこともあるようです。
また大名は退屈しのぎに馬に乗りたがったようです。
そのため人目が付かないところで馬には乗っていたようです^_^;)

それから、少し歩くと「かねやす」がありました!
「本郷も かねやすまでは 江戸の内」という川柳があったようで、
江戸時代には大火が多かったことから大火を防ぐために、土蔵造りが奨励され、屋根は茅葺きが禁じられ、瓦葺きがこの本郷の「かねやす」まで続いたようです。


↑かねやすの説明


↑かねやすの川柳

おそらくこの江戸との境目に土蔵がある「かねやす」は当時目立っていたのだと思います♪

そして東京都水道歴史館に到着し、ここの3階でお弁当をいただくこととなりました♪
ウォーキングで腹が減ったので、糖質が多いのが気になりますが弁当がよりおいしく感じます♪


↑今回の弁当

東京都水道歴史館は前回行ったことがあり、目新しいものがなかったので、省略します。

そして最後に水道橋駅近くの神田川へ行き、「お茶の水分水路」の石碑を見ました♪


↑「お茶の水分水路」の石碑

そしてガイドさんは水道が通る水道橋(駿河台)の浮世絵を見せてくれます♪
当時は木の橋で、そして神田上水として水道が通っていたんですね♪


↑浮世絵


↑神田川分水路案内図


↑水道橋の銘盤

また水道橋には当時の水道橋の絵も飾られていました♪

ということで、今回も古地図ウォーキングは、楽しく歴史や地理の勉強になりとても良かったです♪
とてもオススメです!

今回も、江戸ぶらり古地図ウォーキングは歴史や地理の勉強になり、より湯島近辺について理解を深めることができました♪
「江戸ぶらり古地図ウォーキング」湯島編もとてもオススメです!

お勧めなお話(2017年上半期)

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「結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる(藤由達藏)」という本はとてもオススメ!

2017年09月22日 01時00分00秒 | 
「結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる」の購入はコチラ

 「結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる」という本は、成功する人はすぐに行動に移せる人ということで、
・逆にすぐに行動できない人の10の習慣
・10秒で行動する人の11の思考法
・行動する人になるために気分を変える方法や視座を転換する方法
・結果につなげるための周りを変えて巻き込む方法
・より良い人生に変える思考と行動のコツ
等について非常に分かりやすく書かれていて、より良い人生のためのヒントになると思います♪

 特に以下については共感し、大切だと思いましたね♪

・雪だるまのように、まず少しでもいいから行動することが大切
・できる人は常に頭に「見取り図」を描く
・成功するまで行動し続ける勇気が重要
・朝の時間が大切で、一日の計画を確認するのも重要
・表情・動作・言葉で良い気分に変えることが大切
・全体俯瞰のために各関係者の立場へ視座を変えて考えることが大切
・今を集中するために不要な時間や空間は捨てること
・楽観的な明るい性格は財産よりも尊い
・他人を応援することは自分のためにも大切
・ゴールの後もしっかり検討すること
・人生の目標を明確にすること
・苦労した体験、遠回りした体験でもムダではない
・他人が陰湿で後ろ向きな陰口をたたいたとしても、受け流して、ありたい気分をキープすることが大切

 以下は本書のポイント等です♪
「結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる」という本は、人生の成功のためのヒントについて分かりやすく書かれていてとてもオススメです!

・成功したり周りから評価・信頼される人は、「すぐに行動に移せる」ということ。
 ・チャンスが訪れた時に、すぐに飛び乗れる
 ・本気でやりたいことが見つかったときにすぐに動ける
 ・人から勧められたことをすぐに実行に移せる
これらの行動力ですべてが決まってしまいます。そして、この「すぐに」ということが大切です。10秒で動けるか。

・チャンスや情報が手に入った際、10秒の間に動くことができる人はすべてを手に入れ、10秒以上もの時間をかけても動けない人は何も手に入れられなくなります。といっても10秒の間に行動しなくてもかまいません。情報が脳に入り、心が共感したとき、10秒で「やろう!」と決断ができる人だけが、すごい行動力を手にできるのです。ではなぜ10秒で動くだけで、それほどの違いがでるのでしょうか?それは行動に「慣性の法則」が働いているからです。行動し始めるときは力が必要になりますが、一度でも動き出してしまえば、そのあとは楽に動くことができます。これは自転車や車などをイメージしてもらえばわかるでしょう。初めに動き出すときは、ある程度のパワーが必要です。しかしすでに動き出している状態であれば、それほど力を入れなくてもスイスイ進んでいきます。

・大切なのは「自分以外の力」を使うことです。いうならば「他力」です。次の「6つの他力」があるということを覚えておきましょう。
1 ヒト
2 モノ
3 カネ
4 知識・情報
5 スキル・ノウハウ
6 その他(趣味やパーティ、映画、音楽鑑賞、スポーツなど間接的に力を引き出すもの)

・できる人は、常に頭の中にいわば「見取り図」を描いているのです。「見取り図」は、実際に絵や地図にまとめている人もいますし、頭の中で想像している人や箇条書きや文章にしている人もいます。その形式は様々ですが、まさに「見取り図」と呼ぶにふさわしいものを持ちながら仕事をしているのです。「見取り図」には必ず、「現在地」「行程」「目的地」の3つが含まれます。「見取り図」の余白には、別の道を行くための情報も書き込まれています。当初通るべき道がふさがっていた場合、どの道を通ることができるかについても検討できる余地があります。また目的地のその先についても考えられるように、その先に土地が広がっている、そんな「見取り図」です。よく「ゴールを決めることが大切だ」と言われますが、ゴールを決めただけでは、どう進めばいいかわかりません。ゴールへの道筋も描かれた「見取り図」こそが大事なのです。

・悩みたい人は次のことをすればすぐに悩むことができます。
1 ネガティブな気分に浸る
2 結論を出さずに堂々巡りをする
3 できない理由をとことん探す
4 他人に相談するが、アドバイスを活かさない
5 結論が出たとしても行動しない

・次の5つをやれば「悩む」ことから脱出することができます。
この5つのプロセスをたどるのが「考える」ということです。
1 ポジティブな気分に浸る
2 仮でもいいから結論を出す
3 「どうしたらできるか」をとことん考える
4 他人のアドバイスは自ら取捨選択する
5 結論が出たら行動する

・エジソンは、電球の素材フィラメントを発見するために無数の失敗をしました。しかし彼は、「電球に向かない素材を無数に発見したのだ」と捉えて、いっこうにめげませんでした。だからこそ、見つかるまでずっと研究を続けることができたのです。私たちの人生も同じで、成功するまで行動し続ける勇気が必要なのです。

・どんなに大きなことを成し遂げた人も、最初は小さなことをしたのです。自分一人で設計図を描いたり、資金を集めたりしてスタートしています。日本の大企業の創業者だって同じ。最初はみんな、丁稚奉公をしながら夢に向かって勉強したり、小さな商店から始めて世界的な工場をつくるに至ったりしているのです。小さなことから始めましたが、その前に、「ありたい姿」を思い描いたり、「絶対に譲れない価値観」を心底味わったりしていたのです。

・朝は、眠りの中で疲れがとれて、前日の情報が脳の中で整理されてスッキリした時間です。夢うつつの意識状態は、「心躍る未来像」を思い描いたり、心の奥底からメッセージを引き出したりするのに最適です。一流の経営者は、毎朝の時間を瞑想にあてたり、心を空っぽにしたり、自己との対話に使ったりしています。何者にも邪魔されない時間、ゆったりと瞑想の時間をとることができたら最高ですね。

・朝の時間は一日の中でも一番貴重な時間です。朝の使い方次第で、一日を効果的に過ごすことができます。たとえば朝食を頂く前後に、一日の計画をざっと確認するのも効果的です。10分、15分でかまいません。次の手順で計画を確認しましょう。
1 なんの制約もなかったらどんな暮らしをしたいか(心躍る未来像)を思い描く
2 今日一日を終えたとき、どんな気分でどんなことを感じていたいかを思い描く
3 そんな一日の最後を迎えるためにも、「今日すべきことは何か」を書き出す
4 スケジュール帳を取り出して、もともと入っているアポイントと3で確認した「今日すべきこと」を予定に組み込む

・すぐに行動する人は、「まずはやってみる」ことに価値を見いだしています。私がコーチングを学んだ平本あきおさん(株式会社チームフロー代表取締役)は、「3割のデキでいいから、5倍のスピードで行動しよう」とおっしゃっていました。個人の行動指針としてはとても有効な取り組み方です。

・気分をリセットする5つの原理は次の通りです。
1 気分は選択できる、と知る
2 「感情表現の3要素(表情・動作・言葉)」で気分を切り替える
3 思い出すだけで気分が変わる
4 想像しただけで気分は変わる
5 気分は伝えることができる

・シンクロの選手が胸を張って笑顔で入場行進するのを見て、「試合前によくあれだけの笑顔ができますね」と驚かれることがありますが逆なのです。一所懸命笑顔をつくって胸を張って歩かないと、プレッシャーに押しツブされてしまうんです。

・環境は非常に重要です。今いる場所がホームになれば、自分の最高のパフォーマンスを発揮できます。自分のデスクが、気分の良い空間になれば、会社に行くのも楽しくなるはずです。自宅で鬱々とした気分に包まれてしまったら、部屋の整理をして、部屋の雰囲気を変えることで自分の感情を変えるのもいいでしょう。

・行動して結果を出す人は、自分の行動だけを仕事だと捉えることはしません。必ず、関係者全体を俯瞰して、社会的な影響関係の中で、どのように作用するのかを考えて行動します。全体を俯瞰する癖をつけておくと、仕事に取り組むだけでは見えてこない「盲点」やムリ・ムダ・ムラを発見することができます。

・10秒で行動する人は今のこの一瞬一瞬に集中しています。そして、今できることは「小さなことだけ」ということを知っています。今の限界を知っているからこそ、やっていることがあります。それは「要らないものを捨てる」ということ。今できないことや、今は取り組むべきではないことをどんどん捨てるのです。要らない仕事、要らないもの、要らない時間・・・などのムダなものです。要らないものがあると、今できることの邪魔になります。なぜなら、一日は24時間、自分が自由にできる時間や空間には限りがあるからです。新しいことを始めるためにh、スペースを空けないと、新しいスタートは切れません。まず、時間から考えてみましょう。なんとなく続けている習慣や、ついついやってしまう不要な行動を捨てる必要があります。たとえば、帰宅後にテレビをぼんやり見る、フェイスブックなどのSNSばかり見ている、目的のないネットサーフィンなど。生活の習慣をチェックしてみると、無意識のうちに大きく時間を取られているものがあるはずです。空間的には、部屋にある不要なものを捨てます。古い書類、古い本、古い服・・・などが出てくるでしょう。スペースができてくると、新しいものを収めるスペースができるので、新しい行動がよりやりやすくなるのです。

・不安を取り除くマインドチェンジの箱
①深呼吸をしてリラックスする
②目の前に頑丈な箱があるイメージをする。箱には感情なフタがついており、どんなものも収納できてしまう4次元ボックスのようになっている
③不安な思い、リスクへの思い、恐怖・・・などすべてを箱の中に入れる
④箱のフタを閉じて、その箱を遠くに押しやる
箱はいつでも開けられ、良いエネルギーに変換される

・行動できる人は「今ここ」に集中しています。では、そのときの気分とはどういうものなのでしょうか。一言でいえば楽観的です。過去や未来にとらわれず、今を楽しみ、あらゆる変化を受け入れ、いつでも行動のできる心の状態で、常に安定しています。川や池の水にたとえれば、常に淀まず流れている「フロー」の状態です。これを武道では「居着かない状態」と呼びます。敵はどんな攻撃をしかけてくるかわからない中、きっとこうくるはずと構えていると、そうならなかった場合に命取りになります。そうではなく、常に変化できること。それでいて安定していること。どんな攻撃にも変化し対応できるとともに、自らどんな変化も起こせる態勢。それが「居着かない状態」と呼ばれ重視されています。まさに「今、ここ」に集中しつつ楽観的である状態です。

・ビジネスにおいて、事業を推進していくためには楽観的な気持ちが欠かせません。スコットランド移民の子から、鉄鋼王となり、アメリカンドリームの代名詞ともなったアンドリュー・カーネギーも「明るい性格は、財産よりも尊いものである」と言っています。楽観的であるとは、過去にこだわらず、未来の不安に押しつぶされず、「今、ここ」に集中している状態です。だからこそ大胆な決断、大胆な行動もできるのです。

・「ほめる」代わりに相手の自信を高める方法があります。それは、「相手のできているところ、素晴らしいところ、好感の持てるところを、あくまでも自分の内側に生じた気づきや感覚として指摘する」というものです。一般には「私メッセージで伝える」と呼ばれる方法です。あなたの判断を伝えるのではなく、相手の行動を受け止めたあなたの心に伝わってきたことを相手に伝えます。たとえば、「レポート読みましたよ。とても細かいところまで調べていて、勉強になりました。私も細かいところまで気を使って仕事をしていきたいと思いました」このように言われて嫌な思いをされることはありません。自分の中に起きた良い影響を伝えるだけで、相手は自ら動き始めるのです

・仕事のパートナーと会話するにあたって、本人に気づきを促す5つのステップをご紹介しましょう。これはコーチングのプロセスをシンプルにしたものです。
1.相手から仕事の上で「うまくいっているところ」を話してもらう
2.その後で相手の中で「うまくいっていないところ」を話してもらう
3.さらに「うまくいっていないところ」の中でも、そうはいっても「うまくいっているところ」について話してもらう
4.そこまで話してから、あらためて「改善したいところ」を話してもらう
5.改善するために「まず何から始めるか」について話してもらう
このような順番で、うまくいっている点、うまくいっていない点について、互いに合意をしながら、改善点についても話し合うことができたら、気持ちよく改善していこうという気持ちになります。
そうして相手は、自発的に行動していくようになるのです。

・不安を解消するフセンのワーク(用意するもの:フセンの束3色、A3用紙3枚)
1 不安に思うことを1色目のフセンに書く(フセン1枚につき一つの不安)
2 それをA3用紙(A)に貼り、分類したり並べ替えたりする
3 全体を眺めてみる。そこでの気づきをメモする
4 気づきから「本当はどうなったら良いか」を2色目のフセンに書き出す
5 それを2枚目の紙(B)に貼ってみる
6 A3用紙の1枚目(A)と2枚目(B)とを見比べ、AからBになるために何ができるかを考える
7 気づきから具体案を3枚目のフセンに書き出し、3枚目の用紙(C)に貼る
8 3枚目の紙(C)を見渡して、具体的行動を計画に落とし込む

・自分がうまくいきたいと思っているなら、なおのこと他人を応援するメンタリティが必要になってきます。日常の仕事の中で、どんどん人を応援していきましょう。応援するとはどういうことかといえば、次の3つの観点から接すること。これができるとそのままその人への応援になります。
 ・その人が、自身のことを好きだと実感する
 ・その人が、他人は信頼できると実感する
 ・その人が、「自分は他人の役に立っている」と実感する
目の前の人の「素敵」だと思えるところを、「私メッセージ」で伝えることも応援です。約束を守り、誠実に対応することも応援です。その人がやってくれたことに心から感謝してその気持ちを伝えるのも応援です。また、本人の価値観を尊重し、その価値観にそった行動をその人がしているときに、その姿を見て自分の中に起きた良い影響を伝えるというのも応援です。たとえば「前から夢だったことをかなえるために努力していたあなたの姿は、私に勇気を与えてくれました。ありがとう」と伝えてみるのもそのひとつです。

・相手がノリノリになる関わり方を引き出しましょう。「具体的にはどの点に興味がある?」「ほかにはどんな点に関わりたい?」「要はどんなことができたら、ワクワクする?」と聞いていくといいでしょう。この3つのステップを通じて、相手の自発的なコミットメント(関与)を引き出すことができたとき、相手は巻き込まれたという状態になります。そして、ここまで価値観を共有するステップを踏んでいるので、同時にあなたも相手の価値観を理解し応援しようという気持ちが生まれているはずです。そのとき、あなたも相手に巻き込まれているのです。別々の人生を歩んでいた他人同士が縁を通じて出会い、互いの価値観を尊重しながら目的を共有できたとき、一人では達成不可能なことも成し遂げられるようになるのです。

・ゴールは一見「終着点」ですが、そこで終わりではありません。ゴールには必ず「その後」があります。さらに、その後のそのまたあともあるのです。事後をしっかりと検討することで、「当面のゴールをどのように迎えたいか」が明瞭になるのです。

・「一日一生」という言葉があるように、人生は一日、一日の積み重ねです。今日一日をいかに過ごすかを考えるためには、明日、どんな朝を迎えたいかを味わう必要があります。そして、明日の朝をどう迎えたいかは、明日の夜、どんな気持ちで眠りについたらいいかを思い描いてみましょう。そして、一週間が過ぎたあとで振り返ってみたとき、どんな一週間だったら心から満足できるかを考えてみます。そうやって、その後、その後をどんどん追求してから、今日や今、何をすべきかを明確にしていきましょう。

・10秒で人生を変える人は、仕事においても自分の主体的な目標を持つとともに、プライベートにおける目標も明確に持っています。「今まで人生の目標なんて考えたことがない」という方は、10秒でいいので、ご自身に問いかけてみてください。「何の制約もなったら、本当はどこで何をしていたいんだろう?」これを毎日続けていくと、次第にあなたの人生の目的や目標、「心躍る未来像」や「譲れない価値観」が明確になっていきます。あなたは、あなたの人生の主人公です。他人に与えられた目標のみで生きてしまうのはもったいないことです。あなたの人生なのだから、あなた自身の目的や目標に従って生きていきましょう。

・夢を語ることは、世界に対して「私はこういう生き方をしたい」と語ること。すると世界は何らかのフィードバックをしてくれるはずです。反対する人もいれば、共感して応援してくれる人、協力してくれる人だって現れるでしょう。夢を語ることがなければ、世界は何もフィードバックしてくれません。あなたの夢が大きければ大きいほど、大きな夢と同時に、そのためにかなえたい小さな一歩分の夢を語る必要があります。「人類の人口爆発に備えて巨大な宇宙ステーションをつくりたい」という大きな夢と、「そのために、宇宙技術の開発者と話してみたい」という小さな一歩の夢。夢を語って嫌がられるのは、大きな夢しか語らないから聞き手が「反応できないよ」というフィードバックをしている可能性があります。どんな反応であっても、貴重な反応なのです。貴重な情報を得るためにも夢を語っていきましょう。

・これまでに10秒でできる「気分リセット法」と「視座の転換」をお伝えしてきました。行動を変え、人生を変えるためのスイッチが、所要時間たったの10秒間の気分と視座の転換なのです。いわば、気分をリセットするのは、世界をどんな色眼鏡で見るのかを選びたいからです。気分がふさぎ込んでいたら世界はどんよりとしたものに見えます。気分が晴れやかならば、世界は輝いて見えます。あなたがかける色眼鏡はそれでいいんですか、という問いかけなのです。視座の転換は、固定されて制限の多い視野を大きく拡大してくれます。視座が固定されていると、世界の本当の姿はつかみにくいはずです。制限のある視野は行動を制限し、変化を産みにくくしてしまいます。いくつもの視座を味わい、制限を抜け出して、本当はどうありたいのか、何を大事にして生きていけたらいいのかをあらためて問い直し、自覚的に選択する。そのために視座の転換が重要なのです。気分リセット法も視座の転換も、あなたがあなたらしく生きるための方法です。真に自由に生きるために必要な最初の一歩なのです。世界は多面的です。決して一筋縄では捉えられません。気分と視座を変えれば、世界はその姿を変えます。世界がどのように姿を現すかは、あなた次第なのです。

・私たちは、この世に生をうけて、いつまで生きていられるのかを知りません。ある日突然この世を去らなければならないかもしれません。限りある命であり、しかもいつまで生きていられるのかわからない人生。ふてくされて時を過ごし、ふさいだ気分でいることも、さっぱりと切りかえて晴れやかな気分を味わうのもあなた次第。あなたが味わう気分とあなたの選ぶ視座があなたの一生を決めるのです。主体的に生きる第一歩は、自分の気分と視座を自分で決めることです。「辛いときは辛い、悲しいときは悲しい」という感情を味わうことがいけないわけではありません。大事なのは、「それを選ぶのは自分」だということです。そして自分で気分と視座を選ぶことができるということです。あなた自身がどんな一生を過ごしたいか、そのために今どんな時間を過ごしたいか、ということに意識を向けてみてください。常に気分と視座を自分で決めていけば、あなたの人生はいつでもあなたのものです。

・世の中には、たくさんのチャンスがあふれています。気がつかなければそれまでです。さらに気づいても行動できなければ、チャンスを逃します。「今すぐ動く」という気概をもっているとチャンスを逃さず、前進していけます。「チャンスに気づく」ためには悩みや葛藤、気がかりといったものを抱え込まないことが重要です。悩みや葛藤、気がかりをたくさん抱えていると、視野が狭くなり、チャンスに気づくことができません。悩みを解消してリラックスできるように心がけましょう。メンタルコーチングでは、クライアントさんの迷いや悩みを常に晴らしていきます。もしも身近にコーチがいない場合はどうしたらいいでしょうか。自分を客観視できるように、紙やフセンに自分の思いを書き出しましょう。「見える化」するということは、自分を外から見るということです。まず、前向きな気分を選択します。その上で、悩みや迷いを書き出しましょう。ノートでもフセンでも結構です。それが人間関係に関することならば、複数関係者の立場に立って他人の視座をしっかりと味わってください。その状況を俯瞰して、本当はどうあればいいかを自問してください。ありたい姿、「心躍る未来像」をとにかく具体的に思い描きましょう。その「心躍る未来像」を体験して状況を把握し、もっとも小さな行動を始めるのです。

・苦労した体験、遠回りをした体験など、本人にとっては、悔しくムダだったと思えるようなことかもしれません。でも、それを他人に語ってみてください。みんな身を乗り出して聞いてくれるでしょう。話し方によっては笑い話にも、美談にもなります。その苦労話をあなたの未来の夢実現のために、いかに利用するかはあなた次第なのです。私のコーチングの師匠である平本あきおさんは、ホームレスになってしまったときに、落ち込むことなく、いかにしてこの体験を成功に至る美談にできるかを考えてワクワクしていたそうです。端から見れば苦労をしている最中でさえそうなのです。過ぎてしまったことならなおさら、ムダにせずに利用できるはずです。あらゆる偶然や出来事、体験は、振り返って教訓やエッセンスを抽出していくと、人生は限りなく豊かなものになっていきます。多様な視座から吟味する癖をつけていきましょう。ジョブズは、Stay foolishと言いました。ムダを恐れるよりも、ムダなんてないのだと開き直り、バカになってどんな体験も活かしてしまいましょう。

・他人が陰湿で後ろ向きな陰口をたたいたとしても、受け流して、あなたはあなたのありたい気分をキープしましょう。影響を受けたとしても、そのたびに気分をリセットして、自分の味わいたい気分を取り戻してください。取り戻すには「感情表現の3要素(表情・動作・言葉)」の調整をすればいいということを説明してきました。自分にとって最高の気分になることがいつでも大切です。

・他人との関係においては、互いの自立自尊を尊重し合えるとき、私たちは同じフロアに立つことができます。私たちは、自分らしくあるだけで、自分の気分を世界に向けて発散しています。影響は必ず他者に及びます。そのときに、もしも互いに共感し共鳴できるのならば、協力し合い、コラボレーションを楽しみましょう。まさにダンスです。主客が一体となり、どちらが主でどちらが客かわからなくなります。そうして、渾然一体となっていくのです。そこに相互依存関係が生まれ、相乗効果を発揮し始めます。このとき初めて、心の底から「わたしたち」といえる関係が生まれるでしょう。ともに自主自律を重んじ、他人の権利を侵害せず、尊重し合い、高めあうことができれば、これにまさる喜びはありません。

良かった本まとめ(2017年上半期)

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「勢(せい)(東京 築地場内)」でのお寿司はとてもオススメ!

2017年09月21日 01時00分00秒 | 外食

 東京の築地場内の1号館で工事を行っていて開店が気になっていた「勢(せい)」という寿司屋へ行って来ました!

2017年8月12日に開店したばかりで、店はまだ新しく綺麗でしたね♪
お店の方によると、豊洲市場で店を開く予定でしたが、まだ築地から豊洲へ移転しないので、それまでに客を増やしたいとのことで築地場内で空きになった店舗に店を構えてしまったようです。
移転延期で大変だったと思います・・・。


↑店構え

その綺麗な店内に入ると築地では珍しくBGMとしてジャズが流れていて驚きました♪
雰囲気が良く素晴らしいと思います♪

さっそくメニューを見て「おまかせ寿し」(3,800円税別)を注文します♪
そのほか「特選寿し2,800円税別」があり、「本まぐろづくし2,800円税別」はまぐろ好きには堪らないと思いましたね♪
それから「刺身盛り合わせ2,500円税別」や「海鮮ちらし3,000円税別」もあります♪


↑メニュー

なお、本日のおすすめは生天然インドまぐろでしたね♪
生というのは凄いと思います♪


↑本日のおすすめ等

それからこのお店は日本酒の菊姫の「菊」がオススメのようでしたね♪

カウンター席に座ると目の前には新鮮なネタが広がっていました♪
さすがです♪
しかしながら、後で隣に座った築地仕事人が、このカツオは脂が乗ってないな!と鋭い突っ込みを入れていて凄いと思いました。
さすが築地!
今年はこの9月中旬の戻りカツオの脂がイマイチなようです^_^;)
通常は黒潮で北上したカツオが戻ってきて脂が乗っているはずです。
というか鹿児島のカツオと言っていたので、9月中旬で鹿児島というのは戻りカツオではなかったのでしょうか・・・


↑カウンターの新鮮なネタ

そして、卵焼きが置かれ、次々と目の前で寿司が握られていきます♪


↑卵焼き

最初は三重のスズキとのことでした♪
巻物以外は醤油に漬けなくて良いとのことで、このスズキには少し塩が乗っていましたね♪
ほんのり甘く柔らかくてスズキが美味しいです♪


↑スズキ

そして問題の鹿児島のカツオが握られます^_^;)
十分美味しいと思いましたが、確かに脂はあまりありませんでしたね♪


↑カツオ

そして北海道のボタンエビが甘く美味しく、福岡の白イカは綺麗に切れ込みが入っていて美しい♪
もちろん美味しいです♪


↑ボタンエビ


↑白イカ

そして確か真鯛の昆布締めでした♪
美しくて美味しい♪


↑真鯛

そして味噌汁が運ばれますが、エビが入っていて出汁も効いていてアツアツで美味しい♪


↑味噌汁

そして千葉のアワビ!
歯ごたえがありコリッとしていて良いですね♪


↑アワビ

それから淡路のアジ♪


↑アジ

そして何とボストンの生の本マグロの大トロ!!
これは口の中でとろけて濃厚で秀逸♪
これは美味しいですね♪


↑本マグロの大トロ

そして巻物がかなりバラエティに富んでいて、色鮮やかでこれはとても嬉しいです♪
センスの良さを感じますね♪


↑巻物

そして、圧巻は根室の生ムラサキウニ!
これは粒も大きくそして濃厚!
これはかなり上質さを感じましたね!
なお、ウニかイクラのどちらかを選ぶことになります♪


↑ムラサキウニ

そして最後にアナゴですが、これがかなり身が厚く、そしてふっくら柔らかくて絶品♪
小骨がないのも素晴らしい!
タレも甘く美味しかったですね♪


↑アナゴ

「勢」のおまかせ寿しは、生の本マグロの大トロやムラサキウニなど堪能でき、お店も綺麗だし、ジャズも流れていますし、とてもオススメです!!

美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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「割烹 おお杉(大津市)」の天然ウナギしゃぶしゃぶはとてもオススメ!

2017年09月20日 01時00分00秒 | 外食
 以前このブログで紹介した「東海道居酒屋五十三次」という本に掲載されていて、6年ほど前の東京~京都の自転車旅で立ち寄ることができず、ぜひ食べたいと思っていた滋賀県大津市にある「割烹 おお杉」へ行ってきました♪

たまたま近くに寄る用事があったのでラッキーでした♪

お店はJR大津駅と京阪島の関駅のちょうど間で、それぞれ徒歩約5分ほどで、旧東海道沿いにあります♪
6年ほど前にこの辺りを自転車で通ったと考えると感慨深いです♪
周りは住宅街で、しかも老舗だと思っていたのに、お店はかなり綺麗で洒落ていて驚きました♪


↑店構え

金曜に訪れたのですが、店内に入り、予約せずに一人で来た旨を伝えると一番左側のカウンター席を勧めてくれました♪
先客は同じくカウンターに馴染みの客が一人のようで、そのあと二組ほど常連客が訪れて二階の席に案内されているようでした♪

メニューを見て、まず飲み物は、冷酒の一番上にある純米酒の「近江藤兵衛」850円を注文しました♪


↑飲み物メニュー

そして食べ物はもちろんその本に書いてあった「天然うなぎしゃぶ」を注文しますが、7,000円よりというその高額さには驚きましたね^_^;)
「より」とあるので時価のようです^_^;)
ただ、うなぎ一本をそのまま使うということでした♪
また養殖ものもありますが、それは確か値段が抑えられていて、4,500円ほどだったと思います♪


↑食べ物メニュー

すぐに冷酒とお通しが運ばれます♪
冷酒は、小さなお猪口で呑みますが、澄んだ味で飲みやすく美味しい♪
またお通しは小皿が3つあるのですが、上下に立体的に置かれていて、お洒落でスゴい♪


↑冷酒「近江藤兵衛」


↑お通し

お通しは大豆を煮たもの、蛸ときゅうりの酢の物、貝を甘く煮つけたもので、さすがどれも美味しい♪
日本酒にも合います♪

 そして天然ウナギが運ばれますが、琵琶湖の沖ノ島産とのことで、天然なのでウナギの腹が黄色いとのことでした♪
養殖もののウナギの白い腹も見せてくれるのですが、全然色が違います♪


↑天然うなぎ

お店の方によると、天然ものは養殖とは違って天敵とも戦っているので生命力があって強いとのことで、そのほか餌も違うのだと思います♪
ウナギの腹がこんなにも養殖と違って黄色でしかも輝きがあって美しいというのには驚きましたね♪
豪勢に輝きがある切られたウナギが大きな皿に並べられるのは美しいです♪

しかも今回のウナギは一本釣りのウナギとのことでした♪
なお、このお店は琵琶湖の沖ノ島産もしくは長良川の天然ウナギを使うようです。

それから、実は琵琶湖は今ではダムがあるので海とはつながっていないので、稚魚を放流しているようです。
しかし、最近はブラックバスやブルーギル等の外来種の魚にウナギは苦戦しているようで、そのため獲れる量も限られ、希少価値がますます高まっているようです♪
従って、このお店も希少価値があるようで、有名人の方も来られているようです♪

そして、お店のお姉さんがカウンターテーブルの横に来てくれ、テーブルに置いたガスコンロの上の鍋に白菜や豆腐、椎茸、しめじ等を入れて、このしゃぶしゃぶを料理してくれます♪
これは嬉しいサービスです♪
しかも、鍋の種類が自宅にあるものとまったく一緒^_^;)


↑野菜や豆腐を投入

せっかくお姉さんが隣にいるので、「東海道居酒屋五十三次」という本を読んで来たということを伝えると、カウンターの前の大将が「おぉそんなに古い本を読んで来てくれたか」と喜んでくれます♪
すると、右隣の客も読んだと声をかけてくれます^_^;)
「東海道居酒屋五十三次」の著者の太田和彦さんは実はよくこの店には来られるとのことで、やはり美味しいお店なのだなと思いました♪

そして、切られたウナギを鍋に入れてくれます♪
ウナギの外側部分を下にして入れるので、ウナギの内側が上となりますが、きちんと包丁で細かく刻みが入れられていて、さすが大将の手仕事が入っています♪
素晴らしい♪


↑ウナギを鍋に投入

そしてウナギに十分火が通り、先にワサビを付けて、軽く醤油に漬けて食べてみますが、おぉぉぉこれは天然らしく土臭さを感じますが、天然のチカラ強さを感じ、脂も乗っていて肉厚も感じ、これは絶品で美味しい!
ウナギを蒲焼き以外で楽しむことはなかったのでこれは嬉しいし、さすがの美味しさですね♪
これは地方ならではの隠れた名品だと思います♪
素晴らしい!!


↑ワサビを盛ったウナギ

そして特製ポン酢にも他の白菜等と一緒にウナギを入れて食べますが、これも美味しい♪
ウナギに入れた細かい刻みがより美味しさを増すようで美味しいです♪
これは堪りません♪


↑ポン酢のウナギなど

そして残ったスープは雑炊にして頂き、美味しくこれも頂きました♪


↑雑炊

会計をお願いすると、食後のアイスクリームがあったのにも驚きましたね♪
美味しくこれも頂きました♪


↑アイスクリーム

「割烹 おお杉」は希少な天然ウナギを何と「しゃぶしゃぶ」で美味しく頂け、蒲焼き以外でウナギを楽しめてとてもオススメです!

美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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「料亭「浮月楼」にある浮殿(静岡市)」の懐石ランチはとてもオススメ!

2017年09月19日 01時00分00秒 | 外食
 静岡駅北口近くの「東海の名園」で知られる料亭「浮月楼」にある「浮殿」で懐石ランチを楽しみました♪

 このお店は、とあるゴールドのクレジットカードの会報誌に静岡市の街歩きのほか美味しいお店として紹介されていたので、ぜひいつかは行きたいと思っていたお店です♪

 この「浮月楼」は元々は徳川幕府の代官屋敷で、1869年(明治2年)に謹慎が解けた元15代将軍・徳川慶喜公が住んだところで、京都の庭師・小川治兵衛に庭を造らせたという由緒ある場所です♪

 バックに緑あふれる大きな玄関から店内に入ります♪
店の入口には「徳川慶喜公屋敷跡」の石碑もありましたね♪


↑大きな玄関


↑「徳川慶喜公屋敷跡」の石碑

そしてその浮月楼由緒の説明もありました♪


↑浮月楼由緒

 ちなみに、静岡市は観光に力を入れているようで、レンタル自転車を1日500円でいくつかの場所で借りることができるのですが、この「浮月楼」でも4台借りることができて、このランチ前に駿府城跡や浅間神社の散策を楽しみました♪
特に駿府城跡は天守台の発掘調査も行われていて、とても興味深かったですね♪
借りた自転車は3段変速付きだったので運転も楽でした♪
1日500円はリーズナブルだと思います♪


↑借りたレンタル自転車

それから、浮月楼の店内の一角にはその徳川慶喜公関連の説明もありましたね♪
歴史等の勉強にもなり嬉しいです♪
静岡で初めて自転車に乗ったのは徳川慶喜公で、しかも街行く人は「けいきさん」と呼んで親しんでいたようです♪


↑徳川慶喜公関連の説明コーナー


↑徳川慶喜公が乗り回した自転車♪


↑徳川慶喜公の家系図


↑徳川慶喜 波乱の人生

すっかり前置きが長くなりましたが、ようやく「浮殿」へ入ります♪


↑浮殿の入口


↑浮殿の店内入口


↑店内

 店内はさすがかなり綺麗で、しかも窓の外には庭に面したかなり長いカウンターのオープンスペースがあり素晴らしい!!

これは良い季節だと、気持ちよく食事を頂けますね♪
これは素晴らしい試みだと思います♪


↑オープンスペースの長いカウンター

 そしてそのカウンターからの庭がとても美しい♪
また裏手の浮殿への入口も緑あふれていて美しいです♪


↑カウンターからの庭


↑裏手の浮殿の入口

 そして席に座ります♪
すぐに熱いおしぼりとぬる目のお茶が運ばれます♪
この日は猛暑で熱いおしぼりは嬉しかったし、さすが豊臣秀吉に仕える石田三成のように、最初にぬる目のお茶が運ばれ、その後に熱いお茶がすぐ運ばれました^_^)
さすが料亭のサービスです♪

お店の方も優しくて腰が低くとても感じが良いです♪

 あらかじめ電話で予約した際にオススメといわれた「彩り弁当~残暑」3780円(税込)を注文していました♪

 そのぬる目のお茶と同時に食前酒の冷たいみかん酒が運ばれましたが、みかん酒は暑い身体に心地よくビタミンCなどが補給され、かなり美味しく感じます♪
あぁぁ旨い♪


↑みかん酒とお茶

そして竹かごに入った「彩り弁当~残暑」などがまとめて運ばれます♪


↑竹かごに入った「彩り弁当~残暑」

 その竹かごを開けると、おぉぉぉ美しい♪
さすがその名の通り「彩り弁当」ですね♪
嬉しいひとときです♪


↑彩り弁当~残暑

 特に静岡らしい茶蕎麦や、桜エビのかき揚げがあるのが嬉しいですね♪
桜エビのかき揚げは、これまた静岡らしいワサビ塩で頂きます♪
サクサクで美味しい♪

 そのほか、とろろマグロも新鮮で美味しいし、吸い物のしんじょう?も出汁がよく効いていてしかもアツアツでさすが美味しい♪

 牛肉もかなり柔らかく煮込まれていて美味しかったですね♪
どれも上質なお味で美味しく、ゆっくり堪能できました♪

 その後に、珈琲か紅茶を選べ、柚シャーベットが運ばれました♪
熱いお茶も急須付きで運ばれます♪

 珈琲は甘くコクがあり、柚シャーベットも美味しかった♪


↑珈琲や柚シャーベット、お茶

 それから会計を済ませると、庭園を見学しても良いという嬉しい申し出で、せっかくなので庭園を散策して楽しみます♪
天気も良かったし、緑がとても美しく感じます♪


↑庭園


↑庭園


↑庭園


↑庭園


↑庭園

池にはかなり大きな錦鯉が優雅に泳いでいましたね♪


↑池の錦鯉

 「料亭「浮月楼」にある浮殿」の懐石ランチは、綺麗な店内で、美しい庭を楽しみながら、上質な懐石料理を美味しく頂け、とてもオススメです!!

美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【湯島】(②湯島聖堂~妻恋神社編)はとてもオススメ!

2017年09月18日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「①御茶ノ水~太田姫稲荷編」の続きとなります♪

そして湯島聖堂で到着します♪


↑湯島聖堂の門

 この湯島聖堂は、儒臣の林羅山が現在の上野恩賜公園の私邸内に建てた孔子廟を移築したもので、将軍綱吉が儒学の振興を図るため、これら建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めたようです。
ちなみに第11代将軍家斉の時に、幕府直轄学問所として昌平坂学問所がここに開設されたようです。

 敷地に入ると「楷」樹がありました♪
「楷」樹の新緑が美しいです♪
実は「楷」樹は、枝や葉が整然としているので、書道でいう「楷書」の語源となっているようです。
「楷書」の語源が、木の枝や葉が角々している木から来ているとは、知りませんでしたね♪
なるほど!


↑「楷」樹の枝や葉


 「楷」は中国の孔子の墓所に植えられている名木で、実は今日まで植え継がれてきているとのことで、日本には大正4年に持ち込まれて苗を作り、日本で儒学に関係深い各所に植えられたようで、その一つがこの湯島聖堂の「楷」樹とのことです。

 特にこの湯島聖堂の「楷」樹は、中国の孔子の墓所にあるものの正子に当たる聖木とのことです♪


↑「楷」樹の由来の説明

それから立派な孔子銅像がありました♪
バックの緑も美しいです♪
ちなみに孔子は約2500年前の中国の春秋時代の思想家、哲学者で儒家の始祖で、孔子と弟子たちの語録は「論語」にまとめられていて有名ですね♪


↑孔子銅像


↑孔子銅像の説明

それから、入徳門をくぐり、右側に手洗い場がありましたが、この2つは関東大震災の際にも唯一焼けなかったとのことでした♪


↑入徳門


↑手洗い場

それから大成殿の方へ向かいます♪


↑大成殿へ向かう

大成殿の左右の前には水盤がありましたね♪
これは防火用水ではなく、水鏡として己の姿を見て驚いて逃げるように魔除けとして設置されているとのことです。
知らなかった!
だから神社には結構水盤が置かれているんですね。
確かに水は綺麗で絵馬が綺麗に反射して見えていました♪


↑水鏡


↑水鏡の反射


大成殿では孔子が祀られていました♪


↑大成殿


↑大成殿での孔子像

なおガイドさんからは、神社は神聖な場所であることから兵を置くことはなかったため、焼かれることはほとんどなかったようです。
逆に寺は、特に軍事拠点として兵を置くことが多かったことから焼かれることが多かったようです。

それから、神田明神へ向かいました♪
ちょうどこの日は2年に1度の神田祭の真っ最中で、御輿が担がれ、賑わっていました♪
ものすごい人出です♪
屋台もたくさんあり、どれも美味しそうでしたね♪


↑御輿


↑神田祭

 神田明神は、天平2年(730年)に出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのが始まりとのことで、承平5年(935年)に平将門の乱で敗れた平将門の首が京から持ち去られて神田明神の近くに葬られ、その後14世紀に疫病が流行して平将門の祟りであるとして供養が行われ延慶2年(1309年)に神田明神の相殿神とされたようです。
徳川家康が関ヶ原の戦いに臨む際に戦勝祈願し、勝利したことから、その後、江戸総鎮守として崇敬を受けてきたとのことです。

 神田明神にはだいこく様、えびす様、平将門が祀られているとのことです。

今回は祭のため正門から神田明神へ入ることはできず、裏の方から入り、銭形平次の石碑へ行きます♪


↑銭形平次の石碑


↑銭形平次の石碑の説明

銭形平次の住居は神田明神下の元の台所町ということになっているので、有志の作家と出版社とが発起人となりこの石碑が建立されたようです♪


↑銭形平次の石碑の発起人

それから、妻恋神社へ行きました♪


↑妻恋神社の鳥居

 祭神は倉稲魂命・日本武尊(やまとたけるのみこと)・弟橘媛命の三柱とのことです。
日本武尊が東征の折、この地へ来て倉稲魂神(稲荷神)を祀ったことを起源とするようです。
また日本武尊が三浦半島から房総へ渡る時、大暴風雨遭い、妃の弟橘媛命が身を海に投げて海神を鎮め、一行を救ったことから、妃を船魂神(海神)として祀ったようです。
ガイドさんによると、日本武尊が妃をここで思い出し恋したことから、恋愛の神様として有名なようです。

 江戸時代は、この妻恋神社は正一位妻恋稲荷大明神と呼ばれ、多くの参詣人を集め、関東総司とも称したほか、江戸時代後期に作られた「稲荷番付」では行司の筆頭にあり、江戸にあった多くの稲荷社の中でも特別な地位に位置づけられたようです音符


↑妻恋神社の説明


↑関東総司の碑


↑妻恋神社

次回は「③湯島天神~水道橋編」です♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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小樽(北海道)街歩きはとてもオススメ!

2017年09月15日 01時00分00秒 | イベント・外出
北海道の小樽で街歩きをして楽しんだので紹介したいと思います♪

 まず驚いたのは、小樽は天然の良港を持ち、北海道にあって寒暖の差が小さく海と山に囲まれ、一大商業港湾都市として明治~昭和の始めまで多いに栄え、当時の建物はそのまま歴史的建造物として現在も残っているということですね♪

 江戸時代の北前船やニシンに始まって幌内鉄道、手宮桟橋で石炭積出が行われ、石炭のほか木材、農産物の移出港として発展し、日露戦争で領有権を得た南樺太開発の中継地にもなり、北海道経済・金融の中心として発展し、現在の札幌よりも小樽は発展していたようです。

 そのため日本銀行小樽支店を始めとして、小樽には各銀行や商社が建ち並んだことから、アメリカのニューヨークのウォール街にちなんで、北のウォール街とも呼ばれていたようです♪

 なお、小樽港の輸出先は、アジアやロシア(シベリア)が大きなウエイトを占めていましたが、第一次世界大戦以降は、ヨーロッパや北アメリカも大きな輸出先となり、特にヨーロッパへはエンドウ豆が主力輸出品だったようです。
今では想像がつきませんね。

まず小樽駅に朝早く到着し、南口すぐ近くの三角市場へ行きます♪


↑小樽駅

これはかなり昔からありそうな時代を感じる三角市場です♪


↑三角市場入口

そんな中、愛用の「ココミル札幌 小樽」という旅行ガイドブックに掲載の「味処 たけだ」へ行きます♪
鮮魚店も兼ねているようです♪


↑味処 たけだ等

 席につきますが、店内は昭和な感じで、BGMとしてはラジオ放送が流れています♪
 目の前のメニューを見ます♪


↑メニュー

 ガイドブックでは三色丼がオススメとありましたが、ここは旬ですし、しかもミョウバンなど添加物が入っていない生ウニ丼をいただくことにします♪

 せっかくなので、小樽前浜産キタムラサキウニとエゾバフンウニの二種類を楽しめる「旬の生うに食べ比べ丼」4000円にしました♪
味噌汁とホタテの干物?も付きます♪
ちなみにエゾバフンウニの生うに丼は4500円で、キタムラアキウニの生うに丼は3500円です♪
バフンウニが高価なんですね^_^)


↑ホタテの干物?

そして「旬の生うに食べ比べ丼」が運ばれますが、おぉぉ~丼一杯に、濃いオレンジ色と黄色の二色のウニが隙間なく敷き詰められていて素晴らしい!!
ビューティフォー!!
この隙間ない盛りは感動ですね!


↑旬の生うに食べ比べ丼

ちなみに濃いオレンジ色がバフンウニで、薄い黄色がムラサキウニとなります♪

一つウニを取って食べてみますが、おぉぉ確かに添加物なしで、生卵のような濃厚な味が舌に広がり、そして体中にうにの成分が行き渡る感じで、これぞまさしく身体が欲する食べ物ですね!
これは旨い!
醤油など不要でそのままイケてしまいます!

二つのうにの違いですが、食べ比べて初めて分かりましたが、バフンウニの方が濃厚さを感じるんですね♪
お値段の違いを理解しました!

また味噌汁もさすが小樽で、ホタテの稚貝がたくさん入っていました♪
ホタテの出汁が効いて味噌汁も美味しい!
すっかりうに丼を堪能しました♪

それから市場内を散策しますが、大きなカニがたくさんありましたね♪
やはりカニは名物なようです♪

前から気になっていたホタテ貝の干物が売っていたのでそれを買いました♪
ほんの少しの量で1000円とは金額が高いですが、この干物は北海道産で質が良いものとのことでした♪
色が濃いものが上等で、貝柱の横が崩れていないものが良質とのことでしたね♪
後でそのまま食べてみましたが、確かに美味しい!
出汁にも使いたいですね♪


↑ホタテ貝の干物

それからランチのお店を事前確認するために寿司屋通りの寿司屋をいくつか見ながら海の方に向かって歩きます♪
美味しかった寿司屋は別途「おたる日本橋」を紹介しました♪


↑小樽の地図


↑寿司屋通りには寿司屋がいっぱい♪

そして、日本銀行旧小樽支店で現在は金融資料館を目指します♪

近くの手宮線跡が公園になっていて、線路には緑が青空の下であふれていて美しい♪
手宮線は北海道初の鉄道路線で、官営幌内鉄道の一部として明治13年(1880年)に開通し、昭和60年(1985年)に廃線となったとのことです。
北海道初ということは、それだけ当時は重要な路線だったということですね♪


↑手宮線跡


↑日本銀行旧小樽支店で現在は金融資料館

金融資料館については、素晴らしい資料館だったので別途紹介しました♪

そして、北のウォール街を歩いて、今も残る立派な旧銀行等の建物を見ながら散策します♪


↑旧三井物産小樽支店(松田ビル)1937年築


↑旧北海道銀行本店(小樽バイン)1912年築


↑旧第一銀行小樽支店 1924年築


↑旧三菱銀行小樽支店(小樽運河ターミナル) 1922年築


↑旧三井銀行小樽支店 1927年築


↑旧越中屋ホテル 1931年築


↑小樽商工会議所 1933年築


↑旧第四十七銀行小樽支店 昭和初期築


↑旧安田銀行小樽支店 1930年築


↑旧日本郵船小樽支店 1906年築

こんなにもたくさんの立派な銀行が当時建てられたというのは、相当活況だったのだと思います♪
さすが北のウォール街ですね♪

そして運河沿いを歩くことができました♪


↑運河沿い

小樽は小樽駅近くの三角市場で生うに丼など海の幸を楽しめますし、北のウォール街として繁栄した当時の建物や線路跡なども楽しめてオススメです!


お勧めなお話(2017年上半期)

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「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常(二宮敦人)」という本はとてもオススメ!

2017年09月14日 01時00分00秒 | 
「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」の購入はコチラ

「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」という本は、実は妻が東京藝術大学の美術学部の大学生という著者が、その藝大生の日常があまりにも新鮮で驚くことばかりなので、この東京藝術大学について調べ、美術学部生だけでなく音楽学部生にもインタビューを行い、その赤裸々でカオスな日常や実態をまとめたものです♪

 本書を読むと、まさに東京藝大はカオスな日常で驚くことばかりで、また美術学部と音楽学部ではまったく性格が異なるというのも面白かったですね♪

 美術や音楽を極めたい方や、東京藝大に入学したい方はとても参考になる本だと思います♪

主な興味深かった内容は以下となります♪

・東京藝大の場所や雰囲気
・東京藝大受験の実態
・日本画専攻の日常
・口笛世界チャンピオンの日常
・からくり人形制作者の日常
・東京藝大生の恋愛
・指揮者の日常
・工芸科の日常
・打楽器専攻の日常
・仮面ヒーロー「ブラジャー・ウーマン」
・声楽科の日常
・三味線演奏者「川嶋志乃舞さん」の日常
・東京藝大の学園祭

 特に東京藝大の志願倍率は平均で7.5倍もあり、最難関の絵画科は17.9倍もあるとは驚きましたね♪
東京大学理科三類の4.8倍よりはるかに高いです^_^;)
ただセンター試験結果よりも、実技試験結果が大きなウェイトを占めるようです
そして美校の現役合格率は約2割と少なく、平均浪人年数が2.5年というのには驚きましたね。

 また東京藝大の学生は、学生の本分として美術や音楽にかなり時間を費やしているようでそれは素晴らしいと思いましたね。
授業がない日は1日9時間ピアノ等を練習するようです。

 しかしながら、この東京藝大からは何年かに一人天才がでればいい、他の人はその天才の礎と学長から言われるというのも驚きましたね♪

それから、毎年9月初旬に開催される学園祭はその才能ぶりを一般の方が体験できるようでぜひ行ってみたいと思いましたね♪

「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」という本は、東京藝大の一部についてよく理解でき、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です♪

・藝大のメインキャンパスは上野にある。上野動物園。国立科学博物館。東京文化会館。国立西洋美術館。様々な文化的施設が立ち並ぶ街だ。広場では大道芸人が曲芸をしていたり、錦鯉や盆栽の展示販売会が行われていたりする。アメヤ横丁というパワフルな商店街もあれば、一日中エロ映画を流しているオークラ劇場という怪しい映画館もある。駅から広場を抜けて歩いていくと、芝生の中に彫刻がたくさん並んでいるのに気がつく。藝大の学生や教授の作品がさりげなく飾られているのだ。

・藝大に近づくにつれ喧噪が遠ざかり、緑が増えていく。赤レンガの堀の中、校舎が現れた。キャンパスは二つに分かれていて、道路を挟んでそれぞれの校門が向かい合っている。上野駅を背にして左側は美術学部、”美校”と呼ばれている。絵画、彫刻、工芸、建築・・・いわゆる美術に関する学科がこちらのキャンパスにある。右側は音楽学部、”音校”だ。ヴァイオリンやピアノ、あるいは声楽など、いわゆる音楽に関する学科がこちらのキャンパス。音楽と美術の両方を擁しているのが藝大の特徴の一つでもある。実際にその境界線に立ってみると、不思議な感覚を覚える。行きかう人の見た目が、左右で全然違うのだ。音校に入っていく男性は爽やかな短髪にカジュアルなジャケット、たまにスーツ姿。女性はさらりとした黒髪をなびかせていたり、抜けるような白いワンピースにハイヒールだったりする。大きな楽器ケースを持っている学生もちらほら。みな姿勢が良く表情が明るいため、芸能人のようなオーラを放っている。バッハと同じ髪型の中年男性も見かけた。どうやら教授のようだが・・・。対して美校の学生たちは・・・ポニーテールの髪留め周りだけ髪をピンクに染めている女性。真っ赤な唇、巨大な貝のイヤリング。モヒカン男。蛍光色のズボン。自己表現の意識をびりびりと感じさせる学生がいる一方で、まるで外見に気を遣っていないように見える学生も多い。ぼさぼさ頭で上下ジャージだったり、変なプリントがされたTシャツだったりが通り過ぎる。数人に一人は眉間に皺を寄せて呟き、影を背負ったような顔をしている。数分も眺めていれば、歩いてくる学生が音校と美校のどちらに入っていくか、わかるようになってくる。

・美校の中は、いい意味で荒っぽい。守衛所の前には巨大なトラックが止まっていた。宅配便のトラックなのだが、よく街で見かけるタイプではない。サイズはタンクローリーほどもあり、荷台が横に跳ね上がる。中には引っ越しと見まがうほどの量の荷物が詰め込まれていて、学生が駆け寄って来ては宅配便のお兄さんと一緒に運び出している。おそらく美術用の材料か、作品だろう。男子学生も女子学生も、力を合わせて大きな荷物を運んでいく。少し歩いた先には石だの木だのが大量に転がっている。「3年 野村」などと名前だけ書かれて野ざらしになっているのだ。材料置き場なのだろう。遠目からは粗大ゴミ置き場に見えるが・・・。不思議なのは、彫像がやたらと多いことだ。茂みの中とか建物の影とか、とにかく所狭しと林立している。

・彫刻棟の中に入ってみよう。そこはまるで工場だった。天井からは2トンの物体を持ち上げられる強力なクレーンが吊り下げられ、巨大な加工機械が並んでいる。大きな木を切る機械、石を削る機械と、なんでもありだ。部屋は広く天井も高く、小さめの体育館ほどの空間がある。教授も4年生も、1年生もみんな一緒に肩を並べてここで彫刻を作るそうだ。時々、教授たちが回ってきてアドバイスをしてくれた、あるいは自分から教授に質問しにいくこともある。棚にはノコギリだとか、ペンキ缶だとか、いろいろな道具が並んでいる。大小様々なサイズのチェーンソーもあった。

・工場っぽい外見はどこまでも続く。例えば金属加工を行う部屋では、金属を裁断する機械や、金属を削る機械が置かれている。八人掛けのテーブルほどもある機械で、ばっちんばっちんと鉄板を切っていくのだ。脇では面をつけて火花を散らしながら、溶接をしている人の姿も見える。鋭い音が響きわたっている。謎の実験装置のようなものが何台も並んでいる。宇宙船の一部のような金属で覆われた四角い箱型。扉は固く閉ざされていて、バルブが据え付けられている。これは陶芸で使う窯だった。点灯しているオレンジのランプは、燃焼中であることを示しているそうだ。たまに中で爆発が起きるらしい。爆発って・・・。版画研究室を覗くと、部屋の中にまるで喫煙所のように区切られ、密閉されたスペースがある。銅版画のために作られた場所だ。銅板に薬品をかけ、化学反応を起こして絵を描くのである。この際に有毒ガスが発生するため、隔離されているというわけだ。これもなかなか怖い。染織を行っている教室には、銀色の壁で覆われたシャワー室のようなものがある。これはスチームルーム。強烈な蒸気を吹きかけて、染色するための設備だ。お隣にはぼこぼこ泡立っている大釜。聞くと、水酸化ナトリウム溶液を沸騰させているらしい。とても危ない。その脇には小さめのプールが3つ。布を抱え、大釜とプールを行ったり来たりしている女性の姿が見える。布を薬品と冷水に交互に漬け込むことによって行う染色があるそうだ。あたりには様々な色合いの布が洗濯物のようにかけられていて、棚には薬品の瓶がずらり。硫酸だとか塩酸だとか、劇薬の名前もある。建築科には構造実験室という部屋があり、そこでは破壊実験を行っている。物体に圧力をかけたり、引っ張ったりする機械が置かれていて、これで素材の強度を計り、建築の設計に応用するようだ。稼働中は轟音が響く。僕はいつのまにか、美術の裏側に入り込んでいた。確かに茶碗を作るには巨大な窯が必要だし、金属を曲げるには特別な機械がいる。日常の道具はこうした異世界からやってきていたらしい。ものを作るとはこういうことだったのか・・・。そりゃあガスマスクくらい生協で売っているはずだ。

・校舎内で目立つのは、いくつも並んでいる小さな個室。ビジネスホテルのように、扉がずらりと廊下の両側に並んでいて、それぞれの部屋からかすかに音楽が響いている。扉には覗き窓がついていて、中を見ることができた。部屋は防音壁に囲まれていて、ピアノや譜面台が置かれている。女性が一人、一心不乱にピアノを弾いていた。廊下にはベンチがあり、部屋が空くのを待つ学生がそこに座り、退屈そうに携帯を眺めていた。なるほどこれは練習室だ。肩を並べて彫刻を作ることができる美校とは違い、音校での練習は個人単位になるわけだ。扉の見た目は大差はないのに、その向こうには全く違う世界が広がっている。ヴァイオリインを一人で弾く程度の六畳ほどの空間もあれば、自動販売機8つ分くらいの大きさのパイプオルガンがデンと据えられた部屋もある。邦楽科の練習室は入るとふすまがあり、それを開けると畳敷き。能や日本舞踊を舞える舞台が設置されていた。蜂の巣のような練習室がある一方で、コンサートホールも6つある。中でも最大のホールが奏楽堂だ。この奏楽堂、座席数が千百席!音校の生徒数は4学年を合計しても千人弱だから全員余裕で収容できてしまう。さらにオペラ座のようなバルコニー席があり、オーケストラピットまである。楽屋なんて8室もある。奏楽堂に入ると、見上げるほど巨大な美しい装飾の施された木枠が目に飛び込んでくる。パイプオルガンだ。「藝大のオルガンの中でも奏楽堂にあるものは億の値段ですね」

・「音楽は一過性の芸術だからね」「つまりその場限りの一発勝負なのよ。作品がずっと残る美校とは、ちょっと意識が違うかもしれない。あと、音楽って競争なの。演奏会に出る、イコール、順位がつけられるということ。音校は順位を競うのが当たり前というか、前提になっている世界なんだよね」美術でもコンクールなど順位がつく場もあるとはいえ、競争意識は音校に比べてゆるいようだ。妻もこんなことを言う。「美術って、みんな一緒に並べて展示できるからいいよねー」美術の作品はずっと残る。だから今、評価されなくてもいつか評価される可能性も、共に残り続けるのだ。

・音校卒業生の柳澤さんが教えてくれた学生時代の話。「私、月に仕送り50万円もらってたなあ」「え、50万?」「音校は何かとお金がかかるのよ。学科にもよるけど。例えば演奏会のたびにドレスがいるでしょ。ちゃんとしたドレスなら数十万はするし、レンタルでも数万。それからパーティー、これもきちんとした格好でいかないとダメ」音楽業界関係者のパーティーは頻繁にあるそう。そこで顔を売れば、仕事に繋がるかもしれないのだ。

・「楽器も高いものが多いですからね。ヴァイオリンやピアノは特に高いと思いますよ」器楽科でハープを学ぶ方が言う。「ハープって、よく上流階級っぽいなんて言われますけど、まだ庶民的なほうではないかと思います。高くても一千万ですから。ちゃんとしたのを買おうとすれば300万円くらいかな・・・うーん、それでも高いですかね。でもヴァイオリンは、ものによっては億いっちゃいますからね。何だか金銭感覚麻痺してきますね。ヴァイオリン専攻の友達に「ちょっとトイレ行くから楽器見てて」なんて言われると・・・そんな責任負えないよ、ってなります。だって手の中に家があるんですよ、家が!」わなわなと手を震わせていた。器楽科ホルン専攻の方もこう話す。「いい楽器を使わないと、受験でも不利なんです。僕は浪人した時にローンを組んで、新しいホルンを買いました。定価が130万円で、少し負けてもらいましたけど、それでも100万円はしましたね」楽器は高いけれど、自分で作るわけにはいかないし、そんな時間があれば練習をすべき。

・藝大が屈指の難関校であることをご存じだろうか。僕も初めは知らなかったのだが学生たちに話を聞いているうち「難関」の片鱗が感じられ、今では恐ろしさすら感じるようになった。東京大学理科三類の平成27年度の志願倍率が4.8倍、百の枠を約500人が奪い合った。難関の名にふさわしい倍率と言えるだろう。対して藝大の最難関、絵画科の同年度の志願倍率はなんと・・・17.9倍。80の枠を約1500人が奪い合う。藝大全体でならした倍率でも7.5倍に達する。なお昔は60倍を超えたこともあったという。

・「そもそも、ある程度の資金力がないと藝大受験は難しいんだよ。もともとは私は器楽科のピアノ専攻を目指してたから、大阪か東京まで新幹線でピアノの塾に通ってた。月謝と交通費だけでも相当のお金がかかるよ」「地元にも、もちろんピアノの教室はあるけど。音校を受けようと思ったら、藝大の先生に習うのがほぼ必須なのよ。高校の音楽の先生やそれまで習っていたピアノ教室の先生なんかにお願いして紹介してもらうの」藝大で実際に教えている教授、あるいは元教授-。そういった方を師匠と仰ぎ、レッスンを受けるのが当たり前なのだ。教授のコネが必要という話ではない。試験の採点は、師匠を除いた残りの教授陣によって行われる。藝大に合格するにはトップレベルの実力が必要で、それを身につけるにはトップレベルの指導者に習う必要があり、トップレベルの指導者には藝大の教授であることが多い。そうくことのようだ。他の受験生がそうしている以上、自分も同じようにしないと戦えない。

・「うん、君には才能があると思うけど、3浪は必要だろうね」妻が藝大彫刻科を志した時、先生にそんなことを言われたという。妻は奮起し、何とか一浪ですべり込むことができたが、美校で3回の浪人はさほど珍しいことではない。美校の現役合格率は約2割。平均浪人年数が2.5年。美校の場合は、藝大の教授にレッスンを受けるのが当たり前、という風潮はない。しかし独学が可能かというとそうでもなく、美大受験予備校に通うのが一般的だ。ここでデッサンなどの練習を積む。それはもう、3年ほどみっちりと積んでようやく合格圏が見えてくる。5浪、6浪の人も当然いて、同級生でも年齢が10歳近く離れていることもざらだという。なお、この中には「仮面浪人」も含まれる。例えば、私立の美大にいったん入学する。普通に授業に出ながら同時並行で受験対策も進め、藝大に合格後、私立をやめて藝大に入るというやり方だ。「藝大って国立じゃないですか。学費が安いんです。私立に入っても2年生までに藝大に移ることができたら、金銭的にお得なんですよ。けっこうそういう人います」

・音校では事情がちょっと違う。肩を壊してピアノを断念した方によると、浪人する人は少ないそうだ。「それは、金銭的な事情?」「それはもちろんあるけれど、もっと大きいのは時間の問題かな。卒業が遅くなったら、それだけ活躍する時間が限られちゃうから」「・・・え?それって”選手生命”があるってこと?」「演奏家は体力勝負だもの。ハードなのよ、コンクールの前に掌一杯の砂糖を食べるピアニストもいるくらいだから。年とともに体力は衰えていくでしょう。入試に何年もかけたら、もったいないのよ。だったら他の大学に入って、早くプロとして活動し始めたほうがいい」やっぱりプロ野球選手だ・・・。「巨人軍」にこだわるより、他球団に活躍の場を求めたほうが大成することもある。

・そんな受験生たちの前に立ちはだかる藝大の入試は、一体どういうものなのだろうか。多くの学科では実技試験が大きなウエイトを占めている。「一応、センター試験も必要なんだよね?」そう聞くと妻は頷く。「でも、あんまり重視されないよ」「どれくらい取れればいいの」「科にもよるけど、彫刻では7割くらいを目指すべきみたい」「で、何点取れたの?」少し照れる妻。「・・・自己採点では3割くらい・・かな」「・・・」「へへ」センター試験はマークシート方式なので、問題を見ずに適当に塗りつぶしたって2割前後は取れるはずなのに。妻は続ける。「先輩で、センター1割しか取れなかった人いたらしいよ」「問題を作っている人が聞いたら泣いちゃうね」「でも、実技の順位が上から3番目くらいだったんだって。それで絵画科に合格」「・・・」あくまで重要なのは実技試験なのだ。ただ合否ラインぎりぎりで実技の得点が拮抗している場合は、センター試験の得点が高い方から合格になるようなので、ちゃんと勉強するに越したことはない。

・実技試験は、複数の段階に分かれている学科がほとんどで、当然ながら一次試験で落ちれば二次試験には進めない。また学科によって異なるものの、三次試験や四次試験では筆記試験が課されることが多い。「一次試験はほんの5分くらいの演奏で合否が決まるの。そこで落ちたら筆記試験の勉強もぜーんぶ無駄になっちゃう。一発勝負よ」「一次では半分以上、ごっそり落とされるんですよね。部屋に入るとですね、周りをずらりと教授陣が10人くらいかな、取り囲むように座っていて、難しい顔でこっちを見ているんです。あら探しをする目ですよ。そこで「じゃ、始めて」と。緊張感ありますね」器楽科ファゴット専攻の方はそう振り返った。「事前に課題曲が21曲与えられまして、その中から当日に4曲かな、指定されて演奏するんです。二次試験になるとピアノ伴奏つきでこれをやります」しかし音楽家たるもの、演奏は全て一発勝負だ。一発勝負に弱くては話にならない。「

・「試験には新曲視唱というものがあります。初見の楽譜が渡されまして、しばらく目を通して、それからその場で歌う、という試験です。いかにリズムや音階を正確に教えるか、がカギになりますね」作曲科の方は思い返すように首をひねりながら少しずつ続けた。「楽譜の冒頭だけが与えられて、その続きを自分で作って書くという試験もありましたね」いかにも作曲科らしい試験だ。「打楽器専攻にも他とは違うテストがあります。リズム感のテストです。1、2、3、4と口で言いながら足踏みをして、裏拍で手拍子するんです。一定のテンポで10秒くらいやらされますかね、それで判断されます」加えて多くの科では筆記試験がある。大きく分けて「和声」と「楽典」である。「和声はね、音楽理論だよ。和音ってあるでしょう?いくつかの音をいっぺんに出すこと。この和音、どの音とどの音を組み合わせたら綺麗な音になるか、どう和音を続けたら美しい音色になるか、ちゃんと法則があるの。その法則を覚えて、応用して問題を解いていく。なんかね、数学みたいな感じ。私は苦手だったな、凄くややこしいのよ」「楽典は音楽の文法問題ですね。楽譜を書いたり、読んだりするのに必要な知識です。そんなに難しくはありませんが、たまに凄く変な問題が出ることも・・・。僕が受けた年には、「全音符の書き順を答えよ」って問題がありましたよ」

・では美校はどうなんだろう?僕は過去問を調べてみた。「人を描きなさい(時間:2日間)」平成24年度の絵画科油画専攻、第二次実技試験問題である。二日間ぶっ続けではなく、昼食休憩の時間もあるため、試験時間は実質12時間ほどだが、それでも長い。問題は学科によって異なるが、一次試験では鉛筆素描、つまりデッサン。二次試験では学科の専門性に応じた問題が出されることが多い。絵画科油画専攻なら油絵で何か描かせる、彫刻科であれば粘土で何か作らせるという具合だ。一次試験に1日、二次試験い2日といった具合に、試験は何日間かにわたって行われる。まるで中国の官吏登用試験「科挙」だ。どんな様子なのか、妻に聞いてみた。「教室に入ると、席をくじ引きで決めるんだ。部屋にモチーフの石膏像が置かれてて、それを素描するんだけど、席によって書きやすい角度とかがあるのね。私は得意な角度の席が当たったから、ラッキーだった!」「角度によって有利不利があるの?」「うん。かなり違うよ。ちょっとでも見やすい角度にするために、イスの脚に少年ジャンプ挟んで座る人もいた」「ジャンプは持ち込み可なんだ・・・試験時間は長いんだよね」「うん。そのデッサンは6時間だったかな」「長いね!」「でも足りないくらいだよ」

・藝大の過去問に目を通していると、たまに首をひねりたくなるような問題文に遭遇する。「・・・の状態を、下記の条件に従い解答用紙に美しく描写せよ」こんな表現はまだ序の口だ。
「問題1 自分の仮面をつくりなさい」
この問題には注釈がついている。
「※総合実技2日目で、各自制作した仮面を装着してもらいます」
さらに問題の続きには、
「解答用紙に、仮面を装着した時のつぶやきを100字以内で書きなさい」とあり、その隣にまた注釈。
「※総合実技2日目で係の者が読み上げます」
これらの不思議な問題の意図は、平成23年度建築科の問題文にある一節を読めば理解できるかもしれない。「・・・しなさい。なお、この試験はあなたの構想力、創造力、表現力を考査するものであり、正解を求めるものではありません」
何か抽象的なものを測ろうとしているようだ。藝大のレベルは総じて高い。音校なら演奏技術、美校ならデッサン力。そういったいわば基礎の部分にまずは高い能力が求められる。だが、それはできて当たり前。なぜなら努力で何とかなる部分だから。藝大が求めているのは、それを踏まえたうえでの何か、才能として表現できない何かを持った学生だ。「光るものを持っている」と審査する教授に思わせることができないと、合格点は得られないようである。

・「音楽環境創造科には、「自己表現」って試験科目があるのよ」「自己表現?」「何でもいいから、自分をアピールするの。私の友達は、ホルンで4コマ漫画をやったわ」「えっ、どういうこと?」「4コマ漫画を画用紙に書いて、持ち込んだの。それで1枚ずつめくりながら、ホルンで台詞の部分を吹いたんだって。台詞っぽく聞こえるようにね」「・・・その人はどうなったの?」「合格したわ」「・・・」「あとね、こんな課題もあったって聞いた。鉛筆、消しゴム、紙を与えられてね、好きなことをしなさいって言われるの」「それは何となくアートっぽいね」「うん。私の友達は、黙々と鉛筆の芯を削りだした。それからその芯を細かく砕いて、顔にくっつけていったの」雲行きが怪しくなってきたぞ。「最後に、紙を顔に叩きつけた。バーンって。紙に黒い跡がつくでしょ。それを自画像って主張して提出したんだって」「・・・その人はどうなったの?」「合格したわ」たとえ思いついたとしても絶対に実行できない。

・「旅行に行った時、大変だったのよねー」妻のお母さんが、腕組みしながら苦笑した。「ルーヴル美術館でね。本当に、全然動かなくなっちゃって」妻の母、妻、妻の妹、妻の従姉妹。4人で海外旅行に行き、ルーヴル美術館に入った。その一角で、妻は全く動かなくなってしまったという。「踊り場にある、あの彫像。「サモトラケのニケ」。あれをずっと見てて。1時間くらい見てたかな、まだ見る?って聞いたら、見るって言うわけ。じゃあもう、好きなだけ見なさいって」なんと、妻はえんえん5時間以上も「サモトラケのニケ」だけを見つめ続けたという。同行者がすっかり飽きてベンチで昼寝し始めるなか、ただ一心不乱に。人が芸術に触れる時、時間の流れは少し普段と変わってしまうようだ。ルーヴルのダリュ階段踊り場、紀元前に作られた彫像の前で立ち尽くす妻を想像して僕はそんなことを思った。

・演奏者は練習をし、指揮者は楽譜と向き合う。膨大な時間をかけて。「だから、本番を迎えることができた時点で仕事の半分は終わったようなものですよ」「本番では、指揮者はどんなことをするんでしょう?」「オーケストラを物理的に助けるのが仕事になります」物理的、の言葉には、まるで外科医が傷口を縫うようなニュアンスがあった。「なかには合わせにくい、難しい曲もあるんですよ。小節ごとに拍子が細かく変わってしまう曲とか。そんな時、たとえばホルンが落ちるとしますよね。あ、落ちるというのは、リズムがわからなくなって演奏が止まってしまうことです。その時、ホルンに教えてあげるんです。指や表情、目で「今、ここだよ」と伝えるんです。そうして復帰させる。」もちろんそれは演奏の真っ最中。指揮棒は振りながらの作業だそうだ。「他にも、みんなで音を出すタイミングを伝えたり、リズムがずれてしまっている人を助けたり。全体に目を配って、発生する弱点を助けます。指揮者はよく「交通整理」なんて表現しますね。そうやって全員で海を泳ぎ切るんです」交響曲という海を、息を合わせて泳ぐオーケストラ。1時間近いその大海の中で、落伍しかける人を救い上げ、疲れた人を励まし、そして力を合わせ、事前に何度も何度も楽譜を読んでイメージしたゴールへと導いていく。「指揮者の棒の技術が関わってきますね。拍子をわかりやすく伝えられるとか、やりたいことがちゃんとわかるだとか、そういうことです。棒といっても腕だけの動きじゃなくて、体全体です。全身の使い方が重要ですし、途中で息切れしないスタミナも必要です。あと、大事なのは呼吸ですね」ピアノの方も同じようなことを言っていた。「ピアノで大事なのは呼吸です。音楽はもともと、歌から始まったんですよ。ですから歌でいう息継ぎみたいなものがピアノでも必要なんです。息継ぎがない演奏は聞き苦しくなっちゃうんですね」「管楽器ならもちろんですし、弦楽器にだって呼吸はあります。全部の楽器に呼吸がある。その呼吸を僕たちは伝え合い、共有して一体になるんです。音楽の流れに合った呼吸をして、音楽の表情を作っていくんですよ」打楽器専攻の方もこう表現していた。「楽器とも、仲間とも、お客さんとも一体になって演奏しますし、しなくちゃならないって思ってます」思えば演奏する人も、聴く人も、コンサート会場にいる誰もが呼吸をしているのだ。指揮者の情熱を核として、信頼が引力となって、楽器と一体化するまでに自分を高めた奏者たちが次々と重なってオーケストラになり、それが聴衆をも巻き込んで一つの呼吸する存在になる。「そうやって、うまく噛みあって、響きあった時・・・いや、そんな言葉ではとっても足りないんですけど・・・とにかく本番で心が一つになって演奏ができた時、ものすごく幸せなんです。これをやるために生きているんだって、思います」ため息をつきながら、うれしそうに笑う。やっぱり楽しくてやっているんだ・・・いや、楽しいからできるんだ。

・彫金は、主に装飾品や飾り金具を作る技術だそうだ。金属をねじって曲げ、磨いてピアスにしたり、鋼鉄でできた鉛筆型の器具で金属板に複雑な模様を彫りあげたりする。「彫金はですね、金とか銀とか、場合によってはプラチナとか、貴金属を使うので材料にお金がかかるんですよね。だから、学生はみんな相場を毎日チェックしてます!安い時に買いだめしておくんですよ」一つ作品を作るのに、材料費だけで数万円かかってしまうそうだ。「仕上げで銀をヤスリでこすると、銀の粉が出るじゃないですか。私たち、受け皿をおいてその粉を溜めるんですよ。業者に買い取ってもらえるんです。最初は捨てちゃってたんですけど、先輩に「お金捨ててるんだよ!」と言われて、本当にその通りだと思って」僅かな粉でも無駄にはできない。文字通りの金銀財宝。「彫金をやるようになってから、貴金属のありがたみを感じるようになりましたね。料理屋さんに行っても食器の素材がわかるんです。このスプーン、本物の銀だ!とか。さすが高級店だって、テンション上がっちゃいます。本物は重みがあるんですよね」

・「楽器による個性ですか、そういうの、あると思いますよ!ヴァイオリンの人はみんな、気が強いと思います。なんかこう、芯があるとうか。それからピアノの人は練習の鬼」こう分析するのはハープ専攻の方だ。「ハープはどうでしょう?」「ハープはそうですね、案外男っぽくてサバサバしてる人が多いです。性根がすわってるというか。やっぱり重い楽器を自分で運ぶからかな。オーケストラの授業が終わった時なんかも、ヴァイオリンの人はさっさと楽器を片づけて帰っちゃいますけど、私たちは腕まくりして「よし、いっしょ運ぶか」みたいな」ハープ演奏者が楽器を運んでいたら、ドアを開けて押さえておいてあげると、大変好感度が上がるそうである。「コンバスは、変人ぞろいですかね・・・」コントラバス専攻の方はさらさらの黒髪を揺らしぽそりと言う。「つかみどころがない人が多いです。そもそもコンバスなんて楽器を選んでいる時点で、みんなちょっと変なんですよ」「オルガンは、真面目で静かな感じの人が多いかもしれません」オルガン専攻の方がゆっくり考えながら答えてくれる。「オルガン専攻の学生って、ミッションスクール出身の人が多いんですよ。ミッションスクールでは賛美歌を歌いますから、そこでオルガンと出会うんです」「確かにキリスト教系の学校でもないと、なかなか触れる機会がありませんね」「はい。そういうところってだいたい女子校なんですね。そのせいか恋愛に抵抗があるような人が多いです。恋愛よりも練習に時間を使いたい、とか」

・「あの、声楽科がチャラいって本当なんでしょうか?」僕は開口一番聞いた。声楽科3年生の方は子供のように笑った。「そうですね、人との距離感は近いかもしれません」その方は口ひげを少しだけ伸ばし、チェックのシャツを着ている。爽やかで、人を警戒させない程度に隙があり、垂れ目の笑顔は人懐っこい。ラテン系の俳優を思わせる。「例えば声楽実習という授業があるんですが。これってオペラの稽古なんですよ。課題曲が与えられて、ペアを組むんです。で、オペラってたいてい男女の恋愛の物語なんで、ペアも男女で組みます。それで一緒に稽古します」「そうか。実際に愛の台詞を、歌で交わすんですね」「はい。感情たっぷり込めて」「仕草とか、そういう演技も・・・?」「はい。体が触れ合うことも多いですよ。それが練習ですから」「あの・・それって、恋愛の練習をしているようなものですね」「そうなんですよねえ」レッスンならまだしも、自主練だったらどうなるだろう。男女が密室に閉じこもり、愛の歌を共に歌う。努力し、励まし合い、時にはぶつかり合ったりしながら共通の目標に向かって進んでいく。そこには特別な絆が生じるはずだ。何が起きても不思議ではない。なるほど。人との距離感が近いのだ、物理的に。美術よりも音楽の方が人と近い。そこまでも僕も感じていた。しかし音楽の中でも、声楽だけは楽器を持たない。何ら介在せずに、生身一つで他者と相対しなうてはならないのだ。

・「僕ら、知らない人に声をかけるのとか苦じゃないですよ。基本、人が好きですし」とても聞き取りやすい低い声で続ける。「稽古の時って、ピアノ専攻の人に伴奏をしてもらうことが多いんです。で、それは自分でお願いしにいくんですよ。だからみんな、入学直後から可愛い子に目をつけて。ペアになって練習してもらえないかって話しかけます」「ペアになったら、ずっとその人に伴奏をしてもらうんですか?」「基本的に、1年間はペアですね。互いの練習の日が合わないとダメなんで、「この日、空いてない?」って聞くわけですよ」「それって、ほとんどナンパじゃないですか」「はい、ナンパにも応用できるでしょうね。ほんと、対人能力が高い人は多いですよ。それを活かして居酒屋やキャバクラでバイトしてる子もいます」「それで、恋愛上手になっていくわけですね・・・」「はい。伴奏の人と恋愛関係になる人もいますし。もちろん声楽科の中で付き合う人も多いです。別れたり三角関係になったり、恋愛のごたごたは多いですねー」これは複雑になりそうだ。オペラのペアも、付き合っている者同士でなるとは限らない。互いに別々と異性とペアになって練習することになれば、穏やかではいられない日も多いだろう。

・音校の学生には、練習とバイトで一日が終わるという人も多い。ピアノ専攻の方は、自主練は毎日、休日の練習時間は9時間と言っていた。「声楽科の僕らは体が楽器ですから。人にもよりますが、自主練は2時間くらいで限界なんです。喉を消耗してしまうんですよ。痛めるわけにいかないんで、早めに休みます。実は声って、成熟してくるのは30歳から40歳くらいと言われているんです。僕らの喉はまだ成長段階で、無理をしてはいけないんです」ピアノなら酷使できても、喉は無理なのだ。「じゃあ、残りの時間は?」「遊びに使ったり。他には体を鍛えてます。ジムに行ったり、体幹を鍛えないといい音が出ないんです。肉体は大事ですね。プロではステロイド注射してる人なんかもいますからね」まるでアスリートである。実際体格は立派だ。長身で、逆三角形に引き締まっている。「あとはやっぱり勉強ですね。学ぶのは主に語学です。言葉を知らないと、歌えませんから」「あ、なるほど。何か国語くらい勉強するんですか?オペラだとやっぱりイタリア語?」「イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、英語、このあたりは必須ですね。あとは人によって中国語とか・・・言葉はできるに越したことはないです」さらりと言ってのける。入学したばかりで外国語ができない時は、日本語訳で歌うことから始めるそうだ。

・確かに藝大生は凄い。音へのこだわりには舌を巻くし、日々身につけている技術も到底真似ができない。だけど、それって社会で役立つのだろうか?卒業してから、食べていくことができるのだろうか・・・。「アーティストとしてやっていけるのは、ほんの一握り、いや一つまみだよね」楽理科卒業生の方があっさりと言った。「他の人は卒業後、何をしているの?」半分くらいは行方不明よ」「・・・え?」「行方不明」まさかと思って調べたが、これがほぼ事実なのだ。平成27年度の進路状況には、卒業生486名のうち「進路未定・他」が225名とある。彼らは今、どうしているのだろう。フリーターになったり、旅人になったり、バイトをしながら作品制作を続けたり・・・と、いろいろなパターンがあるようだが、文字通り詳細は不明だった。「そもそも私のように就職活動をして、会社に入る人が少数派なのよ」卒業生486名のうち、会社員や公務員など、いわゆる就職した人数が48名。毎年1割にも満たない。就職先は音校なら楽団、劇団など。それ以外なら放送局、音楽事務所、それから自衛隊音楽隊など。美校であれば広告代理店、デザイン会社、ゲーム制作会社など。「それ以外では進学する人が多いわ。とにかく、何らかの形で芸術をずっと続けようとする人がほとんど」4年間という期間は芸術を学ぶには短いのか、大学院に進学して勉強を続ける学生は多い。美校では「とりあえず院に行ってから先を考える」というタイプも珍しくない。音校であれば「クラシックの本場を見る」ため、留学する人もいる。平成27年度は168名が進学している。全体の約4割だ。「進学」と「不明」が8割を占める。それが藝大生の進路なのだ。

・「何年かに一人、天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです」入学時、学長にそう学生は言われたという。「ある意味、就職してる時点で落伍者、といった見方もあるのよ。就職するしかなかった、ということだからね。あいつは芸術を諦めた、みたいな・・・」活躍している藝大出身者はたくさんいる。例えばレディー・ガガの靴を手がけたシューズデザイナー・大河ドラマのテーマ曲の作曲家。ディズニーシーの火山を作った彫刻家もいれば、ディズニーランドのショー音楽制作者もいる。多くの藝大生が目指すのはやはり作家だ。作品を売って食べていける画家、工芸家、彫刻家、作曲家。あるいは、演奏で食べていける演奏者、指揮者・・・。しかしそんな存在はほんの一握り。何人もの人間がそこを目指し、何年かに一人の作家を生み出して、残りはフリーターになってしまう。それが当たり前の世界だという。

・「芸術学科はいろんな年代の人がいるのが面白いですよ。60代の人もいますからね」「定年後に美術を学びたいって入ってくる人がいるんですよ。土木の仕事をやりながら通っている40歳の人や50代の人もいます。年齢層はかなり広いですね。60代の方は、誰よりも熱心に授業を聞いていて、凄いなって思いますよ」「歳の違う方とは、どんなふうに接するんですか?やっぱり少し、やりづらかったりします?」「いえ、むしろ年齢差は気にならなくなります。同級生なんで、会ったら「よっす」って感じですよ。たまに、みんなで飲みに行ったりも・・・」

・藝大の学園祭、それが毎年9月の初旬に行われる「藝祭」だ。よく晴れ渡った日、解説役に妻を連れ、僕は上野にやってきた。「藝祭はまず、御輿パレードから始まるんだよ」藝大の新1年生たちが音校・美校混成で8チームに分かれ、それぞれに御輿を製作。同じく自分たちで作った法被を身につけて、上野公園を練り歩くのが毎年の恒例だそうだ。驚くべきはこの御輿のクオリティ。「・・・何これ。本当に1年生が作ったの?」「そうよ」「製作期間って夏休みの間だけでしょ?」「そうよ。デザインや立体見本(マケット)はもっと前から作るけど」「し、信じられない・・・」熊にまたがりこちらを見下ろす金太郎。角を振りかざして暴れ回る猛牛。悠然と御輿にまたがる、ぬらりとした大山山椒魚。ギリシャ風の神殿に絡みつき、海底に引きずり込もうとする大蛸-その質感。迫力。細部の完成度。怪獣映画が撮れるレベルだと思う。「発泡スチロールでできてるんだよね?」「そうよ。頑張ってみんなで削って、作るんだ」「とてもそうは見えない・・・」優秀作は、上野商店街が20万円ほどで買い取ってくれるという。それぞれのチームが着ている法被もオリジナルだ。印刷から裁縫まで、全て自分たちで行う。印刷はシルクスクリーンという版画技法を用い、縫製はミシン。まるで浮世絵を背負っているような見事な法被が出来上がる。御輿パレードが終わると御輿は上野公園の噴水前広場に集結する。ここでアピールタイムだ。学長を含め審査員たちが見守るなか、各チームが思い思いの手法で自分たちの御輿を用いたパフォーマンスを披露する。先端・音環チームが、御輿が割れるギミックを仕込んだかと思えば、声楽・建築チームはレ・ミゼラブルの歌をプロ並みの美声で歌いながら行進する。各科の得意技を惜しみなく繰り出しての応酬が続く。サービス精神満点のアピールが終わると、「開口一番」の時間になる。これは藝祭の開幕宣言とでもいうべきもので、学長の挨拶から始まって御輿の表彰へと続く。「学長、よそりくお願いいたします」司会の声に頷き、宮田学長が柔和な笑顔で登壇する。マイクを手に取る。そしていきなり、絶叫!「お前ら、最高じゃあああああああああァ!」やんややんやの大喝采。学長、扇子をぶん回しながら続ける。「毎年見とるけど、今年はとぉーくによかった!最高!素晴らしい!ええか、これからの日本には、お前らの力が必要なんじゃああああァ!ニッポンの文化芸術を背負うのは、お前らじゃああああァ!以上ッ!」会場大ウケ。かくして3日間の藝際の幕が上がる。

・音校の藝際では、構内のホールでコンサートが開催される。「常に、どこかで何かしらの演奏会やってるみたいだよ」妻の言うとおり、全部で6か所あるコンサート会場では、朝から夜まで、ほぼ引っ切りなしに演奏が続く。プログラムを見ると、その切れ目のなさに驚くこと間違いなし。種類も、オーケストラ、合唱、オペラ、室内楽、尺八、三味線、能楽、ガムラン、口笛ライブ、作曲科による新曲お披露目など、盛りだくさん。どれを聴きに行こうか迷ってしまう。すでにプロとして活動している学生も多数存在するくらいだから、質は高い。何より全て無料なので人気も凄まじい。どの演奏会も超満員で、整理券は必須だ。そして整理券は朝から並ばなければまず手にできない。廊下では立ち見ならぬ立ち聴きをしている人がいて、それすら長蛇の列ができているくらいである。すっかり藝大のファンになってしまって毎年来ている人もいるという。そういった方たちは最前列に陣どり、曲が終わると「ブラボー」と叫ぶそうだ。愛着と感謝をこめて学生からは「ブラボーおじさん」と呼ばれている。

・学園祭なので出店もある。焼き鳥、カレー、角煮丼といった食べ物と一緒にソフトドリンクが売られている。「薫製部」が出している手製の薫製は絶品だ。面白いのは各店の内装が妙に凝っているところ。例えば彫刻科の出店は料亭のような雰囲気だし、油画の出店は思いっきりパブである。音校の出店ではゲリラ的に演奏が行われていて、こちらも楽しい。突然、横に楽器を持った学生が現れて、演奏が始まったりするのだ。フルートの演奏やカンツォーネを聴きながらだと、ちょっとしたおつまみでも凄く美味しく感じられる。

・藝大と地続きの上野公園の広場では、藝際アートマーケットが開かれている。小さな店が立ち並び、藝大生が自らの作品を販売しているのだ。掘りだし物がたくさんあるということで、いつもたくさんの人で賑わっている。木から削り出された箸、Tシャツ、漆の塗りもの、ピアス、指輪、服、置物、絵、謎のオブジェ・・・。とにかくありとあらゆるものがあって、見ているだけでも楽しい。

・学園祭といえばミスコンテスト。藝大にもミスコンはあるのだが、これが何とも濃い。濃すぎる。全員が変化球しか投げてこないのだ。ミス藝大はチーム戦のかたちを取っている。モデル、美術担当者、音楽担当者の3者でチームが組まれ、美を追求した作品を作りあげるという仕組みだ。各チームは事前に簡単な紹介文とPR動画を公開し、当日は舞台でパフォーマンスを行う。「次のパフォーマンスは、チームC、お願いします」司会が言う。妻と僕は固唾を飲んで舞台を見守っていた。「これ、PR動画で「黄金の国ジパング」って言ってたやつだよね」「うん」PR動画は、どこか縄文時代を思わせる空間から現代の都市まで、泥団子を手にした女性が歌いながらさまようというものだった。モデルは黄金の国ジバングの女王であり、金の泥団子を献上させる儀式を行うと説明が付記されている。何が何だかさっぱりわからない。厳かなヴァイオリンの生演奏のなか、いよいよモデルが姿を現す。「・・・金色だけど」「金色だね」全身に金箔を貼ったその姿はまるで全裸の宇宙生物だ。モデルは一切まばたきをせず、常にぼんやりと虚無を見つめている。なぜ金箔を貼るのだ。普通にしていればきれいな人なのに。「これより女王に、玉込めの儀式を行います」アナウンスとともに、音楽が激しいロックに変わった。全身黒タイツの男たちが大量に現れる。男たちは股間に文字通りの金色の玉を掲げている。ゴムのボールを金色に塗装したのだろうか?それぞれ玉を2個持ち、妙な踊りを舞いながら、かわるがわる金塗りの女王に近づいて、玉を乱暴に押しつける。悲鳴を上げて喘ぐ女王。男たちは玉を押しつけると、無責任にもどこかへ消えていく。やがて儀式が終わると、女王だけが大量の玉とともに残される。そして女王は一人、舞台を去っていく・・・。「美しさって何かしら?自分たちの美ってあるのかしら?」そう、言い残して。

・藝大はとても少人数な大学である。学生数は美校合わせた合計でも約2千人しかいない。学科ごとに分けると、より少なさが実感できる。例えば指揮科の入学定員は1学年たったの2人。美校では建築科で15人、彫刻科で20人、音校でも楽理科23人、作曲科15人とおおむね10人から30人ほどの学科が多い。器楽科などは入学定員が98人なので多く感じられるかもしれないが、たくさんの楽器専攻が含まれているからである。ピアノ、オルガン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ハープ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、サクソフォーン、ホルン、トランペット、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、打楽器、チェンバロ、リコーダー、バロックヴァイオリン。全部で21種類!98人が21の専攻に割り振られるので、同じ専攻の同級生は必然的に少なくなる。

良かった本まとめ(2017年上半期)

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レストラン鯛萬(松本市)のランチはとてもオススメ!

2017年09月13日 01時00分00秒 | 外食
 とあるゴールドのクレジットカードの会報誌の「松本市の街歩き記事」に、とてもオススメと掲載されていたため、レストラン鯛萬にランチで訪問しました♪

 場所は松本市の中心部で、観光地の「なわて通り」や「四柱神社」と、「松本城」の間でしょうか。
隣に大きなNTTビルもあります。

 2日前にお店のホームページから予約して書き込むと、前日に丁重な確認の電話があり好印象でしたね♪
しかも、無理と思っていた希望の中庭に隣接した席も用意できるとのことで嬉しかったです♪

 時間通り日曜日の12時に到着しますが、建物はかなり大きく、そしてほとんど緑色のツタに覆われていて驚きました♪
ここまでツタが覆うにはかなりの年月が必要で、これはかなりの風格ですね♪
しかも身なりが立派な客がどんどん店内に入って行き、かなり格の高さを感じます♪


↑店構え


↑店構え

そして玄関に近づき自分の名前を告げると、恭しくお店の中に招き入れてくれました♪
希望通り大きな広間の奥の中庭隣接の席に座ります♪
窓からは緑が見え、店内はレトロ感がありますが上質かつ綺麗で、静かにクラシック音楽が流れて落ち着きます♪


↑店内


↑店内


↑窓の緑


↑窓の外の緑

テーブルには美しい生花が飾られていて美しい♪


↑テーブルの生花と店内

 この広間にはお金持ちそうな老夫婦が二組、そして芸術家の先生?を囲んだ8人ほどの会食が一組で、改めて品格の高さを感じましたね(^_^)

 あらかじめお昼のコースA5400円を注文していたのでそれを確認され、そして飲み物はアルコールもノンアルコールもあるよとのことで、赤ワインをグラスで注文します♪
料理に適したものを選んでくれるようです♪
その赤ワインはブルゴーニュのピノ・ノアール2014年でした♪
実はあまりワインのことは分かりませんが、何だか身体に滲み入り、初めて赤ワインがこんなにも美味しいんだと感じましたね(^_^;)
保存やグラスが良いからでしょうか。
素晴らしいです♪
お水も頼みますが、信州の美味しいお水とのことです♪


↑赤ワインのボトルとグラス

 そして料理が運ばれ始めます♪
それにしても、嬉しいですが接客がかなり過剰なほど恭しく、腰が低いです♪
そういう立派なお客様が多いのでしょうか。

まず前菜が運ばれます♪

 信州のルッコラやフランスの豚肉やチーズとのことで、おぉぉそのルッコラの緑色や豚肉の赤色、そしてチーズの白色などが美しい♪
もちろんルッコラは新鮮だし、とろとろチーズや豚肉が赤ワインに合って美味しいです♪


↑サンタギュールの香りを纏ったジャガイモのムースリーヌ
 ジャンポンパリ 西瓜のマリネアニス風味ルッコラ添え

パンも運ばれます♪
パンは冷めて堅かったのですが、2つ目を頼んだ際にはアツアツに温められたパンが運ばれより美味しかったです♪


↑パン

 そして小さなトマトやズッキーニ、ポテトの3つの中にそれぞれつぶ貝などのクリームソースが入ったものは、これも見た目が美しくて素晴らしい!!
お皿はロイヤルコペンハーゲンで、お皿も美しいです♪
実はその中に入っているツブ貝などはアツアツで美味しい♪
これは見た目も素晴らしいし、斬新なアイデアで嬉しいですね♪


↑安曇野の野菜(シャンピニオン トマト クールジェット)に貝類の 詰め物をしてお肉のジュでプレゼ プロヴァンス風


 そして魚料理としてスズキのポワレ、地物の緑豆にベーコンとオニオンを合わせたものが運ばれますが、スズキがきれいに四角形に切りそろえられているのが素晴らしい♪
また、地物の緑豆がひんやりとしていて驚きました♪
スズキはバジルソースと合わせて美味しく頂きましたね♪


↑スズキのパヴェ チョリゾー風味のパネ
 地物の緑豆のミジョテ サラダ仕立て

 そして肉のメインは信州の丸茄子の上に鴨肉とのことで、これも美しい♪
そしてこの鴨肉が柔らかくて絶妙のソテーで美味しい♪
これは熟成されているようで、逸品でしたね♪
赤ワインとも合います♪


↑鴨胸肉のグリル 腿肉のコンフィーと坂城産丸茄子のファルシー
 黒オリーブ 生姜 アンショワ グラタン仕立て


 そしてデザートはオレンジジェルとチョコレートムースが結構ボリュームもあり、それぞれ甘くて美味しい♪
オレンジジェルがたっぷりなのが嬉しいですね♪


↑デザート

 そしてコーヒーも綺麗な器で運ばれ嬉しい♪
まさかこの青色は有田焼?と思いましたが、これもロイヤルコペンハーゲンでしたね^_^)
コーヒーは甘くコクがあり、しかもピスタチオなどミニクッキーが3種類あって嬉しかったですね♪


↑コーヒー等

レストラン鯛萬のランチは大満足のコースでした♪

なお、赤のグラスワインは1080円でしたね♪
それから帰る際には、このお店の写真等の美しい絵葉書を3枚頂きました♪
旅行中と伝えていたので、気を遣って頂いたのでしょうか。

 上質なフレンチを上質な空間と接客の中で頂け、レストラン鯛萬はとてもオススメです♪

美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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松本東急REIホテルのシャングリ・ラ(松本市)での朝食はとてもオススメ!

2017年09月12日 01時00分00秒 | 外食
 長野県のJR松本駅近くの東急REIホテルの1階にあるシャングリ・ラで朝食を楽しみました♪


↑ホテルの建物


↑店の入口


↑店の前の朝食の案内

 実は宿泊客以外も利用可能で、しかも税込1300円で、安全・安心をテーマに地元食材をふんだんに使った和洋ビュッフェを食べ放題とは、ヘルシーでリーズナブルでとても嬉しいですね♪

 まず入口で支払いをして、好きな席に座り、支払い時にもらった席確保のプラスチックの札をテーブルの上に置きます♪

そして好きな食べ物と飲み物を選びます♪


↑店内

 その地元産としては、トマト・きゅうり・ブルーベリーの旬野菜だけでなく、山形村産長芋とろろ、地元小松屋の豆腐、おやき、五平餅、信州そば、野沢菜、わさび漬け、塩丸イカなど盛りだくさんでした♪


↑ごろごろ丸ごと野菜


↑山形村産 長芋とろろ


↑小松豆腐店の枝豆腐


↑信州名物おやき


↑五平餅など


↑信州蕎麦


↑野沢菜・わさび漬け等


↑塩丸イカ等

 そして、特筆なのは目の前のミキサーで、ガガガガと2種類の野菜フルーツドリンクのスムージーが作られ、それを飲むことができること♪
今回は、黒酢・ブドウ・ベリー・ロメインレタスのハニービネガードリンクと、バナナ・ハチミツ・ミルク・セロリのドリンクの2種類でしたね♪
素晴らしい♪
しかもヘルシーで美味しい!!
バナナ・ハチミツの方は、ハチミツがたっぷり入っているせいか、自宅で作るスムージーよりかなり甘く感じましたね♪


↑野菜フルーツドリンクの案内


↑2種類野菜フルーツドリンク

 また、チョコレートファウンテンがあるのは女性や子供には嬉しいと思います♪
これを使ってバナナなどをチョコレートで黒くしてくのは楽しくなってしまいます♪


↑チョコレートファウンテン


↑チョコレートとコーヒー

そのほか、タケノコご飯や、味噌汁、温泉卵、サラダ、フルーツ、デザートなどをGETすると、テーブルの上は、豪華になりましたね♪


↑頂いた朝食♪

 東急REIホテルの1階にあるシャングリ・ラで朝食の朝食は、税込1300円とリーズナブルに、そしてヘルシーに美味しくお腹いっぱいになり、とてもオススメです♪

美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【湯島】(①御茶ノ水~太田姫稲荷編)はとてもオススメ!

2017年09月11日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が日帰り旅行で企画する江戸ぶらり小地図ウォーキングの「湯島」へ参加してきました!

 前回「両国」編「吉原」編「深川」編に参加して良かったので、今回は「湯島」編に参加しました♪

 9:30にJRお茶の水駅の聖橋口近くに集合し、古地図などの資料が配られて江戸ぶらり古地図ウォーキング【湯島】「将軍家献上の水・江戸の用水を学ぶ」が始まりました♪


↑古地図

 今回はあまり古地図の説明はありませんでしたが、地図にある太田姫稲荷や神田明神、湯島天神、麟祥寺(春日の局の菩提寺)、前田家上屋敷跡の東京大学の赤門などを見るコースとなります♪

そしてあらかじめ資料をささっと読んで、ガイドの説明に備えます♪
今回のガイドは四宮さんで、先祖は信濃の国の4番目の宮(神社)の関係者のようです。
当時は各国に、一宮、二宮、三宮、四宮と神社があり、大事にされていたようです。
多い国では六宮もあったようです♪
知らなかった!
今回のガイドさんもかなりの勉強家でいろんなことを知っていてとても勉強になります♪


↑カラー写真付き資料


↑カラー写真付き資料


↑今回の説明資料


↑今回の説明資料

ガイドさんは昔の室町時代後期の地図を取り出し、江戸はかなり湿地帯だったことを説明してくれます。


↑ガイドさん説明の地図

日比谷の辺りまで入り江で海であり、神田山があります。
この辺りは駿河台といいますが、その由来は駿河にある富士山が見えたからとも、駿河から移住して来た人がたくさん住んでいたからとも云われているようです。
江戸時代初期に日比谷を埋め立てるために駿河台を削ったと聞いたことがあります。

 この駿河台は江戸城に近く、武家屋敷だったとのことです。
そしてその屋敷はそれぞれ広く、明治維新の際に政府に土地が返還された後は、大学等になったようです。
だから、この辺りは大学が多いんですね。

 ちなみに武家屋敷には住所すなわち町名がないのが特徴のようです。
その代わり必ず坂に名前があり、武家屋敷の場所を地図等で示す際には、○○坂脇と表示されたようです。
ナルホド!
逆に云うと町名がある場所は、町人が住む場所だったようです。

 お茶の水駅近くい「お茶の水」の石碑がありました♪
将軍家への献上の水は、神田山のふもとに高林寺があり、その庭から良い水がわき出たのでお茶として将軍秀忠に献上したところ、美味しいとお褒めの言葉があったので「御茶の水」と云われるようになったようです。
当時は衛生状態が良くなかったので、衛生的な「わき水」は貴重だったようです♪


↑お茶の水の石碑


↑お茶の水の説明

それから「大久保彦左衛門」の屋敷跡の石碑がありました♪
大久保彦左衛門は、徳川家康や秀忠、家光に仕え天下のご意見番として有名だったり、自分の出世を顧みず常に多くの浪人たちを養って就職活動に奔走して人気だったようです。
特に大久保彦左衛門は旗本以下で駕籠には乗れない身分だったので、一心太助の助言により「大だらい」に乗って江戸城に登城したという逸話があるようです♪
大久保彦左衛門は「三河物語」も著し、当時の様子がよく分かるようです。
墓所は岡崎市、京都市、東京都の白金にもあるようです。


↑「大久保彦左衛門」の屋敷跡

それから、「太田姫稲荷」へ行きます♪
まずガイドさんから当時の稲荷の番付を見せてもらいます♪
当時は、温泉とか神社などの番付が流行ったようです。
この「太田姫稲荷」は一番上の前頭にある通り、人気の稲荷だったようです。
たくさんの稲荷があるんですね。


↑太田姫稲荷


↑太田姫稲荷


↑太田姫稲荷の説明

そもそも稲荷は五穀豊穣を司る神で、その由来はキツネが米を食べてしまうネズミを退治し、そしてキツネの尻尾が稲に似ているからのようです。
キツネはネズミを退治するので大切にされていたようです。
ちなみに猫は仏教伝来とともにかなり後に日本に伝わったようです。
寝る子だから「ネコ」とのこと♪

それから、家の中では蛇(特にアオダイショウ)がネズミを退治するので神様として祀られていたようです。
ナルホド!

なお、この太田姫稲荷は、室町時代中期に太田道灌の娘(姫)が、ホウソウ(天然痘)に感染して生死をさまよい、太田道灌が京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)に回復を祈願して治癒したことから、このことに感謝し、この稲荷神社が江戸城内に造られたとのことです。
江戸時代も代々の将軍が崇敬していたようです。
なので太田姫稲荷なんですね♪

ちなみに太田氏は、関東管領の上杉氏とともに鎌倉時代に丹波から移住して来たよようです。
ちなみに日本人は暗殺された太田道灌や源義経のように悲劇の武将が人気なようです。

それから、ギリシャ正教のニコライ堂を少し見て、聖(ひじり)橋の方へ向かいます♪
聖橋というのは、そのニコライ堂と湯島聖堂と、両聖堂の間にあるからそう名付けられたようです♪


↑ニコライ堂

工事中の聖橋を渡っていきます。


↑聖橋を渡る

ガイドさんが、その神田川の浮世絵を見せてくれますが、この構図が西洋に多大な影響を与えたとのことでした。


↑神田川の浮世絵

次回は「②湯島聖堂~妻恋神社編」です♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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