<金曜は本の紹介>
「ぐるり一周34.5キロ JR山手線の謎(松本典久)」の購入はコチラ
この本は、東京の中心をぐるりと回り、最頻で1時間に25本もの列車が運行し、1日に約550万人とも言われる乗客を運んでいるJR東日本の山手線(やまのてせん)について、面白く詳しく書かれた本です。
山手線の来歴や推移、現状を紹介するとともに、29のそれぞれの駅についての歴史やエピソード、駅周辺の見どころなどを紹介しています。
よくまとめられた本だと思います。
特に、代々木駅から渋谷方向に行く場合に左側にあるホームは何だろう?と思っていましたが、皇室専用だとは知りませんでした。
また、発車メロディーの由来等も分かって面白かったです。
それから以前紹介した
「山手線ぐるり おみやげ散歩(伊藤美樹)」と合わせて、山手線を楽しむのはベターかと思います!
「ぐるり一周34.5キロ JR山手線の謎(松本典久)」は、とてもオススメな本です!!
以下はこの本のポイント等です。
・山手線は、新宿や池袋、渋谷、東京といった繁華街をぐるりとつないで29の駅を結んで走る、日本でも屈指の混雑する路線である。この29駅のうち26駅までが、JR東日本管内の乗車人員ベスト100にランキング。ベストテンには、先に紹介した駅のほか、品川と新橋、秋葉原、高田馬場がカウントされている(いずれも2008年度)。営業キロにして全長34.5キロ、駅の数は29。環状になったこの路線を、電車はおよそ1時間で一周している。
・山手線は、ぐるり1周すると34.5キロ。その間に29駅ある。それを均等割すると、駅間は平均約1.19キロであり、ずいぶん近い。最長でも〔田町〕~〔品川〕間の2.2キロだ。最短ともなると、〔西日暮里〕~〔日暮里〕間の0.5キロである。山手線の車両は1両が約20メートルの11両連結なので、1編成は220メートルの長さとなる(連結部を除く)。発車して最後尾の車両が駅を離れたときには、先頭車両は駅間の半分に達しようとするほどの至近距離である。この線路上を、平日8時台にはなんと24~25本が運行されている。ほとんどの駅間に1編成が走っている計算となる。それだけの本数の列車が線路上にあると、仮に内回りでも外回りでも全部を合わせると約5キロの線路が列車で埋まっていることになる。これは山手線全長34.5キロの7分の1にも及ぶ
・101系が投入された時代、山手線は最大8両編成で運転されていた。しかし、将来に向けた先行投資として、1965年からホームの長さを延ばし、また〔新宿〕〔代々木〕〔渋谷〕〔目黒〕〔大崎〕〔巣鴨〕などの各駅ではホームの幅を広げるといった改良工事も行い1968年10月から一部列車を10両編成として運転を始めた。10両編成での運転は混雑緩和には効果が高く、その後徐々に10両化が進められ、1971年4月20日以降はすべて10両編成で運転されるようになった。
・現在、山手線は「やまのてせん」と読む。これは、もともとは東京の”山の手”を走るところからつけられた名称で、明治、大正、昭和とこのように呼ばれ続けてきた。しかし、「やまてせん」と呼ばれていた時期があった。終戦直後、「GHQ」として知られる連合国軍総司令部の指示で、鉄道施設や道路標識にはローマ字併記が求められた。このとき、国鉄では山手線に「YAMATE」と記してしまったのである。当時のことを知る人によると、国鉄部内では山手線の略称として「やまて」と呼ぶことがあったそうで、それがそのまま表に出てしまったわけだ。また一説では、米国人が発音しづらい「やまのて」を嫌い、「やまて」としたともいわれている。以後、「やまてせん」の読みが定着していく。その後、国鉄では駅名のみならず線名に対しても正式な読みを制定することになり、1971年2月26日に公示、3月7日から実施された。このとき、「やまてせん」は本来の意味である「やまのてせん」となったのである。しかし、人々の習慣はおいそれと変わるものではない。1975年に新宿西口にオープンした「ヨドバシカメラ」のCMソングでは「回る緑のやまてせん~」と歌われた。四半世紀余り「やまてせん」が使われてきたので、こちらのほうがなじみがあったのである。結局、このCMソングの歌詞が「やまのせてん」になるのは平成に入ってからである。
・〔大崎〕駅に近い東京総合車両センターには御料車庫がある。御料車とは、天皇・皇后をはじめ皇族が乗る特別車両のこと。「お召し列車」として運行するときには、この特別車両を連結する。2008年11月に両陛下とスペイン国王夫妻が乗車し、新型お召し列車として初めて運行されたハイグレード車E655「なごみ」が記憶に新しい。JR常磐線〔上野〕~〔土浦〕間を6両編成で運行されたが、普段は特別車両の1両を除いて5両編成のジョイフルとレインとして使用されている。
・実は山手線には2009年現在、〔駒込〕~〔田端〕間にたった一つだけ踏切がある。「第二中里踏切」という名前である。〔駒込〕駅から線路沿いに〔田端〕駅方向に歩いていくとある。山手線の列車が踏み切りを通過するのを見るのも一興なので、一度訪ねてみてほしい。
・〔代々木〕駅から〔渋谷〕駅方向に行く場合は左の車窓、逆に〔原宿〕駅から〔代々木〕方面を目指す場合には右の車窓に、木々に囲まれた短い、低いホームがあるのを目にする。車両が停まっていることはまずない。実は、このホームは「宮廷ホーム」といい、皇室専用なのだ。正式には「原宿駅側部乗降場」といい、いわゆるお召し列車が発着するときのみに使用されるホームである。このホームが設けられたのは1926年のこと。当時病弱だった大正天皇のためにつくられたものである。ただ近年、お召し列車の運行そのものが激減し、2001年8月に今上天皇が使われて以来、今日まで使用されていない。
・山手線は屈指の利用客の多い路線であり、こうしたラッピング広告を出すのもさぞやお金がかかりそうだと想像できよう。ジェーアール東日本企画という広告会社があり、そこでJR東日本車両の広告も扱っている。同社の資料によると、ラッピング広告(車体広告)の料金は、山手線11両1編成の車体に広告を出して12週間運行したとすると、1600万円となっている。単純計算だが、1日あたり20万円弱である。参考までに記すと、全国紙の全面広告の広告料は1回数千万円といわれる。なお山手線以外の路線も同様な広告が可能だが、料金は山手線の半額以下である。
・山手線の各駅では現在、固有のメロディーのほか、いくつかのパターンの発車メロディーが使われているが、〔上野〕と〔新大久保〕の2駅のみ依然としてベルが使われている(〔上野〕駅の一部のホームはメロディー)。ただし、電子電鈴と呼ばれる、電子音化したベルの音色である。〔上野〕駅は、日本で最初のベルが導入された駅であり、その矜持からあくまでも「ベル」にこだわっているのかもしれない。また、帰省列車の始発駅というノスタルジックなイメージを保っているということでもあるようだ。
・山手線各駅では、すべて同一の発車メロディーが使われているわけではなく、いくつかのパターンで使い分けている。その中で耳になじみやすいのが、よく知られたメロディーのもの。〔高田馬場〕駅の「鉄腕アトムの主題歌」、〔恵比寿〕駅のエビスビールのCM挿入曲である「第三の男のテーマ」、〔駒込〕駅の「さくらさくら」など、一瞬耳に入ってくると、「おっ」という軽い驚きをおぼえることもある。なお現在、発車メロディーの選択基準については、特に決まったものがあるわけではない。駅と周辺の商店街などの地元とで協議するなどして決めているそうだ。
・〔品川〕駅は、山手線の起点駅でもある。山手線の路線上の起点と終点は、運行上の始発・終着とは異なる。ちなみに運行上の始発は〔大崎〕〔池袋〕〔田町〕の各駅で、終着は〔大崎〕〔池袋〕〔品川〕の各駅となっている。
・〔高田馬場〕駅では、発車メロディーが「鉄腕アトム」のテーマ曲。高校野球の応援歌としても、しばしば耳にするこのメロディーが用いられた背景には、名作「鉄腕アトム」の生みの親である手塚治虫の主宰したプロダクションが高田馬場にあったことに由来する。2003年春から使用されて以来、現在ではすっかりこの発車メロディーが定着したが、当初は期間限定の予定だったらしい。
・発車メロディーとして童謡「さくら さくら」を用いている〔駒込〕駅。この発車メロディーからもわかる通り、山手線としては珍しい自然豊かな駅である。駅にほど近い染井吉野桜記念公園には「染井吉野櫻発祥之里・駒込」という碑が建つ。
<目次>
はじめに
第1章 山手線はいつからエンドレス?命名100周年、山手線のおもしろ知識
命名100周年の山手線
数字でおさらいする山手線の現状
ウグイス色電車のルーツは103系電車
山手線は「やまのてせん」か「やまてせん」か
時代を映す「省エネ」を重視した山手線電車登場
ヒューマンエラーを防ぐための数々の工夫
山手線の運賃と乗車客数の移り変わり
山手線の駅が舞台となった歴史的事件
山手線沿線に残る鉄道名所・珍風景を訪ねて
山手線のボディカラーと発車メロディー
コラム 知ってビックリ! 山手線のウンチク 旧国鉄色のままに今も走っている101系
第2章 汽笛一声の陸蒸気から山手線まで
日本最初の鉄道が明治5年に開業
日本最初の巨大私鉄・日本鉄道の誕生
「品川線」としてまず建設された山手線
山あり谷ありで難航を極めた品川線の工事
〔新橋〕~〔田端〕~〔上野〕間の「C」字形が完成
国有化が進められた複雑な事情
国鉄オリジナルの電車が初めて走る
中央線直通で誕生した「の」の字運転
いよいよ、ぐるり1周する環状運転開始へ
コラム 知ってなるほど! 山手線の歴史
山手線はいつから複線化したか
山手線の電車初乗記に見る電車の乗り心地
第3章 山手線29駅物語
品川 ◎ ゴジラが日本に初上陸した
プレート(?)が残る、山手線最古の駅
大崎 ◎ 運転士が乗り変わる、山手線の捕手整備の駅
五反田 ◎ 東急池上線を通せん坊したような線路配置
目黒 ◎ 住民の反対で目黒区ではなく品川区に建設
恵比寿 ◎ 発車メロディーに恵比寿駅の歴史が示されている
渋谷 ◎ 現在は流行発信地も、開設当時は寂しい村の田畑のなか
原宿 ◎ 80年以上の歴史を持つ、都内最古の英国調木造駅舎
代々木 ◎ ホームにある段差で、スムーズな乗換えを可能に
新宿 ◎ 日本一の乗降客数を誇るも、開業当初は乗客ゼロを記録
新大久保 ◎ 現在では多く見られる「新○○駅」という駅名の走り
高田馬場 ◎ 国民の忠孝思想の育成のために命名?
目白 ◎ 赤羽線が分岐する〔池袋〕駅の役割を担うはずが・・・・・
池袋 ◎ 蛍が飛び交う寂しい地にできた新駅
大塚 ◎ 往年の繁華街は、今も下町の面影を残す
巣鴨 ◎ 中山道と交差する交通の要塞に設置された駅
駒込 ◎ 桜やツツジにちなむ花いっぱいの駅
田端 ◎ 広大な操車場をホームから望める、鉄ちゃんの聖地の1つ
西日暮里 ◎ 60年ぶりに誕生した山手線最新駅
日暮里 ◎ 消えた5~8番線ホーム
鶯谷 ◎ 山手線が走っているのに、戸籍上は山手線の駅ではない!?
上野 ◎ かつては乗車人員ナンバーワンも、その名残は巨大な建物のみ
御徒町 ◎ 環状運転の始まりとともに開業した新駅
秋葉原 ◎ 「あきはばら」なのか「あきばはら」なのか?
神田 ◎ 日本最古の地下街が残る、「の」の字運転とともに開業した駅
東京 ◎ 皇室専用施設もある日本の中央駅
有楽町 ◎ 開業当時の高架線、レンガづくりが今も残る
新橋 ◎ 新橋・汐留・烏森・・・・・、どれも新橋にある駅が名乗った駅名
浜松町 ◎ 季節ごとに着替えをする小便小僧が旅人の心を癒す
田町 ◎ 通勤のプロが巧みに乗り換えに利用する駅
コラム 山手線各駅のヒミツ
「鉄道の父」といわれる井上勝が眠る墓
渋谷名物の忠犬ハチ公像
〔代々木〕駅周辺は緑豊かな都会のオアシス
進化する街・新宿の駅周辺の見どころ
〔高田馬場〕駅付近限定の「アトム通貨」
明治~大正期には小説家や芸術家のたまり場となっていた
ハイテクの街・秋葉原だけに駅の設備も先進的?
待ち合わせの「銀の鈴」は、現在4代目
東京都のシンボルである太田道灌像が立つ
〔新橋〕駅前のSLは1日3回汽笛を鳴らす
面白かった本まとめ(2010年上半期)
<今日の独り言>
健康的な食生活や歩きをするようになって、体重が20kg以上も減り、体脂肪計も「やせすぎ」表示になってちょっと最近危機感を感じます・・・^_^;)これって、もしかして拒食症??でもがんがん食べているんですけどね・・・。カレーお代わりするし・・・。高校時代の体重に戻っただけだと信じています^_^;)