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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【浅草~吉原~三ノ輪】(①隅田川沿い~待乳山聖天宮編)はとてもオススメ!

2017年07月31日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が日帰り旅行で企画する江戸ぶらり小地図ウォーキングの「浅草~吉原~三ノ輪」へ参加してきました!

 前回は「両国」編に参加して良かったので、今回は「吉原」編に参加しました♪

 午前10時に東武浅草駅前に集合し、まず古地図と今回のコース説明資料が配られます♪


↑古地図

 次に古地図を見ながら簡単に説明があり、今回は隅田川を上流に向かって歩き、山谷堀跡の公園を通って吉原に行くコースになるとのことでした♪

 江戸時代の頃は、神田川が隅田川と合流する柳橋からお金持ちは猪牙舟に乗って隅田川を上り吉原に行っていたとは聞いていたのですが、その隅田川上流に山谷堀があり、吉原大門近くまで堀が通っていたとは知りませんでしたね♪
これは吉原通いが楽で良いです^_^)
そのため当時は吉原通いのことを別名「山谷通い」とも言っていたようです^_^;)


↑コース説明資料


↑コース説明資料

 それから配られたコース資料を読むと今日のコースは以下とのことでした♪

(1)隅田川沿い
(2)待乳山聖天宮
(3)今戸神社
(4)山谷堀切(山谷堀公園)
(5)吉原の見返柳
(6)吉原神社
(7)樋口一葉記念館
(8)浄閑寺

 さっそくウォーキングが始まります♪

 参加者はイヤホンでガイドの話が聞けるので、ガイドからかなり離れていてもその話し内容が聞けるのは素晴らしいですね。
今回のガイドは「当たり」で、かなり詳しく調べているようで、次から次へと説明してくれます。

 元々、荒川や利根川は江戸湾(東京湾)に流れていたので、江戸は洪水が多くかなりの湿地帯だったようです。
そのため徳川家康は荒川や利根川の流れを変え、そして吉原近くに山谷堀も作って水を通すようにしたとのことです。

 また、実は吉原は現在の浅草近くではなく、人形町近くにあったようです。
1611年の大阪夏の陣の1年前にそもそも人形町に吉原が造られたようです。
当時は女性が少なく男性ばかりだったので、いろいろな場所に岡場所が造られていたのですが、それでは風紀が乱れるという理由で、公認の場所として人形町にまとめて一カ所に遊郭が造られたとのことです。

 なぜ吉原という名称になったかは2説があり、東海道の宿場町に吉原があり、そこから来た人が人形町に町を造ったので吉原、もう一説はこの辺りは「葦(よし)」が原っぱのように生い茂る場所だったので「吉原」という説の2つようです。

 そうして約50年弱の間、人形町の吉原は繁栄したようですが、1657年に明暦の大火があり、江戸城を含めて江戸の約60%が焼けてしまい、この人形町の吉原も焼けてしまったようです。

 この大火を教訓として、大名屋敷等は郊外に移ることとなったのですが、吉原については幕府が金を出すからということで、現在の浅草近くに移転することとなったようです。
そのため浅草近くの吉原のことを「新吉原」とも呼ばれるようです。

 その吉原は文化も発展させたようです。
特に吉原の花魁などの浮世絵は当時よく売れたようで、蕎麦1杯が20文でしたが、その浮世絵1枚が20文で飛ぶように売れたようです。

 また経済も発展し、江戸で1日千両動く場所としては、この吉原のほかに日本橋の魚河岸、両国辺りの演劇の3つしかなかったようです。

 吉原は疑似の夫婦を味わえる夢空間で、吉原の大通りには春は桜など季節の花が植えられ、闇夜でも吉原だけは明るかったようです。

 女性は奉公として16歳から26歳まで働き、その後は吉原の外に出ることができたようです。
とはいえ吉原の女性の平均寿命は21歳だったというのは過酷だと思います^_^;)


 まず隅田川上流に向かって歩きますが、この日は天気がよく、また適度に風もあり清々しい日で、隅田川の対岸に東京スカイツリーがきれいに見えましたね♪


↑東京スカイツリー

ゴールド色のアサヒビールのビルも見えますが、とあるスポットではちょうどスカイツリーがそのビルに反射して見えて、人気なようです♪
私もさっそく写真に撮ってみましたね♪
なかなかおもしろいと思います♪


↑アサヒビールのビルに写る東京スカイツリー

それから言問橋(ことといばし)の横を通ります♪
「言問」とは在原業平が詠んだ歌にちなむようです。
言問橋は関東大震災の復興として建設されたものですが、昭和20年3月10日の東京大空襲では言問橋でかなりの方が亡くなってしまったとのことで、近くの墨田公園にはその碑がありましたね。
浅草方面の人は言問橋を渡れば助かると思い、その反対側の向島・本所方面の人も言問橋を渡れば助かると同じことを考えたため、両住民が橋の上で合流してしまい、身動きができなくなり、その上に焼夷弾が落ち、火炎旋風が襲いかかって千人以上が亡くなったようです。
手を合わせて冥福を祈りました。


↑墨田公園の戦災碑


↑碑の説明

それから「春のうららの隅田川~」という有名なメロディーの「花」という歌がありますが、武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲とのことでその碑がありましたね♪
「花」は羽衣28歳、廉太郎21歳の時に作られたとのことで、現東京芸術大学のそれぞれ教授・助教授だったとは若い!
滝廉太郎は肺結核で24歳の若さで亡くなってしまいますが、天才だったんですね。


↑花の碑


↑花の歌詞


 そして「待乳山(まつちやま)聖天(しょうでん)宮」へ行きます♪


↑待乳山聖天の入口

待乳山は推古3年(595年)9月に地中から忽然と湧き出た霊山とのことです。
浅草七福神の一つの社です。


↑本堂方面

ここが面白いのは、大根や巾着が印されていることですね♪


↑大根や巾着の印

またお供え用として大根が1本250円で売られているのには驚きました♪


↑お供え用の大根

大根は深い迷いの心、怒りの毒を表し、大根をお供えすることによって心の毒を清めてくれるようです。
その功徳によって心身を健康にし、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を加護してくれるとのことです。
また巾着は財宝を表し、商売繁盛・事業繁栄の御利益があるとのことです。
なるほど♪
ちなみに、1月7日には風呂吹き大根と御神酒が振るわれる大根祭りがあるようです♪

それから江戸時代の建造物の築地塀(土塀)があるのは素晴らしいと思いました♪
貴重な文化財で、安藤広重の錦絵にも描かれているようです♪
名古屋市の熱田神宮にある戦国時代からの信長塀と似ていると思いましたね♪


↑築地塀


↑本殿

そして、待乳山は小山で隅田川から目立ち、また待乳山からは隅田川を望む絶好の景勝地で、浮世絵などにたくさん描かれたようです♪


↑当時の浮世絵等


↑現在の景色

次回は「②池波正太郎生誕の地~山谷堀公園編」です♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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日本橋川・等クルージング((3)小名木川~日本橋編)はとてもオススメ!

2017年07月28日 01時00分00秒 | イベント・外出
今回は日本橋川・神田川等クルージング((2)神田川~隅田川編)の続きとなります♪

そして清洲橋の下は通らずに、左の方へ曲がり小名木川へ向かいます♪
小名木川との合流の左側には芭蕉庵史跡展望庭園があり、芭蕉像も見えます♪


↑芭蕉庵史跡展望庭園

松尾芭蕉は奥の細道など旅する俳人で有名ですが、今では実は忍者のスパイ説が濃厚なようです。
というのは、伊賀の出身で母方は有名な忍者の頭領だったようですし、1日50km歩くこともあったようで、忍者でなければ務まらないようです。
また、仙台の松島に行きたいと言いつつ松島には素通りで、仙台藩の造船所を何日も監視していたようです^_^;)
実は諸国遍歴は各大名の様子を探るのが目的だったんですね。
そうかもしれません。

そして小名木川を進みます♪


↑小名木川

小名木川は運河のためかとても波が静かで驚きました♪
これは航海は楽で良いですね!
この運河の価値がよく分かりました。

 小名木川はそもそも千葉県の妙典の塩を運ぶのが目的でまず最初に造られたようで、妙典の塩を約10kmかけて江戸へ運ぶだけで1日300隻も通行していたとは驚きです♪
まあ武田信玄と上杉憲信の戦いでも塩がポイントだったように、江戸幕府も塩の輸送は重要だという認識だったようです。
そのため江戸中期以降には小名木川の川幅を広げたようです。

また、成田山参詣にもこの小名木川は利用されたようです。

ちなみに実は小名木川は昔の海岸線だったようです。
ここから河口に向かって江戸時代から現代に至るまで広大に埋め立てられているとは、本当に驚きです♪


↑小名木川

そして大横川の所でUターンしますが、おぉぉ東京スカイツリーが美しい♪
ここからも感動ですね♪


↑東京スカイツリー

そして隅田川を目指し小名木川を進みます♪
この辺りは当時は松の景勝地でもあったようで、松の木が植えられていましたね♪
松の木が同じ高さではないのは、波を表しているためとのことです♪


↑松の木が植えられた小名木川

そして右側に大きく少し不気味なシーラカンス像がありましたね♪
とはいえ、このシーラカンスのテーマは行き交う人々の安らぎとのことです^_^;)


↑シーラカンスの像

そして清澄白河の辺りを通りますが、この辺りは両国に近いこともあり、相撲部屋が多いようです。
今は名前が変わりましたが、北の海部屋や大鵬部屋などもあり、現在では小名木川の左側に高田川部屋のビルが目立っていましたね♪


↑高田川部屋のビル

そして、隅田川に戻り、青い清洲橋が美しいです♪
橋の国の重要文化財は3つしかなく、そのうち2つはこの隅田川にあり、清洲橋と永代橋とのことです♪
この清洲橋はドイツのケルンの美しいヒンデンベルク橋を参考に造られたようです♪


↑清洲橋

それから隅田川の左側にシェアホテル リューロがありまた♪
最近できたホテルですが、規制緩和で護岸の上にカフェを建てることができたとのことで注目を集めているようです。
かなり綺麗で、ドミトリーで1泊2400円ぐらいから泊まれるようです♪
清澄白河駅や水天宮前駅から徒歩約10分のようです♪
今度見学やランチ等で行ってみたいですね。


↑シェアホテル リューロ

そして、振り返ると、青空の下、清洲橋と東京スカイツリーが美しかったですね♪
これは素晴らしい♪


↑清洲橋と東京スカイツリー

それから隅田川の右側には大きなリバーゲートというビルがありました♪
真ん中の下の方に大きな空間があるのが珍しいです!
日照権を解決するためにこのような構造となっているようです。
珍しく住居用が下の階にあり、オフィスが上の階とのことです^_^)


↑リバーゲート

そして、永代橋に近づきます♪
赤穂浪士が両国の吉良邸で討ち取った後に、この近くにあった永代橋を渡って泉岳寺へ向かったというのは有名な話のようです♪
永代橋のバックの佃島のウォーターフロントのビル群も青空の下、美しい♪


↑永代橋

永代橋を渡ると、中央大橋が右手に見えて、より佃島のウォーターフロントが美しく見えます♪
このマンションは億ションとのことでしたね^_^)


↑佃島のウォーターフロント

それから左手に「ヤマタネ」のビルがありますが、第二次世界大戦中は陸軍の土地だったようです。
敗戦が決まると金塊やプラチナ等をこの辺りの海に捨てて隠したとのことでしたが、戦後すぐに米軍が引き揚げてしまったようです^_^;)
いったいどこへ行ってしまったのでしょうね。


↑ヤマタネのビル

中央大橋にはメッセンジャーというモニュメントがありました♪
パリ万国博覧会のものを贈られたようです。
というのは、隅田川とフランスのセーヌ川は1989年に友好河川として提携したとのことで、当時のパリ市長であったジャック・シラクから贈られたとのことで、そのお礼としてはパリ市に屋形船を寄贈したとのことです♪
ちなみにこの中央大橋は1993年8月26日にレインボーブリッジと同日に竣工したようです。


↑中央大橋


↑メッセンジャー

そして、中央大橋を通り過ぎると、水準原点がありました♪
これで東京湾平均海面を計測しているのでしょう。
面白い形をしていると思います♪


↑水準原点


↑水準原点

そして亀島川水門を通って、亀島川へ入ります。
この水門の鉄の扉は60tもあるとのことで、凄いですね♪


↑亀島川水門

途中から亀島川を東京スカイツリーに向かって進みます♪
周りの葦の緑も美しい♪


↑亀島川を東京スカイツリーに向かって上る

ちなみに葦(あし)は悪しにつながるので、葦(よし)は良し呼ばれがちだったようです^_^)

この辺りは江戸時代には蔵が建ち並び、遠くには富士山が見えていたようです♪
その浮世絵が毎日新聞のビルに描かれていましたね♪


↑当時の浮世絵

そして日本橋水門を通って、日本橋川を上り、いよいよゴールの日本橋に近づきます♪


↑日本橋水門

また首都高の下を通ることになります♪


↑茅場橋

左側には東京証券取引所のJPXビルも見えてきました♪


↑JPXビル

そして江戸橋ジャンクションの下を通ります♪
最近、この江戸橋ジャンクションは外国人にとても人気なようです。
川の上に3連の首都高が通り、その形状が珍しいためのようです♪
確かに、川の上というのは珍しいかもしれませんね♪


↑江戸橋ジャンクション

そして、日本橋へ到着です♪
ちょうど予定通り12時ちょうどに到着しました♪


↑日本橋へ


日本橋川・神田川等クルージングは、天気がよくて気持ちよくクルージングを楽しめ、また解説も面白くて、改めて歴史等の勉強になりましたね♪

とてもオススメです!

お勧めなお話(2017年上半期)

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亀清楼(東京 柳橋)のランチはとてもオススメ!

2017年07月26日 01時00分00秒 | 外食
 創業安政元年と老舗で、あの大相撲の横綱審議会も開催される念願の亀清楼でランチを楽しみました♪
場所は東京の両国橋や柳橋の近くとなります♪


↑店構え

 さすが玄関から掃除が行き届いていて綺麗で、二階の畳の席に案内されますが、座椅子が少し高いので足が痺れることなく座れ、しかも背もたれもあるので楽です♪


↑玄関


↑店内

 また案内してくれる方は全員和服の女性で品があり、さすがですね♪
 窓からは、右側に柳橋や屋形船がある神田川、左側奥に大きな隅田川や両国橋が見えます♪


↑柳橋や屋形船


↑隅田川や両国橋

江戸時代には、この辺りは両国の花火大会などで賑わい、またこの辺りから猪牙舟(ちょきぶね)等に乗って歓楽街の吉原へ行っていたとは、想像が膨らみます(^_^)
当時のお金持ちは、道路ですれ違う人に顔を見られたくないということもあり、ここから船に乗って吉原へ行っていたようです♪


↑メニュー

メニューを見てどれを選ぶか悩みますが、美味しそうな天ぷら御膳1800円を注文します♪
お絞りが、超熱い♪
またほうじ茶もアツアツで、これらの熱さは嬉しいです♪

しばらくして、天ぷら御膳が運ばれますが、想像以上に天ぷらがボリュームがあり、そして盛り付けが美しくて素晴らしい♪
もちろん天ぷらはサクサクで、大根おろしと生姜も上質さを感じ天汁に溶かして合わせて美味しい♪
大きなエビが3本ありましたね♪
また漬物も上質だし、赤出汁もさすがちょうど良い出汁で美味しい♪
さすが横綱審議会が行われるほど上質なお味です♪


↑天ぷら御膳

十分美味しく天ぷら御膳を堪能しました♪
途中で熱いお茶と取り替えてくれるのもさすがだと思いましたね♪

それから最後に紅茶のフレーバーティが運ばれたのには驚きました^_^;)
和食なのに紅茶なんですね(^_^;)
お店の方に訊いてみると、日によって違うようで、羊羹の時もあるようです♪
でもさすが、フレーバーティは香りが濃厚で美味しい♪


↑フレーバーティ

亀清楼のランチは、美味しい和食を堪能でき、とてもオススメです♪

美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【浅草橋~両国】(④旧安田庭園~東京都慰霊堂編)はとてもオススメ!

2017年07月24日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「③勝海舟生誕の地~回向院編」に引き続き、「④旧安田庭園~東京都慰霊堂編」について紹介したいと思います♪

 旧安田庭園へ行きましたが、現在工事中とのことで残念ながら中に入ることはできませんでした。

 元は本庄松平氏(常陸笠間藩)の下屋敷の大名庭園で、明治時代に安田財閥の創始者「安田善次郎」の所有となったようで、現在は明治時代の代表的な庭園として東京都の「名勝」に指定されたようです。
無料で入れるようで、工事が終わればいつか行ってみたいと思います♪


↑旧安田庭園


↑旧安田庭園


↑旧安田庭園の説明


それから最後に横綱町公園にある東京都慰霊堂へ行きました♪


↑横綱町公園


↑慰霊堂

 この慰霊堂は1930年(昭和5年)に、関東大震災の身元不明の約5万8千の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として創建され、1848年(昭和23年)より東京大空襲の身元不明の約10万5千の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀しているとのことです。

 関東大震災の際は、この地は被服廠跡で更地だったことから、罹災者の避難場所となったようです。
多くの家財道具が持ち込まれたことから、火災がそれら家財道具に燃え移り、また火災旋風が起こったため、この地だけで推定で東京市全体の死亡者の半数以上の約3万8千人が亡くなったそうです。
 そのため、この地にこのような災害が二度と起こらないように慰霊堂が建てられたとのことです。

 慰霊堂の中の半分の壁には、関東大震災の様子の大きな絵が飾られていました。
小田原等で津波が発生し、現在の都内等はで火災旋風が起こって甚大な被害を被ったようです。

 また、慰霊堂のもう半分の壁には、東京大空襲後の大きな写真が飾られていて、その悲惨さはとても生々しいものでした。
滅多に見ることができない真実の写真で驚きました。
改めて、災害に対しては克服する必要はありますし、戦争は良くないということがよく理解できました。


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真


↑東京大空襲後の写真

阪急交通社が主催する「江戸ぶらり古地図ウォーキング」は江戸時代等の歴史や地理などを楽しく理解することができ、今回の【浅草橋~両国】はとても良かったですね♪
今度は「吉原編」に参加したいと思います♪
とてもオススメです!

お勧めなお話(2017年上半期)

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日本橋川・神田川等クルージング((2)神田川~隅田川編)はとてもオススメ!

2017年07月21日 01時00分00秒 | イベント・外出
今回は、前回の日本橋川・神田川等クルージング((1)日本橋川編)の続きとなります♪

そして、ようやく神田川に合流すると、首都高速からも解放され、青空が広がって気持ちよくクルージングが進みます♪


↑青空が広がる♪

実は、このクルーズ船の船長は美人船長で、制服姿もビシッと素晴らしかったですね♪


↑美人船長


高いビルの間を通って神田川を下ります♪


↑神田川

途中左側に分水路がありましたね♪
大雨の時に水を逃がすようです。


↑分水路

それから、右側がJRの中央線で、左側がお茶の水渓谷を通りますが、渓谷の緑が美しい♪
確か、昔の浮世絵にも当時のこの場面があったと思います♪
電車ファンにとっても、右側の中央線に電車が通ると嬉しい光景だと思います♪
このお茶の水渓谷辺りの水路の幅は伊達正宗が進言して広げたようで、そのため仙台堀とも呼ばれているようです。
というのは、この渓谷の本郷台地は高い位置にあり、城を攻めるなら高い場所から攻めるのがセオリーであることから、この辺りは実は江戸城の一番のウィークポイントだったため水路を広げたようです♪
こんなに水路が広いと確かに攻めるのは難しいですね^_^)


↑左側がお茶の水渓谷


↑左側がお茶の水渓谷


↑左側がお茶の水渓谷

それからブラタモリで、2本の細い脚で線路を支えて頑張っていると言われた鉄橋も通ります♪


↑頑張っている鉄橋

そして秋葉原近くの万世橋の下を通ります♪
東京駅ができる前は、万世橋の駅舎はかなり立派で、辺りは一番の繁華街だったようです♪
当時の駅舎を利用してショッピングモールとなっているようです。


↑万世橋やショッピングモール

そして右側には柳森神社があります♪
当宇治から立身出世の神社とのことです。


↑柳森神社

そして浅草橋に近づくと、屋形船が増えてきました♪


↑屋形船


↑浅草橋

柳橋に近づくと派手な屋形船もあります♪


↑派手な屋形船

当時はこの柳橋から猪牙船に乗って隅田川を上り、そして吉原へ向かったようです♪
柳橋の前では、小松屋という佃煮屋さんが色々と柳橋の歴史の説明などをしてくれます♪
その娘が三味線を奏で、なかなか良い風情です♪


↑小松屋


↑柳橋をバックに小松屋の説明


↑小松屋の三味線

そして、いよいよ隅田川に到着です♪
さすが、昔は大川と言われるほど広い♪


↑隅田川へ

また、東京スカイツリーが美しい♪
天気も晴天で素晴らしいです♪


↑東京スカイツリー


↑晴天の太陽

隅田川を下っていると、大きな水上バスとすれ違いました♪
お台場からの水上バスとのことで、なんだかオシャレですね♪


↑お台場からの水上バス

そして、右手の立派な明治座の横を通ります♪
歌舞伎座等とも並び、三大演舞の建物のようです。
実は、この場所からナウマンゾウの化石が発掘されたようです。
昔はこの辺りにゾウがいたというのも不思議ですね♪


↑明治座

そして新大橋を通ります♪


↑新大橋

隅田川の景観が良いのは、実は隅田川沿いに高い建物を建ててはいけないという法律があるためのようです♪
知らなかったのですが、素晴らしい景観保護だと思います♪

そして、右手には消防艇が2隻止まっていました♪


↑清洲橋をバックに消防艇2隻

この隅田川には消防艇が9隻しかないようですが、年50回は出動するようです♪
珍しく消防艇のお兄さんが手を振ってくれました♪
嬉しいですね♪


↑消防艇

次回は今回は日本橋川・神田川等クルージング((3)小名木川~日本橋編)となります♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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GINZA SIXの6階にあるスターバックス コーヒー 銀座 蔦屋書店 のコールドコーヒーのNITROはとてもオススメ!

2017年07月19日 01時00分00秒 | 外食
東京の銀座の松坂屋デパート跡に、2017年4月にGINZA SIXという商業施設ができ、そこの6階にCAFÉ付きの蔦屋書店がオープンしていたので行ってきました♪
この蔦屋書店はARTに特化ということで、それはそれで素晴らしいコンセプトで品揃えも良さそうと思いましたが、そのフロアの一角にスターバックス リザーブ バーがあったので行ってみました♪


↑スターバックス リザーブ バー

さすがGINZA SIXで店内はかなり高級感があります♪


↑店内

壁にも明るい飾りがあり素晴らしいですね♪
センスがあると思います♪


↑壁の飾り

初めて訪れたので、受付でどのようなコーヒーを飲みたいか色々訊かれ、そして提案を受けます♪
その中で、このお店では日本で唯一の窒素ガスを使ったコールドコーヒー「NITRO」があるとのことなのでそれを頼みました♪
液体窒素ではなく窒素ガスを使って冷やされているようです。
お値段は豆によって違うようですが、今回はKENYAとのことで約900円でした♪
お値段も銀座^_^;)


↑NITRO

しばらく席で待っていると準備ができたとのことで、カウンターまで案内されます♪
そして色々と説明を受けながらビールのように綺麗なコップにNITROを注いでいきます♪
まさに黒ビール!!


↑NITROをコップに注ぐ


↑NITROをコップに注ぐ


↑注がれたNITROとKENYAのカード♪

さっそく席に戻って飲みますが、上部には生ビールのようにきめ細やかな白い泡で、まさしく生ビール!
繊細を感じます♪
コーヒーは砂糖を入れないブラックにも関わらず、ほんのり甘さを感じてこれは美味しい♪
よく見ると上部の白い泡の下の黒い部分には細かな流れが見えて、とても美しい!!
上手く写真が取れず紹介できないのが残念ですが、とても微小な動きがとても綺麗です♪
暑い夏に、生ビールのような食感で上質でほんのり甘いコールドコーヒーを楽しめて、これはとてもオススメですね!


↑コーヒー豆

なお、このお店ではそれぞれの使用されているコーヒー豆の香りを確認して注文することができましたね♪
また、このお店にはバリスタで優勝した若いイケメンな男性の方もいて、この方はその優勝の特権として、CMなどに参加する権利等が与えられているとのことで素晴らしいと思いました♪
さすがGINZA SIX店!!

それから、他のコーヒーも日本でも唯一などが多く、しかも一杯ずつコーヒーが作られるのを見て、説明を受けることができました♪
一人ひとりの接客にもかなり時間をかけていましたね♪
GINZA SIXの6階にあるスターバックス コーヒーはとてもオススメです!!


美味しかったものまとめ(2017年上半期)

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スターバックス リザーブ バー 銀座 蔦屋書店カフェ / 銀座駅東銀座駅銀座一丁目駅

夜総合点★★★★ 4.0

 
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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【浅草橋~両国】(③勝海舟生誕の地~回向院編)はとてもオススメ!

2017年07月17日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「②両国橋~吉良邸編」に引き続き、「③勝海舟生誕の地~回向院編」について紹介したいと思います♪

両国公園に行くと、勝海舟の生誕地ということでその説明が充実していました♪
勉強になります♪


↑両国公園


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明

勝海舟については特に坂本龍馬等との出会いや江戸城無血開城が興味深いですね。

ここで、お昼ご飯になり、お弁当が配られました♪
9つに分けられ、色鮮やかで嬉しいですね♪
参加者がお年寄りが多いためか量は少な目ですね^_^;)
旧東海道ウォーキングとは違ってお茶は各自調達です。


↑弁当

それから芥川龍之介の文学碑がありました♪
龍之介は生まれは築地のようですが、母が生後七ヶ月で発病したため、母方の芥川家の兄が住むこの両国に引き取られ、ここで育ち、13歳に養子となったようです。
龍之介は優秀で当時の旧制第一高等学校へ無試験で入学でき、東京帝国大学英文科に入学し卒業したようです♪
それは知りませんでしたね^_^)


↑芥川龍之介の文学碑


↑芥川龍之介の文学碑の説明

 それから回向院へ行きました。


↑回向院の入口

 回向院とは、俗に振袖火事と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を将軍徳川家綱によって葬った万人塚が始まりとのことです。

 あまりの惨事のため、遺体の多くが身元不明や引き取り手がない状態で、こうした遺体を葬るためにここ本所両国に無縁塚を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されたとのことです。

 その後、有縁・無縁・人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変、人災による被災者・海難事故による溺死者・遊女・水子・刑死者・犬や猫などの諸動物などありとあらゆる生命が埋葬供養されているとのことです。


↑回向院の説明


↑回向院の説明

また現在の念仏堂は2016年にグッドデザイン賞を受賞し、竹林などがある美しい建物で素晴らしいと思います♪


↑グッドデザイン賞の説明

 それから、実は1833年(天保4年)から76年間、この回向院で勧進相撲が行われていたようです。

 ちなみに江戸幕府は1684年(貞享元年)から春と秋の2場所の勧進相撲として深川(現在の門前仲町)の富岡八幡宮で始めていますが、1833年からはこの回向院へ移ったようです。

 その後、1909年(明治42年)にこの両国に国技館が建設され、32本の柱をドーム状に集めた鉄骨の建物で大鉄傘とも呼ばれ1万3千人収容の当時最大規模の競技場だったようです。

 その後、戦後に蔵前国技館などで興行が行われ、1985年(昭和60年)にJR両国駅北側に新国技館が完成し、再び両国で大相撲が行われるようになったとのことです。

そういう歴史があったんですね♪
勉強になります^_^)


↑旧国技館跡の説明


↑国技館(大鉄傘)跡の説明


↑国技館(大鉄傘)の説明

それから、この回向院の敷地にはその相撲関係の「力塚」の石碑などがありましたね♪


↑力塚


↑力塚


↑力塚


↑力塚の説明

そして回向院には色々な供養碑がありました。
当時から様々な災害等があったことが分かるとともに、当時の様子を理解でき勉強になります。


↑回向院の中


↑海難供養碑の説明

 そんな中に、鼠小僧の供養基があるのには驚きました!
まさに罪人も供養されているんですね。

 当時はやはり犯罪者には墓を作ることが禁止されていたようですが、歌舞伎や狂言での成功によって、祈願対象物として鼠小僧の墓の必要性が生じたようです。

 ちなみに鼠小僧は15年間で3180両を主に大名屋敷から盗んだようです。
現在の永田町の中屋敷で捕まったようで、1797年(寛政9年)に生まれ、1832年(天保3年)8月19日に浅草で処刑されたようです。

 なぜなかなか捕まらなかったのかというと、大名屋敷は治外法権で町奉行は関与することができなかったためのようです。
武家屋敷にのみ押し入ったため、庶民からは義賊扱いだったようです。

 また幕末の戯作者「河竹 黙阿弥」が権力者である大名家に自在に侵入し被権力者側である庶民に盗んだ金を配るという虚構の鼠小僧を主人公とした作品を世に送り出したことから人気に火がつき、演劇界においては現在まで続く当り狂言の一つのようです。


↑鼠小僧の墓

 その供養基の前には石があり、多くの方が熱心にそれを削って御利益としているようでした。
もしかして削っているのは泥棒なのではないかと思いましたが^_^;)、財布や袂に入れておけば金回りが良くなる、あるいは持病が治るともいわれているようです。
そう信じたいです^_^;)
 あまりにも人気のため、この欠き石は数年ごとに建て替えられ続け、現在までに数百基にも及んでいるようです。


↑鼠小僧の墓の説明

そのほか、回向院の中には犬や猫などの動物の供養基もあるようでした。


↑回向院の中

 回向院では改めて昔からいろんな災害があることを理解し、今後もそれらを克服してより良い社会にする必要があるなぁと痛感しました。
改めて回向院では供養させて頂きました。

次回は「④旧安田庭園~東京都慰霊堂編」をお届け致します♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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日本橋川・神田川等クルージング((1)日本橋川編)はとてもオススメ!

2017年07月14日 01時00分00秒 | イベント・外出
 最近江戸時代の江戸の街について街歩きを含めて興味を持つようになり、その中で特に当時の江戸は生活物資や建築資材等を運ぶために水路が造られ、水運が発達していたということを知り、思い切って阪急交通社が企画する日本橋川・神田川等クルージングに参加してみることにしました♪

 日本橋のたもとから船で出発して約130分のコースとなります♪
価格は3990円です♪


↑日本橋のたもとの集合場所


↑船着き場と船

 コース概要は以下となります♪
(1)日本橋から日本橋川を西へ上って水道橋辺りで神田川に合流
(2)そこで神田川を東へ下って隅田川まで行く
(3)隅田川を南へ小名木川まで下る
(4)小名木川を東に走り、水門の所から隅田川まで西へ引き返す
(5)隅田川を南へ亀島川まで下る
(6)北へ亀島川を上り日本橋川に合流して西へ上り日本橋へ戻る


↑地図

 先に結論を言うと、晴れていたこともあり、お茶の水渓谷や東京スカイツリー、国の重要文化財の清洲橋、佃島のウォーターフロントの景色が素晴らしかったですね♪

また、小名木川は運河なので波がほとんどなく、江戸時代当時から船の航行はかなり楽で、重宝していたのだろうなぁということが分かりました♪

 さっそく船に乗り込み説明を受けます♪
約40名の参加だったと思います♪


↑船に乗り込む

そして日本橋を出航します♪


↑日本橋を出航

日本橋は、初代は慶長8年(1603年)に建てられ、現在は実は20代目で、明治44年(1911年)に建てられた石造二連アーチ橋です♪
日本橋の上には首都高速道路が走っているので、圧迫感があります^_^;)


↑日本橋

この日本橋は実はケルヒャーが架橋100周年を記念して2011年に洗浄・再生をボランティアで行い、きれいな白色に戻ったようです♪
実はかなり黒ずんでいたようで、その差は歴然でスゴいです^_^;)
素晴らしいプロジェクトですね♪

また、船でしかよく見えない日本橋のマークを見たりします♪


↑日本橋のマーク

そして船は日本橋川を西に上って行きますが、頭上は首都高であまり素晴らしい景色とは言えません。
しかし日陰にはなって涼しくて気持ちよいです♪


↑首都高の下を進む

右側には日本銀行がありました♪
その昔は銀座ではなくここには金座があったとのことです♪
この建物を上から見ると、「円」マークになっています^_^)


↑日本銀行

そして左側には、当時からの江戸城の石垣があります♪
28もの各大名が役割分担をさせられて石垣を造ったようです。
説明で興味深かったのは、一度落としてしまった石は、落城を連想することから石垣には絶対に使用しなかったようです^_^;)
そういう石を「残念石」と呼ばれたようです^_^;)
ちなみに、石には各大名のマークが彫られた物もあるようです。
○の中に「十」と彫られたものは、島津家の石だったようです。


↑当時からの江戸城の石垣

また、時代によっては石の加工や積み方に大きな違いがあることが分かります♪


↑石の加工や積み方に違い

 それから確か新常盤橋だったと思いますが、橋に旧鉄道院のマークがありました♪
高倉健の「ぽっぽや」という映画で高倉健が被っていた帽子のマークもこれと同じだったようです♪
時代を感じますね♪


↑新常盤橋のマーク

 そして神田橋の下を通りますが、以前はこの近くに神田明神があったので、実はこの辺りが神田だったようです。
現在は神田明神が移転したので、神田という地名も移転したようです♪
知らなかった^_^;)


↑神田橋

そして、一ツ橋まで来ますが、石垣に段差がありました♪
当時はここが関所だったので、このような段差が必要だったようです♪
なるほど!


↑一ツ橋の石垣


↑一ツ橋

そして左側に大きな毎日新聞本社ビルが見えます♪
1960年代の代表的な複合建築ビルとのことでした♪


↑毎日新聞本社

そして「雉橋」があります♪
当時はこの辺りで雉をたくさん飼っていたようで、将軍が代替わりすると、朝鮮からお祝いの一行が来るので、当時の最高級食材の雉がここから振る舞われたようです♪
だから雉橋とのことです♪
なるほど!


↑雉橋

それから新川橋の先辺りから水路がまっすぐとなります♪
江戸時代は実は日本橋川と神田川は繋がっていなかったようで、明治時代に入ってまっすぐ繋いだので、このようにまっすぐな水路とのことです♪
ちなみに左側の蔦は、きれいに切りそろえられているように見えますが、この日本橋川は海に繋がっているので実は塩分があり、蔦はその塩水に浸ると枯れてしまうので、このようにきれいに切りそろえられているように見えるようです^_^)


↑水路がまっすぐ

次回は日本橋川・神田川等クルージング((2)神田川~隅田川編)です♪
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「國虎(東京 門前仲町)」の食事はとてもオススメ!

2017年07月12日 01時00分00秒 | 外食
 國虎の場所は東京メトロ門前仲町駅5番出口から小道に入って2~3分の所で、周りのお店も美味しそうです。 

 お店の外観が綺麗で美味しそうだし、門仲に住む人も絶賛していたので、事前に予約して訪問♪

 店に到着した際には平日火曜にも関わらず今日は満席との貼り紙があり、このお店は事前予約が必須ですね♪


↑店構え

 白木で和風ながらも綺麗で明るい店内に入ると、若夫婦が笑顔で優しく迎えてくれます♪
上着をかけ、8席ほどのカウンター席の左奥に友人と座ります♪
 熱いおしぼりを受け取ります。

 それにしても女将が若くて美人で和服が似合い素敵です♪
旦那もかなり若く、旦那は築地場外でマグロを売る「國虎」の三代目とのことで、これはマグロに期待がもてます。


↑店内

 店内が和テイストでかなり綺麗なのは、佐渡の職人にこのお店を造ってもらったからとのことで素晴らしい♪

またカウンターの先に置かれた包丁が、見たことのない輝きを見せていて美しい♪
関西の職人から購入したようです。
長い包丁はこれから6月のハモの季節に使うとのこと。


↑カウンターの先の包丁

さっそく飲み物はビールを注文し、そして料理が出てからは日本酒の冷酒を注文します♪
ビールのコップは薄いガラスで美味しく飲めて嬉しい♪
また日本酒は江戸切り子とのことで、これは細かく模様が入っていて美しい♪
しかしこれを作っている方がもうすぐ仕事を辞めるらしくそれは残念。
女将はかなり日本酒にはこだわりがあるようで、かなり詳しく優しく産地や飲み口を説明してくれます^_^)

食べ物は単品でも注文できますが、7000円の季節のコースを注文します♪


↑食事メニュー


↑飲み物メニュー

まず、ホタルイカの煮付けや、サザエともずく、山菜の「しどけ」(もみじかさ)♪
ホタルイカが濃厚で美味しい♪
サザエともずくの酢もいい感じです♪
山菜の「しどけ」とは初めてでしたね♪
酒が進みます♪


↑ホタルイカの煮付けや、サザエともずく、山菜の「しどけ」

そして、刺身が運ばれます♪


↑刺身

圧巻はやはりインドマグロのトロ!
見たことのない色合いで、そして切れ込みが入っていて美しい♪
さすが築地場外のマグロ専門店の國虎ですね!
その隣の漬けのマグロもこだわりを感じます♪

また、あおりイカは細かく包丁の切れ込みが入っていて美しい♪
切れ込みを入れることによって甘さが増すようです♪
赤貝や松川カレイも美味しいです♪
これは日本酒に合いますね♪
日本酒は、この店を佐渡の職人が造ったとのことなので、佐渡の真野鶴♪
甘く後味の良さを感じます♪
それから女将のオススメの「くどき上手 純米吟醸酒未来(山形県)」も甘くスッキリとした感じで美味しい♪


↑くどき上手 純米吟醸酒未来(山形県)

それから美しいお椀でハマグリの吸い物が運ばれます♪
これは出汁がよく効いていて、ハマグリもたっぷりと肉厚もあり、そして柚の香りもあって美味しくて素晴らしい♪
器の絵柄は葛飾北斎の富嶽百景の富士山とのことで、これも素晴らしい出来ですね♪


↑ハマグリの吸い物

そして焼き物は「イサキ」で脂が乗っていてそしてちょうど良い焼き加減でこれは美味しい♪
そして「コシアブラ」の天ぷらもサクサクで美味しい♪


↑焼き物「イサキ」と「コシアブラ」の天ぷら

そして水ダコと山うど、姫竹などが鰹節の出汁と合い美味しい♪


↑水ダコと山うど、姫竹など

そしてヤリイカとワカメなどがゼラチン状のものと美味しい♪
小さい粒ツブはイカの卵とのこと♪


↑ヤリイカとワカメ等

そして圧巻だったのはウニたっぷりと湯葉の東寺(とうじ)煮♪
これが温かくて柔らかくて、ウニが濃厚で美味しい♪
真ん中の上に乗ったワサビのアクセントも素晴らしい♪
これも出汁が効いていて美味しかったですね♪


↑ウニと湯葉の東寺煮

そして食事ということで、筍ご飯、赤出汁、漬け物も上質で美味しい♪
筍ご飯は目の前で土鍋で炊かれた筍ご飯は目の前で装ってくれます♪
おみやげにおにぎりにもできるとのことですが、美味しいので全部平らげます^_^;)


↑お食事

そして最後にデザートとのことで、加賀のほうじ茶のアイスと山形の佐藤錦のサクランボでこれも器ととともに上質さを感じて美味しかったです♪


↑デザート

帰る際には若夫婦が笑顔で玄関まで見送ってくれて嬉しかったですね♪

「國虎」は、和テイストな綺麗で明るい店内で、若夫婦が明るく優しく接してくれ、そして自慢のマグロや和食を美味しく頂け、とてもオススメですね!

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【浅草橋~両国】(②両国橋~吉良邸編)はとてもオススメ!

2017年07月10日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「①浅草橋~薬研堀不動尊編」に引き続き、「②両国橋~吉良邸編」について紹介したいと思います♪

両国橋に行きました♪

上流方面には近くに東京スカイツリーも見えましたね♪
「両国橋」と書かれている上にある丸い物体は昔の国土交通省のシンボルマークのようです♪


↑両国橋


↑両国橋から下流方面

ちなみに、江戸時代は白髭橋あたりまでが「大川」と呼ばれ、その先は「隅田川」と呼ばれていたようです。

それから、葛飾北歳が描いた両国橋の絵もありましたね♪
納涼で人々が訪れかなり賑わっていますね♪
手前が両国広小路とのことで江戸屈指の盛り場だったようです。
奥に見える橋が一の橋とのことで、弁天があり、現在の江島杉山神社とのことです♪
橋の下では舟で米を運んでいますね♪


↑葛飾北歳が描いた両国橋

また当時の両国橋の様子が分かるものがありました♪
木製でかなり大きな橋だったんですね♪


↑江戸時代当時の両国橋

 それから、両国橋の風景を特徴づけるものとして、当時は百本杭があったようです。
 1930年(昭和5年)に荒川放水路が完成するまで、隅田川には荒川・中川・綾瀬川が合流していたため水量が多く、特に両国橋付近の湾曲部ではその勢いで浸食されていたようです。
 そのため、両国橋北側には数多く杭が打たれ、水中に打ち込んだ杭の抵抗で流れを和らげ、川岸を保護していたようです。
おびただしい数の杭が打たれたので、いつしか百本杭と呼ばれ、その光景は隅田川の風物詩として人々に親しまれたようです。

 たとえば江戸時代の歌舞伎では、多くの作品の重要な場面に「両国百本杭の場」が登場するようです。
「十六夜清心」では冒頭に「稲瀬川百本杭の場」があり、稲瀬川は鎌倉を流れる川ですが、歌舞伎の中では「百本杭」とあるのでその場面は実は隅田川を舞台にしているということに気づくのです。
それほど百本杭は当時は人々に知られた場所だったんですね。


↑百本杭の説明

それから「ももんじゃ」というお店が気になりました♪
イノシシの大きなオブジェがスゴい♪
両国で9代続く老舗とのことで、シシ鍋やジビエが有名なようです♪
今度行ってみたいですね♪


↑ももんじゃ

それから、旧両国橋・広小路跡の説明がありました♪


↑旧両国橋・広小路跡の説明

旧両国橋は現在の両国橋の下流約50mの所にあったんですね♪
橋の上は盛り上がっているので、四方が展望できる絶景の場所で、近くの浅草観音堂や遠くは筑波山も見えたようです♪
ちなみに、橋の両方のたもとには火除け地として広小路が設けられ、西側(日本橋側)は「両国広小路」と呼ばれ芝居小屋や寄席、腰掛茶屋が並び、東側は「向こう両国」と呼ばれ見せ物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねる繁華街だったようです。
1742年(1742年)の調査では1日に2万人以上が往来したとはスゴいです♪

それから、あの忠臣蔵の赤穂浪士が本所二ツ目の吉良邸で浅野内匠頭の仇討ちとして吉良上野助を討ち入った後は、泉岳寺への引き上げ前に、この「向こう両国」の広小路で休憩したようです♪


↑赤穂浪士休息の地の説明

 恐らく赤穂浪士たちはここから両国橋を渡って江戸城の横の現在の日比谷辺りを通って浅野内匠頭が葬られている泉岳寺へ行くのが近いとは思いますが、実は吉良上野介の長男は上杉家へ養子として継いでいて、その日比谷の上杉家からの追撃をおそれて、そのまま隅田川沿いを南下し、深川の永代橋を渡って築地方面へ進み、それから無事泉岳寺へ到着したようです。

 そして吉良邸裏門辺りに到着しました。
その裏門辺りの前に「前原伊助宅跡」がありました♪
伊助は赤穂浪士47士の一人で、吉良家の動向を探るために吉良邸裏門近くで「米屋五兵衛」と称して店を開業していたとのことです。
討ち入り直前には、亡君の人傷事件から討ち入りまでの経過を漢文体で克明に「赤城盟伝」として著していたとのことです。


↑前原伊助宅跡の説明

そして、以下の写真の辺りに吉良家の裏門があったとのことですが、普通にビルが建っていて、昔の面影はまったくありませんね^_^;)


↑吉良邸裏門の辺り

吉良邸裏門跡の説明もありました。
当時は吉良邸の敷地は東西132m南北62mもあったようで、赤穂浪士47名は表門と裏門に半分ずつ分かれて侵入したとのことです。
表門は大石内蔵介以下23名が門をよじ登り、裏門は内蔵介の長男である大石主税以下24名が破壊して侵入したようです。


↑吉良邸裏門跡の説明

それから吉良邸中央近くには「本所松坂町公園」が江戸時代の屋敷のように囲まれてあり、ここが上屋敷跡とのことです♪


↑本所松坂町公園


↑本所松坂町公園の説明

吉良邸跡の説明や井戸、吉良上野介にまつわるもの紹介、吉良上野介像、錦絵の紹介、葛飾北斎の絵の説明などがありましたね。


↑吉良邸跡の説明


↑みしるし洗いの井戸


↑吉良上野介にまつわるものの紹介


↑吉良上野介蔵


↑錦絵の紹介


↑錦絵?


↑葛飾北斎の絵の説明

また無料パンフレットも置いてあり勉強になります♪


↑無料パンフレット


↑無料パンフレット

そして、表門の方へ行ってみました♪
こちらもビルが建っています。
改めてその屋敷の大きさを実感できますね♪


↑吉良邸表門の説明


↑現在の吉良邸表門の様子

次回は「③勝海舟生誕の地~回向院編」をお届け致します♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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船上から羽田空港滑走路や川崎工場、みなとみらい夜景鑑賞クルージングはとてもオススメ!

2017年07月07日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画するツアーで、船上から羽田空港滑走路や川崎工場、みなとみらいの夜景を鑑賞するクルージングが良かったので紹介したいと思います♪

 このツアーは羽田空港国際線ターミナル集合で、18時から20時まで約40名が船に乗船して横浜市のみなとみらいまで、以下のスポット等を鑑賞するものです♪

ちなみにツアー料金は4,990円でした♪

・羽田空港滑走路を離発着する飛行機鑑賞
・川崎の工場の夜景鑑賞
・横浜市みなとみらいの夜景鑑賞
・上記の各ポイントの間の夜景鑑賞

羽田空港国際線ターミナルに17:30に集合して、約15分ほどみんなで歩いて多摩川まで行き、そして船に乗り込みました♪
係の人が5~6名いて、丁重に案内してくれます。
またこの日は天気がよくて多摩川の夕日が美しい♪


↑多摩川の船着き場

最大84人乗れる船で、今回40名の参加ですので、屋上のデッキや船内に座れることができました♪
風がかなり強く、5月下旬でしたが寒くなると船内に入って暖をとりました♪


↑船

多摩川を下り、沖の方へ向かいます♪
隣で高速な漁船が通り過ぎると、波がやってきて船がかなり揺れます^_^;)


↑多摩川を下る

滑走路近くまで行き、羽田空港を離発着する飛行機を鑑賞します♪
3分おきぐらいに飛行機が離陸して、飛行機がとても格好いい!
たまに大きな飛行機も離陸します。
説明員が、この飛行機はパリに行くや仙台まで飛ぶなど、細かく説明してくれます。
ネットなどでそのような情報が分かるようです。
お客さんによっては、無線機で交信状態を確認したりするようです。
すごい^_^;)


↑離陸する飛行機


↑離陸する飛行機

それにしても夕陽が綺麗です♪


↑夕陽

そして滑走路を見ると、尾翼に大きな日の丸がある飛行機が到着しました♪
なんと、ラッキーなことに政府専用機です!
どうも阿倍首相がG7のサミットから帰国したようです♪
説明員も政府専用機はなかなか見たことはないと興奮気味です^_^)
これは嬉しかったですね♪


↑政府専用機

そして沖の方に行き、埋め立て等で造られた滑走路を見ます!
4kmほどあるようでかなり長い!
でもジャンボジェットでも半分の真ん中ぐらいで着陸はできるようでしたね♪
着陸もうまくいくと、みんなで拍手です^_^;)


↑埋め立てて造られた滑走路


↑着陸

出発してから40分ほど経って、川崎の工場へ向かって高速で進みます♪
船尾のスクリューの波がすごい!


↑船尾のスクリューの波

川崎に着くと工場があり、夕焼けと三日月もバックにして、なんだか幻想的ですね♪


↑川崎の工場


↑川崎の工場

そして夜空は暗くなり工場の光が幻想的です♪
煙突の上の方では炎を出していました♪
余ったガスを燃やして処理しているとのことです。


↑夜の川崎の工場


↑煙突の炎


↑煙突の炎

ハウルの動く城のにも似ているという工場もあります♪
ただ、スマホで写真撮影のため巧く撮影できません^_^;)


↑ハウルの動く城のにも似ている工場?


↑ハウルの動く城のにも似ている工場?

それから巨大なクレーン?などもありましたね♪


↑巨大なクレーン?

それから、高速で横浜みなとみらいへ向かいます♪
まずは首都高速道路湾岸線の扇橋が綺麗に見えましたね♪


↑扇橋

それから暗くて写真ではよく分かりませんが、日本郵船の巨大な自動車運搬船がありました♪
これはでかい!
一体何台積むのでしょうか?


↑自動車運搬船

そして横浜ベイブリッジも見えました♪
青く光っていて美しい♪
感動ですね♪


↑横浜ベイブリッジ

そして、どんどん横浜みらとみらいへ近づいて行きますが、ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルや観覧車、ヨコハマランドマークタワーが美しい♪


↑みなとみらい


↑みなとみらい拡大


↑インターコンチ拡大


↑観覧車拡大

また結婚式場の「アニヴェルセル」と観覧車のコラボが美しい♪
これは素晴らしいですね!!


↑「アニヴェルセル」と観覧車のコラボ


↑「アニヴェルセル」と観覧車のコラボ

そしてヨコハマランドマークタワーも巨大で美しいですね♪


↑ヨコハマランドマークタワー

 阪急交通社が企画する船上から羽田空港の飛行機離発着や川崎の工場、みなとみらいの夜景は素晴らしく、とてもオススメです!

風対策として、防寒着を用意することをオススメ致します♪


お勧めなお話(2017年上半期)

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「中国薬膳料理 星福(東京 銀座)」はとてもオススメ!

2017年07月05日 01時00分00秒 | 外食
ZAGAT掲載店で、薬膳料理に興味があったので、東京の銀座にある「中国薬膳料理 星福」へ行ってみました♪

お店は銀座6丁目のかねまつビル6Fにあり、エレベーターで上がります♪


↑かねまつビル

さすが、銀座にあるお店で、店内は想像以上にかなり綺麗で清潔で驚きます!


↑店内

フロアでは20人くらいの団体客が、薬膳の説明を受けながら食事を楽しんでいるようでしたね。
私もその内容をよく聞きたかったですね^_^)
さすが薬膳料理のお店だと思います。

また、隣の席は和服女性二人で、客層の良さを感じました!
さすが銀座ですね。

 食事は、高島屋のゴールドのクレジットカードの特典ということで、かなり割り引かれた「仁」という季節の薬膳コースでした♪
7560円です♪


↑季節の薬膳コース「仁」の内容

 また、飲み物はせっかくなので、健康的に「決明予茶(けつめいしちゃ)という薬膳茶800円を注文しました♪
肥満、イライラ、便秘解消、視力減退に伴う目の充血が気になる方がオススメとのことでした♪
肥満、イライラ、便秘解消は特に症状はないのですが^_^;)、視力が気になるのでこれを選びました♪


↑中国銘茶のメニュー

そのほか、薬膳酒や果実酒、ハブ原酒などのドリンクメニューもあります♪
さすが薬膳のお店ですね!


↑薬膳酒メニュー


↑果実酒メニュー


↑その他ドリンクメニュー

すぐに飲み物が運ばれ、熱く美味しいお茶をいただきます♪
後でまたお湯を注いでくれました♪

 そして季節前菜の五種盛り合わせが運ばれました♪
自家製のピータンやブランド豚肉の金華ハムのチャーシュー、精進料理の豆腐、お麩、クラゲ等です♪
どれも上質で美味しい♪
特に自家製というのは嬉しいです♪
またクラゲの食感も良かったですね!


↑季節前菜の五種盛り合わせ

そして、「アガリクス筍入り フカヒレ姿煮」が運ばれます♪
高価なフカヒレが豪快に大きくて贅沢で、そして出汁も効いていてこれは美味しい!
中央にアガリクス筍があり、聞いたことはありましたが、食べるのは初めてでしたね!
アガリクス筍は少しクセがある味ですね^_^;)
しかしこれは確かに身体に効きそうなお味です!


↑アガリクス筍入り フカヒレ姿煮

そして、アツアツの器に入った「アワビやなまこ、鹿のアキレス腱などの山海珍味と金華ハムを長時間煮込んだ極上の蒸しスープ」が運ばれ、特にアワビのその大きさには驚きました♪
アツアツでこれも出汁がよく効いていてこれは美味しい!
松茸などいろんな種類の具材が入っているのが嬉しく、これは身体にとても良さそうです!
これこそ薬膳料理ですね!
しかもこれは意外とボリュームがありました♪


↑アワビなどの蒸しスープ

そして小籠包が運ばれますが、これも上質さを感じ美味しいです!


↑小籠包

そして「海鮮いりゆば巻揚げ」が運ばれますが、これは揚げで、違った食感を楽しめて美味しいです♪


↑海鮮いりゆば巻揚げ

そして「鹿茸いり海老の蒸し」の海老が大きい!
身がたっぷりで、これは嬉しいです♪
至福なひとときですね!


↑鹿茸いり海老の蒸し

そして季節の野菜炒めが運ばれます♪
中国の高級野菜とのことですが小松菜だったのでしょうか?
もちろん質の良さを感じ美味しいです!


↑小松菜?

そして七品の中からお食事を選んでくださいとのことで、悩みますが「野菜の水餃子」を選びました♪
温かくて、これも質の良さを感じもちろん美味しいです♪


↑野菜の水餃子

そして最後に杏仁豆腐が運ばれますが、これも上質さを感じ、とても柔らかく甘くて美味しい♪


↑杏仁豆腐

 星福は、さすがZAGATに掲載された銀座のお店で、店内はとても綺麗で客層もよく、そして上質で美味しい薬膳料理や飲み物をたっぷり堪能でき、とてもヘルシーでオススメです!!
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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【浅草橋~両国】(①浅草橋~薬研堀不動尊編)はとてもオススメ!

2017年07月03日 01時00分00秒 | イベント・外出
 実は6年ほど前に主に旧東海道を自転車で一人で東京から京都まで走ったこともありますし、昨年は阪急交通社が主催の旧東海道ウォーキングで江戸の日本橋から沼津あたりまで歴史を勉強しながら月に1日程度約10kmずつ歩いたことがあるので、特に江戸時代の江戸の街にも興味がわき、同じ阪急交通社が主催する「江戸ぶらり古地図ウォーキング」第一回目の【浅草橋~両国編】に参加することにしました♪

 このシリーズは全部で10回あるのですが、すでにのべ1万人が参加している人気コースとのとで、最近はこの10回とは別にさらに10回、合計20回分のツアー構成にもなっているようです♪

 今回の【浅草橋~両国編】は、JR総武線の浅草橋駅近くから両国駅近くまで歩くもので、主な見学地は以下でした♪

①浅草見附跡
②浅草橋
③柳橋(小松屋(佃煮屋)で三味線も鑑賞♪)
④両国広小路跡
⑤薬研堀不動尊
⑥両国橋
⑦忠臣蔵の吉良邸跡
⑧勝海舟生誕地(両国公園)
⑨芥川龍之介文学碑
⑩回向院(大火や震災等供養・相撲関連石碑・鼠小僧墓)
⑪旧安田庭園
⑫東京都慰霊堂(横綱町公園)

 「江戸ぶらり古地図ウォーキング」なので、一応江戸時代末期の1860年頃の浅草橋~両国の古地図が先に配られて説明がありますが、当時と比べると現在までにたくさん道が新たに造られ、また当時は一つ一つたとえば吉良家の邸宅はかなり広かったのですが、現在は細かく分けられて住宅になったりしているということがよく分かります♪

 現在では、もはや昔の面影がなく、それぞれの場所に小さな跡地の案内があるだけとなってしまいましたね♪


↑当時の古地図


↑現在の地図

以下の写真は今回のツアーの案内となります♪


↑ツアー案内表


↑ツアー案内裏

 早速、時間になると案内人の自己紹介などがあり、解説が始まります♪
小型のラジオを渡され、イヤホンで説明を聞けるので、後ろの方にいても説明内容がよく聞こえるのは素晴らしいです♪

まず最初に、浅草橋や浅草見附の話がありました。

 浅草橋は神田川に架かる橋で、神田川自体は江戸城の外堀の役割を果たしたようです。
徳川二代将軍秀忠の時代に、伊達正宗に江戸城辺りからこの浅草橋(隅田川?)まで神田川を整備させたようです。
当時の仮想敵国である仙台藩の伊達家に対し、しかも江戸城から仙台方面を伊達家に造らせるとは粋かもしれません^_^;)

 また浅草は日光街道沿いにある重要な拠点で、この浅草橋に36ある見附の中の1つを置き、江戸城に対する警護、すなわち浅草観音や奥州から江戸まで往来する人の取り調べ等を行っていたようです。
当時は浅草御門と呼ばれ、門があったようです。
当時の1860年頃の上記の古地図を見ると、確かに太線書かれて門のように見えますね♪


↑浅草見附跡


↑浅草橋の説明


↑江戸城方面の神田川

 神田川にはカラフルな屋形船がたくさんありましたね♪
現在は夜になると東京スカイツリーやお台場方面を案内して夜景を楽しみ、天ぷらやお酒などを楽しめます♪
私も何度か屋形船は楽しんだことがあり、オススメです♪


↑現在の浅草橋

 それから近くには郡代(ぐんだい)屋敷跡がありました♪
郡代とは関東の幕府直轄領の年貢の徴収や治水、領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があったとのことです♪
元々は江戸城の常盤橋門内にあったようですが、明暦の大火(1657年)で消失し、この地に移ったようです。
なるほど♪


↑郡代屋敷跡の案内

それから柳橋の方へ神田川を下って歩いていきます♪
途中には船宿がいくつかありましたね♪
風情があります^_^)


↑船宿

 当時は柳橋は花街だったようで、実はこの柳橋から遊郭の吉原へは舟を使って隅田川を上って行っていたようです。
その船のことを「猪牙舟(ちょきぶね)」といい、この舟で吉原に行くのが粋だったようです。
「猪牙舟」というのは、舟の先頭が猪の牙のように細長く尖っていたからですね。

 もちろん陸路で歩くより舟の方が楽ということもありますが、吉原へ行くのにあまり他の人と顔を合わせたくなかったという理由もあるようです。
舟の中では、誰とも顔を合わせませんからね^_^;)
ただ舟で行くのは当時のお金持ちだったようです。
そのため柳橋は賑わったようです♪

 それから江戸時代から隅田川(当時は隅田川下流は「大川(おおかわ)」と呼ばれていたようです)の両国橋の辺りでは、夏の川開きには盛大に花火大会が開かれ、特に「鍵屋」「玉屋」の二大花火師とその掛け声が有名ですね♪
 その花火大会の時には、打ち上げ場所の両国橋から柳橋は近いので、その見物客でも柳橋はかなり賑わったようです♪

1859年には芸妓が150名ほどいたようです♪
なお明治期には新興の新橋とともに「柳新二橋(りゅうしんにきょう)」と称され人気の盛り場だったようです♪
そして1928年(昭和3年)には料理屋・待合あわせて62軒、芸妓366名となり、とても賑わっていたようです♪
昭和2年頃が一番賑わったようです。

 その代表的な料理屋は伊藤博文が利用した「亀清楼」とのことで、現在もありますね♪
現在では大相撲の横綱審議会がここで開催されているようです!
ランチは2千円程度からあるようで、今度ぜひ行ってみたいと思います♪


↑亀清楼

 その後、第二次世界大戦で柳橋は休業及び被害を受け、その後復興して1952年(昭和27年)には料亭57軒まで復活しましたが1964年(昭和39年)の東京オリンピック以降は衰退していき、特に隅田川の護岸改修(カミソリ堤防)で、その隅田川の景色が遮断されたことが大きな致命傷となったようです。
1999年(平成11年)1月に最後の料亭「いな垣」が廃業し200年近くの歴史に終止符が打たれたようです。

 そして、柳橋の袂の小松屋という佃煮屋さんへ行きます。
ここで柳橋の歴史のチラシをもらい説明を受けます♪
おじさんの説明が面白い♪


↑柳橋の歴史のチラシ


↑小松屋での説明

ここで当時の花街らしく、娘さん演奏による三味線と唄を聴けたのはとても嬉しかったですね♪
素晴らしかったです♪


↑小松屋での三味線と唄

 柳橋といえば、池波正太郎や山本周五郎、藤沢周平などの時代小説を始め、正岡子規の句や映画やドラマの舞台にもなっているようです。
 私も池波正太郎の鬼平犯科帳や剣客商売等はよく読んだ経験があり、本所や柳橋、深川の記述をよく目にしていたので、その柳橋に行けたのは感慨深かったですね♪

この小松屋には実際に池波正太郎さんはよく来られていて、おみやげに穴子の佃煮をよく買い、彼の客に持たせていたようです。
素晴らしいですね♪


↑小松屋の佃煮

 現在の柳橋は1929年(昭和4年)に造られた鉄橋とのことです。
元々は、元禄11年(1698年)に初めてこの位置に橋が架けられ、1887年(明治20年)に鋼鉄橋になったとのことですが、1923年(大正12年)の関東大震災で落ちてしまったとのことです。


↑柳橋


↑柳橋と小松屋


↑柳橋の説明


↑柳橋の説明


↑柳橋の説明


↑柳橋の説明


 それから両国広小路(ひろこうじ)へ行きます♪


↑両国広小路跡


↑両国広小路の説明

 明暦3年(1657年)には、いわゆる振袖火事といわれる明暦の大火があり、それで江戸の大半が焼失し、約10万人の死者を出したようです。
 特にこの辺りでは逃げ場を失って焼死するものが多数出たようです。
本来は敵方から江戸を攻められるのを防ぐために基本的には橋を架けないというのが江戸幕府の方針だったと思いますが、この明暦の大火の教訓から対岸への避難を図るため両国橋が架けられ、また木製の両国橋への延焼防止のため橋に向かう沿道一帯を火除け地に指定し、広大な空き地としたようです。
 やがてこれが広小路となり、江戸三大広小路の一つとして、上野広小路や浅草広小路と同様に両国広小路は盛り場として発展したようです。
 当時はこの辺りは芝居小屋や寄席や腰掛茶屋が立ち並んだようです♪

 それから、武家屋敷以外は瓦を使うことができなかったので、茅葺きなどの屋根が多く、それで火災が広がったようです。
そのため、徳川8代将軍の吉宗の頃からは商家でも瓦がOKとなり、また火消し組が作られたようです。
「い」組とか「ろ」組などですね♪
芝の「め」組が有名でしょうか。

 なお、両国橋というのは隅田川を挟んで「武蔵」の国と「下総」の国の両方を結ぶので両国橋と呼ばれ始めたようです。
ナルホド!

 ちなみに名古屋など他の地域にも広小路がありますが、名古屋も明暦の大火の3年後に大火があったので、広小路が設けられたようです。
火事の延焼を防ぐために全国に広小路は設けられたようです。


 それから薬研堀(やげんぼり)不動尊へ行きました♪


↑薬研堀不動尊

「やげん」という七味唐辛子は知っていたのですが、漢字で書くと「薬研」とは知りませんでしたね^_^;)
やはり「やげん堀七味唐辛子本舗」がこの不動尊に奉納してますね♪
この薬研堀は七味唐辛子の発祥の地とのことです。


↑「やげん堀七味唐辛子本舗」の奉納

「薬研」とは漢方薬などを作るときに薬種を細粉にひくのに用いる器具で、それにこの辺りの堀の形が似ていたので「薬研堀」と言われたようです。

 薬研堀は正保年間(1645~1648年)に矢ノ倉と称する米蔵が置かれ、薬研堀は矢ノ蔵に至るL字型の入堀として開削されたようです。
 ただ1698年(元禄11年)にその米蔵が火災を契機に築地に移転すると1771年(明和8年)に薬研堀は大半が埋め立てられ、医者が集住したため医者町と通称されたようです。
なお、この薬研堀に佐藤泰然が蘭方医学塾として「和田塾」を創立し、後に佐倉に移転して「医学塾順天堂」を開設し、その後に順天堂大学となったようです。
そんな歴史があったとは面白いですね♪

それから、この薬研堀不動尊の奥には「納めの歳の市之碑」がありました♪
「歳の市(としのいち)」とは、江戸時代に各地で12月の年末にあった市のことで、正月用に門松やしめ縄飾り、羽子板などが売られていたようです。
江戸では12月14日~15日の深川八幡に始まり、浅草観音、神田明神、芝の愛宕神社、平川・湯島の両天神を廻って最後は28日のこの薬研堀不動尊で終わったようで、それで「納めの歳の市」と呼ばれたようです。
年末最後の市だったので、駆け込みで、とても賑わったようです♪


↑納めの歳の市之碑

 それからこの薬研堀不動尊の奥にはもう一つ「講談発祥記念之碑」もありましたね♪
元禄の頃に赤松清左衛門が浅草見附付近の町辻で太平記を講じ、江戸講談の発祥となったようです♪
これが後に「太平記講釈場」に発展して長く庶民に親しまれたようです。
ナルホド♪
このことは浅草見附付近は盛り場だったということも想像できますね♪


↑講談発祥記念之碑

次回は②両国橋~吉良邸編をお届け致します♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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