<金曜は本の紹介>
「ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか(福田一郎)」の購入はコチラ
この本は、2005年にドバイで初の日系コンサルタント会社としてMIRAJ Management Consultantsを設立し、2007年にミラージュ・グループ会長兼CEOとして活躍している福田一郎さんが、ドバイについて分かりやすく説明した本です。
ドバイといえば、中東で発展著しく、ザ・ワールドやパーム・ジュメイラという人工島を作っていたり、神田うのが新婚旅行先としてッドバイを選び、7つ星の高級ホテルに泊ったぐらいの知識しかありませんでしたが、この本を読んで、真のドバイについて理解することができました。ドバイに関する良書だと思います。
特に、ドバイでは実は石油が出ないこと、エミレーツ航空の戦略、インド人が多いこととその理由、住所がないこと、税金がないが企業は1年の更新制度となっていること、世界の富裕層が訪れる魅力の理由などについて書かれています。
以下は、本書の抜粋です。ドバイに興味を持っている方には、ぜひ読むことをオススメします!
・ドバイが属するアラブ首長国連邦(UAE)は、7つの首長国から成り立つ連邦国家。このうち、石油を大量に産出するのは、首都がおかれているアブダビ首長国のみである。リッチなアブダビは、石油を保有しないほかの6つの首長国を財政的に援助し、ドバイを含めたほかの首長国は、アブダビのオイルマネーに依存するというシステムが確立した。そして、首都であるアブダビへの経済依存から脱却しようとしたことがドバイの発展の原点であり、アブダビをライバルとして、いわば独り立ちするというのがドバイの目標だった。つまり、ドバイにはアブダビやサウジアラビア、クウェートなどの産油国のように最初から石油やお金があったわけではない。誰よりも早く脱石油化に成功してお金を集めた結果、現在の繁栄を手に入れることができたのだ。
・ファーストステージで企業、セカンドステージで観光客の誘致に成功したドバイは、その仕上げのサードステージで、世界中の投資資金を集めるという戦略を打ち出した。ドバイを含めたUAE全体で、一般的には外国人は土地の所有が認められていない。ところがこの規制緩和によって、一部の地域内に限られるが初めて外国人にもドバイでの物件の購入、所有の門戸が開かれた。同じように、株式市場でも外国人投資家によるドバイ株式市場への参加を可能にしたところ、海外の投資資金が一斉にドバイに流れ込んでいる。さらに多くの投資資金を呼び込むために、ドバイは「ナンバーワン」の発想に藻度付いた巨大プロジェクトを続々と発表する。世界一高いビル、世界一大きなショッピングモール、世界一大きな空港、世界一広いテーマパーク、世界地図の形をした人口の島々など、壮大で夢のようなプロジェクトばかり。こうしたスケール感に魅了された投資家によって、資金は世界中から続々と集まっていったのだ。
・ドバイのホテルでは世界トップクラスの客室設備、世界中から集まる食材による食事やワイン、最高級のサービスが提供され、過酷な気象条件のなかであえて外出しなくても、滞在そのものを楽しめるようになっている。ホテルライフ以外にも、四輪駆動車で砂漠を駆け巡るデザートサファリツアーやベリーダンスのショー、ラクダ乗りや鷹狩り見学など、アラブならではの要素もところどころに織り交ぜた観光政策を展開している。だが、ドバイの観光政策は「壮大なプロジェクトや建造物」「国際的なイベントの開催」「高級ホテルライフの提供」が3つの大きな柱であり、それによって絶えず集客に努めている。
・ドバイにおける人口の大多数はインド人であり、その数は人口160万人中100万人というから壮絶だ。ヨーロッパのジョークに、「ドバイは一番キレイなインドの街」というのがあるほどだ。彼らはドバイのありとあらゆる階層に属しており、工事現場の労働者から会社の事務員、企業の経営者まで、ドバイの社会と経済におけるインド人の存在は非常に大きい。
・アラブとインドのつながりは歴史的にも古く、1971年までUAEを統治していたイギリスは、植民地インドとの交易における地政学的なハブとして、商都ドバイを利用してきた。後に英領インドと湾岸諸国との直接交流の道が開かれ、19世紀末から20世紀にかけてドバイで真珠産業がおこる。ドバイは真珠の主要産地というだけでなく、各国の真珠商人が集まる取引の中心都市となり、その主な貿易相手国はインドであった。この当時、インドのボンベイ(現在のムンバイ)からドバイへは蒸気船の航路があり、経済的も社会的にも互いに最も近い存在だった。年配のアラブ首長国人は、当時インドが先進国であり、病院や旅行の行き先はインドだったという話をするし、そのころはドバイでもインドの通貨ルピーが流通していたという。
・ドバイでは道路標識、食料品のパッケージ、レストランのメニューに至るまでアラビア語と英語の両方で表示されている。さらに役所の書類やATMの操作、電気・水道など公共料金の請求書、銀行の明細書など、すべてにおいて英語かアラビア語かを選択できる。アラブ首長国人(ローカル)のビジネスマンも英語を話すので、アラビア語を使う機会もなければ、街や生活でアラビア語を耳にすることもほとんどない。逆にアラビア語が堪能であっても、英語ができなければ生活に不自由が生じるかもしれない。
・実際にドバイが猛烈に暑いのは5月から10月ごろまでで、ドバイではこれを夏と呼んでいる。一方で、11月から4月までは比較的すごしやすい。特に冬にあたる12月から2月にかけては、日中の気温も25度前後と非常に快適で、夜などは10度前後まで気温が下がるので肌寒いからである。
・こう言うとまず誰もが驚くが、ドバイには住所というものがない。すべての郵便物は、郵便局の「P・O・BOX」と呼ばれる私書箱に届くのだ。当然、利用者は定期的に郵便局に出向く必要があり、非常に不便である。また、住所がないということは、外出する際の目的地を知りたいとき、またこちらの場所を相手に教えたいとき非常に勝手が悪い。住所を説明するときは、「このランドマークからどこそこを右に曲がって、3つ目の建物」などという説明をして、最終的には「近くにきたら電話をください」というのがドバイ流の住所の説明である。
・なぜドバイにはどこの国にでもあるはずの住所や郵便の制度がないのか。ドバイでは、わずか40年ほど前まで電気も水道もない生活をしており、近代化はほど遠かった。多くが砂漠の民ベドウィン(遊牧民)であり、1ヵ所に居を構えて生活するスタイルではなかった。家屋も土や椰子の木の葉などでつくられた質素で簡単なもので、道路もなければ街もなかった。それゆえ郵便配達制度がなかったのはもっともであるし、現時点では歴史的流れから見たらまだ時期尚早なのかもしれない。
・ちなみに郵便物は私書箱に放り込まれるだけだが、国際宅配便や国際郵便で送れば、私書箱だけの記載でも電話で問い合わせてきちんと会社や自宅まで届けてくれる。また、銀行のカードや重要書類の郵送には本人宛書留郵便というものが存在し、私書箱ではなく本人の手元(職場や自宅)まで届けてくれるのだ。
・2008年の夏までに、ドバイ中のすべてのバス停にガラス張りで冷房完備の待合室が設置される。さらに、主要なバス停にはATMの現金引き出し機や売店なども設置されるという。
・ドバイは(いい意味で)シェイク(首長)による独裁であるため、政治などの難しい部分はシェイクに任せておき、庶民は自分たちの生活やビジネスに専念すればいい。税金がないので政府による税金のムダ使いもないし、政治家がいないということは腐敗や汚職、無能な政治家も存在しない。当然、政治家に対してのロビー活動やムダな献金も必要ない。政党もないので、政党間の争いや政権が変わることによる政策の変更もない。このように考えていくと、政治というものが本当に我々の生活を幸せにしているのかと疑問に思うことすらある。
・私が個人的に最も評価しているのは、その治安のよさである。安全であり、子どもに対して非常に優しく、フレンドリーだ。特に、小さい子どもを育てるのにこれほど適した所はないだろう。アラブ人やアラブの文化では、概して子どもに対して非常に好意的である。子どもは神様からの贈り物(宝物)であり、とても大事にする。今でもアラブ人は子だくさんだ。どこの国でも治安の問題を考えるとき、必ずといっていいほど在留外国人の問題が論じられる。つまり「外国人が増えると治安が悪化する」という理屈だ。だとすると、人口の85%が外国人であるドバイは世界一治安が悪い都市でなければならない。だがそうなっていないという現実は、こうした理屈が実態を伴わない空論、言い訳でしかないことを示している。
・ドバイの医療システムは、公立の病院と民間の病院・診療所のふたつに大別できる。公立の病院で診察を受けるには「ヘルスカード(保険証のようなもの)」が必要だが、労働許可書のある人やその家族は手続きをとれば誰でも取得できる。ヘルスカードを所持していれば、公立の病院での診察や入院、治療はほとんどの場合が無料化、有料でも安価であるという非常にありがたいものだ。ところがこのカードは公立の病院でのみ使用でき、民間の病院や診療所では残念ながら使うことができない。しかし、日本人や欧米の駐在員やその家族は会社が民間の健康保険に加入しているため、公立の病院ではなく民間の専門医や診療所を利用するのが一般的である。それは公立病院が劣っているからということではなく、各国から専門医師がドバイに来ているため、言葉やメンタルの面から母国語の話せる医師のいる診療所に頼るケースが多いのだ。
・ドバイでは、企業が商品を輸入する際に一律5%の関税がかけられる以外は、法人税、所得税、消費税、不動産税、キャピタルゲイン課税、自動車税、相続税、タバコ税などの税金は一切ない。個人の所得はすべてネット、つまり給与明細の額がそのまま手取りの額となる。
・税金がなくて国家はどのように成り立っているのかと疑問を抱くが、その答えは意外に単純で、税金の代わりに手数料という名目で政府がお金を徴収しているのだ。ドバイにおける企業の寿命は1年間限定であり、ビジネスを継続するには毎年登録を更新する必要がある。この時に支払うのが更新料という名目の手数料であり、これが法人から徴収する政府の収入となる。個人からは、ホテル内のレストランでの飲食や宿泊料金に10%の地方自治手数料を課している。つまりタックス(税金)という呼称を用いず、フィー(手数料)という呼び名で直接または間接的に徴収している収入があるのだ。しかし、それでも法人税、所得税、消費税など企業や個人にとって一番直接的で影響力が強い税金が一切ないので、現地で生活したり会社を経営する者にとっては夢のような生活、経営環境である。
・ドバイの街で最初に日本を目にするのは、おびただしい数の日本車によってだろう。タクシーはほとんどがトヨタのカムリで、大型4WDのランドクルーザーもローカルの間で絶大な人気を誇っている。
<目次>
プロローグ
1章 なぜいま”砂漠の人口都市”が熱いのか
ドバイにお金が集まる本当の理由とは
「石油が出ないこと」がドバイの原動力
ドバイの繁栄を実現した3つのステップ
世界中の投資と観光をどう呼び込んだのか
猛スピードで発展する「砂上の人口都市」
斬新?奇抜!?世界にひとつしかないドバイの建造物
ドバイのシンボルになった超豪華7つ星ホテル
ドバイ発展の立役者「エミレーツ航空」
ドバイが進める世界ナンバーワン戦略
滞在そのものを楽しめる極上のホテルライフ
ドバイに流れ込むお金はどこからやってくるか
2章 日本人が知らない素顔のドバイ
共存する各国のコミュニティ
85%が外国人のドバイで人種問題がない理由
人口500万人に向けて進む内陸部への開発
「週単位」で進む超スピード開発
ドバイにあふれるインド人
ドバイとインドの知られざるつながり
英語だけで何ひとつ不自由のない国際都市
意外と寒い?意外に暑くない!?三季のドバイ
なぜ郵便物はすべて私書箱に届くのか
住所がないのは遊牧民時代のなごり
近代ドバイの祖シェイク・ラーシッドという人物
フレキシブルな宗教に対する態度
ドバイではなぜ治安がいいのか?
働かない外国人が滞在できない仕組み
医療でも世界最高を目指すドバイの施策
3章 世界の投資資金がドバイを目指す理由
各大陸をつなぐハブとしての強み
インフラと交通の発達がもたらしたもの
100%タックスフリーな免税国家
好調な経済が急速な人口増加を牽引
ドル離れが進む現地通貨ディラハム
規制の少ない外貨の持ち込み・持ち出し
どうすればドバイ株に投資できるか
歴史は浅いが魅力的な不動産投資
ショッピングモールで不動産が買える!?
金融特区「ドバイ国際金融センター」とは
ドバイにおける「日本」の存在感
日本とドバイをつなぐ人とモノの流れ
日本企業進出の必須パターン
企業の寿命はたった1年!?
地元民を潤す「スポンサー制度」とは
ドバイで日本企業が成功するための条件
4章 世界中の富裕層が訪れるその魅力とは
街全体を高級ブランド化するドバイの戦略
なぜヨーロッパの人々が訪れるようになたのか
バラエティに富んだドバイの食事情
高級車が当たるすごいクジの秘密
なぜドバイが買い物天国と呼ばれるのか
テーマパーク並みの機能を持つショッピングモール
ショッピングモールを使いわける
世界一リッチな競馬レース「ドバイワールドカップ」
デザートサファリの魅力とは
5章 ドバイは「中東」のイメージを変えるのか
ドバイの景気は原油価格に左右されるのか
世界の景気とドバイ経済の関係
成長しつつあるドバイ発の企業
偏りがちな日本のドバイに対する報道
日本はこれからドバイとどうつき合うべきか
ドバイは世界の「中東」のイメージを変えるのか
エピローグ
面白かった本まとめ(2007年)
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
<今日の独り言>
小石が敷き詰められた海岸の波打ち際で昼寝をしていると、海が満ちてきて危うく波にかぶるところでした。危ない危ない^_^;)しかし、昼寝をしていてもなんか小さな虫がいるようで、たまにチクチクして眠れないんですよね・・・^_^;)