「グローバル投資のための地政学入門」の購入はコチラ
「グローバル投資のための地政学入門」という本は、地政学(地理的要因が国際的な政治、外交政策、安全保障や経済に与える影響を研究するもの)の理解抜きには世界の金融市場の分析はできないということで、世界の地政学の基礎理論や米国の世界戦略、欧州(ドイツや英国、ロシア等)、中国の各国の状況や歴史、地政学的リスクの高まりによる金利低下やその影響、日本が取るべき道(インバウンド(訪日外国人増加)による観光立国)等について分かりやすく書かれていて、今後の長期の資産運用に役立つ内容だと思います。
特に20世紀初頭にマッキンダーが発表した以下のハートランド理論のポイントが、その後の第一次世界大戦や第二次世界大戦を予言しているだけでなく、現在のシリア難民、ウクライナ内線、ロシアによるクリミア併合などにもつながっているとはナルホドと思いましたね♪
<20世紀初頭にマッキンダーが発表したハートランド理論のポイント>
1.世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を支配する者は世界を支配する
2.世界島の中心にあるハートランドを支配する者は世界島を支配する
3.東欧を統治する者は、ハートランドを支配する
また欧州リスクが高まる理由やIS(イスラム国)が生き残る理由などもよく理解できました♪
それから、本書は米国大統領戦前の2016年9月に発行されているのですが、当時クリントン有利と言われていた中でトランプが大統領になる可能性があることについて書かれていることは秀逸だと思います。
「グローバル投資のための地政学入門」という本は、地政学という観点から世界の歴史や紛争・摩擦の理由について客観的に理解できるだけでなく、それらが金融市場に与える影響について分かりやすく、また真実を追求していて、とてもオススメです!
あまりにも良書なので、2回に分けて紹介致します♪
以下はこの本のポイント等です。
・歴史的に、地政学的な要因が、株式、金利、為替、エネルギーなどの相場に対して大きな影響を与えてきた。たとえば、エジプトやシリアがイスラエルに攻め込むことによって、第四次中東戦争(1973年)が始まった。エジプトやシリアは有力な産油国ではないが、近隣のアラブの産油国が結束して、これらの支援のために対米石油禁輸に踏み切った。これらは地理的に近いがゆえに戦争をし、あるいは同盟を組んだのだ。これをきっかけに石油危機が起こり、世界の株価は大きく下落し、為替相場が乱高下した。そして日本では狂乱物価と呼ばれたインフレが発生した。2010年代に入って、米国は世界から兵力を撤退させつつある。警察官がいなくなれば必然的に世界の治安は悪化する。世界を揺るがす大事件や戦争を起こしたサダム・フセイン、カダフィ、オサマ・ビン・ラディンらはすでに殺害された。それでも、シリア難民、IS、大陸欧州のテロ、中国の南沙諸島進出、北朝鮮の核開発など世界を揺るがす問題が山積だ。その意味でも、地政学の理解抜きには、世界の金融市場の分析はできない。
・なぜ、今、地政学なのか?最大の理由は、世界の警察官がいなくなったからである。2013年に米国オバマ大統領は「米国はもはや世界の警察官ではない」と宣言した。アフガン戦争やイラク戦争において、多くの米国の青年が戦死し、あるいは兵士が帰還後、精神的な問題を抱えるなど、社会的なコストがあまりに大き過ぎたからだ。リーマン・ショック(2008年)によって、米国経済が大きな打撃を受けて、財政赤字が膨れ上がったことも重要な要因だ。その結果、米国は外交安全保障戦略を大転換している。たとえばこれまで米国とサウジアラビアは、強力な同盟関係にあった。しかしサウジアラビアが原油価格を牛耳った時代は去り、イラクやイランが産油国として台頭しつつある。このため米国にとって、サウジアラビアの重要性は薄れている。サウジアラビアは、イランと国交を断絶するなど、関係が悪化している。一方で、米国は、他の中東の大国であるイラクやイランと関係修復を試みている。イラクのフセイン、リビアのカダフィ、アルカイダのオサマ・ビン・ラディンも、もはやこの世にはいない。このため米国が中東に大規模な軍隊を展開する必要もなくなった。しかもかつてのように、米国の同盟国であるイスラエルを攻撃する国はなくなった。世界の国防費のうち、米国は36%を占めており、圧倒的に大きい(2015年名目ベース)。かつて米国と世界の覇権を争ったロシア(旧ソビエト連邦)の国防費は、それよりもはるかに小さい。中国も急増しているとはいえ、米国と比べるとはるかに小さい。しかし2010年代に入って米国は国防費を大きく削減している。しかも同盟国である英国、フランス、ドイツ、日本も国防費を減らしている。一方で米国を除いた世界の国防費は上昇傾向にあり、特に中国、ロシア、サウジアラビアなど地政学リスクの高い国を中心に国防費を大きく増やしている。
・歴史的に、世界の金融市場の混乱の多くは、地政学的な要因で生まれている。戦後の世界の株価急落は、多くが地政学的な要因によって起こった。そのケーススタディとして、戦後最大の株価下落を生んだ2008年のリーマン・ショックを分析する。リーマン・ショックは直接的には米国住宅バブル崩壊が原因とされるしかし米国住宅バブル崩壊は、世界の株価急落のきっかけに過ぎなかったと考えられる。2000年代には、中国を中心とする新興国バブル、新興国需要を背景とする資源エネルギーバブル、EUの本格的な統合を背景とするユーロバブル、世界的なM&Aバブルなど、多くのバブルが生まれていた。そしてそれらは同時に崩壊していった。つまり、米国住宅バブル崩壊をきっかけに、世界多発バブルが同時に崩壊したということだ。それでは、リーマン・ショックを生んだ米国住宅バブルは、なぜ生まれたのか。その原因の一つが中東に関わる地政学的な要因である。ITバブルが崩壊し、米国同時多発テロ発生の2ヶ月後、つまり2001年11月に米国の景気は底入れした。そして2004年には米国経済成長率は21世紀に入って最高の水準に達した。しかし当時、米国連邦準備制度理事会(FRB)議長であったアラン・グリーンスパンは、金融緩和を続けた。当時はアフガン戦争、イラク戦争が長期化していたために、世界的に不安心理が高まっていた。景気の底入れ後も、フェデラル・ファンドレート(政策金利、FF金利)の誘導目標を引き下げ続け、ついには当時最低水準まで引き下げた。そしてこれを長期間、据え置いた。つまり経済的には利上げすべきだったのだが、国際情勢が不安定なので利上げを見送ったのである。好況時に超金融緩和を続ければ、バブルが起きるのが世の常だ。この時期に住宅価格も、株価も大きく上昇した。つまり本来ならば利上げすべき時に、FRBは利下げをしたということだ。そこで一転、グリーンスパンは強烈な金融引き締めに転じた。短期間に強烈な金融引き締めを実行すれば、バブルが崩壊するのがこれまた必然と言える。名議長と言われたグリーンスパンをもってしても、判断を誤ったと言える。筆者はこれが戦後最大の経済危機となったリーマン・ショック発生の本質的な原因なのではないかと考えている。
・国際政治や安全保障においては、地理的要因がたいへん重要となる。地理的要因としては、地理的位置、地形、領土(国土の大小)、人口、気候、国家間の距離、エネルギー資源の存在、国内の民族・宗教・文化グループ、水路へのアクセスなどが挙げられる。たとえば、大陸欧州の大国であるドイツとフランスは隣国同士であり、歴史的に多くの戦争を戦ってきた。その始まりが30年戦争(1618年~1648年)だ。その後、ナポレオン戦争(1806年~1815年)、普仏戦争(1870年~1871年)、第一次世界大戦(1914年~1918年)、ルール占領(1923年)、第二次世界大戦(1939年~1945年)と、両国は激戦を戦った。その点、英国はドーバー海峡があるため、大陸欧州とは政治、経済的に一定の距離を保ち続けてきた。文化や法制度も大陸欧州とは大きく異なる。こうした地理的要因があるからこそ、英国においてEU離脱が真剣に検討された。あるいは「敵の敵は味方」ということもある。以外にも歴史的に英国とロシアは多くの軍事同盟を結んできた。ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦などがその例だ。いずれもドイツやフランスが共通の敵だったので、同盟を結んだのである。これは、英国とロシアが遠すぎて、直接的に戦争をすることがほとんどなかったからでもある。たとえば、第二次世界大戦では、ソ連のスターリンと英国のチャーチルは仲がいいので手を組んだというよりは、共通の敵がヒトラーだったので、手を組んだのではないか。決して両国は本質的に仲がいいわけではないように思える。
・地理的要因に、歴史や宗教、民族の違いなどが加わってくると、地政学の分析は一段と複雑になる。距離的に近く、しかも民族や宗教が異なると、良好な関係を保つのは、時に難しい。たとえば中東の大国であるイランとイラクは隣り合っているが、以下のように大きな違いがある。
民族の相違:イランはインド・ヨーロッパ語族のペルシャ人が多数派であるが、イラクはアラブ人が多数派である。フセインがイラクに住むクルド人を虐殺したことがあったが、クルド人はインド・ヨーロッパ語族だ。
宗教の相違:両者ともイスラム教だが、イランはシーア派が圧倒的な多数を占める。イラクは国全体としてはシーア派が多数であるものの、永く独裁者として君臨したサダム・フセイン大統領など、中枢にはスンニ派が多くいた時期があった。2016年初めにサウジアラビアとイランが断交したのも根底には、シーア派の宗主イラン対スンニ派の宗主サウジアラビアとの対立がある。世界の警察官がいなくなったことによって、ますます今後の中東の混乱が懸念される。
・地政学は19世紀後半以降、欧米で発達してきた。19世紀後半は、欧州列強による植民地支配、覇権争いが活発化しており、そうした中、地政学が生まれた。安全保障、軍事力に焦点を当てた地政学を特に、地政戦略学と呼ぶ。知性戦略学は以下に代表される。
1.ドイツのカール・ハウスホーファーの生存圏理論
2.英国のハルフォード・マッキンダーのハートランド理論
3.米国のニコラス・スパイクマンのリムランド理論
こうした理論は、19世紀後半から20世紀(冷戦期)に妥当していた伝統的地政学であり、国家の(軍事的)戦略的行動を説明し予測する研究であった。第二次世界大戦の日本やドイツ、冷戦時代の米国やソ連のように、国家の膨張政策を正当化するイデオロギーとして濫用されることもあった。
・以下は主要な地政学用語である。
世界島:ユーラシア大陸とアフリカ大陸を合わせた世界最大の「島」
ハートランド:世界島の中心に位置するユーラシア大陸の北内陸部(旧ソ連の領土に相当)
リムランド:ハートランドの周辺地域(極東、中国、東南アジア、インド、中東、地中海、中東欧、北欧)
ランド・パワー(大陸国家):他国と陸の国境で接する国家で、ロシアやドイツのように、海軍は小さいが、強力な陸軍を持ち、ハートランドやその周辺に大きな力を持つ。
シー・パワー(海洋国家):国土が海に囲まれ、または強大な海軍など制海権を有する国家であり、英国や米国の場合、ユーラシア大陸から海で隔てられている。
クラッシュ・ゾーン:シー・パワーとハートランドの間に位置する小さな緩衝国。たとえば中欧、東欧諸国を指す。
これらがぶつかり合って、20世紀に世界大戦が起こり、21世紀の今なお地政学的な対立が続いているのだ。
・帝国主義全盛期の19世紀後半には、大英帝国が世界を制覇した。そして欧米列強が次々に植民地を広げていった時代でもある。こうした考えは、自分が生きるために他国を侵略するのは仕方がないという思想にも通じる。日本もそうであったが、生き残るためにやむを得ず、自存自衛のための戦争ということを標榜する。20世紀初頭、ドイツは3B政策を推進した。これはベルリン、ビザンチウム(現在のイスタンブール)、バクダットを軸として勢力を拡大する政策だ。そしてドイツは3C政策を推進する英国と対立した。これはカイロ、ケープタウン、カルカッタ(現在のコルカタ)を鉄道で結ぶ植民地政策だ。これが、ドイツを中心とする三国同盟とイギリスを中心とする三国協商の対立を生んだ。やがてこれが第一次世界大戦に発展した。今から見れば、これらは帝国主義的な侵略なのだが、当時は「やられる前に打って出ないと、やらえる」という時代であった。
・1923年にハウスホーファーは、アドルフ・ヒトラーと出会い、地政学を伝授した。こうして地政学はヒトラーにより、生存圏確保のための領土の拡張とそのための邪魔者の排除に利用された。ハウスホーファーは、1909年~1910年に日本に軍事オブザーバーとして滞在している。1940年日独伊三国同盟や1941年日ソ中立条約など、日本の軍事政策にも影響を与えた。しかし第二次世界大戦後、戦犯に問われたハウスホーファーは自殺し、ドイツで発展した政治地理学が消滅した。
・ハウスホーファーは、ラッツェルとチェレーンの思想をベースに、マッキンダーのハートランド理論にも影響を受けた。しかしハートランド理論が勢力均衡の実現を目的とするのに対し、生存圏理論では勢力均衡を打破して、生存圏を拡大すべきと曲解された。これは、ランド・パワーのロシアとドイツが連合し、シー・パワーの英国と米国をユーラシアのリムランド(つまり大陸欧州)から排除するという考えである。実際に、1939年に独ソ不可侵条約が締結され、秘密協定に沿ってポーランドの独ソ分割占領が実行された。これが第二次世界大戦の始まりとなった。こうして生存圏理論は、第一次、第二次世界大戦双方に大きな影響を与えた。ドイツの戦法が、短期決戦、あるいは電撃作戦中心になるのは地政学的影響が大きい。国土がロシア、フランス、オーストリアといった大国に囲まれたドイツにとって、自国が生き抜くためには、先制攻撃が重要となる。このため、ドイツは平時から戦争計画をつくり上げ、先制攻撃によって緒戦で勝負を決着する戦法を得意とする。普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦のポーランド侵攻、フランス占領、ソ連侵攻など、ドイツはすべて電撃作戦を実行した。そして普仏戦争のように、短期決戦で終わると勝利するが、戦争が長引くと、大国に囲まれているドイツにとっては不利になる。それはハートランドとシー・パワーに挟まれるドイツの地理的な条件があるためだ。海に囲まれた英国などと違い、生き残るためには先制攻撃が必要となりがちだ。
・本格的な地政学の始祖は、英国の地理学者であるハルフォード・マッキンダー(1861年~1947年)である。マッキンダーは1899年にオックスフォード大学に地理学部を創設し、ロンドン大学政治経済学部の学部長、下院議員も務めた。マッキンダーは、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦の構造を予言し、現在の地政学の基礎を築いた。そして20世紀初頭に20世紀から21世紀にかけて起こる世界的な対立を予言していた。たとえば現在のシリア難民問題ですら、マッキンダーの理論で分析可能である。その中核は20世紀初頭にマッキンダーが発表したハートランド理論だ。マッキンダーの主張のポイントは以下の通りである。
1.世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を支配する者は世界を支配する
2.世界島の中心にあるハートランドを支配する者は世界島を支配する
3.東欧を統治する者は、ハートランドを支配する
・つまり、マッキンダーは、ユーラシア大陸の中心部である旧ソ連の領土を握るものが世界の覇権を握ると考えたのだ。歴史的にハートランドを支配したのは、元とソ連のみである。なお、ハートランドの概念を初めて使用したのは、英国の地理学者で、マッキンダーの教え子であったジェームス・フェアグリーブ(1870年~1953年)である。地政学の始祖と呼ばれるマッキンダーは、シー・パワー理論の影響を受けている。マッキンダーは歴史的にシー・パワーとランド・パワーが対立してきた構造を示した。この理論に立てば、英国、フランス、ドイツなど欧州の大国は、「世界島」の西のはずれにある。だから、これらの国々はリムランドと言われる。言い換えれば、欧州諸国がハートランドをおさえるには、ハートランドまでの道のりにある東欧諸国が重要ということになる。そして、リムランドとハートランドの境界にある東欧諸国は、戦争や紛争が起きやすいクラッシュ・ゾーンとなる。
・世界島やハートランドと言われても、今ひとつピンとこない。あるいは、「東欧を制する者が世界を制する」と言われると違和感があると言わざるを得ない。しかし実際に、マッキンダーの予言は的中した。20世紀初頭に、東欧、中でもバルカン半島は「世界の火薬庫」と呼ばれ、軍事的、外向的に重要な位置を占めた。まさにこれらは文字通りクラッシュ・ゾーンとなり世界中を戦乱に巻き込んだ。たとえば第一次世界大戦は東欧の小国サラエボでオーストリア皇太子が暗殺されたことから始まった。第一次世界大戦の本質は、ランド・パワーの新興国ドイツとシー・パワーの領袖であった大英帝国の対決だった。第二次世界大戦は、クラッシュ・ゾーンにあるポーランドに、ドイツとソ連が同時に侵攻して、その後、両国がポーランドを分割統治したことから始まった。独ソ不可侵条約を結んだ両国だったが、やがて、ドイツは資源が豊富なハートランド(この場合、カスピ海沿岸の油田)に進出するために1941年にソ連侵攻に踏み切った。
・冷戦は、東欧に展開される「鉄のカーテン」(バルト海からアドリア海につながる)やベルリンの壁を挟んで、西側諸国と東側諸国が対立したものだ。つまり、「鉄のカーテン」はクラッシュ・ゾーン上に展開された。その後も、ハンガリー動乱、チェコの春、ベルリンの壁崩壊、旧ユーゴの内乱など、クラッシュ・ゾーンで大きな動乱が起きた。
・20世紀初頭に、マッキンダーはハートランドを圧倒的なランド・パワー(たとえばドイツやロシア)が制すれば、世界を制することになると考えた。そして、ハートランドにおけるランド・パワーがシー・アワーを攻めた場合の脅威に警鐘を鳴らし、勢力均衡が各国の安全を保障するため、自由の基礎となると主張した。実際にクラッシュ・ゾーンを押さえ、かつハートランドを支配したソ連は、キューバ、北朝鮮、ベトナム、インド、エジプト、シリアなど、欧州以外にも同盟国を広げた。世界を制覇するには至らなかったが米国と並び立つ国になった。
・20世紀に突入し、シー・パワーである大英帝国の覇権に陰りが見られる中、ロシアの南下政策やドイツの帝国主義により、ランド・パワーの軍事的脅威が増していた。マッキンダーは、勢力均衡のため、ドイツとロシアの間に、独立国家として複数の東欧諸国からなる中間地帯が必要であると考えた。これは、ロシアやドイツに東欧を支配させてはならないとの警鐘であったが、英国政府がハートランド理論を採用することはなかった。これがやがて、二度の世界大戦につながった。そして現在のシリア難民、ウクライナ内戦、ロシアによるクリミア併合なども、クラッシュ・ゾーンが舞台となっている。今後も、マッキンダーのハートランド理論が有効であり続ける可能性が高い。
・米国海軍少将であったアルフレッド・セイヤー・マハン(1840~1914年)は、地政学の名称の生みの親だ。シー・パワー理論を提唱したマハンは、海軍の歴史家としてシー・パワーとランド・パワーの歴史を研究した。マハンは、海洋が安全保障上そして経済上重要な意味があり、世界大国になるためには、海洋を掌握することが絶対不可欠な条件であると考えた。特に、シー・パワーとして覇権を握った大英帝国を教訓とし、米国内で吸収し切れない工業・商業製品の受け入れ先として、米国も対外的な拡張政策をとることを求めるものであった。1902年に中東という用語を初めて用いたのもマハンである。中東とはアラブとインドに挟まれた地域で、海軍戦略上重要な拠点であった。またマハンは1876年に来日し江戸幕府第15代将軍であった徳川慶喜と面会している。米国は歴史的に孤立主義をとる。1823年にモンロー大統領がモンロー主義と呼ばれる外交の基本方針を打ち出した。モンロー主義は、米大陸と欧州大陸の間の非植民地化、非介入、非干渉をうたったものでう。このため英国やフランスと比較して米国の植民地政策は遅れていた。マハンの理論は、ウィリアム・マッキンリー大統領、セオドア・ルーズベルト大統領など米国の海洋戦略に影響を与えた。1898年に米国はハワイを併合し、さらに米西戦争に勝利し、プエルトリコ、グァム、フィリピンを領有した。1903年にはキューバから、グアンタナモ湾の海軍基地を永久租借している。このように、シー・パワー理論は米国がその後、国際主義に転換する一つの理論的支柱となった。
・米国が孤立主義を捨て、本格的な国際主義に転換した理論的支柱はニコラス・スパイクマン(1893~1943年)のリムランド理論だった。米国イェール大学の国際関係論の教授であったスパイクマンは、リムランド理論により冷戦時代の米国の安全保障戦略に大きな影響を及ぼした。スパイクマンは、重要な地政学上の地域として、マッキンダーのハートランド理論を踏襲した。そしてハートランドの周辺地域(極東、中国、東南アジア、インド、中東、地中海、中東欧、北欧)をリムランドと名付けた。ランド・パワー(ドイツ、ロシアなど)とシー・パワー(英国、米国など)の中間にリムランド(西欧、北欧など)があり、リムランドの重要性が地政学的に高いと主張する。そして、リムランドを支配する者がユーラシアを制し、ユーラシアを支配する者が世界の運命を制すると考えた。1942年にスパイクマンが著した「世界政治における米国の戦略」は、第二次大戦後の国際情勢を読み説く上での枠組みが示されている。リムランド理論は、米国の冷戦時代の外交政策に大きな影響を与えたと言われている。実際に冷戦時代に米国は対ソ連の「封じ込め戦略」を採用した。
・さらにスパイクマンは旧世界と新世界の対立論を唱える。ユーラシア大陸、アフリカ、オーストラリアを旧世界、米大陸を新世界に区分し、旧世界が特定の大国に支配されれば、新世界も征服されるとの脅威を示した。このため新世界の米国が、旧世界を積極的に包囲すべきと主張した。そこでスパイクマンは、米国は旧世界の大国間の均衡を構築し、維持するため、孤立主義(モンロー主義)ではなく、対外介入主義を採用すべきであると提唱した。地理的に離れていても、エア・パワー(空軍力)と機動的に世界展開できる軍隊を持つ米国は、戦後多くの軍事同盟を結び、世界の警察官として多くの戦争、紛争に介入した。
・地政学における重要な概念として「時代と共に大国は変遷する」という考えがある。大国が変遷すると、その結果、地政学的リスクも変化する。そして世界の経済や金融市場にも大きな影響を及ぼすことがある。歴史的に世界の大国は変遷してきた。世界の四大文明の発祥は、今の国で言うと、中国、パキスタン、イラク、エジプトだった。その後、欧州では、ギリシャ、イタリアの順に覇権は移った。16世紀にはスペインとポルトガルが世界を二分し、19世紀には英国が世界を制覇した。アジアでは、モンゴル、イラン、トルコが覇権を握ったこともあった。現在大国といわれる米国の建国は1776年、ドイツは1871年、そして日本の明治維新は1868年と歴史は浅い。米国と並んで大国であったソ連は1922年に誕生したものの1991年に崩壊した。つまり69年間の短い命だった。このように世界の大国は移り変わり、それが世界の安全保障に大きな影響を与える。
・「大国の興亡」は地政学的リスクを大きく変化させる。「大国の興亡」が新たな地政学的リスクを生む例としてソ連崩壊をとりあげる。米ソ冷戦終結がきっかけとなって1991年に米国と対峙していた大国ソ連が崩壊した。ソ連崩壊は以下のように地政学的に大きな変化をもたらした。第一に中国の台頭である。ソ連が共産主義国でなくなった結果、1990年代以降、世界の共産主義国のほとんどは事実上資本主義化した。その影響を受けて中国は政治体制は共産党一党を維持しながら経済体制を自由化した。資本主義経済体制に切り替えて以降、中国経済の高成長が続いた。今では中国のGDPは日本の3倍近くに達し、2020年代には米国を抜いて世界一になると見られる。つまりソ連崩壊が中国の台頭の時期を早めたとも言える。中国経済が大きくなったために、中国株の動向が世界にも大きな影響を与えている。さらに人民元も世界の通貨に大きな影響を与えている。そして経済力の強大化と同時に軍事力も強大化している。経済的に豊かでなければ、南沙諸島に軍事基地をつくることはできない。
・第二の例はリムランドである欧州の不安定化だ。欧州連合(EU)は、長年、戦争を繰り返してきたドイツとフランスを中核として、それにイタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクが加わって、1952年にその前身(欧州石炭鉄鋼共同体)が誕生した。つまりソ連が米国と並んでスーパーパワーであった時代は、EUの前身である欧州共同体(EC)は西欧諸国連合であった。そしてEC加盟国は米国やカナダなどと軍事同盟を組んだ。これが北大西洋条約機構(NATO)である。地政学的にいえば、リムランドのフランス、ランド・パワーの雄ドイツと、シー・パワーの米国、英国などが連合してソ連などに対抗した。それに対してハートランドの盟主であるソ連はクラッシュ・ゾーンにある東欧諸国とワルシャワ条約機構をつくって対抗した。そしてソ連はアジアのリムランドである中国、北朝鮮、モンゴル、北ベトナムなどと社会主義陣営を構築した。EUは1992年にマーストリヒト条約により1993年に発足した。つまりソ連崩壊の2年後に誕生したことになる。2004年以降、EUは旧東側諸国の加盟を認め、名実ともに欧州全体の国家連合となった。EUは経済同盟である前に安全保障同盟という要素を持つ。だからこそソ連崩壊を機に経済水準は低いもののソ連陣営だった国々を西側陣営に引き入れたほである。
・地政学的に言えばハートランドの盟主であるソ連が崩壊し、クラッシュ・ゾーンにある東欧諸国が西欧のリムランドとシー・パワーである米英の西側陣営に加わったということになる。こうして拡大EUはソ連の一部だったバルト3国まで含むユーラシア大陸西部の広大な地域と膨大な人口を支配することとなった。その結果、シー・パワーの米国、英国、リムランドのフランス、ランド・パワーの雄ドイツと、クラッシュ・ゾーンにある東欧諸国が同盟を組んで、ハートランドにあるロシアに対抗する形となった。このため軍事バランスという意味では、西側の圧倒的な優位になったということだ。しかし皮肉にもこれが現在のEUの不安定化を生んでいる。旧東側諸国の経済水準は、ドイツ、フランスなどと比較してかなり低い。つまり旧東側諸国がEUに加盟するということはEU加盟国間の経済格差が拡大することを意味する。そして経済水準の格差拡大は、通貨の不安定化をもたらす。英国とデンマーク以外のEU加盟国は統一通貨ユーロに参加する義務を負う。経済水準の低い東側諸国がユーロに参加するということはユーロが不安定化することを意味する。加えて、財政政策や社会政策の問題も発生する。EU加盟国の国民は移動の自由があるため、加盟国内のどの国にも移動が可能になる。たとえば、旧東側諸国であったクロアチアがEUに加盟し、比較的賃金の低いクロアチア人は英国で自由に働けるようになった。またドイツはシリア難民を受け入れているが、難民がドイツ国籍を取得すれば、他のEU加盟国でも自由に働くことができる。EU加盟国は財政政策が統一されていないため、社会保障制度は国によって大きく異なる。たとえば、英国やドイツなどの高所得国は、生活保護などの社会福祉が充実しており、低所得国からの移民や難民が多くやってくる。これは「社会保障のアービトラージ(さやとり)」と言われる。これを嫌う英国は、EU離脱を真剣に検討するに至った。これらはEUが従来の西側諸国連合であれば、大きな問題にならなかっただろう。つまり「ソ連崩壊→東欧諸国のEU加盟→EUの貧富の格差拡大→EUの不安定化(英国のEU離脱検討、ユーロ危機など)」という図式である。
・もう一つ大国の興亡が地政学的リスクを高めた例を紹介することとしよう。世界島の結節点であり、ハートランドに接する中東は、古くから交通や商業の要衝として栄えた。20世紀に入って、石油資源が豊富であることから、戦後はバルカン半島に代わって、世界の火薬庫であり続けた。戦後の世界の金融市場の混乱の多くは中東が発信源となった。その理由は数多いが、第一次世界大戦後、オスマン帝国が崩壊した影響は大きい。トルコ系イスラム教徒が多いオスマン帝国は、1543年にビザンツ帝国の首都コンスタンチノープル(現イスタンブール)を陥落させた。その後、中東とバルカン半島の大部分を支配した。オスマン帝国の最盛期は、スレイマン1世(在位1520年~1566年)の時代であった。その支配地域は、古代ローマ帝国の最盛期の4分の3を占めた。ところが19世紀には「ヨーロッパの病人」「瀕死の病人」と呼ばれ第一次世界大戦の敗戦が帝国崩壊の決定打となった。オスマン帝国崩壊後、中東は真空状態とんり、それがその後の中東の紛争を生んでいる。英国は第一次世界大戦を有利に導くために以下の3つの協定を別々に結んだ。
フサイン・マクマホン協定:オスマン帝国占領下のアラブ人(サウジアラビア)に、戦後の独立を約束し、軍事支援をした。
サイクス・ピコ協定:ロシア、フランスと秘密協定を結び、戦後、オスマン帝国の領土を3国で分割統治すること、パレスチナを国際管理することを定めた。
バルフォア宣言:ロンドンのユダヤ金融資本と中東のユダヤ人の協力を得るために、パレスチナにユダヤ人の国家をつくることを約束した。
現在の中東の国境線の多くはこの時期に決まった。イラク、ヨルダン、シリア、クウェートなどの領土は、事実上、英国、フランス、ロシアの秘密協定であるサイクス・ピコ協定によって決まったと言って過言でない。異教徒である欧州列強が強引に引いた国境線が、熱心なイスラム教徒たちに押しつけられたということだ。その地域にまたがってISが存在するのだが、彼らにとって異教徒が自分たちの都合で決めた国境線を守る必然性はない。異教徒にとってISは敵かもしれないが、アラブ人からするとスンニ派主体のISは主流派に属する。日本から見ると、国を持たないISが国家として振る舞い、かつ欧米の熾烈な攻撃にあっても、未だに存在することはきわめて理解しがたい。しかしこのような歴史的な背景を理解すると、現在の中央問題の根深さが理解できる。
・外交において米国の制度は日本のそれと大きく異なる。特に外交、安全保障の分野では議会の発言力が強い。たとえばウィルソンの国際連盟、ゴアの京都議定書など、大統領や副大統領が世界に約束しても議会(上院)の反対により実現しないことがある。1997年に気候変動枠組条約京都議定書が採択され、先進国を対象に、国別の温室効果ガスの削減数値義務を盛り込んだ。ゴア副大統領の強力なリーダーシップでまとめ上げたものだった。ところが、京都議定書はクリントン大統領が署名したものの、議会の同意が得られずに批准できなかった。2001年に誕生したブッシュ政権は、「途上国に数値目標を課しておらず不公平である」として不参加を表明した。条約とは国家間で文書により締結された国際的合意であり、条約、協定、議定書など名称は多様である。米国では合衆国憲法により条約は制定法と同様に国の最高法規としての地位が与えられている(合衆国憲法6条2項)。判例上も連邦法と条約は同等の効力があることが判例上確立している。一般に条約は交渉、条約文の選択、署名、批准の手続きを経る。なお日本でも条約締結は内閣の職務であるが国会の承認が必要である(日本国憲法73条3号)。条約を締結するのは国家であり、米国では州が条約を締結することはできない(合衆国憲法1条10節)。大統領が条約締結権限を行使するが、そのためには上院の助言と承認(出席議員の3分の2の賛成)が求められる。出席議員の3分の2の賛成が大変高いハードルであるため、時々条約が批准できない事態が起きる。ただし憲法慣行として上院による助言と承認なしに大統領の外交的権限に基づき、行政協定を締結することができる。つまり重要なものに限って上院の権限が大きいということだ。
・歴史的に米国大統領が交代すると、政策が大きく転換し、その結果、世界情勢に大きな変化を与えることがある。それは特に外交や安全保障政策に大きく表れる。米国は伝統的に外交戦略として孤立主義を採用してきた。米国は1776年に独立宣言を行って以降、外向的に欧州から距離をとる政策をとった。米国の伝統的孤立主義は、①他の国と同盟を組まない単独主義、そして②米大陸以外(特に欧州)に介入しに不介入主義、から構成される。一方で、国際主義とは米国が積極的に安全保障や経済システムの構築に関与することが国益にかなうとするものだ。第一次世界大戦後に国際連盟に加盟しなかった米国が、第二次世界大戦後には国際連合設立を主導したのは、孤立主義から国際主義に転換したことを示す。欧州や日本などと軍事同盟を締結し世界の警察官となった。歴史的に米国の外交政策は孤立主義の傾向は強いものの、孤立主義と国際主義の間で揺れ動いてきた。大きな流れとしては建国から第二次世界大戦までは孤立主義、第二次大戦後イラク撤退までは国際主義、そしてその後、孤立主義に回帰しつつある。ただしその中でも、10年単位で孤立主義と国際主義の間で振れている。たとえば孤立主義の時代であった19世紀末にはフィリピンを植民地化し、ハワイを併合した。また国際主義の時代であった1960年代にはベトナム反戦運動が盛り上がり、米国はベトナムから撤退した。
・米国は欧州の戦乱に巻き込まれない戦略を基本としてきた。19世紀に欧州ではナポレオン戦争、普仏戦争など大規模な戦争があったが、米国は中立を守った。この時期に石油や鉄鉱石などの豊富な資源を背景に米国は経済力を発展させた。その米国が欧州の大戦に初めて参加したのが第一次世界大戦であった。当初米国は中立を保ったが、米国の多くの貨物船がドイツのUボートに撃沈されたことを契機に三国協商側に立って参戦した。1918年に米国を含む三国協商側の勝利で大戦は終わった。戦後、ウイルソン大統領は世界平和の実現のために国際連盟の設立を提唱した。主要国すべてが賛同し、国際連盟は設立された。ところが米国議会はこれを認めず提唱者である米国は国際連盟に加盟しなかった。これは孤立主義が米国で深く根付いていたことを示す。しかし第二次世界大戦を契機に米国は国際主義に大きく転換した。日本による真珠湾攻撃にあるように海軍と航空兵力の技術が発達したため、世界戦争の中で米国だけ孤立することが国益にかなわなくなったのだ。孤立主義を背景に国際連盟に加盟しなかった米国だが、第二次大戦後、国際連合設立を主導し、その本部を米国の中心都市であるニューヨークに置いた。IMF、GATT(現WTO)、NATOもすべて米国の主導でつくられた。それほど米国の政策は大きく転換したのだった冷戦体制では、ソ連が東欧諸国を社会主義圏として統制したのに対し、米国はソ連の拡張政策を阻止するため、トルーマン・ドクトリン(封じ込め政策)を推し進めた。西側諸国は東側諸国に対抗し1949年にはNATOを発足させた。米国は州やアジア太平洋などに米軍基地を配置し、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と、「世界の警察官」であり続けた。レーガン政権では強い米国の再生を唱え、外向き外交に転じた。そして冷戦を終結させた。
・2013年にオバマ大統領は米国、米国民や同盟国が直接脅かされない限り、単独で軍事力を行使しないとの方針を示した。米国が世界の警察官をやめた理由として、第一に2008年のリーマン・ショック後、財政赤字が急増し、膨れ上がった軍事費を大きく縮小する必要があった。国防費対GDP比h、冷戦終結以降、概ね3%~4%台で推移しているがそれを下回る水準になった。現在でも米国の国防費は約60兆円と世界最大だ(2015年)。2位の中国の3倍近い。ただしその優位性は急速に崩れている。軍事費を減らさざるを得なかったオバマは、徹底した和平路線を実行した。オバマは内政面での評価はあまり芳しくないが、外交、安全保障ではアフガン戦争とイラク戦争の停止、核削減、キューバ国交回復、イラン制裁解除と目覚ましい成果を上げている。議会では、上院、下院ともに、野党共和党が多数を握っているため、内政では法案を通す必要のあるような大きな政策を実施することが難しい。そこで、オバマは大統領権限で有効な政策を実施できる外交に注力している。米国の大統領は外交関係に関し、国を代表して処理する権限があり、国交正常化は大統領権限で可能である。たとえば2015年にオバマは、キューバとの国交を正常化し、首都ハバナに米国大使館を再開した。ただし全面的な対キューバ経済制裁解除にはヘルムズ・バートン法(キューバの自由・民主的連帯法)に基づき議会承認が必要となる。これまでイラン核開発の懸念か、米国はイランとの取引を禁止する制裁を実施している。2015年に米国を含む安保常任理事国とドイツ(P5+1)及びEUは、イランとの交渉により、核技術に関する包括的共同行動計画(JCPOA)に合意した。そして2016年に米国はイランへの経済制裁を解除した。このようにオバマ大統領は限られた権限の範囲で、着々と成果を挙げてきた。戦争がなくなりそして核兵器削減が実現すれば、必然的に米国が世界の警察官である必要は薄れる。
・米国が世界の警察官をやめた理由として、第二にシェール革命によって、米国が世界最大の産油国になり、米国の中東依存度が低下したことがある。米国は、戦後、中東戦争、イラン革命、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、アラブの春と直接、間接的に中東に頻繁にかつ深く関与してきた。その間、多額の費用と多くの人命が失われた。なぜ米国は遠く離れた中東に深く関与していたのか。一つは米国に多くの同胞を抱えるイスラエルの存在がある。しかしより大きな理由は中東が世界最大の原油の産地だからだ。2010年代に入ってシェール革命による米大陸エネルギー自給が実現した。米国のエネルギー生産は急増し、今や米国は世界最大の産油国だ。このため米国がエネルギー資源を求めて中東に関与する必要性が低下している。米国で2004年頃からシェールガス革命が始まった。さすが革命といわれるだけのことはあって2005年以降米国の天然ガス生産は劇的に増加している。2008年頃以降、シェールオイル革命が本格始動した。シェールガスが採掘可能な頁岩層からはオイルも生産できる。価格の高いジェット燃料やガソリンが豊富い抽出できる軽質油が大量に生産される。こうして米国のオイル生産は急拡大し、サウジアラビア、ロシアを抜いて世界一位になった。シェール革命の影響で、2006年をピークに米国のオイル純輸入量がほぼ半減した。2020年までには輸出が輸入を上回り、純輸出国に転じるであろう。これまで米国は世界最大のオイル輸入国であったため、米国にとって原油が豊富に産出される中東の重要性が高かった。これが米国が中東戦争、湾岸戦争などの戦争を繰り返してきた理由だ。大規模な戦争の度に石油価格が高騰し、米国を含む世界経済にとって大きな脅威となった。しかし米国にとって中東の重要性が薄れれば、必然的に自国の青年の命を懸けてまで、中東に介入する必要はない。中東で紛争が起こって原油価格が高騰すれば、世界最大の産油国である米国の利益は大きい。こうしてシェール革命は米国を孤立主義に回帰させた要因の一つとなった。
・米国が世界の警察官をやめた理由として、第三に米国にとって欧州と軍事同盟を維持する必要性が低下したことが挙げられる。冷戦の終結によりロシア(ソ連)の脅威が後退したため、欧州と強い同盟関係を維持する必要がなくなった。戦前、ドイツは世界初の軍事用液体燃料ミサイルであるV2ロケット開発に成功し、ロンドンなどの攻撃に使った。これは世界初の宇宙を飛ぶロケット弾だ。戦後、ソ連はドイツのロケット技術者を連行して、大陸間弾道ミサイルと核兵器を開発した。そして米国を攻撃し得る大陸間弾道ミサイルの開発に成功した。かつては地理的に欧州から遠い米国は欧州との戦争に巻き込まれることはなかった。これが米国が孤立主義をとることができた理由となった。しかしミサイルが宇宙を飛ぶ時代にはもはや米国は孤立主義をとることはできず、その安全保障政策を国際主義に転換した。初代大統領ワシントン以来の非同盟戦略を大転換し、戦後、米国と欧州はNATOによって強力な軍事同盟をつくり上げた。さらにアジア・太平洋地域において日本、韓国、オーストラリア、中東においてサウジアラビア、クウェート、イスラエル、トルコなどと軍事同盟を結んだ。しかし1990年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊によって、冷戦が終わった。1993年にEUが誕生し、2004年からは東欧諸国の多くが加盟した。ここに東西対立は終わり、米国が欧州と軍事同盟を結ぶ必要が薄れた。EUの人口、GDPともに、米国より大きいこともあって、欧州にとっても米国依存が低下している。
・英仏を中心とする欧州諸国は、米国の主導する湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争に参加したが、多くの犠牲者を出す結果となった。特に米英同盟重視を貫いた英国ブレア政権は、国内世論の厳しい批判を浴びた。英米関係の緊密度が薄れる中、英国は中国が主導して設立したアジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加した。AIIBは多国間の開発金融機関として、57カ国が参加しており、フランスやドイツなどEU諸国が含まれる。ただし日本と米国は参加していない。英国は、西欧諸国の中で最初に参加の意思を表明した。そして英国は中国から原子炉を購入するなど独自の道を行く。欧州の抱える深刻な問題として、ギリシャ危機、シリア難民、ウクライナ内戦、パリやベルギーのテロ事件などがあったものの、いずれも米国の支援や関与は限定的だった。これらはソ連の大陸間弾道弾と違って米国の安全保障を直接的に脅かすわけではないからだ。
・アラブ人は、中東、地中海岸の広範囲にわたって居住しており、多様性を特徴とする。風俗習慣は国により異なるが、言語は大きく異ならない。これはアラブ人の多くがイスラム教を信仰しその結果聖典であるコーランを通じて共通の言語が普及したからだった。このため国が違っても言語は大きく違わずに会話できる。イスラム教は唯一絶対神アッラーへの帰依を説き、その預言者ムハンマドの言葉を集めたコーランの教えに従う。コーランは「声を出して読むもの」という意味であり、イスラム教の普及は、イスラム共同体を拡大することとなった。イスラム教徒はムスリムと呼ばれ、同胞意識を強く持つ。正統カリフ(後継者)の時代に拡大していったイスラム共同体を通じて、共同体思想が形成された。イスラム社会にはキリスト教にょうな聖職者は存在せず、ムスリムが平等に参加する水平で単一の組織として構成されている。このため団結力が強い。イランは、アラブ人中心の他の中東諸国と異なり、インド・ヨーロッパ語族に属する。アラブ人とは身体的特徴が異なり、鼻が高い、彫りが深い、瞳が大きいなど欧州人同様の傾向が見られる。しかもイランの宗教はイスラム教シーア派が圧倒的な多数を占め、スンニ派が多数派である他の中東諸国とは異なる。つまり中東最大の人口を持つイランは、インド・ヨーロッパ語族でありかつシーア派だが、他の中東諸国はアラブ人でかつスンニ派が主流だ。2015年に入ってサウジアラビアとイランが断交したがこれも宗教対立が背景にある。トルコ人はアジア系の遊牧民族であり、その言語体系は日本語と同じだ。イスラエルに多いユダヤ人は民族的な概念ではなく、ユダヤ教を信じる人を指す。人種的には欧州系が多い。国家を持たない最大の民族であるクルド人は、イラク、シリア、トルコ、イランにまたがって住んでいる。インド・ヨーロッパ語派に属し、クルド語はペルシャ語に近い。このように非常に区別はつきづらいのだが、中東の民族、宗教は複雑だ。
・ISが生き残っている大きな理由は以下の3点である。
1.米国が地上戦で直接的に掃討しない
米国は、ISに対して爆撃し、イラク軍を支援するだけであり、直接的な軍事介入は避けている。
2.異教徒である欧米列強に対する反発がある
アラブ諸国にとって、ISはウンマを形成する同胞である。ムスリム同士で争っていても、異教徒に対しては一致団結して戦う傾向がある。このため異教徒である欧米諸国と組んで、イラク軍やシリア軍がウンマに属するISを掃討するのは難しい。
3.ISがイスラム教の主流派であるスンニ派である。
「グローバル投資のための地政学入門」パート2に続く
良かった本まとめ(2016年下半期)
<今日の独り言>
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。
「グローバル投資のための地政学入門」という本は、地政学(地理的要因が国際的な政治、外交政策、安全保障や経済に与える影響を研究するもの)の理解抜きには世界の金融市場の分析はできないということで、世界の地政学の基礎理論や米国の世界戦略、欧州(ドイツや英国、ロシア等)、中国の各国の状況や歴史、地政学的リスクの高まりによる金利低下やその影響、日本が取るべき道(インバウンド(訪日外国人増加)による観光立国)等について分かりやすく書かれていて、今後の長期の資産運用に役立つ内容だと思います。
特に20世紀初頭にマッキンダーが発表した以下のハートランド理論のポイントが、その後の第一次世界大戦や第二次世界大戦を予言しているだけでなく、現在のシリア難民、ウクライナ内線、ロシアによるクリミア併合などにもつながっているとはナルホドと思いましたね♪
<20世紀初頭にマッキンダーが発表したハートランド理論のポイント>
1.世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を支配する者は世界を支配する
2.世界島の中心にあるハートランドを支配する者は世界島を支配する
3.東欧を統治する者は、ハートランドを支配する
また欧州リスクが高まる理由やIS(イスラム国)が生き残る理由などもよく理解できました♪
それから、本書は米国大統領戦前の2016年9月に発行されているのですが、当時クリントン有利と言われていた中でトランプが大統領になる可能性があることについて書かれていることは秀逸だと思います。
「グローバル投資のための地政学入門」という本は、地政学という観点から世界の歴史や紛争・摩擦の理由について客観的に理解できるだけでなく、それらが金融市場に与える影響について分かりやすく、また真実を追求していて、とてもオススメです!
あまりにも良書なので、2回に分けて紹介致します♪
以下はこの本のポイント等です。
・歴史的に、地政学的な要因が、株式、金利、為替、エネルギーなどの相場に対して大きな影響を与えてきた。たとえば、エジプトやシリアがイスラエルに攻め込むことによって、第四次中東戦争(1973年)が始まった。エジプトやシリアは有力な産油国ではないが、近隣のアラブの産油国が結束して、これらの支援のために対米石油禁輸に踏み切った。これらは地理的に近いがゆえに戦争をし、あるいは同盟を組んだのだ。これをきっかけに石油危機が起こり、世界の株価は大きく下落し、為替相場が乱高下した。そして日本では狂乱物価と呼ばれたインフレが発生した。2010年代に入って、米国は世界から兵力を撤退させつつある。警察官がいなくなれば必然的に世界の治安は悪化する。世界を揺るがす大事件や戦争を起こしたサダム・フセイン、カダフィ、オサマ・ビン・ラディンらはすでに殺害された。それでも、シリア難民、IS、大陸欧州のテロ、中国の南沙諸島進出、北朝鮮の核開発など世界を揺るがす問題が山積だ。その意味でも、地政学の理解抜きには、世界の金融市場の分析はできない。
・なぜ、今、地政学なのか?最大の理由は、世界の警察官がいなくなったからである。2013年に米国オバマ大統領は「米国はもはや世界の警察官ではない」と宣言した。アフガン戦争やイラク戦争において、多くの米国の青年が戦死し、あるいは兵士が帰還後、精神的な問題を抱えるなど、社会的なコストがあまりに大き過ぎたからだ。リーマン・ショック(2008年)によって、米国経済が大きな打撃を受けて、財政赤字が膨れ上がったことも重要な要因だ。その結果、米国は外交安全保障戦略を大転換している。たとえばこれまで米国とサウジアラビアは、強力な同盟関係にあった。しかしサウジアラビアが原油価格を牛耳った時代は去り、イラクやイランが産油国として台頭しつつある。このため米国にとって、サウジアラビアの重要性は薄れている。サウジアラビアは、イランと国交を断絶するなど、関係が悪化している。一方で、米国は、他の中東の大国であるイラクやイランと関係修復を試みている。イラクのフセイン、リビアのカダフィ、アルカイダのオサマ・ビン・ラディンも、もはやこの世にはいない。このため米国が中東に大規模な軍隊を展開する必要もなくなった。しかもかつてのように、米国の同盟国であるイスラエルを攻撃する国はなくなった。世界の国防費のうち、米国は36%を占めており、圧倒的に大きい(2015年名目ベース)。かつて米国と世界の覇権を争ったロシア(旧ソビエト連邦)の国防費は、それよりもはるかに小さい。中国も急増しているとはいえ、米国と比べるとはるかに小さい。しかし2010年代に入って米国は国防費を大きく削減している。しかも同盟国である英国、フランス、ドイツ、日本も国防費を減らしている。一方で米国を除いた世界の国防費は上昇傾向にあり、特に中国、ロシア、サウジアラビアなど地政学リスクの高い国を中心に国防費を大きく増やしている。
・歴史的に、世界の金融市場の混乱の多くは、地政学的な要因で生まれている。戦後の世界の株価急落は、多くが地政学的な要因によって起こった。そのケーススタディとして、戦後最大の株価下落を生んだ2008年のリーマン・ショックを分析する。リーマン・ショックは直接的には米国住宅バブル崩壊が原因とされるしかし米国住宅バブル崩壊は、世界の株価急落のきっかけに過ぎなかったと考えられる。2000年代には、中国を中心とする新興国バブル、新興国需要を背景とする資源エネルギーバブル、EUの本格的な統合を背景とするユーロバブル、世界的なM&Aバブルなど、多くのバブルが生まれていた。そしてそれらは同時に崩壊していった。つまり、米国住宅バブル崩壊をきっかけに、世界多発バブルが同時に崩壊したということだ。それでは、リーマン・ショックを生んだ米国住宅バブルは、なぜ生まれたのか。その原因の一つが中東に関わる地政学的な要因である。ITバブルが崩壊し、米国同時多発テロ発生の2ヶ月後、つまり2001年11月に米国の景気は底入れした。そして2004年には米国経済成長率は21世紀に入って最高の水準に達した。しかし当時、米国連邦準備制度理事会(FRB)議長であったアラン・グリーンスパンは、金融緩和を続けた。当時はアフガン戦争、イラク戦争が長期化していたために、世界的に不安心理が高まっていた。景気の底入れ後も、フェデラル・ファンドレート(政策金利、FF金利)の誘導目標を引き下げ続け、ついには当時最低水準まで引き下げた。そしてこれを長期間、据え置いた。つまり経済的には利上げすべきだったのだが、国際情勢が不安定なので利上げを見送ったのである。好況時に超金融緩和を続ければ、バブルが起きるのが世の常だ。この時期に住宅価格も、株価も大きく上昇した。つまり本来ならば利上げすべき時に、FRBは利下げをしたということだ。そこで一転、グリーンスパンは強烈な金融引き締めに転じた。短期間に強烈な金融引き締めを実行すれば、バブルが崩壊するのがこれまた必然と言える。名議長と言われたグリーンスパンをもってしても、判断を誤ったと言える。筆者はこれが戦後最大の経済危機となったリーマン・ショック発生の本質的な原因なのではないかと考えている。
・国際政治や安全保障においては、地理的要因がたいへん重要となる。地理的要因としては、地理的位置、地形、領土(国土の大小)、人口、気候、国家間の距離、エネルギー資源の存在、国内の民族・宗教・文化グループ、水路へのアクセスなどが挙げられる。たとえば、大陸欧州の大国であるドイツとフランスは隣国同士であり、歴史的に多くの戦争を戦ってきた。その始まりが30年戦争(1618年~1648年)だ。その後、ナポレオン戦争(1806年~1815年)、普仏戦争(1870年~1871年)、第一次世界大戦(1914年~1918年)、ルール占領(1923年)、第二次世界大戦(1939年~1945年)と、両国は激戦を戦った。その点、英国はドーバー海峡があるため、大陸欧州とは政治、経済的に一定の距離を保ち続けてきた。文化や法制度も大陸欧州とは大きく異なる。こうした地理的要因があるからこそ、英国においてEU離脱が真剣に検討された。あるいは「敵の敵は味方」ということもある。以外にも歴史的に英国とロシアは多くの軍事同盟を結んできた。ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦などがその例だ。いずれもドイツやフランスが共通の敵だったので、同盟を結んだのである。これは、英国とロシアが遠すぎて、直接的に戦争をすることがほとんどなかったからでもある。たとえば、第二次世界大戦では、ソ連のスターリンと英国のチャーチルは仲がいいので手を組んだというよりは、共通の敵がヒトラーだったので、手を組んだのではないか。決して両国は本質的に仲がいいわけではないように思える。
・地理的要因に、歴史や宗教、民族の違いなどが加わってくると、地政学の分析は一段と複雑になる。距離的に近く、しかも民族や宗教が異なると、良好な関係を保つのは、時に難しい。たとえば中東の大国であるイランとイラクは隣り合っているが、以下のように大きな違いがある。
民族の相違:イランはインド・ヨーロッパ語族のペルシャ人が多数派であるが、イラクはアラブ人が多数派である。フセインがイラクに住むクルド人を虐殺したことがあったが、クルド人はインド・ヨーロッパ語族だ。
宗教の相違:両者ともイスラム教だが、イランはシーア派が圧倒的な多数を占める。イラクは国全体としてはシーア派が多数であるものの、永く独裁者として君臨したサダム・フセイン大統領など、中枢にはスンニ派が多くいた時期があった。2016年初めにサウジアラビアとイランが断交したのも根底には、シーア派の宗主イラン対スンニ派の宗主サウジアラビアとの対立がある。世界の警察官がいなくなったことによって、ますます今後の中東の混乱が懸念される。
・地政学は19世紀後半以降、欧米で発達してきた。19世紀後半は、欧州列強による植民地支配、覇権争いが活発化しており、そうした中、地政学が生まれた。安全保障、軍事力に焦点を当てた地政学を特に、地政戦略学と呼ぶ。知性戦略学は以下に代表される。
1.ドイツのカール・ハウスホーファーの生存圏理論
2.英国のハルフォード・マッキンダーのハートランド理論
3.米国のニコラス・スパイクマンのリムランド理論
こうした理論は、19世紀後半から20世紀(冷戦期)に妥当していた伝統的地政学であり、国家の(軍事的)戦略的行動を説明し予測する研究であった。第二次世界大戦の日本やドイツ、冷戦時代の米国やソ連のように、国家の膨張政策を正当化するイデオロギーとして濫用されることもあった。
・以下は主要な地政学用語である。
世界島:ユーラシア大陸とアフリカ大陸を合わせた世界最大の「島」
ハートランド:世界島の中心に位置するユーラシア大陸の北内陸部(旧ソ連の領土に相当)
リムランド:ハートランドの周辺地域(極東、中国、東南アジア、インド、中東、地中海、中東欧、北欧)
ランド・パワー(大陸国家):他国と陸の国境で接する国家で、ロシアやドイツのように、海軍は小さいが、強力な陸軍を持ち、ハートランドやその周辺に大きな力を持つ。
シー・パワー(海洋国家):国土が海に囲まれ、または強大な海軍など制海権を有する国家であり、英国や米国の場合、ユーラシア大陸から海で隔てられている。
クラッシュ・ゾーン:シー・パワーとハートランドの間に位置する小さな緩衝国。たとえば中欧、東欧諸国を指す。
これらがぶつかり合って、20世紀に世界大戦が起こり、21世紀の今なお地政学的な対立が続いているのだ。
・帝国主義全盛期の19世紀後半には、大英帝国が世界を制覇した。そして欧米列強が次々に植民地を広げていった時代でもある。こうした考えは、自分が生きるために他国を侵略するのは仕方がないという思想にも通じる。日本もそうであったが、生き残るためにやむを得ず、自存自衛のための戦争ということを標榜する。20世紀初頭、ドイツは3B政策を推進した。これはベルリン、ビザンチウム(現在のイスタンブール)、バクダットを軸として勢力を拡大する政策だ。そしてドイツは3C政策を推進する英国と対立した。これはカイロ、ケープタウン、カルカッタ(現在のコルカタ)を鉄道で結ぶ植民地政策だ。これが、ドイツを中心とする三国同盟とイギリスを中心とする三国協商の対立を生んだ。やがてこれが第一次世界大戦に発展した。今から見れば、これらは帝国主義的な侵略なのだが、当時は「やられる前に打って出ないと、やらえる」という時代であった。
・1923年にハウスホーファーは、アドルフ・ヒトラーと出会い、地政学を伝授した。こうして地政学はヒトラーにより、生存圏確保のための領土の拡張とそのための邪魔者の排除に利用された。ハウスホーファーは、1909年~1910年に日本に軍事オブザーバーとして滞在している。1940年日独伊三国同盟や1941年日ソ中立条約など、日本の軍事政策にも影響を与えた。しかし第二次世界大戦後、戦犯に問われたハウスホーファーは自殺し、ドイツで発展した政治地理学が消滅した。
・ハウスホーファーは、ラッツェルとチェレーンの思想をベースに、マッキンダーのハートランド理論にも影響を受けた。しかしハートランド理論が勢力均衡の実現を目的とするのに対し、生存圏理論では勢力均衡を打破して、生存圏を拡大すべきと曲解された。これは、ランド・パワーのロシアとドイツが連合し、シー・パワーの英国と米国をユーラシアのリムランド(つまり大陸欧州)から排除するという考えである。実際に、1939年に独ソ不可侵条約が締結され、秘密協定に沿ってポーランドの独ソ分割占領が実行された。これが第二次世界大戦の始まりとなった。こうして生存圏理論は、第一次、第二次世界大戦双方に大きな影響を与えた。ドイツの戦法が、短期決戦、あるいは電撃作戦中心になるのは地政学的影響が大きい。国土がロシア、フランス、オーストリアといった大国に囲まれたドイツにとって、自国が生き抜くためには、先制攻撃が重要となる。このため、ドイツは平時から戦争計画をつくり上げ、先制攻撃によって緒戦で勝負を決着する戦法を得意とする。普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦のポーランド侵攻、フランス占領、ソ連侵攻など、ドイツはすべて電撃作戦を実行した。そして普仏戦争のように、短期決戦で終わると勝利するが、戦争が長引くと、大国に囲まれているドイツにとっては不利になる。それはハートランドとシー・パワーに挟まれるドイツの地理的な条件があるためだ。海に囲まれた英国などと違い、生き残るためには先制攻撃が必要となりがちだ。
・本格的な地政学の始祖は、英国の地理学者であるハルフォード・マッキンダー(1861年~1947年)である。マッキンダーは1899年にオックスフォード大学に地理学部を創設し、ロンドン大学政治経済学部の学部長、下院議員も務めた。マッキンダーは、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦の構造を予言し、現在の地政学の基礎を築いた。そして20世紀初頭に20世紀から21世紀にかけて起こる世界的な対立を予言していた。たとえば現在のシリア難民問題ですら、マッキンダーの理論で分析可能である。その中核は20世紀初頭にマッキンダーが発表したハートランド理論だ。マッキンダーの主張のポイントは以下の通りである。
1.世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を支配する者は世界を支配する
2.世界島の中心にあるハートランドを支配する者は世界島を支配する
3.東欧を統治する者は、ハートランドを支配する
・つまり、マッキンダーは、ユーラシア大陸の中心部である旧ソ連の領土を握るものが世界の覇権を握ると考えたのだ。歴史的にハートランドを支配したのは、元とソ連のみである。なお、ハートランドの概念を初めて使用したのは、英国の地理学者で、マッキンダーの教え子であったジェームス・フェアグリーブ(1870年~1953年)である。地政学の始祖と呼ばれるマッキンダーは、シー・パワー理論の影響を受けている。マッキンダーは歴史的にシー・パワーとランド・パワーが対立してきた構造を示した。この理論に立てば、英国、フランス、ドイツなど欧州の大国は、「世界島」の西のはずれにある。だから、これらの国々はリムランドと言われる。言い換えれば、欧州諸国がハートランドをおさえるには、ハートランドまでの道のりにある東欧諸国が重要ということになる。そして、リムランドとハートランドの境界にある東欧諸国は、戦争や紛争が起きやすいクラッシュ・ゾーンとなる。
・世界島やハートランドと言われても、今ひとつピンとこない。あるいは、「東欧を制する者が世界を制する」と言われると違和感があると言わざるを得ない。しかし実際に、マッキンダーの予言は的中した。20世紀初頭に、東欧、中でもバルカン半島は「世界の火薬庫」と呼ばれ、軍事的、外向的に重要な位置を占めた。まさにこれらは文字通りクラッシュ・ゾーンとなり世界中を戦乱に巻き込んだ。たとえば第一次世界大戦は東欧の小国サラエボでオーストリア皇太子が暗殺されたことから始まった。第一次世界大戦の本質は、ランド・パワーの新興国ドイツとシー・パワーの領袖であった大英帝国の対決だった。第二次世界大戦は、クラッシュ・ゾーンにあるポーランドに、ドイツとソ連が同時に侵攻して、その後、両国がポーランドを分割統治したことから始まった。独ソ不可侵条約を結んだ両国だったが、やがて、ドイツは資源が豊富なハートランド(この場合、カスピ海沿岸の油田)に進出するために1941年にソ連侵攻に踏み切った。
・冷戦は、東欧に展開される「鉄のカーテン」(バルト海からアドリア海につながる)やベルリンの壁を挟んで、西側諸国と東側諸国が対立したものだ。つまり、「鉄のカーテン」はクラッシュ・ゾーン上に展開された。その後も、ハンガリー動乱、チェコの春、ベルリンの壁崩壊、旧ユーゴの内乱など、クラッシュ・ゾーンで大きな動乱が起きた。
・20世紀初頭に、マッキンダーはハートランドを圧倒的なランド・パワー(たとえばドイツやロシア)が制すれば、世界を制することになると考えた。そして、ハートランドにおけるランド・パワーがシー・アワーを攻めた場合の脅威に警鐘を鳴らし、勢力均衡が各国の安全を保障するため、自由の基礎となると主張した。実際にクラッシュ・ゾーンを押さえ、かつハートランドを支配したソ連は、キューバ、北朝鮮、ベトナム、インド、エジプト、シリアなど、欧州以外にも同盟国を広げた。世界を制覇するには至らなかったが米国と並び立つ国になった。
・20世紀に突入し、シー・パワーである大英帝国の覇権に陰りが見られる中、ロシアの南下政策やドイツの帝国主義により、ランド・パワーの軍事的脅威が増していた。マッキンダーは、勢力均衡のため、ドイツとロシアの間に、独立国家として複数の東欧諸国からなる中間地帯が必要であると考えた。これは、ロシアやドイツに東欧を支配させてはならないとの警鐘であったが、英国政府がハートランド理論を採用することはなかった。これがやがて、二度の世界大戦につながった。そして現在のシリア難民、ウクライナ内戦、ロシアによるクリミア併合なども、クラッシュ・ゾーンが舞台となっている。今後も、マッキンダーのハートランド理論が有効であり続ける可能性が高い。
・米国海軍少将であったアルフレッド・セイヤー・マハン(1840~1914年)は、地政学の名称の生みの親だ。シー・パワー理論を提唱したマハンは、海軍の歴史家としてシー・パワーとランド・パワーの歴史を研究した。マハンは、海洋が安全保障上そして経済上重要な意味があり、世界大国になるためには、海洋を掌握することが絶対不可欠な条件であると考えた。特に、シー・パワーとして覇権を握った大英帝国を教訓とし、米国内で吸収し切れない工業・商業製品の受け入れ先として、米国も対外的な拡張政策をとることを求めるものであった。1902年に中東という用語を初めて用いたのもマハンである。中東とはアラブとインドに挟まれた地域で、海軍戦略上重要な拠点であった。またマハンは1876年に来日し江戸幕府第15代将軍であった徳川慶喜と面会している。米国は歴史的に孤立主義をとる。1823年にモンロー大統領がモンロー主義と呼ばれる外交の基本方針を打ち出した。モンロー主義は、米大陸と欧州大陸の間の非植民地化、非介入、非干渉をうたったものでう。このため英国やフランスと比較して米国の植民地政策は遅れていた。マハンの理論は、ウィリアム・マッキンリー大統領、セオドア・ルーズベルト大統領など米国の海洋戦略に影響を与えた。1898年に米国はハワイを併合し、さらに米西戦争に勝利し、プエルトリコ、グァム、フィリピンを領有した。1903年にはキューバから、グアンタナモ湾の海軍基地を永久租借している。このように、シー・パワー理論は米国がその後、国際主義に転換する一つの理論的支柱となった。
・米国が孤立主義を捨て、本格的な国際主義に転換した理論的支柱はニコラス・スパイクマン(1893~1943年)のリムランド理論だった。米国イェール大学の国際関係論の教授であったスパイクマンは、リムランド理論により冷戦時代の米国の安全保障戦略に大きな影響を及ぼした。スパイクマンは、重要な地政学上の地域として、マッキンダーのハートランド理論を踏襲した。そしてハートランドの周辺地域(極東、中国、東南アジア、インド、中東、地中海、中東欧、北欧)をリムランドと名付けた。ランド・パワー(ドイツ、ロシアなど)とシー・パワー(英国、米国など)の中間にリムランド(西欧、北欧など)があり、リムランドの重要性が地政学的に高いと主張する。そして、リムランドを支配する者がユーラシアを制し、ユーラシアを支配する者が世界の運命を制すると考えた。1942年にスパイクマンが著した「世界政治における米国の戦略」は、第二次大戦後の国際情勢を読み説く上での枠組みが示されている。リムランド理論は、米国の冷戦時代の外交政策に大きな影響を与えたと言われている。実際に冷戦時代に米国は対ソ連の「封じ込め戦略」を採用した。
・さらにスパイクマンは旧世界と新世界の対立論を唱える。ユーラシア大陸、アフリカ、オーストラリアを旧世界、米大陸を新世界に区分し、旧世界が特定の大国に支配されれば、新世界も征服されるとの脅威を示した。このため新世界の米国が、旧世界を積極的に包囲すべきと主張した。そこでスパイクマンは、米国は旧世界の大国間の均衡を構築し、維持するため、孤立主義(モンロー主義)ではなく、対外介入主義を採用すべきであると提唱した。地理的に離れていても、エア・パワー(空軍力)と機動的に世界展開できる軍隊を持つ米国は、戦後多くの軍事同盟を結び、世界の警察官として多くの戦争、紛争に介入した。
・地政学における重要な概念として「時代と共に大国は変遷する」という考えがある。大国が変遷すると、その結果、地政学的リスクも変化する。そして世界の経済や金融市場にも大きな影響を及ぼすことがある。歴史的に世界の大国は変遷してきた。世界の四大文明の発祥は、今の国で言うと、中国、パキスタン、イラク、エジプトだった。その後、欧州では、ギリシャ、イタリアの順に覇権は移った。16世紀にはスペインとポルトガルが世界を二分し、19世紀には英国が世界を制覇した。アジアでは、モンゴル、イラン、トルコが覇権を握ったこともあった。現在大国といわれる米国の建国は1776年、ドイツは1871年、そして日本の明治維新は1868年と歴史は浅い。米国と並んで大国であったソ連は1922年に誕生したものの1991年に崩壊した。つまり69年間の短い命だった。このように世界の大国は移り変わり、それが世界の安全保障に大きな影響を与える。
・「大国の興亡」は地政学的リスクを大きく変化させる。「大国の興亡」が新たな地政学的リスクを生む例としてソ連崩壊をとりあげる。米ソ冷戦終結がきっかけとなって1991年に米国と対峙していた大国ソ連が崩壊した。ソ連崩壊は以下のように地政学的に大きな変化をもたらした。第一に中国の台頭である。ソ連が共産主義国でなくなった結果、1990年代以降、世界の共産主義国のほとんどは事実上資本主義化した。その影響を受けて中国は政治体制は共産党一党を維持しながら経済体制を自由化した。資本主義経済体制に切り替えて以降、中国経済の高成長が続いた。今では中国のGDPは日本の3倍近くに達し、2020年代には米国を抜いて世界一になると見られる。つまりソ連崩壊が中国の台頭の時期を早めたとも言える。中国経済が大きくなったために、中国株の動向が世界にも大きな影響を与えている。さらに人民元も世界の通貨に大きな影響を与えている。そして経済力の強大化と同時に軍事力も強大化している。経済的に豊かでなければ、南沙諸島に軍事基地をつくることはできない。
・第二の例はリムランドである欧州の不安定化だ。欧州連合(EU)は、長年、戦争を繰り返してきたドイツとフランスを中核として、それにイタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクが加わって、1952年にその前身(欧州石炭鉄鋼共同体)が誕生した。つまりソ連が米国と並んでスーパーパワーであった時代は、EUの前身である欧州共同体(EC)は西欧諸国連合であった。そしてEC加盟国は米国やカナダなどと軍事同盟を組んだ。これが北大西洋条約機構(NATO)である。地政学的にいえば、リムランドのフランス、ランド・パワーの雄ドイツと、シー・パワーの米国、英国などが連合してソ連などに対抗した。それに対してハートランドの盟主であるソ連はクラッシュ・ゾーンにある東欧諸国とワルシャワ条約機構をつくって対抗した。そしてソ連はアジアのリムランドである中国、北朝鮮、モンゴル、北ベトナムなどと社会主義陣営を構築した。EUは1992年にマーストリヒト条約により1993年に発足した。つまりソ連崩壊の2年後に誕生したことになる。2004年以降、EUは旧東側諸国の加盟を認め、名実ともに欧州全体の国家連合となった。EUは経済同盟である前に安全保障同盟という要素を持つ。だからこそソ連崩壊を機に経済水準は低いもののソ連陣営だった国々を西側陣営に引き入れたほである。
・地政学的に言えばハートランドの盟主であるソ連が崩壊し、クラッシュ・ゾーンにある東欧諸国が西欧のリムランドとシー・パワーである米英の西側陣営に加わったということになる。こうして拡大EUはソ連の一部だったバルト3国まで含むユーラシア大陸西部の広大な地域と膨大な人口を支配することとなった。その結果、シー・パワーの米国、英国、リムランドのフランス、ランド・パワーの雄ドイツと、クラッシュ・ゾーンにある東欧諸国が同盟を組んで、ハートランドにあるロシアに対抗する形となった。このため軍事バランスという意味では、西側の圧倒的な優位になったということだ。しかし皮肉にもこれが現在のEUの不安定化を生んでいる。旧東側諸国の経済水準は、ドイツ、フランスなどと比較してかなり低い。つまり旧東側諸国がEUに加盟するということはEU加盟国間の経済格差が拡大することを意味する。そして経済水準の格差拡大は、通貨の不安定化をもたらす。英国とデンマーク以外のEU加盟国は統一通貨ユーロに参加する義務を負う。経済水準の低い東側諸国がユーロに参加するということはユーロが不安定化することを意味する。加えて、財政政策や社会政策の問題も発生する。EU加盟国の国民は移動の自由があるため、加盟国内のどの国にも移動が可能になる。たとえば、旧東側諸国であったクロアチアがEUに加盟し、比較的賃金の低いクロアチア人は英国で自由に働けるようになった。またドイツはシリア難民を受け入れているが、難民がドイツ国籍を取得すれば、他のEU加盟国でも自由に働くことができる。EU加盟国は財政政策が統一されていないため、社会保障制度は国によって大きく異なる。たとえば、英国やドイツなどの高所得国は、生活保護などの社会福祉が充実しており、低所得国からの移民や難民が多くやってくる。これは「社会保障のアービトラージ(さやとり)」と言われる。これを嫌う英国は、EU離脱を真剣に検討するに至った。これらはEUが従来の西側諸国連合であれば、大きな問題にならなかっただろう。つまり「ソ連崩壊→東欧諸国のEU加盟→EUの貧富の格差拡大→EUの不安定化(英国のEU離脱検討、ユーロ危機など)」という図式である。
・もう一つ大国の興亡が地政学的リスクを高めた例を紹介することとしよう。世界島の結節点であり、ハートランドに接する中東は、古くから交通や商業の要衝として栄えた。20世紀に入って、石油資源が豊富であることから、戦後はバルカン半島に代わって、世界の火薬庫であり続けた。戦後の世界の金融市場の混乱の多くは中東が発信源となった。その理由は数多いが、第一次世界大戦後、オスマン帝国が崩壊した影響は大きい。トルコ系イスラム教徒が多いオスマン帝国は、1543年にビザンツ帝国の首都コンスタンチノープル(現イスタンブール)を陥落させた。その後、中東とバルカン半島の大部分を支配した。オスマン帝国の最盛期は、スレイマン1世(在位1520年~1566年)の時代であった。その支配地域は、古代ローマ帝国の最盛期の4分の3を占めた。ところが19世紀には「ヨーロッパの病人」「瀕死の病人」と呼ばれ第一次世界大戦の敗戦が帝国崩壊の決定打となった。オスマン帝国崩壊後、中東は真空状態とんり、それがその後の中東の紛争を生んでいる。英国は第一次世界大戦を有利に導くために以下の3つの協定を別々に結んだ。
フサイン・マクマホン協定:オスマン帝国占領下のアラブ人(サウジアラビア)に、戦後の独立を約束し、軍事支援をした。
サイクス・ピコ協定:ロシア、フランスと秘密協定を結び、戦後、オスマン帝国の領土を3国で分割統治すること、パレスチナを国際管理することを定めた。
バルフォア宣言:ロンドンのユダヤ金融資本と中東のユダヤ人の協力を得るために、パレスチナにユダヤ人の国家をつくることを約束した。
現在の中東の国境線の多くはこの時期に決まった。イラク、ヨルダン、シリア、クウェートなどの領土は、事実上、英国、フランス、ロシアの秘密協定であるサイクス・ピコ協定によって決まったと言って過言でない。異教徒である欧州列強が強引に引いた国境線が、熱心なイスラム教徒たちに押しつけられたということだ。その地域にまたがってISが存在するのだが、彼らにとって異教徒が自分たちの都合で決めた国境線を守る必然性はない。異教徒にとってISは敵かもしれないが、アラブ人からするとスンニ派主体のISは主流派に属する。日本から見ると、国を持たないISが国家として振る舞い、かつ欧米の熾烈な攻撃にあっても、未だに存在することはきわめて理解しがたい。しかしこのような歴史的な背景を理解すると、現在の中央問題の根深さが理解できる。
・外交において米国の制度は日本のそれと大きく異なる。特に外交、安全保障の分野では議会の発言力が強い。たとえばウィルソンの国際連盟、ゴアの京都議定書など、大統領や副大統領が世界に約束しても議会(上院)の反対により実現しないことがある。1997年に気候変動枠組条約京都議定書が採択され、先進国を対象に、国別の温室効果ガスの削減数値義務を盛り込んだ。ゴア副大統領の強力なリーダーシップでまとめ上げたものだった。ところが、京都議定書はクリントン大統領が署名したものの、議会の同意が得られずに批准できなかった。2001年に誕生したブッシュ政権は、「途上国に数値目標を課しておらず不公平である」として不参加を表明した。条約とは国家間で文書により締結された国際的合意であり、条約、協定、議定書など名称は多様である。米国では合衆国憲法により条約は制定法と同様に国の最高法規としての地位が与えられている(合衆国憲法6条2項)。判例上も連邦法と条約は同等の効力があることが判例上確立している。一般に条約は交渉、条約文の選択、署名、批准の手続きを経る。なお日本でも条約締結は内閣の職務であるが国会の承認が必要である(日本国憲法73条3号)。条約を締結するのは国家であり、米国では州が条約を締結することはできない(合衆国憲法1条10節)。大統領が条約締結権限を行使するが、そのためには上院の助言と承認(出席議員の3分の2の賛成)が求められる。出席議員の3分の2の賛成が大変高いハードルであるため、時々条約が批准できない事態が起きる。ただし憲法慣行として上院による助言と承認なしに大統領の外交的権限に基づき、行政協定を締結することができる。つまり重要なものに限って上院の権限が大きいということだ。
・歴史的に米国大統領が交代すると、政策が大きく転換し、その結果、世界情勢に大きな変化を与えることがある。それは特に外交や安全保障政策に大きく表れる。米国は伝統的に外交戦略として孤立主義を採用してきた。米国は1776年に独立宣言を行って以降、外向的に欧州から距離をとる政策をとった。米国の伝統的孤立主義は、①他の国と同盟を組まない単独主義、そして②米大陸以外(特に欧州)に介入しに不介入主義、から構成される。一方で、国際主義とは米国が積極的に安全保障や経済システムの構築に関与することが国益にかなうとするものだ。第一次世界大戦後に国際連盟に加盟しなかった米国が、第二次世界大戦後には国際連合設立を主導したのは、孤立主義から国際主義に転換したことを示す。欧州や日本などと軍事同盟を締結し世界の警察官となった。歴史的に米国の外交政策は孤立主義の傾向は強いものの、孤立主義と国際主義の間で揺れ動いてきた。大きな流れとしては建国から第二次世界大戦までは孤立主義、第二次大戦後イラク撤退までは国際主義、そしてその後、孤立主義に回帰しつつある。ただしその中でも、10年単位で孤立主義と国際主義の間で振れている。たとえば孤立主義の時代であった19世紀末にはフィリピンを植民地化し、ハワイを併合した。また国際主義の時代であった1960年代にはベトナム反戦運動が盛り上がり、米国はベトナムから撤退した。
・米国は欧州の戦乱に巻き込まれない戦略を基本としてきた。19世紀に欧州ではナポレオン戦争、普仏戦争など大規模な戦争があったが、米国は中立を守った。この時期に石油や鉄鉱石などの豊富な資源を背景に米国は経済力を発展させた。その米国が欧州の大戦に初めて参加したのが第一次世界大戦であった。当初米国は中立を保ったが、米国の多くの貨物船がドイツのUボートに撃沈されたことを契機に三国協商側に立って参戦した。1918年に米国を含む三国協商側の勝利で大戦は終わった。戦後、ウイルソン大統領は世界平和の実現のために国際連盟の設立を提唱した。主要国すべてが賛同し、国際連盟は設立された。ところが米国議会はこれを認めず提唱者である米国は国際連盟に加盟しなかった。これは孤立主義が米国で深く根付いていたことを示す。しかし第二次世界大戦を契機に米国は国際主義に大きく転換した。日本による真珠湾攻撃にあるように海軍と航空兵力の技術が発達したため、世界戦争の中で米国だけ孤立することが国益にかなわなくなったのだ。孤立主義を背景に国際連盟に加盟しなかった米国だが、第二次大戦後、国際連合設立を主導し、その本部を米国の中心都市であるニューヨークに置いた。IMF、GATT(現WTO)、NATOもすべて米国の主導でつくられた。それほど米国の政策は大きく転換したのだった冷戦体制では、ソ連が東欧諸国を社会主義圏として統制したのに対し、米国はソ連の拡張政策を阻止するため、トルーマン・ドクトリン(封じ込め政策)を推し進めた。西側諸国は東側諸国に対抗し1949年にはNATOを発足させた。米国は州やアジア太平洋などに米軍基地を配置し、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と、「世界の警察官」であり続けた。レーガン政権では強い米国の再生を唱え、外向き外交に転じた。そして冷戦を終結させた。
・2013年にオバマ大統領は米国、米国民や同盟国が直接脅かされない限り、単独で軍事力を行使しないとの方針を示した。米国が世界の警察官をやめた理由として、第一に2008年のリーマン・ショック後、財政赤字が急増し、膨れ上がった軍事費を大きく縮小する必要があった。国防費対GDP比h、冷戦終結以降、概ね3%~4%台で推移しているがそれを下回る水準になった。現在でも米国の国防費は約60兆円と世界最大だ(2015年)。2位の中国の3倍近い。ただしその優位性は急速に崩れている。軍事費を減らさざるを得なかったオバマは、徹底した和平路線を実行した。オバマは内政面での評価はあまり芳しくないが、外交、安全保障ではアフガン戦争とイラク戦争の停止、核削減、キューバ国交回復、イラン制裁解除と目覚ましい成果を上げている。議会では、上院、下院ともに、野党共和党が多数を握っているため、内政では法案を通す必要のあるような大きな政策を実施することが難しい。そこで、オバマは大統領権限で有効な政策を実施できる外交に注力している。米国の大統領は外交関係に関し、国を代表して処理する権限があり、国交正常化は大統領権限で可能である。たとえば2015年にオバマは、キューバとの国交を正常化し、首都ハバナに米国大使館を再開した。ただし全面的な対キューバ経済制裁解除にはヘルムズ・バートン法(キューバの自由・民主的連帯法)に基づき議会承認が必要となる。これまでイラン核開発の懸念か、米国はイランとの取引を禁止する制裁を実施している。2015年に米国を含む安保常任理事国とドイツ(P5+1)及びEUは、イランとの交渉により、核技術に関する包括的共同行動計画(JCPOA)に合意した。そして2016年に米国はイランへの経済制裁を解除した。このようにオバマ大統領は限られた権限の範囲で、着々と成果を挙げてきた。戦争がなくなりそして核兵器削減が実現すれば、必然的に米国が世界の警察官である必要は薄れる。
・米国が世界の警察官をやめた理由として、第二にシェール革命によって、米国が世界最大の産油国になり、米国の中東依存度が低下したことがある。米国は、戦後、中東戦争、イラン革命、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、アラブの春と直接、間接的に中東に頻繁にかつ深く関与してきた。その間、多額の費用と多くの人命が失われた。なぜ米国は遠く離れた中東に深く関与していたのか。一つは米国に多くの同胞を抱えるイスラエルの存在がある。しかしより大きな理由は中東が世界最大の原油の産地だからだ。2010年代に入ってシェール革命による米大陸エネルギー自給が実現した。米国のエネルギー生産は急増し、今や米国は世界最大の産油国だ。このため米国がエネルギー資源を求めて中東に関与する必要性が低下している。米国で2004年頃からシェールガス革命が始まった。さすが革命といわれるだけのことはあって2005年以降米国の天然ガス生産は劇的に増加している。2008年頃以降、シェールオイル革命が本格始動した。シェールガスが採掘可能な頁岩層からはオイルも生産できる。価格の高いジェット燃料やガソリンが豊富い抽出できる軽質油が大量に生産される。こうして米国のオイル生産は急拡大し、サウジアラビア、ロシアを抜いて世界一位になった。シェール革命の影響で、2006年をピークに米国のオイル純輸入量がほぼ半減した。2020年までには輸出が輸入を上回り、純輸出国に転じるであろう。これまで米国は世界最大のオイル輸入国であったため、米国にとって原油が豊富に産出される中東の重要性が高かった。これが米国が中東戦争、湾岸戦争などの戦争を繰り返してきた理由だ。大規模な戦争の度に石油価格が高騰し、米国を含む世界経済にとって大きな脅威となった。しかし米国にとって中東の重要性が薄れれば、必然的に自国の青年の命を懸けてまで、中東に介入する必要はない。中東で紛争が起こって原油価格が高騰すれば、世界最大の産油国である米国の利益は大きい。こうしてシェール革命は米国を孤立主義に回帰させた要因の一つとなった。
・米国が世界の警察官をやめた理由として、第三に米国にとって欧州と軍事同盟を維持する必要性が低下したことが挙げられる。冷戦の終結によりロシア(ソ連)の脅威が後退したため、欧州と強い同盟関係を維持する必要がなくなった。戦前、ドイツは世界初の軍事用液体燃料ミサイルであるV2ロケット開発に成功し、ロンドンなどの攻撃に使った。これは世界初の宇宙を飛ぶロケット弾だ。戦後、ソ連はドイツのロケット技術者を連行して、大陸間弾道ミサイルと核兵器を開発した。そして米国を攻撃し得る大陸間弾道ミサイルの開発に成功した。かつては地理的に欧州から遠い米国は欧州との戦争に巻き込まれることはなかった。これが米国が孤立主義をとることができた理由となった。しかしミサイルが宇宙を飛ぶ時代にはもはや米国は孤立主義をとることはできず、その安全保障政策を国際主義に転換した。初代大統領ワシントン以来の非同盟戦略を大転換し、戦後、米国と欧州はNATOによって強力な軍事同盟をつくり上げた。さらにアジア・太平洋地域において日本、韓国、オーストラリア、中東においてサウジアラビア、クウェート、イスラエル、トルコなどと軍事同盟を結んだ。しかし1990年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊によって、冷戦が終わった。1993年にEUが誕生し、2004年からは東欧諸国の多くが加盟した。ここに東西対立は終わり、米国が欧州と軍事同盟を結ぶ必要が薄れた。EUの人口、GDPともに、米国より大きいこともあって、欧州にとっても米国依存が低下している。
・英仏を中心とする欧州諸国は、米国の主導する湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争に参加したが、多くの犠牲者を出す結果となった。特に米英同盟重視を貫いた英国ブレア政権は、国内世論の厳しい批判を浴びた。英米関係の緊密度が薄れる中、英国は中国が主導して設立したアジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加した。AIIBは多国間の開発金融機関として、57カ国が参加しており、フランスやドイツなどEU諸国が含まれる。ただし日本と米国は参加していない。英国は、西欧諸国の中で最初に参加の意思を表明した。そして英国は中国から原子炉を購入するなど独自の道を行く。欧州の抱える深刻な問題として、ギリシャ危機、シリア難民、ウクライナ内戦、パリやベルギーのテロ事件などがあったものの、いずれも米国の支援や関与は限定的だった。これらはソ連の大陸間弾道弾と違って米国の安全保障を直接的に脅かすわけではないからだ。
・アラブ人は、中東、地中海岸の広範囲にわたって居住しており、多様性を特徴とする。風俗習慣は国により異なるが、言語は大きく異ならない。これはアラブ人の多くがイスラム教を信仰しその結果聖典であるコーランを通じて共通の言語が普及したからだった。このため国が違っても言語は大きく違わずに会話できる。イスラム教は唯一絶対神アッラーへの帰依を説き、その預言者ムハンマドの言葉を集めたコーランの教えに従う。コーランは「声を出して読むもの」という意味であり、イスラム教の普及は、イスラム共同体を拡大することとなった。イスラム教徒はムスリムと呼ばれ、同胞意識を強く持つ。正統カリフ(後継者)の時代に拡大していったイスラム共同体を通じて、共同体思想が形成された。イスラム社会にはキリスト教にょうな聖職者は存在せず、ムスリムが平等に参加する水平で単一の組織として構成されている。このため団結力が強い。イランは、アラブ人中心の他の中東諸国と異なり、インド・ヨーロッパ語族に属する。アラブ人とは身体的特徴が異なり、鼻が高い、彫りが深い、瞳が大きいなど欧州人同様の傾向が見られる。しかもイランの宗教はイスラム教シーア派が圧倒的な多数を占め、スンニ派が多数派である他の中東諸国とは異なる。つまり中東最大の人口を持つイランは、インド・ヨーロッパ語族でありかつシーア派だが、他の中東諸国はアラブ人でかつスンニ派が主流だ。2015年に入ってサウジアラビアとイランが断交したがこれも宗教対立が背景にある。トルコ人はアジア系の遊牧民族であり、その言語体系は日本語と同じだ。イスラエルに多いユダヤ人は民族的な概念ではなく、ユダヤ教を信じる人を指す。人種的には欧州系が多い。国家を持たない最大の民族であるクルド人は、イラク、シリア、トルコ、イランにまたがって住んでいる。インド・ヨーロッパ語派に属し、クルド語はペルシャ語に近い。このように非常に区別はつきづらいのだが、中東の民族、宗教は複雑だ。
・ISが生き残っている大きな理由は以下の3点である。
1.米国が地上戦で直接的に掃討しない
米国は、ISに対して爆撃し、イラク軍を支援するだけであり、直接的な軍事介入は避けている。
2.異教徒である欧米列強に対する反発がある
アラブ諸国にとって、ISはウンマを形成する同胞である。ムスリム同士で争っていても、異教徒に対しては一致団結して戦う傾向がある。このため異教徒である欧米諸国と組んで、イラク軍やシリア軍がウンマに属するISを掃討するのは難しい。
3.ISがイスラム教の主流派であるスンニ派である。
「グローバル投資のための地政学入門」パート2に続く
良かった本まとめ(2016年下半期)
<今日の独り言>
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。