A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

渋谷系シューゲイザーの復活~SALON MUSIC「Sleepless Sheep」

2012年11月30日 01時11分37秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


最近読んだ音楽誌のシューゲイザー関連記事がSALON MUSICに言及していて意外だった。私の記憶にある彼らは1980年代前半YMO周辺から登場し、芝浦インクスティックや原宿ピテカントロプスエレクトス周辺でMELON(元プラスチックス)、MUSCLE BEAT(元8 1/2)、スポイル(デザイナー横山忠正asを中心とするフェイクジャズ・バンド)、MUTE BEAT(こだま和文tp、屋敷豪太dsを中心とするダブバンド)などと共に活動していたニューウェイヴ第2世代のバンドで、ロックというよりラウンジ/テクノ系オシャレ・サウンドの印象が強い。

SALON MUSIC(サロン・ミュージック)は1980年結成の吉田仁(vo,g,b)と竹中仁見(vo.key.g)の2人組。イギリスで評価され1982年海外デビュー。日本では1982年に創刊されたカセット・マガジン「TRA」のVol.2に収録されたのが実質的なデビューか。1983年にデビュー・アルバムをリリース、高橋幸宏やムーンライダースとコラボして活動するとともに海外でカルト的な人気を誇った。



1990年吉田仁はフリッパーズ・ギターなどの他アーティストの作品のプロデュースやミックスを多数手がけるようになる。これを契機に小山田圭吾主宰のトラットリア(Tratttoria)・レーベルに移籍した。トラットリアはクルーエル、エレベーターと並ぶ渋谷系レーベル御三家のひとつ。レストランのメニュー仕立てのリリースとUKインディーのエル・レーベルに倣った拘りのアートワークが特徴で、コーネリアス、カヒミカリィ、ブリッジ(カジヒデキ参加)、ヴィーナス・ペーターなどの渋谷系アーティストと共に、”デス渋谷系”=暴力温泉芸者や、ハナタラシ、OOIOO、想い出波止場などボアダムス関連アーティストの作品もリリースしており、メジャーのポリスター配給ながらインディー精神に貫かれた90年代を代表するユニークなレーベルだった。

ピチカート・ファイヴやフリッパーズをはじめとする渋谷系は80’sニューウェイヴやギターポップ、ネオアコ、ハウス、ヒップホップ、70’sソウル、ラウンジといった当時知られていなかったジャンルを発掘し再評価・再現するという音楽マニア色の強いムーヴメントだったが個人的にはのめり込めなかった。というのも彼らはDJカルチャーと表裏一体であり、レコードを消耗品として乱雑に取り扱うDJ達には、貴重品として盤面に指紋が付くのも嫌う世代には許容し難いものがあったからである。また渋谷系アーティストの音楽もバブル熱に浮かれた軽薄なまがい物に聴こえて好きになれなかった。自分で自称サイケ・バンドをやっていたし、同時期に裸のラリーズの正規盤3作がリリースされ、ゆらゆら帝国、マリア観音、マーブル・シープ、サバート・ブレイズなど地下ロック・シーンが活性化したこともあり、もっぱらPSFやアルケミー等の作品に浸っていた。

そんなへそ曲がりだから渋谷系シーンでSALON MUSICがコクトー・ツインズやマイブラの影響モロ出しのシューゲイザー・サウンドを展開していたことは知らなかった。デビュー当時から洋楽への憧れを音にしてきた彼らだから時代の流れに応じてスタイルを変化させたのだろう。トラットリア時代の作品には渋谷系に顕著な洋楽コンプレックスが渦巻いているように聴こえる。渋谷系が衰退した90年代後半も活動を続け2002年トラットリア解散まで現役だったのも、他の便乗アーティストとは違って筋金入りの音楽ヲタクだったからに違いない。



2011年に9年ぶりの新作「Sleepless Thing」をリリース、相変わらずの洋楽マニアぶりを発揮している。これは世界的に通用するサウンドではなかろうか。



マイブラ復活+来日が話題の昨今、SALON MUSICの現在廃盤の旧作にもスポットライトが当たれば嬉しい。

サロン・ミュージック
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流れるか?

個人的に最大注目のアイドル・デュオ、バニラビーンズが渋谷系サウンドを継承しているのが面白い。

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