女子高生ブルースロック・バンドDrop’sの「赤のブルース」、ZARD「君へのブルース」とネタが連続し、改めてブルース(憂歌)とはなにか?ということに思いを馳せている。最初のブルース体験は、中学卒業祝いで念願のエレキ・ギターを手に入れた時だった。教則本の1ページ目がブルース・スケールの練習で、その音さえ辿ればどんな曲でもそれらしいアドリブが弾けることを知った。小学校の通知表で「粘り強いが変に頑固」と評された性格ゆえ、ブルース・スケールを習得したところで教則本はお払い箱にして、あとは頑固に自己流で学ぶことにした。お手本にしたのがジョニー・ウィンターだったから必然的にブルースだった。覚えたてのブルース・スケールでたどたどしく弾いているうちに、パンク・ショックに感電し、テクニックは不必要、ギターソロは邪魔と決めつけ練習放棄。ひたすらカッコよくギターを構え、カッコよくジャンプをキメる練習に逆戻り。それ故いつまでたってもブルース・スケールから抜け出せず、ジミー・ペイジっぽい手癖フレーズ・オンリーの「ペンタ君」になってしまった。
ともあれ、ブルースとはペンタトニックでも12小節の3コード進行でもないことは明らかだ。ブルースとは形式(form)ではなく魂(Spirit)だということは灰野敬二のブルース・バンド、静寂を聴けば明らかである。実際”ブルース”とタイトルされる曲の多くに、形式の束縛に囚われない自由度が伺える。そんな緊縛レスのブルースナンバーを掘ってみた。
●淡谷のり子「灰色のリズム&ブルース」
「ブルースの女王」といえば間違いなく淡谷さん。戦前から活躍するシャンソン歌手であり、発売禁止の女王であり、ゲルマニウム美容の先駆者でもある。著書に『生きること、それは愛すること:人生は琥珀色のブルース』とあるように波乱万丈の生き様をブルースに歌い続けた。
別れのブルース(1937年)、雨のブルース、想い出のブルース(1938年)、東京ブルース(1939年)、満州ブルース(1940年)、嘆きのブルース、君忘れじのブルース(1948年)、忘れられないブルース(1960年)、遠い日のブルース(1963年)など数多いブルース曲の中では、比較的新しい1971年、64歳のナンバーをディグ。後述するプログレブルースと同年なのは偶然だろうか。
●キャプテン・ビーフハート&マジック・バンド「ダッハウ・ブルース」
淡谷のり子に対抗できるオーラを持つ”ブルース”シンガーといえば、牛心隊長ことキャプテン・ビーフハートしかいない。ハウリング・ウルフなどのブルースとサルヴァドール・ダリなどのシュールレアリズムの影響を併せ持つ乱調の美学の求道者が、1969年に世に問うた問題作『トラウト・マスク・レプリカ』の衝撃は、芸術のみならず、すべてのカルチャーに於いて同朋のフランク・ザッパ以上の影響力を及ぼしている。我が世の春と吠えまくる濁声こそ究極のブルース。
●ピンク・フロイド「シーマスのブルース」
プログレッシヴ・ロックの道を切り拓いたピンク・フロイドの名前の由来は、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルという二人のブルースマンにある。ブルースを愛したシド・バレットがドラッグ中毒で脱落したのちプログレ道の教祖となるが、依然としてサウンドのルーツにはブルースが流れていた。その証拠に他のプログレ・バンドに顕著なクラシックやジャズの要素がフロイドには希薄である。正面切ってブルースとは謳わないが、1971年の7thアルバム『おせっかい』収録の小品「Seamus」に「シーマスのブルース」と邦題をつけた担当者は彼らの本質を見抜いていたに違いない。フロイド自身、あからさまにブルースのルーツを見せたことに恥じ入ったのか、ライヴで演奏されたのは1回のみ、しかも犬をリード・ヴォーカルに起用し、タイトルも変更された。ハウンド・ドックが歌うブルースこそ世紀の憂歌である。
●ゴング「ブルース・フォー・フィンドレイ」
プログレ偏屈王デヴィッド・アレン率いるゴングはでんぱ系ヒッピーの代表格。1971年バイク映画のために作られたサントラ盤が3rdアルバム『コンチネンタル・サーカス』。ティム・ブレイクやスティーヴ・ヒレッジ加入前の第1期ゴングによる長尺のブルース・セッションを収録。ブルースの形を借用してまったく異次元のスペース・ロックにトランスフォームするスタイルは、ラジオ・ノームの先駆けとして地球へ侵入したピクシー(異星人)ならでは。
●戸川純「バージンブルース」
でんぱ系と通じる不思議ちゃんといえば戸川純。李香蘭とクレオパトラに憧れ女優を目指すうちに、日比谷公園で観たパンク・バンド8 1/2に痺れ渋谷のNYLON100%に通い詰め、気づいたら唄っていた。洗ってほしいお尻の気持ちを代弁したり、李香蘭の「蘇州夜曲」をテクノで歌ったり、家畜人ヤプーに化けたり、玉姫様の裏表を飾ったり、パンクスのオナペットを務めたり、さなぎに変態したり、サブカルアイドルとして一時代を築いた純ちゃんが♪ジンジンジンジン♪とロリ声で喚くブルースがこの曲。愛してるって言わなきゃ殺す執念の女の処女性の発露である。
●MEG「スキャンティブルース」
ゼロ世代のファッション・アイコン、MEGの2002年のデビュー曲は岡村靖幸との共作によるブルース・ナンバー。けだるい歌とテクノ・ビートが後の中田ヤスタカとの出会いを示唆している。「スキャンティとは、スキャンダルを起こすような、あるいはおこさせないような精神的姦通、肉体的姦通を暗示するようなよろめきパンティである」という定義があるように、MEGちゃんの面妖&オサレなエロの萌芽がみられる。
●遠藤ミチロウ「原発ブルース」
ブルースとはもともとアフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちの労働歌だったので、日常の出来事や感情を吐露するのが本筋。その意味ではプロテスト・ソングにブルース形式が多いことも頷ける。80年代ザ・スターリンでパンク革命に火を放ったミチロウが、還暦を迎えてひとりアコギで反骨心を歌うのも納得である。Project Fukushimaで配信リリースされたこの曲は、震災から丸3年たっても改善されない社会問題に切り込む元祖パンクスならではの反歌である。
ブルースに
カタチは無いぞ
ココロだぞ
ブルースなココロはBlue Hearts。