先日NHKで1977年のキッス初来日公演を収録した番組「ヤングミュージックショー」が再放送された。当時中3だった私は、その日は朝から胸トキメかせていた。初めて観る本格的なロックの映像に大興奮した。テレビの前にラジカセを置いて録音し、画面をカメラで撮った。36年ぶりに観て、当時の感動を思い出すとともに新たな発見もあった。武道館で火柱がバンバン上がるのが凄い。消防法で火気厳禁になって久しいし、どんなに夏フェスが盛んでも、これほど景気よく花火があがることはない。もうひとつ気づいたのは、ステージ前列の観客が着席で観ていること。椅子に座ったまま両腕を頭の上に挙げて喝采しているのだ。確かに当時はどんなコンサートでも、最も盛り上がるエンディング~アンコール以外は椅子に座って観ていた気がする。当時キッスの武道館公演に行った知人によると、2階席は総立ちで盛り上がっていたとのことだが、アリーナ席・1階席は着席だった。だから90年代に誰かのコンサートでオープニングから総立ちになったのに違和感を覚えた記憶がある。今思えば、椅子に座ってロックするのは無理がある。ポール・スタンレーが「ロックンロール!」と叫んでも、座ったままの観客相手じゃ張り合いが無かったに違いない。ストラングラーズが怒って「サムシング・ベター・チェンジ」を繰り返し演奏したのも無理はない。
椅子とロックー静と動、陰と陽、水と油のような両者の関係を考察してみた。
●嘘つきバービー
椅子に座ったギター弾きといえば、全盲のブルース・ギタリスト、ジェフ・ヒーリーがいるが、ロックに限ると佐世保の変態コンボ、嘘つきバービーにとどめを刺す。岩下優介の妖怪めいたヴォーカルと豊田茂の変態ドラ拍子と共に、座ったまま身悶えする千布寿也の担当楽器はギターと椅子となっている。結成11年目に解散を表明し、本日の恵比寿リキッドルームが最後のライヴとなるが、千布が今後も日本唯一の椅子プレイヤーとして活躍することに期待したい。
●人間椅子
OZ FESTでのももいろクローバーZとの共演により一躍脚光を浴びる文芸ロックの元祖、人間椅子。イカ天バンドの最長老だが、江戸川乱歩の小説に因んだバンド名通り、変態性欲的な頽廃美、自虐的な観念世界、土俗的なナンセンス、妖怪や霊威などの超常的恐怖、蟲、病魔や汚穢といった不気味なモチーフを謳い続ける姿勢にブレは無い。それも椅子に座る余裕があるが故だろう。
●ザ・ハイロウズ
ブルハ以来のヒロト&マーシーのコラボ第2章のハイロウズは座ってないで立ち上がれ!的なロケンロー野郎のイメージだが、一方でリラックスしようぜ、という大人の余裕もある。1996年の6thシングル「ロッキンチェアー」では、♪ヘトヘトなんだバタンキュー ロッキンチェアーで眠りたい♪と歌い、ビール片手のワンダフルライフを推奨。同曲収録アルバム『タイガーモービル』には「レッツゴーハワイ」という曲もあり、ヒロト&マーシーの南方志向の萌芽が見られる。
●ウェイン・カウンティー&ジ・エレクトリック・チェアーズ
海外椅子事情に目を移すと、最初に訪れたニューヨークのMax's Kansas Cityで絵に描いたようなオカマちゃんと出会うことになる。70年代DJとして活動するうちにバンドを結成、"電気椅子"を名乗り、パティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズ、リチャード・ヘルに続くニューヨーク・パンク第2世代としてデビューする。当時は色物として軽くあしらわれたが、近年グラマラスで倒錯的な世界が再評価されている。ウェインは性転換してジェーン・カウンティーと改名して現在でも活動中。
●ワイヤー
イギリスに移るとポストパンクの象徴が椅子であることが判明する。「ロックでなければ何でもいい」という有名なキャッチコピーは誤謬らしいが、乱暴なだけがパンクではないことを世に知らしめた最初のバンドのひとつがワイヤーであることは確か。ピンク・フロイドと同じハーヴェスト・レーベルから1978年にリリースした2ndアルバム『消えた椅子』はジャケットも曲名も歌詞も椅子とは無関係。現代芸術に通じるシュールなアート性を「椅子」が象徴した。後にルイス&ギルバート~DOMEとしてインダストリアル化し、19の大竹伸朗とも共演した。
●サボテン
シュールなアート性を体現する日本のバンドといえば突然段ボール。椅子の曲を探したが突段にはない。「テーブル」という曲はある(1991年『抑止音力』収録)。代わりに妹バンド、サボテンに「低い椅子」という曲がある。エリック・サティのロック化に挑んだ娘たちの努力は、家具の音楽とは別モノの脱臼サウンドを産んだ。椅子を隠した握りこぶしの象徴として描いている。
以上の検証の結果、いけいけロックに対して、ちょっと待った、一服しようよ。あわてないあわてない。ひとやすみひとやすみ。と一休さんのように諭すのが椅子だということが証明された。椅子が無ければロックできない訳だ。ロックと椅子は表裏一体の補完関係にある。ただし心して欲しいのは、親しき仲にも礼儀あり、という真理である。また、椅子ソングを謳うアーティストのいずれも何処かに変態性を持つことにも注目して欲しい。
ロケンロー
椅子に座って
ひとやすみ
●フランク・ザッパ
ロックを芸術と混合した変態といえば、この人にも椅子ソングが相応しい。大物だけに豪華版である。