GEZAN
2nd FULL ALBUM 『凸-DECO-』 レコ発ファイナル
2月11日下北沢FEVERで漁港とNATSUMENを迎えて開催されたレコ発ライヴ以来のGEZAN東京公演は14ヶ月ぶりのワンマン。その後亜米利加ツアーを経てバンド名表記変更に至るストーリーは、マヒトゥ・ザ・ピーポーのUSツアー日記を参照いただきたい。時を同じくして米Important Recordsから2012年の1stアルバム『かつてうたといわれたそれ』が『It Was Said to Be A Song』という英語タイトルでリリースされたので、幸運な米国人は、ボアダムス、メルトバナナ、グラウンドゼロ、ギターウルフ、Boris等を例に挙げて評される2年前の作品と、2nd『凸-DECO-』で新章に突入した現在進行形のGEZANの生ライヴを同時に体験し、壮絶さに潜む落差を思い知ることとなった。
(写真の撮影・掲載については出演者の許可を得ています。以下同)
それはあたかも、1965年から1966年にかけて『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』、『追憶のハイウェイ61』、『ブロンド・オン・ブロンド』とエレクトリック楽器を取り入れた作品を矢継ぎ早に発表し、「フォークに対する裏切り」と賛否両論を巻き起こしたボブ・ディランが、当時の日本ではフォーク時代とロック時代両方の楽曲を寄せ集めた編集盤しか発売されず、日本の音楽ファンには全然その衝撃が分からなかった、という歴史的実話(G.T.氏の証言:アメリカだと、『Highway 61 Revisited』とか、わあ、これロックだ、って思うじゃない? でも、混ざってるから、なんのこっちゃ、って。もう、めちゃくちゃですよ。)に対する教訓のようである。
日本でのGEZANの立ち位置の変遷も同じかも知れない。容赦ないエナジー放射で威嚇するテロリスト時代は観客とのケンカに明け暮れた。2012年夏に東京へ居を移して16日連続ライヴ「侵蝕の赤い十六日」やマンツーマンライヴ『侵蝕の赤い十六人斬り』など無謀な企画で存在証明。2013年1月の東京初ワンマンでは、"GEZANのライヴ=暴れる"という先入観に囚われまいと、じっと聴き入るオーディエンスが目立った。マヒトは「みんな好き勝手にやってくれて構わない」と意に介さずにスピードアップ、踊ってばかりの国との共闘、叙情性を開示したソロやテニスコーツ、青葉市子との対バン・共演、メロディへの信念が結晶した『凸-DECO-』リリース、無手勝流USツアーを経て、一区切りとなるツアーファイナルへ至る。前列を占拠する前髪ぱっつん女子をはじめとするオーディエンスは、無闇に暴徒化するのでも、地蔵のように立ち尽くすのでもなく、激しいビートに身をくねらせながらも「うた」と「メロディ」を正面から受け止める。音楽表現に対する反応を規定することほど無意味且つ押し付けがましいことはないが、筆者の視点からすれば、この日のオーディエンスは極めて真っ当かつ真摯な受け止め方をしていたように思われる。
珍しくドラムのシャークがMCし「オレ等は突き刺すことだけやってるつもりはない。このライヴで空間ごと違う世界へアガッていきたい」と語る。マヒトが「つまりロックンロールや。ロックンロールごっこじゃないからよろしく」と要約し、さらにギターのイーグルが「裸の付き合いしようぜ!」と締める。「USツアーで気がついたこと。アメリカ人はFUCKだ。日本人もFUCK。ロックンローラーだけLOVE。だからみんなロックンローラーになって下さい。」
ロックンロールへの信念を新たにしたGEZANのネクストステージの始まりを告げた90分のステージの純度・強度は今までで最高レベルに高かったのは間違いない。ただ、敢て言わせてもらえば、本当に「違う世界へアガる」つもりなら、演奏者も聴き手ももっともっと「裸になる」ことが必要であろう。中途半端な妥協では無く、全身全霊全てを晒け出した挙げ句に生まれる未知の世界を見たいと強く願う。そして、この四人ならばそれが可能だと確信している。
下と山
FUCKサインの
正攻法