A Challenge To Fate

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【私のB級サイケ収集癖】第3夜:ボア・コンストリクター&ア・ナチュラル・ヴァイン/バンブー

2015年11月16日 01時44分26秒 | 素晴らしき変態音楽


かつて輸入盤を扱うレコード店には大抵格安盤コーナーがあった。カット盤(過剰在庫をジャケットに切り込みを入れた廉価盤)や、ひと箱いくらで輸入した雑多な中古盤が安価で並んでいて、知らないレコードをジャケ買いするのが楽しかった。もちろんハズレも多かったが、聴いてみて気に入ったものもあり、私的愛聴盤になったレコードもある。後にプレミア付きのレア盤だと分かる場合もたまにあるが、大抵は詳細不明のまま蒙昧の彼方へ飛び去ったまま。今ならネットで正体が解明できるかも。

●Boa Constrictor & A Natural Vine『s/t』 (Vanguard Apostolic VSD-6511 1969)
¥180/1983.1.26/下北沢レコファン


極彩色のジャケットだけでサイケ名盤決定。第1夜で取り上げたThe Family of Apostolicと同じレーベル。深いリバーブのアコギと、空中に溶けるような深みのあるヴォーカルを中心に、野外録音やテープの逆回転の効果音を含むサウンド。曲の出来に凸凹はあるが、総じてラリッたアシッドフォークである。特に「悪魔とスペードのエース The Devil & the Ace of Spades」は物憂いサックスと夢見るようなヴォーカルと奇妙な効果音を備えた名曲である。

Boa Constrictor & A Natural Vine - Devil & The Ace Of Spades (1969)


「私がジョージ・フィッグス George Figgsとベン・サイフ Ben Syfuに会ったのは今年の1月、彼らがボルティモアから漂流して来たときだった。9月にメイン州サースモントにあるジェール・ホワイティング Jere Whitingの農場でNagra製オープンリールで大半の曲を録音した。その後ニューヨークのApostolicスタジオでオーバーダブだけでなく新曲も録音し、11月にアルバムが完成した。
ジョージが歌詞を書き歌を唄い、ベンが音楽を書き、彼の助けで私がエンジニアをした。我々と友人たちが音楽を作った」
プロデューサー ジョン・キルゴーア John Kilgore(ライナーノーツより)

ジュール・ホワイティングはApostolicレーベルと契約していたザ・ファー・クライというバンドのヴォーカリスト。Apostolicスタジオでのレコーディングには同バンドのメンバーのデヴィッド・ペリー David Perry(g)、ディック・マーティン Dick Martin(sax)、ヴィクター・マックギル Victor McGill(ds)が参加している。ジャケットのイラストを手がけたフィービ・ストーンは、現在は子供向け絵本作家として売れっ子だという。このアルバムのマスターテープは70年代初頭に廃棄されたらしく、未だにリイシューされていない。
Whaddya mean you don't know George & Ben

●Bamboo『s/t』 (Elektra EKS-74048 1968)
¥300/1985.12.21/吉祥寺TONY


ださカッコいいフリルシャツとラッパズボンにビビっときたら竹やぶを突く価値有り。今気がついたのだが、表ジャケ左右に竹のフレームがデザインされている。ジャジーなサウンドに浮遊するメロディのアシッドフォーク「季節の少女 Girl Of The Seasons」で始まり、カントリー&ブルースタッチの良曲が続く。サイケというより、ヒッピーカントリーと呼ぶほうがしっくり来る。特に調子の狂ったタック・ピアノが葉っぱ臭くて良い。

Bamboo - Girl Of The Seasons


ジャケ右のデイヴ・レイ Dave Ray(vo,g)は、1943年8月17日ミネソタ州生まれ。デイヴ・"スネイカー"・レイの名前で知られ、60年代フォーク・リバイバルの立役者のひとり。スパイダー・ジョン・コーナー Spider John Koernerとトニー・"リトル・サン"・グローヴァー Tony "Little Sun" Glove rと組んで「コーナー、レイ&グローヴァー」として数作のブルース作品をリリース。1969年にウィル・ドニクト Will Donicht(ジャケ左 vo,b,key)と組んでバンブーとしてニューヨークでアルバムを制作。それまでと打って変わってエレクトリック・フォークの作品だった。しかしレイは、商業的なエレクトラの方針に幻滅し、ミネソタに自己のスタジオ「スウィート・ジェーンLtd」を設立し、音楽プロデューサーとなる。ジュニア・ウェルズやボニー・レイット等の作品を手がける。その後もソロやコーナー、レイ&グローヴァーなどのバンドで音楽活動を続けるが、2002年肺癌で死去。
Before Dylan, Dave Ray's Blues Rocked Minneapolis

大蛇と
野性の蔦と
竹林と

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