おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「東条 開戦前夜『勝った』」には、呆れたねぇ、、、

2018年07月26日 | Weblog

午前5時30分の気温はプラス18度。

きのう、おとといに引き続き青空で清々しい。

まぁそこそこ夏らしいお天気です。

きのうは当ブログの更新をしませんで失礼いたしました。

ブログは書いたのですが、更新したものと思ってました。

「公開」するのをコロッと忘れておったのです。

いよいよボケでしょうか?

相当ヤバイことになってます。

さて、

7月23日付の読売新聞は、「東条 開戦前夜『勝った』」が1面のトップ記事でござった。

戦争前夜、東条英機首相は昭和天皇の「決意」に高揚していたと、当時の政府高官がメモにしており、これが明らかにされたのですわ。

東条は、昭和天皇がアメリカとの戦争について決意したことに高揚し、ほろ酔い状態で高官にこう語ったのだそうだ。

「かくのごとき状態なるがゆえに既に勝った」

昭和天皇が決意したから「勝った」とは、口あんぐりなのです。

当時のニッポンとアメリカの国力の差は「1対10」といわれる。

冷静に考えれば、ニッポンがアメリカとの戦争したところで、勝てるはずなどまるきりない。

記事にもありますけど、東条に「国運を背負う大局観がなかった」はごもっともだ。

真珠湾攻撃が昭和16年12月8日ですから、「既に勝った」と東条が語ったのは、その前日のことだ。

そして、この真珠湾攻撃により、アメリカは第二次世界大戦に参戦することになる。

イギリスのチャーチル首相はこのとき、アメリカ参戦の報に狂喜したという。

「これでヒトラーの命運は尽きた! ムッソリーニの運命もそうだ! 日本もやがて粉砕されるだろう…。あとは圧倒的に優勢な戦力を存分に活用するだけだ!」と言い放ったと伝えられる。

大局観があったのは、東条ではなくチャーチルだった。

アメリカへ留学経験があり、米国の事情に詳しい連合艦隊司令長官の山本五十六さんは、戦争前、こう申したそうな。

「やれと言われれば半年、1年は暴れてみせる。だが2年、3年では自信がない」

ようは長くても1年しか戦えないと吐露しておる。

だから緒戦で勝利しているうちに「和睦」するなど「終戦」に向けた方策が求められたけど、そんもんは当時の日本帝国にはサラサラなかった。

太平洋戦争の戦況が一変することになるミッドウエー海戦で、ニッポン海軍が大敗を喫するのは翌年6月のことだ。

真珠湾攻撃からちょうど半年後、戦局は大転換する。

ここらから敗戦する昭和20年8月まで丸々3年間、負け続けに負けたのがニッポンだ。

そして敗戦までに230万人もの日本兵が戦死する。

空襲や原爆で亡くなった民間人を合わせて死者は310万人とされる。

そして230万人の犠牲者の6割が、戦病死と餓死だから憐れを通り越して腹も立つ。

これも何遍も書いてますけど、ニッポン陸軍には「兵站(へいたん)」という考え方がなかったという。

兵站とは「ロジスティックス」(後方支援)ですわ。

兵士の食糧調達から消耗品である兵器の調達運搬のことで、これがないと戦争なんぞ継続できるわけがないのだけれど、これが全く欠如しておった。

有名なのはこの言葉だ。

「輜重輸卒(しちょうゆそつ)が兵隊ならば、蝶々、トンボも鳥のうち」

つまりは輸送を任務とする輜重の部隊を小バカにした言葉です。

輸送がないと、兵隊は食事もできなくなるのにねぇ、、、

ことほど左様に兵站は軽んじられた。

一方アメリカ軍はというと、最前線の兵士に温かい食べものを届けることを最優先にしておったという。

大量の餓死者を出した旧日本軍との差は歴然。

勝つべくして勝った国と、負けるべくして負けた国の差がここにある。

もっとも悲惨とされるのはインパール作戦だ。

NHKの朝ドラ「ひよっこ」で、みね子のおじ、宗男さんが参加したのがこのインパール作戦だった。

これについても何回も書きましたけど、こうしたことは何回でも書いておかねばなりませぬ。

この作戦で食料は、進軍する先の町や村から調達するというのです。

調達するというと地元民から買うみたいだけど、実際には行く先々の町や村から「食糧を略奪」しながら進軍するわけ。

おかげで、敗残した日本兵の帰り道は、食料もない上に住民を敵に回しておるわけですから、悲惨を極めた。

敗走する日本兵が通った道は「白骨街道」と呼ばれたそうだ。

また、兵器や装備を運搬してきた牛や馬を食料に転用する「ジンギスカン作戦」を敢行する。

タコが自分の手足を食べるようなもんで、牛や馬食べて、この先武器はどうやって運ぶのって話なのだ。

自殺にも等しい、シロウトが考えてもメチャクチャな作戦なのです。

そして司令官の牟田口廉也はこうのたまった。

「皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」

神がかりのアホ、バカ司令官、どっからどうみても狂気の沙汰でござる。

このインパール作戦を含め、ビルマ・インド方面の日本兵の死者は約18万5000人で、この78%に当たる14万5000人が戦病死という(データで見る太平洋戦争・毎日新聞社刊)。

ようは78%が病気と餓死なのだ。

どう見ても勝てるはずのない戦争をして、喰い物がなくて死んでいったニッポンの兵士は全体で6割超にもなる。

どうにもこうにも、酷い戦争をしたもんですが、東条はその開戦前夜に「勝った」との認識だったのです。

視野の狭い、大局観のない人がトップになると、国は滅びる可能性があると、しみじみしたりするおぢでござる。