空は真っ暗という午前5時半です。
気温はプラス21度。
今日は昼前か昼過ぎから雨のお天気、最高気温27度の予想だ。
涼しいうちに草刈りか薪割りかな?
写真はきのう「キースプリングニセコ」でいただいたウナギだ。
5000円也で仰天した。
ところで、
週刊新潮に「曖昧礼讃ときどきドンマイ」という横尾忠則さんのエッセイがある。
5月30日の増大号から休刊となった週刊朝日から移籍してきたのだ。
今週号は、あの三島由紀夫さんとの交流について書いておりました。
交流のあった横尾さんが、三島さんの遊び心というか、ちょっと芝居じみた行動についてあれこれ書いていて、まことに興味深かった。
三島さんはずいぶんと目立ちたがりなところもあったようだ。
銀座のレストランで三島さんと待ち合わせしたときは、店内の良く目立つ場所に席を予約したけど、店内の客は三島さんにまったく気づいていなかった。
そこで三島さんはレジ横の赤電話でどこかに電話をかけた。
店内に響く大声で「もしもし三島ですがね…」と、どうでもいいような話を始めたそうな。
自分存在に気づかせるのが目的だったとか。
客も三島さんの存在に気づいたあとは静かになって、横尾さんと三島さんの声だけが店内に響いたそうです。
また、市ヶ谷の自衛隊に突入するタクシーの中でも、全員で高倉健の「唐獅子牡丹」を合唱したという。
横尾さんは「死を目前にしたその瞬間まで三島さんは遊んでいます」と書いた。
またその切腹も、「実に演劇的で次々と集まってくる観客を前に、三島さんには切腹は苦痛というより快感であったのではないでしょうか」とも。
そしてこう綴っております。
「三島さんの遊びは、どれも悪意がありますが、芸術は悪意の所産ですから、悪意があって当然です」
最後は「芸術こそ最高の遊びです」と書いておりました。
考えてみれば、ピカソを筆頭に多くの芸術家は皆さん長生きだ。
それもこれも、年がら年中「最高の遊び」に興じているからかもしれませぬ。
十代のおぢにとって、三島の切腹は衝撃でしたけどね。
その横尾さんの講演か何かが、中学生当時、札幌市内で開かれた記憶がある。
会場で話を聞いて、配られた紙に似顔絵ともつかないテキトーな絵を描いて「妖怪ヨコオ」と添え書きしたら、その他大勢の一人として壇上に上げられた記憶がある。
あれからもう半世紀だ…