おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

歯が命?

2005年05月31日 | Weblog
歯医者に通っておる。虫歯でも歯周病でもない。ちょいと欠けただけだ。
だいぶ古いけど「芸能人は歯が命」…芸能人でなくてもね。
なにせ、いつ伊東美咲さまにお会いするかもしれず、チェ・ジュウさまにハグされるかも知れず、まかり間違って、どちらかに「一回お願い、ムフッ」と言われるかも知れず、日々その日に備えておる。

これ、認知症かぁ?

うちのババは四十代ですでに歯槽膿漏であった。
当時小学生のおぢが、いじめにあって、泣いてすがった時も口臭がすごかった。
臭くては、どもならん。
ぐっすり寝ているナポレオン、その鼻先にチーズを持っていったところ「う~ん、ジョセフィーヌ今夜はカンベン」とかなんとか、言ったらしいが、その匂いとは、ちょと違う。それはそれで嫌いではないがね、、、

おぢは身長161センチ足らず。ようするにチビである。
「チビ、デブ、はげ」。おぢが十代、二十代の頃、そんな洒落た?言葉はなかったが、デブ、はげ、とりわけはげは恐怖だった。
なにせ当時はジャニーズ系だったのだ。
でへっ、誰も言ってくれんがね。

といっても、いまはただのおぢに過ぎん。
旧友Yさん曰く「ぢぢ苔、顔中つくってどうしたの」状態なのだ。
言いたくもないが、ぢぢ苔はシミのこと。たぶん空知地方は長沼弁。都会っ子のおぢはよう知らん。

チビはおぢの責任ではない。
はげもどうやら違う(もっともおぢは発毛剤「ロゲイン」でとりあえず免れたがね)。
だがデブは自己責任、自己管理じゃ。
歯も同じ。
うちのババは自己管理ができなかった。
前にも書いたが、朝昼晩、飯代わりにお菓子を食しておった。その頃すでに、総入れ歯。臭くなかったし、見た目もきれいだったが、入れ歯はずせば口元シワシワ状態であった。
これは嫌じゃ。その前に臭っさい息を撒き散らすのはもっとイヤ~ン。

そんなこんなで、せっせと歯医者に通っておる。
顔も身長も頭髪も、生まれも育ちも、思いどうりにはいかん。
だけど、体重、体型、体力、もちろん歯も、自力でどうにでもなる。
人生は与えられた場所でしか、がんばれん。がんばろうね、ご同輩!!

目標は愛されるぢぢいじゃ。もち、おねーちゃんにもじゅばじゅばキスされたいしね。

貴ノ花

2005年05月30日 | Weblog
大相撲の二子山親方が亡くなった。おぢの世代にとっては、貴ノ花の方がしっくりする。相撲ファンではないが、年齢が近いせいか、ショックもある。週刊現代、週刊文春は、かなり前から危篤状態を伝えておった。兄は大横綱、息子二人も人気横綱、本人は大関止まりだったが、人気は凄かった。角界の良血サラブレッド。

だが後半生は、息子と女優の結婚問題に始まって、奥さんの不倫・離婚問題、息子兄弟の確執など「なんともまぁ」っていうほど週刊誌、ワイドショウーを賑わした。人間、なかなかうまくいかんもんです。

かつて、北海道出身の大関、横綱が角界を席巻した時代があった。あっちもこっちも「道産子のお相撲さん」の印象だった。農家にトラクターのない時代、子供も農業の重要な担い手だった。そんな時代、北海道はお相撲さんの大供給基地だった。いまはさっぱり見かけない。有力力士は外国人ばっかだ。

さもありなん、畑では、ベンツ並みの値段のエアコンつきトラクターが走り回り、農家は快適な環境で、鼻くそほじりながら作業しておる。農業にいそしむ方たちにとっては、良い時代になった。金持ちにもなった。とても良いことだ。良いことだが、ハングリー精神いっぱいのお相撲さんが出てくる環境はなくなった。

フランスのシラク大統領は、相撲ファンだという。日本の伝統文化を深く愛してくれてるんは、欧米文化人かも知らん。貴ノ花の死は、古き良き大相撲時代の終焉、とでも申せましょう。合掌。

お墓って?

2005年05月29日 | Weblog
午後に帰札。ババの病院に行く前、ハタと思い出し、薪ストーブ親父さま宅を訪問。
いつもながら、突然ですいません。
アポ取ったりするのはどうも苦手。で、突然の訪問。それでも快く迎えてくれました。
お約束の「こわれせん」をいただく。おまけに禁煙したため不要となったライターをごっちゃり。たぶん50個以上ある。死ぬまでこれで吸い続けられそうだ。っていうか死ぬまでに使い切れまい。

こわれせんは美味。お茶菓子で出していただいた、お江戸で大評判の「ラスク」もいただく。これもうんまい。こちらのほうがはまる。
ラスクは昔、もっと貧相な食い物であったような気がするが、これはちぃとばっか、お洒落な味わい。ビールにはぴったりに違いない。

面白いお話を伺った。
日本で「○○家代々」の墓といった墓碑銘?が使われるようになったのは、ここ百年のことだとか。そういえば、江戸時代、庶民は丸い棺おけにウンコすわり状態で遺体を入れ、土葬しておった(時代劇ではね)。したがって、まともな墓などありゃしない。

有名人は個人の墓だ。土方歳三の墓とか、だれそれの墓とかね。
ご当地、北海道は、流れ者、食い詰め者、農家の次男坊、三男坊、「一発当てよう組」に犯罪者、唯一まとも?な屯田兵などの寄せ集め。代々の家なんぞが、元々来るわきゃない。あっても、せいぜい三代かそこら。そんな土地柄だから「○○家代々」の墓などと、いいカッコしても無理。第一この少子化時代、この先、三代も四代も「家」が続く保証など、ない。

これが本州だとちょと違う。平安時代からとか、江戸時代からとか、よく知らんけど京都の有名な冷泉家など、文字通りの名家があるがね。

ようするに「墓を守る」などというのは、ホンモンの名家が言うもんで、庶民が気取ってもせんないこと。墓を作るなら個人の墓。○○家、一まとめでお参りされてもねぇ~親戚関係が面倒な場合もあることだし…

おぢは大好きな羊蹄山に散骨していただくのがよろしい。生き残ってる友人が何度か参ってそれで終わり。それより「今を生きる」のが大切!!とあらためて思い知ったのだった。

チセ

2005年05月28日 | Weblog
「冬は、雪との闘い。夏は草との闘い」近所のぢぢは常々そう申しておる。
冬はともかく、夏の草刈は、週末田舎暮らし10年のベテラン?おぢでさえ、辛い。
肩は凝るわ、虫には刺されるわ、草刈機のエンジンの振動で指はわなわな震えるわで、かつて林業関係者に大流行だった白蝋病ってこれ?ってなもんだ。

朝7時半スタート、午前中でほぼ終了。
「ほぼ」ってことは終わってないっていうこと。
根性なしでスマン。

ぐったり疲れたが、ストレス解消もかねて午後からチセヌプリへ。
岩内へ向かうパノラマラインを上り詰めた駐車スペースには6台あまりの車。
ここからつぼ足で急斜面をハイクアップだ。

先客スキーヤーが2名滑り降りてきた。聞けば、きょうは3回登ったとか。好きものじゃのぉ~
6人ほどのスノーボーダーは、ジャンプ台を作って遊んでおった。
良いのぉ、のんびりして。

えっさ、ほっさと1時間のハイク。
草刈の疲れに加え、ガスってきたころから、山頂目前でハイク終了。
「根性なし、いい加減」がおぢの身上、返す返すもスマンです。
見渡すと下界は緑いっぱい、目を山に転じると雪がいっぱい。いつもと違う光景だ。

滑走は約5分でお・し・ま・い。あっという間じゃ。とはいえ、この爽快感はなんとも言えん。夏山は登りも下りもしんどい。あたりまえだが、山スキーがしんどいのは登りだけ。下りはお楽しみ。軟弱?おぢにはぴったり。

かめだ!!

2005年05月27日 | Weblog
退社後、車を駆って中山峠を越え、真狩温泉で一週間の疲れを癒し、午後9時小屋に着いた。ビールを飲み、まったりとした時間を過ごす、はずだった。

だがしかし、世の中は甘くない。扉を開けると、ぎょぇー!!かめだぁ。アラレやおせんべいの亀田ではない。カメムシだ。それも、ごっちゃり!!

写真を載せるのもはばかられる。なにせ数百匹がうじゃうじゃおる。「癒しの小屋」は「カメ虫ハウス」に変身しておった。誰か何とかしてくれぇ~といっても誰もなんとかしてくれません。ひとりほうきを持って、がさごそかき集める。

恒例とはいえ、今年はやたらと多い。聞いた話によれば、暖かい家の中で越冬し、恐ろしいことに「家族を連れて帰ってくる」とか。連れて来るんかい?家族まで…ひぇ~

カメが許せんのはその匂い。臭い、それも強烈に臭っさい。過日、便器の中に一匹おった。それを知らずに、大型1本ものをひねり出した。いつものかぐわしい香りは、一瞬にしてカメ臭くなった。ウンチはカメに負けた。しかも大敗である。

周りに木の少ない日当たりの良い家が、カメのお宿となる、そうだ。これっておぢの小屋ことじゃ。春と秋、小屋はカメに占拠される。もしここを売る羽目になったら、夏か冬にする。春と秋では買い叩かれるにちがいない。売るときは騙してやるぅ…

思い出の恐喝

2005年05月26日 | Weblog
いまから30年以上前、札幌では「一条」「幌東」「陵雲」「中島」が、悪い中学校の代名詞だった。おぢはその陵雲中学校の出身だ。
中央区北2条西11丁目にあったが、いまはない。

授業中、廊下がどたばたと騒がしい。「うー」とか「わー」とかも聞こえる。
教師と生徒が取っ組み合いだ。
結果、生徒ボコボコ、勝つのは教師。
教師にでもなるか、教師にしかなれない―で、「でもしか教師」と呼ばれた先生は、強かった。
上級生は、刃物を持っておった。トイレからはタバコの煙がモクモク上がり、扉は刺し傷だらけ。
小学生から来たばかりの中1ボンズのおぢは、わなわな震えておった。

映画を見に行く途中、大通公園で恐喝された。
上級生は刃物を突きつけこう言った。
「俺はよう、どこ刺したら死なないか、とーさんから聞いて知ってんだ」
ビビッた。このころの父親は戦地に行っていた、いわば殺しのプロ。
プロから教わった死なない刺し方は、動脈を避けて刺すのだという。
「死なないように刺すんだぁぁぁ」と思ったら、ポケットからなけなしの百円札が勝手に出てきた。むろん、その日の映画はないことになった。

その後、この中学校は多くのヤクザもんを輩出した。名門じゃ。

陵雲は、おぢが卒業して数年で中央中学校に統廃合。
来月、4年ぶりに同窓会が開かれる。
おぢたち12期が幹事だ。
当時の上級生も来る。若干、ビビッておる。

「おば」

2005年05月25日 | Weblog
給料日だぁ、懐も多少暖かい。
てなわけで「おば」をいただいた。
おねーちゃんではなく、おばなのだ。ひやぁ~スケベでゴメン。

って期待してはいけません。おばはおばでも白身の魚。
おぢもこの歳まで知らんかった。「おば」なんて魚があるなんて…
どこで獲れるんだい、この魚?おせーて。

名前付けるなら、もっと他にあるだろぉ「ジョシコウセイ」とか「ミニスカ・ポリス」とか。おぢのスケベ心をそそる名前がぁ。
と、うだうだ言ってもしゃーないけど、、、

とある居酒屋でいただいた。
唐揚げし、お出汁に漬したおばは美味かった。
ご一緒させていただいたホントのおねーちゃん二人のおかげか、店員さんは「片口」に冷酒をどぼどぼ。計二合のはずだけど、三合はあったね。おぢ一人ではこうはいかん。ここはおねーちゃんに感謝!!
でも最後のお勘定はおぢじゃぁ~

こんど生まれてくるときは、世間のおぢが1回お願いしたくなる「飯島直子」さまになって、おごられてやるぅ。

今年の5月は心地よい

2005年05月24日 | Weblog
今年は楽ちん、快適、爽快だぁ~
ってようするに花粉症が出ないのだ!!
いきなり鼻水がツツーッと流れ出してから早くも5年。
毎年連休明けに症状がスタートする。
涙と鼻水がじゅるじゅる。頭はボーッ、目薬、点鼻薬は買わねばならんわで、辛い、辛い。

ところがじゃ、今年はチョー穏やかな日々が続いておる。
本州と違いエゾ地の花粉症の元は、シラカバでござる。しかも小屋の周囲は、シラカバだらけ。ご丁寧に、裏に生えてきたのを、道路沿いに植えちまって…分かってりゃ別のもの植えたのに。
とはいえ、切るのも忍びなく、困っておる。

検査で分かったのだが、おぢの場合、敵はシラカバ花粉だけではなかった。
リンゴもNGなのだ。
ついうっかり、食してえらい目にあった。
涙は出るは、のどが締めつけられるは、で、死ぬ思い。

さらに打ちのめされたのは、サクランボじゃ。これ、「りんご科」なのよぉ~
「わたしはりんごです」って言ってくれよぉ、って言わんもんね。
こん時は大量に食してから来た!!思い出すだけで身の毛もよだつ症状ではあった。

そんなこんなで平穏な日々であったが、とうとう来た。
帰宅して屈んだとたん、ツツーッと。
それでも例年よりたいそう楽ちん。昨年の台風で木も弱っておるに違いない。
快適な5月だ。いいウンコも出た。形の良い1本ものがムリムリッと…

臨時オープン、中山峠

2005年05月23日 | Weblog
雪がどっちゃりのニセコアンヌプリと桜が不思議なコントラスト。なかなか見られぬ春の風景。カッコーの鳴き声も聞こえる。近所のぢぢによると、カッコーが鳴くと、農家は本格的な農作業に入るのだという。都会っ子のおぢは「3へぇ」。

土日に臨時オープンした中山峠スキー場が大賑わいだった。峠越えの際、車が多くてびっくり。ここは現在、あの加森観光が経営しておる。元々は喜茂別町の三セクが経営、ご他聞に漏れず経営破たん。そこで、スキー場リサイクルはお手の物という加森観光にバトンタッチ、というわけだ。

かつておぢもシーズン初めには良く通ったスキー場だった。でも、いまは行かぬ。多少技術が上がったのかしらん。あそこでは満足できんのじゃ。スキーも風俗も“テク”が勝負じゃけん。

他人事だが、経営はどうなってんだい?と気にしておった。そこは加森観光だね。今回の土日限定オープン、1日券は1500円なり。日曜は500人来たという。一日の売り上げ75万円プラス飲食で楽々100万円超、二日で200万円超の売り上げだ。

三セクではこうはいかん。柔軟な経営ですね。さすがというべきか?でも雪あんだから当たり前といえば当たり前。役所はこの当たり前ができん。市町村はどこもかしこも事実上、倒産状態だというのに…税金でスーツまで作っておった大阪市はようやく賃下げとか。ガンバレ元極妻弁護士の助役さん。

森の喫茶店

2005年05月22日 | Weblog
夜、先々週お伺いした「リバーフォーレスト」へ。隣の教会では、日曜日に結婚式とか。これで昨年のオープン以来、3組目という。これからビシバシ増えるに違いない。たぶん。

ビールに焼酎1本、焼きそばなどなど、あれこれ食べて飲んで3千円弱、安いのぉ。安いけど、土曜の夜というのに客は2組。水商売は難しい。

一昨年オープンしたスキー場そばの居酒屋「阿武茶」はシーズン中、チョー満員だった。それも口コミのオーストラリア人予約でいっぱい。確かに美味しい良い店だが、それにしても開店のタイミングが絶妙。OGスキー客が右肩上がりで増えるという追い風、神風が吹いちゃった。経営者のおにーちゃんは運がいい。いや、運だけじゃないね。月額30万円の家賃を払うという「大リスクを背負ってのスタート」ってのも凄いもんだ。

そのおにーちゃん、7月ここで結婚式を挙げるという。まことにおめでたい。細木数子さまでなくても占えるわい!このにーちゃんの明るい未来。

隣の芝生はいつも蒼い。上を見ればきりがない、下を見れば後がない。トホホだのぉ~ようするにマイペースで生きろってことだね。

忘れな草

2005年05月21日 | Weblog
クロッカス、水仙に続いて、忘れな草が咲いた。良いのぉ~。この可憐な花もいただきものだが、当地と相性が良いらしく、小屋の周辺にポツポツと増えてきた。

若いときは、桜にチューリップ、名前と実物が一致するのはそんなもん。花に関心などからっきしなかった。当時好きだったのは夜の花。あれは夜の蝶かぁ。花も蝶も、ごっつあんでした。皆さんいかがしておられるのでござろう、咲いておるのか枯れたのか?

ここの自然は厳しく、これまたいただきものの「梨の木」は、ネズミに皮を食い散らかされ、瀕死の状態…と思っていたが、よっく見ると幾つか芽が出て始めていた。結構、しぶとい。

梨、りんごなど、いわゆる「なりもの」の木は、幹や枝も甘味がするらしい。そこで冬の間、餌に不自由するネズミの格好のターゲットとなる。このため、降雪前に幹や枝を金網でぐるぐる巻きにするのだが、甘くないのだ。木は甘いがね。

ニセコから岩内に抜けるパノラマラインが開通した。例年よりかなり遅い。この道路を車で登り詰めると、チセヌプリの6合目あたりに出る。ここからのハイクだと40~50分で山頂だ。天気もよく行きたかったが、都合で中止。来週まで滑走可能だろうか?

人間ドック

2005年05月20日 | Weblog
ドワッ、ハハハッ~人間ドックは、結果、パーフェクトであった!!休肝日が効を奏し、γGTPも中性脂肪も昨年より下がった。内臓だけはとにかく健康らしい。年々確実に進行する物忘れと、ババの遺伝であろう痴呆を除いてね。先は、屈強な徘徊老人に違いない!?それも標高2千メートルまで登って発見されるかも知らん。危ないのお。

検査を行った円山クリニックからほど近い、KIKA(中央区北3西23)を訪ねた。KIKAは一般住宅をそのままに、洋服、アクセサリー、輸入雑貨を扱うお店だ。われらが高校のマドンナ、Nさまが経営しておるセンスのよい店じゃ。テレビや雑誌でも取り上げられた。久々に会ったNさまは、元気そうに見えた。美味しいお茶と「判官さま」をいただく。判官さまは餡の入った餅菓子。北海道神宮駐車場の近くにある、さるお菓子屋のアンテナショップに行くと、無料で食することができるという。小奇麗にしたホームレスなら毎日通うかも知らん。

夕方、気持ちのよい天気の中、ニセコへ車を駆る。温泉に入り、小屋にてまったりとビール。
安ワインを1本空けてしまった。きょうは元気で酒が美味い。この調子だとあすも美味い。

カモ、ねぎ

2005年05月19日 | Weblog
いつまでたっても寒いのぉ~。などと思いつつ、昼休み、うだうだと雨の北大構内を散策。
「中央ローン」は昼どきというのに、誰もおらん。雨の中だ、当然といえば当然。
だが、いたね。涼しげに泳いでいるカモ?が。カメラ片手に近づいたが、「我関せず」って顔でスイスイ泳いどる。安全だと知ってるんだわ。この国はカモまで平和ボケでござる。

この中央ローン、いろいろ思い出がある。小学一年生のスキー遠足は、この中央ローンだった。坂ともいえぬ坂だが、一年ぺいには楽しい思い出だった。高三のころは、「民青」諸君との内ゲバだ。デモの最後尾で鉄パイプを持ち、おどおどしておった。前からは民青の石ころがビシビシ飛んでくる。「最後尾は安全だぁ」と思ったが、デモの隊列は突然、180度の方向転換!!エ~ッ、おぢの背中向けてどんどこ石が飛んでくる。ギョエ~ッ!!痛かったなぁ~

そんなこんなを思い出しつつ昼食へ。ふと、そば屋に足が向く。ご推察のとおり、注文は「カモ南」、鴨南蛮でござる。ほどなく届いたどんぶりにこうべをたれて、黙々と食した。スマンね、美味くて。

休肝日

2005年05月18日 | Weblog
今月号の文藝春秋特別企画「証言1970-72」が、あれやこれやの「あの当時」を思い起こさせ、懐かしくもあり、「へぇ、へぇ」でもあった。

「三島由紀夫の首がギザギザに切り込まれていた」こと、「作家・北方謙三氏がブンドだった」こと、「殺人鬼・大久保清がなぜ自供したか」「三角大福の総裁選で乱れ飛んだ3億円のばら撒きの現場」「ドルショック」などなど。改めて、「なんかすごい時代」だったとしみじみ。

鼻がぐずぐずし、体調不良。風邪、流行ってるし、天気、悪いもんねぇ~。このところ、「酒を休む」のが苦にならなくなってきた。二十代から四十代半ばまでほぼ毎日酒を飲んできた。「飲まないと寝れない」状態、つまりはアルコール依存症だったわけ。本人に自覚はないのだけれど…いまは飲まなくてもグッスリ。金曜日は「人間ドック」、よって水曜、木曜は休肝でござる。

福鳥

2005年05月17日 | Weblog
帰宅後、「福鳥」へ。福鳥は札幌ススキノの老舗焼き鳥屋だ。古さで言えば札幌で三本指に入るという。こことの付き合いはもう30年以上。ってことは高校時代からか…あのころはよく飲んだ。金がないので高価な「ホッキの塩焼き」など見てるだけ。いまでもホッキはヒモだけ。貧乏臭いのお~

女の「ヒモ」にもなってみたいと思ったが、どうやら無理。女性にマメでないのだ。モテル男はマメ。これはあきまへん。ホッキのヒモは好きだがモノホンのヒモにはなれんね、悲しいけど。

本店は国道36号線に面しておる。ここは大きく広い店、これはどうにも落ち着かん。そう、おぢは高校時代からほとんど支店で飲んでおった。その支店の親父が南4西3(ススキノ交番となりの新ラーメン横丁の地下)に「暖簾分け」してもう10年以上になる。

お好みは写真のガツタレ。甘ダレが酒に合う。美味いのだ。ビール中ジョッキ1杯と酒2杯、いつものパターンでお・し・ま・い。これで酔っ払うってのが、幸せだね。正直、ぢぢいになってよかったと思う瞬間だ。だって、安上がりだもん。

「いや~酒が弱くなって」などというご同輩、前向きに考えようね。歳とっていいこともいっぱいあるのだ。考え方ひとつでね、、、