おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

パッチギ

2005年10月19日 | Weblog
                          (写真は先週の羊蹄)


映画「パッチギ」の舞台は、1968年の京都。
この68年、おぢも高校生じゃった。
だから、あの懐かしい曲「イムジン河」が流れてくるだけで涙もんだ。

物語は、在日朝鮮人高校生と日本の高校生の確執が縦軸。
これに青春の恋物語が絡み合う。
つまりは「ロメオとジュリエット」。
っていうか「ウエストサイド・ストーリー」に近いかねぇ。

当時、札幌に居たおぢには、確執の方はようわからんけど、「時代の空気」は当時をきっちり描いておる。
懐かしくて、ジ~ンときた。

あのころの雰囲気をしっかり出しておるのが、オダギリ・ジョーが演じていた役だね。
こういう人、あのころ確実にいた。
ギター抱えてフォークソングを歌い、ふっと外国行っちゃうヤツ。
で、帰ってきたらすっかりヒッピースタイル。
初期のニセコ移住者たちもこんな人たちだったような気がします。

映画で散々繰り返される政治的なメッセージは気に入らんかったけど、当時の空気は確かにあんなもんだった。
71年ごろだったろか、旧友Oのいた京都の某大学寮に1ヵ月あまり居候したことがあった。
当時は、赤軍派が京都戦争、大阪戦争を叫んでおる頃じゃった。
寮では、みんな朝方まで酒を飲んで大騒ぎしておった。

ただ、近づいてはダメな場所があった。
「なんでよ?」とおぢ。
「あっちはやばいんだって、いま爆弾作ってるんだから」と旧友O。
正直ビビッた。

寮の庭には大麻がごっちゃり植えてあった。
夜はどこからともなくインドの楽器シタールの音色が聞こえ、タバコとは違う香りが漂っておった。

岡林信康の、「友よ」だったか「山谷ブルース」を作詞したというおっちゃんがいた。
おっちゃんといっても、25~26歳だったろうか。
この人、翌年の夏に園芸店のトラックで北海道に来た。
カラだったトラックは、帰りには草が満載されておった。
草はもちろん大麻だ。
「これなら目立たんやろ」とあっけらからんと言っておった。

いまでは考えられん、とんでもない時代だった。
とはいえ、映画のエンドロール見ながら、おぢは郷愁で胸いっぱいになっちゃった。
ぢぢぃは涙腺が弱い。
それにしても、いまの若者たちは、この映画をどう見るんかねぇ。
1968年、おぢは確かに青春しておった。


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