一昨年、水俣資料館に行った。九州に行った帰りに水俣に寄り、水俣病と関わったところをまわった。表面的には、水俣病はじっくりと目をこらしてみなければ見えないが、しかし水俣病はまったく終わってはいない。
http://kumanichi.com/feature/minamata/kiji/20160501003.xhtml
チッソというあくどい企業が、汚水を垂れ流し、それを告発する人々の声を政府はまったく無視してきた。それが水俣病の被害を拡大した。その構図は、まったくいつも変わらない。「水戸黄門」と同じで、悪いことをしてカネもうけに励む「越後屋」とそれを保護しカネをかすめ取る「悪代官」とが結託している構図だ。水戸黄門はいないので、被害者と支援者とが、毒の垂れ流しの停止と被害者救済を求めて長い長い闘いをしなければならない。
しかし一度こうした悪が起きると、被害を受けた者に根本的な解決はもたらされない。被害者とその家族は一生苦難を抱えて生きて行かざるを得ない。カネよりも普通の生活を求めるのだが、一度そういう事態になると普通の生活は回復できない。
http://kumanichi.com/feature/minamata/kiji/20160501001.xhtml
その代償として、当然損害を賠償する金と心からの謝罪と、そしてサポートがなければならない。残念ながら、「悪代官」も「越後屋」も、少しのカネをだすだけで、あとは知らんぷりだ。
昨日の、『熊本日々新聞』の社説である。
水俣病60年 実態見据え“真の救済”を 2016年05月01日
毎年開かれる「水俣病犠牲者慰霊式」は熊本地震の影響で延期となったが、水俣病はきょう、公式確認から60年を迎える。
熊本、鹿児島両県が認定した患者数は2千人を超える。だが、今なお多くの人が救済を求めて行政に認定を申請し、訴訟も相次いでいる。全面解決には程遠い。
水俣病は、チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を海に流し、汚染された魚介類を食べた住民らが手足の感覚障害や視野狭窄[しやきょうさく]などを発症。チッソ付属病院の故細川一院長が、水俣保健所に「原因不明の疾患が発生」と届け出たのが1956年5月1日だった。
「日本人は豊かになったと言われるが、私たちはなぜこんな目に遭うのだろう。悪いことは何もしていないのに」。公式確認のきっかけとなった水俣市の患者田中実子さん(62)の姉下田綾子さん(72)はそう話す。言葉を発することのできない妹の介護を続け、自身も未認定患者救済策の対象者だ。被害者すべてが抱くであろうこのやり切れない思いは、年月が過ぎるほど一層深くなっている。
国はその思いに誠実に応えてきただろうか。感覚障害に運動失調や視野狭窄など複数症状の組み合わせを求める認定基準は、大量の棄却処分を生んだ。被害を矮小[わいしょう]化しようとする姿勢は司法から何度も指摘されたが、変わることはなく、混乱を拡大させるという状況が繰り返されている。
2013年に最高裁は感覚障害だけの水俣病を認定、幅広く患者を救済する判断を示した。環境省は翌年、認定基準の運用に関する新通知を示した。単一症状でも総合的な検討で認定するが、汚染魚多食の裏付けを求めるなど申請者に負担を強いる内容だ。最高裁判断とは裏腹に、かえって救済の門を狭めたと言わざるを得ない。
県は昨年7月、水俣病認定審査会を2年4カ月ぶりに開いた。従来の認定基準の大枠は維持したままで、これまで74人の審査で認定は2人、65人は棄却、7人の処分を保留した。認定者の症状や検討内容などは非公表。棄却が相次ぐ状況も変わらず、最高裁判断をどう生かして被害者を救済するのか、県の姿勢が見えてこない。認定審査を待つ申請者は、鹿児島も合わせると2千人を超える。その現実を直視すべきだ。
水俣病問題に幕を引きたい国は09年、水俣病特別措置法を施行し未認定患者救済で政治決着を図った。一定の感覚障害が認められれば一時金210万円を支給、約3万6千人が対象となった。
しかしそのことによって、あらためて被害が広範囲にわたっている現実が浮き彫りになった。患者側は不知火海沿岸の広い地域での住民健康調査を求めているが、行政は応じていない。これでは患者の切り捨てにつながりかねない。行政は幕引きを急ぐことなく、真摯[しんし]に実態を見据えてほしい。
被害者の高齢化が進む中、救済は待ったなしである。国も県もこの60年の歩みから学び、“真の救済”の道へ踏み出すべきだ。