江戸幕府が倒され、天皇の権威を利用する明治維新国家ができたとき、日本の宗教に大きな変化があった。あったというのは正しくない。大きく改変されたのである。
改変したのは、天皇の権威を利用して成り上がろうとした者たちである。その背景には、近世国学などの学問的な潮流があったが、しかしそれらは成り上がろうとする者たちが利用するためにこそ存在した。
火伏せで有名な秋葉信仰も、秋葉山の頂上にあった秋葉寺が秋葉神社となり、祭神も秋葉三尺坊大権現から火之迦具土大神へと変えられた。伝統がそこで消されて、新たな秋葉信仰がつくり出されたのである。
その背景には、明治維新権力の強烈なバックアップがあった。神仏分離、廃仏毀釈の政策がそれである。
アマテラスに始まる神権天皇制を押し出す政策の一環でもあった。
そのように改変されたのは、秋葉信仰だけではない。滋賀県の日吉社も同様だ。延暦寺と一体的であった日吉社が神仏分離で延暦寺と引き離され、仏具などが破壊されたりした。日吉社の神仏分離はなかなか激しかったという。
もちろんそこで祭りも大きな改変を受けた。山王祭である。
最近、ジョン・ブリーンの『儀礼と権力 天皇の明治維新』(平凡社)を読んだ。そこに、「神社と祭りの近代ー官幣大社日吉神社の場合」という文が掲載されていた。ブリーンは、史料と図像をもとに、山王祭に、近代以降、どのような改変がなされたのかを解き明かしていく。現在の山王祭のハイライトとされるものは新たに導入されものであり、またそれぞれの社にまつられている神も、近代以降に変えられたりという、まさに明治初期に伝統が断絶され、一定の「物語」、たとえば『古事記』などにあうようなそれが創造され、それに沿った改変がなされたことが記されているのである。
伝統が、政治権力の力を背景に切断され、そして近代天皇制国家にあうような「物語」がつくりだされ、それに沿った「作為」により、新たな「伝統」が創出され、今やそれが「当たり前」となっている。そしてその「当たり前」とされた現在の姿をそのまま過去にさかのぼらせ、民俗学者らがしたり顔に、「これは古代の・・・・」などと意味づけていく。ここに民俗学者の退廃、非学問性が姿を現すのだが、ボクらはそうした民俗学者らによる、近代の「作為」を覆い隠す、えせ学問と対抗していかなければならないと思う。
改変したのは、天皇の権威を利用して成り上がろうとした者たちである。その背景には、近世国学などの学問的な潮流があったが、しかしそれらは成り上がろうとする者たちが利用するためにこそ存在した。
火伏せで有名な秋葉信仰も、秋葉山の頂上にあった秋葉寺が秋葉神社となり、祭神も秋葉三尺坊大権現から火之迦具土大神へと変えられた。伝統がそこで消されて、新たな秋葉信仰がつくり出されたのである。
その背景には、明治維新権力の強烈なバックアップがあった。神仏分離、廃仏毀釈の政策がそれである。
アマテラスに始まる神権天皇制を押し出す政策の一環でもあった。
そのように改変されたのは、秋葉信仰だけではない。滋賀県の日吉社も同様だ。延暦寺と一体的であった日吉社が神仏分離で延暦寺と引き離され、仏具などが破壊されたりした。日吉社の神仏分離はなかなか激しかったという。
もちろんそこで祭りも大きな改変を受けた。山王祭である。
最近、ジョン・ブリーンの『儀礼と権力 天皇の明治維新』(平凡社)を読んだ。そこに、「神社と祭りの近代ー官幣大社日吉神社の場合」という文が掲載されていた。ブリーンは、史料と図像をもとに、山王祭に、近代以降、どのような改変がなされたのかを解き明かしていく。現在の山王祭のハイライトとされるものは新たに導入されものであり、またそれぞれの社にまつられている神も、近代以降に変えられたりという、まさに明治初期に伝統が断絶され、一定の「物語」、たとえば『古事記』などにあうようなそれが創造され、それに沿った改変がなされたことが記されているのである。
伝統が、政治権力の力を背景に切断され、そして近代天皇制国家にあうような「物語」がつくりだされ、それに沿った「作為」により、新たな「伝統」が創出され、今やそれが「当たり前」となっている。そしてその「当たり前」とされた現在の姿をそのまま過去にさかのぼらせ、民俗学者らがしたり顔に、「これは古代の・・・・」などと意味づけていく。ここに民俗学者の退廃、非学問性が姿を現すのだが、ボクらはそうした民俗学者らによる、近代の「作為」を覆い隠す、えせ学問と対抗していかなければならないと思う。