今日も畑に行った。ニンニクを収穫し、サツマイモの苗を植え、インゲンの種を蒔き、そしてスギナを根とともに掘り出す。
ボクが作物をつくっているところは、数年間雑草に覆われていた。だから、雑草の種が今もってたくさんあって、他の畑とは異なり雑草が多い。
農作業は、何度も書いているけれど、耕しているときは耕す、種を蒔くときは種を蒔く、雑草をとっているときは雑草をとる・・・・そのときボクの心は「無」だ。何も考えない。対象に対する働きかけという行為があるだけで、雑念は生じない。つまり対象とボクとは、おそらく一体化している。
もちろんずっと体を動かしていると疲れてくる。だから休憩する。そのときあたりを見回す。二羽の鳥が、ボクがスギナの根を掘ったところを探索する。ミミズがいないかどうか見に来るのだ。そういうとき、ボクはこの鳥を含めた地球上の自然と同化しているのを感じる。
農業は、自然との対話であり、また自然との一体化を感得する動きである。
今日、イタリアの画家、モランディの絵を、テレビ(録画)で見た。モランディは、絵画の「流行」に巻き込まれず、ほとんど自室で静物画を描き続けた。モランディの絵は、自己主張をしない。つまり、周囲に対して自己の存在を主張しない。しかし、その絵の中には、モランディ自身の主張が描かれている。絵の中に、みずからの生き方に満足していることを描いているのだ。
モランディの生きた時代には、ヨーロッパで二つの大戦があった。しかしモランディは、同じような絵を描き続け、同じような日々、絵を描き続ける日々を過ごしていた。静物、それらを並べ替え、そして光のあてかたをかえる。すると、世界はかわる。もちろん描かれた絵は、静物だけだ。しかしその静物とそれを取り巻いている空気が、まったく別の様相となる。モランディは、同じような絵ではあるけれども、別の様相を帯びた絵を描き続けた。
置かれている静物と、モランディ。その間には、一定の空間があるのだけれども、その空間はモランディには意識されない。静物とモランディは、おそらく一体化している。静物が、モランディに描かせている。
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2016-05-15/31/2185/1902680/
モランディは、世界が大きく動いていても、いつも落ち着いた時間を生きていたのではないだろうか。そういう生き方も可能なのである。
畑からの帰り、ボクは鏡と化した水田に、大空をみつけた。西の空の紅が、水田に紅を描き、少し灰色がかった青空が、名残惜しそうに風のそよぎに揺れる。
いずれそこは緑に覆われ、見えない風を見せるようになる。
ボクが作物をつくっているところは、数年間雑草に覆われていた。だから、雑草の種が今もってたくさんあって、他の畑とは異なり雑草が多い。
農作業は、何度も書いているけれど、耕しているときは耕す、種を蒔くときは種を蒔く、雑草をとっているときは雑草をとる・・・・そのときボクの心は「無」だ。何も考えない。対象に対する働きかけという行為があるだけで、雑念は生じない。つまり対象とボクとは、おそらく一体化している。
もちろんずっと体を動かしていると疲れてくる。だから休憩する。そのときあたりを見回す。二羽の鳥が、ボクがスギナの根を掘ったところを探索する。ミミズがいないかどうか見に来るのだ。そういうとき、ボクはこの鳥を含めた地球上の自然と同化しているのを感じる。
農業は、自然との対話であり、また自然との一体化を感得する動きである。
今日、イタリアの画家、モランディの絵を、テレビ(録画)で見た。モランディは、絵画の「流行」に巻き込まれず、ほとんど自室で静物画を描き続けた。モランディの絵は、自己主張をしない。つまり、周囲に対して自己の存在を主張しない。しかし、その絵の中には、モランディ自身の主張が描かれている。絵の中に、みずからの生き方に満足していることを描いているのだ。
モランディの生きた時代には、ヨーロッパで二つの大戦があった。しかしモランディは、同じような絵を描き続け、同じような日々、絵を描き続ける日々を過ごしていた。静物、それらを並べ替え、そして光のあてかたをかえる。すると、世界はかわる。もちろん描かれた絵は、静物だけだ。しかしその静物とそれを取り巻いている空気が、まったく別の様相となる。モランディは、同じような絵ではあるけれども、別の様相を帯びた絵を描き続けた。
置かれている静物と、モランディ。その間には、一定の空間があるのだけれども、その空間はモランディには意識されない。静物とモランディは、おそらく一体化している。静物が、モランディに描かせている。
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2016-05-15/31/2185/1902680/
モランディは、世界が大きく動いていても、いつも落ち着いた時間を生きていたのではないだろうか。そういう生き方も可能なのである。
畑からの帰り、ボクは鏡と化した水田に、大空をみつけた。西の空の紅が、水田に紅を描き、少し灰色がかった青空が、名残惜しそうに風のそよぎに揺れる。
いずれそこは緑に覆われ、見えない風を見せるようになる。