浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】エマニュエル・トッド『グローバリズム以後』(朝日新書)

2016-12-21 22:39:22 | その他
 またトッドの本である。欧米の状況を分析的に理解するには、この人の本はとても参考になる。

 今回は、全体的な内容ではなく、一部について言及する。

 36ページに、「エリートは急に、自分たちの人々に責任を感じなくなった。そして、いわば帝国的な視野に立つようになった」と記されている。エリートとは、官僚や企業のトップなど支配層の人々のことだと思うが、そのエリートがその国の人々や企業の一般社員に関して、思いをはせることをしなくなったということなのだろう。そして、そのエリートが、支配者の立場に立って国家を運営していく、そういう思考をするようになった、というのである。

 これについては、私は理解できる。というのも、経済政策関連の本をよく読んでいた時期がある。1980年代後半から90年代前半射かけてであるが、その頃、日本経済が国際的な競争に勝つにはどうしたらよいかなどと、私は考えていた。まさに日本という国家をどう運営していったら、国際競争に勝ち残っていけるのかを真剣に考えていたことがあったのだ。もちろん私はエリートでは全くないのだが、新自由主義的な動きが強まってきたときに、一時的にその動きに乗せられてしまった。まさに支配層の思考であった。それは同時に「帝国的な視野」をもつものであった。

 もとよりエリートでもなく、庶民の1人である私は、そうした思考の愚かさに気がついたのだが、しかし私と同じような経験をし、そのまま支配層の思考を持ち続ける人々がいてもおかしくはない。企業に勤めている人々は、そうした思考にはまりやすいのだと思う。

 いずれにしても、しかしその指摘の時期は、まだ日本全体のことを考えようとしていたのだろうが、その後、エリートは国家の運営という視点すら捨て去り、自らの私利私欲を優先させるようになっていった。

 新自由主義を唱えたシカゴ大学のミルトン・フリードマンその人が、みずからの利己的な私富追求にその人生を「捧げた」ことが、たとえば、内橋克人・宇沢弘文の『始まっている未来』(岩波書店、2009年)で、シカゴ大学で彼と同僚であった時期をもつ宇沢が回顧している場面が記されている。

 新自由主義が今後どうなるかはわからないが、リーマンショックを経てからは、少なくともそのピークは過ぎたと思われる。しかしその後、新自由主義を克服する、新たな経済学・経済政策が未だ出てきていない。

 宇沢の経済学は、その点で参考になる学問である。

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オスプレイの事故率

2016-12-21 22:22:10 | その他
 オスプレイの危険度は上昇している。

https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/osprey-mod-why?utm_term=.xf1VMAl8r#.suzgE6KyO
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浜松市だけの「偉人」

2016-12-21 09:48:10 | その他
 浜松市だけで知られている偉人がいる。金原明善、というひとだ。私財をなげうって天竜川の治水を行った人として、郷土の偉人としてたたえられている。しかし、私が調べたところでは、そうたいして偉人ではない。明治時代の実業家という側面でなら評価してもよいが。

 私財をなげうって、といいながら、彼は多くの私財を蓄えたのだが、それは今、財団所有となって、遺産相続にかからないようになっている。

 さて、その人の生家が今も残っていて、生家の裏にはかなり広い林があった。この辺では、もうそのようなものは残っていない、ある意味で貴重なところだと思っていたのだが、最近それがなくなり、なにやら工事が始まった。

 昨日自転車で通りかかったので、そこの工事内容を示す掲示板を見たら、何とローソンができるようなのだ。

 そして以前あった金原明善記念館も取り壊され、なにやらがつくられている。これはまだ確かめてない。

 ひょっとして、さらなる蓄財を考えはじめたのだろうか。
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【本】二宮敦人『最後の秘境 東京藝大』(新潮社)

2016-12-21 09:46:38 | その他
 どこかの書評で、「面白い」とあったので読みたくなって、図書館から借りてみた。東京藝術大学なんて、私にはまったく無関係。一度も足を踏み入れたことがない。そういう大学の住人に関する情報が満載だというので読んでみた。

 たしかに面白い。美術や音楽に高度の才能と力を持っている人々の生態が描かれている。そのなかには、まあ普通の人もいるが、そうではなく、おそろしく発想が奇抜な人、とてつもなくおかしいひと・・・・そういう人間がいる。それはそうだろう、とくに美術というのは、その人だけの個性的な作品を制作してなんぼの世界だから、その個性は、よほど「特異」でないといけない。
 音楽の方は、まあ常識人が多いようだ。しかし、音楽の方はいつも競争にさらされている。才能の上に、ものすごい努力が必要となる。他の人がやらないような分野なら世に出る可能性は高くなるが、ピアノやヴァイオリンなどは大変だ。とりわけカネがかかる。親は大変だろう。子どもの頃から大金を投入する。しかし投入されたカネのもとを取ることができる人は多くはない。

 そういう人物が描かれてはいるが、それだけではなく、音楽や美術の世界の裏話めいたものも記されていて、へえそうなのか、という感慨を持ったりした。たとえば膠(にかわ)の特徴、バロック音楽は即興的な面が強いこと、オルガンの奥深さ、など。

 読んで損はしない。

 しかし、10ページ目の「藝大の生協にはガスマスクが売っているのだ」はないだろう。「ガスマスクが売られているのだ」にしないと。


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