『サンデー毎日』10月から11月にかけて3回にわたって、「岸信介宛て石橋湛山の私信を発見!」が掲載された。書いたのは倉重篤郎・毎日新聞編集委員である。
1960年安保の渦の中で、時の首相岸信介に対して、前首相石橋湛山が送った私信が発見されたのである。石橋は、岸に対して「安保条約締結を延期すべし」という私信を送ったのだが、その私信に「かの一人の人」について書かれているのだ。
石橋湛山が内閣を組織したとき、閣員名簿を「かの一人の人」に見せたところ、その人から「深刻な表情をして」尋ねられた内容が私信に認められていた。
自分はこの名簿に対して只一つ尋ねたいことがある、それはどうして岸を外務大臣にしたかということである。彼は先般の戦争に於て責任がある。その重大さは東條以上であると自分は思う
とにかく彼は東條以上の戦争責任者であると繰返して述べられた。
もちろん「かの一人の人」とは、昭和天皇である。連載の中で、その私信を発見した石橋湛山の研究者・増田弘と、岸の研究者・原彬久、そして倉重の座談会の記録がある。三人とも、「かの一人の人」が昭和天皇であると認定している。私もそう思う。
また保阪正康は、昭和天皇が嫌いなタイプとして三つをあげる、一つは「二枚舌」、二つ目は「自分の職分、職能を超えてものを言ってくる人」、三つ目に「天皇を心から尊敬するのではなく、天皇を制度として自分の権力のために使うタイプ」であり、岸はその三番目のケースではなかったか、と指摘している。
その孫である安倍も、三番目のケースであることが、天皇の退位問題で明らかになっている。
『サンデー毎日』の連載は、岸とつながる安倍の本質を浮き彫りにする役割を果たしているようだ。
1960年安保の渦の中で、時の首相岸信介に対して、前首相石橋湛山が送った私信が発見されたのである。石橋は、岸に対して「安保条約締結を延期すべし」という私信を送ったのだが、その私信に「かの一人の人」について書かれているのだ。
石橋湛山が内閣を組織したとき、閣員名簿を「かの一人の人」に見せたところ、その人から「深刻な表情をして」尋ねられた内容が私信に認められていた。
自分はこの名簿に対して只一つ尋ねたいことがある、それはどうして岸を外務大臣にしたかということである。彼は先般の戦争に於て責任がある。その重大さは東條以上であると自分は思う
とにかく彼は東條以上の戦争責任者であると繰返して述べられた。
もちろん「かの一人の人」とは、昭和天皇である。連載の中で、その私信を発見した石橋湛山の研究者・増田弘と、岸の研究者・原彬久、そして倉重の座談会の記録がある。三人とも、「かの一人の人」が昭和天皇であると認定している。私もそう思う。
また保阪正康は、昭和天皇が嫌いなタイプとして三つをあげる、一つは「二枚舌」、二つ目は「自分の職分、職能を超えてものを言ってくる人」、三つ目に「天皇を心から尊敬するのではなく、天皇を制度として自分の権力のために使うタイプ」であり、岸はその三番目のケースではなかったか、と指摘している。
その孫である安倍も、三番目のケースであることが、天皇の退位問題で明らかになっている。
『サンデー毎日』の連載は、岸とつながる安倍の本質を浮き彫りにする役割を果たしているようだ。