風邪を引き、それがなかなか治らずにいる。治ったかと思うと咳が出たり、鼻水が出たり・・・結果、まったくすっきりしない。聞くところによると、風邪が流行っているようだ。咳の出る風邪だそうだが、まさに私も喉をやられた。
身体の調子が悪いと、本を読む意欲も減退してしまう。だから、集中して読書すること、それをブログに紹介すること、それらがとても億劫になっている。実際メールチェックも遅れがちである。
だがその間にも、活字の本などが次々と送られてくる。
先日送られてきたものが、「京都問題研究資料センター通信」の47号と、同センターが昨年行った「差別の歴史を考える連続講座 講演録」である。寝ながら目を通したのだが、両方ともとても刺激的な内容をもっていた。
前者には、上杉聡氏の『講座明治維新10 明治維新と思想・社会』(有志舎)の紹介を兼ねた批判的精神に満ちた論考が載せられていて、これがなかなか刺激的であった。私は部落史に関する研究書を追跡していないので、上杉氏がここで批判している研究者がどなたなのかわからないが、しかし起源に関して政治起源説(幕藩体制)が今まで一般的であったのだが、現在は中世起源説が多数説のようだ。
http://www.blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0200-07_yoshida.pdf
上杉氏は、中世起源説を採用しているようで、その立場から鋭く批判している。
前半は、そういう言説への言及である。
後半は、さきの書籍の書評である。同書は、巻頭で近世史・近代史を分断している状態を批判し、時期区分を超えたところで研究叙述することをうたっているという。私はこの本を読んでいないので、上杉氏の紹介をなぞっているのだが、確かに近世史研究者と近現代史研究者は別の世界に住み、一つのテーマを、たとえば部落史を近世から近現代を通して見通すということをしない。できないといってもよいのかもしれない。もしそれをやろうと思えば、かなりのエネルギーを投入しなければならない。
さてこの本は巻頭で近世史・近現代史を通して検討するとしながら、そうした内容のものは二つしかないと上杉氏は指摘する。上杉氏は、みずからの経験、近代の「廃止令」を検討するなかで「部落史における近世」を把握できた、さらに中世以降の部落史の構造も把握できたという体験を記しながら、時期区分の壁を乗り越えることによって見えてくるものがあるのだと主張する。
上杉氏のその体験は、『明治維新と廃止令』(解放出版社)に記されているという。実は私はこの本を所有し、また読んでいる。書庫から出してもういちど読んでみようと思う。
『・・講演録』については、後日紹介しよう。
やっとこれだけ書けた。
身体の調子が悪いと、本を読む意欲も減退してしまう。だから、集中して読書すること、それをブログに紹介すること、それらがとても億劫になっている。実際メールチェックも遅れがちである。
だがその間にも、活字の本などが次々と送られてくる。
先日送られてきたものが、「京都問題研究資料センター通信」の47号と、同センターが昨年行った「差別の歴史を考える連続講座 講演録」である。寝ながら目を通したのだが、両方ともとても刺激的な内容をもっていた。
前者には、上杉聡氏の『講座明治維新10 明治維新と思想・社会』(有志舎)の紹介を兼ねた批判的精神に満ちた論考が載せられていて、これがなかなか刺激的であった。私は部落史に関する研究書を追跡していないので、上杉氏がここで批判している研究者がどなたなのかわからないが、しかし起源に関して政治起源説(幕藩体制)が今まで一般的であったのだが、現在は中世起源説が多数説のようだ。
http://www.blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0200-07_yoshida.pdf
上杉氏は、中世起源説を採用しているようで、その立場から鋭く批判している。
前半は、そういう言説への言及である。
後半は、さきの書籍の書評である。同書は、巻頭で近世史・近代史を分断している状態を批判し、時期区分を超えたところで研究叙述することをうたっているという。私はこの本を読んでいないので、上杉氏の紹介をなぞっているのだが、確かに近世史研究者と近現代史研究者は別の世界に住み、一つのテーマを、たとえば部落史を近世から近現代を通して見通すということをしない。できないといってもよいのかもしれない。もしそれをやろうと思えば、かなりのエネルギーを投入しなければならない。
さてこの本は巻頭で近世史・近現代史を通して検討するとしながら、そうした内容のものは二つしかないと上杉氏は指摘する。上杉氏は、みずからの経験、近代の「廃止令」を検討するなかで「部落史における近世」を把握できた、さらに中世以降の部落史の構造も把握できたという体験を記しながら、時期区分の壁を乗り越えることによって見えてくるものがあるのだと主張する。
上杉氏のその体験は、『明治維新と廃止令』(解放出版社)に記されているという。実は私はこの本を所有し、また読んでいる。書庫から出してもういちど読んでみようと思う。
『・・講演録』については、後日紹介しよう。
やっとこれだけ書けた。