近年、日本共産党が、本心からかどうか私にはわからないが、全野党共同を唱えている。そして各地に「総がかり行動」、「市民連合」などという組織をつくっている。浜松市のそれをみていると、共産党と「新左翼的」市民グループとが手を結んだかたちとなっている。そして思いのほか協調的に行動している。
なぜその二つが一緒にできるのだろうかと思っていたら、その行動パターンが共通しているからだという思いに至った。つまり、家父長的なのだ。
日本共産党は「1枚岩」を誇る政党、上意下達が貫徹している組織である。指導部が方針を立てて、その他の者はそれに従う。その他の者は、永年の経験から、上意に従うことが習い性になっているから、みずから「赤旗」以外のものを読んで学ぶということをせず、したがって自主的な思考や行動をしない。家父長的な運動、である。
最近、その二つの勢力が共同で行った集会に参加した。そこで発見したこと、それは「新左翼的」市民グループも家父長的組織となっていることだ。親分がいて、その他は子分、親分の指図に従って行動する。
市民運動が広がらない理由の一つがここにあると思った。そして私は、このような家父長的な市民運動には以後参加しない、と決意した。
私のように、二つの組織(グループ)に加わっていない一般参加者への敬意がまったくなかった。自分たちの思考を発表する場として、目的を持った集会を利用している。何を求めて集会に参加したか、それに対する配慮もせず、自分たちの行動をアピールする場となっていた。
集会の名称を知って参加する、集会の内容は、その名称に拘束されなければならないと私は思う。
最近準備しなければならない仕事が締め切り(発表)を迎えてきているため、なかなかここに書く時間がない。書かない理由はもう一つ、あまりにひどい政治状況に、絶望感を抱いているからでもある。