浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

素晴らしい講演

2018-12-31 22:04:10 | その他

死者への追悼と社会変革――韓国民主化闘争を振り返る

 読んでいて、とても素晴らしい話です。今年最後に読んで、とても感動しました。
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2018年最後の日

2018-12-31 21:15:14 | 日記
 今日午後、畑に行った。ホトケノザが畑に広がる。ひたすらとる。小豆のツルが枯れ、ちょうど燃えるようになっていたので、半分燃やす。最近は畑でも燃やさないようにということになっているらしいが、しかし燃やさないとどうしようもないものもある。乾燥していたので一気に燃え尽くした。

 最近の寒さでじゃがいもの茎や葉が枯れた。少しずつ収穫しているが、今日もすこし掘った。

 帰宅したら、2冊本が届いていた。倉本一宏『内戦の日本古代史』(講談社新書)、『安倍官邸 VS NHK』(文藝春秋)である。前者は、『戦争の日本古代史』を読んでいたので、その続編的な面もあると思い購入した。読みはじめたが、前近代の日本においては、白村江の戦い、秀吉の朝鮮侵攻などを除いてほとんど対外戦争をしていないというのが前著で、今回は内戦も戦争らしい戦争ではないというようなことを書いているんだろうと思う。

 しかし倉本の本を読むとき、そんなに日本の歴史が戦争と無縁に存在していたのに、何故に近代になってあんなにもヒドイ侵略戦争をしたのか、という問いが生じる。

 7時半、2019年のダイアリーを買いにイオンに。あんがい人がいた。今日は21時で閉店である。明日は8時から開店だそうだ。もちろん明日は行かない。

 帰宅して、朝比奈隆のベートーベン第九を聴く。荘重な感じで演奏が始まった。

 来年は良い年になればいい。安倍政権が斃れること、これが私の精神を安定させる唯一のことである。
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為政者の暴力性

2018-12-31 10:29:29 | 政治
 『図書』1月号、西出勇志の「潜伏キリシタンと世界遺産」について先日紹介したが、重要な論点を書いておかなかった。「潜伏キリシタン」が「世界遺産」となったのだが、なぜ「潜伏」なのか。「もともとは為政者による弾圧あってこその潜伏であり、歴史的事実の多くは凄惨な悲劇に彩られている」、「為政者の暴力性を教訓として胸に刻みたい」とあるように、西出は為政者の暴力性を指摘しない「世界遺産」登録はおかしいのではないかと記しているのである。

 そうした為政者の暴力性を無視する、軽視する傾向が強まっていないか。

 最近、政府が公表する統計に恣意性があり、とても信用できないという声が大きくなっている。アベ政権がみずからの政策がうまくいっているようにみせかけるため、あるいは政策を推進するため、数字を捏造したり、統計をゴマカしたりしているからだ。

 アベ政権も腐っているが、官僚たちも同じように腐り始めている。統計は官僚たちがつくるのだが、あまりにひどい。私も歴史研究者として政府の統計や自治体の調査統計を利用するが、それが正しいものでなければ、客観的に正確な認識は生まれないし、叙述される歴史は間違ったものになってしまう。

 アベ政権とその官僚は罪作りである。偽造を平気でやっているからだ。かくもひどい時代は、近代以降一度もなかったのではないかと思う。

 こういう腐臭を放つアベ政権への支持が40%もあることに、私は驚くしかない。日本国民も腐り始めているのだろう。日本の歴史がいよいよ消えていく、そういうスタートに立っていることなのだろうか。

賃金や労働時間の動向を示す厚労省の「毎月勤労統計調査」、もはや統計と呼べない重大なルール違反が発覚
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『東京新聞』12月31日 社説

2018-12-31 09:46:17 | メディア

年の終わりに考える じわじわじわじわ

2018年12月31日

 「今年の漢字」は「災」でした。自然災害に、トランプ台風まで含めれば、世界も納得の一字かも。でも、ここでは「漸」を挙げてみたいのです。

 クリスマスまで一週間、ジングルベルに街が浮足立ったころでした。新たな防衛力整備の指針、いわゆる「防衛大綱」が閣議決定されたのは。いろいろ重いニュースも多かった一年も最終盤になって、またまた嘆息を禁じ得なかったのは、その中身です。

 ヘリ搭載型護衛艦の事実上の空母化、敵基地攻撃能力とみなされかねない長距離巡航ミサイルの配備などが盛り込まれました。改修した護衛艦には最新鋭ステルス機の搭載が想定されています。
◆戦争に近づく

 政府は、艦船には「戦闘機は常時搭載しない」から空母ではないといい、長距離巡航ミサイルもあくまで防衛のためだといいます。しかし、いずれも使い方によっては簡単に「攻撃型」に転じ得る。長く守ってきたわが国の原則、「専守防衛」が骨抜きにされていく印象が否めません。

 安倍政権は「専守防衛は逸脱しない。心配ない」と言いつつ、この国をまた少し、じわっと戦争に近づけたのではないか、と感じました。そして、思い起こせば、第二次安倍政権になってから、この「じわっ」が続いています。

 きなくさい情報が隠されてしまう面がある特定秘密保護法で、じわっ。過去の政権が「保持しているが行使できない」としてきた「集団的自衛権」を、閣議決定で「行使容認」し、じわっ。同盟国の戦争に加われるようにした安保関連法で、じわっ。反戦運動など市民の自由な行動を縛りかねない「共謀罪」法で、じわっ。そして、空母化や長距離巡航ミサイルで、また…。

 そのつど、「平和主義は堅持する。心配ない」と政権は言いながら、その実、原則を次々に変質させ、日本はじわじわじわじわと戦争へ近づいている-。そんな気がしてなりません。だから、「漸」の字が思い浮かんだのです。

 安倍晋三首相が念願とする九条に自衛隊を明記する改憲は、そのとりあえずの仕上げでしょうか。

 もし、政権が「平和主義も専守防衛の看板も下ろし、憲法九条を変え、戦争用の法整備もし、敵基地攻撃可能な軍備を強化して、いつでも戦争をできる国にします」と言ったら、どうでしょう。個々のことは「政権が『心配ない』と言うのだから」と許容した人も、考えを変えるかもしれません。

 いっぺんに大胆にことを進めるのではなく、漸進。まるで、歩哨の目を恐れる兵士の匍匐(ほふく)前進みたいに、じわじわ少しずつ…。
◆温暖化も人口減も

 この「じわじわ」というのは、本当に曲者(くせもの)です。

 話が桂馬筋に進むようですが、例えば地球温暖化。今月、温暖化防止の国際ルール・パリ協定の締約国会議で協定実施の指針が決まりましたが、世界が一枚岩で切迫感をもってこの問題に取り組む体制になったとは、言い難い。

 もし、いっぺんに五度も十度も平均気温が上がれば、さすがに「温暖化はでっち上げ」などという妄言も消えうせましょう。しかし、温暖化もじわじわ少しずつ進む。無論、まだそれで助かっているわけですが、ゆえに、真の脅威と実感しにくい面があるのは確かでしょう。

 わが国の人口減にも同じことが言える気がします。今から五十年足らず後、二〇六五年には現在より四千万人も減って八千万人台になると、ほかならぬ国が推計しているのに、まだ、政治は成長主義一辺倒。成長の限界の先、今より小ぶりな国として、それでも堂々、豊かに生き抜いていける道を模索する気概をほとんど感じません。人口も漸減、一挙にではなく、じわじわ少しずつ減っていくからでしょう。

 そういえば、私たちには、最悪のことはわが身には起こらないと考え、好ましくない兆候を過小評価する心の傾き、いわゆる「正常性バイアス」があるそうです。また、問題の当事者が多いほど、自分でなくても誰かがやるだろうと高をくくって行動しない、いわゆる「傍観者効果」も働くと、心理学は言います。

 どちらも「じわじわ」の眩惑(げんわく)力を助長しかねず、心しておきたいところです。
◆ゆで上げられないよう

 よく言われるたとえで恐縮ですが、カエルの話を思い出します。

 熱い湯にカエルを入れたら、すぐに飛び出すが、水に入れてじわじわ温度を上げていくと、そのままゆで上がってしまう-。

 来る年には、うれしい出来事も多く待っておりましょう。ただ、よくない方にじわじわ進むこともあるはず。“温度変化”に敏感でいたいものです。


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日本社会の怖さ

2018-12-31 08:51:02 | 社会
 一昨日、農作業用の服などをいつも購入している店に入ると、ヴェトナム人らしい青年が二人いた。おそらく「技能実習生」だろう。どこで働いているのかは分からないが、いろいろな商品を見て回っていた。

 日本社会は、人々が抵抗しないことを良いことに、一部を除いて日本人労働者の賃金を下げ続け、たとえば浜松市に本社があるスズキのように、「正直スズキは残業やらなければ生活していけないのでかなりきつい。」(30代、現社員)、「景気や天災などで稼働が無くなると、残業休日出勤が無くなります。基本給の設定が低いため給料面は厳しくなります。交替勤務でない部署だと最初は生活も苦しくなる場合も」(30代、元社員)、「自動車メーカーではかなりの低収入なのは周知の通りだと思うが残業をしなければアルバイト並みの給料しかもらえない 」(30代、現社員)、「福利厚生が最悪と言ってもいいでしょう!家族手当なし、育児手当は3000円しか!残業代で生活している!社宅もちろんないし、単身赴任手当はもらえないこともある!福利厚生がほぼないと考えた方がいい 」(30代、現社員)などという低賃金の現状がネットで書かれるほどだ。

 技能実習生のヒドイ実態が、今年明らかになったが、それは日本人労働者に対する働かせ方がヒドイからでもある。相互規定なのだ。

 日本人の労働者も、みずからの生活を改善するために会社に要求することはなく、また連合という全国的な労働組合組織ができてからは、組合もほとんどが「御用組合」化し、闘う気概もなくなっている。日本人労働者は、まったく金もうけの「手段」とされている。労働者は、経営者からは「人間」とみなされないのだ。

 さて、少子高齢化のなかで、日本人労働者が不足している。といっても失業者数をみると、不足する労働者数よりも失業者数のほうが多いのだが、あまりに低賃金なので、そういう職場では働けないのだ。過度な低賃金で働かせるために存在しているのが「技能実習生」であるが、それでも足りないので新たに強引に新しい制度をつくろうとしたのが先の国会であった。

 ところで、法務省の入局管理局の施設には、難民申請をしている外国人が多く収容されている。『朝日新聞』には、トルコから逃げてきたクルド人親子のことが記されていた。

東海地方に住むトルコ出身のクルド人女性(32)は現在、子ども3人と一緒に生活を送る。同じクルド人の夫は2017年1月から2年近く、名古屋入管に収容されている。

 こういう非人道的なことを平気でやるのが日本政府の機関である。これも「人間」として処遇していない、ということだ。外国人労働者が不足しているというのなら、こういう人々に日本にいてもらえばよいのだ。しかし政府はそうしない。難民申請する人々は人権意識が高いから日本に置いておいてはいけない、と思っているのだろうか。

 日本という社会は、人々が「人間」として処遇されないのだ。日本人であってもである。

 年末年始に海外旅行に行く家族がニュースなどに映し出されるが、彼らは高額の所得を得ているのだろうが、しかしそのために日々過酷な労働に耐えている。

 過酷な労働に耐えて高い賃金を得るか、それとも安い賃金で働くか、いずれにしても日本にいる労働者の選択の幅は狭い。いずれも地獄へと向かう。
 
 2018年は今日で終わり、来年はよいことがあるのだろうか。
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