この社説の末尾に、「いったい誰のためなのか」とある。いうまでもなく、国内外の私企業や投資家、そして竹中平蔵ら、「規制緩和」により金儲けを企んでいる者どもだ。
漁業・水道・種子 誰のための改革か 2018年12月6日
漁業法改正の審議大詰め。改正水道法は今日にも成立見込み。種子法は既に廃止になった。集約化、効率化、企業化の名の下に。どうなる海と水とコメ-。
十月、安倍晋三首相は臨時国会召集に伴う所信表明演説で水産業改革に意欲を見せた。
七十年ぶりという漁業法の抜本的改革だ。規制改革推進会議がまとめた改革案に基づく改正法案が先月末、入管難民法の審議の陰で衆議院をひっそり通過した。
◆規模拡大と「生産性」
「漁獲量による資源管理を導入し、船のトン数規制から転換する。大型化を可能とすることで、漁業の生産性を高めます」
そして「漁業権の新たな付与について、法律で優先順位を廃止し、養殖業の新規参入、規模拡大を促してまいります」という。
水産資源が枯渇してしまわないよう規制を強めつつ、民間による漁業への参入を促す。外資が入る道も広がる-。安倍政権お得意の「成長産業化」。要は相変わらずの大型化、規模拡大による「生産性」の向上だ。
漁業権とは、沿岸漁場の一定の区画で独占的に漁業を営む権利のことだ。旧法でも企業は漁業権を獲得できた。しかし、地元漁師が優先権を持っており、漁協がそこで漁をしたいと言えば、企業側は引き下がらざるをえなかった。
優先順位を廃止して、漁協に未加入の民間企業も、沿岸漁業へ参入しやすくするのである。
果たして、それでいいのだろうか。漁師にとって漁場(ぎょば)は単なる「生産手段」ではないからだ。
岡山県備前市日生(ひなせ)。縄文時代から続くという瀬戸内屈指の漁のまち。身詰まりのよいカキの産地としても知られている。
高度経済成長期。干拓、沿岸開発、林立するコンビナート、そして人口増加に伴う生活排水の流入に痛めつけられて、水揚げは激減し、豊かな海は死にかけた。
◆浜の漁師は守りたい
「アマモの種をまこうじゃないか」。「邪魔藻」とも呼ばれた海の雑草だ。起死回生の一手として、藻場の再生を提唱したのは、海辺に暮らす漁師の直感だった。
水産試験場と協力し、漁師たちが海で種をまく。アマモが成長するに連れ、好循環をもたらした。
酸素が豊富に供給されて、プランクトンが増殖し、魚が増えた。
「海中の森」が日差しを調節し、夏場のカキの斃死(へいし)は減った。
これまでにまいたアマモの種は、一億粒にも上るという。日々の手入れも怠らない。
「漁業とは、海の命を搾取し続けることではありません。海のお世話をすることです」と、日生の漁師に教わった。
浜の漁師は、そこで未来を生き続けるために種をまく。経済の原理、資本の論理だけでは、恐らく海を守れない。持続可能性を維持できない。
東日本大震災後の二〇一三年、宮城県は「創造的復興」を掲げて水産特区を導入し、沿岸漁業権を民間企業に開放した。
これを受け、地元漁業者と仙台市の水産卸業者が出資して、養殖ガキの生産、加工、販売を一括して手掛ける会社を起こしたが、巨額の公的資金を投入されながら、赤字が続き、これまでに手を挙げたのはその一社だけ、あとに続くものはない。
出荷解禁日を無視したり、産地ブランドを掲げながら他地区産を流用したり、功を焦るかのような、トラブルも起こしている。漁場の開放が、必ずしも沿岸漁業の活性化やコミュニティーの再興に、つながるものではないようだ。
もう一つ、成立予定の改正水道法。自治体が施設の所有権を持ったまま、運営を民間に委ねる仕組みが導入しやすくなる。世界中で失敗例ばかりが目立ち、公営回帰が進んでいるというのにだ。
そして種子法。コメや麦など優良な主要穀物の開発と安価な供給を都道府県に義務付けてきたが、民間の参入を妨げるからとして、この春既に廃止になった。公的機関のノウハウも民間に開放すべしというオプション付きで。こじ開けられた巨大市場を欧米の多国籍企業が虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。
◆考え続けていかないと
漁業生産量はピーク時の三分の一近くに減った。自治体の財政難で水道の維持管理が困難なのも確かである。だからといって市場開放一辺倒でいいのだろうか。
公営か、民営か、市民が直接選べる仕組みも必要だ。
海も水も主食の種も、いわば“命のインフラ”だ。だからこそ、法と政治の手厚い保護を受けてきた。その“シールド(盾)”が今次々と解かれていくのはなぜなのか。一体誰のためなのか。議論は全く足りていない。国会はもちろん、私たち消費者の間でも。
漁業・水道・種子 誰のための改革か 2018年12月6日
漁業法改正の審議大詰め。改正水道法は今日にも成立見込み。種子法は既に廃止になった。集約化、効率化、企業化の名の下に。どうなる海と水とコメ-。
十月、安倍晋三首相は臨時国会召集に伴う所信表明演説で水産業改革に意欲を見せた。
七十年ぶりという漁業法の抜本的改革だ。規制改革推進会議がまとめた改革案に基づく改正法案が先月末、入管難民法の審議の陰で衆議院をひっそり通過した。
◆規模拡大と「生産性」
「漁獲量による資源管理を導入し、船のトン数規制から転換する。大型化を可能とすることで、漁業の生産性を高めます」
そして「漁業権の新たな付与について、法律で優先順位を廃止し、養殖業の新規参入、規模拡大を促してまいります」という。
水産資源が枯渇してしまわないよう規制を強めつつ、民間による漁業への参入を促す。外資が入る道も広がる-。安倍政権お得意の「成長産業化」。要は相変わらずの大型化、規模拡大による「生産性」の向上だ。
漁業権とは、沿岸漁場の一定の区画で独占的に漁業を営む権利のことだ。旧法でも企業は漁業権を獲得できた。しかし、地元漁師が優先権を持っており、漁協がそこで漁をしたいと言えば、企業側は引き下がらざるをえなかった。
優先順位を廃止して、漁協に未加入の民間企業も、沿岸漁業へ参入しやすくするのである。
果たして、それでいいのだろうか。漁師にとって漁場(ぎょば)は単なる「生産手段」ではないからだ。
岡山県備前市日生(ひなせ)。縄文時代から続くという瀬戸内屈指の漁のまち。身詰まりのよいカキの産地としても知られている。
高度経済成長期。干拓、沿岸開発、林立するコンビナート、そして人口増加に伴う生活排水の流入に痛めつけられて、水揚げは激減し、豊かな海は死にかけた。
◆浜の漁師は守りたい
「アマモの種をまこうじゃないか」。「邪魔藻」とも呼ばれた海の雑草だ。起死回生の一手として、藻場の再生を提唱したのは、海辺に暮らす漁師の直感だった。
水産試験場と協力し、漁師たちが海で種をまく。アマモが成長するに連れ、好循環をもたらした。
酸素が豊富に供給されて、プランクトンが増殖し、魚が増えた。
「海中の森」が日差しを調節し、夏場のカキの斃死(へいし)は減った。
これまでにまいたアマモの種は、一億粒にも上るという。日々の手入れも怠らない。
「漁業とは、海の命を搾取し続けることではありません。海のお世話をすることです」と、日生の漁師に教わった。
浜の漁師は、そこで未来を生き続けるために種をまく。経済の原理、資本の論理だけでは、恐らく海を守れない。持続可能性を維持できない。
東日本大震災後の二〇一三年、宮城県は「創造的復興」を掲げて水産特区を導入し、沿岸漁業権を民間企業に開放した。
これを受け、地元漁業者と仙台市の水産卸業者が出資して、養殖ガキの生産、加工、販売を一括して手掛ける会社を起こしたが、巨額の公的資金を投入されながら、赤字が続き、これまでに手を挙げたのはその一社だけ、あとに続くものはない。
出荷解禁日を無視したり、産地ブランドを掲げながら他地区産を流用したり、功を焦るかのような、トラブルも起こしている。漁場の開放が、必ずしも沿岸漁業の活性化やコミュニティーの再興に、つながるものではないようだ。
もう一つ、成立予定の改正水道法。自治体が施設の所有権を持ったまま、運営を民間に委ねる仕組みが導入しやすくなる。世界中で失敗例ばかりが目立ち、公営回帰が進んでいるというのにだ。
そして種子法。コメや麦など優良な主要穀物の開発と安価な供給を都道府県に義務付けてきたが、民間の参入を妨げるからとして、この春既に廃止になった。公的機関のノウハウも民間に開放すべしというオプション付きで。こじ開けられた巨大市場を欧米の多国籍企業が虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。
◆考え続けていかないと
漁業生産量はピーク時の三分の一近くに減った。自治体の財政難で水道の維持管理が困難なのも確かである。だからといって市場開放一辺倒でいいのだろうか。
公営か、民営か、市民が直接選べる仕組みも必要だ。
海も水も主食の種も、いわば“命のインフラ”だ。だからこそ、法と政治の手厚い保護を受けてきた。その“シールド(盾)”が今次々と解かれていくのはなぜなのか。一体誰のためなのか。議論は全く足りていない。国会はもちろん、私たち消費者の間でも。