浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本会議=安倍晋三=公明党

2018-12-16 23:24:25 | 政治
 改憲に猛進するもと生長の家信者が牛耳る「日本会議」、それと歩調を合わせる安倍晋三、そしてそれを支持し行動する公明党、維新、もちろん自民党。

 公明党・創価学会は、神社神道や日本の極右宗派とともに、改憲への道を邁進し始めた。公明党・創価学会を「平和勢力」などと考えない方がよい。彼らは、「王仏冥合」、政治権力の中にいることだけが目的で、その政治権力が何をするかは関係ないのだ。

 公明党議員も出席した日本会議イベントで、より明確になった安倍の「公私混同」改憲
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辺野古

2018-12-16 17:31:39 | その他
 何年か前、まだ辺野古の工事が始まっていない頃、名護に行った。やんばるの森を案内され、辺野古の海にも行った。美しい海が広がっていた。沖縄の自然の美しさに心を動かされた。

 最近沖縄に行ってはいないけれども、辺野古のあの海に土砂を入れたというニュースは、私の心を重くした。知性もなく、知識もない安倍首相だからこそ、謙虚さもなく、みずからの万能感に酔う。そういう人物が、他者へのシンパシーも感じることなく、平気で悪事を働く。そしてその周囲にいる者たちが、おのれの利益のために彼の野望を支える。

 こうした構図をどうしたら止めることができるか。

 その一つ。署名をして欲しい。

「トランプさん、辺野古を止めて」 米ホワイトハウスへ嘆願 電子署名10万筆を募る
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記事を読んで佇む

2018-12-16 17:04:16 | その他
 安田菜津紀というフォトジャーナリストがいる。関口宏のサンデーモーニングにもでていたし、DAYS Japan にも記事を書いていたかな。

 安田さんの父君は、「在日」だという記事である。私は「在日」の研究をしていたので、安田という苗字を「在日」が使用していることを知っているが、この女性もそうだったのかと思った。

 日本の社会で「在日」であるということは、差別されるということでもある。ネトウヨが差別を通り越した悪罵を「在日」に投げつけていることを、私は怒りをもちながらも、他方で悲しくも思っている。「在日」の人びとが日本で生きてきた歴史を調べれば調べるほど、私は「在日」の人びとの前で頭を垂れる。日本人があなたたちを差別してきた歴史を前に、日本人として私は頭を垂れるしかないと思うからだ。

 ネトウヨの諸君はそうした歴史も知らないで、調べもしないで、平気で悪罵を投げつける。だが、逆の立場だったらという想像力を働かせてみれば、それがいかに理不尽なことかがわかるだろう。

 私は安田さんの「国籍と遺書、兄への手紙」という文を読んで、深く深く心に感じるものがあった。ぜひ皆さんにも読んで欲しい。

 国籍と遺書、兄への手紙
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【本】藤原辰史『給食の歴史』(岩波新書)

2018-12-16 08:47:50 | 
 浜松市は自校方式の給食が行われてきた。しかし自校方式とは言え、今はそれぞれの学校の給食は「指定管理」として民間企業に任せている。なぜ指定管理に出されたのかといえば、それはコスト削減である。コストを削減するために民間企業にやってもらい、民間企業は低賃金で給食員を雇用する、といういま流行の方式である。民営化の一種である。

 この本に、こう記されている。

 給食の民営化は質を劣化させ衛生的にも問題となる。(224)

 こう指摘したのは、原徹一、戦前のことだ。

 この指摘を知ることなく、しかし体験的に認識していた富士市では、「おいしい給食は民営化では出来ない」と、今も原則的に民営化させずに自校方式でやっている。「富士市のおいしい給食をなくさない」というプライドである。浜松市には、そういうプライドはなかったのだ。

 本書は、給食にかかわる様々な論点が提示されている。給食について、あらゆる観点から照射しようとしたものだ。給食を考えるとき、本書が基本となるだろうと思うほど、多岐にわたる論点を提示している。

 著者がもっとも力点を置いた論点は、これだ。

 給食史開闢以来、微動だにしない役割がある。貧困家庭の子どもたちの救済にほかならない。(244)

 給食は、皆が同じものを食べる。貧困家庭の子どもにとって、給食はその生命を支える大事な大事な食である。カネがないとき、食にかかる経費は減らされるし、減らされやすい。戦前も、戦後も、そして今でも、貧困家庭はあり続けている。残念ながらそれが可視化されることは少ないのだ。だからこそ、給食の役割は大きい。

 私が経験した給食については良い記憶はない。まずいコッペパン。それをつくっていたのは地域にあるパン屋である。今は代が替わってケーキ屋になっているが、私はその店のケーキを食べようとは思わない。あまりにもまずかった!という記憶がまざまざと生きているからだ。

 そして脱脂粉乳。これもまずかった!!

 中学校では給食はなく、牛乳瓶に入った脱脂粉乳を飲まされた。これも粉っぽくまずいものだった。時には焦げた味がした。毎日、それぞれのクラスで何本飲まなかったかが放送された。3年の時、まずいものを飲ませることに対する抗議として、ビンを回収するところに行って、他のクラスの飲まなかったビンをわがクラスに集めた。いつも私のクラスはほとんどの生徒が飲まなかったという数字を記録し、それが放送された。いつしかその放送はなくなった。

 著者はこう記す。

 給食とは、子どもたちの生存をおいしい食事で確保することである。生存だけでは、最低限度の動物としての条件にすぎない。動物ではなく人間として食べる以上、そこに加わる効果、とくにおいしさや楽しさも享受することはなんら贅沢ではない。学校給食が飼育ではなく、児童生徒が家畜ではなく、未来を作る主体であるならば、そこに真っ先に豊潤な予算が割かれてもおかしくない。(253)

 もちろん給食が、戦後、アメリカの余剰農産物のはけ口となったこと、そのために日本人の味覚を長期間にわたってかえてきたことももちろん記されている。

 貧困家庭が、新自由主義の嵐の中で、増加しまた窮乏化を深めている。そういう今だからこそ、給食の意義をみつめてみたい。良い本である。

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White Houseへの署名

2018-12-16 00:03:14 | 政治

 Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa

期限は2019年1月7日迄の30日間 請願が10万通集まると ホワイトハウスは嘆願を検討 60日以内に何らかのアクションを起こさねばならぬ 国籍問わず13歳以上
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