百姓一揆には、ずっと関心を抱き、それに関する本も読んできた。しかし近年は、近現代について勉強しなければならなくなっていたので、百姓一揆からは遠ざかっていた。本書を読み、百姓一揆の研究がいかなる問題関心のもとに、どのような研究がおこなわれているのかを知ることができた。さらに百姓一揆だけではなく、近世という時代の捉え方について、最新の知識を得ることが出来た。
学問はどんどん新しくなっているということを感じさせられた。
私の百姓一揆認識は、深谷克己の「仁政」イデオロギー(「収斂」、「御救」など)で止まっている。それ以降は追っていないから、とても新鮮に思えた。
まず百姓一揆が俎上にのぼる時期、百姓達も太平記を始め、多くの書物に接していた。直接読まなくても、誰かが講じるのをきいたりして、かなりの知識量をもっていた。一揆の際に百姓達が記すもの、私もそれを一級史料として扱ってきたが、その内容には、書物の影響をかなり受けていて、そこに記されている内容が真実を書いているのか、それとも書物などから拝借してきたものなのか、判然としない。となると、一揆の際に記された史料と、百姓一揆についての「物語」とを明確に分けることはできなくなる。
百姓達は、まずは領主に対して訴訟を行い、それが受け容れられないと、徒党・強訴に訴える、という。この訴訟を行い、というところが、以前はなかった説明である。
また一揆の際の竹槍むしろ旗は、近代の創作だという。私は一揆勢力が竹槍むしろ旗を持っていた、という認識は当初からもっていない。
一揆の史料に赤旗を掲げたということが記されていたので、運動には近世から赤旗を使っていたのかという驚きをもったという記憶がある。そして百姓達は、鎌や鍬などの日常の農具をもって参加していた、という認識で、それは領主層と戦うためではなく、ある種の「作法」としてあった、ということ。
私がもっていた認識と、本書に示された内容とをすりあわせて、最新の認識にもっていきたいと思う。
なお、幕藩領主は、百姓経営の「成立」を維持すること、饑饉などでそれが出来ない場合は「御救」をすること、そういう義務があることが社会常識としてあったが、近世後期にはその「御救」が民間の富裕層に丸投げされていく、ということも記されていた。
百姓一揆のことだけではなく、近世社会に関する新しい研究成果が各書に記されていて参考になった。良い本である。