今日、『図書』1月号が届いた。平野啓一郎の小説を読んでいたが、途中でやめて『図書』を読む。磯田道史の伊丹十三選集に関するものだった。昔ながらの技術しか持っていない私は、磯田がつかう史料が、史料とは言えない資料でいろいろ書いているので、あまり信用していないのだが、伊丹十三が書いていることについて知らなかったので、それは勉強になった。時間が出来たら『伊丹十三選集』を図書館で借りて(もうわが家は本だらけで置くスペースがない!といっても、研究しなければならないテーマの本はまだ買っているが)読んでみたいと思った。
西出勇志の「潜伏キリシタンと世界遺産」は、なかなかよかった。長崎には二度行っているが、もう一度西出さんのこの文に書かれていたところを訪ねたいと思った。近世はいうまでもないが、明治初期にも厳しいキリシタン弾圧が行われた。それをきちんと認識しない「世界遺産」には問題あり、ということである。
小林敏明の「若狭にて」も、若狭に行きたくなるような文であった。とりわけ、水上勉がつくったという「若州一滴文庫」へ行きたくなった。水上勉の文学は、暗く、人生の重さみたいなものを感じさせるものであるが(そういうものしか読んでいない)、いつか水上文学をすべて読み論じたいという気がする。それほど魅力ある文学である。
『図書』は岩波書店の広報誌。私は『世界』や岩波新書など岩波の本で精神を形成してきた。岩波書店の本、むかしほど購入しないが、巻末にある「2018年刊行書一覧」にしるしをつけていったら、かなり購入していた。
来年も良い本をだすのだろうなあ。これからも岩波と付き合いながら、人生を終えていくのだろう。
西出勇志の「潜伏キリシタンと世界遺産」は、なかなかよかった。長崎には二度行っているが、もう一度西出さんのこの文に書かれていたところを訪ねたいと思った。近世はいうまでもないが、明治初期にも厳しいキリシタン弾圧が行われた。それをきちんと認識しない「世界遺産」には問題あり、ということである。
小林敏明の「若狭にて」も、若狭に行きたくなるような文であった。とりわけ、水上勉がつくったという「若州一滴文庫」へ行きたくなった。水上勉の文学は、暗く、人生の重さみたいなものを感じさせるものであるが(そういうものしか読んでいない)、いつか水上文学をすべて読み論じたいという気がする。それほど魅力ある文学である。
『図書』は岩波書店の広報誌。私は『世界』や岩波新書など岩波の本で精神を形成してきた。岩波書店の本、むかしほど購入しないが、巻末にある「2018年刊行書一覧」にしるしをつけていったら、かなり購入していた。
来年も良い本をだすのだろうなあ。これからも岩波と付き合いながら、人生を終えていくのだろう。