『地平』の創刊号は、知的刺激にあふれた雑誌であると思った。まだブログで紹介していないが、栗田禎子の「ガザ侵攻に抗うグローバルサウス」は、世界における日本の位置をも視野に入れた、なかなかの論考であった。
たとえば、サミール・アミンの指摘を受け、「集団的帝国主義」という概念を提示している。「集団的帝国主義」とは、米国、欧州、日本、オーストラリアを指し、「一握りの「北」の諸政府が「南」の民衆を管理し資源を搾取しようとする仕組み」のことである。なるほど、と思った次第である。その他にも、中東におけるイスラエルの位置が、東アジアにおける日本の位置と「パラレル」であるという指摘も、なるほどと思った。
『地平』は、なかなか問題提起にあふれた雑誌である。
そして『世界』7月号であるが、『地平』にくらべて読み応えのあるものが少ない。ということは、掲載されている論考や対談その他に鋭さがないということだ。読んでいて、よかったのは、「ガザ反戦デモ 米学生新聞は大学当局とどう向き合ったか」、武田砂鉄の「最後は教育なのか?」、鈴木江理子「「育成就労制度」でも継承される問題構造」、岡村淳「上野英信と富山妙子の「出ブラジル記」」、「片山善博の「日本を診る」 教員「低額働かせ放題」問題の本質を探る」である。とにかく、『地平』のほうが鋭い問題提起となっているのである。
考えてみれば、『地平』を発刊したのは、熊谷伸一郎、もと『世界』の編集長である。『地平』8月号の「編集後記」に、「今の日本社会と政治の最大の問題は、権力を監視し、牽制する力が衰弱していることだと痛感する」とあるが、そうした力は、『地平』のほうがある、と思う。ということは、『世界』がそうした力を弱めてきたのかもしれない。そうであって欲しくはないのだが。
『世界』の執筆陣が新しくなっていることと、何か関係があるのかもしれない。『地平』の執筆陣は、かつての『世界』の執筆陣でもある(すべてではもちろん、ない)。