今日、いつもは夕方の郵便の配達が、3時頃にあった。『週刊金曜日』7月26日号が入っていた。仕事の手を休めて、読みはじめた。
わたしは最終頁の「金曜日から」から読みはじめる。スタッフ達が書いた短文が並ぶ。そのなかに「紙媒体の衰退が止まりません」とあった。
わたしは、年齢を重ねる中で、医者に行くことが増えてきたが、待っている人びとは、ただ自分の診察の番になるまで、ただただじっとしている。わたしは必ず本を持っていって読んでいるのだが、本を読んでいる人はいない。若い人の中にはスマホを見ている人もいるが、高齢者は、ただじっと待っている。
電車に乗っても、新聞や本を読んでいる人は見かけなくなっている。電車の中では、圧倒的にスマホである。夕方(猛暑のため!!)わたしは畑で短時間の農作業を行っているが、まわりを犬の散歩をしている人びとが通るが、スマホ散歩である。飼い主の関心は、犬よりもスマホかよ!と思ってしまう。
いずれにしても、紙媒体のものを読んでいる人を見かけなくなった。
『週刊金曜日』も、「部数減に苦しんでい」ると記されている。最近、継続のお願いと振込用紙が送られてきた。2ヶ月前になったら送られてくるようだ。
『週刊金曜日』、初代の編集長であった故・和多田進さんから協力を乞われ、浜松市で、本多勝一、筑紫哲也の講演会、しばらくたって椎名誠の講演会もやった。だから購読をストップすることはありえない、という関係だ。
『週刊金曜日』、『地平』、『世界』これらはぜひ読んで欲しい雑誌である。日々メディアに伝えられる情報のなかにはないようなものを伝え、事件などを背景も含めて説明してくれたりする。これらの雑誌がなければ、わたしは政治や社会の真実をつかむことができない。
今この部屋の三方向には、書棚があり、床には本が散らかっている。何らかの仕事をするためには、書籍や雑誌を読みながら、それらによって事実を確認しながら、思考力を働かせていかなければならない。紙媒体は、幼い頃からずっと身近にあったものだ。今更手放すことはできない。
しかし紙媒体が衰退しくことで、はたして人びとの認識はどうなっていくのだろうか。
最近、いろいろな研究成果。それを知と呼ぶとするなら、人びとの日常生活と知とが大きく乖離してきているように思う。知の世界に生きる人びとは、あまりそういうことを考えないで研究を続けているようだが、あなたたちの本も売れなくなっているでしょう?と言いたくなる。
人びとの日常生活と知は、紙媒体によってつながっていたように思う。紙媒体が衰退するということは、知の世界が狭小になっていくことでもある。
購読している『東京新聞』の購読料が、9月から3400円にアップされるとのこと。あらゆるものの価格が上昇しているから、やむを得ないとも思うが、購読者が減れば減るほど、購読料は上昇していくことだろう。
紙に印刷されている活字を読むことによって、わたしは知識を得、思考を深めてきた。紙媒体の衰退を押しとどめたいと思う。