子どもの頃、学校から帰るとすぐに遊びに出た。家の前には寺があり、そこにはたくさんの松が生えていた。ぼくらはその松にのぼった。すべての松を征服した。
寺の前には、ずっと田んぼや畑が広がっていた。冬になると、稲の藁が乾いた田んぼにまかれた。ぼくらはその藁の上で遊んだ。
目に映る景色は、広く感じた。また空も広かった。
だが子どもの頃目に映った景色は大きく変わった。まず寺から松の木が切られていった。残っている2本の松も、これ以上のびないように上の方で切られてしまった。
そして田畑が広がっていたところには、家が建てられ、景色は狭くなった。空も狭くなった。
わが家の裏には、父が生まれた家があった。しかしその家には跡継ぎがいなくて、近年土地を売った。そこには5軒の家が建った。新しい家だ。その家とわが家との間には、高い槇垣根があったが、それはなくなった。
時代の移り変わりと言えばその通りであるが、しかしどうにも寂しさが募る。
子どもの頃、ぼくらはその景色のなかにいた。景色はぼくらの生活そのものだった。しかしそうした景色はもう消えていった。
学生時代、六大学野球を、たまに見に行った。神宮球場のまわりにはたくさんの樹木があった。いちょう並木を歩いたこともあった。学生時代をふりかえるとき、ぼくは、ぼくを包んだ景色の中にいる。
新自由主義が席捲するなかで、カネ、カネ、カネ・・・・を求める企業が、公的権力と手を結び「開発」という名の景色破壊を進めている。
東京に住んでいる人は、それでよいのか、と思う。
東京に行くたびに、高層ビルが増えている。そのなかに高層のマンションがある。あの高いところの窓から、住人は眼下を行く小さな、小さな人びとを眺めているのだろうか。人間観が変わるのではないか。
わたしは歴史の研究をしてきたが、その際に心がけていたことは、底辺から視る、ということだ。それをぼくはエラそうに「底辺の視座」と呼んでいた。底辺から視れば、社会全体を見わたすことができるのだ、と。
どの視点から景色をみるのか、その際、自分はどこにいるのか。人文科学は、「視座」が大切だ。その「視座」がぼけている。
なかには、高層ビルから視る景色、あるいはその社会に君臨する国家権力の「視座」から社会をみつめる人が増えているような気がする。
ぼくは、幼い頃の景色がなつかしい。
ほんとにほんとに幼い頃、ぼくは親戚に泊まりに行き、その家のまえに広がる田んぼを眺めている。その田んぼには、牛がいた。牛が田んぼのなかをゆっくり進む。もちろんそのうしろにはお百姓さんがいた。
そうした景色をみながら、ぼくは育ってきた。
幼い頃、ぼくがいた景色がなくなっていくなかで、その景色を覚えている人びとが、去っていく。だからよけいに寂しさを感じる。
おい、勝手に、カネのために、ぼくの景色をかえるなよ!!!