『開かれた社会とその敵』第一巻(岩波文庫)を読んでいる。序論の前の巻頭に、なぜか「イマヌエル・カント 啓蒙の哲学者」という文がある。
カントについての文を読むのは、とっても久しぶりであるが、カントの「汝自身の人格にも、他のすべての人びとの人格にも存在する人間性を、いついかなるときにも同時に目的として用い、決してたんなる手段として用いてはならない」というある種の命令は、わたし自身の対人関係を律するものとなっている。
この世には、他者を平気で「手段」として扱う人間がいる。わたしは、そういう人間とわかった段階で関係を切ることにしている。他者を「手段」とする人間は独善的であり、互恵的な関係を結ぶことができない。そういう人間とつきあっていくことは、ためにならない。人間関係は、互恵的でなければならない。
カントの著作は何作かを読んではいるが、遠い過去のことなので、ほとんど記憶にない。最近、何かの文章を読んでいたら、若い頃に本を読むとその内容がアタマに残るが、歳をとるとそれができなくなる、ということが書かれていた。わたしもまさにそうで、細かくは覚えていないがその本のおおまかな内容は記憶にあった。しかし齢を重ねる中で、本を読んでも、印象に強く残るものだけは記憶されるが、そうでないものは記憶に残らず、最近では若い頃によんだ本の内容すら出てこなくなっている。老化はとどまるところを知らないようだ。
ポパーのこの文に、カントの主張が引用されている。「われわれは権威の命令には決して盲目的にしたがってはならない」、「カントは、どんな人間でも自由であるのは、自由に生まれてくるからではなく、重荷ーみずから自由に決定することに対しては責任をもつという重荷ーを背負って生まれてくるからである」・・・・
倫理的な要請を、カントは展開していた。
だが、今や日本では、倫理はなきがごとし、倫理をもたない輩が、子どもたちに「道徳」を教え込もうとしている。難儀な国になってしまった。
なお、この本の訳はとてもわかりやすい。