いろいろな宗教・宗派の葬儀に参列するなかで、もっとも派手派手しいのは、曹洞宗と臨済宗であると思う。5人以上の坊主が、お経を読むのは当然だが、いろいろな鳴り物をつかってやかましい音をたてる。
また葬儀にかかる経費がもっとも高くなるのも、このふたつの禅宗だといわれる。わが家も曹洞宗で、すでに墓じまいをして離檀したから関係ないが、ネットで調べると、葬儀での読経、戒名をつける料金など、曹洞宗がもっとも高額だといわれている。
遠州地方は、曹洞宗や臨済宗の寺院が多い。それについての研究書がでていることは知っているが、いまだ読んではいない。
さて、『日本宗教史』(岩波新書)を読んでいたら、次のような文にであった。
林下の禅が大きく進展したのは、葬儀や祈祷などの儀礼を通してである。とりわけ曹洞宗は、螢山紹墐(1268~1325)以後、大胆に儀礼的要素を取り入れて勢力の伸張を図った。のちの葬式仏教の原型は、室町期の禅宗に発するものである。禅宗では修行途中で亡くなった修行者を弔うのに、亡僧が早く修行を完成させることができるようにと亡僧葬法の方式が定められたが、それを在家に適用したのである。地方の大名をはじめ、在家の後援者が次第に力を増す中で、きちんと形式の整った儀礼が要求されるようになってきたが、従来の顕密仏教の方式は複雑であり、通常の在家者の葬儀に応じられる体制がなかった。そこで、それに適合した簡素で整備された儀礼の方式をそなえていた曹洞宗が大きく進展することになったのである。曹洞宗は座禅を通してではなく、むしろ儀礼を通して地方に大きく教線を拡大することになった。(116~7)
今まで、葬儀の儀礼は、近世の檀家制度の中で整備されてきたと考えていたが、曹洞宗は、室町時代から、葬儀のやり方を整備していた、というのである。わたしの先祖が創建した寺院は室町時代であったが、先祖も曹洞宗の儀礼に感動して、宗派を曹洞宗にしたのかもしれない。
いずれにしても、曹洞宗の葬儀は、読経、鳴り物により参列している人びとに、故人の最期をしめくくるものとして認知されてきたのだろう。葬儀の最後に、「喝」と叫ぶのも参列者に何ごとかを感じさせたのかもしれない。
葬儀社の方から聞いたことだが、浄土真宗は、亡くなればすぐに天国(浄土?)にいけるのだが、曹洞宗は死んでもいろいろ修行しなければならず、棺に食料や守り刀を入れるという。わたしは、どうせならすぐに天国に行きたい。