「目立つ」ことを求める人が増えているように思う。ユーチュウバーというのがたくさん出ていて、子どものなかには、将来はユーチュウバーになりたいという者が増えているようだ。
昨日、ユーチューブの「もと文春記者チャンネル」を見ていたら、兵庫県知事選で失職した斎藤元彦が、SNSで注目されていて、知事選挙で斎藤が当選することもありうると言っていた。先の東京都知事選で、SNSを利用して高得票を得た石丸某の方法を真似ているのではないか、若い人々はテレビは見ないし、新聞も読まない、そうしたメディアで叩かれている斎藤を通常では支持することなんかありえないのに、SNSで若者を中心に支持がひろがっている・・・・
わたしは、これは別に目新しい指摘ではないと思った。政治的に覚醒している人を除き、そうでない人びとは、業界が支援する人に投票するし(業界団体の会合には、その団体に支援される議員が参加している)、知人から頼まれた人、そういう関わりをもたない、ある意味孤立している人は「目立つ」人に投票する。
「目立つ」人というのは、テレビにでている人、ユーチューブで見る人、などである。要するに、人びとは「有名人」や「目立つ人」は、あたかも自分が「知っている人」だと認識し、そういう人に投票するのである。それは年令には関係ないと思う。立候補している人がどういう政策を実現しようとしているかを確認して投票活動を行うという人は、圧倒的に少ない。
とにかく、人びとは、「目立つ」人、「有名人」が好きなのだ。「有名人」を直に見たいと言って、人びとがあつまることがよくある。わたしには理解できない。
「目立つ」こと、それが迷惑行為であっても、そういうことをしばしば行って「有名人」になった者を、なぜかスポーツ新聞や雑誌が報じることがある。
絶望的な状況が続くだろうと、わたしは思っている。