最近、若い頃のことをよく回想する。
わたしは、iPhoneを使っていて、アップルミュージックを契約して、いろいろな音楽を聴いている。こうしてパソコンを打っているときも、音楽を流している。クラシックや、シャンソン、そして若い頃聴いた曲。
今聴いているのは、岡林信康である。ほとんどの人は知らないかもしれないが、わたしにとって彼の音楽は、青春を彩っていた音楽である。だから、レコードを買って、何度も何度も聴いていた。
なかでも、「友よ」という曲が好きだ。その歌詞にあるように、闇の向こうに明るい未来があると信じることができた時代であった。わたしたちが動けば変わる、変えることができると信じられた時代であった。
高校時代の社研の仲間と話すとき、現在の世情を嘆きながら、「こんな日本になるとは思わなかった」ということばが交わされる。石川啄木は「時代閉塞」ということばをつかったが、今こそ、そういう時代だと思わざるをえない。
もうじき、総選挙がある。しかしそれによってわたしを取り巻く状況がよくなるとはとても思えない。
若い頃からみると、日本社会全体が、大きく「右」に動いていった。その動きを止めることはできなかった。しかしそれは、日本だけではなく、世界的な傾向でもある。いろいろな原因が考えられるが、背後には新自由主義があり、制度や社会的意識がそれに対応するようになったと、社会科学的には言えそうだ。
これを打開する途はあるのだろうか。この闇の向こうに明るい未来が開かれる、という確信を、次世代の人びとに渡すことができるだろうか。
「私たちが望むものは・・・・」だと主張すること、それなしには、何も動かない。