那須田さんは児童文学作家。これも児童文学なのだが、大人でもじゅうぶんに楽しめる。楽しめるということばでは表現できないのだが、適当なことばがみつからない。考えさせる児童文学とでもいえようか。
この作品の舞台は、中田島海岸だ。東京から一郎という子どもがやってきて、そこでいろいろな体験をするのだが、そのなかでもっとも重要なモチーフは、朝鮮人少年キムとの出会いである。
海岸の砂浜の規模や、防砂林としての松林の北側にい草畑や養魚場がひろがっているという情景は、1940年代後半から1950年代前半か。戦後であることはまちがいなく、また戦争直後の混乱や貧困からは脱しているから、50年代だろうか。
中田島海岸の自然をバックに、一郎とキムとの出会いとその二人が織りなす葛藤や協調、それが主要なテーマであり。当時置かれていた朝鮮人の歴史的状況が描かれていて、子ども同士は、民族や国籍が異なっていても、人間としての交流が自然にできていくことが、おそらく著者の体験だろうが描かれる。
もちろん朝鮮人に対する差別はここにも描かれているが、しかしその差別は自然には生じないのであって、社会的差別の存在が人びとに浸透していった結果差別が行われるのである。もちろん一郎には差別的な発想は微塵もない。
一夏の体験を、豊かな表現のなかで切り取り、当時の歴史的社会的な文脈の中に描ききるという作品で、描かれたその世界に、静かな主張がある。
先日読んだ『シラカバと少女』と、共通するものがある。
よい本だ。次は『ぼくらの出航』を読む。
この作品の舞台は、中田島海岸だ。東京から一郎という子どもがやってきて、そこでいろいろな体験をするのだが、そのなかでもっとも重要なモチーフは、朝鮮人少年キムとの出会いである。
海岸の砂浜の規模や、防砂林としての松林の北側にい草畑や養魚場がひろがっているという情景は、1940年代後半から1950年代前半か。戦後であることはまちがいなく、また戦争直後の混乱や貧困からは脱しているから、50年代だろうか。
中田島海岸の自然をバックに、一郎とキムとの出会いとその二人が織りなす葛藤や協調、それが主要なテーマであり。当時置かれていた朝鮮人の歴史的状況が描かれていて、子ども同士は、民族や国籍が異なっていても、人間としての交流が自然にできていくことが、おそらく著者の体験だろうが描かれる。
もちろん朝鮮人に対する差別はここにも描かれているが、しかしその差別は自然には生じないのであって、社会的差別の存在が人びとに浸透していった結果差別が行われるのである。もちろん一郎には差別的な発想は微塵もない。
一夏の体験を、豊かな表現のなかで切り取り、当時の歴史的社会的な文脈の中に描ききるという作品で、描かれたその世界に、静かな主張がある。
先日読んだ『シラカバと少女』と、共通するものがある。
よい本だ。次は『ぼくらの出航』を読む。