浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

この問題も注視すべき

2017-05-28 21:22:32 | その他
 『琉球新報』のコラム。


<金口木舌>「ヤクザと憲法」に見る共謀罪

2017年5月28日 06:00


 銀行口座を解約される。宅配便や出前の配達を拒否される。幼稚園の登園を断られる-。これらは反社会的勢力と言われるヤクザとその家族が置かれた状況である


▼東海テレビが半年間、ヤクザに密着したドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」の一場面だ。組の幹部が全国から集めた暴力団排除条例(暴排条例)の“実害”を説明する。「ヤクザとその家族は人権侵害を受けている」
▼次のシーンで法の下の平等をうたう憲法14条が映し出される。見方によっては憲法違反ともとれる暴排条例。ヤクザに人権はあるのか。家族には?
▼暴排条例を人ごとと思っていたが、別の法律がブーメランのように自分の身に降りかかろうとしている。衆院で可決された「共謀罪」の趣旨を含んだ「組織犯罪処罰法改正案」である
▼犯罪の実行前に逮捕可能な共謀罪。どんな思想を持ち行動しているのか、監視が強まる懸念がある。憲法が保障する思想・良心、表現の自由を侵害しかねない。監視対象とするか否かは当局次第。暴排条例同様、自分には関係ないと言いきれるのか
▼監督は、暴排条例が暴力団の存続危機となるほど効果を上げたのは「アウトかセーフの不明確な『線引き』だ。あいまいな規則の方が効果的だと条例は教えてくれる」と著書で指摘する。金田勝年法相のあいまいな答弁の理由の一つが鮮明になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静岡県民が指摘すべきこと

2017-05-28 21:18:43 | その他
 『信濃毎日新聞』のコラム、これは静岡県側で記すべきことだと気づいた。私も、この「水かえせ運動」について書いたことがあるので、この問題を正視したいと思う。

 
斜面

大井川は南アルプス間(あい)ノ岳に源を発し、静岡県内を約160キロ下って駿河湾に注ぐ。「大きな流れ」が名前の由来とされ、江戸時代に「越すに越されぬ」とうたわれるほど豊富な水量を誇った。戦後は水枯れという苦難の歴史をたどる

   ◆

逼迫(ひっぱく)する電力需要に対応するため、水系には1950年代、発電用ダムが集中的に建設された。山中を通る導水管に水を奪われ、61年に新たなダムが完成したとき、その下流域は流れを失った。風が吹くと砂が舞い上がり、人々は「河原砂漠」と呼んだ

   ◆

粘り強い住民運動の結果、88年にダムからの放水が実現した。当時、現地を取材したことがある。4ダム合わせ毎秒5・8トンの放水。それは悲しいぐらい細い、水の道を作っただけだった。魚を探す麦わら帽子の子どもらに橋から尋ねると、「何もいない」との答えが返ってきた

   ◆

その後の運動や河川法の改正でさらに多くの水量が戻りはした。だが、今再び水枯れの心配が生まれている。南アを貫くリニア中央新幹線のトンネル工事だ。大井川に流入するはずの地下水がトンネルに漏れ出す。失われる川の流量は最大で毎秒2トン―

   ◆

工事をするJR東海はそう推計し、トンネルからの導水路を造ることで約7割の水を川に戻すなどの対策を示している。全量を常に戻すよう求める静岡県とはいまだ折り合っていない。「今でも水不足なのに」。住民からこんな声も上がる。あの時の子どもたちの嘆きが重なって聞こえる。
(5月28日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲垣さんの文

2017-05-26 20:28:00 | その他
 稲垣えみ子さんの文が好きである。

https://dot.asahi.com/aera/2017052400091.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さすがの論調

2017-05-26 20:11:26 | その他
 『信濃毎日新聞』の論調は、いつも切れ味が鋭い。


斜面

米メディアから繰り返し人格を攻撃されたという。2013年6月、英紙「ガーディアン」にスクープを書いたジャーナリスト、グレン・グリーンウォルドさんだ。インターネットを利用した米情報機関の市民監視の実態を告発していた

   ◆

ニューヨークタイムズは犯罪に問われる可能性があると報道し「活動家」のレッテルを貼った。過去の借金や税金の滞納を調べたうえ、10年前に住んでいたアパートで規約を超える体重の犬を飼っていてトラブルになったことまで報じた大衆紙もあった

   ◆

極秘ファイルを提供したCIA元職員のスノーデン氏も人間性をおとしめられた。グリーンウォルドさんは自著「暴露―スノーデンが私に託したファイル」に書いた。条件反射のように告発者を悪者扱いするのは権力者の利益を守るため政府寄りメディアが使う常とう手段だ、と

   ◆

安倍晋三首相の友人が理事長を務める加計(かけ)学園の獣医学部新設をめぐる問題で文科省の前川喜平前事務次官が証言した。「総理のご意向」と記された記録文書の存在を認め「疑問を感じながら仕事をしていた。まっとうな行政に戻せなかった」と述べた

   ◆

政府は「怪文書」と決め付け「忖度(そんたく)政治では」との批判を一蹴してきた。重い告発だ。新聞や週刊誌が前川証言をスクープする一方、在職中に出会い系バーに通っていた―と報じた新聞もある。国民にとって大切な真実とは何か。ジャーナリズムは今、踏み絵を前にしているのではないか。

(5月26日)

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170526/KT170525ETI090006000.php
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダブルスタンダ-ドではない

2017-05-26 16:11:17 | その他
 やましいことはない、と叫びながら、真実が暴露されると困るので、前川氏の国会招致はしない。下記の記事はダブルスタンダードと記しているが、基準はしっかりしている。

 安倍首相の政治(財政)の私物化がバレないように、真実が明らかにならないように、官房長官はウソをつき続け、自民党は党首をかばいながら、要するに政治の私物化をもっと進めようとしているのだ。

http://buzzap.jp/news/20170526-kakegakuen-maekawa/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良識

2017-05-26 09:13:10 | その他
 役所も会社も、どこでも組織には多かれ少なかれ上意下達の官僚機構が備わっている。機構の中のひとり一人はその歯車となって動く。自らを空しくして、上司の言うことを素直に聞き行動していく。

 そこで生活の糧を得ているため、その機構の歯車としての存在を我慢している人が多いのだろうが、しかし理不尽な要求が上司から出されたらどうするか。

 多くの人は、素直に従う。自らを空しくして生きる。そしてそうした生き方が普通となって、上意下達をいつも受け容れることとなる。

 だから官僚機構のなかの問題は、なかなか外には出てこない。

 さて、あまりに理不尽なことを求められたらどうするか。そこでは、その人の良識あるいは人間性が問われる。少しの人だけが、「えい、ままよ」と良識に従って生きることを選ぶ。

 加計学園問題をみていると、良識に従って生きる人がもっとでてこないかと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創価学会信者へのメッセージ?

2017-05-25 22:07:43 | その他

http://buzzap.jp/news/20170525-ikeda-daisaku-tricycle/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Be My Baby

2017-05-25 22:02:58 | その他
 今日午後、加藤健一事務所のBe My Baby という劇を見に行った。加藤健一は、静岡県磐田市出身の俳優である。彼は、ずっと前から、イギリスのコメディを翻訳してそれを舞台に乗せている。今までもそうした劇をみてきた。とはいっても長い間観劇から遠ざかっていたので、久しぶりということになる。

 以前から疑問に思っていたことだが、加藤はなぜイギリス(あるいはアメリカ)の劇を日本で上演しているのか。今までいろいろな劇を見ているが、シェイクスピアは除き、英米系の劇は軽いという印象を持ってきている。すべてを見ているわけではないので、私自身の経験からしかいえないのだが、人生の大問題を直視するのではなく、人生の表層をさーっと撫でていく、そういうものが多いような気がする。メイドインロシアの劇は重厚だが、英米系はそうではない。比較すると、私は断然ロシアの劇が好きである。

 さて、私は今日もドラマの進行に巻き込まれずに、冷静に見続けた。見ながら考えたことは、イギリスの笑いと日本の笑いとは違うな、ということだった。イギリスにはモンティー・パイソンの笑いの文化があるが、この劇もコメディであって、観客を笑わせるという目的をもった台本にもとづく。いわば笑いのための笑いである。
 だが、この笑いのための笑い、日本にも当然あるが、私が今まで見てきた喜劇は、笑いのための笑いを目的とせず、劇の進行の中に深く沈潜して、そこから付随的に笑う、いうまでもなく台本には笑わせるための書き込みがあるのだが、しかし笑わせるためではなくその笑いには、もっと人生の奥底と関わる笑い、社会と切り結ぶ笑いという意味がこめられている。
 私が想定しているのは、井上ひさしや飯沢匡の喜劇なのだが、そこで生ずる笑いは人生や社会や歴史と結びついたものであって、ただ笑わせるための笑いを台本に書き込んでいるわけではない。

 今日の劇は、劇の進行の中でゲラゲラと笑う、いや笑わされる、それでおしまい。おそらく感想は、「オモシロカッタネ」が基調となるはずだ。もちろんそういう劇はあってもよい。私は否定しているわけではない。

 私が、演劇を通して感じたいことは、人間の生活の深いところ(人生、社会、政治、歴史など)とつながる笑いなのだ。

 飯沢匡『武器としての笑い』(岩波新書)という本があった。書庫にあると思うが、もう一度読んでみたいと思う。飯沢の戯曲集は、今ももっている。飯沢にとって、笑いは単なる笑いではなく、「武器」なのだ。「~としての笑い」こそ、私がみたい劇なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なるほどね

2017-05-25 19:35:44 | その他
 テレビを見ないので、何とも言えないが、前川前文部次官の発言をどう扱ったか、リテラが書いている。

 NHKと『読売』系の日本テレビは、この問題をほとんど取り上げないんだって。なるほど、NHKと日本テレビは、ジャーナリズム精神を放棄しているということだ。『読売』が安倍政権の「忠犬」、「猟犬」になっていると先に記したが、日本テレビもそうなのだ。

 いずれにしても、テレビメディアの凋落は明確だ。

http://lite-ra.com/2017/05/post-3191.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰が・・?

2017-05-25 11:59:53 | その他
 イギリスでのテロ、まったくふつうの市民が殺された。殺された人々の非業の死を悼むと同時に、遺族たちの悲しみを思う。こうした無辜の人々を殺傷したテロリストには怒りしかない。

 このテロの背景に、ISの動きがあるという。テロが起きると、ISが犯行声明をだす。未来をもたないISは、暴虐非道の行為を繰り返す。イギリスでのテロ事件の犯人は、リビア系だという。そしてリビアにはISの拠点があるという。

 しかし私は思う。リビアには、カダフィ政権があった。「独裁政治」だといわれていたが、私はその中身をあまり知らない。カダフィ政権は、リビアを統一国家として支配し、福祉の面でもきわめてよい政治をしていたということも聞く。そういう政権を、どこかの国が破壊してしまった。

 NATO、欧米諸国である。

 同じような構図があった。イラクはフセイン政権。フセイン政権も「独裁」といわれるが、国民の生活保障は十分におこなわれていたという。そのフセイン政権は、アメリカブッシュ政権がつぶした。その後にISができた。

 リビアも、イラクも、客観的にはよい国であった。それを欧米諸国がよってたかってつぶしてしまった。そして両国ともISの拠点だという。

 なぜテロが起きるのか。テロの温床をつくりだしたのは欧米諸国である。

 今となってはどうしようもないことかもしれない。しかし私は、「こう」なるきっかけを誰が作りだしたのか、という問題はきわめて重大だと思う。そしてその「誰」の責任を追及すべきであると思う。

 何ごとも原因があって結果がある。原因をつくりだした奴は、誰だ!

 その原因の結果、無辜の人々が殺された。直接の犯人に対する怒りだけではなく、私は原因をつくりだした者どもにも怒りをもつ。原因をつくりだした者たちは、ぬくぬくとした生活をしているはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅という人

2017-05-25 06:38:14 | その他
 この人の顔は見たくない筆頭は、もちろん安倍であるが、次は菅官房長官である。安倍の意向を強く主張する安倍の代弁者であるが、安倍の知力が弱いからか、菅の主張も全く知的ではなく、根拠なきことばの羅列である。何せ安倍政権は正真正銘のウルトラ右翼の面々によって構成されているから、ウルトラ右翼にみられる非知性と粗暴さを併せ持っている。

 日本のメディアは、読売と産経、その他のテレビ局に見られるように、そうしたウルトラ右翼と共同歩調をとっていて、醜いと言うしかない様相だ。

 しかし、国際的には、そうした粗暴な言説は通用しない。

http://buzzap.jp/news/20170524-un-suga-conspiracy2/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治の私物化

2017-05-25 06:30:00 | その他
 庶民は、安倍政権の政治(財政)の私物化に、どういう対応をするのだろうか。こうした公然たる私物化、さらに菅官房長官ら官邸の公然たる虚偽発言を許すのか許さないのか。

 加計学園問題が、正念場を迎えている。

http://lite-ra.com/2017/05/post-3188.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「共謀罪」の衆院通過!

2017-05-25 06:00:50 | その他
 希代の悪法である「共謀罪」、自由民主党、公明党、維新という三つの政党が賛成した。自由を奪う「共謀罪」を通過させる「自由民主党」は、党名をかえるべきであるとつくづくと思う。これらの政党は、日本の歴史に大きな傷を刻んだ。彼らの蛮行は、歴史にきちんと書き残さなければならない、議員の名前ももちろんである。
 運用によっては、わが国の市民運動を根絶やしにすることも可能な「共謀罪」。法律通りに運用されれば、窒息しかねない警察国家の誕生である。すでに日本の三権分立はその機能をほとんど失っているから、独裁・警察国家の日本ということになる。

 安倍政権の凶暴な動きは、振り返るに、小選挙区制にある。私は小選挙区制に反対であったし、今も同様である。小選挙区制に賛成投票をした者たちを私は許さない。安倍政権ようなこうした政権が成立する可能性は、小選挙区制導入前に指摘されていた。しかし当時の政治家らは導入したし、政治学者にも積極的に推進した者がいた。忘れられない政治学者は、山口二郎であるが、今は立憲デモクラシーを守れなどと主張しているが、私は彼の学者としての資質を根本から信用しない。

 小選挙区制が諸悪の根源であるが、それを指摘する声があまり大きくない。「デーリー東北」が、コラムでそれを指摘している。

天鐘(5月24日)


 ジェラルド・カーティスさんは知日派の米国人政治学者。衆院大分2区の選挙に密着した調査を土台にして1971年に出版した『代議士の誕生』は当時話題を集めた。10年ほど前にお会いした。その時の言葉がよみがえる

▼「日本には小選挙区制がなじまないのではないか」。選挙制度の改正で現在の小選挙区比例代表並立制が実施されたのは96年の衆院選から。既に定着した感のある制度に疑問を投げ掛けたのには驚いた

▼制度の導入には賛否両論があった。推進論者は米国や英国のように政権交代可能な二大政党の時代が訪れると説き、近代的民主主義国家にふさわしい制度だと強調した。だが、反対論も根強かった

▼政党の得票率と獲得議席数の乖離(かいり)が生じて「死に票」が増える。民意を反映すべき選挙で、それは妥当か。カーティスさんは日本人の政治意識に照らし、もろ手を挙げて小選挙区制に賛成できなかったらしい

▼政党は小選挙区に1人だけ公認候補を立てる。必然的に党首脳の影響力が強まり、候補者は公認を得るためにトップの顔色をうかがうようになる。「一強多弱」の政治状況では、政権与党におごりが生まれやすい

▼きのう組織犯罪処罰法改正案が衆院で可決された。経過を振り返ると、与党が数の力で押し切る場面があった。小選挙区制の影響がにじむ。これから審議は参院へ移る。「良識の府」らしい熟議が望まれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売新聞が・・・・

2017-05-24 09:11:02 | その他
 読売新聞には、知り合いがいる。といっても最近はずっと会っていない。彼は、きわめて良識的な人物だ。政治権力に関しては、ジャーナリストとして「番犬」の役割を果たすべきだと語っていた。

 その彼は今、何を考えているのだろうか。もう読売を辞めているかも知れない。読売新聞は、番犬ではなく、政治権力の忠犬でもあり又、猟犬でもあるからだ。

 政治権力擁護のために公的であるべき新聞紙面をつかう。恥ずべき行為である。こうした新聞社には、退場していただかなければならないと思う。

http://lite-ra.com/2017/05/post-3179.html

http://lite-ra.com/2017/05/post-3184.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇制

2017-05-22 21:48:54 | その他
 今日の『毎日新聞』は、「退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」」という記事を出した。現天皇は、「象徴天皇制」とはどうあるべきかを模索しながら、天皇であり続けた。

 しかし高齢により、たとえば被災地に何度も足を向けることなどができなくなり、「象徴」としてのある意味での職務を完遂できないから、そろそろ退位させて欲しいという、素直な、理解できる要請であった。

 しかし、安倍政権がこの問題を論じる有識者会議には、極右のメンバーを多く任命した。極右のメンバーは、天皇の意思、天皇が模索してきた「象徴」としてのあるべき姿なんかはどうでもよいのである。彼らは、彼らがかくあるべきと考えている天皇制、それは近代日本国家がつくりあげた虚構の天皇制であるが、その近代天皇制の復活を願っているのであって、現憲法に忠実でありたいという現天皇の気持ちは無視されるべきものなのだ。

 彼らは安倍晋三には忖度するのだが、現天皇には忖度しない、かえってみずからの考えを押しつけようとする、天皇に対する敬意なんか微塵ももっていないのである。

 私は、天皇制は将来的には廃止すべき制度であると考えている。また現天皇の行動→、折々のことばには、現憲法の精神を尊重したいという気持ちが感じられ、その意味では好ましい天皇像を描いてきたと思っている。

 極右は、天皇は「祈り」だけしていればよいと言ったようだが、それとて明治の初めに創作された儀式がほとんどである。極右の面々には、ヒューマニズム、歴史の検証などまったく無縁であって、主観的な思いだけで行動しているようだ。その彼らが、安倍とつながって乱暴な議論をし、その議論を権力的に実現しようとしている。

 現天皇の怒りは理解できる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする