浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

立憲民主党の今後

2021-11-15 10:57:50 | 政治

 私は、立憲民主党から国民民主党へと流れていく、つまり立憲民主党は分裂するのではないかと思う。連合に従う議員は国民へ。

【政界地獄耳】立憲民主党の上部団体気取りを続ける連合・芳野会長

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【本】『セカンドハンドの時代』(岩波書店)

2021-11-15 10:57:50 | 

 まだ三分の二だ。厚い本である。ソ連時代とペレストロイカ以降のロシアに生きた庶民の語りが無数に掲載されている。

 いろいろな希望や思いを持って、庶民は生きる。しかし、自分の力ではどうしようもない力で、庶民の生活や生は断ちきられ、どん底に追いやられる。ひとり一人の証言は重くやるせない。そうした証言をたくさんたくさん積みあげる。どんよりとした重さに堪えながら、活字を追っていく。

 若い頃、ロシア文学が好きで、ドストエフスキーやチェーホフ・・・・いろいろ読んだ。充分思索的で、重く、人間とは何かを問うようなものが多かったように記憶している。

 なぜロシア文学がそうなのか分からなかったが、本書を読んでそれが少し分かった気がする。

 自分の力ではどうしようもない力、それは権力だったり、戦争だったり、いろいろだが、しかし庶民に対してはすべて抑圧的であった。何の理由かわからないままに逮捕され、銃殺され、収容所に送られる。なぜ?と問うても、解答は与えられない。ペレストロイカのあと、「自由」が到来した?しかし庶民の日々の生活は悪化する一方だ。そして過去の歴史は大胆に否定される。

 このような厳しい抑圧のもとで生きていくとき、そしてそれが続いているとき、庶民は考える。生きる意味や、人間について。帝政ロシア、社会主義革命、スターリン体制、ペレストロイカ、プーチン体制・・・庶民にとって抑圧的ではない時代はなかった。

 ひとり一人の語りには、抑圧下に生きる庶民の「苦」がある。そしてその背後に「なぜ?」と問う息づかいが聞こえる。

 ロシア文学の凄さ。その背後にこれがあった。庶民のなかに襲いかかる理不尽な仕打ち、問うても答えのない「なぜ?」という息づかいが充満していたのだ。

 作家たちはそれを吸い上げていたのだ。

 

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贋作

2021-11-14 22:17:39 | 社会

 「だましだまされアート界:贋作をめぐる物語」(2020年)というドキュメンタリーを見た。ポロック、ロスコの贋作が高値で販売され、その贋作を専門家が見抜けなかったり。結果、美術館に展示されてもいたという。この贋作事件が明るみに出されて、アメリカの歴史ある画廊が閉鎖となったそうだ。

 ポロックやロスコの絵を描いたのは中国人だった。

 「世界で一番ゴッホを描いた男」というドキュメンタリー映画もあったが、中国には名画の贋作を描く村があるという。何といっても、中国には、名画をそのままに描く伝統が一千年もあるという。

 現代は、あらゆるところにフェイクがある時代。美術だけではない。言論や学問の世界はもちろん、政界にもそれがはびこっている。たとえば維新の政治家のように。

 贋作が大手を振っている時代、それが現代だ。贋作でもいい、心地よければそれでよいという時代。

 

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やっと五月蠅い者から解放される

2021-11-13 21:08:37 | 社会

 秋篠宮家の眞子さんがアメリカに旅だったという。これで五月蠅いメディアや人権意識の低い者から解放されるはずだ。

 メディアは、眞子さんの結婚問題をなぜかくもセンセーショナルに報じたのか。誰かが「イジメ」だと言っていたが、その通りだと思う。

 婚姻は両性の合意のみにもとづいて成立するのだ。周りがとやかく言うものではない。

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本屋大賞 上間さんのスピーチ

2021-11-13 21:08:37 | 社会

 本屋大賞 ノンフィクション部門で大賞をとった上間陽子さんの『海をあげる』(筑摩書房)の、その受賞スピーチが素晴らしい!!

Yahoo! ニュース|本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞 贈賞式

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公務員の犯罪的行為

2021-11-13 08:04:23 | 政治

 『東京新聞』が報じる調布市公務員の犯罪行為。調布市の、外環道路建設の陥没問題で、これに関する情報開示請求をした市民の個人情報を事業者に送りつけていたのだ。

 信じられない。これは「ミス」では断じてなく、犯罪行為である。こういう公務員はクビにすべきである。

 地方自治体でも行政改革が進み、公務員数は減らされ、非正規の職員が多くの職務を担うようになった。市民への公共サービスの提供が減ってきている。そういう時にこのニュース。

 いったい地方公務員は支配層の一員なのかと思わざるを得ない。

調布市、請求者の個人情報を繰り返し漏えい 陥没事故の情報公開

「前回同様、取扱厳重注意で」 調布市情報漏えい問題 市職員がメールで念押し

調布市個人情報漏えい、身内も驚くずさん運用 「ミス」ではなく「そもそも送る必要はない」

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室井さんの総選挙総括

2021-11-11 08:36:38 | 政治

室井佑月「選挙あたしの総括」

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いろいろなこと

2021-11-09 07:50:51 | 

 『世界』を読んでいる。そのなかからいくつか感想を書いておく。

 まず金承福さんの「本とチェック」。本を読むことの意味を書いている。そのなかによい文章があった。

 孤立していないーこのことばこそ文学の効用を表す重要なポイントではないだろうか。多くの人が小説や詩を読んで慰めを得るのは、自分は一人ではないということを全身で感じることができるからだと思う。だからこそ本を読み続けるし、「この本のことを伝えたい、あの人にも読んでほしい」と突き動かされるのだと思う。

 文学作品を読むということは、私の場合はみずからの生き方を考えるためであった。文学作品の中に、いろいろな悩みを持ちながらもそれに堪え、考えながら生きていく人間像をみつめていた。確かに作品の中に、友人や先生や先達を発見していたのだろう。まさに「孤立していない」ということだ。

 この金さんの文では、チョン・ヒョンジョンの「訪問客」という詩が翻訳されている。

 人が来るということは 実はとてつもないことだ

 彼は、 彼の過去と 現在と そして 彼の未来とともにやって来るからだ 一人の一生が来るからだ

 壊れやすい ゆえに壊れたりもした 心がやって来るのだ

 他者と交わるということは、他者と語り合うということは、他者の過去現在未来を知ることでもある。そのなかで、自分自身を変えていく、考え方を練り直していく、新しい知識を得る・・・・・他者と交わらないということは自分自身の成長を止めることだ。

 だから他者との交流を妨げる新型コロナウイルスの蔓延は、人間の成長を押しとどめる役割を果たす。ウィルスを撲滅しなければならない理由である。

 

 

 

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雑誌

2021-11-08 20:06:50 | 

 今日、雑誌が2つ届いた。1つは『世界』である。高校生の時から購読し続けている雑誌だ。バックナンバーがあまりにも膨大になったので、十年以上前に処分したが、そろそろ二度目の処分の時期がくる。

 いつも『世界』には、含蓄のある文が並ぶ。今号でまず最初に読んだのは、シンスゴさんの「「ニュース女子」事件とは何だったのか」である。重い重い内容である。日本社会の劣化を象徴する事件だ。とりわけ日本人に知性がなくなってきているように、私は思っている。だから今号の特集は「学知と政治」である。政治の世界だけでなく、あらゆるところから学知(知性)が消えている。そしてそのなかからレイシズムが台頭してきている。レイシズムという概念は、ルース・ベネディクトが最初に提示したという。

 「ある民族集団が先天的に劣っており、別の集団が先天的に優等であるように運命づけられていると語るドグマ」

 日本ではそれを「人種差別」とするが故に肌の色の違いだけに着目するが、実際はそういう意味ではない。たとえば韓国朝鮮人に対する差別も「レイシズム」なのだ。日本に「人種差別はない」という言説は間違いなのだ。

 シンスゴさんは、自分のために裁判を闘っているのではない。「人は、自分のことでは妥協してしまうことがあっても、大切な誰かのためならとことん頑張れる」という末尾の文が印象的だ。あの番組は、沖縄の人々への差別と偏見をまき散らす内容だったからだ。

 次に読んだのが平田オリザさんの「但馬日記」。そのなかに、平田さんが6年前に津田大介さんがやっている「ポリタス」に3つの寂しさを寄稿したという。その3つとは、

 「日本は、もはや工業立国ではないということ」

 「もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ」

 「日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ」

 である。これらのことは、今その通りだと認識されるようになった。ただし三つ目はそろそろ訂正されなければならない、「日本はもはや先進国ではない」と。

 『世界』を読むと、自分自身の精神世界が拡がっていき、また社会認識も豊かになっていく。明日もいろいろ知的触発を受けるはずだ。

 最近、高橋さんという『世界』を長年購読されていた方が亡くなられた。

 今日届いたもう一冊、それは無教会派のクリスチャンらによる『みぎわ』61である。浜松聖書集会を主宰されていて、今は亡き溝口正先生のことばが巻頭と巻末にあった。居ずまいを正して読んだ。

 『みぎわ』61についてはいずれ紹介しよう。

 

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酔生夢死から覚醒する日は来るのだろうか

2021-11-06 12:48:50 | 社会

 今年1月、晶文社から『学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層』という本が出た。そのなかに内田樹さんの「酔生夢死の国で」がある。

 内田さんは、今回の総選挙における自民党・公明党政権の存続、維新の躍進を予想しているかのような文を書いていた。その一部を紹介しよう。経済力、技術力、学術発信力・・・・すべての数値が、日本の劣化、国際的地位の低下を示している(GDPランキングは、中国、EU、アメリカ、インド、そして日本。時価総額ランキングでトップ20には日本企業はなく、トップ50のなかにたった一社・トヨタが入っている。国際競争力ランキングは30位。)。もちろん、自民党政治により、国民生活も劣化し続けている(30年間あがらない賃金、貯蓄ゼロ世帯が全世帯の3割以上なぢ)。しかし自民党・公明党政権は何もせず、ウソをついたり、ゴマカしたりしている。そして国民はそれに怒りもせずに、唯々諾々としたがっている。なぜか。

 この8年間、首相と官房長官が何を問われても「問題ない」「適切に行っている」と答えてきたのは、単にその場しのぎの遁辞を弄しているというだけではなく、戦略的にそうしてもいのだと思う。システムのどこかに瑕疵があるなら、修正しなくてはならない。問題があるなら、解決しなければならない。でも、システムにはいかなる瑕疵もなく、あらゆる問題は既に解決されているなら、改善努力そのものが必要なくなる。ある時点で、日本政府は国際社会において「名誉ある地位」を占めるための努力を放棄して、深い自己満足のうちに安らぐことに決めたのである。

 「今の日本にはもう国家目標がない」というのはそのことである。国際社会で実際にどう評価されるかということに政府も国民ももう関心がない。国民が「日本は国際社会から尊敬され、隣国からは畏怖されている」というメディアが垂れ流す政府発表を信じる(か信じるふりをしている)限り、政権はいつまでも安泰である。

 国力はひたすら衰微している。ふつうはその責任を為政者がとらなければならないのだが、「国力はひたすら向上している」という嘘を広報メディアが宣布して、多くの国民がそれを服用することで精神の安定を得ている限り、為政者は国力回復の手立てについて頭を悩ます必要はない。 

 ・・・彼らは日本国内の組織をすべて上意下達の組織に改変することにあれほど熱中するのである。上位者からの指示に誰一人疑念を呈することなく、トップの指示が遅滞なく末端まで伝達され、現場には一切自由裁量権がなく、何か起きれば全員が判断停止して「上位者の指示を仰ぐ」ような仕組み、それが「マーケットを持たない株式会社」の経営者が切望するシステムである。ここではもう何を創り出すかは問題ではない。どうやって誰一人トップに逆らわないような仕組みを作り上げるかという管理コストの最小化が問題になる。トップとは別の価値観を持ち、別の「ものさし」でものごとの理非や適否を判断する者たち、「異物」や「他者」はこのシステムには存在することが許されないのである。

 過去四半世紀日本国内で官民一となって進行させてきたのは「そういうこと」である。そして、まことに残念ながら、「管理コストの最小化は絶対善である」という命題に国民は抗弁しなかった。そうだと信じ込まされてきたからである。組織が何を創り出すかよりも、組織がどう効率的に管理されているかの方が優先順位の高い課題だという考え方は長い時間をかけて日本人に刷り込まれてきたのである。

 私たちは今日本学術会議問題によって露出した日本社会の暗部に直面しているわけだけれども、そこに見られたのは、何らかの野心的な政治目的を達成するために計画的になされている事業の一部ではないというのが私の考えである。官邸はただイエスマンで埋め尽くされた社会を作り出したいということしか考えていない。そのような社会を作り出したあとに、それを用いて何を成し遂げたいのかについては何も考えていない。そもそも「成し遂げるべきいかなる国家目標もないほどに日本は成功した」というファンタジーを語り続けたことで自民党政権は安定的な基盤を築いたのである。

 日本国民がこの酔生夢死から覚醒する日は来るのだろうか。

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【本】平井一臣『ベ平連とその時代』(有志舎)

2021-11-03 11:16:16 | 

 1960年代後半に社会的に注目された社会運動、ベ平連の誕生から解散までの動きをおったもので、そのなかに脱走米兵の国外脱出運動、三沢、岩国の米軍基地周辺での喫茶店運動(?)を加えたものである。

 ベ平連は、いうまでもなく、アメリカのベトナム侵略戦争とベトナムに於ける米軍の蛮行(ボール爆弾、枯葉剤・・・・)に対して、そういうことはやめろ、日本政府はそうした米国の侵略に加担するな、ということを目的として組織された。きわめて人道的、ヒューマニスティックな運動であった。

 私もこのベトナム戦争の実態を知り(当時の新聞などはきちんとその事実を伝えていた)、最初は「バートランド・ラッセル平和財団」と連絡をとり、ベ平連が結成されてからはベ平連とつながり、浜松ベ平連の一員として活動した経験がある。ただ、私が浜松ベ平連と一緒に活動したのは高校2~3年生の時であり、高校を卒業してから上京したために浜松ベ平連がその後どうなったのかは知っていない。事務局をやっていた喫茶店のマスターは、今は広島市にいて映像作家になっているようなことを、生前の吉川勇一さんからきいたことがある。

 そのような経験をもっている私は、本書をみずからの回想と重ねて読んでいった。その頃は、鶴見俊輔ではなく、小田実が書いたものをよく読み、「人間みんなチョボチョボや」ということばに大いに共感したものだ。

 この本でも小熊英二の見解が引用されているが、彼の主観的な「読み」には全く同意できない。事実や体験者の声から引き出したものではなく、彼の思い込みを書き込んでいるからだ。

 「経済的な貧しさからの脱却ではなく、社会的地位の見通しを喪失したことからくる「現代的不幸」に若者たちの反乱の原因がある」と、小熊は指摘しているそうだが、私からすれば「何、それっ!!」というしかない。当時、政治的・社会的な問題に関心をもった者たちは、「社会的地位の見通し」なんかまったく考えていなかった。それを考えていたら、運動に飛び込むことはしない。そういうことを考えている人々は、運動に飛び込むことなく「ふつうに」生きていたし、そういう人の方が圧倒的に多かった。彼の解釈は、徹頭徹尾「主観」であると、私は断言する。したがって、小熊の主張を、こうした本に引用する必要はまったくない。間違いだからだ。

 なぜこの頃若者たちは正義感に燃えて立ち上がったのか。

 1970年代以後の諸党派間の内ゲバに見られるように、おのれの組織の考え方を唯一正しいと思い込み、そう考えない集団を暴力で以て打擲するという振る舞いは、1960年代後半の若者たちの正義感とは無縁である。もちろん、そうした正義感から出発して諸党派に属するようになった者はいるが、そこには質的な違いがある。諸党派の構成員は、おのれの正義感よりもそれぞれの党派を第一義に考えるようになったのだ。

 私は、小田が言う「ベ平連はやはり、いいにつけ悪しきにつけ、繁栄の中から生まれて来た運動であり、繁栄に対応しようとする運動であったということだ」という意見に共感する。当時の若者は、少年期の貧困な時代を経験しているし、急激に変化する日本の繁栄化に疑問をもち、繁栄への道を歩んでいない他国や諸地域の現状とのギャップに、さらに「これでよいのか」という思いを強くしたのである。

 本書を読みながら、いろいろ考えた。なぜ今、人々の正義感は眠らされているのか。自民党・公明党政権があんなにも「悪政」をしても怒らない選挙民。

 現代社会は「不可解」というしかない。

 

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