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慶州の皇南洞にある古墳群です。新羅時代の王族の古墳群と推定されています。多くは円墳ですが、中には皇南大塚のように二つの円墳がくっついた双子山型のものもあります(写真を撮り忘れました)。
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こちらは、国立慶州博物館に展示されている、皇南大塚から出土したとされる副葬品のレプリカ。女性の墓だったとされる北陵からは金冠、首飾り、腕輪などが出土し(上写真左)、先に造られた男性の墓とされる南陵からは武器類が出土したといわれています(上写真右)。考古学を専攻する現地の人の話では、後から足された北陵の方が大きく、副葬品も豪華であることから、女性の方が王族に連なる系譜ではないかとの説があるということです。
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天馬塚。1973年、皇南大塚を発掘するための試掘としてこの古墳を掘ったところ、中から驚くべき手付かずの副葬品が発見されたそうです。その中から白樺の皮に描かれた伝馬図が発見されたことから、天馬塚の名がつけられました。
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こちらが国立慶州博物館に展示されている、天馬塚の実物。良く見ると、天馬というより麒麟のように思えます。こうした経緯から、天馬塚は大陵苑の中で唯一、中を見学できるようになっています。5世紀末から6世紀初の古墳と見られ(日本も古墳時代中期の終わり頃にあたります)、竪穴式の積石木槨墳であったことが、盗掘を免れた要因と考えられています。
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味鄒王陵。新羅第13代味鄒王(在位262年~284年)の陵墓で、唯一被葬者が分かっています。新羅の王統には朴・昔・金の三姓があり、味鄒王は昔氏新羅時代に唯一、金氏から出た王です。一念の『三国史記』のおける味鄒王の評価は高く、名君であったようです。金氏として初めて誕生した王の陵墓であることから、この陵だけは門塀で囲われています。
大陵苑(天馬塚)
慶尚北道 慶州市 皇南洞 89-2
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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