雁鴨池は、新羅の王城があった月城のすぐ東にあります。
新羅時代の674年(文武王14年)、三国統一を成し遂げた文武王が造成した別宮の址です。元々、月池と呼ばれていましたが、朝鮮時代に廃墟と化し、そこに雁と鴨が飛来したことから、雁鴨池と呼ばれるようになったそうです。僕が訪れた時も、薄っすらとした曇り空に雁の群れが飛んでいて、何となく寂しげな雰囲気がありました。
新羅時代の最盛期に、王族や貴族の宴会の場として、また王子が住む東宮として整備され、現在は臨海殿を初めとして、一部の建物が再建されています。法隆寺に観られるようなエンタシスの柱が、この時代の様式を感じさせます。
復元された臨海殿から臨む雁鴨池。
月精橋の模型。月精橋は760年(景徳王19年)に造成された、大規模な回廊式の楼橋で、王宮である月城に出入りするための通路でした。現在、復元作業が行われており、上の写真は復元のために作成された模型です。
少し見難いですが、最盛期はこのようであったろうと推測される復元模型です。
前述のように、ここは君臣の宴会や賓客をもてなす場として使われていたと考えられ、高麗時代の931年、敬順王が太祖王建のために、臨海殿で宴会を開いたという記録があります。実際、池の発掘調査では、当時使われていた土器や箸、装飾品、瓦などが出土しており、それらのレプリカが展示されています。中でも面白いと思ったのは、上のサイコロのような遊具。ちょっと見てみますと、サイコロの面にはそれぞれ「三杯飲む」とか「詩を暗誦する」といった罰ゲームの内容が刻まれています。今も昔も宴会でやることは大して変わりませんね。
雁鴨池/臨海殿址
慶尚北道 慶州市 仁旺洞 26
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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