大相撲九月場所が終わりました。それに因んで、相撲の中に見える易の影響についてお話したいと思います。
易は513年に百済が五経博士の段楊爾を貢したという記述が『日本書紀』にあることから、少なくとも6世紀前半には日本に伝わっていました(五経とは、「易経」、「書経」、「詩経」、「春秋」、「礼記」のことです)。儒教の経典の筆頭とされた易経は、当然のことながら日本の思想にも大きな影響を与えています。今日の大相撲は五穀豊穣を感謝する神事が源流ですから、天地の自然法則と人の行いとを一体のものと考える易の天人合一思想が当然大きな影響を及ぼしています。
まず土俵ですが、俵の円形は天、四角い盛り土は地を表しているそうです。そこに人である力士が東西から上がり、神様の前で武器を持たず「人の力」によって勝負を争います。
土俵は北が正面です。これは「君子南面す」といって、北が聖なる方角とされたためです。例えば、平安京の大内裏は北の方角にありました(勿論、平城京・藤原京などでも同じです)。ですから、大相撲でも天皇陛下の天覧席は北側にあります。
易は森羅万象を乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の八卦(はっか)で成り立つと考えます。この八卦に自然や人間、動物、方角などあらゆる物事を当てはめ、それによって万物の現象を解明・説明しようという試みが易であるともいえます。したがって、この八卦にはそれぞれ表す方角があり、乾(西北)・兌(西)・離(南)・震(東)・巽(東南)・坎(北)・艮(東北)・坤(西南)となります。
今はありませんが、昔は土俵に四つの柱が立っていました。これをそれぞれ乾(いぬい)柱、艮(うしとら)柱、巽(たつみ)柱、坤(ひつじさる)柱といいました。現在では柱の代わりに、黒・青・赤・白の四色の房が下がっています(上写真)。これは東西南北の守り神である四神を表しており、それぞれ玄武(黒)、青龍(青)、朱雀(赤)、白虎(白)です。
次に、土俵は完全な円形ではなく、東西南北の方角だけが一部はみ出ています。これを「徳俵」といいますが、四つの徳俵に土俵中央を加えて、水徳(北)、木徳(東)、火徳(南)、金徳(西)、土徳(中央)というのだそうです。これは中国の古代思想で万物を構成する五元素(五行)と考えられた水・木・火・金・土に由来します。先ほどの八卦にはこの五行もそれぞれ当てはめられており、坎(水)・震(木)・離(火)・兌(金)です。
さて、八卦では南は「離」です。離には、「物事を明らかにする」という意味があります。そこで、勝負を判定する行司は南側に立つのだそうです。なお、行司が発する「はっけよい」というのは「八卦よい」、つまり「あらゆる方角が全て収まっており吉である」という解釈が一般的ですが、これには諸説あり確かなことは分かりません。
さらに、行司は代々木村家と式守家が執り行ってきましたが、木村家は軍配をもつ時、指を下に向けます。これは陰陽の陰を表しています。一方、式守家は指を上に向け、陽を表しています。
因みに、横綱の土俵入りも不知火型(写真左)と雲竜型(写真右)がありますが、不知火型が陰、雲竜型が陽の型となります。
こうした変わった視点から大相撲を観てみるのも面白いと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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