窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

第54回YMSを開催しました

2015年01月15日 | YMS情報


  1月14日、mass×mass関内フューチャーセンターにて、第54回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。おかげさまでYMSはのべ参加総数が900名を超えました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

  さて、今回の講師は、有限会社金一坪倉商店代表取締役の坪倉良和様。「変えられる明日に賭ける」と題し、年頭にふさわしい熱いお話をいただきました。



  初めに、同社HPより次の一文を引用させていただきます。

  「日本の明日の何かを変えようと思ったら、まず自分の気付いたことを、誰の干渉も受けずに「勝手にやる」のが一番だ! それには誰にも頼らずの精神が肝心で、必要な資金ももちろん自らが稼ぎださなければならない。 たった一人の本気やあるいは狂気に近い想いが、辺りを巻き込んで日本を変えていく。 それを実現してみせる!」

  坪倉社長がこのような心境に至ったきっかけは何だったのでしょうか?

  横浜市中央卸売市場で水産加工品仲卸をされている坪倉社長ですが、当初そのような仕事をされるつもりは全くなかったそうです。大学での専攻は文化人類学。しかし、時は学園闘争真っ只中の時代、大学が閉鎖される中、たまたま友人の紹介で訪れた水産会社で目にした職人技に興味を持ち、その後数奇な巡りあわせもあって祖父が経営していた現在の会社を継ぐことになったのだそうです。

  しかし、初めは全くの素人。競りで何を言っているのかさえ分からなかったのだそうです。それでも五里霧中の逆境をバネに、サケの切り身のパッケージ化などが大成功を納めます。20代前半にして自信をつけた坪倉社長は、事業拡大を企図し、友人との共同経営で川崎にも店を出店します。

  ところがこの事業拡大が裏目に。40歳になるころまでに共同経営は行き詰まり、2億円を超える借金を抱える窮地に追い込まれたそうです。さすがに絶望した坪倉社長に友人が投げかけた「お前の人生はまだ始まってさえない」の一言に励まされ(現在63歳の坪倉社長ですが、「人生は50歳からが面白い」という言葉が印象に残りました)、さらに奈落の底ではたと気づくことがあったそうです。

  それは、「目の前で起こっている上手くいかないこと、不快なことは全て自分の責任であるということを自覚する」ということ。全ては己の責任と心得ると、目の前のことに寛容になれる。そうすると不思議なことにさまざまなことがうまく回りだすようになったのだそうです。この時の大悟が冒頭に引用したような、坪倉社長の生き方のベースとなっているということでした。

  「気づいたら、自ら勝手に行動する」、会社経営を立て直しただけでなく、衰退する市場のため、地域のため、坪倉社長はさまざまな行動を起こします。時には様々な人たちと衝突しながら。その中で到達したもう一つの境地、それは「自負」から「無私」へということでした。

  自ら行動を起こすと、どうしても自意識が過剰になりがちです。しかし、その中でいかに己を希釈し、滅私・無私に達するか。無私であることによって、自分に反対していた人たちにも影響を及ぼすことができる、到底動くとは思えなかった物事が動き出す、本気で取り組むと周囲の人が知恵を授けてくれる...



  限りある命の中でも、想いは伝えることができる。それは永遠の魂。そしてそれを実現するには、できれば事業活動を通じてであることが望ましい。何故なら、世の中を良くしながら自分も生活ができるから。坪倉社長のお話がますます熱気を帯びてきました。

  現在、教育にも力を注がれている坪倉社長。「自分の生き方が好き、計算はできても計算ではなく自分を突き動かすもののために生きられる人を増やしたい」とのことでした。そうなるためのヒント。それは、懼れ躊躇する自分の対極に存在する「もう一人の自分の声を聞け」ということでした。



  次回第55回YMSは2月18日開催予定です。

過去のYMS活動レポートはこちら

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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