都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
新国立劇場 「セビリアの理髪師」 10/16

ロッシーニ「セビリアの理髪師」
指揮 ニール・カバレッティ
演出 ヨーゼフ・E.ケップリンガー
合唱 新国立劇場合唱団
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
キャスト
アルマヴィーヴァ伯爵 フェルディナンド・フォン・ボートマー
ロジーナ リナート・シャハム
バルトロ 柴山昌宣
フィガロ ダニエル・ベルチャー
ドン・バジリオ フェオドール・クズネツォフ
ベルタ 与田朝子
フィオレッロ 星野淳
隊長 木幡雅志
アンブロージオ 古川和彦
2005/10/16 15:00~ 新国立劇場オペラ劇場 4階
新国立劇場で「セビリアの理髪師」を聴いてきました。舞台をフランコ独裁政権下の1960年代に置き換えたという、ケップリンガーの演出が一番の見物です。
舞台中央の回転台の上にあるのは、ロジーナが軟禁されているバルトロの館です。建物は三層構造。中央の廊下を軸にして、左をロジーナ、右をバルトロの居室に振り分けます。また、廊下を含んだ各スペースには、それぞれ赤、黄、青の三色が鮮やかに配され、奇抜な雰囲気をも醸し出します。そして、バルトロの館の隣に建っているのは、ゴテゴテに飾られた娼家です。ロジーナと伯爵を巡る恋の物語が、読み替えこそないものの、舞台の上で直裁的に、極めて「ドギツく」演出されます。
演出上位の公演だからなのか、歌手がいわゆる棒立ちにて歌うことはありません。細かい所作まで実にリアルに描かれています。バルトロは、極めてコメディタッチに舞台中を走り回り、伯爵とロジーナは、欲望を露にするかのように、隙を見つけては抱き合います。もちろんフィガロも、道化として常に劇を引っ掻き回し、ドタバタ劇をさらに混乱させます。オペラの演出というよりも、一つの寸劇として楽しめるほどの完成度です。原作の持つ面白さを、さらに滑稽に味付けします。見ていて飽きることはありません。
歌手では、声質が魅力的だった伯爵のボートマー(幕切れの大アリアは歌われません。)や、演技も充実していたロジーナのシャハムが印象に残りました。ただ、二人とも、ロッシーニの歌い手としては、やや違和感があったようにも思います。また、バジリオのクズネツォフは、ロッシーニよりもワーグナーや、魔笛のザラストロ役で聴いてみたい歌声です。歌手の中でも特に高い演技力が要求されていた、バルトロの柴山は好演でした。喜怒哀楽の一つ一つを、全身で自然に表現していたのは見事です。
さて、指揮とオーケストラに関してですが、非常に残念ながら、指揮のニール・カバレッティの音作りに、全く共感することが出来ませんでした。毎年、いくつかのコンサートに接していると、年に一度か二度、途中で聴いているのが辛くなってくるような時がありますが、この日のカバレッティのロッシーニはまさにそれです。リズムは実に重く、まるで愉悦感のないロッシーニ。細部まで丁寧に鳴らしていて、オーケストラもそれに良く応えていたとは思いましたが、表情があまりにも直線的で、ギコチナなささえ感じられます。弦楽器から生まれる、湧き上がる飛沫のような軽やかな音と、人物の心情にピッタリ寄り添う、生き生きとした管楽器の響き。ロッシーニの音楽は、聴いていて心地よいほどまろやかに響き合いますが、これほどしかめっ面した音楽が、まさか「セビリア」から生まれて来ようとは思いませんでした。第二幕こそ、やや音楽に生気が取り戻されたようにも思いますが、第一幕は、聴いていて悲しくなるほど退屈でした。もちろんこれは、いつもの如く、私の全くの思い込みで、何ら明確な根拠もありませんが、これほど音楽を詰まらなく聴いてしまったのは実に久しぶりです。
演出と、歌手の力演はとても楽しめました。これで音楽が素晴らしければと思うと、少し残念です。
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