都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「巨匠 デ・キリコ展」 大丸ミュージアム 10/23

「巨匠 デ・キリコ展 -異次元の森へ迷い込む時- 」
10/6~25(会期終了)
先日まで、「大丸ミュージアム・東京」にて開催されていた、デ・キリコ(1888-1978)の展覧会です。展示作品の殆どは、キリコ自身がキャリア初期に手がけた「形而上絵画」を、晩年になって焼き直して描いたという、いわゆる「新形而上絵画」でした。キリコが晩年になって、創作の原点でもあった「形而上絵画」を、どう捉え直したのか。それがこの展覧会の主眼です。
しばらく会場にて作品を見ていて、とても気になった点は、一つ一つの作品の完成度の問題です。主題はともかくも、構図、特に線と形の配置に非常に甘いもの、つまり、とても散漫に見えてくるものがかなり多くあります。余計な先入観なのか、キリコの絵画は、三次元の空間をあえて二次元に変換したような、平坦で歪んだ「場」に、幻想性を帯びた事物が配置されているにも関わらず、画面は極めて乾いている、つまり、物の気配を全く感じさせない点に、とても魅力的な部分があると思っていたのですが、今回の展示作品の中には、タッチや配色に妙に色気のある、つまり、絵として、その主題とは相容れないような「質感」が見られるものが目立つのです。晩年のキリコを全く評価しない見方もあるそうですが、それはともかくも、緊張感のない線と煩雑なタッチによる画面構成は、作品の主題から湧き上がる形而上的な「場」を、ただ絵画上だけに引き戻してしまいます。これでは、作品の訴えかける力が、非常に弱くなります。惹き込まれません。(もちろん、精緻に良く描かれた作品も数点あったので、全体的な印象ではありますが。)
ですから、その点で、むしろ興味深いのは、1930年代に描かれた「自画像」や、「ニンフの朝」(1948年頃)です。これらはもちろん、いわゆる「形而上絵画」ではありません。「自画像」では、骨太のタッチで、顔の表情や髪の毛の質感が、とても巧みに描かれています。くびれたシャツの質感や、どことなく不安気な目線の様子。眉間のシワの気になります。一方、「ニンフの朝」は、まるでモローのような幻想性を見せるタッチが印象深く、背を向けたニンフも魅惑的です。ルネッサンス期の作品を精力的に模写して、それを作品へ取り込んでいた、この時期のキリコの試み。意外な作風です。
一見してキリコの制作とも分かる、「形而上絵画」を半ば類型化させて生み出されたようなブロンズ像も展示されます。これらも晩年の作品にあたりますが、質感云々の問題を抜きにして楽しむことが出来ました。
キリコはこれまで好きな画家だったのですが、今回初めてまとめて作品を見たことで、その印象が少し変わりました。どうなのでしょうか。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )