「コロー展レクチャー(高橋明也氏)」 国立西洋美術館

国立西洋美術館
「コロー展レクチャー」
7/16 18:00~
講師 高橋明也(展覧会監修者、三菱一号館美術館長、国立西洋美術館客員研究員)

先日、監修の高橋氏より、開催中のコロー展に関する約40、50分ほどのレクチャーを拝聴する機会を得ました。開始時間に少し遅刻してしまったので完全にとはいきませんが、その様子を以下にまとめておきたいと思います。


[19世紀を生きたコロー(1796-1875)]

 画業の開始は意外と遅い。
 父母は高級服飾店を経営するブルジョワ階級。
 パリに在住する都会派的人間(←何かと同列に語られるミレーとは対比的。
・「パリ、サン=ミッシェル古橋」(1823)
 明るい光と造形的なフォルム。
 コローはイタリアへ三度渡ったが、彼の地で風景描写のABCを学んだ。


・「パレットを持つ自画像」(1840)
・「ローマ郊外の水道橋」(1826-28)
 単純化された色面。シャープで現代的な描写。
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 一般的な「霧と靄のコロー」とは対極のイメージ。明朗でかつ堅牢な画風。


[コローの問題]

写実的で造形的な「モダンのコロー」と、いわゆる日本での知名度の高い「霧と靄の幻想のコロー」
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 実際、コロー自身は写実的な作品をスケッチと捉えて市場へ出さなかったが、死後、それらが市中へ出回ることによりコローの評価が一気に高まった。
 =ゴーギャンやピカソらが「霧と靄」ではなく「モダン」のコローを高く評価。(一方、日本では専ら「霧と靄」のみがコローのイメージとして語られている。)


[ヴィル=ダヴレー変奏曲]

 第一回イタリア旅行の後、コローはパリ郊外、ヴィル・ダヴレーの別荘に滞在する。


・「ヴィル=ダヴレーのあずまや」(1847)
 コローの愛したヴィル=ダブレー。コロー自身だけではなく、母や姉なども作中に描かれている。=母のために描いた、コローの家族愛を見る作品。


・「ヴィル=ダヴレーのカバスュ邸」(1835-1840)
 コローの風景描写でも特に評価の高い一枚。光と影が美しく交錯する。
・「大農園」(1960-1865)
 晩年の「想い出」シリーズの作品。
 ヴィル=ダヴレーの記憶を元に、他の土地(フランスやイタリアなど。)の描写も混じりって、独特な架空のコロー式理想風景を作り上げる=「霧と靄のコロー」
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 あずまやで母や姉らと楽しんだかの地のイメージが、コローの中の重要な思い出となり、それが晩年へ向けて拡大、また再生されながら繰り返されていった。=『ヴィル=ダヴレー変奏曲』


[コローの二面性]

 一瞬の時間を切り取ったコロー:ふと見やる人物の表情、何気ない風景の一コマ。
 一枚の絵に様々な時間軸の混ざるコロー:ヴィル・ダヴレー変奏曲シリーズなど。
 ↓
 この二面が画業の全編を通してほぼ平行的に示されている。
・「風景、朝のボーヴェ近郊」(1860-70)
 ドイツロマン派を思わせるタッチ。フリードリヒのよう。
・「海辺の村、あるいは村の入口」(1950~70)
 村は実在するが、本来ならそこから海は見えない。無いはずの海と実際の村との組み合わせ。=コロー独自の風景創作。実景とイメージが多様に交錯していく。


・「ドゥエの鐘楼」(1871)
 戦争中のパリを描きながらも、その影響を微塵も感じさせない明朗な作品。
 晩年の作だが、「想い出」でも「霧」でもない、堅牢で写実的な「モダン」なコローが示されている。
・「モルトフォンテーヌの想い出」(1864)
 想い出シリーズの最高傑作。センチメンタルな幻想の風景。
・「ヴィル=ダヴレーの想い出、森にて」(1872)
 バランス良く配された前景、中景、後景と、「想い出」の演出的効果にも長けた一枚。木々の描写はもはや抽象をも思わせている。


[コローの人物画]

 モダンなコロー同様、当時のマーケットには出なかったコローの人物画。
 ごく親しい友人らがモデル。
 女性像=コローのコスプレ
・「本を読むシャルトル会修道士」(1850-60)
 一見、宗教画のようでもあるが、おそらくコローはこの作品に宗教的な意味を込めていない。
 丁寧に表された白の効果。画題よりも画肌や構図など、絵自体へのコローの探求の痕跡を確認することが出来る。=近代絵画的指向


・「エデ」(1870-71)
 文学的主題による作品。但しここでも「修道士」同様、そう文学主題への関心があったようには思えない。


・「真珠の女」(1858-1868)
 「コローのモナリザ」と言われるだけあってクラシカルな構図。
 左の袖の下の色面はロスコのマチエールを思わせるほど斬新。
 単なる肖像画ではなく、実在のモデルのポートレート=実存的な絵画


・「青い服の婦人」(1874)
 モデル自身が少し疲れたような様子を、画中へ瞬間的に閉じ込めた傑作。モデルの肘の下のクッションや本。青の表現への関心の高さ。

以上です。

簡潔ながらも、高橋氏のこの展覧会へかける意気込みが伝わるような充実したレクチャーでした。ともかく氏の一番のメッセージは、日本ではとかく評判の高い「霧と靄」のコローだけでなく、人物画群を含めた上記の「モダン」なコローを是非とも見て欲しいということです。ヨーロッパでは既に評価も確立したそれが、何故か日本ではあまり知られるところにありませんが、実際、展示の最初のセクションを見るだけでもコローの高い写実性、もしくは現代性などを十分に伺うことが出来ます。また展示は時系列に沿っているわけではありません。ようは「ドゥエの鐘楼」の例を挙げるまでもなく、コローは必ずしも画業の最終段階として「霧と靄」に到達したというわけではないのです。それはあくまでも他と平行した彼の一スタイルである、と言うことも出来るでしょう。

貴重なお話を聞くことで、実際の展示でもこれまで見えて来なかった面が開ける部分もありました。展覧会の感想もまた別エントリにて触れたいです。
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