都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「エミリー・ウングワレー展」 国立新美術館
国立新美術館(港区六本木7-22-2)
「エミリー・ウングワレー展」
5/28-7/28
彼女にとってキャンバスとは一体何だったのでしょうか。「アボリジニが生んだ天才画家」(ちらしより引用。)、エミリー・ウングワレーの回顧展へ行ってきました。
ともかく企画自体は非常に良く練られています。展示ではまずアボリジニに生きた彼女がキャンバスを手にした経緯を伝え、そしてアボリジニ文化の一面を各文物などで紹介しながら、エミリーの絵画群を時系列に並べていました。また何かと空間が大き過ぎる新美のホワイトキューブも、ここではそう出しゃばることはありません。過去、少なくともこの箱で開催された企画としては、最も作品との相性が良かったとも言えるのではないでしょうか。いくら彼女を『発見』したのが西洋であるとは言え、殊更、作品を西洋絵画に関連づけようとキャプションを除けば、企画としては実に見応えのある内容だったことは間違いありません。これなら高い評判にも頷けるというものです。
ただ、エミリーに感銘を受けた方には申し訳ないのですが、率直に申し上げると私は彼女から何らインスピレーションを受けることなく終ってしまいました。エミリーが当初取り組んだのは、まさにアボリジニの息遣いをそのままキャンバスへ置き換えていく作業だったのでしょう。ボディペインティングにも特徴的な点描や線描が画面を埋め尽くすように支配し、抽象でも何でもなく、おそらくは彼女が見たままの世界がダイレクトに表されていきます。私には錯綜する線のみにしか見えないそれが彼女にはコミュニティの証しとなり、また茶色や緑や青や黄色の点が乱雑にせめぎあうそれが、そのままかの地の大地や風や光へと繋がっていました。しかしそれをアクリルにキャンバスという一つの絵として見た時、例えば広がる空間や、前述のような光景を『効果的』に表しているかと問えば、甚だ疑問であると言わざるを得ません。むしろ絵という表現形態が、彼女の持っていた世界観を表しきれていないのではないかと歯がゆく思えてなりませんでした。
僅か8年間の『画業』の中、彼女は徐々に作風を変化させていきますが、前述の文脈に沿えば、例えば後の「ヤムイモ」や最晩年の「私の故郷」などは明らかに絵としての完成度が増しています。バラバラだった色や線は相互に関係し合うようになり、空間の深み、もしくは広がりなどが格段に『進化』していました。しかし今度は、そもそも持っていた、かのダイレクトなアボリジニの世界は薄らいでしまっています。ようは絵の技術を高めたエミリーが、逆に当初あった独特なセンスを言ってしまえば失ってしまったともとれるわけです。そしてそれは、そもそも絵にならないものを絵にしようとしていたという、半ばキャンバスが彼女にとって相応しい表現でなかったということの理由にもなるのではないでしょうか。感じ得ない作品を見ることよりも、エミリーの絵が年を追う毎に『作品』としてまとまってしまっていく様子が悲しく感じられるほどでした。あの私を戸惑わせた、アボリジニの未知で理解し得ない孤高の世界はどこへ行ってしまったのでしょう。
私がもっと想像力を働かせてエミリーに接するべきだったのかもしれません。今月28日まで開催されています。
「エミリー・ウングワレー展」
5/28-7/28
彼女にとってキャンバスとは一体何だったのでしょうか。「アボリジニが生んだ天才画家」(ちらしより引用。)、エミリー・ウングワレーの回顧展へ行ってきました。
ともかく企画自体は非常に良く練られています。展示ではまずアボリジニに生きた彼女がキャンバスを手にした経緯を伝え、そしてアボリジニ文化の一面を各文物などで紹介しながら、エミリーの絵画群を時系列に並べていました。また何かと空間が大き過ぎる新美のホワイトキューブも、ここではそう出しゃばることはありません。過去、少なくともこの箱で開催された企画としては、最も作品との相性が良かったとも言えるのではないでしょうか。いくら彼女を『発見』したのが西洋であるとは言え、殊更、作品を西洋絵画に関連づけようとキャプションを除けば、企画としては実に見応えのある内容だったことは間違いありません。これなら高い評判にも頷けるというものです。
ただ、エミリーに感銘を受けた方には申し訳ないのですが、率直に申し上げると私は彼女から何らインスピレーションを受けることなく終ってしまいました。エミリーが当初取り組んだのは、まさにアボリジニの息遣いをそのままキャンバスへ置き換えていく作業だったのでしょう。ボディペインティングにも特徴的な点描や線描が画面を埋め尽くすように支配し、抽象でも何でもなく、おそらくは彼女が見たままの世界がダイレクトに表されていきます。私には錯綜する線のみにしか見えないそれが彼女にはコミュニティの証しとなり、また茶色や緑や青や黄色の点が乱雑にせめぎあうそれが、そのままかの地の大地や風や光へと繋がっていました。しかしそれをアクリルにキャンバスという一つの絵として見た時、例えば広がる空間や、前述のような光景を『効果的』に表しているかと問えば、甚だ疑問であると言わざるを得ません。むしろ絵という表現形態が、彼女の持っていた世界観を表しきれていないのではないかと歯がゆく思えてなりませんでした。
僅か8年間の『画業』の中、彼女は徐々に作風を変化させていきますが、前述の文脈に沿えば、例えば後の「ヤムイモ」や最晩年の「私の故郷」などは明らかに絵としての完成度が増しています。バラバラだった色や線は相互に関係し合うようになり、空間の深み、もしくは広がりなどが格段に『進化』していました。しかし今度は、そもそも持っていた、かのダイレクトなアボリジニの世界は薄らいでしまっています。ようは絵の技術を高めたエミリーが、逆に当初あった独特なセンスを言ってしまえば失ってしまったともとれるわけです。そしてそれは、そもそも絵にならないものを絵にしようとしていたという、半ばキャンバスが彼女にとって相応しい表現でなかったということの理由にもなるのではないでしょうか。感じ得ない作品を見ることよりも、エミリーの絵が年を追う毎に『作品』としてまとまってしまっていく様子が悲しく感じられるほどでした。あの私を戸惑わせた、アボリジニの未知で理解し得ない孤高の世界はどこへ行ってしまったのでしょう。
私がもっと想像力を働かせてエミリーに接するべきだったのかもしれません。今月28日まで開催されています。
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