都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える」 東京国立近代美術館
東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園3-1)
「ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える - そしてドローイングは動き始めた……」
1/2-2/14
東京国立近代美術館で開催中の「ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える - そしてドローイングは動き始めた……」へ行ってきました。
まず本展の概要です。
・ウィリアム・ケントリッジ(1955年、南アフリカ共和国~)の手がけた、通称「動くドローイング」と呼ばれるアニメーションを、日本で初めて個展形式で紹介する。
・主に大型スクリーンによる映像作品は全19点。原画となった素描などもあわせて展観。
・旧作から近作までを幅広く展示。初期のアパルトヘイトの歴史を踏まえた「プロジェクションのための9つのドローイング」から、ショスタコーヴィチの「鼻」をテーマにした最新作、「俺は俺ではない、あの馬も俺のではない」まで。
・映像の所要時間は約2時間程度。とは言え、一本あたり、約3分から12分程度と、テンポ良く作品を楽しむことが出来る。
前評判を耳にしていたので期待はしていましたが、実際のところ今回の展示は相当に楽しめました。映像作品と言うと、私も同じく、どうしても躊躇してしまう嫌いがありますが、軽妙な音楽とともに魔法のようにして紡ぎだされる「動くドローイング」は、思わず時間を忘れて見入ってしまうこと間違いありません。入場前は「まさか2時間もかかるまい。」と高をくくっていましたが、観賞後に時計を確かめたところ、本当にその位の時間ほど滞在していたことに気づきました。恐るべしケントリッジです。
彼の「動くドローイング」の魅力は知るには、ともかくその作品を見ていただくのが一番です。youtubeにいくつか作品映像(本展出品作以外も含む。)がアップされているのでそちらをご覧下さい。
William Kentridge - Mine (1991)
William Kentridge - Weighing... and Wanting (1997)
それにしてもこれらの何れもが「ドローイングを描き直しながら、1コマ毎に撮影」(展覧会HPより引用)されたものだと知ると、その尋常ではない作業量と根気が、半ば痛々しいほどひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。線を引き、また消した跡は、まさに作品全体の血となり肉となって、ドローイングに生々しい制作の痕跡を残していました。政治的な主題よりエンタメ色のある作品など、その作風は多様ですが、一貫した制作方法をはじめ、膨大な時間の経過を僅か数分間に凝縮させた世界は、何とも表現し難い重みをたたえていました。
また錯視を呼び込む、例えばアナモルフォーズの技法を借りた作品も登場していました。ドローイングと映像の間にある揺らぎの効果は、こうした一種の「だまし絵」的な力も得て、さらに独特な魅力をたたえていました。
ちなみにドローイング単体ももちろん紹介されています。同じ部屋に展示されていないので映像と直接見比べることは出来ませんが、それらを比較して楽しむのも一興ではないでしょうか。特に初期の頃の作品の力強さは胸を打ちます。南アフリカの炭鉱労働を捉えた作品などには、その在り方への痛烈な批判精神が色濃く反映されていました。
先にも触れたように、ショスタコーヴィチの「鼻」に取材した作品も展示されています。また「やがて来たるもの」にもショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲がBGMとして用いられていました。決してクラシックだけではありませんが、映像にあわせて次々と展開される音楽との見事なマッチングも見どころの一つです。音楽ファンも一見の価値ありの展覧会と言えるかもしれません。
William Kentridge (2003) Journey to the Moon [excerpt]
2月14日までの開催です。今更ながら強力におすすめします。また本展は会期終了後、広島市現代美術館(3月13日~5月9日)へと巡回します。
「ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える - そしてドローイングは動き始めた……」
1/2-2/14
東京国立近代美術館で開催中の「ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える - そしてドローイングは動き始めた……」へ行ってきました。
まず本展の概要です。
・ウィリアム・ケントリッジ(1955年、南アフリカ共和国~)の手がけた、通称「動くドローイング」と呼ばれるアニメーションを、日本で初めて個展形式で紹介する。
・主に大型スクリーンによる映像作品は全19点。原画となった素描などもあわせて展観。
・旧作から近作までを幅広く展示。初期のアパルトヘイトの歴史を踏まえた「プロジェクションのための9つのドローイング」から、ショスタコーヴィチの「鼻」をテーマにした最新作、「俺は俺ではない、あの馬も俺のではない」まで。
・映像の所要時間は約2時間程度。とは言え、一本あたり、約3分から12分程度と、テンポ良く作品を楽しむことが出来る。
前評判を耳にしていたので期待はしていましたが、実際のところ今回の展示は相当に楽しめました。映像作品と言うと、私も同じく、どうしても躊躇してしまう嫌いがありますが、軽妙な音楽とともに魔法のようにして紡ぎだされる「動くドローイング」は、思わず時間を忘れて見入ってしまうこと間違いありません。入場前は「まさか2時間もかかるまい。」と高をくくっていましたが、観賞後に時計を確かめたところ、本当にその位の時間ほど滞在していたことに気づきました。恐るべしケントリッジです。
彼の「動くドローイング」の魅力は知るには、ともかくその作品を見ていただくのが一番です。youtubeにいくつか作品映像(本展出品作以外も含む。)がアップされているのでそちらをご覧下さい。
William Kentridge - Mine (1991)
William Kentridge - Weighing... and Wanting (1997)
それにしてもこれらの何れもが「ドローイングを描き直しながら、1コマ毎に撮影」(展覧会HPより引用)されたものだと知ると、その尋常ではない作業量と根気が、半ば痛々しいほどひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。線を引き、また消した跡は、まさに作品全体の血となり肉となって、ドローイングに生々しい制作の痕跡を残していました。政治的な主題よりエンタメ色のある作品など、その作風は多様ですが、一貫した制作方法をはじめ、膨大な時間の経過を僅か数分間に凝縮させた世界は、何とも表現し難い重みをたたえていました。
また錯視を呼び込む、例えばアナモルフォーズの技法を借りた作品も登場していました。ドローイングと映像の間にある揺らぎの効果は、こうした一種の「だまし絵」的な力も得て、さらに独特な魅力をたたえていました。
ちなみにドローイング単体ももちろん紹介されています。同じ部屋に展示されていないので映像と直接見比べることは出来ませんが、それらを比較して楽しむのも一興ではないでしょうか。特に初期の頃の作品の力強さは胸を打ちます。南アフリカの炭鉱労働を捉えた作品などには、その在り方への痛烈な批判精神が色濃く反映されていました。
先にも触れたように、ショスタコーヴィチの「鼻」に取材した作品も展示されています。また「やがて来たるもの」にもショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲がBGMとして用いられていました。決してクラシックだけではありませんが、映像にあわせて次々と展開される音楽との見事なマッチングも見どころの一つです。音楽ファンも一見の価値ありの展覧会と言えるかもしれません。
William Kentridge (2003) Journey to the Moon [excerpt]
2月14日までの開催です。今更ながら強力におすすめします。また本展は会期終了後、広島市現代美術館(3月13日~5月9日)へと巡回します。
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