都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
川端龍子ゆかりの「龍子公園」を見学してきました
日本画家、川端龍子の旧宅とアトリエを保存した龍子公園は、大田区立龍子記念館のすぐ隣にあります。
アトリエは1938年、龍子率いる青龍社の創立10周年に建てられました。一方で旧宅は戦時中に爆撃に遭い、焼失したため、戦後の1948〜1954年になって新たに造られました。ともに龍子自らが設計しました。
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現在は記念館と同様に大田区が管理し、公園として一般に公開しています。
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入口の門を抜け、竹の垣根のアプローチの左手に見えるのが、「爆弾散華の池」でした。龍子邸は、終戦間際の1945年8月13日、アメリカ軍の爆撃を受け、隣接するアトリエこそ難を逃れたものの、自宅部分は全壊します。使用人も亡くなるという大きな被害を受けました。
この体験をもとに龍子は「爆弾散華」を制作しました。爆風で吹き飛ぶ夏野菜をモチーフにした作品で、終戦直後の10月の第17回青龍展に出展しました。今では大田区立龍子記念館に収蔵されています。
爆撃時には大きな穴があき、のちに水が湧き出てきたそうです。そこで龍子は穴を池として整備することを思いつき、「爆弾散華の池」と呼ぶようになりました。緑に覆われているため、水面こそ見えませんが、今も雨水や水道にて維持されています。
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池を過ぎるとまず現れるのが旧宅と門でした。門の先がアトリエです。客人用として使われました。普段、家人は縄のれんのある小さな口を通っていたそうです。
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門を潜ると左右に背の高い竹垣が現れました。一本一本がかなり太く、とても量感のある竹で、先の旧宅や門の縁にも使われています。竹は龍子のお気に入りの素材の一つでした。また石畳は龍の鱗のように組み合わされています。これも龍子のこだわりでした。
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2階建てのアトリエはカメラに収めきれないほどに大きな建物でした。軒や庇の部分は網代天井で仕上げています。アトリエの広さは60畳もあります。さらに高さも4メートルと、天井高も十分でした。
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まさに「会場芸術」、大作を描くに相応しいアトリエと言って差し支えありません。ここで龍子は1966年に亡くなるまで、数多くの作品を描きました。
面白いのはアトリエの南にも大きな窓があることです。あえて強い光を取り込もうと考えたのかもしれません。今では龍子の使った画材などが展示されています。
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旧宅もアトリエと同様の2階建てです。京間の畳の組み方が卍型でした。この卍も龍子の好んだ模様だったそうです。
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窓のレリーフが個性的です。春蘭を象っているそうですが、私には窓に張り付くトカゲのようにも見えました。客人との話のとっかかりになったことではないでしょうか。
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熱心な仏教徒でもあった龍子は、旧宅の奥座敷に持仏堂を設けました。当時は襖に、宗達に連なる伊年印の「桜芥子図」がはめ込まれていました。現在は龍子記念館に所蔵されていますが、その高精細の複製を作るプロジェクトが進行しています。*複製は11月3日からの「龍子の生きざまを見よ!」 展で公開予定。
仏間には照明がありません。龍子はお堂に十一面観音と、脇侍の不動明王と毘沙門天などを安置しました。毎日、朝夕の礼拝を欠かすことはなかったそうです。うち「毘沙門天立像」は遺族の意思により東京国立博物館へ寄贈されました。重要文化財にも指定されています。
旧宅の前には庭が広がります。龍子は時折、ライトアップしては、夜の景色を楽しみました。今でこそ、庭というよりも森の様相を呈していますが、当時からかなり鬱蒼としていたそうです。
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龍子は庭を「写生材料の植え込み」と呼んでいました。梅や桜、紅葉なども植わっています。四季折々で変化する光景を目にしつつ、写生に勤しんだのかもしれません。
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ほか水盤なども美しいのではないでしょうか。園内の随所から、龍子のこだわりと美意識が感じられました。
最後に見学についての情報です。龍子公園は記念館の付属の施設です。常時、開放されていません。
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よって龍子記念館の職員の方によるガイドツアー方式での見学となります。見学時間は記念館の開館日の各10時、11時、14時の3回です。記念館内が集合場所です。時間になり次第、職員の方が案内して下さいます。
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龍子は朝の礼拝ののち、朝9時から夜9時までアトリエで絵画を制作していたそうです。建物も庭も、ほぼ生前から手付かずに残っていると言っても良いかもしれません。
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龍子記念館とあわせて見学することをおすすめします。
*川端龍子関連エントリ
「絵画への意志 新規収蔵品からの展望」 大田区立龍子記念館
「川端龍子ー超ド級の日本画」 山種美術館
川端龍子「草炎」 東京国立近代美術館
「龍子公園」
観覧時間:10:00、11:00、14:00の1日3回の案内。自由見学不可。
休園:月曜日。但し祝日の場合は翌日。年末年始(12月29日~1月3日)。展示替えの臨時休館。
料金:大人200円、小・中学生100円。65歳以上は無料。
住所:大田区中央4-2-1
交通:都営浅草線西馬込駅南口から徒歩15分。JR大森駅西口から東急バス4番荏原町駅入口行に乗車、臼田坂下下車。バス停より徒歩2分。
アトリエは1938年、龍子率いる青龍社の創立10周年に建てられました。一方で旧宅は戦時中に爆撃に遭い、焼失したため、戦後の1948〜1954年になって新たに造られました。ともに龍子自らが設計しました。
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現在は記念館と同様に大田区が管理し、公園として一般に公開しています。
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入口の門を抜け、竹の垣根のアプローチの左手に見えるのが、「爆弾散華の池」でした。龍子邸は、終戦間際の1945年8月13日、アメリカ軍の爆撃を受け、隣接するアトリエこそ難を逃れたものの、自宅部分は全壊します。使用人も亡くなるという大きな被害を受けました。
この体験をもとに龍子は「爆弾散華」を制作しました。爆風で吹き飛ぶ夏野菜をモチーフにした作品で、終戦直後の10月の第17回青龍展に出展しました。今では大田区立龍子記念館に収蔵されています。
爆撃時には大きな穴があき、のちに水が湧き出てきたそうです。そこで龍子は穴を池として整備することを思いつき、「爆弾散華の池」と呼ぶようになりました。緑に覆われているため、水面こそ見えませんが、今も雨水や水道にて維持されています。
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池を過ぎるとまず現れるのが旧宅と門でした。門の先がアトリエです。客人用として使われました。普段、家人は縄のれんのある小さな口を通っていたそうです。
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門を潜ると左右に背の高い竹垣が現れました。一本一本がかなり太く、とても量感のある竹で、先の旧宅や門の縁にも使われています。竹は龍子のお気に入りの素材の一つでした。また石畳は龍の鱗のように組み合わされています。これも龍子のこだわりでした。
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2階建てのアトリエはカメラに収めきれないほどに大きな建物でした。軒や庇の部分は網代天井で仕上げています。アトリエの広さは60畳もあります。さらに高さも4メートルと、天井高も十分でした。
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まさに「会場芸術」、大作を描くに相応しいアトリエと言って差し支えありません。ここで龍子は1966年に亡くなるまで、数多くの作品を描きました。
面白いのはアトリエの南にも大きな窓があることです。あえて強い光を取り込もうと考えたのかもしれません。今では龍子の使った画材などが展示されています。
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旧宅もアトリエと同様の2階建てです。京間の畳の組み方が卍型でした。この卍も龍子の好んだ模様だったそうです。
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窓のレリーフが個性的です。春蘭を象っているそうですが、私には窓に張り付くトカゲのようにも見えました。客人との話のとっかかりになったことではないでしょうか。
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仏間には照明がありません。龍子はお堂に十一面観音と、脇侍の不動明王と毘沙門天などを安置しました。毎日、朝夕の礼拝を欠かすことはなかったそうです。うち「毘沙門天立像」は遺族の意思により東京国立博物館へ寄贈されました。重要文化財にも指定されています。
旧宅の前には庭が広がります。龍子は時折、ライトアップしては、夜の景色を楽しみました。今でこそ、庭というよりも森の様相を呈していますが、当時からかなり鬱蒼としていたそうです。
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龍子は庭を「写生材料の植え込み」と呼んでいました。梅や桜、紅葉なども植わっています。四季折々で変化する光景を目にしつつ、写生に勤しんだのかもしれません。
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ほか水盤なども美しいのではないでしょうか。園内の随所から、龍子のこだわりと美意識が感じられました。
最後に見学についての情報です。龍子公園は記念館の付属の施設です。常時、開放されていません。
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よって龍子記念館の職員の方によるガイドツアー方式での見学となります。見学時間は記念館の開館日の各10時、11時、14時の3回です。記念館内が集合場所です。時間になり次第、職員の方が案内して下さいます。
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龍子は朝の礼拝ののち、朝9時から夜9時までアトリエで絵画を制作していたそうです。建物も庭も、ほぼ生前から手付かずに残っていると言っても良いかもしれません。
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龍子記念館とあわせて見学することをおすすめします。
*川端龍子関連エントリ
「絵画への意志 新規収蔵品からの展望」 大田区立龍子記念館
「川端龍子ー超ド級の日本画」 山種美術館
川端龍子「草炎」 東京国立近代美術館
「龍子公園」
観覧時間:10:00、11:00、14:00の1日3回の案内。自由見学不可。
休園:月曜日。但し祝日の場合は翌日。年末年始(12月29日~1月3日)。展示替えの臨時休館。
料金:大人200円、小・中学生100円。65歳以上は無料。
住所:大田区中央4-2-1
交通:都営浅草線西馬込駅南口から徒歩15分。JR大森駅西口から東急バス4番荏原町駅入口行に乗車、臼田坂下下車。バス停より徒歩2分。
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